中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀行品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(17)


中論卷の第二

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀行品第十三、九偈

問曰。

問へらく〔=曰〕、


 如佛經所說  虛誑妄取相

 諸行妄取故  是名爲虛誑

佛經中說。虛誑者。即是妄取相。第一實者。所謂涅槃非妄取相。以是經說故。當知有諸行虛誑妄取相。答曰。

≪佛經の所說の如く

  虛誑は妄取の相

 諸行、妄取の故

  是れを名づけ虛誑とす〔=爲〕≫

 佛經中に說けらく、≪虛誑とは〔=者〕即ち是れ妄取の相なり≫と。

 第一實とは〔=者〕所謂、涅槃なり。

 それ妄取相に非らず。

 是の經說を以ての故に當に知るべし諸行、虛誑有りと。

 それぞ妄取相なりと」と。

答へらく〔=曰〕、


 虛誑妄取者  是中何所取

 佛說如是事  欲以示空義

若妄取相法即是虛誑者。是諸行中爲何所取。佛如是說。當知說空義。問曰。云何知一切諸行皆是空。答曰。一切諸行虛妄相故空。諸行生滅不住。無自性故空。諸行名五陰。從行生故。五陰名行。是五陰皆虛妄無有定相。何以故。如嬰兒時色非匍匐時色。匍匐時色非行時色。行時色非童子時色。童子時色非壯年時色。壯年時色非老年時色。如色念念不住故。分別決定性不可得。嬰兒色爲即是匍匐色乃至老年色爲異。二俱有過。何以故。若嬰兒色即是匍匐色。乃至老年色者。如是則是一色皆爲嬰兒。無有匍匐乃至老年。又如泥團常是泥團終不作瓶。何以故。色常定故。若嬰兒色異匍匐色者。則嬰兒不作匍匐。匍匐不作嬰兒。何以故。二色異故。如是童子少年壯年老年色不應相續。有失親屬法無父無子。若爾者。唯有嬰兒應得父。餘則匍匐乃至老年不應有分。是故二俱有過。

≪虛誑、妄取ならば〔=者〕

  是の中に何ぞ所取ある

 佛、是の如き事を說きたまふは

  かくて〔=以〕空義を示さん〔=欲〕がため≫

「(若)妄取相の法、即是に虛誑ならば〔=者〕是の諸行中、何の所取ありたる〔=爲〕。

 佛、是の如きを說きたまふは當に知るべし、空義を說きたまひきなりと」と。

問へらく〔=曰〕、

「云何んが一切諸行皆、是れ空なりと知る」と。

答へらく〔=曰〕、

「一切諸行、虛妄相なり。

 故に空なり。

 諸行、生滅なり。

 不住なり。

 その自性無し。

 故に空なり。

 諸行、五陰と名づく。

 行從り生ずるが故、五陰、行と名づく。

 是の五陰皆、虛妄なり。

 その定相有ること無し。

 何を以ての故に。

 嬰兒の時、色は匍匐の時の色に非らず。

 匍匐の時の色、行時の色に非らず。

 行時の色、童子の時の色に非らず。

 童子の時の色、壯年の時の色に非らず。

 壯年の時の色、老年の時の色に非らず。

 この色の如く、念念に不住なれば〔=故〕その決定性を分別するに不可得なり。

 嬰兒の色、即是に匍匐(色)より〔=乃〕老年に至るまでの色なりとせ〔=爲〕んも、異とせ〔=爲〕んもこの二俱に過有り。

 何を以ての故に。

 (若)嬰兒の色、即是に匍匐の色、乃ち老年に至るまでの色ならば〔=者〕是の如きは〔=則〕一色。

 皆、嬰兒なり〔=爲〕。

 匍匐より〔=乃〕老年に至るまで有ること無し。

 又、泥團の如きは常に是れ泥團らん。

 終に瓶を作さず。

 何を以ての故に。

 色常に定なるが故に。

 若し嬰兒の色、匍匐の色に異ならば〔=者〕則ち嬰兒、匍匐を作さず。

 匍匐、嬰兒をも爲さず。

 何を以ての故に。

 二色異なるが故に。

 是の如く童子、少年、壯年、老年の色、應に相續せず。

 親屬の法をも失なひたり〔=有〕。

 父無し、子無し。

 若し爾らば〔=者〕唯、嬰兒のみ有り、應に父を得たり。

 餘の則ち匍匐より〔=乃〕老年に至るまで應にその分有るべからず。

 是の故、二俱に過有り」と。


問曰。色雖不定。嬰兒色滅已。相續更生乃至老年色。無有如上過。答曰。嬰兒色相續生者。爲滅已相續生。爲不滅相續生。若嬰兒色滅。云何有相續。以無因故。如雖有薪可燃。火滅故無有相續。若嬰兒色不滅而相續者。則嬰兒色不滅。常住本相亦無相續。問曰。我不說滅不滅故相續生。但說不住相似生故言相續生。

