能の本;「觀世流謠曲錦嚢卷之一」より世阿弥元淸作『髙砂』


底本は『觀世流謠曲錦嚢卷之一』

奥付云、明治四十三年九月十五日印刷/同月二十五日發行

觀世流謠曲同志研究會編輯

發行所;高陽堂

適時送り仮名追加。及びルビ〔平仮名〕追加。




脇能 髙砂〔たかさご〕 正月

 前シテ 翁

 後シテ 住吉明髮

 ツレ 翁

 ワキ 神主友成

世阿弥元淸作


〔ワキ神主/ワキツヨク〕

「今を始めの旅衣。

 今を始めの旅衣。

 日も行末ぞ久しき

〔ワキ〕

「抑〔そもそも〕是〔これ〕は〔ワ〕九州肥後の國。

 阿〔ア〕蘇〔ソ〕の宮の神〔カン〕主〔ヌシ〕友〔トモ〕成〔ナリ〕とは〔ワ〕我ガ事也。

 我レいまだ都を見ず候程に。

 此度思ひ立ち都に上〔ノボ〕り候。

 又よきついでなれば。

 播州髙砂の浦をも一見せばやと存じ候

〔進行〕

「旅衣。

 末はるばるの都路を。

 末はるばるの都路を。

 けふ思ひ〔イ〕立つ浦の浪。

 舩路長閑〔のどけ〕き春風のいく日〔カ〕きぬらん跡〔アト〕末も。

 いさ白〔シラ〕雲〔クモ〕のはるばると。

 さしも思ひ〔イ〕し播〔ハリ〕磨〔マ〕がた

 髙砂のうらに着キにけり

 髙砂のうらに着キにけり

〔一聲/シテ/ツレ/二人〕

「髙砂の。

 松の春〔ハル〕風〔カゼ〕吹〔フ〕きくれて。

 尾〔オノ〕上〔エ〕の鐘〔カネ〕も。

 響〔ヒビ〕くなり

〔ツレ、二ノ句〕

「波は〔ワ〕霞〔カスミ〕の磯〔イソ〕がくれ。

 音こそ潮〔シヲ〕の。

 みちひ〔滿干〕なれ

〔シテ/サシ/上〕

「誰〔タレ〕をかも知る人にせん髙砂の。

 松も昔の友ならで。

〔二人〕

「過〔スギ〕來〔コ〕し世々は〔ワ〕しら雪〔ユキ〕の。

 積〔ツモ〕り積〔ツモ〕りて老〔オイ〕の鶴〔ツル〕の。

 ねぐらに殘る有明の。

 春の霜〔シモ〕夜〔ヨ〕の起〔オキ〕ゐ〔居〕にも松風をのみ聞〔キキ〕馴〔ナレ〕て。

 心を友と菅〔スガ〕筵〔ムシロ〕の。

 思ひ〔イ〕をのぶる計〔バカリ〕なり

〔下歌〕

〔ウヤ〕

「音〔オト〕づれは〔ワ〕松にこととふ〔言問〕ふ浦風の。

 落〔オチ〕葉〔バ〕衣〔ゴロモ〕の袖〔ソデ〕そ〔添〕へて木〔コ〕䕃〔カゲ〕の塵〔チリ〕を掻かふよ

 木〔コ〕䕃〔カゲ〕の塵〔チリ〕を掻かふよ

〔ウヤヲ〕

*所は髙砂の。

〔ウヤヲ〕

 所は髙砂の。

 尾上の松も年ふりて。

〔ヤ〕

 老の波もよりくるや。

 木の下〔シタ〕䕃〔カゲ〕の落〔オチ〕葉〔バ〕かくなるまで命〔イノチ〕ながらへて。

 猶〔ナヲ〕いつまでか生〔イキ〕の松。

 それも久しき。

 名所〔めいしよ〕かな

 それも久しき。

 名所かな*

〔ワキ〕

「里人を相〔アヒ〕待〔マ〕つ處に。

 老〔ロオ〕人〔ジン〕夫〔フウ〕婦〔フ〕來〔キタ〕れり。

 いかに是れなる老人に尋ぬべき事の候

〔シテ〕

「こなたの事にて候か何〔ナニ〕事〔ゴト〕にて候ぞ

〔ワキ〕

「髙砂の松とは〔ワ〕何〔イヅ〕れの木を申し候ぞ

