攝大乘論:攝大乘論本所知依分第二-01/無著/三藏法師玄奘譯
底本
漢文;大正大藏
書き下し;國譯大藏經論部第十卷(國民文庫刊行會/大九・九・十六:印刷/同十九:発行/昭十・九・二十五:三版発行)
■‘攝大乘論本所知依分第二
(※「攝大乘論本」五字明本无)
此中最初且說所知依即阿賴耶識。世尊何處說阿賴耶識名阿賴耶識。
◎
此の中、最初に且らく所知依、即ち阿賴耶識を說かん。
世尊は何づれの處に阿賴耶識を說いて阿賴耶識と名づけたまへるや。
謂薄伽梵於阿毘達磨大乘經伽他中說。
無始時來界 一切法等依
由此有諸趣 及涅槃證得
◎
謂はく、
薄伽梵、阿毘達磨‐大乘經の伽他の中に於て說きたまへり、
≪無始の時より來〔このかた〕、界は
一切法の等しく依〔止する所に〕して、
此れに由つて諸趣有り、
及び涅槃をば證得す。≫
即於此中。復說頌曰
由攝藏諸法 一切種子識
故名阿賴耶 勝者我開示
◎
即ち此の中に於て、復、頌を說いて曰たまはく、
≪諸法を攝藏する、
一切種子識なるに由つて、
かるが故に阿賴耶と名づく
勝者に〔のみ〕我れ開示す。≫
如是且引阿笈摩證復何緣故。此識說名阿賴耶識。一切有生雜染品法。於此攝藏爲果
性故。又即此識於彼攝藏爲因性故。是故說名阿賴耶識。或諸有情攝藏此識爲自我故。
是故說名阿賴耶識。
◎
是の如く且らく阿ア笈ゴフ摩マを引いて證せり、
復、何の〔因〕緣の故に、此の識をば說いて阿賴耶識と名づくるや。
一切有生〔の類〕雜染品の法は、
此の攝藏に於て、果性と爲るが故に、
又、即ち此の識は彼の攝藏に於て、因性と爲るが故に、
是の故に說いて阿賴耶識と名づく。
或はの諸の有情は此の識を攝藏〔し執著〕して自我と爲すが故に、
是の故に說いて阿賴耶識と名づく。
復次此識亦名阿陀那識。此中阿笈摩者。如解深密經說
阿陀那識甚深細 一切種子如‘瀑流(※「瀑」字三本宮本作「暴」字)
我於凡愚不開演 恐彼分別執爲我
◎
復、次に此の識を亦、阿ア陀ダ那ナ識と名づく、
此の中の阿笈摩は〔=者〕、解深密經に說きたまへるが如し、
≪阿陀那識は甚だ深細にして、
一切の種子は瀑流の如し、(※「瀑」字三本宮本作「暴」字)
我れ凡と愚に於ては開演せず、
恐らくは彼れ分別し執〔著〕して我と爲んことを。≫
何緣此識亦復說名阿陀那識。執受一切有色根故。一切自體取所依故。
◎
何に緣つてか此の識を亦、復、說いて阿陀那識と名づくるや。
一切の有色根を執受するが故に、
一切の自體を取る所依なるが故になり。
所以者何。有色諸根由此執受無有失壞盡壽隨轉。又於相
續正結生時。取彼生故執受自體。是故此識亦復說名阿陀那識。
◎
所以は〔=者〕何〔如何〕ん、
有色の諸根は此の執受に由りて失壞すること有ること無く、
壽を盡くすまで隨つて轉じ、
又、相續〔識〕正に結生する時に於て、
彼の生を取るが故に自體を執受す。
是の故に此の識を亦、復、說いて阿陀那識と名づく。
此亦名心。如世尊說。心意識‘三。
(※三字三本宮本无)
◎
此れを亦は心と名づく、
世尊、心意識の三を說きたまへるが如し。
(※三字三本宮本无)
此中意有二種。第一與作等無間緣所依止性。無間滅識
能與意識作生依止。第二染汚意與四煩惱恒共相應。一者薩迦耶見。二者我慢。三者我
