中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀業品後半・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(22)


中論卷の第三

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



 今當復更說  順業果報義

 諸佛辟支佛  賢聖所稱歎

所謂。

≪今當に復更らに說かん

  業と果報に順ずる義

 諸佛、辟支佛

  賢聖らの稱歎したまへる〔=所稱歎〕を≫


所謂、

 不失法如券  業如負財物

 此性則無記  分別有四種

 見諦所不斷  但思惟所斷

 以是不失法  諸業有果報

 若見諦所斷  而業至相似

 則得破業等  如是之過咎

 一切諸行業  相似不相似

 一界初受身  爾時報獨生

 如是二種業  現世受果報

 或言受報已  而業猶故在

 若度果已滅  若死已而滅

 於是中分別  有漏及無漏

不失法者。當知如券。業者如取物。是不失法。欲界繫色界繫無色界繫亦不繫。若分別善不善無記中。但是無記。是無記義阿毘曇中廣說。見諦所不斷。從一果至一果。於中思惟所斷。是以諸業。以不失法故果生。若見諦所斷而業至相似。則得破業過。是事阿毘曇中廣說。復次不失法者。於一界諸業相似不相似。初受身時果報獨生。於現在身從業更生業。是業有二種。隨重而受報。或有言。是業受報已業猶在。以不念念滅故。若度果已滅。若死已而滅者。須陀洹等度果已而滅。諸凡夫及阿羅漢死已而滅。於此中分別有漏及無漏者。從須陀洹等諸賢聖。有漏無漏等應分別。答曰。是義俱不離斷常過。是故亦不應受。問曰。若爾者。則無業果報。答曰。

≪不失の法、券の如し

  業、負ふる財物の如し

 此の性に則ち記し無し

  分別せば四種有り

 見諦の斷ぜざるもの〔=所不斷〕

  但、思惟にのみ斷じきもの〔=所斷〕

 是の不失の法に〔=以〕

  諸業に果報有り

 若し見諦の所斷にして

  〔=而〕業、相似に至れば

 (則)業を破する等

  是の如き〔=之〕過咎を得ん

 一切諸の行業

  相似なるも、相似ならざるも

 一界に初めの受身あり

  爾の時に報、獨り生じき

 是の如き二種の業

  現世に果報を受く

 或は言はく、受報已はりて

  〔=而〕業、猶も故〔もと〕のまま在り

 若しは度果し已はり滅し

  若しは死に已はりて〔=而〕滅し

 是の中に〔=於〕

  有漏及び無漏を分別す≫

 不失法とは〔=者〕當に知るべし、券の如きと。

 業は〔=者〕物を取るが如し。

 是れ不失法なり。

 欲界繫・色界繫・無色界繫も〔=亦〕繫せず。

 若し善・不善を分別せば無記中には但是れ無記なるのみ。

 是の無記の義、阿毘曇中に廣說せられたり。

 見諦にては斷ざれざるもの〔=所不斷〕なり。

 一果從り一果に至り、その中の〔=於〕思惟に斷じたる〔所斷〕なり。

 かくて〔=是以〕諸業、不失法を以ての故に、その果生じき。

 若し見諦の所斷なるに〔=而〕業、相似に至れば〔=則〕業を破すの過を得ん。

 是の事、阿毘曇中に廣說せられたり。

 復、次に不失法とは〔=者〕、一界に於く諸業の相似・不相似に初めて受身するに、この時に果報獨り生ず。

 現在身に於き、業從り更らに業を生ず。

 是れら業、二種有り。

 その重きの隨に〔=而〕報を受く。

 或は言ふ有り、『是の業、受報し已はるも業、猶も在り。それ念念に滅せざれば〔=故〕』と。

 若しは度果し已はりて滅し、若しは死に已はりて〔=而〕滅すとは〔=者〕須〔シユ〕陀〔ダ〕洹〔ヲン〕等は度果し已はりて〔=而〕滅す。

 諸の凡夫及び阿羅漢、死に已はりて〔=而〕滅す。

 此の中に於き有漏及び無漏を分別せば〔=者〕、それ須陀洹等の諸賢聖從り、有漏・無漏等、應に分別したり」と。

答へらく〔=曰〕

「是れらの義、俱に斷常の過を離れず。

 是の故、亦應に受くべからず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し爾らば〔=者〕則ち業と果報無し」と。

