攝大乘論:攝大乘論本入所知相分第四/無著/三藏法師玄奘譯
■‘攝大乘論本入所知相分第四
(※「攝大乗論本」五字明本无下附`同字同)
如是已說所知相。入所知相云何應見。多聞熏習所依。非阿賴耶識所攝。如阿賴耶識成
種子。如理作意所攝。似法似義而生似所取事。有見意言
◎入所知相分第四(※「攝大乗論本」五字明本无下附`同字同)
是の如く已に所知相を說けり、
所知相に入ることをば云何んが應に見るべきや。
多聞‐熏習の所依にして、阿賴耶識の所攝には非らず。
阿賴耶識の種子を成ずるが如く、
如理なる作意の所攝にして、
法に似義に似て〔=而〕生じ、所取の事に似たる有見の意言なり。
此中誰能悟入所應知相大乘多聞熏習相續。已得逢事無量諸佛出現於世。已得一向
決定勝解。已善積集諸善根故。善備福智資糧菩薩。
◎
此の中、誰か能く應に知るべき所〔=所應知〕の相に悟入するや。
大乘の多聞‐熏習、相續し
已に無量なる諸佛の世に〔=於〕出現したまへるに逢事することを得、
已に一向に決定せる勝解を得、
已に善く諸の善根を積集せるが故に善く福智の資糧を備へたる菩薩なり。
何處能入。謂即於彼有見似法似義意言。大乘法相等所生。起勝解行地見道修道究竟
道中。於一切法唯有識性。隨聞勝解故。如理通達故。治一切障故。離一切障故。
◎
何づれの處に〔於て〕能く入るや。
謂はく、即ち彼の有見の法に似義に似たる意言〔=有見似法似義意言〕に於てす、
大乘の法相等より生ずる所〔=所生〕なり、
勝解行地・見道・修道・究竟道の中にて、
一切法は唯、識のみ有りとの性〔=唯有識性〕に於て
聞くに隨つて勝解するが故に、
如理に通達するが故に、
一切の障りを治するが故に、
一切の障を離るるが故に、
由何能入。由善根力所‘住持故。
(※「住」字三本宮本俱作「任」)
謂三種相練磨心故。斷四處故。緣法義境止觀恒常殷重加行無放逸故。
◎
何に由り能く入るや。
善根力に住持せらるる〔=所住持〕に由るが故なり、
(※「住」字三本宮本俱作「任」)
謂はく、(三種の相に)心を練磨するが故に、
四處を斷ずるが故に、
法義の境を緣ずる止觀の恒常・殷重なる加行、放逸無きが故なり。
無量諸世界無量人有情刹那刹那證覺無上正等菩提。是爲第一練磨其心。
◎
無量なる諸世界の(無量なる)人・有情、
刹那刹那に無上‐正等‐菩提を證得す、
是れを第一に其の心を練磨すと爲す。
由此意樂能行施等波羅蜜多。我已獲得如是意樂。我‘由此故。
(※「由」字宮本作「田」字)
少用功力修習施等波羅蜜多當得圓滿。是爲第二練磨其心。
◎
此の意樂に由つて能く施等の波羅蜜多を行じ、
『我れ已に是の如き意樂を獲得せり、
我れ此れに由るが故に、(※「由」字宮本作「田」字)
少〔纔〕かに功力を用ゐて施等の波羅蜜多を修習す』とす、
(當に圓滿を得べし、)是れを第二に其の心を練磨すと爲す。
若有成就諸有障善。於命終時即便可‘愛一切自體圓滿而生。
(※「愛」字三本宮本俱作「受」字)
我有妙善無障礙善。云何爾時不當獲得一切圓滿是名第三練磨其心。
◎
若し諸の障り有る善を成就するあれば、
命終る時に於て即ち便ち可愛の一切の自體、圓滿して〔=而〕生じ、(※「愛」字三本宮本俱作「受」字)
『我れに妙善‐障礙無き‐善あり、
云何んが爾の時に當に一切の圓滿を獲得すべからざるや』とす、
是れを第三に其の心を練磨すと名づく。
