攝大乘論:攝大乘論本增上慧學分第九/無著/三藏法師玄奘譯



■`攝大乘論本增上慧學分第九


如是已說增上心殊勝。增上慧殊勝云何可見。謂無分別智。若自性。若所依。若因緣。若

所緣。若行相。若‘任持。

(※「任」字宮本作「住」字)

若助伴。若異熟。若‘等流。

(※「等」字宮本作「寺」字)

若出離。若至究竟。若加行無分別後得勝利。若差別。若無分別後得譬喩。若無功

用作事。若甚深。應知無分別智名增上慧殊勝。

是の如く已に增上心の殊勝なることを說けり。

增上慧の殊勝なることをば云何んが見る可きや。

謂はく、

〔根本〕無‐分別智の、若しくは自性、

若しくは所依、

若しくは因緣、

若しくは所緣、

若しくは行相、

若しくは任持、(※「任」字宮本作「住」字)

若しくは助伴、

若しくは異熟、

若しくは等流、(※「等」字宮本作「寺」字)

若しくは出離、

若しくは究竟に至るなり。

若しくは加行‐無分別‐後得〔智〕の勝利、若しくは差別なり。

若しくは無分別‐後得〔智〕の譬喩、

若しくは無功用の作事、

若しくは甚深〔の義〕なり。

應に知るべし、無分別智を增上慧の殊勝なるものと名づくと。


此中無分別智離五種相以爲自性。一離無作意故。二離過有尋有伺地故。三離想受

滅寂靜故。四離色自性故。五離於眞義異計度故。離此五相。應知是名無分別智。

此の中、無分別智は五種の相を離るるを以れ自性と爲す、

一には離れて作意無きが故に、

二には有尋有伺地を離れ過ぐるが故に、

三には離れて想受、滅し、寂靜なるが故に、

四には色の自性を離るるが故に、

五には眞〔實〕義に於て異なれる計度を離るるが故なり。

此の五相を離るるを應に知るべし、

是れを無分別智と名づくと。


於如所說無分別智成立相中。

復說多頌。

所說の如き無分別智を成立する相の中に於て、

復、(說いて)多くの頌有り、


 諸菩薩自性  遠離五種相

 是無分別智  不異計於眞

 諸菩薩所依  非心而是心

 是無分別智  非思義種類

 諸菩薩因緣  有言聞熏習

 是無分別智  及如理作意

 諸菩薩所緣  不可言法性

 是無分別智  無我性眞如

 諸菩薩行相  復於所緣中

 是無分別智  彼所‘知無相(※「知」字三本宮本俱作「智」字下附`同字同)

 相應自性義  所分別非餘

 字展轉相應  是謂相應義

 非離彼能詮  智於所詮轉

 非詮不同故  一切不可言

 諸菩薩任持  是無分別智

 後所得諸行  爲進趣增長

 諸菩薩助伴  說爲二種‘道(※「道」宮本作「行」字)

 是無分別智  五到彼岸性

 諸菩薩異熟  於佛二會中

 是無分別智  由加行證得

 諸菩薩等流  於後後生中

 是無分別智  自體轉增勝

 諸菩薩出離  得成辦相應

 是無分別智  應知於十地

 諸菩薩究竟  得淸淨三身

 是無分別智  得最上自在

 如虛空無染  是無分別智

 種種極重惡  由唯信勝解

 如虛空無染  是無分別智

 解脫一切障  得成辦相應

 如虛空無染  是無分別智

 常行於世間  非世法所染

 如瘂求受義  如瘂正受義

 如非瘂受義  三智譬如是

 如愚求受義  如愚正受義

 如非愚受義  ‘二智譬如是(※「二」字三本宮本俱作「三」字)

 如五求受義  如五正受義

 如‘末那受義  三智譬如是(※「末」字三本俱作「求」字、宮本作「未」字)

 如未解於論  求論受法義

 次第譬三智  應知加行等

 如人正閉目  是無分別智

 即彼復開目  後得智亦爾

 應知如虛空  是無分別智

 於中現色像  後得智亦爾

 如末尼天樂  無思成自事

 種種佛事成  常離思亦爾

 非於此非餘  非智而是智

 與境無有異  智成無分別

 應知一切法  本性無分別

 所分別無故  無分別智無

≪諸の菩薩の自性は、

  五種の相を遠離す、

 是れ無‐分別智にして、

  眞〔實義〕を〔=於〕異計せず。≫

≪諸の菩薩の所依は、

  非心にして而も是れ心なり、

 是れ無‐分別智にして、

  思義の種類に非らず。≫

≪諸の菩薩の因緣には、

  言聞の熏習有り、

 是れ無‐分別智、

  及び如理なる作意なり。≫

≪諸の菩薩の所緣は、

  不可言の法性なり、

 是れ無‐分別智にして、

  無我性の眞如なり。≫

≪諸の菩薩の行相は、

  復、所緣の中に於て、

 是れ無‐分別智にして、

  彼の所知は無相なり。≫(※「知」字三本宮本俱作「智」字下附`同字同)