愛。四者無明。此即是識雜染所依。識復由彼第一依生。第二雜染了別境義故。等無間義
故。思量義故。意成二種。
◎
此の中、意に二種有り、
第一は與〔爲〕に等無間緣の所依止の性と作り、
無間滅の識は能く意識の與に生ずる依止と作る。
第二は染汙〔=汚〕の意なり、
四の煩惱と〔=與〕恒に共に相應す。
〔四の煩惱とは〕一には〔=者〕薩サツ迦ガ耶ヤ見、
二には〔=者〕我慢、
三には〔=者〕我愛、
四には〔=者〕無明なり。
此れは即ち是れ〔餘〕識の〔煩惱〕雜染の所依なり。
〔此の〕識は復、彼の第一の依生、第二の雜染に由りて境を了別す義なるが故に、
無間〔=等無間〕の義なるが故に、
思量の義なるが故に、
意は二種と成る。
復次云何得知有染汚意。謂此若無不共無明。則不得有成過失故。
◎
復、次に云何んが染汙〔=汚〕の意有りと知ることを得るや。
謂はく、
此れ若し無ければ不共無明は則ち有ることを得ず、
〔而れば〕過失と成るが故なり。
又五同法亦不得有成過失故。所以者何。以五識身必有眼等倶有依故。
◎
又、五同法も亦、有ることを得ず、
〔而れば〕過失と成るが故なり。
(所以は〔=者〕何ん。五識身、必らず眼の等き倶有依、有るが故に。)
又訓釋詞亦不得有。成過失故。
◎
又、訓釋詞(亦)有ることを得ず、
〔而れば〕過失と成るが故なり。
又無想定。與滅盡定差別無有成過失故。謂無想定染意所顯非滅盡定。若不爾者。此二種定應無差別。
◎
又、無想定と滅盡定と〔=與〕の差別、有ること無し、
〔而れば〕過失と成るが故なり。
謂はく、
無想定は染意の顯らはす所〔=所顯〕にして、
滅盡定〔は爾か〕には非らず、
若し爾らざれば〔=者〕
此の二種は定んで應に差別無かるべし。
又無想天一期生中應無染汚。成過失故。於中若無我執我慢。
◎
又、無想天、一期の生の中、應に染汙〔=汚〕無かるべし、
〔而れば〕過失と成るが故なり。
中に〔=於〕若しくは我執・我慢無からん。
又一切時我執現行。現可得故。謂善不善無記心中。若
不爾者。唯不善心彼相應故。有我我所煩惱現行非善無記。
◎
又、一切時に我執、現行すること現に〔あり〕得可き故なり、
謂はく、
善、不善、無記の心の中なり、
若し爾らざれば〔=者〕唯、不善心のみ彼れと相應するが故に
我・我所の煩惱、現行すること有るも、
善と無記と〔の心の中に於ては我我所の煩惱現行する〕に非らざるべし、
〔而れば過失と成る〕。
是故若立倶有現行。非相應現行。無此過失。
◎
是の故に若し〔一切時一切の心と〕倶(有)に現行すと立て、
〔唯、不善心とのみ〕相應して現行す〔と立つ〕るに非らざれば、
此の過失無し。
此中頌曰
若不共無明 及與五同法
訓詞二定別 無皆成過失
無想生應無 我執轉成過
我執恒隨逐 一切種無有
離染意無有 二三成相違
無此一切處 我執不應有
眞義心當生 常能爲障礙
倶行一切分 謂不共無明
◎
此の中、頌に曰はく、
≪若しくは不共無明と
及與び五同法と
訓詞と二定の別と
無ければ、皆、過失と成り、≫
≪無想生〔中〕應に、
我執轉ずること無かるべくんば過と成り、
我執、恒に隨逐して、
一切種に有ること無く、≫
≪染意を離れ、
