中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀四諦品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(29)


中論卷の第四

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀四諦品第二十四//四十偈

問曰。破四顚倒。通達四諦。得四沙門果。

問へらく〔=曰〕、

「四顚倒をは破したるも、四諦に通達せば、四沙門果を得ん。


 若一切皆空  無生亦無滅

 如是則無有  四聖諦之法

 以無四諦故  見苦與斷集

 證滅及修道  如是事皆無

 以是事無故  則無四道果

 無有四果故  得向者亦無

 若無八賢聖  則無有僧寶

 以無四諦故  亦無有法寶

 以無法僧寶  亦無有佛寶

 如是說空者  是則破三寶

若一切世間皆空無所有者。即應無生無滅。以無生無滅故。則無四聖諦。何以故。從集諦生苦諦。集諦是因苦諦是果。滅苦集諦名爲滅諦。能至滅諦名爲道諦。道諦是因滅諦是果。如是四諦有因有果。若無生無滅則無四諦。四諦無故。則無見苦斷集證滅修道。見苦斷集證滅修道無故。則無四沙門果。四沙門果無故。則無四向四得者。若無此八賢聖。則無僧寶。又四聖諦無故。法寶亦無。若無法寶僧寶者。云何有佛。得法名爲佛。無法何有佛。汝說諸法皆空。則壞三寶。復次。

