流波 rūpa ……詩と小説146・流波 rūpa;月。ガンダルヴァの城に、月 ver.1.01 //亂聲;偈53前半
以下、一部に暴力的あるいは露骨な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
また、たとえ一部に作品を構成する文章として差別的な表現があったとしても、そのようなあらゆる差別的行為を容認ましてや称揚する意図など一切ないことを、ここにお断りしておきます。またもしもそのような一部表現によってあるいはわずかにでも傷つけてしまったなら、お詫び申し下げる以外にありません。ただ、ここで試みるのはあくまでも差別的行為、事象のあり得べき可能性自体を破壊しようとするものです。
あるいは、
ただささやき聲にのみ
語っておこうか?…なぜ?
それのみが、≪流沙≫
ふさわしいから
なぜ?たぶん、もう
語るべきものさえ
なにもなかった
しかもささやき
もはや消えそうな聲にのみ
語っておこうか?…なぜ?
それのみが、≪流沙≫
似つかわしいから
なぜ?たぶん、その
たばひろがる空隙さえ
いたましいから
耐えられないから情熱。…と、情熱、情熱、情熱、まさにそう呼ぶしかないそんなこころのそんな情熱。昂揚を、だからそれは情熱。しかしこころは冴えたままに情熱。ひとり、しろい、その衛生的な空間のなかに?息遣いは装置。肉体は完全なる装置だから。しかも不完全な?永遠に?その部屋。しろい部屋。ひとり、死んだから。妹さえも。もとから?あるいは死んでいたから?わたしも?…だれ?…ひとり?…だれ?いつ?ひとり、だから…なに?そこで勝手に他人の血に染まっていた≪流沙≫。まだ≪流沙≫たり得る可能性のきざしにさえふれていなかった≪流沙≫。だからその十五歳の≪流沙≫は血まみれ。ただもう兩手さえ血まみれ。頸さえももう、足さえも血まみれ。あるいは息遣い。それらもしくは息吹きもなにも台無しにも血まみれの≪流沙≫。かれは見られているしかない。ふいにわたしたちにおそいかかった、そんな惨劇の風景のなかに、ただせめてもほほ笑みながら≪流沙≫。かれを見つめていたわたしに。それは…だれ?
やさしい歌を
空はいたましい
夜明け。だから
やさしい歌だけ
なぜ?
…いつ?それは
やさしい歌を
その色彩さえ失うから
すでに≪流沙≫たり得ていた≪流沙≫。しかも
歌っていないか?
いま
≪流沙≫であるという圧倒的な事実に気づきもせずにその≪流沙≫。ささやく。なに?聞き取れなかった。ほほ笑みのままに、…なに?燃えた。問いかけようとしたわたしの聲の発される寸前にかれ。その≪流沙≫。もう≪流沙≫でさえなくなる≪流沙≫はだから…いつ?それは十九歳だった。その、ひさしぶりの再会の≪流沙≫。やがて≪流沙≫になるべきもうひとつの再会の直前の待機には気づいていなかった≪流沙≫。そして、わたし。渋谷であまりにも、まるで昨日別れたひととのように?…笑み。ただの笑い。おしゃべり。内容のない、しかもめったにない偶然。奇蹟?奇蹟として?こんな、大量の人口の容赦ない密度のなかで。…事実、ほんとうに昨日、別れたばかりの友人とさえそんな偶然をもったことなどほとんど、…なに?すくなくともわたしはすべての日、ものごころついてからのすべての日のすべての外出の時間を分母として、そんな偶然など二、三度しか…なぜ?
せつない歌を
海はいたましい
わたしたちは出逢ったのだろう?…なぜ?
せつない歌だけ
なぜ?
別れも告げずに
せつない歌を
その色ぃっぱいらんげっなうばっ
かれの前からすがたを消した
聞いていないか?