二三有ること無ければ相違と成る、
此れ無ければ一切〔善等の〕處に、
我執、應に有るべからず≫
≪眞義の心、當に生ずべきも
〔爾らずして我執〕常に能く障礙を爲し、
一切の分に俱行す、
謂はく〔是れ〕不共無明なり≫
此意染汚故。有覆無記性。與四煩惱常共相應。如色無色二‘纒煩惱。
(※「纒」字宋元宮本俱作「㕓」字下同)
是其有覆無記性攝。色無色纒爲奢摩他所攝藏故。此意一切時微細隨逐故。
◎
此の意は染汙〔=汚〕なるが故に有覆無記性にして、
四の煩惱と〔=與〕常に共に相應す、
色無色二〔界〕の纒煩惱の如く、(※「纒」字宋元宮本俱作「㕓」字下同)
是れ其れ有覆無記性の攝なり。
色無色〔界〕の纒は奢シヤ摩マ他タの爲に攝藏せらるる〔=所攝藏〕が故に、
此の意は一切時〔一切處〕に微細に隨逐する故なり。
心體第三。若離阿賴耶識無別可得。是故成就阿賴耶識以爲心體。
◎
心の體は第三に若し阿賴耶識を離るれば、別に〔あり〕得可きこと無し、
是の故に阿賴耶識を成就して、以て心體と爲す。
由此爲種子。意及識轉。
◎
此れを種子〔の所緣處〕と爲す由つて、意及び識轉〔生〕す。
何因緣故亦說名心。由種種法熏習種子所積集故。
◎
何の因緣の故に亦は說いて心と名づくるや。
種種なる法の熏習したる種子の積集したる所〔=所積集〕なるが故なり。
復次何故聲聞乘中。不說此心名阿賴耶識。名阿陀那識。由此深細境所攝故。所以者何。
由諸聲聞不於一切境智處轉。是故於彼雖離此說然智得成。解脫成就故不爲說。
◎
復、次に何故に聲聞乘の中には
此の心を阿賴耶識と名づけ、阿陀那識と名づくと說かざるや。
此れは深細なる〔了知し難き〕境に攝せらるる〔=所攝〕に由るが故なり、
所以は〔=者〕何んとなれば、
諸の聲聞は一切の境に於て智處、轉ぜざるに由ればなり、
是の故に彼れに於て此の說を離るると雖も、然かも
智、成ずるを得、解脫成就するが故に爲には說かず。
若諸菩薩定於一切境智處轉。是故爲說。若離此智不易證得一切智智。
◎
若しくは諸の菩薩は定んで一切の境に於て智處、轉ず、
是の故に爲に說く。
若し此の智を離るれば一切智智を證得し易からず。
復次聲聞乘中。亦以異門密意已說阿賴耶識。如彼增壹阿笈摩說。世間衆生愛阿賴耶。
樂阿賴耶。欣阿賴耶。喜阿賴耶。
◎
復、次に、聲聞乘の中に亦、
異門密意を以て已に阿賴耶識を說きたまへり。
彼の增壹阿笈摩に、
世間の衆生の阿賴耶を愛し、
阿賴耶を樂ひ、
阿賴耶を欣〔よろこ〕び、
阿賴耶を喜ぶと說きたまへるが如し。
爲斷如是阿賴耶故。說正法時恭敬攝耳。住求解心法隨法行。
◎
爲斷如是の如き阿賴耶を斷ぜんが爲の故に、
〔如來〕正法を說きたまへる時、
〔世間のもの聽かんことを樂ふが故に〕
恭敬して耳に攝し、求解心に住し、法に隨つて法を行ず。
如來出世如是甚奇。希有正法出現世間。於聲聞乘如來出現。四德經中由此異門
密意已顯阿賴耶識。
◎
如來の世に出でまして、
是の如き甚だ奇にして希有なる正法、世間に出現せり、
聲聞乘の如來‐出現‐四德經の中に於て、此の異門密意に由りて
已に阿賴耶識を顯らはしたまへり。
於大衆部阿笈摩中。亦以異門密意說此名根本識。如樹依根。
◎
大衆部の阿笈摩の中に於ても、
