青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -144 //ふれる。それ/いま、そこに/きみの瞼に/あおむけの//10
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
そして、渡された鍵にひらいた部屋の壁に清雪は、その油彩画をふたたび見たのだった。床。そのまま立てかけられていた、カンバス五枚程度。そのかたわら、スケッチブック数冊。埃りは思ったよりも厚くなかった。ふきとるまでもなく、一番うえのカンバスの色彩はそれが、なにかは疑いもなくわからせる。ハオ・ラン。裸婦。セザンヌ、モディリアーニ、キュビズム、その他。それら二十世紀の殊更に数理的なまなざしでなんとか可視化しようと試みられた、その少女の裸身。はにかむに似、誘うに似、愚弄するに似、つきはなすにも似る、まなざし。…よりは、そのくちもとが。ハオ・ラン、と、あるいはそれ以前に誰れと、しかしそう謂うにはむしろ人間の、と、そうとでも言うしかなさすぎて、しかも人間の、と、そう言いきってしまうには特異性を持ちすぎた顔。ハオ・ランは、いまに変わりようもない面影を見せながら、その面影を見てハオ・ランは、はたして満足したのだろうか。よろこぶ須臾があったのだろうか。ふと清雪は疑った。とまれ、言うまでもなく以前、ハオ・ランに連れて来られたそのままに、絵はたしかにそこに存在していた。清雪はあえて手もふれなかった。タブローの表面の艶にすでに予測されていたとおりに窓に、ななめに、そして似ても似つかない色彩を焼けた空は、そのまなざしに投げた。謂く、
知ってる。裸婦は
まなざしのまえに
さらした素肌に
猶。猶もそこに
猶。猶もまだ
ふれられはしない
近よられずに
孤立のままに
謂く、
猶。猶もそこに
おもわず、と
たぶん、ぼくたちは
ね?ほら
猶。猶もまだ
面はゆい。…から
もちろんきみたちも
あなたの真横に
近よられずに
忘れてあげよう。いま、すぐ
思った以上に孤独だったかも
窓。空が、怒りを
孤立のままに
さわったら、もう
その肌に
さらされた肌に
感触は、もう
消えてしまうから
その肌に
あばかれた肌に
息吹きは、もう
消えてしまうから
その肌に
見せつけた肌に
そのすべて。もう
消えてしまうから
虐待に似た
放置を。肌は
ふれられないまま
謂く、
消えてしまうから
ふれないままに
空。ら。激怒を
とめどない、あるいは、喪失?
消えてしまうから
ゆびさきは、そこに
ふいの失笑。わななきかけて
に、似た、…なに?そこに
消えてしまうから
やめない。ふれようと接近するのを
雲。も。忿怒を
ふれないままに
消えてしまうから
知ってる。だから
凝視。その距離に
剝き出しの肌に
猶。猶もそこに
猶。猶もまだ
ふれられはしない
孤立。うぶ毛に
そのあわい傾斜に
謂く、
猶。猶もそこに
いたたまれず、と
たぶん、ぼくたちは
ね?ほら
猶。猶もまだ
莫迦らしい。…から
いまだ、きみさえも、その
窓。雲が、失笑を
孤立。うぶ毛に
見捨ててあげよう。いま、すぐ
自虐以上にぶざまだったかも
あなたのななめに
そのあわい傾斜に
聞いた、と。そんな
そんな気が、…なぜ?
耳を、打つ
内側を叩く
さわがしいほどに
ささやか。ささやき
散乱。さざめき
ささやきあわれた
声を。なんらも
ひびきに、言葉を
声は。なんらも
きざしさえ、そこ
謂く、
さわがしいほどに
返り見かけた、そこ
漏れ入るひかりは
なにを?たとえば
ささやか。ささやき
ふと、立ち止まるに似た
あるいは、たぶん
そこに、ファンエイ?アイク。その鏡
散乱。さざめき
静止の、…なぜ?唐突
あたたかでさえもあったのだろうか?
空虚をだけ映していたなら
ささやく声たち
聞いた、と。そんな
そんな気が、…なぜ?
耳を、吹く
吹きかける
いいさ。もう、いいよ
色彩。なする
悲鳴のように
楽しさを、ふいに
好きなだけ、ふと。轟音
なすりつけ、しかも
唐突で、もはや滑稽なほどに
必死に。たしかに。あるいはけなげに
もはや、轟音。好きなだけ
下地を透かした
絶叫のように
擬態を、ふたりは
いいよ。もう、いいさ
いじめはじめる
耳を、さいなむ
そんな気が、…なぜ?
聞いた、と。そんな
ささやく声たち
思いあぐねた、…なぜ?唐突
冴え切ってさえもいたのだろうか?