答へらく〔=曰〕、


 雖空亦不斷  雖有亦不常

 業果報不失  是名佛所說

此論所說義。離於斷常。何以故。業畢竟空寂滅相。自性離有何法可斷何法可失。顚倒因緣故往來生死。亦不常。何以故。若法從顚倒起。則是虛妄無實。無實故非常。復次貪著顚倒不知實相故。言業不失。此是佛所說。復次。

≪空なれど〔=雖〕も〔=亦〕斷ならず

  有なれど〔=雖〕も〔=亦〕常ならず

 業果報の不失

  是れ佛の所說と名づく≫

「此の論の所說の義、斷常を〔=於〕は離る。

 何を以ての故に。

 その業、畢竟にして空なり。

 寂滅の相なり。

 自性、有を離る。

 何の法ぞ斷ず可き。

 何の法ぞ失す可き。

 顚倒の因緣の故、生死に往來す。

 しかれど亦、常ならず。

 何を以ての故に。

 若し法、顚倒從り起これば〔=則〕是れ虛妄なり。

 無實なり。

 無實なれば〔=故〕常なるに非らず。

 復、次に、顚倒に貪著し實相を知らざりき。

 故に言したり、『その業、不失なり、此の是れぞ佛の所說なり』と。

 復、次に、


 諸業本不生  以無定性故

 諸業亦不滅  以其不生故

 若業有性者  是則名爲常

 不作亦名業  常則不可作

 若有不作業  不作而有罪

 不斷於梵行  而有不淨過

 是則破一切  世間語言法

 作罪及作福  亦無有差別

 若言業決定  而自有性者

 受於果報已  而應更復受

 若諸世間業  從於煩惱生

 是煩惱非實  業當何有實

第一義中諸業不生。何以故。無性故。以不生因緣故則不滅。非以常故不滅。若不爾者。業性應決定有。若業決定有性。則爲是常。若常則是不作業。何以故。常法不可作故。復次若有不作業者。則他人作罪此人受報。又他人斷梵行而此人有罪。則破世俗法。若先有者。冬不應思爲春事。春不應思爲夏事。有如是等過。復次作福及作罪者。則無有別異。起布施持戒等業。名爲作福。起殺盜等業。名爲作罪。若不作而有業。則無有分別。復次是業若決定有性。則一時受果報已。復應更受。是故汝說以不失法故有業報。則有如是等過。復次若業從煩惱起。是煩惱無有決定。但從憶想分別有。若諸煩惱無實。業云何有實。何以故。因無性故業亦無性。問曰。若諸煩惱及業無性不實。今果報身現有。應是實。答曰。