亦、異門密意を以て此れを說いて根本識と名づけたまへり。
樹の、根に依るが如し。
化地部中亦以異門密意說此名窮生死蘊。
◎
化地部の中にも亦、異門密意を以て此れを說いて窮生死蘊と名づく。
有處有時見色心斷。非阿賴耶識中彼種有斷。
◎
有る處、有る時に色心、斷〔絕〕するを見るも、
阿賴耶識の中の彼の種〔子〕斷〔絕〕することあるに非らず。
阿賴耶如是所知依。說阿賴耶識爲性。阿陀那識爲性。心爲性。阿賴耶爲性。根本識爲性。窮
生死蘊爲性等。由此異門阿賴耶識成大王路。
◎
阿賴耶は是の如く所知依なり、
阿賴耶識を性と爲し、
阿陀那識を性と爲し、
心を性と爲し、
阿賴耶を性と爲し、
根本識を性と爲し、
窮生死蘊を性と爲す等と說く。
此の異門に由つて、阿賴耶識を大王路と成す。
復有一類。謂心意識義一文異。是義不成意識兩義差別可得。當知心義亦應有異。
◎
復、一類有り、
謂はく、
心意識は義一にして文異なる。
是の義、成ぜざれば、意識兩義の差別〔あり〕得可く、
當に知るべし、心の義も亦應に異りあるべしと。
復有一類。謂薄伽梵所說。衆生愛阿賴耶。乃至廣說。此中五取蘊說名阿賴耶。
◎
復、一類有り、
謂はく、
薄伽梵の說きたまへる所〔=所說〕の、
衆生の愛する阿賴耶、乃至、
廣く說かば此の中の五取蘊をば說いて、阿賴耶と名づくと。
有餘復謂。貪倶樂受名阿賴耶。有餘復‘謂。
(※謂字三本宮本俱作有字)
薩迦耶見名阿賴耶。
◎
餘〔師〕有り、
復謂はく、
貪と倶なる樂受を阿賴耶と名づくと。
餘〔師〕有り、
復謂はく、(※謂字三本宮本俱作有字)
薩サツ迦ガ耶ヤ見を阿賴耶と名づくと。
此等諸師由敎及證愚於藏識故。作此執。
◎
此れ等の諸師は教及び證に由るも、
藏識に〔=於〕愚なるが故に此の執〔見〕を作す。
如是安立阿賴耶名隨聲聞乘。
安立道理亦不相應。若不愚者取此藏識安立。彼說阿賴耶名。
如是安立則爲最勝。
◎
是の如く阿賴耶の名を安立するは聲聞乘に隨へり、
安立する〔ところの〕道理も亦、相應せず。
若し愚ならざる者は此の藏識を取つて彼れを安立して阿賴耶の名を說く。
是の如く安立すれば則ち最勝なりと爲す。
云何最勝。若五取蘊名阿賴耶。生惡趣中一向苦處最可
厭逆。衆生一向不起愛樂。於中執藏不應道理。以彼常求速捨離故。
◎
云何んが最勝なりや。
若し五取蘊を阿賴耶と名づくれば、
惡趣の中の一向〔ひとへ〕に苦なる處に生まるれば、
最も厭逆す可く、
衆生、一向に愛樂を起こさず、
中に於て執藏することは道理に應ぜず、
彼れに常に速やかに捨離せんことを求むるを以ての故なり。
若貪倶樂受名阿賴耶。第四靜慮以上無有。具彼有情常有厭逆。於中執藏亦不應理。
◎
若し貪と倶なる樂受を阿賴耶と名づくれば、
第四靜慮以上には〔之れ〕有ること無く、
彼れを具〔有〕せる〔第三靜慮以下の〕有情は
〔上に生まれんことを求むるが故に〕常に
〔貪と俱なる樂受に對して〕厭逆すること有り、
中に於て執藏することは亦、理に應ぜざるなり。
若薩迦耶見名阿賴耶。於此正法中信解無我者恒有厭逆。於中執藏亦不應理。
◎
若し薩迦耶見を阿賴耶と名づくれば、
此の正法の中に於て、
無我を信解する者は恒に厭逆すること有り、
