中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀邪見品上・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(32)
中論卷の第四
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
■中論觀邪見品第二十七//三十一偈
問曰。已聞大乘法破邪見。今欲聞聲聞法破邪見。答曰。
◎
問へらく〔=曰〕、
「已に大乘法に邪見を破すを聞けり。
今、聲聞法に邪見を破すを聞かん〔=欲〕」と。
答へらく〔=曰〕、
我於過去世 爲有爲是無
世間常等見 皆依過去世
我於未來世 爲作爲不作
有邊等諸見 皆依未來世
我於過去世。爲有爲無。爲有無爲非有非無。是名常等諸見依過去世。我於未來世。爲作爲不作。爲作不作爲非作非不作。是名邊無邊等諸見依未來世。如是等諸邪見。何因緣故名爲邪見。是事今當說。
◎
≪我〔が〕、過去世に〔=於〕
有とせ〔=爲〕ん、(是)無とせ〔爲〕ん
世間の常等の見
皆に過去世に依る
我、未來世に〔=於〕
作すとせ〔=爲〕ん、作さずとせ〔=爲〕ん
有邊等の諸見
皆に未來世に依る≫
「我、過去世に〔=於〕有とせ〔=爲〕んも、無とせ〔=爲〕んも、有無とせ〔=爲〕んも、非有非無とせ〔=爲〕んも是れら、常なり等の諸見は過去世に依れりと名づく。
我、未來世に〔=於〕作すとせ〔=爲〕んも、作さずとせ〔=爲〕んも、作し作さずとせ〔=爲〕んも、作すに非らず作さざるにも非らずとせ〔=爲〕んも是れら、邊・無邊等の諸見は未來世に依れりと名づく。
是の如き等の諸邪見、何の因緣の故に名づけ邪見としたる〔=爲〕。
是の事、今當に說かん。
過去世有我 是事不可得
過去世中我 不作今世我
若謂我即是 而身有異相
若當離於身 何處別有我
離有無身我 是事爲已成
若謂身即我 若都無有我
但身不爲我 身相生滅故
云何當以受 而作於受者
若離身有我 是事則不然
無受而有我 而實不可得
今我不離受 亦不即是受
非無受非無 此即決定義
我於過去世有者。是事不然。何以故。先世中我不即作今我。有常過故。若常則有無量過。何以故。如人修福因緣故作天而後作人。若先世我即是今我者。天即是人。
◎
≪過去世に有我なる
是の事、不可得
過去世中の我
今世の我と作らず
若し我、即是れにして
〔=而〕その身に異相有りと謂はば
若し當にその身を〔=於〕離れ
何處に別に我有る
身の有無を離れたる我
是の事、已に成ずとし〔=爲〕
しかも〔=若〕この身即ち我なりと謂はば
(若)都べての我有ること無し
但に身のみ我とせ〔=爲〕ず
身相生滅するが故に
云何んが當に受くるを以て
(而)受者と〔=於〕作す
(若)身を離れ有我なる
是の事則ち然らず
受無くて〔=而〕有我
(而)實には不可得
今の我、受を離れず
亦、受に即是ならず
受無きに非らず、無きに非らず
此れ即ち決定義なり≫
我、過去世に〔=於〕有りとは〔=者〕是の事、然らず。
何を以ての故に。
先世中の我、即ち今の我作らず。
常の過有る故。
若し常ならば〔=則〕量るべくも無き過有り。
何を以ての故に。
人、福を修す因緣の故、天と作り、而る後に人と作るが如し。
若し先世の我、即是にして今の我ならば〔=者〕天、即是にして人なり。