≪若し一切皆空ならば

  生無し、(亦)滅も無し

 是の如かれば〔=則〕

  四の聖諦の〔=之〕法も有ること無し

 四諦無きを以ての故

  見苦と斷集と〔=與〕

 證滅、及び修道

  是の如き事ら皆無なり

 是れらの事無きを以ての故

  則ち四道果も無し

 四果有ること無くば〔=故〕

  得向の者も〔=亦〕無し

 若し八賢聖無くば

  則ち僧寶、有ること無し

 四諦無きを以ての故

  亦、法寶も有ること無し

 法僧の寶無きを以て

  亦、佛寶も有ること無し

 是の如く空を說かば〔=者〕

  是れ則ち三寶を破したり≫

 若し一切世間皆空にして所有無くば〔=者〕即ち應に生無く滅も無し。

 生無く滅無きを以ての故、則ち四聖諦も無し。

 何を以ての故に。

 集諦從り苦諦生ず。

 集諦、是れ因なり。

 苦諦、是れ果なり。

 苦集諦、滅すを名づけて滅諦とす〔=爲〕。

 能く滅諦に至るを名づけて道諦とす〔=爲〕。

 道諦、是れ因なり。

 滅諦、是れ果なり。

 是の如く四諦に因有り。

 果も有り。

 若し生無く滅も無くば〔=則〕四諦も無し。

 四諦無くば〔=故〕則ち見苦・斷集・證滅・修道を喪す。

 見苦・斷集・證滅・修道無くば〔=故〕則ち四の沙門果も無し。

 四沙門果無くば〔=故〕則ち四向四得の者も無し。

 若し此の八賢聖無くば〔=則〕僧寶も無し。

 (又)四聖諦も無くば〔=故〕法寶も〔=亦〕無し。

 若し法寶・僧寶無くば〔=者〕云何んが佛のみ有る。

 得法、名づけて佛とす〔=爲〕。

 その法無きに何ぞ佛のみ有る。

 汝が『諸法皆空』の說、則ち三寶を壞したり。

 復、次に、


 空法壞因果  亦壞於罪福

 亦復悉毀壞  一切世俗法

若受空法者。則破罪福及罪福果報。亦破世俗法。有如是等諸過故。諸法不應空。答曰。

≪空法、因果を壞す

  亦、罪福を〔=於〕も壞す

 亦復に悉く毀壞す

  一切世俗法をも≫

 若し空法を受くれば〔=者〕則ち罪福、及び罪福の果報をも破す。

 亦、世俗法をも破さん。

 是の如き等の諸過有らば〔=故〕諸法、應に空なるべからず」と。

答へらく〔=曰〕、

 汝今實不能  知空空因緣

 及知於空義  是故自生惱

汝不解云何是空相。以何因緣說空。亦不解空義。不能如實知故。生如是疑難。復次。

≪汝、今實には

  空と空の因緣を知り

 及び空義を〔=於〕知る能はず

  是の故、その惱を自生させたり≫

「汝、云何んが是れ空相なり、何の因緣を以て空を說けるか解せず。

 亦、空義をも解かず。

 如實に知る能はざる故、是の如き疑難を生じたり。

 復、次に、


 諸佛依二諦  爲衆生說法

 一以世俗諦  二第一義諦

 若人不能知  分別於二諦

 則於深佛法  不知眞實義

世俗諦者。一切法性空。而世間顚倒故生虛妄法。於世間是實。諸賢聖眞知顚倒性。故知一切法皆空無生。於聖人是第一義諦名爲實。諸佛依是二諦。而爲衆生說法。若人不能如實分別二諦。則於甚深佛法。不知實義。若謂一切法不生是第一義諦。不須第二俗諦者。是亦不然。何以故。

≪諸佛ら、二諦に依り

  衆生の爲に說法したり

 一に世俗諦を以て

  二には第一義諦に

 若し人

  二諦の分別を〔=於〕知る能はざれば

 (則)深き佛法に於く

  眞實義をも知らず≫

 世俗諦とは〔=者〕一切法の性、空なるも而れど世間顚倒の故、虛妄法を生ず。

 世間に於き是れ實なり。

 諸賢聖、眞に顚倒の性を知れり。

 故に一切法皆空、生無きを知りたり。

 聖人に於く是れ第一義諦なり。

 名づけて實とす〔=爲〕。

 諸佛ら、是の二諦に依りて〔=而〕衆生が爲に說法したまふ。

 若し人、如實の二諦を分別す能はざれば〔=則〕甚深なる佛法に於く實義をは知らず。

 若し『一切法不生なり、是れ第一義諦なり、第二の俗諦をは須〔用〕ひず』と謂はば〔=者〕、是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。