≪諸業、その本は不生

  定性無きを以ての故に

 諸業、亦に不滅

  其の不生を以ての故に

 若し業、その性有らば〔=者〕

  是れぞ〔=則〕名づけ常とす〔=爲〕

 不作、亦に業と名づく

  常ならば〔=則〕作す可くもなし

 若し不作の業有らば

  不作にして〔=而〕罪のみ有り

 梵行を〔=於〕斷ぜず

  而れど不淨の過有り

 是れらぞ〔=則〕一切の

  世間語言の法を破す

 罪を作し、及び福を作し

  亦、その差別有ること無し

 若し言業、決定の

  〔=而〕自らのその性有らば〔=者〕

 果報を〔=於〕受け已はるに

  〔=而〕應に更らに復に受けたり

 若し諸の世間の業

  煩惱に〔於〕從りぞ生ぜば

 是の煩惱、實に非らず

  業のみ當に何んが實有る≫

 第一義中に諸業、生ぜず。

 何を以ての故に。

 その性無きが故に。

 不生の因緣を以ての故に則ち滅せず。

 常を以ての故に不滅なるに非らず。

 (若)爾らざれば〔=者〕業性、應に決定有らん。

 (若)業、決定の性有らば〔=則〕是れ常なり〔=爲〕。

 (若)常ならば〔=則〕是れ不作の業なり。

 何を以ての故に。

 常法、作す可くもなきが故に。

 復、次に若し不作の業有らば〔=者〕則ち、他人、罪を作し此の人、報を受く。

 又、他人、梵行を斷じて〔=而〕此の人、罪有り。

 則ち世俗法を破したり。

 (若)先有ならば〔=者〕冬、應に春事を思ふ〔=爲〕べからず。

 春、應に夏事を思ふ〔=爲〕べからず。

 是の如き等の過有り。

 復、次に、福を作す、及び罪を作す、それらに〔=者〕則ち、別異有ること無し。

 布施・持戒等の業を起こし、名づけ福を作すとす〔=爲〕。

 殺盜等の業を起こし、名づけ罪を作すとす〔=爲〕。

 若し不作にして〔=而〕業有らば〔=則〕その分別有ること無し。

 復、次に是の業、若し決定の性有らば〔=則〕一時に果報を受け已はり復に應に更らに受けん。

 是の故、汝の『不失法を以ての故に業報有り』の說は〔=則〕是の如き等の過有り。

 復、次に若し業、煩惱從り起こらば是の煩惱、決定有ること無し。

 但に憶想・分別從り有るのみ。

 若し諸煩惱、無實ならばその業のみ、云何んが有實なる。

 何を以ての故に。

 その性無きに因るが故に。

 業も〔=亦〕その性無し」と。

問へらく〔=曰〕、

「若しは諸煩惱及び業、その性無く實ならざるも、今、果報の身、現に有り。

 應に是れ實なり」と。

答へらく〔=曰〕、


 諸煩惱及業  是說身因緣

 煩惱諸業空  何況於諸身

諸賢聖說。煩惱及業是身因緣。是中愛能潤生。業能生上中下好醜貴賤等果報。今諸煩惱及業。種種推求無有決定。何況諸身有決定果。隨因緣故。問曰。汝雖種種因緣破業及果報。而經說。有起業者。起業者有故。有業有果報。如說。

≪諸煩惱、及び業

  是れら身の因緣と說く

 煩惱、諸業、空なり

  何を況んや諸身を〔=於〕や≫

「諸賢聖說けらく、≪煩惱、及び業、是れ身の因緣なり≫と。

 是の中に愛、能く生を潤はす。

 業、能く上中下・好醜・貴賤等の果報を生ず。

 今諸煩惱、及び業、種種に推求し決定有ること無し。

 何を況んや諸身の決定果有るをや。

 因緣の隨なれば〔=故〕」と。

問へらく〔=曰〕、

「汝、種種の因緣に業、及び果報を破せど〔=雖〕而れども經に說けらく、

 ≪業を起こす者有り≫と。

 業を起こす者有らば〔=故〕業有り。

 果報有り。

 說くが如し、


 無明之所蔽  愛結之所縛

 而於本作者  不即亦不異

無始經中說。衆生爲無明所覆。愛結所縛。於無始生死中。往來受種種苦樂。今受者於先作者。不即是亦不異。若即是人作罪受牛形。則人不作牛。牛不作人。若異則失業果報墮於無因。無因則斷滅。是故今受者於先作者。不即是亦不異。答曰。