〔シテ〕

「唯今木〔コ〕䕃〔カゲ〕を淸〔キヨ〕め候こそ髙砂の松にて候へ

〔ワキ〕

「髙砂住の江の松に相〔アイ〕生〔オイ〕の名あり。

 當〔トヲ〕所〔シヨ〕と住吉とは〔ワ〕國をへだてたるに。

 何とて相生の松とは〔ワ〕、申し候ぞ

〔シテ〕

「仰〔オオセ〕の如く古〔コ〕今〔キン〕の序〔ジヨ〕に。

 髙砂住の江の松も。

 相生の樣〔ヨウ〕に覺〔オボ〕えとありさりながら。

 此の尉〔ジヨオ〕は〔ワ〕津の國住吉の者。

 是れなる姥〔ムバ〕こそ當所の人なれ。

 知る事あらば申さ給へ

〔ワキ上〕

「ふしぎや見れば老人の。

 夫婦一所に有りながら。

 遠き住の江髙砂の。

 浦山國を隔〔ヘダ〕てすむと。

 いふは〔ワ〕如何なる事や覽〔らん〕

〔ツレ上〕

「うたての仰候や。

 山〔サン〕川〔セン〕萬〔バン〕里〔リ〕を隔つれども。

 たがひ〔イ〕に通ふ心づかひの。

 妹〔イモ〕背〔セ〕の道は〔ワ〕遠からず

〔シテ〕

「先づ案〔アン〕じても御覽ぜよ。

〔シテ/ツレ/二人〕

「髙砂住の江の。

 松は〔ワ〕非〔ヒ〕情〔ジヨウ〕の物だにも。

 相生の名は〔ワ〕あるぞかし。

 ましてや生〔シヨオ〕ある人として。

*年〔トシ〕久〔ヒサ〕しくも住吉より。

 通〔カヨ〕ひ〔イ〕馴〔ナレ〕たる尉と姥は〔ワ〕。

 松諸〔モロ〕共〔トモ〕に。

 此の年まで。

 相生の夫婦となるものを*

 〔ワキ/上〕

「謂〔イワレ〕を聞〔キ〕けば面白や。

 扨々〔さてさて〕さきに聞〔キコ〕えつる。

 相生の松の物語を。

 所にいひ〔イ〕置くいは〔ワ〕れは〔ワ〕なきか

〔シテ〕

「昔の人の申シしは〔ワ〕めでたき世のためしなり

〔ツレ上〕

「髙砂といふは〔ワ〕上代の。

 萬〔マン〕葉〔ヨオ〕集〔シウ〕のいにしへの義〔ギ〕

〔シテ〕

「住吉と申スは〔ワ〕。

 今此の御〔ミ〕代〔ヨ〕に住み給ふ延喜の御ン事

〔ツレ上〕

「松とは〔ワ〕盡〔ツキ〕ぬこと〔言〕の葉の

〔シテ〕

「榮〔さかえ〕は〔ワ〕古今相ひ同じと。

〔シテ/ツレ二人上〕

「御代をあがむるたとへ〔喩〕なり

〔ワキ、カゝル〕

「よくよく聞けば有難や。

 今こそ不〔フ〕審〔シン〕春の日の

〔シテ〕

「光〔ヒカリ〕やは〔ワ〕〔和〕らぐ西の海の

〔ワキ〕

「かしこは〔ワ〕住の江

〔シテ〕

「ここは〔ワ〕髙砂

〔ワキ〕

「松もいろ〔色〕そ〔添〕ひ〔イ〕

〔シテ〕

「春も

〔ワキ〕

「長〔ノド〕閑〔カ〕に

〔上歌/同〕

「*四海波靜にて。

 國も治まる時津風。

 枝をなら〔鳴〕さぬ御〔ミ〕代〔ヨ〕なれや。

〔ヤヲハ〕 

 あひ〔イ〕に相生の。

 松こそめでたかりけれ。

〔ヤヲハ〕

 げにやあふぎても。

 ことも愚〔オロカ〕やかかる世に。

 住〔ス〕める民とて豐〔ユタカ〕なる。

 君の惠みぞ。

 有難き

 君の惠みぞ。

 有難き*

〔ワキ〕

「猶々髙砂の松のめでたき謂〔イワレ〕委〔クワ〕しく御〔オン〕物語候へ