中に於て執藏することは亦、理に應ぜざるなり。
阿賴耶識内我性攝。雖生惡趣一向苦處。求離苦蘊。然於藏識我愛隨縛未
嘗求離。雖生第四靜慮以上。於貪倶樂恒有厭逆。然於藏識我愛隨縛。雖於此正法信解
無我者厭逆我見。然於藏識我愛隨縛。是故安立阿賴耶識。名阿賴耶成就最勝。
◎
阿賴耶識は内我の性に攝す、
惡趣の一向に苦なる處に生まれ、苦蘊を離るることを求むと雖も、
然かも藏識に於て我愛隨縛して未だ嘗て離るることを求めず。
第四靜慮以上に生まれて貪と倶なる樂に於て恒に厭逆すること有りと雖も、
然も藏識に於て我愛、隨縛し、
此の正法に於て無我を信解する者は我見を厭逆すと雖も、
然も藏識に於て我愛、隨縛す、
是の故に阿賴耶識を阿賴耶と名づくと安立して最勝なることを成就す。
如是已說阿賴耶識安立異門。安立此相云何可見。安立此相略有三種。一者安立自相。二者安
立因相。三者安立果相。
◎
是の如く已に阿賴耶識を安立する異門を說けり、
此の相を安立することをば云何んが見る可きや。
此の相を安立するに略して三種有り。
一には〔=者〕自相を安立し、
二には〔=者〕因相を安立し、
三には〔=者〕果相を安立す。
此中安立阿賴耶識自相者。謂依一切雜染品法。所有薫習爲彼生因。由能攝持種子相應。
◎
此の中、阿賴耶識の自相を安立するは〔=者〕、
謂はく、
一切雜染品の法の所有の薫習に依つて、
彼の〔雜染法の與に能〕生の因と爲るなり、
能く〔雜染法を生ずる〕種子を攝持し、相應するに由る。
此中安‘立阿賴耶識因相者。
(※立阿明本作夾註)
謂即如是一切種子阿賴耶識。於一切時與彼雜染品類諸法現前爲因。
◎
此の中、阿賴耶識の因相を安立するは〔=者〕、
(※立阿明本作夾註)
謂はば即ち是の如き一切種子の阿賴耶識は、
一切時に於て彼の雜染の品類の諸法、現前するが與〔爲〕に因と爲るなり。
此中安立阿賴耶識果相者。謂即依彼雜染品法無始時來所有薫習。阿賴耶識相續而生。
◎
此の中、阿賴耶識の果相を安立するは〔=者〕、
謂はく、
即ち彼の雜染品の法の、
無始時より來のあらゆる〔=所有〕熏〔=薫〕習に依つて
阿賴耶識、相續して〔=而〕生ずるなり。
復次何等名爲薫習。薫習能詮何爲所詮。謂依彼法倶生倶滅。
此中有能生彼因性。是謂所詮。如苣‘蕂中有花薫習。
(※「蕂」字宋元宮本俱作「勝」字下同)
苣蕂與華倶生倶滅。是諸苣蕂帶能生彼香因而生。
◎
復、次に、何等をか名づけて熏〔=薫〕習と爲すや。
熏〔=薫〕習は能詮なり、
何をか所詮と爲すや。
謂はく、彼の法、倶に生じ倶に滅するに依つて、
此の〔阿賴耶識の〕中に
能く彼〔の雜染の諸法〕を生ずる因性あり、
是れを所詮と謂ふ、
苣勝〔=蕂〕〔胡椒〕の中に華〔=花〕の薫習有るが如し。(※「蕂」字宋元宮本俱作「勝」字下同)
苣勝〔=蕂〕と〔=與〕華に倶に生じ倶に滅す、
是の諸の苣勝〔=蕂〕は能く彼の香を生ずる因を帶して〔=而〕生ず。
又如所立貪等行者。貪等薫習。依彼貪等倶生倶滅。此心帶彼生因而生。或多聞者多聞薫習。依聞
作意倶生倶滅。此心帶彼記因而生。
◎
又、所立の貪等を行ずる者の、貪等の薫習の如し、
彼の貪等、倶に生じ、倶に滅するに依つて
此の心に彼の〔貪等〕生ずる因を帶して〔=而〕生ず、
