アラン・ダグラス・D、裸婦 ...for Allan Douglas Davidson;流波 rūpa -119 //雨つぶに/降り落ちる/ひとつひとつに/もしも声が//01
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
こすれる
葉。葉ゞ。は
微風
ね、ね、
さわぎかけ
葉。葉ゞ。は
微動
ね、ね、
謂く、
ね、ね、
そっと、…と
微風
慎重に、もう
葉。葉ゞ。は
丁寧に、もう
微動
そっと、…と
ね、ね、
ひかりが
透く。透き
透け、透ける
葉。ねぇ、
ひかりが
かたむく。やや
かたむきかけ、やや
葉。ねえ、
謂く、
ひかり。り
飛沫。ま
そそぐように
り。ち。ちる
透く。透き
まるで、しぶ
ふきかけるように
散る。飛沫
葉。は。葉。ねえ、
ぶ。しぶき
ふりそそぐように
飛沫。散る
かたむく。やや
き。飛沫
かかるように
ちる。ち。り
ひかり。り
ゆれあう
葉。葉ゞ。は
微細
ね、ね、
ふれあう
葉。葉ゞ。は
微妙
ね、ね、
謂く、
ね、ね、
ずっと、…ど
微細
ささやか、か。もう
葉。葉ゞ。は
なよやか、か。もう
微妙
ずっと、…ど
ね、ね、ねぇ
きみこそが
焦燥を、ただ
与え、傷みを
教え、惑うのは
しあわせとは?
なに?きみの
しあわせとは?
なに?きみだけが
きみこそが
懐疑を、ただ
投げ、悩みを
ささやき、迷うのは
しあわせとは?
なに?きみの
しあわせとは?
なに?きみだけが
謂く、
きみこそが
あげよう。ぜんぶ
傷ついたひとは
醒まし、目を覚ま
懐疑を、ただ
可能なかぎり
だれよりも、ふかい
目覚めなければ
与え、悩みを
あたえられるかぎり
しあわせにだけ
ひらき、目を、ひ
ささやき、迷うのは
しあわせとは?
ささげよう。すべて
傷んだひとは
ほほ笑みを、あなたに
きみの、その
あるかぎり、ありったけ、の
無慈悲なまでに
覚醒。目覚めにも
しあわせとは?
そののぞみ以上に
しあわせにこそ
消滅。眠りにさえも
きみだけが
ね。ん?
んっと、…ね
微動
丁寧に、もう
葉。葉ゞ。は
慎重に、もう
微風
んっと、…ね
ん?ね、
謂く、
ね、ね、
微動
葉。葉ゞ。は
さわぎかけ
ね、ね、
微風
葉。葉ゞ。は
こす
壬生雅文の起床時刻は決まっている。早朝五時まえには目を覚ます。四時半にふと眼が醒めたときでも、しかし五時までは待つ。夜眼がこ慣れ、もうなんら不自由のない壁掛けの時計に五時を確認すればすぐさま身を起こす。未練などない。いつもひとりで就寝するから気兼ねの必要もない。寝室を分けることは眞砂葉子との最初からの約束だった。その肌にゆび一本ふれはしないと。雅文は恐れた。葉子を苦しめる可能性がなくはないことを。たとえ完全に潔白だったとして、ふとした仕草に思い出させるかもしれない。発情した男の暴力のきざしを。雅文は苛酷の想起を、その須臾をさえ忌む。とまれ五時、起床した雅文がつぎにすることも決まっている。夜の汗を流す。風呂場は一階にある。もと聚景荘という旅館だったころの露天風呂をそのまま活かした。階は違えども、しかも部屋まで距離はあれども、わずかな危険もおかしたくない。いまだ昏い夙夜、葉子を目覚めさせるのが悔しい。まして雅雪を。だから冷水浴は自然、ほとんど身動きのない不自然をさらす。冷水には慣れていた。筋肉にいまさら緊張はない。十九歳かそこらで始めた。島には稀れだが、たとえ雪ふる冬にもやめない。禊ぎに近い朝の鳥肌を拭う。すると、ひとり石段をくだる。道に出る。左に折れ、昇る。左手には石組、そしてその上に樹木。翳り。右は断崖。やがて土はせりあがり、両脇を囲みはじめ、やがて右手も石組みを見た。石段がある。そのうえには土、石。苔。樹木。