不在をだけ映していたなら
散乱。さざめき
ふと、笑みきれもせずに
あるいは、たぶん
そこに、ファンエイ?アイク。その鏡
ささやか。ささやき
くずれかけた、そこ
射し込むひかりは
なにを?たとえば
さわがしいほどに
謂く、
きざしさえ、そこ
声は。なんらも
ひびきに、言葉を
声を。なんらも
ささやきあわれた
散乱。さざめき
ささやか。ささやき
さわがしいほどに
忘れてあげる
聞いたさきから。もう
忘れた。…なぜ?
猶ひびきあう、そんな
冷えた、水滴を散らすペットボトルを右手にぶら提げたまま、清雪はバルコニーに出た。はたして藤はそこにいた。そのときに清雪は、藤がその日は外出しなかったことを、あるいは、すでに帰っていたことを、知った。夜の、しかも上空の冴えた風が髪をはためかせた。清雪の、そして藤のそれをも。手摺り。そのぎりぎりに藤は、いまにも意を決しそうなあやうさに、ただ、向こうを見ていた。やや、かすかに返り見た横眼にそっと、清雪をも。を、こそ、を。北の東寄り、夜景の綺羅めきのなか、唐突な暗闇が沈鬱な空虚にそこを穿った。明治神宮のあたりだった。背後まで近寄った。ようやく藤は、たしかに返り見た。思わず、笑いだしてしまいそうなほどに翳りのない藤の、深刻な翳りなかの邪気のない顔が、そして、背後をだけ照らすにすぎないあかるみの淡さにきわ立った。「…終わった?」つぶやいた。藤が、と、答えなかった。清雪は。頸をすこしかたむけたまま、藤はふと、やわらかに笑もうとこころみていた。気配に知れた。ささやいた。まるで「いま、…もう」周囲を「行く?」憚りでもしてたかに、ただ、藤だけが。「行きたい?」
「わたし?」
「どっちでもいいよ。…ここよりは、——いや。遠い」
「なに?」
「地の果てみたいなとこ。こっちがいい?別に、借りた…買った…って、買って、もらったの、」清雪は自分で吹き出してしまって、「…口実だから。じゃない?あくまで」
「ひとりぐらし、したがってたから」
「別に、…」藤がひそかに「あそこに、…代々木にいても、」痰を切った。「おれは、もう、最初からひとりだから」藤は、すなおに笑む清雪のためにふと、笑んだ。わずかな力みさえもなく。「どこにいても、一緒。入ろう。風邪、ひく」言って、清雪はひとり、藤を待たずに室内に帰った。藤は数秒、清雪を見た。謂く、
飛び込むように
飛び降りるように
やがては、たぶん
飛びあがるように
見あげたそこに
地獄と?たとえば
そうと呼ぶべき
それがあったなら
謂く、
見あげたそこに
そのときに、まだ
かなしい。…ね。きっと
蹴飛ばす。やや
地獄と?たとえば
見つめている、その
きみが、ぼくの
ななめに、つま先
そうと呼ぶべき
そのとき、ふっと
視野から消えたら
タイルのふちを
それがあったなら
思い切る?きみは
その、須臾の
くりかえされる須臾
ただ、須臾だけの
躊躇もなにも
返り見もせず
飛び込む。降りる
飛びあがるかにも
謂く、
見てあげる。きみは
雲のうえ。あの果てもない
落ちる。天国に
かつて地獄と呼びつけたの、かな?
その、須臾も
虚無。虚空をこそ
ひきずり上げられ
密度。重力の凝縮をこそ
躊躇。なにも
かつて天国と名ざしたの、かな?
地獄に昇る
地のふかみ。あの容赦ない
見えもせず
飛び込むように
飛び降りるように
やがては、たぶん
飛びあがるように
見おろす下に
天国と?たとえば
そうと呼ぶべき
なにかがあれば
謂く、
見おろす下に
紫陽花は、まだ
叫びさえ?…ね。きっと
蹴飛ばす。やや
天国と?たとえば
咲いてはいない。その
きみが、ぼくの
かたむきはじめて
そうと呼ぶべき
紫に、きみは
雨の降る日に
コンクリート。その直角あたり
なにかがあれば
思い切る?きみは
その、一秒の
くりかえされつづける
ただ、一秒以下の
ためらいさえも
まどいすらせず
飛び込む。降りる
飛びあがるかにも
謂く、
見てあげる。きみは
雲のうえ。加速しつづる
落ちる。天国に
すべてを飲み込み、ただ無限の加速を
その、一秒にも
加速を越えて、いつか
ずりあげ、せりあがって、ほら
自重につぶれてひっくり返れば
ためらい。なにも
素粒子以下に分解されれば
地獄に昇る
地のふかみ。圧縮の果てに
考えられず
譬えておこうよ
きみを、薔薇にも
昏い黒にも
映えるから。赤を
かさねて見ようよ
きみの、残酷を
夜の黒にも
きわ立つ。薔薇を
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