又人以罪業因緣故作旃陀羅。後作婆羅門。若先世我即是今我者。旃陀羅即是婆羅門。譬如舍衛國婆羅門名提婆達。到王舍城亦名提婆達。不以至王舍城故爲異。若先作天後作人。則天即是人。旃陀羅即是婆羅門。但是事不然。何以故。天不即是人。旃陀羅不即是婆羅門。有此等常過故。若謂先世我不作今我。如人浣衣時名爲浣者。刈時名爲刈者。而浣者與刈者雖不異。而浣者不即是刈者。如是我受天身名爲天。我受人身名爲人。我不異而身有異者。是事不然。何以故。若即是者。不應言天作人。今浣者於刈者。爲異爲不異。若不異。浣者應即是刈者。如是先世天即是人。旃陀羅即是婆羅門。我亦有常過。若異者。浣者即不作刈者。如是天不作人。我亦無常。無常則無我相。是故不得言即是。
◎
又、人、罪業の因緣を以ての故、旃〔セン〕陀〔ダ〕羅〔ラ〕と作る。
後に婆羅門と作る。
若し先世の我、即是にして今の我ならば〔=者〕旃陀羅、即是に婆羅門なり。
譬へば舍衛國の婆羅門、その名提〔ダイ〕婆〔バ〕達〔ダツ〕、王舍城に到りても〔=亦〕提婆達と名づくるが如し。
王舍城に至るを以ての故にも異とせ〔=爲〕ず。
若し先きに天と作り後に人と作らば〔=則〕天、即是に人なり。
旃陀羅、即是に婆羅門なり。
但に是の事、然らず。
何を以ての故に。
天、即是に人ならず。
旃陀羅、即是に婆羅門ならず。
此れ等、常なりの過有るが故に。
若し『先世の我、今の我作らず』と謂はば、
如人の浣衣時に名づけて浣〔濯〕者とす〔=爲〕。
刈時に名づけて刈者とす〔=爲〕。
而して浣者、刈者と〔=與〕不異なれど〔=雖〕而も浣者、即是に刈者ならざるが如し。
是の如く我、天身を受けて名づけ天とす〔=爲〕。
我、人身を受け名づけ人とす〔=爲〕。
我、不異なるも〔=而〕その身、有異なるといふ〔=者〕是の事、然らず。
何を以ての故に。
若し即是ならば〔=者〕應に天、人と作るとは言はず。
今の浣者、刈者に〔=於〕異とせ〔=爲〕ん。
不異とせ〔=爲〕ん。
若し不異ならば浣者應に、即是に刈者なり。
是の如く先世に天、即是に人なり。
旃陀羅、即是に婆羅門なり。
我も〔=亦〕常なりの過有り。
若し異ならば〔=者〕浣者、即ち刈者と作らず。
是の如く天、人と作らず。
我も〔=亦〕無常なり。
無常ならば〔=則〕我相も無し。
是の故、その即是を言ひ得ず。
問曰。我即是。但因受故分別是天是人。受名五陰身。以業因緣故分別是天是人是旃陀羅是婆羅門。而我實非天非人。非旃陀羅非婆羅門。是故無如是過。答曰。是事不然。何以故。若身作天作人。作旃陀羅作婆羅門。非是我者。則離身別有我。今罪福生死往來。皆是身非是我。罪因緣故墮三惡道。福因緣故生三善道。若苦樂瞋喜憂怖等。皆是身非我者。何用我爲。如治俗人罪。不豫出家人。五陰因緣相續罪福不失故有解脫。若皆是身非我者。何用我為。
◎
問へらく〔=曰〕、
「我、即是なり。
但にその受に因る故のみに分別す、是れ天、是れ人と。
受を五陰身と名づく。
業の因緣を以ての故に分別したり、是れ天、是れ人、是れ旃陀羅、是れ婆羅門と。
而れど我、實には天に非らず。
人に非らず。
旃陀羅に非らず。
婆羅門にも非らず。
是の故、是の如き過無し」と。
答へらく〔=曰〕、是の事、然らず。
何を以ての故に。
若し身、天と作り、人と作り、旃陀羅と作り、婆羅門と作らば是れ我に非らず。
しからば〔=者〕則ち身を離れ別に我有り。
今の罪福・生死・往來皆に是れ身。
是れ我に非らず。
罪の因緣の故、三惡道に墮したり。
福の因緣の故、三善道に生じたり。
若しは苦樂瞋喜憂怖等も皆に是れ身。
我に非らず。
しかれば〔=者〕何ぞ我を用ひてせ〔=爲〕ん。
俗人の罪を治すに出家の人に豫〔預〕けざるが如し。
五陰の因緣相續し、罪福失せざるが故、解脫有り。
