お伽草紙;明治廿四年「おときさうし」より『酒呑童子』


底本、おときさうし。活字印刷の本。

奧附云、明治廿四年四月五日印刷、同廿四年四月十日出版。

校訂者、今泉定介、畠山健

發行兼印刷者、吉川半七。發賣人、林平次郎。關西大販賣所、松村久兵衞

今、〔 〕内に原傍訓を表記。( )内及び(※ )は注記。適時、改行等を施す。又、片仮名に送り仮名を補い、便宜上〔、〕点、及び会話文に〔「」〕記号を施す。



●酒顚童子

むかし、我が朝の事なるに、

天地開けし、このかたは、神國といひながら、

又は佛法、盛〔さか〕んにて、

人皇の始より、延喜の帝に至るまで、

王法、ともに備はり、

政〔まつり〕事〔ごと〕、すなほにして、

民をも、憐み給ふ事、堯舜の御代とても、

これには、いかで、勝るべき。

然れども、世の中に、不思議の事の、出できたり、

丹波の國、大江山には、鬼〔き〕神〔じん〕の住みて、

日、暮るれば、近國、他國の者までも、

數をしらず、とりて行く。

都のうちにて、とる人は、

みめよき女房の、十七、八を頭〔かしら〕として、

これをも、數多、とりて行く。

いづれも、哀れは、劣らねども、

こゝに、哀れを、止(とゞ)めしは、

院に、宮づき奉る、池田の中納言くにたかとて、

御覺え、めでたくし、

寶は内に滿ちゝゝて、富〔ふつ〕貴〔き〕の家にて、ましますが、

ひとり姬を、持ち給ふ。

三十二相の形をうけ、美人の姬君を見聞く人、

心をかけぬ者は、なし。

二〔ふた〕人〔り〕の親の御寵愛、斜メならず。

か程に、やさしき姬君を、或ル日の暮レ方の事なるに、

行きかた知れず失せ給ふ。

父くにたかを、初めとし、

北の御方の御歎き、

お乳や、乳〔めの〕母〔と〕や、女房たち、

その外、ありあふ者までも、上を下へと、かへしけり。

中納言は、餘りの事の悲さに、

左〔さ〕近〔こん〕を召され、

「いかに左近、承(うけたまは)れ、

 此の程、都に隱れなき、村岡のまさときとて、名譽の博士のありと聞く。

 つれて、まゐれ。」と仰せけるに、

「承る」と申して、

つれて、御所へぞ、まゐりける。

痛はしや、父くにたかも、御〔み〕臺〔だい〕所〔どころ〕も、

恥も、人目も入らばこそ、

博士に對面めされつゝ、

「いかに、まさとき、承れ、

 それ、人のならひにて、

 五人、十人ある子さへ、いづれ、おろかは無きならひ、

 みづからは、只一人の姬を、昨〔ゆう〕夕〔べ〕のくれほどに、

 行きがた知らず、見失ふ。

 ことし十三、寅の年、

 生れてよりも、このかたは、

 緣より下へ、おるゝさへ、お乳や、乳母のつき添ひて、

 荒き風をも、いとひしに、

 まよひ變〔へん〕化〔げ〕のわざならば、

 みづからをも、諸共に、などや連れて行かざりき」と、

袂を顏におしあてゝ、

「卜ひたまへ、

 博士。」とて、

料足萬疋博士が前に、積ませつゝ、

「姬が行〔ゆく〕方〔へ〕を知るならば、

 數(數多)の寶をえさすべし、 

 よくゝゝ卜ひ給ふべし。」

もとより博士は、名人にて、一つの卷物、取リ出し、

件の體〔てい〕を見渡し、横手を「ちやう」とうち、

「姬ぎみの御行方は。

 丹波の國、大江山の鬼神がわざにて候なり(※改行)

 御命には子細なし。

 猶某が方便にて延命と祈らん。

 何の疑、有るべきぞ。

 此ノ卜フ形をよく見るに。

 觀世音に御祈誓あり。

 誕生なりしその願。

 いまだ完就せぬ御咎とみえてあり。

 觀音へ御まゐりあり。

 よきに御祈誓ましまさば。

 姬君さうなく都にかへらせ給はん」と。〔さう、直〕

見透すやうにうらなひて。

博士はわが家にかへりけり。(※改行)

