アラン・ダグラス・D、裸婦 ...for Allan Douglas Davidson;流波 rūpa -88 //沙羅。返り見た/目のまえ。ふいに/扉は、沙羅。いま/ひらかれた。いま//05
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ作品を構成する文章として暴力的・破壊的な表現があったとしても、そのような行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしそうした一部表現によってわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでもそうした行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
謂く、
わたしが死んだら
花を殺さないでください
断ち切らないでください
しょせん穢い屍ですから
謂く、
わたしが死んだら
無慚です
きたないですから
花たちが
殺さないで。花
今日の葬式も
くさります
悲痛です
断ち切らないで。花
花々が
やかれます
惨殺です
屍ですからくちびるをふさいだ。あやうく、駆け出すにちかい稀れな俊敏を見せかけ、肉体。嘲弄?腕。だからその肉体を抱きしめもせず、わずかな挙動のきざした須臾に、窓際。追い詰められた沙羅。ねじった頸。背中も、指も、二の腕もなにも、なににもふれないまま、奪われていた。くちびるをだけを。わたしのくちびる。目は閉じない。わたしも。沙羅も。あくまでもだから、そこにいつものように。とける?あるいは、至近にすでにとけてしまった形象。朧。にじむ色彩。沙羅のまなざしの不安はもう、とけて消えはじめていただろうか?わたしはそんな懐疑さえ忘れた。押し付けられはじめたくちびるに。あらがいもなく、受け入れたそぶりもなく、ひらかれかけていたままの沙羅のそれ。
いつでも
明晰とは
触感。
わたしたちは、あやうく
しょせん壮大な
沙羅。その
とろけかけ
虚構にす
まなざしが見るままにまかせ、ほそめた目に見ていた。わたしは。やや離れたそこ。如何に手を伸ばそうともとどかないそこ。ただまっすぐに前を見たタオ。十六歳。孤立のタオ。実父カンのしろい葬儀。月並みの上にも月並みをかさね、葬儀にしろい花々のしろは横溢する。花々の一様な豪奢。おごそかに祝うかにも錯覚させ、笑い声。世間話。声。ひと。声。声。ここで
花。鼻。はっ
しめりかけたもの
談笑は禁じられない。通例のあけすけな葬儀に、ときに
花。鼻。はっ
それは、なに?なに?
甲高い笑う下卑さえ
花。鼻。はっ
したたりかけたもの
ひびいた。実父カンは、…だから花喰う女ハンの弟にあたるが、九十を越えて生きつづける父カンに比べれば夭折とこそ言えはしても、それでもとっくに六十に近くなっていた。それでも早死にと見なされるにはちがいなくも、年齢がもはやタオよりはるかにその父に近しいわたしには、もはや死にぞこないの余生にすぎなく想える。四十代、三十代で充分、すでに生きすぎていた。だから、わたしは厖大な老後の無駄な時間を浪費しつづけてきたことになる。葬儀に早世の悲惨は感じられなかった。参列のだれにも、たぶん。目立ったのはむしろ父親ミンの残された無慚のほうだった。老いに表情の鮮明をうしないつつも、あるいは故にこそ老人ミンは、そのうごきのない顔面。さまざまな心の翳りと傷みとを見せ、そしてタオ。あるいは孤児。わたしはそこにきわだつタオの健気な冷淡を憐れんでいた。かなしみは、しかしわたしを押しつぶしはしない、と。わたしの
傷?きずついた?
虫たちが、花に
まなざしの
…莫迦
鼻毛のおくに
憐れみ。あるいはなにか根拠のない共感のような、…なに?タオに、言葉ひとつかけるというわけではなくとも。いつも、息をかみ殺してわたしを盗み見た目。ときににらみつけるそれ。わたしを追い、わたしに気づかれれば逸らされる、その目。今日はいちどもわたしを捉えようとしないのを、——恋。少女の。
傷?きずついた?