それ以外なにがあるというでもない。その、あやうい石段を昇り、ほどよい足場に雅文は尺八を鳴らした。くるぶしのさき、ほんの百メートルほど下にいちばん高みの家屋がある。屋根をだけさらし、家人はその無防備を知らない。気兼ねはここで、必要ない。そもそも尺八はただささやく楽器だった。素直に鳴らせばあくまでやわらかな微弱音にすぎない。派手な吹き方を雅文はかたくなに拒絶したか。至近にしかひびかせない。ただただ平坦な音色。遠鳴りの壁ごし、だれかの耳をさわがせたとし風の鳴ったにさえ思われまい。周囲の樹木の幹と葉は微弱なふるえをすべて吸い取った。こころ好むまま吹いて吹きまくり、縦笛は足元に唾液のしずくを垂らした。かならず六時にはやめる。日曜日にも、祝祭日にも、長期休暇中にもつねに習慣はかわらない。体内時計の言うまま帰れば、決まって六時数分の前後だった。ただし、雅文が変化を嫌う人間だった事実はない。島のだれもが彼を記憶する。柔軟で、寛容で、むしろ変革にためらいのない人格者として。いまは復活した集団登校を一時廃止させていたのも彼だった。給食配膳の当番制を廃止したのも彼だった。道徳授業の在り方に改変を迫ったのも彼だった。洋楽一辺倒の音楽授業に和楽を取り入れようとしたのも彼だった。継続への頑固と変化への柔軟は雅文に矛盾していなかった。七時までには朝食をすまる。雅雪と連れ合い、葉子にしばらくの別れを言う。門先、葉子はいつまでも手を振る。愛子しか目に入らない葉子に、むしろ、雅文は満足する。山をくだる。雅雪の中学進学ののちには山の下に雅雪と別れた。
その日は日曜日だった。だから、あるいはしかし雅文はいつもの山道をのぼった。いつもの空地に、尺八に息を吹き込む。冬だった。竹はあたためられかけるさきから冷やされてつづけた。なかなか温度を熟らさない。温かみがやがて、ふとい乾ききった繊維に充溢する。そのとき初めて竹は楽器になる。雅文はそれを待った。目は待ちもしなかった朝焼けを見た。正面。海に、空は焼けた。ふと気になった。息を吹き込むまま振り返れば、いまだしずまない月が傾いていた。しろかった。半ば欠けていた。上弦の月。雅文はまばたく。良し、と、意味もなく満足する。家に帰ると行きにはだれもいなかった庭先、八歳の雅雪が空手の型を繰り返していた。教えたとおりだった。雅雪は笑んだ。うつくしい少年に於くうつくしい型はただ溌剌としてうつくしい。最初、雅雪は嫌がった。興味づく切っ掛けは、ある日の禅問答だった。雅文が云った。お前、空手の達人が人生で何回拳を振るうか知ってるか?もちろん、試合をは除いて。雅雪は勘がいい。だから須臾の黙考のあと、すぐに答えた。一回だけ?と。故意のためらいがちを、上手に見せて。雅文は頸を振った。笑う。そいつはもう達人じゃないな。利発な少年には矜持がある。あわててさらになんか言いかける。口ごもる。ややあって、雅雪は素直に尋ねた。何回?と。うまい、と。雅文は思った。すでに訓育をたれる気充分なおとなへの対応として、たしかにただしい。だから二重に笑ってしまった雅文は、そして雅雪の目線にささやく。一回もあげないんだよ、拳なんか。そのひと言でもう、少年には知れた。話の展開のおおよそは。察し切った利発は、だから雅文に知れた。雅雪は、あくまで上品にあどけなく、むしろ納得できない反発を見せていた。まだおさない。だからいかにも芝居じみ、雅文はただかわいい。教えた。これ見よがしにもったいつけてやり、修行するだろ?修行してしまくって、それで達人になったらもう、そこからさき考えるのはどうやったら空手をつかわずに生きていけるのか、それだけ。問題に巻き込まれるだろ?そしたら考える。どうやって解決できるか?拳、つかわずに。それだけ、考える。だから、一回も使わない。