中納言も、みだい所も聞し召し。

これは夢かや現かやと歎かせ給ふ御有樣。

何にたとへんかたもなし。

中納言殿はおつる淚の隙よりも。

急ぎだいりへ奏聞ありければ。〔だいり、内裏〕

帝、叡覽ましゝゝて。

くぎやう、大臣集りて。〔くぎやう、公卿〕

色々、詮議まちゝゝなり。

その中に關白殿進み出でゝ。

「嵯峨の天皇の御代の時。

 是に似たる事の有りしに。

 弘法大師の封じこめ。

 國土をさつて子細なし。

 さりながら今、こゝに賴光をめされつゝ。

 鬼神うてよとの給はゞ。

 さだみつ、すゑたけ、つな、きんとき、ほうしやうをはじめとし。

〔さだみつ、定光。すゑたけ、季武。つな、綱。きんとき、金時。ほうしやう、保昌〕

 此ノ人々には鬼神もおぢ、をのゝきて。

 おそれなすとうけ給はる。

 此ノもの共に仰せ附けられ候へかし。」

帝げにもと思し召し。

賴光を召されけり。

よりみつ、勅をうけ給はり。

急ぎ參内仕りければ。

帝、叡覽ましゝゝて。

「いかによりみつうけ給はれ。

 丹波の國、大江山には。

 鬼神が住みて仇をなす。

 わが國なれば卒土のうち。

 いづくに鬼神の住むべきぞ。

 况やまぢかきあたりにて。

 人を惱ますいはれなし。

 平ラげよ」との宣旨なり。

よりみつ勅命うけ給はり。

「天晴、大事の宣旨かな。

 鬼神は變化の物なれば。

 討チ手向ふと知るならば。

 塵や木の葉と身を變じ。

 我等凢夫の眼にて。

 みつけん事は難かるべし。

 さりながら勅をばいかでそむくべき。

 急ぎわが家に歸りつゝ。

 人々を召しよせて、われが力に叶ふまじ。

 佛神に祈をかけ。

 神の力をたのむべし。

 尤モしかるべし」とて。

よりみつと、ほうしやうは。

八幡に社參ありければ。

つな、きんときは住吉へ。

さだみつと、すゑたけは熊野へ參リ籠リ仕り。

さまゞゝの御立願。

もとより佛法神國にて。

神も納受ましゝゝて。

いづれあらたに御利生あり。

「よろこび、これにしかじ」とて。

皆々わが家に歸りつゝ、ひとつ所に集りて。

色々詮議まちゝゝなり。(※改行)