≪相應は自性の義なり、

  分別する所〔=所分別〕は餘に非らず、

 字、展轉して相應するを、

  是れを相應の義と謂ふ。≫

≪彼の能詮を離れて、

  智、所詮に於て轉ずるに非らず、

 非詮‐不同なるが故に、

  一切、不可言なり。≫

≪諸の菩薩の任持〔する所〕は、

  是れ無‐分別智の、

 後に得る所〔=所得〕の諸行にして、

  進趣‐增長することを爲す。≫

≪諸の菩薩の助伴を、

  說いて二種の道と爲す、(※「道」宮本作「行」字)

 是れ無‐分別智〔の生ずる所〕にして、

  五の到‐彼岸の性なり。≫

≪諸の菩薩の異熟は、

  佛の二會の中に於て、

 是れ無‐分別智にして、

  加行と證得とに由る。≫

≪諸の菩薩の等流は、

  後後の生の中に於て、

 是れ無‐分別智にして、

  自體、轉た增ます勝る。≫

≪諸の菩薩の出離の、

  相應を成辦することを得るは、

 是れ無‐分別智なり、

  應に知るべし、十地に於てすと。≫

≪諸の菩薩は究竟して、

  淸淨なる三身を得、

 是れ無‐分別智にして、

  最上なる〔十種の〕自在を得。≫

≪虛空の如く染〔汙〕無きは、

  是れ無‐分別智なり、

 種種なる極重の惡を〔對治す〕、

  唯、信じ勝解するのみに由る。≫

≪虛空の如く染〔汙〕無きは、

  是れ無‐分別智にして、

 一切の障りを解脫し、

  得と成辦と相應す。≫

≪虛空の如く染〔汙〕無きは、

  是れ無‐分別智にして、

 常に世間を〔=於〕行くも、

  世法に染〔汙〕せらるる〔=所染〕に非らず。≫

≪瘂〔人〕の義を求受するが如く、

  瘂〔人〕の正しく義を受くるが如く、

 非瘂〔人〕の義を受くるが如く、

  三智の譬へ、是の如し。≫

≪愚〔者〕の義を求受するが如く、

  愚〔者〕の正しく義を受くるが如く、

 非愚〔者〕の義を受くるが如く、

  三〔=二〕智の譬へ、是の如し。≫(※「二」字三本宮本俱作「三」字)

≪五〔識〕の義を求受するが如く、

  五〔識〕の正しく義を受くるが如く、

 末マ那ナの義を受くるが如く、

  三智の譬へ、是の如し。≫(※「末」字三本俱作「求」字、宮本作「未」字)

≪未だ論を〔=於〕解せず、

  論を求め法義を受くるがごときは、

 次第に三智に譬ふ、

  應に知るべし、加行等なりと。≫

≪人の正に目を閉づるが如きは、

  是れ無‐分別智なり、

 即ち彼れ復、目を開く、

  後得智も亦、爾なり。≫

≪應に知るべし、虛空の如きは、

  是れ無‐分別智なり、

 中に於て色像を現ず、

  後得智も亦、爾なりと。≫

≪末マ尼ニと天樂との如く、

  思ふこと無くして自事を成じ、

 種種なる佛事成じ、

  常に思ふことを離るるも亦、爾なり。≫

≪此れに〔=於〕非らず、餘にも非らず、

  智に非らずして而も是れ智なり、

 境と〔=與〕異なり有ること無く、

  智は無‐分別と成る。≫

≪應に知るべし、一切法は、

  本性、無‐分別なり、

 分別する所〔=所分別〕無きが故に、

  無‐分別‐智も無し。≫


此中加行無分別智有三種。謂因緣引發數習生差別故。

此の中、加行‐無分別‐智に三種有り、

(謂はく、)

(1)因緣(2)引發(3)數習より生ずる差別の故なり。


根本無分別智亦有三種。謂喜足無顚倒無戲論無分別差別故。

根本‐無分別智にも亦、三種有り、

(謂はく、)

