中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀縛解品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(20)
中論卷の第三
龍樹菩薩造
梵志靑目釋
姚秦三藏鳩摩羅什譯す
■中論觀縛解品第十六、十偈
問曰。生死非都無根本。於中應有衆生往來若諸行往來。汝以何因緣故。說衆生及諸行盡空無有往來。答曰。
◎
問へらく〔=曰〕、
「生死、都べて根本無きに非らず。
その中に於き應に衆生の往來、若しは諸行の往來有り。
汝、何の因緣を以ての故に說きたる、『衆生及び諸行盡く空にしてその往來有ること無し』と」と。
答へらく〔曰〕、
諸行往來者 常不應往來
無常亦不應 衆生亦復然
諸行往來六道生死中者。爲常相往來。爲無常相往來。二俱不然。若常相往來者。則無生死相續。以決定故。自性住故。若以無常往來者。亦無往來生死相續。以不決定故。無自性故。若衆生往來者。亦有如是過。復次。
◎
≪諸行往來とは〔=者〕
常ならば應に往來すべからず
無常なりても亦におなじき〔=不應〕
衆生も亦復に然れり≫
「諸行、六道生死中に往來せば〔=者〕、常相にして往來すとせ〔=爲〕ん。
無常相にして往來すとせ〔=爲〕ん。
二俱に然らず。
若し常相にして往來せば〔=者〕則ち、生死の相續無し。
その決定を以ての故に。
自性住なるが故に。
若し無常以て往來せば〔=者〕亦、往來し生死の相續無し。
その不決定を以ての故に。
自性無きが故に。
若しは衆生の往來も〔=者〕亦、是の如き過有り。
復、次に、
若衆生往來 陰界諸入中
五種求盡無 誰有往來者
生死陰界入即是一義。若衆生於此陰界入中往來者。是衆生於燃可燃品中。五種求不可得。誰於陰界入中而有往來者。復次。
◎
≪若し衆生
陰・界・諸入中に往來せば
五種に求め盡く無し
誰か往來者有らん≫
生死、陰界入、即ち是れ一義なり。
若し衆生、此の陰界入の中に〔=於〕往來せば〔=者〕是の衆生、燃可燃品中に〔=於〕五種に求めて不可得なりき。
誰か陰界入中に〔=於〕(而)往來者有らん。
復、次に、
若從身至身 往來即無身
若其無有身 則無有往來
若衆生往來。爲有身往來。爲無身往來。二俱不然。何以故。若有身往來。從一身至一身。如是則往來者無身。又若先已有身。不應復從身至身。若先無身則無有。若無有云何有生死往來。問曰。經說有涅槃滅一切苦。是滅應諸行滅若衆生滅。答曰。二俱不然。何以故。
◎
≪若し身從り身に至り
往來せば即ち無身
若し其れ、身有ること無くば
(則)その往來も有ること無し≫
若し衆生、往來せば有身にして往來すとせ〔=爲〕ん。
無身にして往來すとせ〔=爲〕ん。
二俱に然らず。
何を以ての故に。
若し有身に往來せば一身從り一身に至れり。
是の如き、則ち往來者は無身なり。
又、若し先きに已に有身ならば應に復に身從り身に至らず。
若しすでに〔=先き〕無身ならば〔=則〕有ることだに無し。
(若)有ること無きに云何んが生死往來ぞ有る」と。
問へらく〔=曰〕、
「經に說けらく、
≪涅槃有り。
一切苦を滅す≫と。
是の滅、應に諸行の滅、若しは衆生の滅ならん」と。
答へらく〔=曰〕、
「二俱に然らず。
何を以ての故に。
諸行若滅者 是事終不然
衆生若滅者 是事亦不然
汝說若諸行滅若衆生滅。是事先已答。諸行無有性。衆生亦種種推求生死往來不可得。是故諸行不滅。衆生亦不滅。問曰。若爾者則無縛無解。根本不可得故。答曰。
◎
≪諸行、(若)滅すとは〔=者〕
是の事終に然らず
衆生、(若)滅すとは〔=者〕
是の事も亦、然らず≫
汝、說けらく、『若しは諸行滅し、若しは衆生滅す』と。
是の事、先きに已に答へたり。
諸行、その性有ること無し。
衆生、亦に種種に推求するにその生死往來、得可くもなし。
是の故、諸行、滅せず。
衆生も〔=亦〕滅せず」と。
問へらく〔=曰〕、
「若し爾らば〔=者〕則ち縛無し、解無し。
その根本、得可くもなくば〔=故〕」と。
答へらく〔=曰〕、
諸行生滅相 不縛亦不解
衆生如先說 不縛亦不解
汝謂諸行及衆生有縛解者。是事不然。諸行念念生滅故。不應有縛解。衆生先說五種推求不可得。云何有縛解。復次。
◎
≪諸行、生滅相なり
縛ならず、(亦)解もならず
衆生、先說の如く
縛ならず、(亦)解もならず≫