よりみつ仰せけるは。

「この度は人、數多にて叶ふまじ。

 以上六人が。

 山ぶしに狀をかへ。

 山路に迷ふ風情にて。

 丹波の國、鬼が城へたづね行き。

 栖カだにも知るならば。

 いかにも。

 武略をめぐらして。

 討つべきことは易かるべし。

 面々、笈(おい箱)を拵へて具足冑を入れ給へ。

 人々いかに」とありければ。

「うけ給はる」と申して。

面々、笈を拵へける。

まづ賴光の笈には。

らんでん鎖と申して緋威シの御甲。

同ジ色の五枚冑に。

獅子王とこそ申しけれ。

劍二尺一寸候ひしを。

笈の中にぞ入れ給ふ。

保昌は紫おどしの腹卷に。

おなじけのかぶとを添へ。

岩切と申して二尺ありける小薙刀。

二重にかねを延べつけて。

三束あまりにねぢ切りて。

おひの中へぞ入れ給ふ。

つなは萠黃の腹卷に同ジ色の甲をそへ。

鬼切と云ふたちを笈の中にぞ入れ給ふ。

定光と季武、きんときも。

思ヒ々の腹卷におなじけの甲をそへ。

いづれもおとらぬ劍を笈の中にぞ入れにける。

さゝへと名づけて酒を持ち。

火うち。

つけだけ。

あまがみを笈のうへに取りつけて。

思ヒ々のうち刀。

ときん、すゞかけ、ほらのかひ。

金剛杖をつきつれて。

日本國の神ほとけに。

深く祈禱を申しつゝ。

都を出でゝ丹波の國へと急がせ給ふ。

此ノ人々の有樣。

いかなる天魔はしゆんも。

恐をなすべしと覺えたり。

いそがせ給へば。

程もなく丹波國に聞えたる。

大江山にぞつき給ふ。

柴苅人に行き逢うて。

賴光、仰せけるやうは。

「いかに山人。

 此ノ國の千丈嶽はいづくぞや。

 鬼の岩屋を懇に敎へてたべ」とぞ仰せける。

山人、この由、承り。

「此ノみねをあふたへ越えさせ給ひつゝ。

 又、谷峯のあふたこそ。

 鬼の栖カと申して人間、更に行くことなし」と語りけり。

賴光、聞し召し「さらば此ノみね越えや」とて。

谷よ峯よと分け上り。

とある岩穴、見給へば。

柴の庵の其ノ中に、翁三人ありけるを。

賴光、此ノよし御覽じて。

「いかなる人にてましますぞ。

 無覺束(おぼつかな)」と仰せける。

翁、答へて仰せける。

「我々はまよひ變化の物にてなし。

 一人は津の國のかげの郡の者にてあり。

 一人は紀の國のおとなし里の者にてあり。

 今一人は京近き山城の者にてあり。

 此ノ山のあふたなる酒呑童子といふ鬼に。

 妻子をとられ無念さに。

 その敵をも討たんため。

 このごろこゝに來りたり。

 客僧たちをよく見るに。

 常の人にてましまさず。

 勅ぢやうを蒙りて。酒てんどうじを亡ぼせとの。

 御使とみえてあり。

 此ノ三人のおきなこそ妻子をとられて候へば。

 是非、先達を申すべし。

 笈をもおろし心とけ。

 つかれをやすめ給ふべし。

 客僧達」とぞ申されける。

賴光、此ノよし聞し召し。

「仰セの如く我々は。

 山みちは踏み迷ひ、くたびれて候へば。

 さらばつかれをやすめん」とおひどもおろしおき。

さゝへの酒をとり出だし。

三人の人々に御しゆこしめせとて參らせける。

おきな仰せけるやうは。

「いかにもして忍び入らせ給ふべし。

 かの鬼、常にさけをのむ。

 その名をよそへて酒呑童子と名付けたり。

 酒をもり醉ひて臥したる時は前後もしらず候なり。

 此ノ三人のおきなこそ、こゝに不思議のさけをもて。

 その名をじんべんきどくしゆといひ。

 神の方便、鬼の毒酒と讀むもじぞかし。

 この酒、鬼が呑むならば。

 飛行自在の力も失せ。

 切るとも突くとも知るまじきなり。

 御身たちが。

 此ノ酒を飲めばかへつてくすりとなる。

 さてこそ、じんべんきどく酒とは。

 後の世までも申すべし。

 なほゝゝきどくをみすべし」とて。

ほしかぶとをとり出だし。

「御身は是を著て。

 鬼神が首を切り給へ。

 何の子細もあるまじき」と。

件の酒を相ヒ添へて。

よりみつにぞくだされける。

六人の人々は此ノよしを御覽じて。

さては三じやの御神の。

これまで現じましますかと。

感淚、肝に銘じつゝ。

かたじけなしとも中々に、ことばにもいひがたし。

その時、おきなは岩屋を立ち出で。

なほゝゝせんだち申さんと。

せんじやうだけを登りつゝ。

くらき岩穴、十丈ばかりくゞり出で。

細谷川に出で給ひ。

おきな仰せけるやうは。

「此ノ河上をのぼらせ給ひて御覽ぜよ。

 十七、八なる上臈のおはすべし。

 くはしく逢ひてとひ給へ。

 鬼神の討つべきその時は。

 なほゝゝわれらもみつぐべし。

 住吉八幡熊野の神。

 これまで現じ來る」とて。

かき消すやうに失せ給ふ。

六人の人々は此ノよしを見給ひて。

三じやの神の歸らせ給ふ御あとを伏し拜み給ひつゝ。

敎にまかせて河かみをのぼらせ給ひて見給へば。

をしへの如く十七、八の上らふの。

血のつきたるものを洗ふとて。

淚とゝもにましますが。

よりみつ此ノよし御らんじて。

「いかなるものぞ」と問はせ給へば。

姬君此ノよし聞し召し。

「さん候。

 みづからは都の者にて候が。

 ある夜、鬼神につかまれて。

 是までまゐりて候が。

 こひしきふたりの父母や。

 をぢや、めのとに逢ひもせで。

 かくあさましき姿をば。

 あはれとおぼしめせや」とて。

只、さめゞゝと泣き給ふ。

おつる淚のひまよりも。

「あらあさましや。

 此所は鬼の岩屋と申して。

 人間、更に來る事なし

 客僧等は是まで來らせ給ふぞや。

 いかにもして、みづからを

 都へ歸してたび給へ」と。

仰せもあへず只、さめゞゝとなき給ふ。

賴光、此ノよし聞し召し。

「御身は都にて誰の御子」と問はせ給へば。

「さん候。

 みづからは花園の中納言の。

 ひとり姬にて有りけるが。

 われらばかりに限らず。

 十餘人おはします。

 此ノほど池田の中納言くにたかの姬君も。

 捕られて、これにましますが。

 愛しておきて其ノ後は。

 身のうちより血を搾り。

 酒となづけて血をばのみ。

 肴と名づけてしゝむらを。(ししむら、一云、肉叢、肉の塊り)

 剝き喰はるゝ悲しさを。

 側にて見るもあはれなり。

 堀河の中納言の姬君も。

 今朝、ちを搾られ給ひしぞや。

 そのかたびらをわれゝゝが。

 洗ふことこそ悲しけれ。

 まことに物憂きことぞ」とて。

さめゞゝとなき給へば。

鬼をあざむく人々も。

「げに、ことわり」とて。

共に淚にむせび給ふ。

賴光、仰せけるやうは

「鬼をたやすく平げ。

 御身達を悉く

 都へ返さん、其ノ爲に

 是まで尋ね參りたり。

 鬼の栖カを懇に

 かたらせ給へ」と有りければ。

姬君、此ノ由、聞し召し。

「是は夢かや現かや。

 其ノ義ならば語り申さん」と。

「此ノ河かみをのぼらせ給ひて御覽ぜよ。

 くろがねのついぢを築き。(ついぢ、築地)

 くろがねの門をたて。

 口には鬼が集りて

 番をしてこそ居るべけれ。

 いかにもして、門よりうちへ忍びて御覽ぜよ。

 瑠璃のくうでん、玉をたれ。(くうでん、宮殿)