害虫が、鼻に
知っている。たぶん
…莫迦
その花翳りに
タオが、ランの連れこんだ婚約者としてはじめて異国の男を見たときにはタオは、わたしに慥かに恋していた。こころに動揺はない。迷いはない。懊悩も。タオはただ、わたしのためにだけ生きていた。容赦のないラン。彼女のせいで、報われるすべがないことなど誰よりよく知りつつも。その「…ね?」
「なに?」
横顔に、あまりにも毅然と、…タオ。
覚えてる?
…あれ?
「この世界の、秘密、…」
「って、おまえ」
彼女はたぶん、すでに知って
あの死にかけの
…れ?れ?れ?
「ね?…知りたくない?」
「秘密?」
知り尽くしていたのだった。溢れ返える
死にかけの男の
…あれ?
「知りたい?」
「だから、なんだよ」
これら親族の人いきれの中で、もう
死にかけの時に
雪降る朝に
「不滅。ぼくたちは滅びない。魂は」
「だいじょうぶ?おまえ、」
ほんとうにじぶんはひとり
くちびるが
雪のような綺羅
「生まれ変わって、転生しつづけて」
「やめとけ、そういう」
孤立無援だと。一族の
ささやきかけた、その
…ら、れ?
「あらわれ。…わかる?たましいのあらわれ。その」
「思春期のオカルト」
彼ら、彼女たちが…あるいは
須臾。くずおれ
…あれ?
「見かけの差異。それだけ」
「恥ずかしいだけ」
ランをもふくめ。タオの緊急に
なにも、しかも
…ら。あらっ?
「自我とか人称とか?その秘密も」
「大人になって、…」
我が身を傷めることも返り見ず
言いかけた言葉を
雪ない朝に
「歴史?その秘密も」
「で、ふいに、」
庇護するものとは、そんな
忘れてしまった、そんな、
雪のような翳
「滅びることができないで、ぼくらは」
「さ、思いだすと、」
庇護者などだれも、と
戸惑い。そして
…ら。れ?
「見出し続けるんだ…そこに」
「恥ずかしいんだよ。…しかも」
あきらかだった。あまりに親身な一族の
悔恨。死にかけの
…ら?ら?
「まなざしに見えるものを。それを」
「いまさら恥ずかしがって見せる相手もない、って」
眼差しの中で、タオは
死にかけの眼に
…られ?
「ぼくたちのぼくそのもとのは違うなにかだって」
「そういう、…さ」
ひとり身寄りもない、
死にかけの
雪どけの朝に
「錯覚しながら…あらわれ」
「って、お前、それ」
取り残された、
おののき。…ね?
雪のよ
「たましいのあらわれた、そんな」
「…わかった。おまえ、」
留保なき孤児。だから
おぼえてる?
…れ?
「あらわれにすぎないのに…」
「莫迦?」笑った。清雪はとがめない。その、十五歳の清雪。道玄坂の窓際。「敦子だろ?」
「敦子ママ?」そこに、清雪はその名が意外すぎて、笑みの一瞬をさえきざさない。ただ不穏な「…違う?」眉間。いかにも忌々しい、と。そんな、かつ、不快な、不快げな、しかも見ていて不快でさえない、だからこそ不可解な、「なんで?なんで敦子マ」
「はまってなかった?一時期、そういう、スピ系に」ふいに、清雪は「結婚するとかしないとかの前じゃなかった?」やや唐突な間。ふと声を立てて笑い「そう。たしかに、はまってた。…なんだ。けっこう、仲、いいんだ」
「敦子と?…まさか」
敦子の縁談。そして一方的な破談。結婚のひとことに香った清雪の目の
聞かないでおくよ
ぼくが、やさ
不用意な矜持から、わたしは
ぼくは、やさしい
言わないでお
目を逸らしていた。「…って、犬猿の仲ってかんじじゃ、なかったもんね?」…いっしょにしないで。——と。ささやいてふと、伏し目を上げれば清雪は、笑み。傲慢なほどに、邪気もないそれ。思わず、わたしはふたたび眼を孔。いつか開いていた孔。狂気の昏い孔。あの、明るくも昏くもない狂気の、その
雪は。ゆ
あたたかな
気配。狂気を見た
雪は繊細にふらなければならない
こころが
まなざしにだけ、
雪は
いま
そこに感じられるその昏さ。どうしようない陰湿さ。無防備な明るさ。それが、清雪のまなざしにすでにひらいていたかに想えたから。あやうく自分も落ち込みそうなあやうさ、…ではなくて、あやうく彼をだけつきおとしてしまいそうな、
危機だ!