 若不依俗諦  不得第一義

 不得第一義  則不得涅槃

第一義皆因言說。言說是世俗。是故若不依世俗。第一義則不可說。若不得第一義。云何得至涅槃。是故諸法雖無生。而有二諦。復次。

≪若し俗諦に依らずば

  第一義をは得ず

 第一義を得ずば

  則と涅槃をは得ず≫

 第一義、皆に言說に因る。

 言說、是れ世俗なり。

 是の故、若し世俗に依らずば第一義、則ち不可說なり。

 若し第一義を得ずば云何んが涅槃に至り得ん。

 是の故、諸法、生無かれど〔=雖〕而も二諦有り。

 復、次に、


 不能正觀空  鈍根則自害

 如不善呪術  不善捉毒蛇

若人鈍根。不善解空法。於空有失而生邪見。如爲利捉毒蛇不能善捉反爲所害。又如呪術欲有所作不能善成則還自害。鈍根觀空法亦如是。復次。

≪空を正觀す能はざれば

  鈍根は〔=則〕自害す

 呪術、善からねば

  毒蛇を捉ふるも善からぬが如くに≫

  若し人、鈍根にして善く空法を解かざれば、空に於き失有り。

  而して邪見を生ず。

  毒蛇を捉へ利せ〔=爲〕んとするも善く捉ふ能はず。

  反へりて所害を爲するが如くに。

  又、呪術に所作有らんと欲すも、善く成ず能はず。

  則ち還へりて自害するが如くに。

  鈍根、空法を觀ずるにも〔=亦〕是の如し。

  復、次に、


 世尊知是法  甚深微妙相

 非鈍根所及  是故不欲說

世尊以法甚深微妙。非鈍根所解。是故不欲說。復次。

≪世尊、是の法

  甚深微妙の相を知る

 鈍根、及ぶ所に非らざるをも

  是の故、說かん〔=欲〕としたまはず≫

 世尊、法の甚深微妙にして鈍根の所解に非らざるを知りたまふ。

 是の故、說かんと欲したまはず。

 復、次に


 汝謂我著空  而爲我生過

 汝今所說過  於空則無有

汝謂我著空故。爲我生過。我所說性空。空亦復空。無如是過。復次。

≪汝、我、空に著して

  〔=而〕我、過を生じたり〔=爲〕と謂ふも

 汝が今の所說の過

  空に於けば〔=則〕有ること無し≫

 汝、我を空に著したり、故に我は過を生じきと謂せり。

 我が所說の性空、その空も〔=亦〕復、空なり。

 是の如き過だに無し。

 復、次に、


 以有空義故  一切法得成

 若無空義者  一切則不成

以有空義故。一切世間出世間法皆悉成就。若無空義。則皆不成就。復次。

≪空義有るを以ての故

  一切法、成じ得たり

 若し空義無くば〔=者〕

  一切則ち成ぜず≫

 空義有るを以ての故、一切世間・出世間の法皆悉くに成就したり。

 若し空義無くば〔=則〕皆、成就せず。

 復、次に、


 汝今自有過  而以迴向我

 如人乘馬者  自忘於所乘

汝於有法中有過不能自覺。而於空中見過。如人乘馬而忘其所乘。何以故。

≪汝今、自ら過有り

  而も(以)我に迴向す

 人、乘馬する者

  自ら乘りたる〔=所乘〕を〔=於〕忘るるが如く≫

 汝、有の法中に〔=於〕過有り。

 自覺す能はず。

 而して空中に〔=於〕過を見たり。

 人、乘馬するも〔=而〕其の乘りたること〔=所乘〕忘れたるが如くに。

 何を以ての故に。


 若汝見諸法  決定有性者

 即爲見諸法  無因亦無緣

汝說諸法有定性。若爾者。則見諸法無因無緣。何以故。若法決定有性。則應不生不滅。如是法何用因緣。若諸法從因緣生則無有性。是故諸法決定有性。則無因緣。若謂諸法決定住自性。是則不然。何以故。

≪若し汝、諸法

  決定の性有りと見れば〔=者〕

 即ち諸法

  無因にして、(亦)無緣なるをも見たり〔=爲〕≫

 汝說けらく、『諸法、その定性有り』と。

 若し爾らば〔=者〕則ち諸法の無因無緣を見たり。

 何を以ての故に。

 若し法、決定したるその性有らば則ち、應に不生なり、不滅なり。

 是の如き法、何ぞ因緣を用ふ。

 若し諸法、因緣從り生ぜば〔=則〕その性有ること無し。

 是の故、諸法に決定の性有らば則ち、その因緣ぞ無し。

 若し『諸法、決定してその自性に住す』と謂ふも是れ則ち然らず。

 何を以ての故に。


 即爲破因果  作作者作法

 亦復壞一切  萬物之生滅

諸法有定性。則無因果等諸事。如偈說。

≪即ち因果

  作・作者・作法を破し

 亦復に一切の

  萬物、その〔=之〕生滅をも壞したり〔=爲〕≫

 諸法、定性有らば〔=則〕因果等の諸事無し。

 偈說の如し。


 衆因緣生法  我說即是無

 亦爲是假名  亦是中道義

 未曾有一法  不從因緣生

 是故一切法  無不是空者

衆因緣生法。我說即是空。何以故。衆緣具足和合而物生。是物屬衆因緣故無自性。無自性故空。空亦復空。但爲引導衆生故。以假名說。離有無二邊故名爲中道。是法無性故不得言有。亦無空故不得言無。若法有性相。則不待衆緣而有。若不待衆緣則無法。是故無有不空法。汝上所說空法有過者。此過今還在汝。何以故。