「汝、『諸行及び衆生に縛解有り』と謂はば〔=者〕是の事、然らず。
諸行、念念に生滅するが故に。
應に縛解有るべからず。
衆生、先說の五種の推求に不可得なりき。
云何んがその縛解のみ有る。
復、次に、
若身名爲縛 有身則不縛
無身亦不縛 於何而有縛
若謂五陰身名爲縛。若衆生先有五陰。則不應縛。何以故。一人有二身故。無身亦不應縛。何以故。若無身則無五陰。無五陰則空。云何可縛。如是第三更無所縛。復次。
◎
≪若し身を名づけ縛とせ〔=爲〕ば
有身なり、(則)縛ならず
無身なるも〔=亦〕縛ならず
何に於けば(而)縛や有る≫
若し『五陰身を名づけ縛とす〔=爲〕』と謂はば、(若)衆生すでに〔=先〕五陰有り。
則ち應に縛さるべからず。
何を以ての故に。
一人に二身有るが故に。
無身なりても〔=亦〕應に縛さるべからず。
何を以ての故に。
(若)無身ならば〔=則〕五陰無し。
五陰無くば〔=則〕空。
云何んが縛す可き。
是の如く第三、更らなる所縛も無し。
復、次に、
若可縛先縛 則應縛可縛
而先實無縛 餘如去來答
若謂可縛先有縛。則應縛可縛。而實離可縛先無縛。是故不得言衆生有縛。或言。衆生是可縛。五陰是縛。或言。五陰中諸煩惱是縛。餘五陰是可縛。是事不然。何以故。若離五陰先有衆生者。則應以五陰縛衆生。而實離五陰無別衆生。若離五陰別有煩惱者則應以煩惱縛五陰。而實離五陰無別煩惱。復次如去來品中說。已去不去。未去不去。去時不去。如是未縛不縛。縛已不縛。縛時不縛。復次亦無有解。何以故。
◎
≪若し可縛に先きんじ縛あらば
(則)應に可縛を縛す
而れど先きに實には縛無し
餘は去來に答へし如し≫
若し『可縛に先きんじ縛有り』と謂はば〔=則〕應に可縛を縛したり。
而れど實には可縛を離るる先きには縛無し。
是の故、『衆生、縛有り』とは言ひ得ず。
或は言さく、『衆生是れ可縛、五陰是れ縛』と。
或は言さく、『五陰中の諸煩惱ぞ是れ縛、餘の五陰ぞ是れ可縛』と。
是れらの事、然らず。
何を以ての故に。
若し五陰を離るる先きに衆生有らば〔=者〕則ち、應に五陰に〔=以〕衆生を縛したり。
而れど實には五陰を離れ別の衆生無し。
若し五陰を離れ別に煩惱有らば〔=者〕則ち、應に煩惱に〔=以〕五陰を縛したり。
而れど實には五陰を離れ別の煩惱無し。
復、次に去來品中に說けるが如く、已去には去らず。
未去にも去らず。
去時にも去らず。
是の如く、未縛に縛されず。
縛され已はりて縛されず。
縛時に縛されず。
復、次に、(亦)その解も有ること無し。
何を以ての故に。
縛者無有解 無縛亦無解
縛時有解者 縛解則一時
縛者無有解。何以故。已縛故。無縛亦無解。何以故。無縛故。若謂縛時有解。則縛解一時。是事不然。又縛解相違故。問曰。有人修道現入涅槃得解脫。云何言無。答曰。
◎
≪縛者に解有ること無し
縛無くば(亦)解も無し
縛時に解有らば〔=者〕
その縛解は〔=則〕一時≫
縛者に解有ること無し。
何を以ての故に。
已に縛せらるが故に。
縛無きにも〔=亦〕、解無し。
何を以ての故に。
縛無きが故に。
若し『縛時に解有り』と謂はば〔=則〕縛解一時なり。
是の事、然らず。
(又)縛解、相違するが故に」と。
問へらく〔=曰〕、
「人有り、修道し、現に涅槃に入り、解脫を得たり。
云何んが無しと言はん」と。
答へらく〔=曰〕、
若不受諸法 我當得涅槃
若人如是者 還爲受所縛
若人作是念。我離受得涅槃。是人即爲受所縛。復次。
◎
≪若し諸法を受けずば
我當に涅槃を得べし
若し人、是の如かれば〔=者〕
還へりて爲に所縛を受く≫
「若し人、是の念を作さく、『我、受を離れ涅槃を得ん』と。
是の人、即ち爲に受に縛され〔=所縛〕たり。
復、次に、
不離於生死 而別有涅槃
實相義如是 云何有分別
諸法實相第一義中。不說離生死別有涅槃。如經說。涅槃即生死。生死即涅槃。如是諸法實相中。云何言是生死是涅槃。
◎
≪生死を〔=於〕離れ
(而)別に涅槃、有るにはあらず
實相の義に是の如し
云何んが分別有らん≫
諸法實相の第一義中に、『生死を離れ別に涅槃有り』とは說かず。
經說の如し、
≪涅槃即ち生死なり。
生死即ち涅槃なり≫と。
是の如き諸法實相中に、云何んが言はん、『是れ生死、是れ涅槃』と」と。
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