攝大乘論:攝大乘論本所知依分第二-03/無著/三藏法師玄奘譯
云何出世淸淨不成。謂世尊說。依他言音及内各別如理作意。由此爲因正見得生。
◎
云何んが出世の淸淨、成ぜざるや。
謂はく、
世尊說きたまはく、
『他の言音及び内の各別の如理なる作意に依り、
此れを因と爲すに由りて正見、生ずることを得』と。
此他言音如理作意。爲熏耳識。爲熏意識。爲兩倶熏。
◎
此の他の言音の如理なる作意は、
耳識に熏ずることを爲し、
意識に熏ずることを爲し、
兩つながら倶に熏ずることを爲す。
若於彼法如理思惟。爾時耳識且不得起。意識亦爲種種散動餘識所間。若與如理
作意相應生時。此聞所熏意識與彼熏習。久滅過去定無有體。云何復爲種子能生後時
如理作意相應之心。
◎
若しは彼の法に於て
如理に思惟する爾の時、耳識、且らく起こることを得ず、
意識も亦、種種散動する餘識の爲に間〔まじは〕られ〔=所間〕、
若しくは如理なる作意と相應して生ずる時、
此の聞、所熏の意識、彼の〔聞〕熏習と〔=與〕
久しく滅し、過去せんか定んで體有ること無し、
云何んが復、種子と爲りて能く後時の如理なる作意と相應する〔=之〕心を生ぜんや。
又此如理作意相應是世間心。彼正見相應是出世心。曾未有時倶生倶滅。是故此心非彼‘所熏。
(※所字明本作非字)
既不被熏。爲彼種子不應道理。
◎
又、此の如理なる作意と相應するは是れ世間心なり、
彼の正見と相應するは是れ出世〔間〕心なり、
曾つて未だ時に倶に生じ倶に滅すること有らず、
是の故に此の心は、彼の所熏に非らず。(※所字明本作非字)
既に熏ぜられ〔=被熏〕ず、彼の種子と爲ることは道理に應ぜざるなり。
是故出世淸淨。若離一切種子異熟果識。亦不得成。此中聞熏習攝受。
彼種子不相應故。
◎
是の故に出世の淸淨は、
若し一切種子‐異熟果識を離るれば亦、成ずることを得ず。
此の中、聞‐熏習に彼の〔出世の淸淨の〕種子を攝受することは、相應せざるが故なり。
復次云何一切種子異熟果識爲雜染因。復爲出世能對治彼淨心種子。
又出世心昔未
曾習故。彼熏習決定應無。既無熏習從何種生。是故應答。從最淸淨法界等流。正聞熏
習種子所生。
◎
復、次に、
云何んが一切種子‐異熟果識は、雜染の因と爲り、
復、出世の能く彼れを對治する淨心の種子と爲るや。
又出世心をば
昔、未だ曾ちて〔熏〕習せざるが故に、彼の熏習、決定して應に無かるべく、
既に熏習無ければ
〔彼の出世心は〕何の種〔子〕從り生ずや。
是の故に應に答ふべし、
最も淸淨なる法界從り等流せる、正しき聞‐熏習の種子より生ずる所〔=所生〕なり、と。
此聞熏習爲是阿賴耶識自性。爲非阿賴耶識自性。若是阿賴耶識自性。云何是彼對治
種子。若非阿賴耶識自性。此聞熏習種子所依。云何可見。乃至證得諸佛菩提。此聞熏
習隨在一種所依轉處。寄在異熟識中。與彼和合倶轉。猶如水乳。然非阿賴耶識是彼
對治種子性故。
◎
此の聞‐熏習は是れ阿賴耶識の自性なりと爲んや、
阿賴耶識の自性に非らずと爲んや、
若し是れ阿賴耶識の自性ならば云何んが是れ彼の〔阿賴耶識を〕對治する種子なりや、
若し阿賴耶識の自性んい非らざれば、此の聞‐熏習(の種子の)所依をば云何に見る可きや。