≪無明の〔=之〕蔽へる〔=所蔽〕

  愛結の〔=之〕縛したる〔=所縛〕

 (而)それ、本の作者に〔=於〕

  即せず、亦、異ならず≫

 無始經中に說けらく、

≪衆生、無明の爲に覆はる〔=所覆〕。

 愛結に縛らる〔=所縛〕。

 始めだに無き生死中に〔=於〕往來し種種に苦樂を受く。

 今の受者、先きの作者に〔=於〕即せず、是れ亦、異ならず≫と。

 (若)即是ならば人、罪を作し牛形を受けん。

 則ち人、牛に作らず。

 牛、人に作らず。

 若し異ならば〔=則〕業果報を失なひ無因に〔=於〕墮す。

 無因〔=則〕斷滅なり。

 是の故、今の受者、先の作者に〔=於〕即是ならず。

 亦、異ならず」と。

答へらく〔=曰〕、


 業不從緣生  不從非緣生

 是故則無有  能起於業者

 無業無作者  何有業生果

 若其無有果  何有受果者

若無業無作業者。何有從業生果報。若無果報。云何有受果報者。業有三種。五陰中假名人是作者。是業於善惡處生。名爲果報。若起業者尚無。何況有業有果報及受果報者。問曰。汝雖種種破業果報及起業者。而今現見衆生作業受果報。是事云何。答曰。

≪業、緣從り生ぜず

  非緣從り生ぜず

 是の故、則ち、

  能く業を〔=於〕起こす者有ること無し

 業無く作者も無きに

  何ぞ業有りその果を生ず

 若し其れ、果有ること無くば

  何ぞ果を受くる者有る≫

「(若)業無く作業者も無くば、何んが業從り果報の生ず有る。

 (若)果報無くば云何んが果報を受くる者有る。

 業に三種有り。

 五陰中の假名の人、是れ作者なり。

 是の業、善惡處に於き生ずるを名づけて果報と爲す。

 若し業を起こす者だに〔=尚〕無くば、何を況んや業有り、果報及び果報を受くる者有るをや」と。

問へらく〔=曰〕、

「汝、種種に業、果報、及び起業者を破せど〔=雖〕而れども今現見に衆生、業を作しその果報を受けたり。

 是の事や云何ん」と。

答へらく〔=曰〕、


 如世尊神通  所作變化人

 如是變化人  復變作化人

 如初變化人  是名爲作者

 變化人所作  是則名爲業

 諸煩惱及業  作者及果報

 皆如幻與夢  如炎亦如響

如佛神通力所作化人。是化人復化作化人。如化人無有實事但可眼見。又化人口業說法。身業布施等。是業雖無實而可眼見。如是生死身作者及業。亦應如是知。諸煩惱者。名爲三毒。分別有九十八使九結十纏六垢等無量諸煩惱。業名爲身口意業。今世後世分別有善不善無記。苦報樂報不苦不樂報。現報業生報業後報業。如是等無量。作者名爲能起諸煩惱業能受果報者。果報名從善惡業生無記五陰。如是等諸業皆空無性。如幻如夢。如炎如響。

≪世尊の神通の

  所作の變化の人の如き

 是の如き變化の人

  復に變じ化人を作す

 初めの變化人の如き

  是れ名づけ作者とす〔=爲〕

 變化人の所作

  是れぞ〔=則〕名づけ業とす〔=爲〕

 諸煩惱、及び業

  作者、及び果報

 皆に幻と〔=與〕夢の如く

  炎の如く、亦、響きの如く≫

「佛の神通力の所作の化人の如き是の化人、復に化人を化作したり。

 化人の如き、その實事有ること無し。

 但に可く眼にのみ見ゆ。

 又、化人口業の說法、身業の布施等、是れらの業、實無かれど〔=雖〕而れども可く眼に見えたり。

 是の如き生死身、作者、及び業も亦に應に是の如く知るべし。

 諸煩惱とは〔=者〕名づけて三毒と爲したり。

 分別すれば九十八使、九結、十纏、六垢等無量の諸煩惱有り。

 業、名づけて身口意の業と爲す。

 今世・後世分別するに善・不善、無記、苦報・樂報、不苦・不樂報、現報業、生報業、後報業、是の如き等、量るべくも無し。

 作者を名づけ、能く諸煩惱の業を起こし、能くその果報を受くる者とす〔=爲〕。

 果報を善惡業從り生ずる無記の五陰と名づく。

 是の如き等、諸業皆に空なり。

 その性無し。

 幻の如し、夢の如し。

 炎の如し、響きの如し」と。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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