 甍を並べて建て置きたり。

 四節の四季をまなびつゝ。

 鐵の御所と名づけて。

 くろがねにて館をたて。

 よるになればその内にて。

 われらを集めて愛せさせ

 足手をさすらせ

 起き臥し申すが。

 らうの口には眷族どもに

 ほしくまどうじ。

 熊どうじ。

 虎熊どうじ。

 かねどうじ。

 四天王と名づけて番をさせておく。

 彼ら四人の力の程は。

 いか程とも譬へん方なしときく。

 酒呑童子がその姿。

 色うす赤く、せい、たかく。

 髮は、かぶろにおしみだし。

 晝の間は人なれども。

 夜になればおそろしく。

 そのたけ一丈餘リにして。

 譬へていはん方もなし。

 かの鬼、常に酒を呑む。

 ゑひて、ふしたる時なれば。

 わが身の失するもしらぬなり。

 いかにもして、しのび入り。

 しゆてんどうじに酒をもり。

 ゑひて、ふしたる所を見て。

 思ヒのまゝにうち給へ。

 鬼神は天命つきはてゝ

 つひには討たれ申すべし。

 いかにも才覺おはしませ。

 客僧たち」とぞ仰せける。

さて六人の人々は。

姬君のをしへにまかせて。

河かみをのぼらせ給へば。

程もなく鐵の門につく。

番の鬼ども、これを見て。

「こは何ものぞ。

 めづらしや。

 此レほど人を喰はずして。

 人をこひける折ふしに。

 愚人。

 夏の虫。

 飛んで火に入るとは。

 今こそ思ひしられけれ。

 いざや引き裂きくはん」とて。

われもゝゝと勇みける。

その中に鬼、ひとり申しけるは。

「あわてゝことをしそんずるな。

 かく、めづらしき肴をば。

 わたくしにては叶ふまじ。

 かみへ、ことわり。

 御意次第に引きさきくはん」とぞ申しける。

「げに、尤も」とて。

それより奥をさしまゐりつゝ。

此ノよしかくといひければ。

童子、此ノよし聞くよりも。

「こは不思議なる次第かな。

 何さま對面申すべし。

 こなたへしやうじ申せ」とありければ。(しやうじ、請)

六人の人々を。

椽の上にぞ請じける。

其ノ後、醒き風、吹き來り。

雷電いなづま頻リにして。

前後を忘ずる、その中に。

色うす赤く、せい髙く。

髮はかぶろにおし亂し。

大がうしのおり物に。

紅の袴を著て。

鐵杖をつゑにつき。

「わが住む山はつねならず。

 せきがんがごと、聳えつゝ。

 谷、深くして、道もなし。

 天をかける翅。

 地をはしるけだものまで。

 道が無ければ來る事なし。

 况や面々、人として。

 天をかけりて來たるかや。

 かたれ。

 聞かん」と申シけるし(※改行)