乃至〔云何んが〕諸佛の菩提を證得せんや。
此の聞‐熏習は隨つて一種の所依、轉ずる處に在り、
異熟識の中に寄在し、彼れと〔=與〕和合して倶に轉ずること
猶し水乳の如くなるも、
然も阿賴耶識に非らず、
是れ彼の〔阿賴耶識を〕對治する種子の性なるが故なり。
此中依下品熏習成中品熏習。依中品熏習成上品熏習。依聞思修多分修作得相應故。
◎
此の中、下品の熏習に依りて中品の熏習を成じ、
中品の熏習に依りて上品の熏習を成ず、
聞思修に依りて多分修作して相應することを得るが故なり。
又此正聞熏習種子下中上品應知。
◎
又、此の正しき聞‐熏習の種子の下中上品をば應に知るべし。
亦是法身種子。與阿賴耶識相違。非阿賴耶識所攝。是出世間最淨法界等流性故。
◎
亦、(是れ)法身の種子と阿賴耶識と〔=與〕相違し
阿賴耶識の所攝に非らず。
是れ出世間の最も〔淸〕淨なる法界より等流せる性なるが故なり。
雖是世間而是出世心種子性。又出世心雖未生時。已能對治諸煩惱纒。已能對
治諸嶮惡趣。已作一切所有惡業朽壞對治。又能隨順逢事一切諸佛菩薩。
◎
是れ世間なりと雖も而も是れ出世心の種子の性なり、
又、出世心、未だ生ぜざる時なりと雖も已に能く諸の煩惱の纒を對治し、
已に能く諸の嶮惡趣を對治し、
已に一切のあらゆる〔=所有〕惡業‐朽壞〔の因〕をば對治することを作し、
又、能く一切の諸の佛菩薩に隨順し逢事す。
雖是世間應
知初修業菩薩所得。亦法身攝聲聞獨覺所得。唯解脫身攝。
◎
是れ世間なりと雖も應に知るべし、
初修業の菩薩の所得にして亦、
法身の〔所〕攝なり、
聲聞・獨覺の所得にして唯、解脫身の〔所〕攝なりと。
又此熏習非阿賴耶識。是法身解脫身攝。如如熏習下中上品次第漸增。
如是如是。異熟果識次第漸減即轉所依。
◎
又、此の熏習は阿賴耶識に非らず、
是れ法身・解脫身の〔所〕攝なり、
如如に熏習の下中上品は次第に漸く增し、
是の如く是の如く異熟果識、次第に漸く減じ即ち所依を轉ず。
既一切種所依轉已。即異熟果識。及一切種
子。無種子而轉。一切種永斷。
◎
既に一切〔雜染の〕種の所依、轉じ已るや即ち、異熟果識及び一切〔雜染の〕種
子は、種子無くして〔=而〕轉じ、
一切〔雜染の〕種、永しへに斷ず。
復次云何猶如水乳。非阿賴耶識與阿賴耶識同處倶轉。而阿賴耶識一切種盡。非阿賴
耶識一切種增。譬如於水鵝所飮乳。又如世間得離欲時。非等引地熏習漸減。其等引
地熏習漸增而得轉依。
◎
復、次に、
云何んが猶し水乳の如く、
非‐阿賴耶識と阿賴耶識と〔=與〕同處に倶に轉ずるに而も
阿賴耶識の一切種、盡きて非‐阿賴耶識の一切種、增すや。
譬へば水と、鵝の飮む所〔=所飮〕の乳とに於けるが如し、
又、世間の〔もの〕、欲を離るることを得る時、
非等引地の熏習、漸く減じ、
其の等引地の熏習、漸く增して、
而して轉依を得るが如し。
又入滅定識不離身。聖所說故。此中異熟識應成不離身。非爲治此滅定生故。
◎
又、滅〔盡〕定に入るも、識は身を離れず、
聖〔者〕の說きたまげる所〔=所說〕なるが故なり。
此の中、異熟識〔にして〕應に身を離れざることを成ずべし、
〔何となれば〕此れを〔對〕治せんが爲に滅〔盡〕定、生ずるに非らざるが故なり。
