攝大乘論:攝大乘論本果斷分第十/無著/三藏法師玄奘譯
■`攝大乘論本果斷分第十
如是已說增上慧殊勝。彼果斷殊勝云何可見。斷謂菩薩無住涅槃。以捨雜染不捨生死。
二所依止轉依爲相。
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是の如く已に增上慧の殊勝なることを說けり。
彼の果の斷の殊勝なることをば云何んが見る可きや。
斷とは謂はく、
菩薩の無住‐涅槃にして、雜染を捨て生死を捨てず、
二の所依止の轉依を以て相と爲す。
此中生死謂依他起性雜染分。涅槃謂依他起性淸淨分。二所依止。謂通二分依他起‘性。
(※「性」元明本作「他」字)
轉依謂即依他起性。對治起時轉捨雜染分轉得淸淨分。
◎
此の中、生死とは謂はく、依他起性の雜染分なり。
涅槃とは謂く、依他起性の淸淨分なり。
二の所依止とは謂はく、通じて〔染淨〕二分の依他起性なり。(※「性」元明本作「他」字)
轉依とは謂はく、即ち
依他起性は〔能〕對治〔の道〕起こる時、雜染分を轉捨し、淸淨分を轉得す。
又此轉依略有六種。一損力益能轉。謂由勝解力聞熏
習住故。及由有羞恥令諸煩惱少分現行不現行故。
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又、此の轉依に略して六種有り。
一には損力益能轉、
謂はく、
勝解の力、聞熏習住するに由るが故に、
及び、
羞恥有り、諸の煩惱をして少分現行し〔或は〕現行せざらしむ〔=令〕に由るが故なり。
二通達轉。謂諸菩薩已入大地。於眞實非眞實顯現不顯現現前住故。乃至六地。
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二には通達轉、
謂はく、
諸の菩薩、已に大地に入り、眞實・非眞實に於て顯現し、
顯現せずして現前に住するが故なり、
乃至、六地までなり。
三修習轉。謂猶有障一切相不顯現眞實顯現故。乃至十地。
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三には修習轉、
謂はく、
猶、〔所知〕障有り、
一切の〔有〕相、顯現せず、〔唯、無相〕眞實のみ顯現するが故なり、
乃至、十地までなり。
四果圓滿轉。謂永無障一切相不顯現。最淸淨眞實顯現。於一切相得自在故。
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四には果圓滿轉、
謂はく、
永しへに〔一切の〕障り無く、
一切の相、顯現せず、
最も淸淨なる眞實、顯現し、
一切の相に於て自在を得るが故なり。
五下劣轉。謂聲聞等唯能通達補特伽羅空無我性。一向背生死一向捨生死故。
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五には下劣轉、
謂はく、
聲聞等は唯、能く補特伽羅‐空‐無我性に通達するのみにして、
一向に生死に背き、一向に生死を捨つるが故なり。
六廣大轉。謂諸菩薩兼通達法空無我性。即於生死見爲寂靜。雖斷雜染而不捨故。
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六には廣大轉、
謂はく、
諸の菩薩は兼ねて法空‐無我性に通達し、
即ち生死に於て見て寂靜なりと爲し、
雜染を斷ずと雖も而も〔生死を〕捨てざるが故なり。
若諸菩薩住下劣轉有何過失。不顧一切有情利益安樂事故。違越一切菩薩法故。與下
劣乘同解脫故。是爲過失。
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若し諸の菩薩、下劣轉に住すれば何なる過失有りや。
一切の有情の利益・安樂の事を顧みざるが故に、
一切の菩薩の法に違越するが故に、
下劣乘と解脫を同じうするが故なり。
是れを過失と爲す。
若諸菩薩住廣大轉有何功德。生死法中以自轉依爲所依止。
得自在故。於一切趣示現一切‘有情之身。(※「有情」二字三本宮本俱作「所有」二字)
於最勝生及三乘中。種種調伏方便善巧。安立所化諸有情故。是爲功德。
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若し諸の菩薩、廣大轉に住すれば何なる功德有りや。
生死の法の中にて自らの轉依を以て所依止と爲し、
自在を得るが故に、一切趣に於て一切の有情の〔=之〕身を示現して、(※「有情」二字三本宮本俱作「所有」二字)
最勝なる生及び三乘の中に於て
種種、調伏する方便、善巧にして
所化の諸の有情を安立するが故なり。
是れを功德と爲す。
此中有多頌
諸凡夫覆眞 一向顯虛妄
諸菩薩捨妄 一向顯眞實
應知顯不顯 眞義非眞義
轉依即解脫 隨欲自在行
於生死涅槃 若起平等智
爾時由此證 生死即涅槃
由是於生死 非捨非不捨
亦即於涅槃 非得非不得
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此の中に多くの頌有り、
≪諸の凡夫は眞を覆ひ、
一向に虛妄を顯らはし、
諸の菩薩は〔虛〕妄を捨て、
一向に眞實を顯らはす。≫
≪應に知るべし、
眞義と非眞義とを顯らはすと顯らはさざるとは、
轉依なり、即ち解脫なり、
欲するに隨つて自在に行ず。≫
≪生死と涅槃とに於て、
若し平等智を起こせば、
爾の時、此れに由つて、
生死、即ち涅槃なることを證す。≫
≪是れに由つて生死に於て、
捨つるに非らず、捨てざるに非らず、
亦、即ち涅槃に於て、
得るに非らず、得ざるに非らず。≫
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