いちどでも使ったら、そいつはもう達人じゃない。雅雪は讃嘆した。故意に。かつ讃嘆が本当であることもあからさまだった。雅文は不思議なこころの均衡を見た。如何にしてもこころは矛盾を知りようがないのかもしれない。事実、それから雅雪は修練を厭わなかった。朝の庭、そこに雅文はなにか、話しかけようとしていた。くちびるはひらきかけた。しかし喉はいっさい言葉をさぐろうとしない。少年にいつくしみしか知らないこころを、自身にだけ知らす。雅文に、だからその笑みさえ曖昧だった。うすく汗ばむ雅雪はただ、日課帰りの父が素通りするのを見送りかけ、「また、山?」と。雅雪。いつでも尺八の空地をそう呼ぶ。返り見た。あわてて笑みなおした。おさない渾身の型に上気していた雅雪を見た。頬。あらためて、その朱が無心の苛烈を告げていた。それとも冬の冷気のせいか。雅文はうなづいた。山。そう言えば、ふたりの、あるいは葉子をもふくめた三人の、尺八吹奏の略称にさえなっていた。雅雪は息を切らすともない。うなづき返すでも、言葉を添えるでもない。立ち去りかけた雅文に、ふいにあわてて云った。「ぼくにも教えてよ」
「尺八?」
ふいに気付く。雅文は、さっきなにも声をかけなかったのはむしろ、遠まき、いちど手を振ったじぶんに目もくれず、演舞にあくまで没入する雅雪を気遣ったからだったにちがいないと。没入はけなげでうつくしかった。好ましかった。雅文は云った。
「いいけど、」
「じゃ、なくて…」口ごもる。まなざしが、ざっと流れる。口惜しい。じぶんを見つめたまなざしの純潔。その喪失。「なに?」
「龍笛のほう」
「それは、おれは、——あの宮司の専門だろ?…と、住職も、か」
「どうせ、これから行くでしょ」
たしかにそうだった。宮司のほうとは付き合いがない。紹介はされたがそれだけにすぎない。沙羅樹院の住職、といま呼んだが、変わりもので知られた住職のしたの沙門のほうには、日曜日よく尋ねた。葉子の花の師匠でもあった。もう、十年ちかく沙門圓位は葉子に花を教えて飽きなかった。弟子葉子もまた。
「云ってやろうか?」
「なに?」
「だから、息子に教えて遣ってくれって」
「でも、買うよね」
「なに?」
「笛。…高いんじゃない?」
「くちびるが、まだ合わないかもな。…サイズが」…じゃ、いい。こともなげに雅雪は言った。きびすを返すと、ふたたび辛辣なほどに背中は雅文を無視した。もちろん雅文には好ましい。少年はいま思いのままに没頭した。型は少年にかかればもはや繊細かつ暴力的な、しかし舞いの優美に他ならなかった。台所に行けば朝食の準備はもう終わっているらしい。手は貸さない。ときに手伝いを申し出る雅文を、葉子は受け入れたことがない。たとえ時々の片頭痛に苦しむときにさえも。結局原因が分からずじまいだった嘔吐と下痢に苦しんだ二年前の二日間が、ただいちどの例外だった。それさえ、ひたすら理にかなっていた。だって、…「移したら、いけないじゃない?」
「移す?」
「吐いて、しかもくだしてるんでしょ?わたし、どんな細菌に取りつかれてるか、わからないじゃない」
雅文は笑った。
「だから、…」
「なに?」だれも用のない日本間にわざと、じぶんひとりだけの床を引き、伏せたその腹をさすってやろうとした。「さわらないで」
ののしるに似た声だった。