此中有頌
人趣諸有情 處數皆無量
念念證等覺 故不應退屈
諸淨心意樂 能修行施等
此勝者已得 故能修施等
善者於死時 得隨樂自滿
勝善由永斷 圓滿云何無
◎
此の中に頌有り、
≪人趣の諸の有情の、
處數は皆、無量にして
念念に等覺を證す
故に應に退屈すべからず。≫
≪諸の淨心、意樂にて、
能く〔布〕施等を修行し、
此の勝者、已に〔此の意を〕得たり、
故に能く〔布〕施等を修す。≫
≪善者は死時に於て、
樂ひに隨つて自ら〔聞〕滿することを得、
勝善は永しへに〔煩惱〕を斷ずるに由つて、
圓滿すること云何んが無からん≫
由離聲聞獨覺作意斷作意故。由於大乘諸疑離疑。以能永斷異慧疑故。由離所聞所思
法中我我所執斷法執故。由於現前現住安立一切相中。無所作意無所分別斷分別故。
◎
(1)聲聞・獨覺の作意を離れ、作意を斷ずるに由るが故に、
(2)大乘の諸疑に於て疑ひを離れ、
以て能く永しへに異慧の疑ひを斷ずるに由るが故に、
(3)聞く所〔=所聞〕思ふ所〔=所思〕の法の中の我・我所の執を離れ
法執を斷ずるに由るが故に、
(4)現前に現住する安立の一切の相の中に於て、
作意する所〔=所作意〕無く、分別する所〔=所分別〕無く、
分別を斷ずるに由るが故なり。
此中有頌
現前自然住 安立一切相
智者不分別 得最上菩提
◎
此の中に頌有り、
≪現前に自然に住する、
安立の一切の相をば、
智者は分別せず、
最上なる菩提を得ん。≫
由何云何而得悟入由聞熏習種類。如理作意所攝似法似義有見意言。
◎
何に由り云何にして〔=而〕悟入することを得るや。
聞‐熏習の種類の如理なる作意に攝する所〔=所攝〕の法に似、義に似たる有見の意言に由る。
由四尋思。謂由名義自性差別假立尋思。及由四種如實遍智。謂由名事自性差別。假立
如實遍智。
◎
四‐尋思に由る、
謂はく、
(1)名(2)義(3)自性(4)差別に由つて尋思を假立す、
及び四種の如實遍智に由る、
謂はく、
(1)名(2)事(3)自性(4)差別に由つて如實遍智を假立す。
如是皆同不可得故。以諸菩薩如是如實。爲入唯識勤修加行。即於似文似義
意言。推求文名唯是意言。推求依此文名之義亦唯意言。推求名義自性差別唯是假立。
◎
是の如きは皆同じく不可得なるが故に、
諸の菩薩は是の如く如實に唯‐識に入らんが爲に勤めて加行を修するを以て、
即ち文に似、義に似たる意言〔分別〕に於て、
『文名は唯、是れ意言〔分別〕のみなり』と推求し、
『此の文名に依る〔所詮の〕〔=之〕義も亦、唯、意言〔分別〕のみなりと推求し、
『名義‐自性‐差別に唯、是れ假立せるのみなり』と推求す。
若時證得唯有意言。爾時證知若名若義自性差別皆是假立。自性差別義相無故。同不
可得。由四尋思及由四種如實遍智。於此似文似義意言。便能悟入唯有識性。
◎
若し時に『唯、意言〔分別〕有るのみなり』と證得すれば爾の時、
若しくは名、若しくは義、〔若しくは〕自性、〔若しくは〕差別、
皆是れ假立なりと證得す、
自性‐差別の義相、無きが故に同じく不可得なり。
四‐尋思に由り、及び
四種の如實‐遍智に由り、此の文に似、義に似たる意言〔分別〕に於て
便ち能く唯、識のみ有る性〔=唯有識性〕に悟入するなり。
於此悟入唯識性中。何所悟入。如何悟入。入唯識性相見二性及種種性。若名若義自
性差別假自性差別義。
◎
此の唯識性に悟入する中に於て、