或は多聞の者の、多聞の薫習〔の如し〕、
聞く作意、倶に生じ倶に滅するに依つて
此の心に彼の〔聞きたるを〕記する因を帶して〔=而〕生ず。
由此薫習能攝持故。名持法者。阿賴耶識薫習道理。當知亦爾。
◎
此の薫習は能く〔諸法を〕攝持するに由るが故に
法を持〔たもつ〕者と名づく。
阿賴耶識の薫習の道理も當に知るべし、亦爾なりと。
復次阿賴耶識中諸雜染品法種子。爲別異住。爲無別異。非彼種子有別實物。於此中住
亦非不異。然阿賴耶識如是而生。有能生彼功能差別。名一切種子識。
◎
復、次に阿賴耶識の中の諸の雜染品の法の種子を、
別異にして住すと爲し、
別異無しと爲す、
彼の種子は〔阿賴耶識の外に〕別の實物有るに非らず、
此の〔阿賴耶識の〕中に於て住し亦、
異ならざるに非らず、
然も阿賴耶識は是の如くして〔=而〕生じ、
有能く彼〔の諸法〕を生ずる功能の差別有るを、
一切種子識と名づく。
復次阿賴耶識與彼雜染諸法。同時更互爲因。云何可見。譬如明燈焰炷生燒同時更互。
◎
復、次に阿賴耶識と彼の雜染の諸法と〔=與〕
同時に更互〔二字たがひ〕に因と爲ることをば、
云何んが見る可きや。
譬へば明燈と焰と炷〔しゆ〕との如し、
生じ燒くること同時にして更互〔に因と爲る〕なり。
又如蘆束互相依持同時不倒。
◎
又、蘆束の如し、
互に相ひ依持すること同時にして倒れざるなり。
應觀此中更互爲因道理亦爾。如阿賴耶‘識爲雜染諸法因。
(※「識」字三本宮本无)
雜染諸法亦爲阿賴耶識因。唯就如是安立因緣。所餘因緣不可得故。
◎
應に觀ずべし、
此の中、更互に因と爲る道理も亦爾り。
阿賴耶識〔の種子〕は雜染の諸法の因と爲り、
(※「識」字三本宮本无)
雜染の諸法も亦、阿賴耶識の〔種子〕の因と爲るが如きなり。
唯、是の如きに就いてのみ因緣を安立す、
所餘の因緣は得可からざるが故なり。
云何薫習無異無雜。而能與彼有異有雜諸法爲因。如衆纈‘具纈所纈衣。
(※「具」字元明本俱作「俱」字)
當纈之時雖復未有異雜非一品類可得。入染器後爾時衣上便有異雜非一品類。染色絞絡文像顯現。
阿賴耶識亦復如是。異雜能薫之所薫習。於薫習時雖復未有異雜可得。果生染器現前
已後。便有異雜無量品類。諸法顯現。
◎
云何んが薫習は異り無く雜り無きに、
而も能く(彼の)異り有り雜り有る諸法の與〔爲〕の因と爲るや。
衆の纈具〔けつ‐ぐ〕纈所〔‐しよ〕纈衣〔‐え〕の如し、(※「具」字元明本俱作「俱」字)
之れを纈〔結〕ぶ時に當たりて、
復、未だ異雜にして非一なる品類の得可きに非らずと雖も、
入染器に入れたる後、爾の時、衣の上に便ち
異雜にして非一なる品類の、染色絞〔かう〕絡〔かく〕文像ありて顯現す。
阿賴耶識も亦、復、是の如く
〔善不善の〕異雜なる能薫に〔=之〕に熏習せられる〔=所薫習〕、
薫習せる時に於て、
復、未だ異雜の得可きあらずと雖も、
果生じ、染器現前せる已後は便ち、
異雜無量なる品類の諸法有りて顯現す。
如是緣起。於大乘中極細甚深。
◎
是の如き緣起は、大乘の中に於ては、極めて〔微〕細なり、甚だ深し。
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