「行って。もう。放っておいて。用があったら呼びます。…ごめんなさい。あの子、お願いします。…だから、もしなにかあったとき、それも、お願いします」思わず沈痛な顔をする葉子を、あえてことさらに笑った。医者は云った。細菌等は発見できないと。食あたりでなければ、単に精神的なものではないか?「ストレス、なんかこころあたり、ないもんじゃろか?」あるといえば、ある。葉子は繊細すぎた。そして、ひとり息子を愛しすぎてもいた。春風が吹いても、風邪をひかすことを恐れた。あたたまった台所に葉子の不在を確認すると、雅文はまようことなく裏庭に回った。そこに葉子の、もはや間違ってもつつましいとはいえない植栽が花を咲かせている。冬には冬の花が絶えない。地に植えた木のそれからから鉢植えのそれまで、葉子は暇があれば手入れした。近所でも植栽は有名だった。だからもう、いくつもの家庭に葉子がひとりで増やした花々が、分けられて好き放題に繁茂している。夏には蠅も蜂も残らず飛んだ。蜂の羽音を追い払わない。なにもしない限り攻撃などできないいきものだと葉子は云った。そのくちぶりは沙門圓位を匂わせた。植栽を見た須臾には、葉子の姿は見えなかった。見て見やった。やがてまなざしは茂みに、しゃがみ込んだ葉子のけなげな翳が、手づからなにか手入れしているのが見えた。あえて声をかけなかった。当分雅文は放置され、実は葉子がもうじぶんに気付いていたことを知ったとき、思わず笑ってしまった。「もう、食事にしますね」そう云って、葉子は顔をあげたのだった。
「もう、できてたよ」
「まだ、…だって、帰ってきたら、卵、焼こうと思って」
「目玉焼き?」
「スクランブルにする?どっち?でも、まだ、…ね」ひとり話し飛ばす葉子の、落ち着くを待つ。「雅雪?」
「まだ、庭?」
「あと、十分くらい?…呼ぼうか?」葉子は頸を降った。そしてことさらに、しかし素直に笑んだ。「待てます?待てなったら、さきに、でも、あの子一生懸命だから…今日も?お寺?」
女らしいとりとめなさを、雅文はただいじらしく思う。
沙羅樹院は古い。縁起には諸説ある。派手なところでは清盛由来、純友由来など。どれも確証を得ない。おそくとも、いわゆる鎌倉幕府期の初期には存在していたと謂われる。何度か改名している。沙羅樹院には沙羅の樹と名づく樹木が二種ある。ひとつにはタイ・サーラ。樹木の正確な伝来はわからない。もうひとつ、日本に於きインドの沙羅樹を代用するしろい夏牡丹もある。もっとも、それにちなんで沙羅樹院の名があるわけではないと謂う。沙門圓位謂く、むかし、およそ南北朝時代の末期あたり、そのころにはもう寺自体はあって、だから当然住職もいた。住職の夢に、ある日黄金にかがやく乞食沙門があらわれた。曰く、この寺のここをほってみろ。そこに沙羅の樹の株が埋まっているから。世話してやるがいい。そう遠くないいつか、大輪の花を咲かせるよと。言われたとおり掘る。掘り続け、人がひとり腰まで埋まりかけた頃合い、土はふいにしゃれこうべをさらしていた。白骨死体と沙羅の樹の株とは似てもいつかない。人夫はさらに掘り進めようとする。住職は押し留める。曰く、いや、それが沙羅の樹の花ということなのだろうと。ひとびとの曰く、これが?ただの亡骸のなれのはててではないかと。答えて曰く、見てみなさいな。まっしろじゃないかと。かくて住職は手厚く弔った。ここで一説に住職自身が寺名を替えたと。また異説にいつかひとの口に沙羅樹院とよばれるようになったと。…まあ、さ。「メメント・モリ。…そういうことなんでしょう」沙門圓位はひとり、そう云ってひとびとに笑むのを常とした。九時を過ぎた頃合いに、雅文は夏牡丹の翳りをくぐる。とおりすぎる本堂に住職の読経を聞いた。ひとりでのお勤めか、それとも来客があったか。島の多くとおなじく、雅文も偏屈で知られる住職を苦手とする。声を掛けないですむならかけないまま捨て置く。そのくせ住職は多忙で知られた。島の人間がなにかと相談を持ち寄るからだった。そのうち髑髏をぶらさげた杖でもつき、島をさまよい歩きはじめそうな風変りが、ことによれば信頼を誘うのかもしれなかった。実際、罵詈雑言とあざけりの隙間隙間に、それなりの叡智がほの見えるのも事実だと、すくなくとも島民には言われた。奇妙な風評と人望が老人を忌避と敬意に飾った。離れの木造に沙門圓位は茶をたてようとしていた。雅文は知っている。毎週日曜日の、おなじ時間に訪問する雅文にあわせたものだということを。最初は正座に、学校のことなどとりとめもない談笑に過ぎた。ふいに、思い出した沙門が、なんのつながりもなく云った。「…あれ、おくさん、なんか、謂われてる?」
