青空に、薔薇 ...for Jeanne Hébuterne;流波 rūpa -138 //ふれる。それ/いま、そこに/きみの瞼に/あおむけの//04





以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。

また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。





風雅の部屋から付きまとう瑞穂の嬌声に煽られるまでもなく、清雪の足は敷地奥、大親父の部屋に向いていた。かならずしも会いたいわけでもなく、また日常に、逢うべき義務が課せられているというでもない。顔を見せたところで、勝手な挨拶をひとりで数語、それであくまでも自己満足じみて、勝手に辞するだけに決まっていた。とはいえ。もっとも、同情も憐憫も、反感も故の執着も、まして共感などさらさらにない。風雅の部屋から縁をつたう。やがて外廊下につながれた離れに、老人はいる。壬生秀則は1925年、つまり大正十四年の生まれだといつか、だれかに云われた。だから、数えればちょうど卒寿の祝いでもしようかという年の頃。風雅に祝う気などないだろう。正則は気付きもしないだろう。その妻、楓は気にもかけていないだろう。どうせ、敦子がひとりで奔走しはじめるに決まっている。石庭に渡らせた廊下から、唐突な平屋の洋館がまるごと秀則の居室だった。清雪はいつも、和洋のどうしようもない混交に、悲痛を騒がす。騒ぎ立てながら瑞穂がノックする。するまでもなく、秀則の耳さえすこやかであれば、すでに来客に気付いただろう。いまや瑞穂はひとり、相槌もない清雪にその、懇意の美容師の噂話で夢中だったから。ドアの向こう、車椅子に老人がちいさく座っている。ななめに。顔は清雪を返り見ない。清雪はちかくまで歩み寄った。表情をなにかつくるべくも、その須臾清雪はじぶんに顔があることにさえ気付かない。そして、老人の禿げあがった頭部を、撫ぜた。このうえもなく、不穏なまでにやさしく。顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー、…と、facioscapulohumeral muscular dystrophy、FSHD。それが秀則の病んだ疾病の名前だった。家族は好きに、ジストロと略した。敦子はアルファベットの略称を用いた。もう六十年以上、秀則はその疾患とともに生きた。若く、いまだ広島、その呉のあたりで、童顔に殺伐をかくした男と町を駆けた頃にさえも。不均衡につり上がった唇がかすかに、引き攣った。「清雪です」耳元にささやいた。瑞穂は口を閉じていた。さすがに、大親父の前でだけは憚られるのだった。秀則はその虹彩に清雪を捉えようともしない。うすい皮膚。しかし厚く垂れた瞼が、老人のまなざしの殆どをとろけるように皴んで隠した。付き添い介護の女、山崎秋子。彼女がかたわらに膝をつき、「…思い人、」枯れた側頭に「来られましたよ」笑って、耳打ちした。ちぢれたほそい白髪が、ささやきにさえ嬲られて見えた。秋子の言葉は、間違いなくただ、清雪をだけ気づかっていた。秀則がいまさら、かつて愛した刹那さえ見えたらない疎遠の清雪を、そこに思い出すとは思えなかった。二十年前にはすでに、ここに引きこもっていた。十五年前にはかつて、秀則に媚びを売りつづけた知り合いまでもがもう、死んだものと思い込みはじめた。十年前には世間的に、亡き人として完全に忘れられ、時に懐かしがられさえした。過ぎた昭和の物故した大物と。清雪は知っている。瑞穂がいつか、たしかまだ小学生だったころ、ふと云った。大親父の子供は三人ばかりではなかった、と。最低でもその倍は生んだものだと大奥様がおっしゃっていた、と。「だから、わたし、虐められたものよ。三人しか」その時敦子が「生まないって」その瑞穂を諫めた。諫めを、違うふうに取った瑞穂は「でも、ね?」気にしない。「もう、」むしろ「むかしのことだもん。だって、」さかんに敦子に「こっちは、ちゃんと」ここぞとまくしたて、そして「ちゃんとしたのが、三人じゃない?いくら」敦子の眼はひとり「いじめられたって、」そこに「もう、ぜんぜん。だって」翳った。清雪は「奥様、わるいひとじゃなかったから、ね?」敦子のためにただ、利発な清雪はなにもわからない顔をする。老いさらばえたいま、秀則はすなおに老醜を老残としてさらし、病醜をただ死にぞこないとして見せつけ、そして、額にふれたゆびさきにはなにも語りかけない。と、「もう、毎日」秋子が云った。ふと、夢を見る気配に瞳孔をひらき、「清雪は元気か、…って。あれ、いま何歳だ?…って。もう、嫁、…ね?もらったか、…なんて、…ね?」その「もう、ずっと」山崎秋子。すでに「そればっかり」二十年近く老人の「…毎日、」面倒を見ていた。たしか婚姻経験はないはずだった。年はいつか五十を越えた。麻布台本邸を出て、清雪はバイクを飛ばした。謂く、

   これみよがしに

   瀟洒。こまやかに

   見出されていた

   部屋。そこは


   花瓶。花。なに?

