中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀業品前半・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(21)
中論卷の第三
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
■中論觀業品第十七、三十三偈
問曰。汝雖種種破諸法。而業決定有。能令一切衆生受果報。如經說。一切衆生皆隨業而生。惡者入地獄。修福者生天。行道者得涅槃。是故一切法不應空。所謂業者。
◎
問へらく〔=曰〕、
「汝、種種に諸法を破せど〔=雖〕、(而)業は決定して有り。
能く一切衆生に果報を受けしむ〔=令〕。
經說の如し、
≪一切衆生皆、業の隨に〔=而〕生ず。
惡者、地獄に入らん。
修福者、天に生じん。
行道者、涅槃を得ん≫と。
是の故、一切法、應に空ならず。
所謂、業とは〔=者〕、
人能降伏心 利益於衆生
是名爲慈善 二世果報種
人有三毒。爲惱他故生行。善者先自滅惡。是故說降伏其心利益他人。利益他者。行布施持戒忍辱等不惱衆生。是名利益他。亦名慈善福德。亦名今世後世樂果種子。復次。
◎
≪人、能く心を降伏し
衆生を〔=於〕利益す
是れ名づけて慈善とす〔=爲〕
二世の果報の種≫
人に三毒有り。
他を惱ます爲の故に行は生ず。
善は〔=者〕すでに〔=先〕自ら惡を滅したり。
是の故、說けらく、≪其の心を降伏し、他人を利益す≫と。
他を利益すとは〔=者〕布施、持戒、忍辱等を行じ衆生を惱まさず。
是れを他を利益すと名づく。
亦、慈善福德とも名づく。
亦、今世後世の樂果の種子とも名づく。
復、次に、
大聖說二業 思與從思生
是業別相中 種種分別說
大聖略說業有二種。一者思。二者從思生。是二業如阿毘曇中廣說。
◎
≪大聖、二業を說きたまふ
思と思從り生ずるものと〔=與〕
是の業、別相中に
種種に分別して說きたまふ≫
大聖、略說したまへり、≪業に二種有り≫と。
一は〔=者〕思。
二は〔=者〕思從り生ずなり。
是の二業、阿毘曇中に廣說するが如し。
佛所說思者 所謂意業是
所從思生者 即是身口業
思是心數法。諸心數法中能發起有所作故名業。因是思故起外身口業。雖因餘心心數法有所作。但思爲所作本。故說思爲業。是業今當說相。
◎
≪佛所說の思とは〔=者〕
所謂、意業是れなり
思從り生じたる〔=所從思生〕は〔=者〕
即ち是れ身口業なり≫
思は是れ心數法なり。
諸の心數法中に能く發起して所作有り。
故に業と名づく。
是の思に因るが故に外の身口業を起こす。
餘の心、心數法に因り所作有れど〔=雖〕但、思をし所作の本と爲す。
故に思を說き業と爲したり〔=爲〕。
是の業、今當にその相を說かん。
身業及口業 作與無作業
如是四事中 亦善亦不善
從用生福德 罪生亦如是
及思爲七法 能了諸業相
口業者四種口業。身業者。三種身業。是七種業有二種差別。有作有無作。作時名作業。作已常隨逐生名無作業。是二種有善不善。不善名不止惡。善名止惡。復有從用生福德。如施主施受者。若受者受用。施主得二種福。一從施生。二從用生。如人以箭射人。若箭殺人有二種罪。一者從射生。二者從殺生。若射不殺。射者但得射罪。無殺罪。是故偈中說罪福從用生。如是名爲六種業。第七名思。是七種即是分別業相。是業有今世後世果報。是故決定有業有果報故。諸法不應空。答曰。
◎
≪身業、及び口業
作と無作業と〔=與〕
是の如き四事中
亦は善、亦は不善あり
その用に從り福德を生ず
罪の生ずるも亦〔=〕是の如し
及び思を七法とす〔=爲〕
能く諸業の相を了ず≫
口業は〔=者〕四種の口業。
身業は〔=者〕三種の身業。
是れら七種の業、二種の差別有り。
作有りと無作有りとなり。
作時を作業と名づく。
作し已はり常に隨逐して生ずるを無作業と名づく。
是の二種、善・不善有り。
不善は不止惡と名づく。
善は止惡と名づく。
復、その用ふるに從り福德を生ず有り。
施主、受者に施すが如くに。
若し受者、受用すれば施主、二種の福を得ん。
一は施從り生ず。
二は用從り生ず。
人、箭を以て人を射るが如くに。
若し箭、人を殺せば二種の罪有り。
一は〔=者〕その射從り生ず。
二は〔=者〕その殺從り生ず。
若し射し殺さずば射者、但に射の罪を得るのみ。
殺罪無し。
是の故に偈中に說きたり、≪罪福、用從り生ず≫と。
是の如き、名づけて六種の業とす〔=爲〕。
第七を思と名づく。
是れら七種即ち、是れ業相を分別したり。
是の業に今世・後世の果報有り。
是の故、決定して業有り。
果報も有り。
故に諸法、應に空ならず」と。
答へらく〔=曰〕、
業住至受報 是業即爲常