いま
十七歳の日。あの日。その日から、そしてまるでそんな空白などなかったかのありふれた自然さに「雅雪」と、その聲をまなざしの正面に聲。聲。聲。…なに?聲をかけられたその時にはすでに≪流沙≫と、わたしは、だからそしていまだ≪流沙≫ならざる≪流沙≫。その実名のほうの、しかも親しい呼び名のほうを呼んだには違いなくも、「…なに?」
「≪流沙≫?」
「雅雪なの?」
ここにいますよ
なんですか?なに?
「まじだ…」
「ほんとに?」
ここにいますよ
だれですか?だれ?
「なんか、信じられないね、」と、たとえば、そんな。だからこうした一連の会話。そのときにさえもふりそそいでいたのは日差し。燦燦と?…もしくは、やややわいだ、つまり、昨日よりは?…もしくは、もう、消えそうなまでに、かすかな?…もしく凍てつき、こごえ、もう凍えられないでいられたものなどなにも、いま、もうなにもないと?…まさか。…記憶。わたしは記憶しない。その日の天気は。慥かに夏だった。だから仮りにそれが八月だったとして、朝だった。たぶん。そんな、だから半分以上を記憶のない、もはや完全に色彩さえない、謂わばなにもかも執拗な翳り。翳り。それら翳りのなかに見い出す以外にすべのない
かがやかしいのは
芽生えよ。いま
記憶。そんな記憶。しかも
きみの肛門
夏の光りに
それでも猶もあざやかな、ただ赤裸々な息遣いを、息吹きを、その実在をのみわたしにいまも感じさせるのは≪流沙≫。それはそんな≪流沙≫とわたしとの奇蹟的な再会の
かぐわしいのは
目醒めよ。いま
記憶。なに、な
きみの脱糞
夏の氾濫
なにやってるの?…お前は?…なに?…まじ?ええ?そう?まじなの?うそ?まじまじ。そうなの?そうそう?そうそうそうそうそれら、そんな言葉の響きの隙きま隙きまにかわされた、ふたりの現状。その情報交換。なつかしい?あるいは不意になつかしさ。咬み、咬みつくような?そのまなざし。それはもう、ただなつかしいだけのまなざしは翳り、翳らせて?…なぜ?なぜだろう?なつかさ。なぜ、そのときにまなざしはあかるくしぃっしぃっしぃっ飛び、笑いに飛び、聲の死者ら。それらみだれにも飛んで飛び、飛び散りながらもしぃっしぃっしぃっかも猶も翳り。共存。かさなりあい?翳り。あの死者たちのように?だからその再会の死者ら。それら色彩もない≪流沙≫は死者ら。それら翳りなしささやく、「心配ないから、…ね?」と。
死者ら。それら
予感。あっ…
すこし。すこしだけ
色彩もない死者ら
と、このまま
かなしみ?もう
それら翳りなし
このまま、おれ
恥じらいさえない
死者ら。それら
ここで泣いちゃうのかな?
かなしみ。だから赤裸々な
孔ひらく死者ら
あられもなく
かなしみに傾き、
それらゆらぎあう
そうなんかな?
それは≪流沙≫。まさにその聲。「なにが?」
…ね?ねねっ
「なにも、」
ねねねっ。…んね?
「心配ないから、」と、そしてその≪流沙≫。かれはおもむろに伏せていた顏をあげた。たぶん、その再会の瞬間以來、はじめてかれはわたしの顏を直視したのだった。たぶん、それは≪流沙≫。まちがいなくその見つめていた虹彩にはかれ自身。≪流沙≫。それは≪流沙≫の翳り。そしてなになになにを?≪流沙≫。…と、しかもさまざまななに見てんのなに?色彩。かたち。…と、の、それら反映のなになになに?綺羅が散り、≪流沙≫。かれはなに見てんのなに?わたしを見つめているという事実にもいまだ気づかずに≪流沙≫。あなたが見ていたものはなに?白濁。…だれ?散らされ、白濁。散らさせ、白濁。散らし、撒き散らしていたはずの瞳孔。ただ≪流沙≫。そのかれをだけ見つめていたそれ。「おかあさんのこと、」と。
そう云ったかれの言葉を聞き取り、理解するや否やわたしはすでに「…瑞穂を?」と、いま仮りにここでそう名づけておく母の名。それは。それを、もちろんそこではその実名のほうで呼んだ。呼び捨て。なぜ?なぜならそれがいつものわたしのかれと楓に於ける流儀だったから。まるで彼女の事を軽蔑し、憎んでさえいたかのように。しかも実にはただ、あまりにも素直に愛していただけだったのに?
