中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀有無品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(19)


中論卷の第三

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■觀有無品第十五、十一偈

問曰。諸法各有性。以有力用故。如瓶有瓶性布有布性。是性衆緣合時則出。答曰。

問へらく〔=曰〕、

「諸法各にその性有り。

 力用有るを以ての故に。

 瓶に瓶性有り、布に布性有るが如くに。

 是の性、衆緣合する時、則ち出づ」と。

答へらく〔=曰〕、


 衆緣中有性  是事則不然

 性從衆緣出  即名爲作法

若諸法有性。不應從衆緣出。何以故。若從衆緣出。即是作法無有定性。問曰。若諸法性從衆緣作。有何咎。答曰。

≪衆緣中に性有り

  是の事、則ち然らず

 その性、衆緣從り出でたり

  即ち名づけて作法とす〔=爲〕≫

「(若)諸法、その性有らば應に、衆緣從り出でず。

 何を以ての故に。

 (若)衆緣從り出づれば〔=即〕是れ作法なり。

 その定性有ること無し」と。

問へらく〔=曰〕、

「(若)諸法、その性、衆緣從り作らば何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 性若是作者  云何有此義

 性名爲無作  不待異法成

如金雜銅則非真金。如是若有性則不須衆緣。若從衆緣出當知無眞性。又性若決定。不應待他出。非如長短彼此無定性故待他而有。問曰。諸法若無自性。應有他性。答曰。

≪性、(若)是れ作ならば〔=者〕

  云何んが此の義有る

 性、名づけて無作とす〔=爲〕

  異法を待たず成じたり≫

「金、銅に雜はれば則ち眞金に非らず。

 この如く、是の如くに若し性有らば〔=則〕衆緣をは須〔用/待/求〕ひず。

 若し衆緣從り出づれば當に知るべし、その眞性は無きと。

 又、性若し決定ならば應に他を待たず出でん。

 長・短、彼・此の、定性無き故、他を待ちて〔=而〕有るには如かず〔=非如〕」と。

問へらく〔=曰〕、

「諸法、若しその自性無くば應に他性有らん」と。

答へらく〔=曰〕、


 法若無自性  云何有他性

 自性於他性  亦名爲他性

諸法性衆緣作故。亦因待成故無自性。若爾者。他性於他亦是自性。亦從衆緣生相待故。亦無無故。云何言諸法從他性生。他性亦是自性故。問曰。若離自性他性有諸法。有何咎。答曰。

≪法、(若)その自性無きに

  云何んが他性有らん

 その自性、他性に於きてぞ

  (亦)名づけ他性とせ〔=爲〕んに≫

「諸法の性、衆緣に作るが故、亦、因待して成ずるが故に、自性は無し。

 (若)爾らば〔=者〕他性、他に於けば(亦)是れ自性。

 (亦)衆緣從り生じ相待す。

 故に(亦)その無だに無きに〔=故〕云何んが言さん、『諸法、他性從り生ず』と。

 他性も〔=亦〕是れ自性なるに〔=故〕」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し自性・他性を離れ諸法有らば何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、


 離自性他性  何得更有法

 若有自他性  諸法則得成

汝說離自性他性有法者。是事不然。若離自性他性則無有法何以故。有自性他性法則成。如瓶體是自性依物是他性。問曰。若以自性他性破有者。今應有無。答曰。

≪自性・他性を離れ

  何んが更らに法、有り得ん

 (若)自他の性有らば

  諸法は〔=則〕成じ得ん≫

「汝、『自性・他性を離れ法有り』と說かば〔=者〕是の事、然らず。

 若し自性・他性を離るれば〔=則〕法有ること無し。

 何を以ての故に。

 自性・他性有らば法則ち成ず。

 瓶の體、是れ自性。

 依る物、是れ他性・

 この如くに」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し自性・他性を以て有を破さば〔=者〕今應に無ぞ有らん」と。

答へらく〔=曰〕、


 有若不成者  無云何可成

 因有有法故  有壞名爲無

若汝已受有不成者。亦應受無亦無。何以故。有法壞敗故名無。是無因有壞而有。復次。

≪有、若し成ぜずば〔=者〕

  無、云何んが成ず可き

 有法有るに因り(故)

  有の壞を名づけ無とせ〔=爲〕んに≫

「(若)汝、已に有の不成を受く。

 しかれば〔=者〕亦應に、無も〔=亦〕無きをも受けたり。

 何を以ての故に。

 法の壞敗有り。

 故に無と名づく。

 是の無、壞有るに因りて〔=而〕有り。

 復、次に、


 若人見有無  見自性他性

 如是則不見  佛法眞實義

若人深著諸法。必求有見。若破自性則見他性。若破他性則見有。若破有則見無。若破無則迷惑。若利根著心薄者。知滅諸見安隱故。更不生四種戲論。是人則見佛法眞實義。是故說上偈。復次。