賴光は聞し召し。

「われらがぎやうのならひにて。〔ぎやう、行〕

 役の行者と申しゝ人。

 みち無き山をふみわけて。

 五き、ぜんき、あつきとて。

 鬼神の有りけるに。

 行きあうて。

 じゆもんを授け、ゑじきを與へ。〔じゆもん、呪文〕

 今に絕えせずとしゞゝに。

 ゑじきをあたへ憐むなり。

 此ノ客僧も流レを汲む。

 本國は出羽の羽黑の者なりしが。

 大峯山に年ごもり。

 やうゝゝ春にもなりければ。

 都一見、そのために

 ゆふべ夜をこめて。

 たち出でたるが。

 せんのだうより、ふみ迷ひ。

 道あるやうに心えて。

 是まで來りて候なり。

 童子の御目にかゝる事。

 ひとへに、えんのぎやうじやの御引き合せ。

 何より以て嬉しう候。

 一樹の䕃。

 一河の流レを汲む事も。

 皆、これ、多少の緣と聞く。

 御宿をすこしかし給へ。

 御酒をもたせ候へば。

 恐れながら童子へも御しゆ、ひとつ申さん。

 我等も是にて御酒、給はり。

 終夜さかもりせん」とぞ申されける。

童子は此ノよし聞くよりも。

「さては苦しうなき人か」と。

椽より上へ、よびあげて。

猶も心をしらんため。

童子、申されけるやうは。

「もたせの御しゆのありときく。

 われらも又、客僧達に

 御しゆ、ひとつ申さん。

 それゝゝ」と有りければ。

「うけ給はる」と申して。

さけと名づけて血を搾り。

銚子に入れて盃そへ。

童子が前にぞおきにける。

どうじ、盃とりあげて。

賴光にこそ、さしにけれ。

よりみつ、盃とりあげて

これもさらり、とほされけり。

酒呑童子が是を見て。

「その盃を次へ」といふ。

「うけ給はる」とて綱にさす。

綱も盃ひとつうけ。

さらりとこそは、ほしにけれ。

どうじ申しけるやうは。

「肴はなきか」とありければ。

「うけ給はる」と申して。

今きりたるとおぼしくて。

肘と股とを板にする。

童子が前におきにける。

童子、此ノよし見るよりも。

「それ、こしらへて參らせよ。」

「うけ給はる」とてたつ所を。

よりみつは御覽じて「某、こしらへ給はらん」と。

こしのさしぞへ、するりとぬぎ。

胾(ししむら)、四、五寸おし切りて。

舌打ちしてこそ、まゐりけれ。

綱は此ノよし見るよりも。

「御心ざしのありがたさを。

 某も給はらん」と。

これも四、五寸おし切りて。

うまさうにこそ、くはれけれ。

どうじ、此ノよしみるよりも。

「客僧達は、いかなる山に住み馴れて。

 かくは、めづらしき酒肴を。

 まゐる事こそ、ふしぎなれ。」

賴光は聞し召し。

「御不審は御ことわり。

 われらが行のならひにて。

 しひとて給はる物あれば。

 たとひ心にうけずとも。

 いやといふ事、更になし。

 ことにかやうの酒肴を。

 くふに浮みし、いはれあり。

 討つも討たるゝも夢の中。

 即神、即佛、是なるゆゑ。

 くふに二つの味なし。

 われらともに浮ぶなり。

 あら、かたじけな」と、らいすれば。〔らい、禮〕

鬼神に、わうどうなしとかや。

童子も却りて賴光に。

らいはいするこそ嬉しけれ。〔らいはい、禮拜〕

童子、申されけるやうは。

「心にそまぬ酒肴を。

 參らせるこそ悲しけれ。

 餘の客僧へは、むやく」とて。〔むやく、無益〕

心とけてぞみえにける。

其ノ時、賴光、座敷を立ち。

件の酒をとり出だし。

「これは又、都よりの持參の酒にて候へば。

 恐レながら童子へも御しゆ、ひとつ、まゐらせん。

 御こゝろみの爲に」とて。

賴光、一つ、さらりとほし。

酒呑童子にさゝれける。

どうじ、盃うけとり。

これもさらりとほされたり。

げにも、じんべん、ありがたや。〔じんべん、神便〕

不思議の酒のことなれば。

その味、甘露の如くにて。

心も詞もおよばれず。

斜メならずに喜びて。

「わが最愛の女、あり。

 よび出だして呑ません」とて。

くにたかのひめぎみと。

はなぞのゝ姬君とをよび出だし。

座敷におく。

賴光、此ノよし御覽じて。

「これは又、都よりの上臈等にまゐらせん」と。

お酌にこそはたゝれけれ。

童子あまりの嬉しさに。

ゑひほれ申しけるやうは。

「それがしが古をかたりて聞かせ申すべし。

 本國は越後の者。

 やま寺そだちのちごなりしが。〔ちご、兒〕

 法師に妬ミあるにより。

 數多の法師をさし殺し。

 その夜に比叡の山につき。

 我が住む山ぞと思ひしに。

 傳敎といふ法師。

 佛たちをかたらひて。

 わがたつ杣とて追ひ出だす。

 力、及ばす山をいで。

 又、此ノみねに住みしとき。

 弘法大師といふ、えせもの。

 封じてこゝをも追ひいだせば。

 力、およばぬ處に。

 今はさやうの法師もなし。

 かやうの山ににふぢやうす。〔にふぢやう、入定〕

 今、又、こゝに立ち歸り。

 何の子細も候はず。

 都よりも、わがほしき上らふをめしよせて。

 思ヒのまゝに召しつかひ。

 座敷のていを御覽ぜよ。

 瑠璃のくうでん、玉をたれ。〔くうでん、宮殿〕

 甍をならべ、たておきて。

 萬木千草‘その前に。(原作よ今意改)