「おかあさん、…瑞穂さんの、」
だれ?…だれだれ?
なつくかしくない?
「なに?」
なに?…なになに?
おれら、こんなに
「お葬式…」
どれ?…どれどれ?
狎れあってんの、なっ
「死んだの?…」と、その聲。慥かにそれはわたしにとってこの日いちばんの衝撃だったに違いない。不本意ながら。しかも母を傷つけたいと思うことなどいちどもなく、しかしあえてなにも云わずに、…逃げ去るように?…捨て去るように、別れて仕舞って以來、連絡など。だからどの面さげて?…知らなかった。わたしはその死。かの女の死。その殘酷すぎる事実をは。
いま、空が
「知らなかったんだ…」そう、
昏くなったよ。いま
もはや完全にその
空が。燃え
眼差しを翳らせてただ
燃え上がったよ。いま
いたましいほどに≪流沙≫。
空が。くだっ
数度だけのはげしい
くだけ散ったよ。いま
まばたき。その≪流沙≫。かれは
空が。くじぃぅっ
やがてつぶやく。そして目を伏せる。わたしの心には傷み。その逸らされた眼差しに、だからもう、そこにおいてけぼりにされて仕舞ったかのような?
泣かなくていいよ
でもね、ほら
傷み。そ
おれのために
虹、きれーじゃね?
そして須臾の沈黙にふたたび陥りかけていた≪流沙≫。かれ。その≪流沙≫はふいにわれに返る。唐突に。そしていきなりの沈黙。あきらかな沈黙。…意志?それ、意志?なに?まるでひとりだけ自分で自分を他人の無数のまなざしのまえに舐めまわすような?そんな?なに?…陰湿な。だからその沈黙に、ほんのわずかなあいだだけ≪流沙≫。かれはひとりでそれに入り込むのだが、「…幸せそうな、葬儀だった」と、…こんにちわ
ここにるよ
冴えた月虹
だからそれは、…こんっ
ぼく。…ね?
冴え、冴え、冴え
そんな——どんな?…こんぬもはや
ここにいたよ
月虹とみなも
ことさらにもただ、やさしげな、…なに?≪流沙≫。
「幸せそうって?…」
「なんか、な、なぜ?…って、な」
ざわめきのなかに
瞼にも
「なに?」
「なぜって、そんな、そういう」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「なにそれ?」
「そういうわけ、じゃ、なく、て、さ。でも」
その孤立
感じられて
「…ね、そもそも」
「おれ、…ね?なんか、…ね?」
なにに引き離され
なぜ?
「ね、ごめん。話し、とば」
「なんでだろう?…おれの家の、さ。」
だから孤独というわけでもなくて
思わずたのしくなったのだろう?
「とばっ」
「こと。あれがあったあとだったから?」
ざわめきのなかに
睫毛には
「飛ばさないで。ごめん、話、」
「あんな、…だから、あんな」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「とばっ」
「実は、…ね?」
その孤立
時にゆらいで
「でもそうかもしれないし、そうじゃ」
「ごめん。…おれ、」
だれもわたしたちを記憶しないだろう
なぜ?
「じゃ、ないかもしれない。けど」
「あいつの死…死?」
だれをもわたしたちは記憶しなかっただろう
ふいに笑いそうになったのだろう
「なんか、これはこれで、さ」
「しらっ。し、」
ざわめきのなかに
まなざしのなかに
「幸せな葬儀なのかもって…」
「ぜんぜん知らなかったんだよ。おれ」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「違う。…じゃなくて、」
「なに?…いま」
その孤立
ざわめいていて
「そうじゃなくて、」
「なに、否定したの?…なに?」
いたましいほどに
なぜ?