問へらく〔=曰〕、

「色、不定なれど〔=雖〕嬰兒の色、滅し已はり相續し更に生じて乃ち老年の色に至れり。

 かかれば上の如き過有ること無けん」と。

答へらく〔=曰〕、

「嬰兒の色、相續し生ぜば〔=者〕、滅し已はりて相續し生ずとせ〔=爲〕ん。

 滅せずに相續し生ずとせ〔=爲〕ん。

 (若)嬰兒の色滅したるに云何んがその相續のみ有る。

 無因を以ての故に。

 薪の可燃有れど〔=雖〕火、滅したれば〔=故〕相續有ること無きが如くに。

 若し嬰兒の色、滅せず而も相續せば〔=者〕、則ち嬰兒の色、滅せず。

 本相に常住し亦、その相續も無し」と。

問へらく〔=曰〕、

「我の滅・不滅の故に相續し生ずとは說かず。

 但、不住相、生に似るが故に相續し生ずと說くのみ」と。


答曰。若爾者。則有定色而更生。如是應有千萬種色。但是事不然。如是亦無相續。如是一切處求色無有定相。但以世俗言說故有。如芭蕉樹求實不可得。但有皮葉。如是智者求色相。念念滅更無實色可得。不住色形色相。相似次第生難可分別。如燈炎分別定色不可得。從是定色更有色生不可得。是故色無性故空。但以世俗言說故有。受亦如是。智者種種觀察。次第相似故生滅難可別知。如水流相續。但以覺故說三受在身。是故當知。受同色說。想因名相生。若離名相則不生。是故佛說。分別知名字相故名爲想。非決定先有。

答へらく〔=曰〕、

「若し爾らば〔=者〕則ち定色有りて〔=而〕更に生じたり。

 是の如かれば應に千萬種の色有り。

 但に是の事、然らず。

 是の如かれば(亦)相續も無し。

 是の如くに一切處の色を求め、定相有ること無し。

 但、世俗言說を以ての故に有るのみ。

 芭蕉の樹、求むるも實には不可得なりて但に、皮葉のみ有るが如くに。

 是の如く智者、色相を求むるも念念に滅し更に實なる色は得る可くも無し。

 不住なる色形・色相、相似し次第に生じ分別す可くも難し。

 燈炎、定色の分別不可得なるが如し。

 是の定色從り更に色生ずる有るも不可得なり。

 是の故、色、その性無し。

 故に空なり。

 但に世俗言說を以ての故に有り。

 受も亦、是の如し。

 智者、種種に觀察し、次第相似の故に生滅す。

 別知す可きこと難し。

 水流の相續の如くに。

 但、覺りを以ての故に三受、身に在りと說きたり。

 是の故に當に知るべし、受、色に說くに同じと。

 想は名相に因り生じたり。

 若し名相を離るれば則ち生ぜず。

 是の故に佛說きたまはく、

 ≪分別し名字の相を知る。

  故に名づけて想と爲す≫と。

 決定して先きに有るには非らず。


從衆緣生無定性。無定性故如影隨形。因形有影。無形則無影。影無決定性。若定有者。離形應有影。而實不爾。是故從衆緣生。無自性故不可得。想亦如是。但因外名相。以世俗言說故有。識因色聲香味觸等眼耳鼻舌身等生。以眼等諸根別異故。識有別異。是識爲在色爲在眼爲在中間。無有決定。但生已識塵識此人識彼人。知此人識爲即是知彼人識。爲異是二難可分別。如眼識耳識亦難可分別。以難分別故。或言一或言異。無有決定分別。但從衆緣生故。眼等分別故空無自性。如伎人含一珠出已復示人則生疑。爲是本珠爲更有異。識亦如是。生已更生。爲是本識爲是異識。是故當知。識不住故無自性。虛誑如幻。諸行亦如是。諸行者身口意。行有二種淨不淨。何等爲不淨。惱衆生貪著等名不淨。不惱衆生實語不貪著等名淨。或增或減。淨行者。在人中欲天色天無色天受果報已則減。還作故名增。不淨行者亦如是。在地獄畜生餓鬼阿修羅中受果報已則減。還作故名增。是故諸行有增有減故不住。如人有病。隨宜將適病則除愈。不將適病則還集。諸行亦如是。