若し皆に是れ身なり、我に非らざれば〔=者〕何ぞ我を用ひて爲ん」と。
問曰。罪福等依止於我。我有所知身無所知故。知者應是我。起業因緣罪福是作法。當知應有作者。作者是我。身是我所用。亦是我所住處。譬如舍主以草木泥塈等治舍。自爲身故隨所用治舍有好惡。我亦如是。隨作善惡等得好醜身。六道生死皆我所作。是故罪福之身皆屬於我。譬如舍但屬舍主不屬他人。
◎
問へらく〔=曰〕、
「罪福等、我に〔=於〕依止したり。
我に所知有り。
身に所知無し。
故に知者、應に是れ我なり。
起業の因緣なる罪福、是れ作法なり。
當に知るべし(應)作者有るべしと。
作者は是れ我。
身は是れ我の所用。
亦、是れ我の所住の處。
譬へば舍主、草・木・泥・塈等を以て舍を治むるも、自ら身の爲なるが故に、所用の隨に舍を治めその好惡有るが如くに。
我も〔=亦〕是の如し。
善惡等を作すが隨に好醜の身を得たり。
六道の生死皆に我の所作なり。
是の故、罪福の〔=之〕身、皆に我に〔=於〕屬したり。
譬へば舍、但に舍主にし屬し他人に屬さぬ如くに」と。
答曰。是喩不然。何以故。舍主有形。有觸有力故能治舍。汝所說我無形無觸故無作力。自無作力亦不能使他作。若世間有一法無形無觸能有所作者。則可信受知有作者。但是事不然。若我是作者。則不應自作苦事。若是念者。可貪樂事不應忘失。若我不作苦而苦强生者。餘一切皆亦自生。非我所作。若見者是我。眼能見色眼應是我。若眼見而非我。則違先言見者是我。若見者是我。我則不應得聞聲等諸塵。何以故。眼是見者。不能得聞聲等塵故。是故我是見者。是事不然。若謂如刈者用鎌刈草。我亦如是以手等能有所作者。是事不然。何以故。今離鎌別有刈者。而離身心諸根無別作者。若謂作者雖非眼耳等所得亦有作者。則石女兒能有所作。如是一切諸根皆應無我。若謂右眼見物而左眼識。當知別有見者。是事不然。今右手習作左手不能。是故無別有作者。若別有作者。右手所習左手亦應能。而實不能。是故更無作者。
◎
答へらく〔=曰〕、
「是の喩、然らず。
何を以ての故に。
舍主、有形なり。
觸有り、力有るが故、能く舍を治む。
汝が所說の我、無形なり。
觸無きくば〔=故〕作す力も無し。
自ら作す力も無く亦、他に作さしむ〔=使〕能はず。
若し世間に一法の無形・無觸にして能く所作有る者有らば〔=則〕信受し作者有りと知る可し。
但に是の事、然らず。
若し我、是れ作者ならば〔=則〕應に自ら苦事を作さず。
若し是れ念者ならば、樂事を貪る可くて應に忘失せず。
若し我、苦を作さずして〔=而〕苦、强ひて生ぜば〔=者〕餘の一切皆に亦、自生し我の所作には非らざらん。
若し見者、是れ我ならば眼、能く色を見、眼、應に是れ我なり。
若し眼見、而れど非我ならば〔=則〕先言の『見者是れ我』に違へり。
若し見者、是れ我ならば我は〔=則〕、應に聲等の諸塵を聞き得べからず。
何を以ての故に。
眼、是れ見者なり。
聲等の塵を聞き得る能はざるが故に。
是の故、我是れ見者なるといふ是の事、然らず。
若し『刈者、鎌を用ひ草を刈る如く、 我も〔=亦〕是の如くに手等を以て能く所作有り』と謂はば〔=者〕是の事、然らず。
何を以ての故に。
今、鎌を離れ別に刈者有り。
而れど身・心・諸根を離れ別に作者は無し。
若し『作者、眼耳等の所得に非らざれど〔=雖〕亦、作有り』と謂はば〔=者〕、則ち石女の兒に能く所作有り。
是の如く一切諸根皆に應に無我なり。
若し『右眼、物を見て〔=而〕左眼、識る。當に知るべし別に見者有り』と謂はば是の事、然らず。