「死んだ方良かったんじゃないとか?…そういう、」
「…ね?」
際立っていたのだろう
いきなり、かなしくなったのだろう?
「死んで、それが良かった?そういう、」
「なんか、隠してない?」
わたしたちさえ
白濁した肌。それらすべて
「違う。そうじゃなくて、それでも」
「あいつ、どんなふうに、…ね?」
いたましいほどに
光り。光りら
「ごくわずかの近所のひとたち」
「いつ?…いつなの?」
際立っていたのだろう
やわらかなあたたみ
「それだけの葬儀だったにしても」
「なんで?…なんでなの?」
知らなかった
なぜ?
「ささやかな、…せめてもの?」
「どんなふうに?あいつ、どんな」
そんな際立ちなど
その事実さえもが信じられない気がしたのだろう?
「きれいに、かざられて」
「どうやって死んだの?」
ざわめきのなかに
あらゆるものに
「それも、もちろん、あるいは、さ」
「なんで?」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「義務感?…憐れみ?」
「病死?」
その孤立
その翳りさえ
「そういうのに駆られただけだったり?」
「事故死?」
ひびきは猶も
なぜ?
「それも一面の事実。たしかに、」
「なんなの?…まさか」
それでも猶も
もはや綺羅めきにすぎなく感じられたのだろう?
「放っとっけないわけでしょ。…だれかが」
「殺されてないよね?」
ざわめきのなかに
あなたの聲に
「でも、ひとりで、だれも」
「じゃ、…なに?」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「見送るひとさえだれもいなかったわけじゃない。だから、」
「自殺なの?」
その孤立
わたしはひとり
「…いや。惡いこと。あれ。あってはならないこと。でも、」
「…じゃないよね?…ね」
永遠に?…かさなりあうすべもなく
なぜ?
「一人息子の、そして」
「なんでだろう?」
もはや巨大な塊りにすぎないままに
目をそらせなくなっていたのだろう?
「いちばん、大切だったはずの」
「なに、おれ、ひとり分からないんだろう?」
ざわめきのなかに
あなたのささやきに
「…そのかたちはどうであれ、」
「おれ、想像できない…」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「こころから愛してた人の手のぬくもり。その、」
「あいつの、死」
その孤立
それでも猶も
「だから、最後の時。…でしょ?」
「たとえば事故死でも、」
ささやくあなたの聲だけを?
なぜ?
「最後の息。そのそばに、」
「病死でも、」
まさか。むしろ
ただほほ笑んでいたのだろう?
「いのちを捧げた、…そんな?」
「ぜんぜん理解できない」
ざわめきのなかに
うごく唇に
「でも、それってさ、」
「ぜんぜん、おれ、いま、…なに?」
孤立。わたしたち
光り。光りら
「それはそれで、…ね?」
「自殺?…まさか。そんな」
その孤立
慥かにそれを見つめながら
「こう思うべきかもしれない。それは」
「自殺なんて、絶対に想像」
ひらき、閉じ
なぜ?
「ひとつのしあわせのかたちだった、とそれでも」
「じゃ。…なに?」
そのあなたの唇を見い出したまま
そのひびきとの乖離だけを見取って仕舞っていたのだろう?
「おれたちは、慥かに」
「なに云ってるの?…お前」そうつぶやく「もはや完全、意味わからない」眼差しは、やがてふたりともなって落ちたふいの、…なに?沈黙?なぜか焦燥さえもない、なぜ?だからなにもない沈黙のうちに、そしてその虹彩。≪流沙≫。そのかれのそれ…なに?虹彩。虹彩。虹彩。それがわたしだけからしだいに逸れていくうごき。いとおしかった。…なぜ?わたしはただ、…なに?いとおしく見つめた。忘れて。息を殺すことさえも。慥かに、その忘失に気づきはしないまま、忘れて。≪流沙≫、いずれにせよその、かなしげな≪流沙≫。その≪流沙≫。まばたいた不意打ちの≪流沙≫。だからかれが思わずそこに咬んだかなしみは、…くちびる。たぶん、…ひらきかけた
火を放て
すべての精神科医は
その≪流沙≫…くちびる。かれの
曠野に
こころなど見ない。なぜなら
回想する母。…だれ?