若滅即無業 云何生果報
業若住至受果報。即爲是常。是事不然。何以故。業是生滅相。一念尚不住。何況至果報。若謂業滅。滅則無。云何能生果報。問曰。
◎
≪業に住し受報に至らば
是の業即ち常なり〔=爲〕
若し滅せば即ち業無し
云何んが果報を生ず≫
業に若し住して果報を受くるに至れば、即是にして常なり〔=爲〕。
是の事、然らず。
何を以ての故に。
業、是れ生滅相なれば。
一念だに〔=尚〕住せず。
何を況んやその果報に至るをや。
若しは『業、滅す』と謂ふも、滅すれば〔=則〕無からんに、云何んぞ能く果報を生ず」と。
問へらく〔曰〕、
如芽等相續 皆從種子生
從是而生果 離種無相續
從種有相續 從相續有果
先種後有果 不斷亦不常
如是從初心 心法相續生
從是而有果 離心無相續
從心有相續 從相續有果
先業後有果 不斷亦不常
如從穀有芽。從芽有莖葉等相續。從是相續而有果生。離種無相續生。是故從穀子有相續。從相續有果。先種後有果。故不斷亦不常。如穀種喩。業果亦如是。初心起罪福。猶如穀種。因是心餘心心數法相續生。乃至果報。先業後果故不斷亦不常。若離業有果報。則有斷常。是善業因緣果報者。所謂。
◎
≪芽等、相續し
皆、種子從り生ずるが如く
是れ從り〔=而〕果を生ず
種を離れ相續無し
種從り相續有り
相續從り果有り
先きに種、後に果有り
斷ならず、亦、常ならず
是の如く初心從り
心法、相續して生じたり
是れ從り〔=而〕果有り
心を離れ相續無し
心從り相續有り
相續從り果有り
先きに業、後に果有り
斷ならず、亦、常ならず≫
穀從り芽有り。
芽從り莖葉等の相續有り。
是の相續從りして〔=而〕果の生ず有り。
種を離れ相續し生ずる無し。
是の故、穀子從り相續有り。
相續從り果有り。
先きに種、後に果有り。
故に斷ならず、亦、常ならず。
穀種の喩へ如く、業果も〔=亦〕是の如き。
初心に罪副を起こす。
猶し穀種の如し。
是の心に因り餘の心、心數法、相續して生ず。
乃ち果報に至る。
先きに業、後に果なり。
故に斷ならず、亦、常ならず。
若し業を離れ果報有らば〔=則〕斷常有り。
是の善業の因緣果報とは〔=者〕所謂、
能成福德者 是十白業道
二世五欲樂 即是白業報
白名善淨。成福德因緣者。從是十白業道。生不殺不盜不邪婬不妄語不兩舌不惡口不無益語不嫉不恚不邪見。是名爲善。從身口意生是果報者。得今世名利。後世天人中貴處生。布施恭敬等雖有種種福德。略說則攝在十善道中。答曰。
◎
≪能く福德を成ずとは〔=者〕
是れ十の白業道
二世五欲の樂
即ち是れ白業の報≫
白を善淨と名づく。
福德の因緣を成ずとは〔=者〕是の十の白業の道從り、不殺・不盜・不邪婬・不妄語・不兩舌・不惡口・不無益語・不嫉・不恚・不邪見を生ずなり。
是れ名づけ善とす〔=爲〕。
身口意從り是れら果報を生ぜば〔=者〕今世に名利を、後世に天人中の貴處に生ずるを得ん。
布施、恭敬等、種種に福德有れど〔=雖〕、略說せば〔=則〕十の善道中に攝在したり」と。
答へらく〔=曰〕、
若如汝分別 其過則甚多
是故汝所說 於義則不然
若以業果報相續故。以穀子爲喩者。其過甚多。但此中不廣說。汝說穀子喩者。是喩不然。何以故。穀子有觸有形。可見有相續。我思惟是事。尚未受此言。況心及業。無觸無形不可見。生滅不住欲以相續。是事不然。復次從穀子有芽等相續者。爲滅已相續。爲不滅相續。若穀子滅已相續者。則爲無因。若穀子不滅而相續者。從是穀子常生諸穀。若如是者。一穀子則生一切世間穀。是事不然。是故業果報相續則不然。問曰。
◎
≪若し汝の分別の如かれば
其の過ぞ〔=則〕甚だ多し
是の故、汝が所說
義に於き(則)然らず≫
「若し業と果報の相續を以ての故に、穀子に〔=以〕喩ふ〔=爲〕れば〔=者〕其の過、甚だ多し。
但、此の中に廣く說かず。
汝、穀子の喩を說くも〔=者〕是の喩、然らず。
何を以ての故に。
穀子に觸有り。
その形有り。
見え可き相續有り。
我、是の事を思惟するだに〔=尚〕未だ此の言を受けず。
況んや心、及び業をや。
それ觸無し。
形無し。
見え可くもなし。
生滅し不住。
その相續を以てせん〔=欲〕とする是の事、然らず。
復、次に穀子從り芽等の相續有らば〔=者〕、滅し已はり相續すとせ〔=爲〕ん。
滅せず相續すとせ〔=爲〕ん。
若し穀子、滅し已はり相續せば〔=者〕則ち無因なり〔=爲〕。
若し穀子、滅せずして〔=而〕相續せば〔=者〕是の穀子從り常に諸穀を生じたり。
(若)是の如かれば〔=者〕一穀子は〔=則〕一切世間の穀を生じん。
是の事、然らず。
是の故、業と果報の相續、則ち然らず」と。
問へらく〔=曰〕、
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