何には悟入する所〔=所悟入〕なりや、
如何にして悟入するや。
唯識性の相見二性、及び種種なる性の、
若しくは(1)名、
若しくは(2)義(3)自性(4)差別(5)假の自性(6)差別の義に入る。
如是六種義皆無故。所取能取性現前故。一時現似種種相義
而生起故。如闇中繩顯現似蛇。譬如繩上蛇非眞實。以無有故。
◎
是の如き六種の義は皆、無きが故に、
所取・能取の性、現前するが故に、
一時に現に種種なる相義に似て〔=而〕生起するが故に、
暗〔=闇〕中の繩、似蛇を顯現するが如く、
譬へば繩の上の蛇は眞實に非らざるが如く、
有ること無きを以ての故なり。
若已了知彼義無者。蛇覺雖滅繩覺猶在。若以微細品類分析此又虛妄。色香味觸爲其相故。
此覺爲依繩覺當滅。
◎
若し已に彼の義無きことを了知すれば〔=者〕
蛇覺、滅すと雖も繩覺、猶、在り、
若し微細なる品類を以て分析すれば此れ又、虛妄なり。
色・香・味・觸を其の相と爲すが故なり。
此の覺を〔所〕依繩と爲せば覺、當に滅すべし。
如是於彼似文似義六相意言。伏除非實
六相義時。唯識性覺。猶如蛇覺亦當除遣。由圓成實自性覺故。
◎
是の如く彼の文に似、義に似たる六相の意言〔分別〕に於て、
非實の六相の義を伏除する時、
唯識性の覺は猶し蛇覺の亦當に除遣すべきが如し、
圓成實の自性の覺に由るが故なり。
如是菩薩悟入意言似義相故。悟入遍計所執性悟入唯識故。悟入依他起性。
◎
是の如く菩薩は意言〔分別〕の義に似たる相に悟入するが故に、
遍計所執性に悟入し、
唯識に悟入するが故に、
依他起性に悟入す。
云何悟入圓成實性。若已滅除意言聞法熏習種類唯識之想。爾時菩薩已遣義想。一切似義無容
得生故。似唯識亦不得生。
◎
云何んが圓成實性に悟入するや。
若し已に意言・聞・法‐熏習の種類の唯識の〔=之〕想を滅除すれば爾の時、
菩薩、已に義想を遣り、一切の似義、生じ得べき〔=容〕こと無き故に、
似の唯識も亦、生ずることを得ず。
由是因緣住一切義無分別名。於法界中便得現見相應而住。
爾時菩薩平等平等所緣能緣。無分別智已得生起。由此菩薩名已悟入圓成實性
◎
是の因緣に由つて、一切義の無分別の名に住し、
法界の中に於て便ち現見と相應して〔=而〕住することを得、
爾の時、菩薩の平等平等なる所緣・能緣‐無分別智、已に生起することを得、
此れに由つて菩薩を、已に圓成實性に悟入せりと名づく。
此中有頌
法補特伽羅 法義略廣性
不淨淨究竟 名所行差別
◎
此の中に頌有り、
≪法と補特伽羅と、
法と義と略と廣と性と、
不淨と淨と究竟とは、
名の所行の差別なり。≫
如是菩薩悟入唯識性故。悟入所知相。悟入此故入極喜地。善達法界生如來家。得一切
有情平等心性。得一切菩薩平等心性。得一切佛平等心性。此即名爲菩薩見道。
◎
是の如く菩薩は、唯識性に悟入するが故に、
所知相に悟入するが故に、
此れに悟入するが故に、
極喜地に入り、
善く法界に〔通〕達し、如來の家に入り、
一切有情の平等心性を得、
一切菩薩の平等心性を得、
一切佛の平等心性を得、此れを即ち名づけて菩薩の見道と爲す。
復次爲何義故入唯識性。由緣總法出世止觀智故。由此後得種種相識智故。爲斷及相
阿賴耶識諸相種子。爲長能觸法身種子。爲轉所依。爲欲證得一切佛法。爲欲證得一切
智智入唯識性。
◎
復、次に何なる義の爲の故に、唯識性に入るや。