唐突に
あやうさ。わたしの
なに?
芽生えはじめた、奥歯の
この
危機だったんだ!
違和が
手が。気づかないうちに、たとえば背後に生えていたなん本めかのわたしの触手のほそい尖端の「敦子さんのは、」ひとかすりが。「あくまでそれを経験してもいない人が勝手に信じてる輪廻転生でしょ?」
「おまえもだろ」その発話の瞬間に吹き出してしまった「じゃ、」わたしの思わずの暴力を「おまえは、」赦し、その清雪は「なに?」
「おまえは、さ」
転生とは
色彩。ふと
「でも。意外に、すきだな。ぼく」
「前世の記憶、ある…とか?」
苛烈という形容詞のための
やばっ
「雅雪さんの笑った顔」
「あったりすんの?お前」
表象の仮定である
やばいくらいくらいあやしく
「さすが、です。もと女たらしの女の敵」
「言われた?天草四郎とか?」
転生とは
その眉に
「ごめん…かるく人間失格ってただけだった?」
「ジャンヌダルク?」
絶望という形容詞の曖昧のための
色彩。ふと
「生まれたこと、あやまらないで。むしろ」
「なんだ?…て、謂うか」
表象の課程である
やばいくらいあやうく
「そういうやつ、若干いじょう」
「わかった。天界の妖精」
転生とは
その頬に
「うざいから」
「おれの前世なに?教えろよ。おまえ、」と。ふいに切った言葉と、清雪の切れながの目が流れたのとがちょうどかさなり、だからわたしたちは同時に、それぞれに、それぞれべつのそれぞれの沈黙を聞いた。
「…残念」
思い出したように、やがて清雪がつぶやく。「残念ながら、…だから云ったじゃない?」惡びれず、故意に「そういう前世後世っていう、…なに?」茶化したわたしの声の大げさを「明確な、」厭うでもなく。
「朧げな魂ってあるの?」
「こう考えて見てよ。いま、一回だけしか生きてなくても、でもそれこそはすでに無限の転生のなかの」
「それ、」
「風景だって」
「ニイチェとか出てくる?」
「永劫回帰?じゃない。あくまでも…」
「なに?」
もっと詰めることはたやすかった。慣れていた。ホストの頃、女を故意にもっと辛辣に、これみよがしに追い詰めたことならなんどもあった。その分厚いメイクを剝ぎ取って素顔の無様をさらけださせ、わたしの家畜に堕させるために。極限まで詰められれば女は、じぶんをすべて投げ出す。茫然。恍惚。ふたつの語の明確な差異を維持したままの融合。しかもすこしの矛盾もなく。高慢であることを周囲に赦された女王様ほど家畜化はたやすい。家畜に墜ちれば女ほどたやすいものはない。ときに、
もうしわけございません
純情
あま咬みに
ひざまづいて
容赦なく無防備でしかも
咬みつくことだけが赦された
ケツ舐めていたただいても
噓でさえない
奴隷たち。清雪の、
よろしいでしょうか?
感情
およぎはじめたまなざしを見た。あきらかに清雪は、めずらしく言いあぐねていた。本当にはなにもわかっていないたとえば相対性理論を、後輩にやさしく教えようととまどうような。そんな。清雪に欠けていたのはことばの明晰そのものだった。本人はそれに気づかない。
「いいよ、べつに。おれは」わたしはだから「興味ない。おまえの転生も、おれの輪廻も、その物理学的根拠もなにも」
「記憶あるの。ぼく」
清雪の声。唐突にやさしく、そして冴え、だから同時に容赦ない冷淡をも。ふと、わたしはあらためて清雪を見やった。うつくしいその顔いっぱいに、ただ純粋な笑みのすさまじい純度が、いかにも容易に、そこに。留保なき
「生まれる前の記憶」…美少年。ささやく清雪に、わたしはもはや
叫んでやるよ
ぶ。ぷ。ぷっ
笑い声をあげない。
だいすきだよって
ぷりちーじゃん?