 春かと思へば夏もあり。

 秋かと思へば冬もあり。

 かゝる座敷その内に。

 鐵の御所とて。

 くろがねにやかたをたて。

 よるにもなれば、その内にて。

 女房たちをあつめおき。

 足手をさすらせ、起き臥し申すが。

 いかなる諸天王の身なりとも。

 これは、いかでまさるべき。

 されども、心にかゝるは。

 都の中にかくれなき。

 賴光と申して大惡人のつはものなり。

 力は日本にならびなし。

 又賴光が郎黨に。

 さだみつ、すゑたけ。

 きんとき、つな。

 ほうしやう。

 いづれも文武二道のつはものなり。

 これら六人の者どもこそ

 心にかゝり候なり。

 それをいかにと申すに。

 すぎつる春の事なるに。

 某がめしつかふ。

 いばらぎ童子といふ鬼を都へ使にのぼらせしとき。

 七條の掘河にて。

 彼のつなに渡りあふ。

 いばらぎ。

 やがて心得て女のすがたに狀をかへ。

 つながあたりにたちより。

 髻(もとどり)、むづと執り。

 つかんで。

 來んとせしところを。

 つな、此ノよしみるよりも。

 三尺五寸、するりとぬき。

 いばらぎがまたうでを。

 水もたまらず打ちおとす。

 やうゝゝ武略めぐらして。

 かひなを取りかへし。

 今は子細も候はず。

 きやつばらが、むづかしさに。

 われは都へ行くこと、なし。」

其ノ後、しゆてんどうじは。

賴光の御姿を

目をもはなさず打ち詠め。

「さても不思議の人じや。

 御身がまなこを能くみるに。

 賴光にておはします。

 さて、そのつぎは

 いばらぎが肘を切りし

 つなにてあり。

 のこる四人の人々は。

 さだみつ。

 すゑたけ。

 きんときや。

 ほうしやうとこそ、おびえたれ。

 われらが見る目は違ふまじ。

 いぶかしう候。

 お立ちあれ。

 これにありおふ鬼どもよ。

 心ゆるして怪我するな。

 われも、まかりたつぞ」とて。

色をかへてぞ、ひしめきける。

賴光、此ノよし御覽じて。

こゝを陳じ損ずるならば。

ことの大事とおぼしめし。

もとより文武二道の人なれば。

すこしもさわがぬけしきにて。

からゝゝと打ちわらひ。

「さてもうれしの仰せかな。

 日本一のつはものに

 山伏どもが似たるとや。

 その、らいくわうも。

 すゑたけも。

 名を聞くだにも、はじめにて。

 まして目にみる事はなし。

 たゞ今、仰せを能く聞けば。

 惡逆無道の人ときく。

 あら勿体なや。

 あさましや。

 さやうの人には似るもいや。

 われらが行のならひとして。

 物の祈リを助けんため。

 山路を家とする事も。

 餓ゑたる虎狼に身をあたへ。

 うじやう、ひじやうを救はんため。〔うじやう、有情。ひじやう、非情〕

 釋迦牟尼如來の古は

 しうふうと名をつけて。

 諸國を修行に出で給ふ。

 或ル時、山路をとほらせ給へば。

 深き谷の底よりも。

 何者なるとはしらねども。

 しよぎやう無常と唱へれば。

 谷にくだりて御覽ずるに。

 九足八面の鬼神とて。

 ‘か‘し‘らは八つにあし九つ。(原作しら二字今意改)