〔クリ地〕

「それ草〔クサ〕木〔キ〕心なしとは〔ワ〕申せども花〔クワ〕實〔ジツ〕の時をたが〔違〕へず。

 陽春の德をそなへて南〔ナン〕枝〔シ〕花〔ハナ〕はじめてひらく

〔シテ/サシ/〕

「*然れども此の松は〔ワ〕。

 其の氣〔ケ〕色〔シキ〕とこしなへにして花〔クワ〕葉〔ヨオ〕時をわかす。

〔同下〕

「よつ〔四〕の時至りても。

 一千年の色〔イロ〕雪〔ユキ〕のうちに深〔フカ〕く。

 又は〔ワ〕松〔シヨオ〕花〔クワ〕の色十〔ト〕かへりともいへり

〔シテ下〕

「かかるたよりを松が枝〔エ〕の。

〔同〕

「こと〔言〕の葉草〔クサ〕の露の玉。

 心を磨〔ミガ〕く種〔タネ〕となりて

〔シテ下〕

「生〔イキ〕としい〔生〕ける。

 物ごとに。

 敷〔シキ〕島〔シマ〕の影に。

 よるとかや

〔ウヤヲ〕

〔クセ下〕

「然るに。

 長〔チヨオ〕能〔ノオ〕が言葉にも。

 有情非情の其の聲みな歌にも〔漏〕るる事なし。

 草木〔そうもく〕土沙〔どしゃ〕。

〔ヤヲ〕

 風〔フウ〕聲〔セイ〕水〔スイ〕音〔オン〕まで萬物のこもる心あり。

〔ヤヲハ〕

 春の林の。

〔ヤヲハ〕

 東〔トオ〕風〔フウ〕に動き秋の虫の。

〔ヤア〕

 北〔ホク〕露〔ロ〕になくも皆和歌の姿ならずや。

〔ウヤヲ〕

 中にも此の松は〔ワ〕。

〔ヤア〕

 萬〔ばん〕木〔ぼく〕に勝〔スグ〕れて。

 十〔ジウ〕八〔ハツ〕公〔コオ〕のよそほ〔オ〕ひ〔イ〕。

〔ヤア〕

 千秋の綠をなして。

〔ヤヲ〕

 古今の色を見ず。

〔ヤヲ〕

 始〔シ〕皇〔コオ〕の御〔オン〕爵〔シヤク〕に。

 あづかる程の木なりとて異〔イ〕國〔コク〕にも。

 本〔ホン〕朝にも萬〔バン〕民〔ミン〕これを賞〔シヤウ〕翫〔カン〕す

〔シテ上/〕

「*髙砂の。

 尾上の鐘の音〔オト〕すなり

〔同上〕

「曉〔アカツキ〕かけて。

〔ヤヲハ〕

 霜は〔ワ〕おけども松が枝の。

 葉〔ハ〕色〔イロ〕は〔ワ〕同じ深みどり立寄る陰の朝〔アサ〕夕に。

〔ヤヲ〕

「かけども落ち葉の盡きせぬは〔ワ〕

〔ヤア〕

「誠〔まこと〕なり松の葉の散りうせずして色は〔ワ〕猶正〔マサ〕木〔キ〕のかづらながき世の。

〔上〕

 たとへなりけるときは〔ワ〕〔常盤〕木の中〔ナカ〕にも名は〔ワ〕髙砂の。

〔ヤア〕

 末〔マツ〕代〔よ〕のためしにも相生の松ぞめでたき*

〔地上〕

「げにも名を得たる松が枝の。

 げにも名を得たる松が枝の。

 老〔オイ〕木〔キ〕の昔あらは〔ワ〕して。

 その名を名のり給へや

〔シテツレ二人/上〕

「今は〔ワ〕何をかつつむべき。

 是れは〔ワ〕髙砂住の江の。

〔ヤア〕

 相生の松の精〔セイ〕。

 夫婦と現〔ゲン〕じ來りたり

〔地上〕

「ふしぎや扨〔さて〕は〔ワ〕名〔ナ〕所〔ドコロ〕の。

 松の奇〔キ〕特〔ドク〕を顯〔アラ〕は〔わ〕して

〔シテツレ二人〕

「草〔ソヲ〕木〔モク〕心なけれども