又非出定此識復生。由異熟識既間斷已離結相續無重生故。
◎
又、定を出でて此の識、復た〔更らに〕生ずるに非らず。
異熟識は既に間斷し已つて、
結〔生〕相續を離るれば〔更らに餘生に託して〕重ねて生ずること無きが故なり。
又若有執以意識故。滅定有心。此心不成。定不應成故。所緣行相不可得故。應有善根
相應過故。不善無記不應理故。應有想受現行過故。觸可得故。於三摩地有功能故。應有
唯滅想過失故。應有其思信等善根現行過故。拔彼能依令離所依。不應理故。有譬喩故。
如非遍行此不有故。
◎
又、若しくは有るが執すらく、
意識〔あるを〕以ての故に、滅〔盡〕定に心有りと。
此の心、成ぜざるなり、
定、應に成ぜざる故に、
所緣と行相と不可得なるが故に、
應に善根と相應する過〔失〕あるべきが故に、
不善と無記と、理に應ぜざるが故に、
應に想受現行する過〔失〕有るべき故に、
觸〔あり〕得可きが故に、
〔餘の〕三サン摩マ地ヂに於て〔此の〕功能有るが故に、
應に唯、想のみを滅する過失有るべきが故に、
應に其の思信等の善根現行する過〔失〕あるべきが故に、
彼の能依を拔いて所依を離れしむる〔=令〕は理に應ぜざるが故に、
譬喩有るが故に、
非遍行の如く此れ有らざるが故なり。
又此定中由意識故。執有心者。此心是善不善無記。皆不得成故不應理。
◎
又、此の定中に意識〔ある〕に由るが故に心有りと執するは〔=者〕、
此の心は是れ善・不善・無記なること皆、成ずることを得ざるが故に
理に應ぜず。
若復有執色心無間生。是諸法種子此不得成。如前已說。又
從無色無想天沒。滅定等出不應道理。又阿羅漢後心不成。唯可容有等無間緣。
◎
若し復、有るが執すらく、
色心の無間に是の諸法の種子を生ずと。
此れ成ずることを得ず、
前に已に說けるが如し。
又、無色〔界〕・無想天從り〔死〕沒して〔他に生じ〕、
滅〔盡〕定等を出でて〔心復生ずることは〕道理に應ぜず。
又、阿羅漢の〔最〕後心、成ぜず、
唯、等無間緣有るべき〔容〕のみなり。
如是若離一切種子異熟果識。雜染淸淨皆不得成。是故成就如前所說相。阿賴耶識決
定是有。
◎
是の如く、
若し一切種子‐異熟果識を離れては、雜染と淸淨と皆、成ずること得ず。
是の故に前の所說の相の如く、
阿賴耶識は決定して是れ有ることを成就す。
此中三頌
菩薩於淨心 遠離於五識
無餘心轉依 云何汝當作
若對治轉依 非斷故不成
果因無差別 於永斷成過
無種或無體 若許爲轉依
無彼二無故 轉依不應理
◎
此の中、三頌〔あり〕
≪菩薩は淨心に於て、
五識を〔=於〕遠離し
餘無し、心の轉依をば、
云何んが汝、當に作すべきや≫
≪若し〔能〕對治〔即ち是れ〕轉依ならば、
〔能對治〕斷ずるに非らざるが故に〔理〕成ぜず、
果と因と差別無く、
永しへに斷ずるに於て過と成る≫
≪無種、或は無體を、
若し許して轉依と爲さば、
彼の二の無、無きが故に
轉依は理に應ぜず≫
復次此阿賴耶識差別云何。略說應知。或三種或四種。此中三種者。謂三種熏習差別故。
一名言熏習差別。二我見熏習差別。三有支熏習差別。四種者。一引發差別。二異熟差
別。三緣相差別。四相貌差別。
◎
復、次に、
此の阿賴耶識の差別、云何。
略して說かば應に知るべし、或は三種、或は四種なりと。