 さも、おそろしき鬼にぞある。

 しうふう、彼に近づきて。

 只今、唱へし、はんけのもん。

 われに授けよかし、とある。

 鬼神、答えて云ふやうは。

 授けんことは、やすけれど。

 うへにのぞみて力なし。

 人の身をだに、ふくするならば。

 唱へん、とこそ申しけれ。

 しうふう、此ノよしを聞し召し。

 それこそやすき事なるべけれ。

 殘りのもんを唱ふるならば。〔もん、文〕

 汝がゑじきに某、成らん、と仰せければ。

 鬼神、斜メによろこび。

 殘りしもんをぞ、唱へける。

 せしやう、めつほう、しやうめつ、めつい。

 寂滅いらく、と唱へければ。

 しやふう、是をさづかりて。

 あら、ありがたや、とらいしつゝ。

 鬼神が口にいらせ給へば。

 則、菩薩と現はれ。

 きしんは、すなはち毗廬遮那佛。

 しやうふうは、しやか佛なり。

 又ある時はこれやこの。

 はとのはかりに身をかけしも。

 皆、これ生けるをたすけんがため。

 是にありあふ山ぶしも。

 同じきやうにて候へば。

 もんを一つ、さづけつゝ。

 早く命をめさるべし。

 露、ちり程も惜しからじ」と。

さも有りさうにの給へば。

童子はこれにたばかられ。

おもての色をなほしつゝ。

「仰せを聞けば、ありがたや。

 彼のやつばらが。

 是まではよも來らじとは思へども。

 常に心にかゝるゆゑ。

 ゑひても、ほんぢ、忘れずとて。

 御持參の酒にゑひ。

 只くり事とおぼしめせ。

 赤きは酒のとがぞかし。

 鬼とおぼしめされそよ。

 われもそなたの御姿

 打ち見には、おそろしく思へど。

 馴れてつほいは山ぶし」と。

歌ひ、かなでゝ心、うちとけ。〔かなで、奏〕

さしうけ、さしうけ、呑む程に。

これぞ、じんべんきどくの酒なれば。〔じんべんきどく、神便鬼毒〕

五臓六腑にしみわたり。

心も姿もうち亂れ。

「いかにありあふ鬼どもよ。

 かくめづらしき御しゆ、一つ御前にて下されて。

 客僧たちを慰めよ。

 一さし舞へ」とぞ仰せける。

「うけ給はる」とたつところを。

賴光、此ノよし、御覽じて。

「まづ御しゆ、一つ申さん」とて。

並び居たる鬼どもに

件の酒をもりたまへば。

五臓六腑にしみわたり。

前後もさらに辨へず。

されども、その中に。

いしくま童子は

ずんと立つて、舞うたりけり。

「都より

 いかなる人の迷ひ來て。

 酒肴のかざしとはなる。

 おもしろや」と。

おし返し二、三べんこそは

かなでけれ。〔かなで、奏〕

此ノ心を能く聞けば。

是にありける山ぶしどもを。

酒や肴になすべしとの

歌の心とおぼえたり。

やがて賴光

お酌にこそはたゝれけれ。

どうじがうけたる盃を。

つなは此ノよし、みるよりも。

ずんとたつてぞ、まふたりける。

「年をへし

 鬼の岩屋に

 春の來て。

 風、さそひてや

 はなを散らさん

 おもしろや」と。

これも又、おし返し

二、三べんこそ、まうたりけれ。

此ノ歌の心もち。

これにありあふ鬼どもを。

嵐に花のちるごとくになずべし、との

歌の心を。

鬼はすこしも聞き知らず。

あら、おもしろやと感じつゝ。

次第々々にゑひほれて。

どうじ、申されけるやうは。

「いかにありあふ鬼どもよ。

 客僧たちを、よきになぐさめ申すべし。

 それがしがだいかんには

 二人の姬を殘し置く。

 それに姑くおやすみあれ。

 明日、對面申すべし」とて。

どうじは奧にぞ、いりにける。

殘る鬼ども。

どうじの歸らせ給ふを見て。

此處や彼處にふしたるは。

さながら死人の如くなり。

賴光、此ノよしを御覽じて。

二人の姬君を近づけて。

「御身たちは、都にては

 誰の姬にてましますぞ。」

「さん候。

 みづからは池田の中納言

 くにたかの、ひとり姬にてありけるが。

 近き程にとられ來て。

 戀しきふたりの、ちゝ、母や。

 をぢや、めのとに逢ひもせで。

 かくあさましき姿をは。

 あはれとおぼしめせや」とて。

たゞさめゞゝと泣き給ふ。

「今一人の姬君は」と問はせ給へば。

「さん候。

 みづからは吉田の宰相の

 おと姬にてさふらひけるが。

 中々命のきえやらで。

 うらめしさよ」とかきくどき。

二人の姬君諸共に。

こゑもをしまずきえ入るやうに泣き給ふ。

賴光、此ノよし、聞し召し。

「ことわりなり。

 さりながら、鬼を今夜、平げて

 御身たちを都へ御とも申して。

 戀しきふたりのちゝ母に見參らす申すべし。

 鬼の臥シ所をわれゝゝに導き給へ」とありければ。

姬君たちは聞し召し。

「是は夢かや、うつゝかや」と。

「其ノ儀にてあるならば。

 鬼のふしどをわれゝゝが。

 よきに案内、申すべし。

 御用意あれ」とありければ。

賴光、斜メに思し召し。

「其ノ儀にて候はゞ。

 面々、物の具し給へ」とて。

まづ傍にぞ忍ばれける。

よりみつの出でたちには。

らんでんぐさりと申して

緋おどしの冑を召し。

三じやの神の給ひしほしかぶとに。

おなじけの獅子王の御甲

おしかさねてめ召されつゝ。

ちすゐと申すつるぎを持ち。

南無や八幡大菩薩と

心のうちに祈念して

進み出で給ふ。

殘る五人の人々も。

思ヒ々の冑を著。

いづれも劣らぬつるぎを持ち。

女房たちをさきにたて。

心、靜に忍び行く。

ひろき座敷をさしすぎて。

石橋をうち渡り。

内のていを見給へば。

皆々、酒にゑひふして。

「たぞ」とゝがむる鬼もなし。

乘りこえのりこえ見給へば。

なほ廣き座敷の中に。

くろがねにてやかたをたて。

同じ扉に鐵の太き、くわんぬきをさし立てゝ。

凢夫の力にて中々内へ入るべきやうはなし。

廊のひまよりうち見れば。

四方に燈火、髙くたて。

鐵杖、逆鉾、立て並べ。

童子が姿を見てあれば。

宵の形とかはりはて。

そのたけ二丈あまりにして。

髮は赤く。

倒に髮の間より角、生ひて。

鬚髯も眉毛も繁り合ひ。

足手は熊の如くにて。

四方へ足手をうち投げて。

ふしたる姿、見るだに。

身の毛もよだつばかりなり。

ありがたや。

三神あらはれ給ひつゝ。

六人の者どもに「能くゝゝこれまで參りたり。

 さりながら心やすく思ふべし。

 鬼の足手をわれゝゝが鎖にてつなぎつゝ。

 四方の柱に結びつけて。

 働く氣色はあるまじきぞ。

 よりみつは首を切れ。

 殘る五人の者どもは。

 あとやさきに立ちまはり。

 すんゝゝに切りすてよ。

 子細はあらじ」とのたまひて。

門の扉をおし開き。

かき消すやうに失せ給ふ。

さて三じやの神達の。

これまであらはれ給ふかと感淚、肝に銘じつゝ。

たのもしく思ひつゝ。

をしへにまかせて。

賴光はかしらの方にたちまはり。

ちすゐをするりと拔き給ひて。

「南無や、三じやの御神

 ちからを恊せてたび給へ」と。

三度、らいして切り給へば。

鬼神、まなこを見開きて。

「なさけなしとよ。

 客僧達、いつはりなしと聞きつるに

 鬼神にわうどうなき物を」と。

起きあがらんとせしかども。

足手は鎖につながれて。

起くべき樣のあらざれば。

おこゑをあげて、さけぶ聲。

雷電いかづき天地もひゞくばかりなり(※改行)