〔地〕

「畏〔カシコ〕き代〔ヨ〕とて

〔シテツレ二人〕

「土も木も

〔ヤヲハ〕

〔同〕

「我が大君の國なれば。

〔ヤア〕

 いつまでも君が代に。

〔ヤア〕

 住吉にまづ行きてあれにて。

 待チ申さんと。

〔ヤア〕

 夕波の汀〔ミギワ〕なる海士〔あま〕の。

〔ヤヲ〕

 小舟に打ち乘りて。

〔ヤア〕

 追〔オイ〕風〔カゼ〕にまかせつつ

 沖〔オキ〕の方に出でにけりや

 沖〔オキ〕の方に出でにけりや

〔ワキ上〕

〔ウヤ〕

「*髙砂や。

 此の浦舟に帆をあげて。

 此の浦舟に帆をあげて。

 月もろ共に出〔イデ〕汐〔シオ〕の。

 波の淡〔アハ〕路〔ヂ〕の島陰や。

 遠くなるを〔鳴尾〕の沖過ぎて早や住の江に。

 つきにけり

 早や住の江に。

 つきにけり

〔後シテ/上〕

「我レ見ても久しくなりぬ住吉の。

 岸〔キシ〕の姫〔ヒメ〕松〔マツ〕いく世へぬらん。

 むつましと〔(瑞垣)〕君は〔ワ〕しらずやみづがきの。

 久しき世〔ヨ〕々の神〔カミ〕かぐら。

 よるの皷〔ツヅミ〕の拍〔ヒヨウ〕子〔シ〕を揃〔ソロ〕へて。

 すずしめ給へ。

 宮つこたち

〔地上〕

「西の海。

 あをきが原の。

 浪間より

〔シテ下〕

「あらは〔ワ〕れ出デし神〔カミ〕松の。

 春なれや。

 殘〔ノコ〕んの雪の朝〔アサ〕香〔カ〕がた

〔上(玉藻)〕

「たまもかるなる岸陰の

〔シテ〕

「松〔シヨオ〕根〔コン〕によつて腰〔コシ〕をすれば

〔地〕

「千年の綠。

 手にみてり

〔シテ上〕

「梅〔バイ〕花〔クワ〕を折つてかうべにさせば

〔地〕

「二〔ジ〕月〔ゲツ〕の雪〔ユキ〕衣におつ

〔地上〕

(影向)

〔ウヤア〕

「有難のやうがうや。

〔ヤア〕

 〃。

 月住吉の神遊び。

 御〔ミ〕影〔カゲ〕を拜うあらたさよ

〔シテ上〕

「げにさまざまの舞〔マイ〕姫〔ビメ〕の。

 聲も澄むなり住の江の。

〔ヤア〕

「松かげもうつるなる。

 靑〔セイ〕海〔カイ〕波〔ハ〕とは〔ワ〕是れやらん

〔地上〕

「神と君との道すぐに。

 都の春に行くべくは〔ワ〕

〔シテ〕

「それぞ還〔ゲン〕城〔ジヨオ〕樂〔ラク〕の舞

〔地〕

「さて萬〔バン〕歳〔ゼイ〕の

〔シテ〕

(腕〔かいな〕)

「小〔オ〕忌〔ミ〕衣〔ゴロモ〕

〔ヤヲハ〕

〔同〕

「さすかひ〔イ〕なには。

〔ヤア〕

 惡〔アク〕魔〔マ〕をはらひ〔イ〕。

 おさむる手には〔ワ〕。

〔ヤヲ〕

 壽〔ジユ〕福〔フク〕をいだき。

 千秋樂は〔ワ〕民をなで。

 萬〔マン〕歳〔ザイ〕樂〔ラク〕には〔ワ〕命をのぶ。

〔ヤア〕

 相生の松風颯〔サツ〕々の聲ぞたのしむ

 聲ぞたのしむ






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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