   書物。ひまつぶし

   手帳。なぜ?椅子に

   ひとりひからび


   まるでひとりで

   満たされたかに

   無縁のように

   そのかたわらに

謂く、

   まるでひとりで

      恍惚?そんな

    老いぼれ。その、すぐそばに

     さわぐ。ことさらに

   満たされたかに

      そんな気配なんか。ただ

    豊満な肉体を、ふるわせながら

     やさしげな女の

   無縁のように

      むしろ空疎、って

    女はふいに、花やいで見せて

     声。やさしげに、あくまでも

   そのかたわらに


   あからさまに

   破綻。すくえない

   滅びはじめた

   肉体。それは


   額。ひび。乾き

   痙攣。眉。ひだり

   瞼。なぜ?寝台に

   みぎ眼を見ひらき


   まるでひとりだけ

   異物のように

   無縁のように

   そのかたわらに

謂く、

   まるでひとりだけ

      枯淡?そんな

    頸。微妙な、ひだりへのかたむき

     よろこびを放って、その

   異物のように

      そんな気配なんか。ただ

    枯れない体臭を撒き散らしたまま

     ゆれうごく。女。挙動

   無縁のように

      狂いを、そこに

    女はふいに、返り見、笑みに

     媚態。ひとり、あくまでも

   そのかたわらに


   息づくわたしは

   なにを?顔は

   どんな?顔を

   見せたらいい?と


   その問いが

   胸元。すでに

   ただ、すみやかに

   飲み込まれたまま


   ささやけばいい?と

   どんな?声を

   なにを?声は

   息づくわたしは

謂く、

   ささやけばいい?と

      いま、さけび、そして

    ぼくが、ふと

     取り残されていた、きみに

   どんな?声を

      泣き、…ね?わめいたとして

    あざやかに、ただ、あざやかすぎた

     取り残され、わたしは

   なにを?声は

      なにを見れただろう?あなたは、そこに

    悲惨を思った

     いま、ふと唾を

   息づくわたしは


   待っていようよ

   気を長くして

   頸をながくして

   きみの滅びを


   最後を。やすらぎ

   決定的な、崩壊を

   きみに、もう

   傷みさえも、あり得ないはずだろうから

謂く、

   きみの滅びに

      冷酷なゆびが

    もう、生きないんだ。ね、あなたって

     見ていた。女が

   傷みさえも、あり得ないはずだろうから

      這う。ひたいにも

    自分の意志じゃ

     なぜる。その擬態

   悔しみさえも、感じ得ないのだろうから

      やわらかな声を

    なら、あなた、…だれ?

     やさしげなゆび

   きみの最後に

謂く、

   悔しみさえも、感じ得ないのだろうから

   きみに、もう

   瓦解。不可逆の

   最後を。やすらぎ


   きみの滅びを

   頸をながくして

   気を長くして

   待っていようよ


   息づくわたしは

     いま、ふと痰を

    無慚を思った

      あなたはそこに、ん。なにを見れたの?

   なにを?声は

     取り残され、わたしは

    容赦ない、ただ、無慈悲なまでの

      嘔吐したとして

   どんな?声を

     取り残されていた、きみに

    ぼくが、ふと

      いま、痙攣し、たとえば

   さらしたらいい?と

謂く、

   息づくわたしは

   なにを?声は

   どんな?声を

   さらしたらいい?と


   飲み込まれたまま

   ただ、すみやかに

   胸元。すでに

   その問いが


   ささげればいい?と

   どんな?顔を

   なにを?顔は

   息づくわたしは

謂く、

   ほら。足もとに

      笑えよ

    おちいりそうで

     ね?…むしろ

   昏い孔さえも

      せめて

    おちない。しかも

     罵倒してみて

   開口を、ふと

      笑っちゃえよ

    のみこまれそうで

     せめて、いきなり

   見せたかのように


   これみよがしに

   清楚。さわやかに

   見出されていた

   部屋。そこは


   微笑。頬。なに?

   あなたは、すでに

   わたしを、椅子に

   見つめかけたとき


   まるでひとりで

   満たされたかに

   無縁のように

   わたしも、笑みを

謂く、

   まるでひとりで

      死んでもいいよ、って

    老いぼれのすぐそばに

     ことさらにやさしく、その

   満たされたかに

      そうささやいたら、むしろ

    豊満な肉体を、誇示して見せて

     けなげな女の

   無縁のように

      あなたは、その眼に

    女はふいに、老人と翳る

     声。花やいで、散り

   わたしも、笑みを


   いとおしげに

   やさしさ。擬態を

   擬態にもちより

   わたしたちはそこに









Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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