もとより兵ども。

たちばやにずんゝゝにきり給へば。

首は天にぞ舞ひあがる。

賴光を目にかけて。

只一囓ミにと、ねらひしが。

ほしかぶとに恐レをなし。

その身に子細はなかりけり。

足、手、胴まで切り。

大庭さして出で給ふ。

數多の鬼の中に。

いばらき童子と名のりて。

「主を討つやつばらに。

 手並の程を見せん」とて。

おもてもふらず、かゝりけり。

つなは此ノよし、見よりも。

手なみの程や、知りつらん。

「目に物みせてくん」とて。

おひつ。

まくりつ。

暫しが程、戰ひけれども。

さらに勝負はみえざりけり。

おし並べて、むずと組み。

うへを下へともて返す。

つなが力は三百人。

いばらき、力や强かりけん。

つなを執つておし伏せたり。

賴光、此ノよし御覽じて。

走り掛つて、いばらきが細首、ちうにうち落せば。

いしくま童子。

かねどうじ。

某、外門を固めたる。

十人あまりの鬼どもが。

此ノよしを見るより。

「今はどうじもましまさず。

 いづくを住所となすべきぞ。

 鬼の岩屋も崩れよ」と。

をめき叫んでかゝりける。

六人の人々。

此ノよし見給ひて。

やさしのやつばらや。

手なみの程を見せんとて。

習ひ給ひし、ひやうほうを〔ひやうほう、兵法〕

とり出ださせ給ひて。

あなた、こなたへ追ひつめて。

數多の鬼ども、悉く平げて。

姑く息をぞつがれける。

賴光、仰せけるやうは。

「いかに女房たち。

 早々出でさせ給ふべし。

 今は子細も候まじ」と仰せければ。

此ノこゑを聞くよりも。

捕られてまします女房たち。

囚のうちより轉び落ち。

賴光を目にかけて。

「これは夢かや、現かや。

 われをも助けてたべ」と。

われもゝゝと手を合せて。

歎き悲しむ有樣を。

物によくゝゝ譬ふれば。

罪深き罪人が。

獄卒の手に渡り。

無限地獄に落されしを。

地藏菩薩の錫杖にて。

おんかあかみせんさいそわか、と救ひとらせ給ひしも。

かくや、と思ひ知られたり(※改行)

其ノ時、六人の人々は。

姬君を先にたて。

奧の體を見給へば。

宮殿樓閣、玉をたれ。

四節の四季をまなびつゝ。

甍を並べて立てたるは。

心も言もおよばれず。

また傍を見給へば

死骨、白骨、生しき人。

或は人を酢にして目もあてられぬが中に。

十七、八の上臈の。

片腕おとし、股そがれ。

いまだ命はきえやらずして。

泣き悲しみてましますを。

よりみつ御らんじて。

「あの姬君は都にて誰の姬君にてましますぞ。」

姬君たちは聞し召し。

「さん候。

 あれこそは。

 堀河の中納言の姬君にて候」とて。

急ぎそばに走り寄りて。

「いかに姬君。

 いたはしや。

 みづからどもは。

 客僧たちの。

 鬼、悉く平げて

 都へつれて歸らせ給ふが。

 御身一人、殘し置きて歸るべきかや。

 悲しやな。

 かく恐ろしき地獄にも。

 御身に心の引かされて。

 跡に心の殘るぞ」とて

髮、掻き撫でゝ。

「何事にても

 御心に思しめさるゝ事あらば。

 われゝゝに語らせ給へ。

 都へ上りて候はゞ。

 父母によきに届けて參らすべし。

 姬君いかに」とありければ。

此ノよし聞しめし。

「美しの人々や。

 かく、あさましき露の身の。

 早くは迎の人をくだすべし。

 暇、申して。

 さらば」とて

もの憂き洞を立ち出でゝ。

谷嶺過ぎて急がせ給へば。

程もなく大江山の麓なり。

しもむらの在所につく。

よりみつ、仰せけるは。

「いかに所の者どもよ。

 急ぎてんまを觸れさせて。〔てんま、傳馬〕

 女房たちを都へ送るべし。

 いかにゝゝ」とありければ。

「うけ給はる」と申すとき。

其ノころ丹波の國司をば。

大宮の大臣殿と申しけるが。

此ノよしを聞し召し。

「さても、めでたき次第」とて。

急ぎ、さいつしやうかまへ、まゐらせけり。

そのひまに、馬のり物にて。

人々を都へ送り給ひけり。

都にはこの事を聞くよりも。

賴光の御のぼりを見物せんとて。

さゞめき渡りてひかへたり。(※改行)

「さきに消えもせで。

 かやうの姿を人々に。

 みせまゐらするはづかしさよ。

 都にのぼらせ給ひて。

 ちゝ母の、此ノ事をしろしめされなば。

 わが身のことを中々に

 歎き給はん悲しさよ。

 記念は思ヒの種なれど。

 「姬がかたみ」との給ひいて。

 わが黑髮を切りてたべ。

 又、此ノ小袖はみづからが。

 「最後の時まで著たる小袖」とのたまひて。

 その黑髮をおし包みて

 母上さまに參らせて。

 「後ノ世をばとうてたび給へ」と。

 よくゝゝ届けてたび給へ。

 いかにあれなる客僧達。

 かへらせ給はぬそのさきに。

 みづからには、とゞめをさして給はれ」と。

消え入るやうに泣き給ふ。

賴光、此ノ由、聞し召し。

「げに道理なり。

 ことわりや。」

さりながら。

都にのぼりて候はゞ。

ちゝ母に此ノことを

よきに案内、申しつゝ。

明日にも成るなら。

その中に姬を捕られし。

池田の中納言夫婦の人も出で給ひ。

「いづくまでも逢ひ次第」と。

迎に出でさせ給ひしが。

よりみつを見つけつゝ。

すはや是へとの給へば。

はや姬君も御覽じて。

「母上さま」とて泣き給ふ。

母うへ此ノよし御らんじて。

するゝゝと走り寄り。

ひめ君にとり付きて。

「是は夢かや、現かや」と。

消え入るやうに泣き給へば。

中納言も聞しめし。

「一度別かれしわが姬に。

 二たび、あふこそ嬉しけれ」と。

急ぎ宿所にかへらせ給ふ。

よりみつは參内あり。

帝、叡覽ましゝゝて

御感は申すばかりなし。

御褒美、限りなかりける。

それより國土安全長久に。

をさまるみよとぞなりにける(※改行)

彼の賴光の御手柄。

ためしすくなき、ゆみとりとて。

かみ一人よりしも萬民に至るまで。

感ぜぬものは、なかりけり。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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