中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀因果品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(25)


中論卷の第三

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す




■中論觀因果品第二十//二十四偈

問曰。衆因緣和合現有果生故。當知是果從衆緣和合有。答曰。

問へらく〔=曰〕、

「衆因緣和合し現に果の生ず有り。

 故に當に知るべし是の果、衆緣和合從り有り」と。

答へらく〔=曰〕、


 若衆緣和合  而有果生者

 和合中已有  何須和合生

若謂衆因緣和合有果生。是果則和合中已有。而從和合生者。是事不然。何以故。果若先有定體。則不應從和合生。問曰。衆緣和合中雖無果。而果從衆緣生者。有何咎。答曰。

≪若し衆緣和合し

  (而)果の生有らば〔=者〕

 和合中に已に有り

  何ぞ和合を須〔用〕ひて生ず≫

「若し『衆因緣和合し果の生有り、是の果則ち和合中に已に有りて〔=而〕和合從り生じたり』と謂はば〔=者〕是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 果、若し先有にして定體ならば〔=則〕應に和合從り生ぜず」と。

問へらく〔=曰〕、

「衆緣和合中に果無くも〔=雖〕(而)果、衆緣從り生ぜば〔=者〕何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 若衆緣和合  是中無果者

 云何從衆緣  和合而果生

若從衆緣和合則果生者。是和合中無果。而從和合生。是事不然。何以故。若物無自性。是物終不生。復次。

≪若し衆緣和合す

  是の中に無果ならば〔=者〕

 云何んが衆緣の

  和合從りして〔=而〕果ぞ生じたる≫

「若し衆緣和合從り則ち果、生ずるも〔=者〕是の和合中には無果にして、而れど和合從り生ずといふ是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 若し物、その自性無くば是の物、終に生ぜず。

 復、次に


 若衆緣和合  是中有果者

 和合中應有  而實不可得

若從衆緣和合中有果者。若色應可眼見。若非色應可意知。而實和合中果不可得。是故和合中有果。是事不然。復次。

≪若し衆緣和合す

  是の中に有果ならば〔=者〕

 和合中に應に有り

  而れど實には不可得≫

 若し衆緣和合中從り有果ならば〔=者〕(若)色ならば應に可く眼に見ゆ。

 (若)色に非らずば應に可く意に知らる。

 而れど實には和合中に果、得可くもなし。

 是の故、和合中に有果といふ是の事、然らず。

 復、次に、


 若衆緣和合  是中無果者

 是則衆因緣  與非因緣同

若衆緣和合中無果者。則衆因緣即同非因緣。如乳是酪因緣。若乳中無酪。水中亦無酪。若乳中無酪則與水同。不應言但從乳出。是故衆緣和合中無果者。是事不然。問曰。因爲果作因已滅。而有因果。無如是咎。答曰。

≪(若)衆緣和合す

  是の中に無果ならば〔=者〕

 是れ則ち衆因緣

  因緣に非らざるにも〔=與〕同じ≫

 若し衆緣和合中に無果ならば〔=者〕則ち衆因緣は〔=即〕因緣に非らざるに同じき。

 乳、是れ酪の因緣なり。

 (若)乳中に酪無くて、水中にも〔=亦〕酪無くば(若)乳中に酪無きこと則ち水と〔=與〕同じき。

 應に但、乳從りのみ出づと言ふべからず。

 この如く、是の故に衆緣和合中に無果といふ〔=者〕是の事、然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「因、果の爲に因と作り已に滅しき。

 而して因の果有り。

 是の如きは咎無し」と。

答へらく〔=曰〕、


 若因與果因  作因已而滅

 是因有二體  一與一則滅

若因與果作因已而滅者是因則有二體。一謂與因。二謂滅因。是事不然。一法有二體故。是故因與果作因已而滅。是事不然。問曰。若謂因不與果作因已而滅。亦有果生。有何咎。答曰。