總法を緣ずる出世の止觀の智に由るが故に、
此の後に得る種種なる相識の智に由るが故に、
及び相、阿賴耶識の諸相の種子斷ぜんが爲に、
能く法身に觸〔證〕する種子を長〔養〕せんが爲に、
所依を轉ぜんが爲に、
一切の佛の法を證得せんと欲するが爲に、
一切智智を證得して唯識性に入らんと欲するが爲なり。
又後得智於一切阿賴耶識所生一切了別相中。見如幻等性無倒轉。是
故菩薩譬如幻師。於所幻事於諸相中。及說因果常無顚倒。
◎
又、後得智は一切の阿賴耶識に於て生ずる所〔=所生〕にして
一切の了別相の中にて、
幻の如し等と見〔及び宣說する時〕、性、無倒に轉ず。
是の故に菩薩は譬へば幻師の所幻の事に於けるが如く、
諸相の中、及び因果を說くに於て常に顚倒すること無し。
於此悟入唯識性時。有四種三摩地。是四種順決擇分依止。云何應知。應知由四尋思。
◎
此の唯識性に悟入する時に於て、四種の三摩地有り、
是れ四種の順決擇分の依止なり。
云何んが應に知るべきや。
應に知るべし、四‐尋思に由ると。
於下品無義忍中有明得三摩地。是‘暖順決擇分依止。
(※暖字三本宮本俱作煖字)
於上品無義忍中有明增三摩地。是頂順決擇分依止。
◎
下品の無義の忍の中に於て明得‐三摩地有り、
是れ煖〔=暖〕の順決擇分の依止なり、(※暖字三本宮本俱作煖字)
上品の無義の忍の中に於て明增‐三摩地有り、
是れ頂の順決擇分の依止なり。
復由四種如實遍智已入唯識。於無義中已得決定。有入眞義一分三
摩地。是諦順忍依止。從此無間伏唯識想。有無間三摩地。是世第一法依止。應知如是諸
三摩地。是現觀邊。
◎
復、四種の如實遍智に由つて已に唯識に入り、
無義の中に於て已に決定することを得て、
眞義の一分に入る三摩地有り、
是れ諦順忍の依止なり。
此れ從り無間に唯識想を伏して世〔=無〕間三摩地あり、
是れ世‐第一法の依止なり。
應に知るべし、是の如き諸の三摩地は是れ、現觀邊なりと。
如是菩薩已入於地。已得見道。已入唯識。於修道中云何修行。於如所說安立十地攝一
切經皆現前中。由緣總法出世後得止觀智故。經於無量百千倶胝那庾多劫。數修習故
而得轉依。爲欲證得三種佛身精勤修行。
◎
是の如く菩薩、已に地に〔=於〕入り、
已に見道を得、
已に唯識に入れり、
修道の中に於て云何に修行するや。
說く所〔=所說〕の如き安立の十地に攝する一切〔十に部〕經(皆)、
現前する中に於て
總法を緣ずる出世‐後得の止觀の智に由るが故に、
無量百千倶コ胝チ那ナ庾ユ多タ劫を〔於〕經て數〔しばしば〕修習するが故に
而も轉依を得、
三種の佛身を證得せんと欲するが爲に精勤して修行す。
聲聞現觀菩薩現觀有何差別。謂菩薩現觀與聲聞異。由十一種差別應知。
一由所緣差別。以大乘法爲所緣故。二由資持差別。以大福
智二種資糧爲資持故。三由通達差別。以能
通達補特伽羅法無我故。四由涅槃差別。攝受無住大涅槃故。五由地差別。依於十地而出離故。
◎
聲聞の現觀と菩薩の現觀と、何の差別有りや。
謂はく、
菩薩の現觀と聲聞〔の現觀〕と〔=與〕の異なりは、
十一種の差別に由ると應に知るべし。
一には所緣の差別に由る、
大乘の法を以て所緣と爲すが故なり。
二には資持の差別に由る、
大福智の二種の資糧を以て資持と爲すが故なり。
三には通達の差別に由る、
能く補特伽羅と法との無我に通達するを以ての故なり。