茶化す気もない。
おっきな声で
ぶ。ぷ、ぷっ
いたましい。その
叫んでやるよ
ぷりつぃーじゃん?
少年。清雪をわずかにでも苦しませるとしたら、焦燥させるとしたら、わたしは傷む。だから、無理やりの善意にだけ「燃えあががる…って、」見守ろうとする。「いう、か。…そんな。情熱?みたいな、なんだろ?とにかく、情熱だけがある。なにもない。それいがい。時間も、空間も、なにも。だから手ざわりもなにも。気配もなにも。本当はそんな、情熱なんてものさえもない。どこまでも膨張しながら、しかも、収縮しつづけてる、そんな…わかる?」
「お前じしん、わかってないでしょ」
「それ。それほんと。ほんと、それ。で、やばいやばいって思ってるんだけど、気づいたら見てるの」
「なに?昏い孔とか?ひかりの出口とか?」
「その言い方いかがわしいね。なんか。…じゃなくて、ね?視野。だから、あるい部屋?…みたいな。明確な記憶なんてないんだよ。実際には。だから、はじめて眼を開いた瞬間の?…かな?見たのかも」
「神様?天使?」
「だったら、いいよね。じゃなくて、たぶん、あなたを」と、…その春奈。その慣れない腕にあぶなっかしく抱きしめられた未熟ないきもの…「ぼくを見て、いちおうは、笑ってやってる、そんな、かたち上はいつもやさしいあなたの。…と、」
「ハオ?」
「そう。彼女。ハオとか。…ね?いま、」
「それのどこが輪廻転生を証明してるの?」
「思うんだよね。…あれ、天人五衰ってあるじゃない?」
「三島由紀夫?」
「じゃない。…あれはただの近代文学肯定じゃない?自然主義でしょ?夢破れて現実がありましたって。なにも神秘なんか。…の、元ネタ。濱松中納言じゃなくて。語彙の。今昔物語とかにも出てくるじゃない?天人五衰って。今昔のほうだと、あれ仏陀の話なの。知ってる?仏陀はむかし天界の…だから、なに?天人でした、と。で、人間たちに憐れみを感じた。で、五衰…その一、まばたく」目瞬ろぐ。「その二、花簪がしぼむ。萎える…」天人の頭の上の花鬘は萎む事無に、萎ぬ。「その三、埃りがふと、肌にもふれる…」天人の衣には塵居る事無きに、塵垢を受つ。「だから、肉体を得たって…ね?その四、汗をかく」天人は汗あゆる事無に、脇下より汗出きぬ。「肉体を得たからね。その五。これ、ちょっと分かりにくくて、」天人は我が本の座を替へざるに、本の座を求めずして当る所に居ぬ。「基になってる漢文も、なんか何を言いたいのかよくわからないの。たぶん、例えば一次元。有る、と。有るだけだからそのまま特異に存在してるわけで、広がりも経過もないわけでしょ?ずれようがない。で、広がりに、ずれる。二次元。全方向にずれる。三次元。だから、ずれってそもそも時間のなかじゃん。四次元。たしかに仏陀は仏陀という一次元的な有なんだけど、五衰にもうどうしようもなく四次元から最低十一次元?とにかく、そんなこの世界の中に肉体として存在しちゃってる…つまり、生まれた。それが五衰…肉体の存在。だから事象、…イベントとしてあること。…と、ね?良く言う、マルチ・ヴァースの世界観って、要するに際限もないパラレル・ワールドでしょ?そこでまっさきに否定されてるのって、そのパラレル・ワールドそのものだよね?実際、たとえば平行するひとつの異世界が存在するためにはその世界とこの世界がたしかにそれ以外ではないひとつの実体として存在してなきゃいけない。世界自体がすでにマルチ・ヴァースとして実質無限無際限だったなら、この世界以外の異世界なんか存在できない。観測するまなざしはただ一度固有の世界を粒として見る。観測される光子が粒にすぎないように。電子が粒にすぎないように。たとえそれが本来原子雲にすぎなくとも…」