≪若し因、果に因を與へ

  因と作り已はりて〔=而〕滅せば

 是の因、二體有り

  一は與へたり、一は〔=則〕滅したり≫

 若し因、果に與へ因と作り已はりて〔=而〕滅せば〔=者〕是の因は〔=則〕二體有り。

 一を謂はく、與因。

 二を謂はく、滅因。

 是の事、然らず。

 一法に二體有るが故に。

 是の故、因、果に與へて因を作し已はりて〔=而〕滅すといふ是の事、然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し謂『因、果に與へず因と作り已はりて〔=而〕滅し亦、果の生有り』と謂はば何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 若因不與果  作因已而滅

 因滅而果生  是果則無因

若是因不與果。作因已而滅者。則因滅已而果生。是果則無因。是事不然。何以故。現見一切果。無有無因生者。是故汝說因不與果作因已而滅亦有果生者。是事不然。問曰。衆緣合時而有果生者。有何咎。答曰。

≪若し因、果に與へず

  因と作り已はりて〔=而〕滅し

 因滅して〔=而〕果生ぜば

  是の果は〔=則〕無因≫

「若し是の因、果に與へず因と作り已はりて〔=而〕滅せば〔=者〕則ち因滅し已はりて〔=而〕その果生じたり。

 是の果は〔=則〕無因なり。

 是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 現見に一切果、無因に生ず者有ること無し。

 是の故、汝、『因、果に與へず因と作り已はりて〔=而〕滅し亦、果の生ず有り』と說かば〔=者〕是の事、然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「衆緣の合時、(而)果の生ず有らば〔=者〕何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 若衆緣合時  而有果生者

 生者及可生  則爲一時俱

若衆緣合時有果生者。則生者可生即一時俱。但是事不爾何以故。如父子不得一時生。是故汝說衆緣合時有果生者。是事不然。問曰。若先有果生。而後衆緣合。有何咎。答曰。

≪若し衆緣の合時に

  (而)果の生ず有らば〔=者〕、

 生者及び可生は

  〔=則〕一時に俱なりたり〔=爲〕≫

「若し衆緣の合時、果の生ず有らば〔=者〕則ち生者・可生は〔=即〕一時にし俱なれり。

 但に是の事、爾らず。

 何を以ての故に。

 父子、一時に生じ得るが如かれば。

 是の故、汝、『衆緣の合時に果の生ず有り』と說かば〔=者〕是の事、然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し先きに果の生じたり〔=有〕て〔=而〕、後に衆緣合せば何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 若先有果生  而後衆緣合

 此即離因緣  名爲無因果

若衆緣未合。而先有果生者。是事不然。果離因緣故。則名無因果。是故汝說衆緣未合時先有果生者。是事則不然。問曰。因滅變爲果者。有何咎。答曰。

≪若し先きに果の生ず有り

  〔=而〕後に衆緣合せば

 此れぞ〔=即〕因緣を離れたり

  名づけ因果無しとす〔=爲〕≫

「若し衆緣未合にして〔=而〕先きに果の生有らば〔=者〕是の事、然らず。

 その果、因緣を離るれば〔=故〕。

 則ち因果無しと名づく。

 是の故、汝、『衆緣未合時に先きに果生じたり〔=有〕』と說かば〔=者〕是の事は〔=則〕然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「因滅し變じて果となら〔=爲〕ば〔=者〕何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 若因變爲果  因即至於果

 是則前生因  生已而復生

因有二種。一者前生。二者共生。若因滅變爲果。是前生因應還更生。但是事不然。何以故。已生物不應更生。若謂是因即變爲果。是亦不然。何以故。若即是不名爲變。若變不名即是。問曰。因不盡滅但名字滅。而因體變爲果。如泥團變爲瓶。失泥團名而瓶名生。答曰。泥團先滅而有瓶生。不名爲變。又泥團體不獨生。瓶瓫甕等皆從泥中出。若泥團但有名。不應變爲瓶。變名如乳變爲酪。是故汝說因名雖滅而變爲果。是事不然。問曰。因雖滅失而能生果。是故有果。無如是咎。答曰。

≪若し因變じ果となら〔=爲〕ば

  因は〔=即〕果に〔=於〕至れり

 是れぞ〔=則〕前生の因

  生じ已はるに〔=而〕復、生じたり≫

「因、二種有り。

 一は〔=者〕前生。

 二は〔=者〕共生。

 若し因滅じ變じて果となら〔=爲〕ば是れ、前生の因に應に還へりて更に生じき。

 但に是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 已に物生ずるに應に更に生ずべからず。

 若し『是の因は〔=即〕變じ果となる〔=爲〕』と謂はば是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。