「葉子が?」
「なんか、木曜日あたり…」
木曜日は、無料の生け花の教室の日だった。もちろん葉子はかならず参加する。いちど参観日がかさなって休んだだけだった。それでさえ、前日に寺に来て挨拶して返ったと、沙門から聞いた。「木曜日?」
「なにも?」
「なにか、云ってました?」
「いや、だったら…」と。沙門は口ごもりかける。事実、口ごもりる。ややあって、ふいに破顔一笑、素直な笑い声をひびかす。「いや、さ。…木曜日、先週の。関西の方から、いや、むかしのつれ。わたしの。で、古美術やってるひと、そういうのが、いて。ね?彼が、いろいろ持ってきたの。茶器とか。そのなかに、ほら、鉢。…じゃない、花瓶よ。焼きものの、」
「欲しがってました?」
「一目ぼれじゃない?で、こう見て、そう見て、ああも見て、手に取ってこう見て、そう見て、ああも」
「出せる範囲だったら…あいつ、言いませんから。そういうの」
「安ものよ…」沙門は笑んだ。「まあ、ふつうに謂ったらば、失敗作の部類じゃない?かたちも、どこでどうまちがったもんか、とろけはしないんだけれども、こう、ゆがみもしないんだけれども、こう、ゆがみの風情があって、…本当なら、叩きわられるのよ。あんなもの。でも、ま、」
「味があって?」
「あるっていえば、あるわな。なんでも。割れた茶碗でも。そういうもの。なんの拍子か、生きのびちゃったのよな。ま、わるくはないよ。…やりようで、ね」
「高い?」
「…って、そんな値札つけて売るようなもんじゃない。じっさい美術屋さん、葉子さんがえらい気に入ってるもんだから、あげようか言うてた。古物屋に埃り被ってたの、だからただみたいな値で拾って来たのよ。気紛れに。だから、ま、いや、えらいご執心だったからな」
「ぼくには、なにも」
「あげるというのに、今度は恥ずかしがって。詫びて、詫びて、断わっちゃった。…まあ、あの性格だから。で、…いや、あなた、気を利かせて、プレゼントする気ない?」
「手に入るんですか?」
「入るもなにも、それ」と、床の間を指す指は、たしかに癖のある地味な花瓶を指した。それは今、雅文が名を知らないしろい花を一輪と、逆にみずみずしい長い葉を突き出して、静まり返っている。いけられた花との対比の無言の共謀のなかで、たしかに好き人は好きだろう、素朴な雰囲気は感じさせる。
「なんだったら、持って返れば?」
「いいんですか?」
「いいよ」
「でも、いま、財布ももたずに」
「いらないよ。美術屋が一応って、葉子さんのためにおいて返ったんだもん。一銭もかかって…って、やめようか。やめよ。今日は手ぶらで帰んなさいな。次の木曜日、またこうしていけとくから。ま、葉子さん、気付くよ。でも、もじもじしてなにも言いださないで返ると思うよ。わたしも渡さないから。だから、学校の帰り、あなた、およりなさいな。持たすから。…家帰ったら渡してやんな…どんな顏するだろな」
邪気もなく、沙門がひとりほくそ笑む。
「なんというか…いっちょ、からかってやろうや」
雅文はいたずらに同意した。あたたかな笑みをこぼした。花が気になった。知らない花ではなかった。いちど名を覚えた記憶がある気がする。だから、気になった。花瓶にややかたむいて、花はななめに綺羅めいた。謂く、
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