蟋蟀たちが
かれ?…かのじょ?
かの女の死。そして
せつなく、いま、啼く
そいつにもとから目などないから
その顚末とが、だから唐突にかれに…理不盡に?与えて仕舞ったにちがいなかった悲しみ。しかも回顧的で。かつ現在形のままに。なら、母の死はあるいは悲惨で悲劇だったのかも知れない。わたしはもう無理に知ろうとはしなかった。≪流沙≫。その眼の前にこわれそうな≪流沙≫のために。≪流沙≫。かれがあくまでもすべてそれとない暗示にとどめるなら、そしてそうでなければならのなら、またはそれがかれの選択であるというのなら、ただ尊重されるべきだった。そう思った。かれの真摯な気遣いこそ、そこにあったにちがいないから。わたしには、だから≪流沙≫。ひそやかな、もう
火を放て
すべての詩人は
ひそめられない歎きの
大空に
うつくしい一行さえつぶやかなかった
≪流沙≫。そのかれの、
目覚めたいくつもの鶯たちが
かれ?…かのじょ?
いつくしみ?
淚、こぼした
そいつにもとから頭部などないから
台無しにして仕舞うなど。かれがわたしにだけささげてくれていたやさしいさ。それを拒絶し、ぶち壊して取り返しのつかない殘骸にして仕舞うなど。無理だった。嫌惡さえした。やさしい≪流沙≫。その、泥まみれのやさしさの崩壊。それこそわたしにとって本当の悲劇にほかならなかった。だからただ、わたしは殉じた。かれのあり得ない鮮度のやさしさに、そこに、≪流沙≫。いたわりのひと。それが≪流沙≫。あり得ない明度で眼の前に息づかう≪流沙≫。その、かれの。ただひとつ、例外。その時の。それはふいに振り向きざまにこんなつぶやきをもらしてしまったその一刹那、つまり、「それ、いつのはなし?」と、だから、「え?」と、それ。まなざし。虹彩。綺羅。そこに、それは腑に落ちない唐突な≪流沙≫。…え?…と、「なに?」
「それ、…母の、かの女の埋葬…」ああ、…と、その如何にも怪訝な≪流沙≫。笑って仕舞いそうになるほどに。そのかれは、だからとつとつと思い出しながら途切れ途切れに、「さっきの、…あれ?」
「あれ、いつの話?」
「いつ?」
「いつ?」
「一週間後…」と、それは、やがて故意にあかるい聲をつくった≪流沙≫。だからもはや決然としたあかるさの≪流沙≫。あらゆるすべての昏みも翳りも排斥しようとした決意の須臾。その≪流沙≫。だから聲。あまりにも赤裸々にあかるい、あかるい、あかるいだけの聲。「雅雪がいなくなって、それから、もう、警察から遺体が戾って來て、それで、慥か一週間くらいたった、…そんな、とき?」と、やがてそれは、だからもう息吹き。呼吸音そのものに、だれの?それはあくまでも、あきらかに≪流沙≫。あかるい≪流沙≫。まだ自分がやがて≪流沙≫になるという現実の、現実化するという事実などなにも知らないでいられた≪流沙≫。だからその日、あまりにも快活だった≪流沙≫。いつか、もう、迷い込むように明治神宮に、立ち入り禁止の?…とは、慥かいちいち歌っていなかったはずの、しかし確実にだれも侵入しはしないそこ。いわば、渋谷に唐突に出現する樹海。ちいいさな、ちいさな、だから樹海の海に対比して仕舞えばもはや、水たまりにも相等しない程度の、そんな海。参道をはずれてだから海。忍び込んだ樹木の密集。それは猶も、猶も、仮りにそれをここで…海。渋谷の海と呼んで置くなら、その海にわたしたちはしかも光り。だから、それら
「いいよ…いんだよ…ね。聞こえる?」と、ささやき。光り。波?それら、木漏れ日のすさまじく…光りらの、波?厖大な光り、綺羅、それらの直射に海。海。海。その渋谷の