 衆緣從り生じ定性無し。

 定性無きが故、影の形の隨なるが如し。

 形に因り影有り。

 形無くば(則)影も無し。

 影、その決定性無し。

 若し定有ならば〔=者〕形を離れ應に影有らん。

 而れど實には爾らず。

 是の故、衆緣從り生ぜばその自性無し。

 故に不可得。

 想も〔=亦〕是の如し。

 但、外の名相にのみ因る。

 世俗言說を以ての故に有るのみ。

 識、色聲香味觸等と眼耳鼻舌身等に因り生じたり。

 眼等の諸根、別異なるを以ての故に識に別異有り。

 是の識、色に在りとせ〔=爲〕ん。

 眼に在りとせ〔=爲〕ん。

 その中間に在りとせ〔=爲〕ん。

 いづれも決定有ること無し。

 但に生じ已はり、塵を識り、此の人を識り、彼の人を識るのみ。

 此の人を知る識、即是に彼の人を知る識とせ〔=爲〕んも異とせ〔=爲〕んも是の二、分別す可きこと難し。

 眼識の如くに耳識も〔=亦〕分別す可きこと難し。

 分別し難きを以ての故に、或は『一なり』と言ひ、或は『異なり』と言ふ。

 分別の決定、有ること無し。

 但に衆緣從りのみ生じたるが故に。

 眼等、分別すれば〔=故〕空。

 その自性無し。

 伎人、一珠を含み、出だし已はりて復、人に示せば〔=則〕疑を生ずるが如し。

 是れ本の珠とせ〔=爲〕ん。

 更なる異有りと〔=爲〕ん。

 識、亦に是の如し。

 生じ已はり更に生じたり。

 是れ本の識とせ〔=爲〕ん。

 異なる識とせ〔=爲〕ん。

 是の故に當に知るべし、識は不住と。

 故、その自性無しと。

 虛誑なり、幻の如しと。

 諸行も〔=亦〕是の如し。

 諸行とは〔=者〕身口意なり。

 行に二種有り。

 淨・不淨なり。

 何等をか不淨とす〔=爲〕。

 衆生を惱ます貪著等を不淨と名づく。

 衆生を惱まさざる實語、不貪著等を淨と名づく。

 或は增し、或は減す。

 淨行は〔=者〕人中、欲天、色天、無色天に在り。

 果報を受け已はり則ち減ずるも、還〔また〕も作す。

 故に增と名づく。

 不淨行も〔=者〕亦、是の如し。

 地獄、畜生、餓鬼、阿修羅の中に在り。

 果報を受け已はり則ち減しも、還へりて作す。

 故に增と名づく。

 是の故、諸行に增有り、減有り。

 故に不住なり。

 人に病有り、宜ろしきに隨がひ將に適すれば病ひ、則ち除愈せん。

 將に適せざれば病ひ、則ち還集せん。

 諸行も亦、是の如し。


有增有減故不決定。但以世俗言說故有。因世諦故得見第一義諦。所謂無明緣諸行。從諸行有識著。識著故有名色。從名色有六入。從六入有觸。從觸有受。從受有愛。從愛有取。從取有有。從有有生。從生有老死憂悲苦惱恩愛別苦怨憎會苦等。如是諸苦皆以行爲本。佛以世諦故說。若得第一義諦生眞智慧者則無明息。無明息故諸行亦不集。諸行不集故見諦所斷身見疑戒取等斷。及思惟所斷貪恚色染無色染調戲無明亦斷。以是斷故一一分滅。所謂無明諸行識名色六入觸受愛取有生老死憂悲苦惱恩愛別苦怨憎會苦等皆滅。以是滅故五陰身畢竟滅更無有餘。唯但有空。是故佛欲示空義故。說諸行虛誑。復次諸法無性故虛誑。虛誑故空。如偈說。