 衆因緣生の法

  我說かん、即ち是れ無と

 亦、是れ假名とす〔=爲〕

  亦、是れ中道の義なり

 未だ曾て一法だに

  因緣從り生ぜざる有らず

 是の故、一切法

  是れ空ならざる者は無し≫

 衆の因緣より生ずるといふ法、我、『即ち是れ空なり』と說かん。

 何を以ての故に。

 衆緣、具足し和合して〔=而〕物ぞ生じき。

 是の物、衆の因緣に屬するが故、自性無し。

 自性無くば〔=故〕空なり。

 空も〔=亦〕復、空なり。

 但に衆生を引導せん爲の故に假名を以て說くのみ。

 有無の二邊を離るれば〔=故〕名づけて中道とす〔=爲〕。

 是の法、その性無くば〔=故〕『有り』とは言ひ得ず。

 亦、空だに無くば〔=故〕『無し』とも言ひ得ず。

 若し法、性相有らば〔=則〕衆緣を待ちて〔=而〕は有らず。

 若し衆緣を待ちたば〔=則〕無法なり。

 是の故、空ならざる法、有ること無し。

 汝、上の所說、『空法に過有り』とは〔=者〕此の過、今還へりて汝に在り。

 何を以ての故に。


 若一切不空  則無有生滅

 如是則無有  四聖諦之法

若一切法各各有性不空者。則無有生滅。無生滅故。則無四聖諦法。何以故。

≪若し一切空ならずば

  〔=則〕その生滅有ること無し

 是の如かれば〔=則〕

  四聖諦の〔=之〕法だに有ること無し≫

 若し一切法、各各に性有り、空ならずば〔=者〕(則)その生滅有ること無し。

 生滅無くば〔=故〕則ち四聖諦の法も無し。

 何を以ての故に。


 苦不從緣生  云何當有苦

 無常是苦義  定性無無常

苦不從緣生故則無苦。何以故。經說無常是苦義。若苦有定性。云何有無常。以不捨自性故。復次。

≪苦、緣從り生ぜずば

  云何んが當に苦有るべき

 無常、是れ苦の義

  定性ならば無常は無し≫

 苦、緣從り生ぜばれ〔=故〕則ち苦は無し。

 何を以ての故に。

 經に說けらく、

 ≪無常、是れ苦義なり≫と。

 若し苦、定性有らば云何んが無常有る。

 その自性を捨てざるが故に。

 復、次に、


 若苦有定性  何故從集生

 是故無有集  以破空義故

若苦有定性者。則不應更生。先已有故。若爾者。則無集諦。以壞空義故。復次。

≪若し苦、定性有らば

  何故に集從り生ず

 是の故、集有ること無し

  空義を破するを以ての故に≫

 若し苦、定性有らば〔=者〕則ち應に更らに生ずべからず。

 先きに已に有るが故に。

 若し爾らば〔=者〕(則)集諦は無し。

 空義を壞すを以ての故に。

 復、次に、


 苦若有定性  則不應有滅

 汝著定性故  即破於滅諦

苦若有定性者。則不應滅。何以故。性則無滅故。復次。

≪苦、若し定性有らば

  〔=則〕應に滅有るべからず

 汝、定性に著せれば〔=故〕

  即ち滅諦を〔=於〕も破したり≫

 苦、若し定性有らば〔=者〕則ち應に滅せず。

 何を以ての故に。

 その性、則ち無滅の故に。

 復、次に、


 苦若有定性  則無有修道

 若道可修習  即無有定性

法若定有。則無有修道。何以故。若法實者則是常。常則不可增益。若道可修。道則無有定性。復次。

≪苦、若し定性有らば

  則ち修道有ること無し

 若し道、修習す可くば

  〔=即〕定性有ること無し≫

 法、若し定有ならば〔=則〕修道有ること無し。

 何を以ての故に。

 若し法、實ならば〔=者〕則ち是れ常なり。