「量子力学の最大の功績がなにか知ってるか?」
「なに?」
「スピ系の妄想に生き延びる隙間を知らず知らずに与えたことよ。…あくまで箱庭的にすぎない」
「それ、」
「妄想に、さ」
「敦子さんに云ってあげなよ。宇宙意識と交信しちゃったりしてたから…世界は宇宙意識が夢見たヴァーチャルな幻想だって、…ね?」
「なに?」
「もしも十一次元が…最低十一次元があるからこの世界が存在できてる、と。で、四次元までのそれぞれの相関関係を思うと、四次元事象はすでに十一次元事象でしょ?ひっくりかえせば、一次元の可能性の中にはじめて高次元も可能なんでしょ?ということは、」
「なに?」
「ぼくらは、実際には無際限な輪廻転生の中の一瞬の粒だつとしてしか存在できていない…」
「もはや、なに言ってるのかわからない」わたしは容赦なく笑う。そしてそこに清雪を笑いものにし、もはやだれのためにでもなく茶化し、道化にしてみせ、しかも、その自分自身こそが傷ついている。すさまじいばかりに。いまわたしがささやきかけるべきは、だからこんな言葉のむれではなかった。清雪がわたしにささやくべきも
「分かるよ。…雅雪さんが、いま」
こんな言葉の群れであるべきではなく、わたしたちは
「面喰らって、ほんきにしなくて」
取りのがしていると、その
「なんか、…」
あやういことばの至近に、あやうく迂回されつづける、こころの本当にあふれだしかけた息吹きの真実を。
「いま、怖いんでしょ?」
猶も。それでも
ね?…残酷、だ
「怖い?」
「ぼくが」
泣きそうな、しかも
ね?…絶望的、だ
「うぬぼれるなよ」
「じゃなくて、」
笑いそうな、眉に
ね?…悲痛なん、だ
「なに?」
「ぼくの、…」狂気?と。ほのめかされもしなかった言葉。それを、わたしは邪気のない笑みのすがすがすしさに聞いていた。たしかに。
「解ってる」
ささやいた。ふいにわたしは、まだじぶんがなにを言いだそうとするのか認識してもいないうちにも、こぼれる他人のことばを赦しながら、ただ、清雪のくちびるに彼のことばがあふれるのをせき止めるためだけに。せめて
「頭のいいお前は、自分でも」
打ち消すために。
「処理できない情報、仕入れて、それで」
だからせめて
「いくら仕入れてもまだ足りな気がして、」
完膚なきまでにたたき潰してやるために。
「まだなにも処理できなまま」
「わかる。ぼくも」清雪はたたき潰す。やさしい音声。わたしのいつか、真摯にそまりはじめた言葉を、残酷に。
「雅雪さんの…だから、恐れ?…怯え?…敦子さんも、そう…」
「敦子にも」
「云ってない。…ママには理解できないし、聞いてもくれないと思うよ。そんな余裕ないから。ってか、」
「おれは、」
「じゃなくて。でも、そのうち、敦子さんから相談、行くと想うよ」
「相談?」
「最近、清くん、変なの…どうしよう…だって、まさっ」と、正則。その名を言いだしかけて、あわてて清雪は口を閉じる。そして、あてどない須臾の後、ひとりはにかんで、やがて、
こころのままに
頸すじに
笑った。まるで
ただ、すなおなままで
めざましい翳りが
わたしがひとり、そこで
わらってごらんよ
複雑に
面白くもない冗談を言って、そして、せめて遅まきに笑ってやった、と。そんななまぬるい気づかいの稀薄にみちた、それ。いつかジョン・ケージ、in a landscape、あの収拾のつかない、所在を定着させようもない空っぽなメランコリーの断片。冴えた技巧のみによってはりつけた、すかすかな張りぼて。ついになにも語り掛けないメランコリーの残骸。あのひびきを思い出しながらでなければ思い出せなくっていたうつくしい少年は、想起さえれた幻どころか生身をそこにさらしていながら、しかも、ひびかせる。あの、ピアノ。その指にひいていたという