此の中、三種とは〔=者〕
謂はく三種の熏習の差別の故なり。
一には名言‐熏習の差別、
二には我見‐熏習の差別、
三には有支‐熏習の差別なり、
四種とは〔=者〕、
一には引發の差別、
二には異熟の差別、
三には緣相の差別、
四には相貌の差別なり。
此中引發差別者。謂新起熏習。此若無者。行爲緣識。取爲緣有。應不得成。
◎
此の中、引發の差別とは〔=者〕、
謂はく、
新らたに熏習を起こすなり、
此れ若し無ければ〔=者〕行、識に緣たり〔=爲〕、
取、有に緣たる〔=爲〕こと應に成ずることを得ざるべし。
此中異熟差別者。謂行有爲緣。於諸趣中異熟差別。此若無者則無種子。後有諸法生應不成。
◎
此の中、異熟の差別とは〔=者〕、
謂はく、行有、緣と爲りて
諸趣の中に於て異熟〔果〕差別するなり、
此れ若し無ければ〔=者〕則ち種子無く
後有の諸法、生ずること應に成ぜざるべし。
此中緣相差別者。謂即意中我執緣相。此若無者。染汚意中我執所緣應不得成。
◎
此の中、緣相の差別とは〔=者〕、
謂はく、
即ち意の中の我執の緣相なり、
此れ若し無ければ〔=者〕
染汙〔=汚〕の意の中の我執の所緣、
應に成ずることを得ざるべし。
此中相貌差別者。謂即此識有共相。有不共相。無受生種子相。有受生種子相等。
◎
此の中、相貌の差別とは〔=者〕
謂はく、
即ち此の識に共相有り、
不共相有り、
無受生の種子の相、有受生の種子の相等なり。
共相者。謂器世間種子。
◎
共相とは〔=者〕謂はく器世間の種子なり。
不共相者。謂各別内處種子。
◎
不共相とは〔=者〕謂はく、各別の内處の種子なり。
共相即是無受生種子。
◎
共相は即ち是れ無受生の種子なり。
不共相即是有受生種子。
◎
不共相は即ち是れ有受生の種子なり。
對治生時唯不共相。所對治滅共相。爲他分別所持但見淸淨。如瑜伽師。於一物中
種種勝解種種所見皆得成立。
◎
〔能〕對治〔の道〕生ずる時、唯、
不共相のみ對治せられ〔=所對治〕て滅し、
共相は他の分別の爲に持たれ〔=所持〕〔て滅せず〕
但、淸淨なることを見るのみ。
瑜ユ伽ガ師の如く、
一物の中に汙て種種なる勝解、種種なる所見、皆、成立を得。
此中二頌
難斷難遍知 應知名共結
瑜伽者心異 由外相大故
淨者雖不滅 而於中見淨
又淸淨佛土 由佛見淸淨
◎
此の中に二頌〔あり〕
≪斷じ難く遍く知り難きを、
應に知るべし、共結と名づくと、
瑜伽者の心、異る、
外相、大なるに由るが故なり。≫
≪淨者は滅せずと雖も、
而も中に汙て〔淸〕淨なることを見る、
又、淸淨なる佛土〔あり〕、
佛、淸淨なりと見たまふに由る。≫
復有別頌。對前所引種種勝解種種所見皆得成立
諸瑜伽師於一物 種種勝解各不同
種種所見皆得成 故知‘所取唯有識
(※所字宋元宮本俱作取字)
◎
復、別頌有り、
前に引ける所〔=所引〕の種種なる勝解、種種なる所見、
皆成立することを得るに對す、
≪諸の瑜伽師は一物に於て、
種種なる勝解、各、同じからず、
種種なる所見、皆成ずることを得、
かるが故に知る、所取は唯、識のみ有りと。≫(※所字宋元宮本俱作取字)
此若無者。諸器世間有情世間生起差別應不得成。
◎
此れ若し無ければ〔=者〕