 常ならば〔=則〕增益す可くもなし。

 若し道、修す可くばその道、(則)定性有ること無し。

 復、次に、


 若無有苦諦  及無集滅諦

 所可滅苦道  竟爲何所至

諸法若先定有性。則無苦集滅諦。今滅苦道。竟爲至何滅苦處。復次。

≪若し苦諦有ること無く

  (及)集滅諦も無くば

 苦を滅す可き〔=所可滅苦〕道

  竟に何所にか至らん〔=爲〕≫

 諸法、若し先きにその性、定有ならば〔=則〕苦集滅諦は無し。

 今の滅苦の道、竟に何の滅苦の處に至るとせ〔=爲〕ん。

 復、次に、


 若苦定有性  先來所不見

 於今云何見  其性不異故

若先凡夫時。不能見苦性。今亦不應見。何以故。不見性定故。復次。

≪若し苦、その性、定有なりて

  先きよりこのかた〔=來〕見えざれ〔=所不見〕ば

 今に〔=於〕云何んが見えん

  其の性、異ならざるに〔=故〕≫

 若し先きの凡夫の時、苦の性を見る能はず。

 しからば今も〔=亦〕應に見えず。

 何を以ての故に。

 不見の性、定なるが故に。

 復、次に、


 如見苦不然  斷集及證滅

 修道及四果  是亦皆不然

如苦諦性先不見者後亦不應見。如是亦不應有斷集證滅修道。何以故。是集性先來不斷。今亦不應斷。性不可斷故。滅先來不證。今亦不應證。先來不證故。道先來不修。今亦不應修。先來不修故。是故四聖諦。見斷證修四種行。皆不應有。四種行無故。四道果亦無。何以故。

≪見苦、然らざる如く

  斷集、及び證滅

 修道、及び四果

  是れらも〔=亦〕皆、然らず≫

 苦諦の性、先きに見えざれば〔=者〕後にも〔=亦〕應に見えざるが如く、是の如くに(亦)應に斷集・證滅・修道も有るべからず。

 何を以ての故に。

 是の集の性、先來に斷ぜず。

 しからば今も〔=亦〕應に斷ぜず。

 その性、斷ず可くもなきなるが故に。

 滅、先來に證ぜず。

 しからば今も〔=亦〕應に證ぜず。

 先來に證ぜざるが故に。

 道、先來に修さず。

 しからば今も〔=亦〕應に修さず。

 先來に修せざるが故に。

 是の故、四聖諦、見・斷・證・修の四種の行、皆に應に有るべからず。

 四種の行無くば〔=故〕四道の果も〔=亦〕無し。

 何を以ての故に。


 是四道果性  先來不可得

 諸法性若定  今云何可得

諸法若有定性。四沙門果先來未得。今云何可得。若可得者。性則無定。復次。

≪是の四道果の性

  先來にして不可得なり

 諸法の性、若し定ならば

  今に云何んが得可き≫

 諸法若し定性有り、四沙門果、先來に未得なれば今に云何んが得可き。

 若し得可くば〔=者〕その性は〔=則〕定無し。

 復、次に、


 若無有四果  則無得向者

 以無八聖故  則無有僧寶

無四沙門果故。則無得果向果者。無八賢聖故。則無有僧寶。而經說八賢聖。名爲僧寶。復次。

≪若し四果有ること無くば

  〔=則〕得向者も無し

 八聖無きを以ての故に

  (則)僧寶有ること無し≫

 四沙門果無くば〔=故〕則ち得果・向果の者も無し。

 八賢聖無くば〔=故〕則ち僧寶有ること無し。

 而れど經に說けらく、

 ≪八賢聖、名づけて僧寶と爲す≫と。

 復、次に、


 無四聖諦故  亦無有法寶

 無法寶僧寶  云何有佛寶

行四聖諦得涅槃法。若無四諦則無法寶。若無二寶云何當有佛寶。汝以如是因緣。說諸法定性。則壞三寶問曰。汝雖破諸法。究竟道阿耨多羅三藐三菩提應有。因是道故名爲佛。答曰。