 若し即是ならば名づけて變とせ〔=爲〕ず。

 若し變ぜば即是と名づけず」と。

問へらく〔=曰〕、

「因、盡滅せず。

 但に名字のみ滅す。

 而して因の體、變じて果となれり〔=爲〕。

 泥團、變じ瓶となる〔=爲〕が如くに。

 泥團の名を失しなひて〔=而〕瓶の名生じたり」と。

答へらく〔=曰〕、

「泥團、先きに滅して〔=而〕瓶の生ず有り。

 名づけて變と爲さず。

 又、泥團の體、獨り生ぜず。

 瓶瓫甕等も皆、泥中從り出づ。

 若し泥團、但に名のみ有らば應に變じて瓶となるべからず。

 變を、乳の變じて酪となる〔=爲〕が如しと名づく。

 是の故、汝、『因、その名滅すれど〔=雖〕而も變じて果となる〔=爲〕』と說かば是の事、然らず」。

問へらく〔=曰〕、

「因、滅失せど〔=雖〕、而れども能く果を生ず。

 是の故、果有り。

 是の如きに咎無し」と。

答へらく〔=曰〕、


 云何因滅失  而能生於果

 又若因在果  云何因生果

若因滅失已。云何能生果。若因不滅而與果合。何能更生果。問曰。是因遍有果而果生。答曰。

≪云何んが因、滅失したるに

  (而)能く果を〔=於〕生ぜん

 又、(若)因、その果に在らば

  云何んが因、その果を生じき≫

「(若)因、滅失し已はるに云何んが能くその果を生じん。

 (若)因、滅せざりて〔=而〕果と〔=與〕合せば何んが能く更に果を生ず」と。

問へらく〔=曰〕、

「是の因、遍くに果有り。

 而して果生ず」と。

答へらく〔=曰〕、


 若因遍有果  更生何等果

 因見不見果  是二俱不生

是因若不見果。尚不應生果。何況見。若因自不見果。則不應生果。何以故。若不見果。果則不隨因。又未有果。云何生果若因先見果。不應復生。果已有故。復次。

≪若し因、遍く果有らば

  更らに何等の果を生ず

 因、その果を見るも見ざるも

  是の二俱に生ぜず≫

「是の因、若しその果を見ざりてだに〔=尚〕、應に果生ぜず。

 何を況んや見てをや。

 (若)因、自ら果を見ざれば〔=則〕應にその果生ずべからず。

 何を以ての故に。

 (若)果を見ざれば、果は〔=則〕因の隨ならず。

 (又)未だ果有らねば云何んが果の生じん。

 若し因、先きに果を見たれば應に復に生ずべからず。

 果、已に有らば〔=故〕。

 復、次に、


 若言過去因  而於過去果

 未來現在果  是則終不合

 若言未來因  而於未來果

 現在過去果  是則終不合

 若言現在因  而於現在果

 未來過去果  是則終不合

過去果不與過去未來現在因合。未來果不與未來現在過去因合。現在果不與現在未來過去因合。如是三種果。終不與過去未來現在因合。復次。

≪若し過去因と言はば

  (而)その過去果に〔=於〕

 未來・現在果

  是れらは〔=則〕終に合せず

 若し未來因と言はば

  (而)その未來果に〔=於〕

 現在・過去果

  是れらは〔=則〕終に合せず

 若し現在因と言はば

  (而)その現在果に〔=於〕

 未來・過去果

  是れらは〔=則〕終に合せず≫

 過去果、過去・未來・現在因と〔=與〕合せず。

 未來果、未來・現在・過去因と〔=與〕合せず。

 現在果、現在・未來・過去因と〔=與〕合せず。

 是の如き三種の果、終に過去・未來・現在因と〔=與〕合せず。

 復、次に、


 若不和合者  因何能生果

 若有和合者  因何能生果

若因果不和合則無果。若無果云何因能生果。若謂因果和合時因能生果者。是亦不然。何以故。若果在因中。則因中已有果。云何而復生。復次。

≪若し和合せずば〔=者〕

  因、何んが能く果を生ず

 若し和合有るも〔=者〕

  因、何んが能く果を生ず≫

 若し因果、和合せずば〔=則〕その果無し。

 若し果無くば云何んが因、能く果を生ず。

 若し『因果和合時に因、能く果を生ず』と謂はば〔=者〕是れ、亦に然らず。