「聞こえる?…、まだ、」と、…海。それは
「聞こえてる?…雅雪」だから≪流沙≫。その
「関係ないんだ。きみが、雅雪」
ささやき聲。海に
「…お前が、…雅雪」
ひびく、≪流沙≫
「いくらおれたちを、…雅雪。」
その、まだ≪流沙≫はだから
「おれたちの周囲を…雅雪」
その赤裸々な
「おれたちぜんぶごと血まみれに、」
海の光りら。それら
「…に、しても。…雅雪」
それらのただなかに、もう
「すべて、まるで」
わたしだけを、そこに
「すべてがきみに、…雅雪」
置いてけぼりにして仕舞ったかのような、しかし、
「…お前にだけにこの世界のすべては、…雅雪」
耳元に鳴る、鳴り、鳴りつづける、鳴りつづけてひびき、
「捧げられているかのように、…雅雪」
ひびきつづけひびいていた、≪流沙≫、その
「おれは、おれたちはべつに、…雅雪」
微弱音。まるでのちの≪流沙≫。かれの
「それで…それで、雅雪」
音楽のように、もう
「いいんだ。そのせいで、いくら…雅雪」
耳にふれた瞬間から耳孔に
「おれが、いくらおれたちが、…雅雪」
かき消えてゆく、だから
「慥かに傷を負って、…雅雪」
それは、すでにどうしようもない滅びかけの
「ただきみの、…お前のせいでだけ、…雅雪」
聲。光りは、しかも、
「おれたちが、…雅雪」
あまりにも
「傷だらけに、この世の辛酸の…雅雪」
清潔に、そして、その
「だから、その底に、…雅雪」
聲の四方に
「のたうち回ったとしても、…雅雪」
まるで掩うように鳴りひびいているのは
「ね?…雅雪」
鳥。鳥ら。鳥たちの
「それでいいんだ。…雅雪」
風の、風の葉と枝たち。それら。それらの
「たとえきみが、…お前が、与えたのがただ、…雅雪」
ひびき。そして
「苦痛と、…雅雪」
さらには遠くに無数の
「絶望と、…雅雪」
聲?ひとの…だからひとびとの?もうひとの聲とも聞き取れない
「無慈悲と、…雅雪」
すがたのないひびき。なに?…ノイズに?…すぎなかった?
「暴力と、…雅雪」
それら
「破壊。…雅雪」
ひびき。海に。光りらの海。そのなかに
「それら以外のなにものでもなかったことこそ事実だったとしても、雅雪」
聞いていた。その、あお向けた血まみれの…なぜ?
「おれは、おれたちは…雅雪」
もう≪流沙≫になり得もしないはずの
「…ね?それでいい、雅雪」
まだ≪流沙≫ではない≪流沙≫、なぜ
「おれは、おれたちはただ、きみを、…お前を愛したから」
「生きてる?…≪流沙≫」と。ささやいた。そのひびき。それはわたし。だから、わたしの耳にたしかに聴き取られたのはその、…なに?わたしの聲。どんな?…忘れた。どんな?…≪流沙≫に…なぜ?ささげるとも、ささげないともない、もう、だれに向けたつぶやきなのかさえも。ただ分からなかったそれは、しかしあくまでも聲。わたしの聲。なぜならもう、その≪流沙≫がその静止したくちびるをふたたび動かすとは想えなかったから。わたしは、だからもうなにかを確認する意図さえもなくて、ただ、漏れだすような溢れだし。やさしさの。こぼれだすような溢れだし。ただ純粋なやさしさ。溢れ溢れかえりもはや暴流にすぎないやさしさ。むしろ純情すぎたくらいの。恥ずかしいくらいの。≪流沙≫。かれ、ついに≪流沙≫になることのなかった≪流沙≫。そのくちびるに指先をふれる、謂く、
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