あまりにも
いま
ひびき。いちども、わたしが
抽象的な
物質世界は
耳には、
波の無際限が
あばっ
聞けなかったもの。
あくまでも
滂沱の涙する
傷み。
抽象的な
寸前なんです
ピアノ。
かなしみを
いま
ベーゼンオルファ―…、すでに。敦子にはすでに相談されていた。清雪がさっき、正則に手を上げたのだ、と。深夜。たぶん、だれもがようやく寝静まった壬生の屋敷。離れの別邸。…あやうくすすり泣きになりかける声。救いをもとめる切実さが、切実にあふれようとする涙を壊す。なんとか聞き取れるかたちをかろうじてたもっていた、声。謂く、
不遜。不遜で
きみはただ
そこに不遜でいてほしい
きみだけは
それはきみに
ふれていないということだから
いまは、翳りが
きみに。そこでは
息を、おもわず
息を殺す
殺す。まよいなく
わたしの。なぜ?
知っていた。彼は
翳り。なに?
翳り。なにが?
かたむく眉に
知っていた。彼が
翳りを。なに?
翳りを。なにが?
眉がかたむき
謂く、
翳り。なに?
日射し、あくまで
いつもおなじ
いぶく
翳り。なにが?
ななめに
眉。その不穏が
這う。だから
翳りを。なに?
やさしく
こころをさらした、そんな
翳りが
翳りを。なにが?
不埒。不埒で
きみはただ
そこに不埒でいてほしい
きみだけは
それはきみに
ふれていないということだから
いまは、傷みが
きみに。そこでは
笑いを、おもわず
笑いを咬む
咬む。猶予なく
わたしの。なぜ?
知っていた。彼は
傷み。なに?
傷み。なにが?
ゆらぐ睫毛に
知っていた。彼が
傷みを。なに?
傷みを。なにが?
睫毛がゆらぎ
謂く、
傷み。なに?
日射し、あくまで
なにも語らない
ゆらぐ
傷み。なにが?
あたたかに
睫毛の不穏が
にじむ。だから
傷みを。なに?
そっと
ほのめかしていた、そんな
翳りが
傷みを。なにが?
無謀。無謀で
きみはただ
そこに無謀でいてほしい
きみだけは
それはきみに
ふれていないということだから
いまは、悩みが
きみに。そこでは
ためらいを、おもわず
ためらいをつぶす
つぶす。容赦なく
わたしの。なぜ?
知っていた。彼は
悩み。なに?
悩み。なにが?
とじかけの口に
知っていた。彼が
悩みを。なに?
悩みを。なにが?
口がとじかけ
謂く、
悩み。なに?
日射し、あくまで
わらいかけた
くずれ
悩み。なにが?
しずか
口元の不穏が
沁みる。だから
悩みを。なに?
あざやかに
こころをあかした、そんな
翳りが
悩みを。なにが?
愚鈍。愚鈍で
きみはただ
そこに愚鈍でいてほしい
きみだけは
それはきみに
ふれていないということだから
いまは、絶望が
きみに。そこでは
まばたきを、おもわず
まばたきをためらう
ためらう。ぶざまに
わたしは、なぜ?
謂く、
悩み。なに?
きみをよろこばすため
ほほ笑みだけ
これらすべて
悩み。きみが?
世界はうまれた
知ってればいい
すべてはある
悩みを?まさか
これらすべて
哄笑だけ
きみがたわむれるためだけに
なにが、なに?
きみをみていると
わたしは焼かれる
焼き払われる
きみをみてると
謂く、
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