今、右手習作すも左手はする能はず。
是の故に別に作者有ること無し。
若し別に作者有らば右手所習せば左手も〔=亦〕應に能くすべし。
而れど實にはする能はず。
是の故、更らなる作者無し。
復次有我者言。見他食果口中涎出。是爲我相。是事不然。何以故。是念力故非是我力。又亦即是破我因緣。人在衆中愧於涎出。而涎强出不得自在。當知無我。
◎
復、次に有我者を言はば、他の果を食すを見れば口中に涎出で、是れも我相なり〔=爲〕。
是の事、然らず。
何を以ての故に。
是れ念力の故なり。
是れ我力に非らず。
又亦に即ち是れ我の因緣を破したり。
人、衆中に在り涎の出づるを〔=於〕愧づ。
而れど涎、强ひて出づ。
自在をは得ず。
當に知るべし無我なりと。
復次又有顚倒過罪。先世是父今世爲子。是父子我一。但身有異。如從一舍至一舍。父故是父。不以入異舍故便有異。若有我是二應一。如是則有大過。若謂無我五陰相續中亦有是過。是事不然。何以故。五陰雖相續。或時有用或時無用。如蒲桃漿持戒者應飲蒲桃酒不應飲。若變爲苦酒還復應飲。五陰相續亦如是。有用有不用。若始終一我有如是過。五陰相續無如是過。但五陰和合故假名爲我無有決定。如樑椽和合有舍。離樑椽無別舍。如是五陰和合故有我。若離五陰實無別我。是故我但有假名無有定實。汝先說離受別有受者。以受分別受者是天是人。是皆不然。當知但有受無別受者。若謂離受別有我。是事不然。若離受有我。云何可得說是我相。若無相可說。則離受無我。若謂離身無我但身是我。是亦不然。何以故。身有生滅相。我則不爾。
◎
復、次に又、顚倒の過罪有り。
先世の是の父、今世の子と爲らば是の父子の我、一なり。
但に身にのみ異有り。
一舍從り一舍に至るが如くに。
父なり。
故に是れ父なり。
異舍に入るを以ての故には〔=便〕異有らず。
若し有我ならば是の二、應に一なり。
是の如きは〔=則〕大過有り。
若し『無我ならば五陰の相續中に亦、是の過有り』と謂はば是の事、然らず。
何を以ての故に。
五陰、相續せど〔=雖〕或る時には用ふ有り、或る時には用ふ無し。
蒲桃の漿、持戒者は應に飲むべく、蒲桃の酒、應に飲ぬべからずが如くに。
若し變じて苦酒と爲らば還へりて復に應に飲まん。
五陰の相續も〔=亦〕是の如し。
用ふ有り、用ひざる有り。
若し始終一我ならば是の如き過有り。
五陰の相續、是の如き過無し。
但に五陰和合の故に假りに名づけ、我とす〔=爲〕のみ。
決定有ること無し。
樑椽和合に舍有り。
樑椽を離れ別に舍は無し。
是の如く五陰和合の故に有我なり。
若し五陰を離れ實には別の我は無し。
是の故、我但に假名のみ有り。
それ、定實、有ること無し。
汝、先說の『受を離れ別に受者有り、受を以て分別し受者是れ天、是れ人としたり』といふ是れ皆、然らず。
當に知るべし但に受有り、別に受者無しと。
若し『受を離れ別に我有り』と謂はば是の事、然らず。
(若)受を離れ我有らば云何んが是の我相を說き得可き。
(若)相の說く可き無くば〔=則〕受を離れ無我なり。
若し『身を離れ無我、但に身のみ是れ我』と謂ふも是れも〔=亦〕然らず。
何を以ての故に。
身に生滅相有り。
我は〔=則〕爾らず。
復次云何以受即名受者。若謂離受有受者。是亦不然。若不受五陰而有受者。應離五陰別有受者。眼等根可得而實不可得。是故我不離受。不即是受。亦非無受。亦復非無。此是定義。是故當知。過去世有我者。是事不然。何以故。
◎
復、次に云何んが受を以て即ち受者と名づく。
若し『受を離れ受者有り』と謂はば是れも〔=亦〕然らず。
