青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -143 //ふれる。それ/いま、そこに/きみの瞼に/あおむけの//09
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
その足で清雪は、藤をつれて千鳥ヶ淵に行った。少女は目慣れないまま周囲を見回した。清雪は藤の生活圏が知れた気がした。番町の、ことによると現存するもっともふるいマンションに、ハオ・ランを訪ねた。14階建ての最上階に、不死の少女の拠点はあった。鍵はいつものようにかけられてはいない。そのまま入った。気配に気づいて、迦虞夜、と、そうハオ・ランが名づけたダウン症の少女が清雪を出迎え、笑った。見慣れない少女にはあくまで気づかないじぶんを擬態して。迦虞夜が呼び出すまでもなく、直進の清雪はそのすがたを見止める。所在への案内の必要などない。いつもどおり、ハオ・ラン。ぶち抜きの宏大なLDKの中央、瀟洒なソファの真ん中に座っていた。迦虞夜やななめ背後にさわいだ。毛のながい、しろい絨毯が足をくすぐった。清雪は、藤がふと鼻と口をおおうのに気づいた。あるいは絨毯になにかのアレルギーがあるのかも知れない、と、ハオ・ランは、その十五、六歳の少女の顔に笑みかけた。まだ、ただ清雪にだけ。「どうしちゃった?」ささやく。その声にさえかぶせて「渋谷。部屋、あるよね?」
「あるよ。まだ。いま、…物置き。たぶん、…じゃない。かな?——空いてる」
「そこ、貸してよ」
「言ってたね。なんか、電話で」ようやくハオ・ランは、そのまなざしが藤に気づくのを赦した。「…その子?」清雪は、その流し目にあえて対応しなかった。ハオ・ランは藤を見た。見ながらもう一度見、そして見た。ややあって、「いま、」ハオ・ランが「もってくる。迦虞夜が…」つぶやいた、声。うつくしい鳥の、啼き声のうつくしさ、とでも?語尾が、かすかに裏返っていることに、ひとり清雪は傷みを知った。ハオ・ラン。美声。ふるえるように。意外だった。ハオ・ランは基本、冷淡なまでに冷静だったから。目を、おもわず逸らしていた。それが合図だったかのように、ハオ・ランは「あそこは、…」言った。「知ってる?」
「なに?」
唐突に見返した清雪に、ハオ・ランは口走った自分を、まだなにも言わないうちから後悔していた。目を、だから「住んでた」細めた。「あそこ、ごくごく、みじかい間、…だけど」
「雅雪さんと、あなたが?」
「…と、」言い淀んだハオ・ラン。清雪は、ややあってその、不用意に「…ぼく?」声をかけた。自分が笑んでいることを、清雪は知った。「知ってた?」
「聞いた」
「雅雪に?」うなづかない。そこに清雪は。ハオ・ランはそれを肯定と取った。清雪は、噓をつきとおす気にはなれなかっただけだった。雅雪は、その生みの母親とのことなどほとんど話さなかった。その部屋の存在を記憶していたのは、ハオ・ランと渋谷で待ち合わせたいつかに、ふいに用もなく立ち寄ったその部屋で、ハオ・ランが見せた、もの思わし気な目の気配のせいだった。悔恨に、砂糖で包み込んだ苦痛をしずめて、懐古と仮りに名づけてみた、と、そんな。眼。虹彩。瞳孔。窓のななめ、夕焼けの、ハオ・ランのかたわらに清雪は、他人の追憶に倦んだ。意識するともなく、おおかれすくなかれそこに、あの母親と父親らしき男が咬んでいることは、思えばとっくに「…雅雪さん」知れていた。ささやきに、遅れてわれに返ったハオ・ランのさらした素直なとまどいを目に、清雪は笑んだ。…なんで?くちびる。ハオ・ランの。「そう。…」やがて「三人…と、四人、」ハオ・ランは「…ここ、」ささやくしかなかった。無理やり、そのときほほ笑んで。藤がそっと、清雪にふれた。その腰を。「場所は、…」ハオ・ラン。ようやく「覚えてる?」素直に笑った、…と「絵、まだあるの?」清雪。呆気にとられたに似た表情に、突然問うた清雪をハオ・ランは見つめた。目じりの強張りの須臾の、そしてややあってふと「絵?…ぼくの?」
「雅雪さんの」
「…じゃない?」と。そこに「鼠でも大量発生して、喰いつくしてない限りは、…」清雪は「…ね?」ハオ・ランから目を逸らす。ほんの数言のあるいは懐古的な雑談ののち、迦虞夜に鍵を受け取る清雪をハオ・ランは呼び止めた。じぶんの目がおもわず「嘉鳥さん、…」おもわせぶりな嘲弄にかたむくのに「会いたがってるよ」気づかないままに。「…逢う?」