≪四聖諦無くば〔=故〕

  (亦)法寶も有ること無し

 法寶・僧寶無きに

  云何んが佛寶のみ有る≫

 四聖諦の行に涅槃の法を得ん。

 若し四諦無くば〔=則〕法寶も無し。

 若し二寶無くば云何んが當に佛寶のみ有るべき。

 汝、是の如き因緣を以て、『諸法定性』を說かば〔=則〕三寶を壞したり」。

問へらく〔=曰〕、

「汝、諸法を破せども〔=雖〕究竟道たる阿耨多羅三藐三菩提、應に有らん。

 是の道に因るが故に名づけて佛としたり〔=爲〕」と。

答へらく〔=曰〕、


 汝說則不因  菩提而有佛

 亦復不因佛  而有於菩提

汝說諸法有定性者。則不應因菩提有佛。因佛有菩提。是二性常定故。復次。

≪汝が說、則ち

  菩提に因らずして〔=而〕佛有り

 亦復に佛に因らず

  而れど菩提は〔=於〕有り≫

「汝說きたる『諸法、定性有り』とは〔=者〕則ち應に菩提に因らず佛有り。

 佛に因らず菩提有り。

 是れら二性、常にして定なるが故に。

 復、次に、


 雖復勤精進  修行菩提道

 若先非佛性  不應得成佛

以先無性故。如鐵無金性。雖復種種鍛煉。終不成金。復次。

≪復、勤めて精進すれど〔=雖〕

  菩提道を修行し

 若し先きに佛性非らざれば

  應に成佛し得べくもなし≫

 先きに性無きを以ての故に。

 鐵に金の性無くば、復に種種に鍛煉せど〔=雖〕終に金は成ぜぬが如くに。

 復、次に、


 若諸法不空  無作罪福者

 不空何所作  以其性定故

若諸法不空。終無有人作罪福者。何以故。罪福性先已定故。又無作作者故。復次。

≪若し諸法、空ならずば

  罪福作す者も無し

 空ならずば何の所作ある

  其の性定なるを以ての故に≫

 若し諸法、空ならずば終に、人の罪福作す者有ること無し。

 何を以ての故に。

 罪福の性、先きに已に定なるが故に。

 又、その作・作者無きが故に。

 復、次に、


 汝於罪福中  不生果報者

 是則離罪福  而有諸果報

汝於罪福因緣中。皆無果報者。則應離罪福因緣而有果報。何以故。果報不待因出故。問曰。離罪福可無善惡果報。但從罪福有善惡果報。答曰。

≪汝、罪福中に〔=於〕

  果報生ぜずば〔=者〕

 是れ則ち罪福を離る

  而れど諸果報ぞ有り≫

 汝、罪福の因緣中に〔=於〕皆、果報無くば〔=者〕則ち應に罪福の因緣を離れ而も果報のみ有り。

 何を以ての故に。

 果報、待因せず出づるが故に」と。

問へらく〔=曰〕、

「罪福を離れ善惡の果報無かる可し。

 但に罪福從り善惡の果報有り」と。

答へらく〔=曰〕、


 若謂從罪福  而生果報者

 果從罪福生  云何言不空

若離罪福無善惡果。云何言果不空。若爾離作者則無罪福。汝先說諸法不空。是事不然。復次。

≪若し罪福從りして

  〔=而〕果報生ずと謂はば〔=者〕

 その果、罪福從り生ずるに

  云何んが空ならずと言ふ≫

「若し罪福を離れ善惡果無くば、云何んがその果空ならずと言ふ。

 若し爾らば作者を離るれば〔=則〕罪福無し。

 汝が先說の『諸法、空ならず』、是の事、然らず。

 復、次に、


 汝破一切法  諸因緣空義

 則破於世俗  諸餘所有法

汝若破衆因緣法第一空義者。則破一切世俗法。何以故。

≪汝、一切法の

  諸因緣、空なりの義を破したり