≪若しは人、有無を見ん

  自性・他性を見ん

 是の如きは〔=則〕見ざりき

  佛法のその眞實義を≫

「若し人、深く諸法に著せば必らず見有るを求む。

 (若)自性、破さるれば〔=則〕他性を見たり。

 (若)他性、破さるれば〔=則〕有を見たり。

 (若)有、破さるれば〔=則〕無を見たり。

 (若)無だに破さるれば〔=則〕迷惑す。

 若し利根にして著心薄かれば〔=者〕、諸見の滅せる安隱を知らん。

 故、更らに四種の戲論を生ぜず。

 是の人ぞ〔=則〕佛法の眞實義を見たり。

 是の故、上の偈を說きたり。

 復、次に、


 佛能滅有無  如化迦旃延

 經中之所說  離有亦離無

刪陀迦旃延經中。佛爲說正見義離有離無。若諸法中少決定有者。佛不應破有無。若破有則人謂爲無。佛通達諸法相故。說二俱無。是故汝應捨有無見。復次。

≪佛、能く有無を滅したまふ

  化迦旃延の

 經中の〔=之〕所說の如く

  有を離れ、(亦)無をも離れり≫

 刪〔サン〕陀〔ダ〕迦〔カ〕旃〔セン〕延〔エン〕經中に佛、正見の義を說きて≪有を離れ無をも離る≫とし〔=爲〕たまへり。

 若し諸法中に少〔纔〕かだに決定有らば〔=者〕佛、應に有無を破したまはず。

 (若)有を破したまへば〔=則〕人、『無なり〔=爲〕』と謂さん。

 佛、諸法の相に通達したまへば〔=故〕二俱に無きと說きたまひき。

 是の故に汝、應に有無の見を捨つべし。

 復、次に、


 若法實有性  後則不應異

 性若有異相  是事終不然

若諸法決定有性。終不應變異。何以故。若定有自性。不應有異相。如上眞金喩。今現見諸法有異相故。當知無有定相。復次。

≪若し法、實に性有らば

  後に(則)應に異とならじ

 性、若し異相有らば

  是の事終に然らず≫

 若し諸法、決定してその性有らば終に、應に變異せず。

 何を以ての故に。

 若しその自性、定有ならば應に異相有るべからざれば。

 上の眞金の喩への如くに。

 今、現見に諸法に異相有り。

 故に當に知るべし定相、有ること無しと。

 復、次に、


 若法實有性  云何而可異

 若法實無性  云何而可異

若法定有性。云何可變異。若無性則無自體。云何可變異。復次。

≪若し法、實に性有らば

  云何んが(而)異なる可き

 若し法、實に性無くば

  云何んが(而)異なる可き≫

 (若)法、その性、定有ならば、云何んが變異す可き。

 (若)性無くも則ち、その自體だに無きに云何んが變異す可き。

 復、次に、


 定有則著常  定無則著斷

 是故有智者  不應著有無

若法定有有相。則終無無相。是即爲常。何以故。如說三世者。未來中有法相。是法來至現在。轉入過去。不捨本相。是則爲常。又說因中先有果。是亦爲常。若說定有無。是無必先有今無。是則爲斷滅。斷滅名無相續。因由是二見。即遠離佛法。問曰。何故因有生常見。因無生斷見。答曰。

≪定有といへば〔=則〕常に著せり

  定無といへば〔=則〕斷に著せり

 是の故、有智者

  應に有無に著すべからず≫

 若し法、定有の相有らば則ち、終に無の相は無し。

 是れ即ち常なり〔=爲〕。

 何を以ての故に。

 三世を說く者の如くに、未來中に法相有り。

 是の法來たりて現在に至る。

 過去に轉入すれど本相を捨てず。

 是れ則ち常なり〔=於〕。

 又、因中にすでに〔=先〕有果を說くも、是れも〔=亦〕常なり〔=爲〕。

 (若)定まりて無有りと說かば是の無、必らず先きには有りて今は無し。

 是れ則ち斷滅なり〔=爲〕。

 斷滅を相續無しと名づく。

 是の二見に因由し、即ち佛法を遠離したり」と。

問へらく〔=曰〕、

「何故に有に因り常見を生ず。

 無に因り斷見を生ず」と。

答へらく〔=曰〕、


 若法有定性  非無則是常

 先有而今無  是則爲斷滅

若法性定有。則是有相非無相。終不應無。若無則非有。即爲無法。先已說過故。如是則墮常見。若法先有。敗壞而無者。是名斷滅。何以故。有不應無故。汝謂有無各有定相故。若有斷常見者。則無

罪福等破世間事是故應捨。

≪若し法、定性有らば

  無に非らず、則ち是れ常なり

 先きには有り、而れど今は無き

  是れ則ち斷滅なり〔=爲〕≫

「(若)法性、定有ならば〔=則〕是れ有相なり。

 無相に非らず。

 終に應に無なるべからず。

 (若)無ならば〔=則〕有に非らず。

 即ち法だに無かりき〔=爲〕。

 先きに已にその過を說きたり。

 故、是の如きは〔=則〕常見に墮す。

 (若)法、先きには有りしも敗壞し〔=而〕無くなりたれば〔=者〕是れ、斷滅と名づく。

 何を以ての故に。

 有、應に無になるべからざれば〔=故〕。

 汝、『有無各に定相有り』と謂ひたり〔=故〕。

 若し斷、常の見有らば〔=者〕則ち、無罪福等も無し。

 世間事を破したり。

 是の故、應に捨つべし」と。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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