若し五陰を受けず(而)受者有らば應に、五陰を離れ別に受者有り。
眼等の根、得可くも〔=而〕實には不可得なり。
是の故、我は受を離れず。
即是に受ならず。
(亦)受無きにも非らず。
(亦)復、無きにも非らず。
此れぞ是れ、定義なり。
是の故、當に知るべし、過去世に我有りといふ〔=者〕是の事、然らずと。
何を以ての故に。
過去我不作 是事則不然
過去世中我 異今亦不然
若謂有異者 離彼應有今
我住過去世 而今我自生
如是則斷滅 失於業果報
彼作而此受 有如是等過
先無而今有 此中亦有過
我則是作法 亦爲是無因
過去世中我。不作今我。是事不然。何以故。過去世中我。與今我不異。若今我與過去世我異者。應離彼我而有今我。又過去世我。亦應住彼此身自更生。若爾者即墮斷邊。失諸業果報。又彼人作罪此人受報。有如是等無量過。又是我應先無而今有。是亦有過。我則是作法。亦是無因生。是故過去我。不作今我。是事不然。復次。
◎
≪過去に我、作らず
是の事、則ち然らず
過去世中の我
今に異なるも〔=亦〕然らず
若し異有りと謂はば〔=者〕
彼を離れ應に今有り
我、過去世に住し
而して今の我、自生したり
是の如きは〔=則〕斷滅なり
業の果報を〔=於〕失ふ
彼、作して〔=而〕此れを受く
是の如き等の過有り
先無なり、而も今有なり
此の中にも〔=亦〕過有り
我は〔=則〕是れ作法
亦は是れ無因なり〔=爲〕≫
過去世中の我、今の我を作さず。
是の事、然らず。
何を以ての故に。
過去世中の我、今の我と〔=與〕不異なり。
若し今の我、過去世の我と〔=與〕異ならば〔=者〕應に彼の我を離れて〔=而〕今の我有り。
又、過去世の我、(亦)應に彼にも住し、此の身も自ら更に生じき。
若し爾らば〔=者〕即ち斷邊に墮したり。
諸業の果報を失ふ。
又、彼の人、罪を作し、此の人、受報す。
是の如き等の量るべくも無き過有り。
又、是の我、應に先無にして〔=而〕今有なり。
是れも〔=亦〕過有り。
我は〔=則〕是れ作法なり。
亦是れ無因にして生ず。
是の故、過去の我、今の我と作らずといふ是の事、然らず。
復、次に
如過去世中 有我無我見
若共若不共 是事皆不然
如是推求過去世中邪見有無。亦有亦無。非有非無。是諸邪見。先說因緣過故。是皆不然。
◎
≪過去世中の
有我、無我の見
若しは共なり、若しは共ならず
この如き是れらの事皆に然らず≫
是の如く推求せば過去世中の邪見、有無、亦は有・亦は無、非有非無、是れら諸邪見、先說の因緣の過の故是れら皆、然らず。
我於未來世 爲作爲不作
如是之見者 皆同過去世
我於未來世中。爲作爲不作。如是四句。如過去世中過咎。應在此中說。復次。
◎
≪我、未來世に〔=於〕
作とせ〔=爲〕ん、不作とせ〔=爲〕ん
是の如き〔=之〕見は〔=者〕
皆、過去世に同じき≫
我、未來世中に〔=爲〕作とす〔=爲〕、不作とす〔=爲〕是の如き四句、過去世中の過咎の如く應に此の中にして〔=在〕說くべし。
復、次に、
若天即是人 則墮於常邊
天則爲無生 常法不生故
若天即是人。是則爲常。若天不生人中。云何名爲人。常法不生故。常亦不然。復次。
◎
≪若し天、即是に人ならば
則ち常邊に〔=於〕墮したり
天、則ち無生と爲る
常法、生ぜざれば〔=故〕≫
若し天、即是に人ならば是れ則ち常なり〔=爲〕。
若し天、人中に生ぜずば云何んが名づけて人とす〔=爲〕。
常法、生ぜぬが故、常も〔=亦〕然らず。
復、次に、
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