諸の器世間・有情世間、生起する差別、應に成ずことを得ざるべし。
復有麁重相及輕安相。麁重相者。謂煩惱隨煩惱種子。輕安相者謂有漏善法種子。此若
無者。所感異熟無所堪能。有所堪能所依差別應不得成。
◎
復、麁重相及び輕安相有り。
麁重相とは〔=者〕謂はく、
煩惱と隨煩惱との種子なり、
輕安相とは〔=者〕謂はく、
有漏‐善法の種子なり。
此れ若し無ければ〔=者〕
所感の異熟〔果〕の堪能する所〔=所堪能〕無く、
堪能する所〔=所堪能〕有る所依の差別、
應に成ずること得ざるべし。
復有有受盡相無受盡相。有受盡相者。謂已成熟異熟果善不善種子。
◎
復、有受盡相〔及び〕無受盡相有り。
有受盡相とは〔=者〕謂はく、
已に異熟果を成就せる善・不善の種子なり。
無受盡相者。謂名言熏習種子。無始時來種種戲論流轉種子故。此若無者。已作‘已作善惡二業。
(※已字明本作現字)
與果受盡應不得成。又新名言熏習生起應不得成。
◎
無受盡相とは〔=者〕謂はく、
名言‐熏習‐種子なり、
無始の時より來、種種なる戲論より流轉せる種子なるが故なり。
此れ若し無ければ〔=者〕
已に作り已に作れる善惡の二業の(※已字明本作現字)
果〔報〕を與へ、受〔用〕盡くること
應に成ずることを得ざるべく、
又、新らたに名言‐熏習、生起すること應に成ずることを得ざるべし。
復有譬喩相。謂此阿賴耶識。幻炎夢翳爲譬喩故。此若無者。由不實遍計種子故。顛倒緣相應不得成。
◎
復、譬喩相有り、
謂はく、
此の阿賴耶識は幻・焰〔=炎〕・夢・翳を譬喩と爲すが故に、
此れ若し無ければ〔=者〕
不實遍計の種子に由るが故に、顚倒の緣相應に成ずることを得ざるべし。
復有具足相不具足相。謂諸具縛者名具足相。世間離欲者名損減相。
◎
復、具足相〔及び〕不具足相有り、
謂はく、
諸の具縛の者を具足相と名づけ、
世間離欲の者を損減相と名づく。
有學聲聞及諸菩薩名一分永拔相。阿羅漢獨覺‘及諸如來名煩惱障‘全永拔相。
(※及字元明本俱作無字。全字宋本作令字下附`同字同)
及煩惱所知障`全永拔相。如其所應。此若無者。如是次第雜染還滅應不得成。
◎
有學の聲聞及び諸の菩薩を一分、永しへに拔ける相〔=一分永拔相〕と名づけ、
阿羅漢・獨覺及び諸の如來を煩惱障をは全く永しへに拔ける相(※及字元明本俱作無字。全字宋本作令字下附`同字同)
及び煩惱所知障をば全く永しへに拔ける相と名づく。
其の所應の如く此れ若し無ければ〔=者〕是の如く
次第に雜染と還滅とは應に成ずることを得ざるべし。
何因緣故。善不善法能感異熟。其異熟果無覆無記。由異熟果無覆無記。與善不善互不
相違。善與不善互相違故。若異熟果善不善性。雜染還滅應不得成。是故異熟識唯無覆無記。
攝大乘論本卷上
◎
何の因緣の故に
善・不善法、能く異熟を感じ、
其の異熟果は無覆無記なりや。
異熟果の無覆無記と善不善と〔=與〕は互に相違せず、
善と不善と〔=與〕は互に相違するに由るが故に、
若し異熟果にして善〔或は〕不善の性ならば、
雜染と還滅とは應に成ずることを得ざるべし、
是の故に異熟識は唯、無覆無記なるのみ。
攝大乘論本卷上
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