「ぼくに?」
「最近、顔ださないじゃん?」
「よろしく、言っといて。で、また」清雪の、その「暇なときにね、」わるびれない笑みを「…って」なにも言わずに、ハオ・ランは見ていた。ソファに横たわるように座ったまま。いちども立ちあがりはしなかった。ハオ・ランはひとり、失笑しかけたじぶんを赦した。部屋を出て、エレベーターに乗り込んだ時にようやく藤は手をはずした。ずっと、清雪に組みつきつづけていた。ふと見やる清雪に、藤はなにか言いかけた。そして、ついに言い切らなかった。藤は、じぶんがいまなんの言葉も持っていなかったことに気づいた。あるいは、唐突にうしなったのだと。清雪はその時に、すでに慣れきっていたハオ・ランの体臭を思い出した。雨に濡れた犬にしかも、おなじく雨に濡れた土を塗りたくって醗酵させた、そんな、陰湿な惡臭をハオ・ランの肉体はいつも撒き散らしていた。藤には拷問だったにちがいない。意味もなく、清雪はあやうく吹き出しかけた。謂く、
稀れにか、彼を
思い出しなど
稀れにさえ、もう
思いつきなど
たぶん、半月が
似合うね。きみは
忘れられていた
ひさしぶりの月
謂く、
たぶん、半月が
見てた。そっと
忘れた。ぼくは
爪に、やわらかな
似合うね。きみは
そのゆびさきが、ほら
まばたきをさえも
白濁。まるで
忘れられていた
ひだり。こめかみを
忘れた。…なぜ?
ながれ落ちるように
ひさしぶりの月
見上げ、眼たちは
上弦、下弦
まどうがままに
まるで涅槃に
見た月かにも
その半月に
苦悩を、そこに
懐疑を、すでに
謂く、
見上げ、眼たちは
ひきちぎれ。…って
兎。どこ?兎
血。海の砂にも
上弦、下弦
耳を。前あしを
いつ?翳りのどこかで
飛び散らせ、血を
まるで涅槃に
砂いろの血を
虐待されたの?
絶命を?しずかに
見た月かにも
まばたきも稀れに
きみは、見つめた
ぼくを、ふと
ほほ笑みかけた
まなざしが時に
傷みを、見せた
ぼくを、ふと
厭うた、そんな
きみのその須臾に
ぼくは、見つけた
きみを、ふと
素顔を、そこに
横殴り。もう
赤裸々に、午後は
赤裸々な、そこ
きみを、ひかりは
謂く、
横殴り。もう
ぬすみ見るように
いつでも、ぼくたちは
笑えてる?…かな
赤裸々に、午後は
横目に、きみが
語りきりなどしなかったから、ね
あるいは、じょうずに
赤裸々な、そこ
見出したぼくは
あるいは噓とかわりなかった
きみ好みにさえ
きみを、ひかりは
まよいなくつつみ
きみは、見つめた
ぼくを、そこ
歎きはじめた
まなざしがふいに
軽蔑を、見せた
ぼくを、ふと
いたわった、そんな
きみのその須臾に
ぼくは、見つけた
きみを、その
無防備を、そこに
横殴り。もう
赤裸々に、午後は
赤裸々な、そこ
きみを、ひかりは
謂く、
横殴り。もう
なつかしむように
いつか、ぼくたちは
笑えてる?…よね
赤裸々に、午後は
うとましい目が
訣別さえしてしまうものだから、ね
あるいは、きみには
赤裸々な、そこ
うつましいぼくは
あるいは不在とかわりなかった
不本意にさえ
きみを、ひかりは
しろすぎる肌を
染めはじめなど
一度さえ、肌を
色づかせなど
たぶん、半月が
似合うね。きみは
忘れられていた
ひさしぶりの月
謂く、
たぶん、半月が
感じてた。そっと
時々、ぼくは
くちびる。わずかな
似合うね。きみは
つまさきが、絨毯の
きみやさしく笑むことさえも
苦笑?まるで
忘れられていた
やわらかな心地を
忘れてた、…ね?
意味をなにも知らせまいとしていたかに
ひさしぶりの月
見上げ、眼たちは
上弦、下弦
まどうがままに
まるで涅槃に
見た月かにも
その半月に
苦悩を、そこに
懐疑を、すでに
謂く、
見上げ、眼たちは
ひき裂け。…ね?
兎。どこ?兎
血。砂の波にも
上弦、下弦
腹を。内臓を
いつ?翳りのむこうで
したたらせ、血を
まるで涅槃に
砂じみた血を
弑殺されたの?
絶命を?静寂に
見た月かにも
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