 則ち世俗の〔=於〕

  諸の餘のあらゆる〔=所有〕法をも破したり≫

 汝、若し衆因緣法、第一の空の義を破せば〔=者〕則ち一切世俗の法をも破したり。

 何を以ての故に。


 若破於空義  即應無所作

 無作而有作  不作名作者

若破空義。則一切果皆無作無因。又不作而作。又一切作者不應有所作。又離作者。應有業有果報有受者。但是事皆不然。是故不應破空。復次。

≪若し空義を〔=於〕破せば

  即ち應に所作無かるべし

 作無く而も作有り

  作さずざるを作者と名づく≫

 若し空義を破せば〔=則〕、一切果皆に無作なり。

 無因なり。

 又、作さず。

 而も作したり。

 又、一切の作者、應にその所作有るべからず。

 又、作者を離れ、應に業有り。

 果報有り。

 受者も有り。

 但に是れらの事、皆に然らず。

 是の故、應に空を破すべからず。

 復、次に、


 若有決定性  世間種種相

 則不生不滅  常住而不壞

若諸法有定性。則世間種種相。天人畜生萬物。皆應不生不滅常住不壞。何以故。有實性不可變異故。而現見萬物。各有變異相生滅變易。是故不應有定性。復次。

≪若し決定性有らば

  世間の種種の相

 則ち不生不滅なり

  常住して〔=而〕壞せず≫

 若し諸法、定性有らば〔=則〕世間の種種の相、天、人、畜生、萬物、皆應に生ぜず。

 滅せず。

 常住なり。

 壞せず。

 何を以ての故に。

 その實性有るに、變異す可くもなきが故に。

 而れど現見に萬物、各に變異の相有り。

 生滅したり。

 變易たり。

 是の故、應に定性は有らず。

 復、次に、


 若無有空者  未得不應得

 亦無斷煩惱  亦無苦盡事

若無有空法者。則世間出世間所有功德未得者。皆不應得。亦不應有斷煩惱者。亦無苦盡。何以故。以性定故。

≪若し空有ること無くば〔=者〕

  未得なるもの應に得べくもなし

 (亦)煩惱の斷も無し

  (亦)苦の盡くる事も無し≫

 若し空の法有ること無くば〔=者〕則ち世間・出世間のありとあらゆる〔=所有〕功德、未得なる者は皆、應に得べくもなし。

 (亦)應に煩惱を斷ずる者も無し。

 (亦)苦の盡も無し。

 何を以ての故に。

 その性定なるを以ての故に。


 是故經中說  若見因緣法

 則爲能見佛  見苦集滅道

若人見一切法從衆緣生。是人即能見佛法身。增益智慧。能見四聖諦苦集滅道。見四聖諦得四果滅諸苦惱。是故不應破空義。若破空義則破因緣法。破因緣法。則破三寶。若破三寶。則爲自破。

≪是の故、經中に說けらく

  若し因緣法を見れば

 〔=則〕能く佛を見

  苦集滅道を見たりとす〔=爲〕と≫

 若し人、一切法、衆緣從り生ずるを見れば是の人、即ち能く佛の法身を見たり。

 智慧を增益す。

 能く四聖諦、苦集滅道を見ん。

 四聖諦を見、四果を得、諸苦惱は滅す。

 是の故、應に空義を破すべからず。

 若し空義を破せば〔=則〕因緣法をも破したり。

 因緣法を破せば〔=則〕三寶をも破す。

 若し三寶を破せば〔=則〕自破なり〔=爲〕」と。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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