四には涅槃の差別に由る、
無住大涅槃を攝受するが故なり。
五には地の差別に由る、
十地に於て〔=而〕出離するが(に依りての)故なり。
六七由淸淨差別。斷煩惱習淨佛土故。八由於自他得平等心差別。成熟有情加
行無休息故。九由生差別。生如來家故。十由受生差別。常於諸佛大集會中攝受生故。十
一由果差別。十力無畏不共佛法無量功德果成滿故。
◎
六・七には淸淨の差別に由る、
煩惱〔及び〕習〔氣〕を斷じて佛土を淨むるが故なり。
八には自他に於て平等心を得る差別に由る、
有情を成熟する加行、休息すること無きが故なり。
九には生の差別に由る、
如來の家に生まるるが故なり。
十には生を受くる差別に由る、
(常に)諸佛の大集會の中に於て生を攝受するが故なり。
十一には果の差別に由る、
十力〔四〕無畏〔等〕の不共なる佛の法の無量なる功德の果、成滿するが故なり。
此中有二頌
名事互爲客 其性應尋思
於二亦當推 唯量及唯假
實智觀無義 唯有分別三
彼無故此無 是即入三性
◎
此の中に二頌有り、
≪名事、互に客と爲る、
其の性をば應に尋思すべく、
二に於て亦、當に推〔尋〕すべし、
唯、量なるのみ(及び)唯、假なるのみなりと。≫
≪實智は無義を觀じ、
唯、分別の三有るのみ、
彼れ無きが故に此れ無く、
是れ即ち三性に入る。≫
復有敎授二頌。如分別瑜伽論說
菩薩於定位 觀影唯是心
義‘相既滅除 審觀唯自想(※相字三本宮本俱作想字)
如是住内心 知所取非有
次能取亦無 後觸無所得
◎
復、敎授の二頌有り、
分別‐瑜伽論の說の如し、
≪菩薩は定位に於て、
影は唯、是れ心なるのみと觀じ、
義の想〔=相〕をば既に滅除し、(※相字三本宮本俱作想字)
審らかに唯、自想なるのみと觀ず。≫
≪是の如く内心に住し、
所取有るに非らず、
次に能取も亦無すと知り、
後、觸〔證〕する〔眞如〕は無所得なり
復有別五現觀伽他。如大乘經莊嚴論說
福德智慧二資糧 菩薩善備無邊際
於法思量善決已 故了義趣唯言類
若知諸義唯是言 即住似彼唯心理
便能現證眞法界 是故二相悉蠲除
體知離心無別物 由此即會心非有
智者了達二皆無 等住二無眞法界
慧者無分別智力 周遍平等常順行
滅依榛梗過失聚 如大良藥銷衆毒
佛說妙法善成立 安慧幷根法界中
了知念趣唯分別 勇猛疾歸德海岸
◎
復、別の五の現觀の伽カ他ダ有り、
大乘經莊嚴論の說の如し、
≪福德と智慧との二の資糧をば、
菩薩は善く備へて邊際無く、
法に於て思量して善く決し已る、
故に義趣は唯、言のみの類なりと了〔知〕す。≫
≪若し諸義は唯、是れ言のみなりと知れば、
即ち彼れに似て唯‐心なり理に住し、
便ち能く眞法界を現證す、
是の故に二相をば悉く蠲除〔けん‐じよ〕す。≫
≪體、心を離れて別物無しと知り、
此れに由りて即ち『心、有るに非らず』と會し、
智者は二皆無しと了達し、
等しく二無き眞法界に住す。≫
≪慧者の無分別智の力は、
周ねく遍ねく平等に常に順行し、
〔所〕依の榛梗〔しん‐かう〕の〔如き〕過失聚を滅すること、
大良藥の衆毒を銷〔消〕すが如し。≫
≪佛說の妙法、善く成立して
慧を、幷らびに根〔本心〕と法界との中に安〔置〕すれば、
念趣は唯、分別のみなりと了知し、
勇猛にして疾く德海の岸に歸せん。≫
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