(1)喜足と(2)無顚倒と(3)無戲論との無分別の差別の故なり。


後得無分別智有五種。謂通達隨念安立和合如意思擇差別故。

後得‐無分別‐智に五種有り、

謂はく、

(1)通達と(2)隨念と(3)安立と(4)和合と(5)如意との思擇の差別の故なり。


復有多頌成立如是無分別智。

復、多くの頌有りて、是の如き無‐分別‐智を成立す、


 鬼傍生人天  各隨其所應

 等事心異故  許義非眞實

 於過去事等  夢像二影中

 雖所緣非實  而境相成就

 若義義性成  無無分別智

 此若無佛果  證得不應理

 得自在菩薩  由勝解力故

 如欲地等成  得定者亦爾

 成就簡擇者  有智得定者

 思惟一切法  如義皆顯現

 無分別智行  諸義皆不現

 當知無有義  由此亦無識

≪〔餓〕鬼と傍生と人と天とは、

  各、其の應ずる所〔=所應〕に隨つて、

 事を等しうして心、異なるが故に、

  〔境〕義は眞實に非らずと許す。≫

≪過去の事等と、

  夢像と、二影との中に於て、

 所緣は〔眞〕實に非らずと雖も、

  而も境相、成就す。≫

≪若し義義の〔自〕性、成ずれば、

  無‐分別‐智、無からん、

 此れ若し無くば佛果を、

  證得することは理に應ぜず。≫

≪自在を得たる菩薩は、

  勝解の力に由るが故に、

 欲するが如く地等、成ず、

  定を得たる者も亦、爾なり。≫

≪簡擇を成就せる者と、

  智有る〔者〕と、定を得たる者とは、

 一切の法を思惟すれば、

  義の如く皆、顯現す。≫

≪無‐分別‐智、行ずれば、

  諸義、皆、現ぜず、

 當に知るべし、〔所緣の〕義、有ること無く、

  此れに由つて亦、〔能緣の〕識も無しと。≫


般若波羅蜜多與無分別智無有差別。如說菩薩安住般若波羅蜜多非處相應。能於所餘波羅蜜多修習圓滿。

般若‐波羅蜜多と無‐分別‐智と〔=與〕差別有ること無し、

說けるが如し、

菩薩は般若‐波羅蜜多に安住し、非處と相應し、

能くその餘〔=所餘〕の波羅蜜多に於て修習‐圓滿す。


云何名爲非處相應修習圓滿。謂由遠離五種處故。一遠離外道

我執處故。二遠離未見眞如菩薩分別處故。三遠離生死涅槃二邊處故。四遠離唯斷煩

惱障生喜足處故。五遠離不顧有情利益安樂住無餘依涅槃界處故。

云何なるを名づけて非處と相應し修習‐圓滿すると爲すや。

謂はく、

五種の處を遠離する〔に由りて〕が故なり。

一には外道の我執の處を遠離するが故に、

二には未だ眞如を見ざる菩薩の分別する處を遠離するが故に、

三には生死・涅槃の二邊の處を遠離するが故に、

四には唯、煩惱障を斷ずるのみにて、喜足を生ずる處を遠離するが故に、

五には有情の利益安樂を顧みずして無餘依‐涅槃界に住する處を遠離するが故なり。


聲聞等智與菩薩智有何差別。由五種相應`知差別。一由無分別差別。謂於蘊等法無分

別故。二由非少分差別。謂於通達眞如入一切種所知境界。普爲度脫一切有情。非少分

故。三由無住差別。謂無住涅槃爲所住故。四由畢竟差別。謂無餘依涅槃界中無斷盡

故。五由無上差別。謂於此上無有餘乘勝過此故。

聲聞等の智と菩薩の智と〔=與〕、何の差別有りや。

五種の相に由つて應に差別を知るべし、

一には無分別の差別に由る、

(謂はく、)

〔五〕蘊等の法に於て無分別なるが故なり。

二には少分に非らざる差別に由る、

謂はく、

眞如に通達すると、

一切種の所知の境界に入ると、

普く一切の有情を度脫せしむるとに於て、

少分に非らざるが故なり。

三には無住の差別に由る、

謂はく、

無住‐涅槃を所住と爲すが故なり。

四には畢竟の差別に由る、

謂はく、

無餘依‐涅槃界中、斷盡すること無きが故なり。

五には無上の差別に由る、

謂はく、

此の上に於て餘乘あつて此れに勝過すること無きが故なり。


此中有頌

 諸大悲爲體  由五相勝智

 世出世滿中  說此最高遠

此の中に頌有り、

≪諸の大悲を體と爲し、

  五相の勝智に由つて、

 世・出世の滿の中にて、

  此れを最も高遠なりと說く。≫


若諸菩薩成就如是增上尸羅增上質多增上般若。功德圓滿於諸財位得大自在。何故現

見有諸有情匱乏財位。見彼有情於諸財位有重業障故。見彼有情若施財位障生善法

故。見彼有情若乏財位厭離現前故。見彼有情若施財位即爲積集不善法因故。見彼有

情若施財位即便作餘無量有情損惱因故。是故現見有諸有情匱乏財位。

若し諸の菩薩、是の如き增上‐尸羅、

增上‐質シツ多タ、

增上‐般若を成就すれば、

功德、圓滿にして諸の財位に於て大自在を得、

何故に現に見るに諸の有情有つて、財位を匱乏〔き‐ぼう〕するや。

彼の有情、諸の財位に於て重き業障有るを見る故に、

彼の有情、若し財位を施すさば善法を生ずることを障へんと見るが故に、

彼の有情、若し財位に乏しければ、厭離、現前すと見るが故に、

彼の有情、若し財位を施さば即ち、不善法の因を積集することを爲すと見るが故に、

彼の有情、若し財位を施さば即ち、便ち餘の無量なる有情をば損惱する因を作すが故なり。

是の故に現に見るに諸の有情有つて、財位に匱乏す。


此中有頌

 見業障現前  積集損惱故

 現有諸有情  不感菩薩施

此の中に頌有り、

≪業と障ふると現前すると、

  損惱(の積集)するとを見るが故に

 現に諸の有情有つて、

  菩薩の〔布〕施を感ぜず。≫








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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