 何を以ての故に。

 若し果、因中に在らば〔=則〕因中に已に果有り。

 云何んが而も復に生ず。

 復、次に、


 若因空無果  因何能生果

 若因不空果  因何能生果

若因無果者。以無果故因空。云何因生果。如人不懷姙。云何能生子。若因先有果。已有果故不應復生。復次今當說果。

≪若し因空ならば果無し

  因、何んが能く果を生ず

 若し因空ならずば果あり

  因、何んが能く果を生ず≫

 若し因、果無くば〔=者〕果無きを以ての故にその因、空なり。

 云何んが因、果を生ず。

 人、懷姙せざるに云何んが能く子の生ず。

 この如くに。

 若し因、先きに果有らば已に果有り。

 故に應に復に生ぜず。

 復、次に今當に果をし說かん。


 果不空不生  果不空不滅

 以果不空故  不生亦不滅

 果空故不生  果空故不滅

 以果是空故  不生亦不滅

果若不空。不應生不應滅。何以故。果若因中先決定有。更不須復生。生無故無滅。是故果不空故。不生不滅。若謂果空故有生滅。是亦不然。何以故。果若空。空名無所有。云何當有生滅。是故說果空故不生不滅。復次今以一異破因果。

≪果、空ならずば生ぜず

  果、空ならずば滅せず

 果、空ならざるを以ての故に

  生ぜず、亦、滅せず

 果、空なれば〔=故〕生ぜず

  果、空なれば〔=故〕滅せず

 果、是れ空なるを以ての故に

  生ぜず、亦、滅せず≫

 果、若し空ならずば應に生ぜず。

 應に滅せず。

 何を以ての故に。

 果、若し因中に先きに決定たれ〔=有〕ば更らに復に生を須〔用〕ひず。

 生無くば〔=故〕滅無し。

 是の故、果、空ならざれば〔=故〕生ぜず、滅せず。

 若しは『果、空なるが故に生滅有り』と謂ふも是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。

 果、若し空ならばその空、無所有なりと名づく。

 云何んが當に生滅や有らん。

 是の故、「果、空なるが故に生ぜず、滅せず』と說きたり。

 復、次に今、一異を以て因果を破さん。


 因果是一者  是事終不然

 因果若異者  是事亦不然

 若因果是一  生及所生一

 若因果是異  因則同非因

 若果定有性  因爲何所生

 若果定無性  因爲何所生

 因不生果者  則無有因相

 若無有因相  誰能有是果

 若從衆因緣  而有和合生

 和合自不生  云何能生果

 是故果不從  緣合不合生

 若無有果者  何處有合法

是衆緣和合法。不能生自體。自體無故云何能生果。是故果不從緣合生。亦不從不合生。若無有果者。何處有合法。

≪因果、是れ一ならば〔=者〕

  是の事終に然らず

 因果、若し異ならば〔=者〕

  是の事亦に然らず

 若し因果、是れ一ならば

  生及び所生、一なり

 若し因果、是れ異ならば

  因は〔=則〕非因に同じ

 若し果その性、定有ならば

  因、何所に生じたる〔=爲〕

 若し果その性、定無ならば

  因、何所に生じたる〔=爲〕

 因、果を生ぜずば〔=者〕

  (則)その因相有ること無し

 若し因相有ること無きに

  誰か能く是の果を有す

 若し衆因緣從り

  〔=而〕和合有りて生ぜば

 和合にその自は生ぜず

  云何んが能く果を生ず

 是の故に果

  緣合、不合從り生ぜず

 若し果有ること無くば〔=者〕

  何處にぞ合法有らん≫

 是の衆緣和合の法、自體を生ず能はず。

 自體無くば〔=故〕云何んが能く果を生ず。

 是の故、果、緣合從り生ぜず。

 亦、その不合從りも生ぜず。

 若し果有ること無くば〔=者〕何處に合法ぞ有る」と。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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