 增有り、減有り。

 故に決定ならず。

 但に世俗言說を以ての故に有るのみ。

 世諦に因るが故に第一義諦は見得たり。

 所謂、無明は諸行を緣ず。

 諸行從り識著有り。

 識著の故、名色有り。

 名色從り六入有り。

 六入從り觸有り。

 觸從り受有り。

 受從り愛有り。

 愛從り取有り。

 取從り有有り。

 有從り生有り。

 生從り老・死・憂・悲・苦・惱・恩愛別苦・怨憎會苦等有り。

 是の如き諸苦皆、行を以てその本とす〔=爲〕。

 佛、世諦を以ての故に說きたまへり。

 若し第一義諦を得、眞なる智慧を生ぜば〔=者〕則ち無明は息む。

 無明息めば〔=故〕諸行も〔=亦〕集せず。

 諸行、集せざれば〔=故〕見諦に斷ざれたる〔=所斷〕、身見・疑・戒取等を斷ず。

 及び思惟に斷ざれたる〔=所斷〕貪、恚、色染、無色染、調戲、無明も〔=亦〕斷ず。

 是れら斷を以ての故に一一の分、滅ず。

 所謂、無明・諸行・識・名色・六入・觸・受・愛・取・有・生老死・憂悲苦惱、恩愛別苦、怨憎會苦等皆に滅す。

 是れら滅を以ての故に五陰身、畢竟じて滅す。

 更らに餘有ること無し。

 唯に但に空ぞ有るのみ。

 是の故、佛、空義を示すさん〔=欲〕とし〔=故〕諸行虛誑を說きたまひき。

 復、次に諸法、その性無くば〔=故〕虛誑。

 虛誑なれば〔=故〕空。

 偈說の如し。


 諸法有異故  知皆是無性

 無性法亦無  一切法空故

諸法無有性。何以故。諸法雖生不住自性。是故無性。如嬰兒定住自性者。終不作匍匐乃至老年。而嬰兒次第相續有異相現匍匐乃至老年。是故說見諸法異相故知無性。問曰。若諸法異相無性即有無性法有何咎。答曰。若無性云何有法云何有相。何以故。無有根本故但爲破性故說無性。是無性法若有者。不名一切法空。若一切法空。云何有無性法。問曰。

≪諸法、異有るが故

  皆是れ無性と知れ

 無性の法、亦無なり

  一切法空なるが故に≫

 諸法、その性有ること無し。

 何を以ての故に。

 諸法、生ずれど〔=雖〕自性に住さず。

 是の故、その性無し。

 嬰兒、自性に定住すれば〔=者〕終に匍匐より〔=乃〕老年に至るまで作さざるが如し。

 而れど嬰兒、次第に相續し異相有り。

 匍匐より〔=乃〕老年に至るまでを現じたり。

 是の故に說けらく、≪諸法の異相を見るが故、その無性を知る≫と」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し諸法、異相にして無性ならば〔=即〕無性法有らん。

 何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、

「(若)その性無きに云何んが法有る。

 云何んが相有る。

 何を以ての故に。

 根本有ること無きが故に。

 但に性を破せんが爲の故にのみ無性を說きたり。

 是の無性法ぞ(若)有らば〔=者〕一切法空なりとは名づけず。

 (若)一切法空なるに云何んが無性法有る」と。

問へらく〔=曰〕、


 諸法若無性  云何說嬰兒

 乃至於老年  而有種種異

諸法若無性則無有異相而汝說有異相。是故有諸法性若無諸法性云何有異相。答曰。

≪諸法、若し性無くば

  云何んが嬰兒の

 (乃)老年に〔=於〕至る

  (而)これら種種の異有る≫

「諸法、(若)無性ならば〔=則ち〕異相有ること無し。

 而れど汝說けらく、『異相有り』と。

 是の故、諸法に性有り。

 若し諸法の性無くば云何んが異相のみ有らん」と。

答へらく〔=曰〕、


 若諸法有性  云何而得異

 若諸法無性  云何而有異

若諸法決定有性。云何可得異性。名決定有不可變異。如眞金不可變。又如暗性不變爲明。明性不變爲暗。復次。

≪若し諸法に性有らば

  云何んが(而)異を得ん

 若し諸法、性無くば

  云何んが(而)異有らん≫

「若し諸法、決定して有性ならば云何んが異性を得べき。

 決定有を變異す可くもなしと名づく。

 眞金、變ず可くもなし。

 又、暗性、變じて明をなさ〔=爲〕ず。

 明性、變じて暗をなさ〔=爲〕ず。

 復、次に、


 是法則無異  異法亦無異

 如壯不作老  老亦不作壯

若法有異者。則應有異相。爲即是法異。爲異法異。是二不然。若即是法異。則老應作老。而老實不作老。若異法異者。老與壯異壯應作老。而壯實不作老。二俱有過。問曰。若法即異。有何咎。如今眼見年少經日月歲數則老。答曰。

≪是の法には〔=則〕異無し

  異法にも〔亦〕異無し

 壯、老と作らず

  老も〔=亦〕壯と作らざるが如くに≫

 若し法、有異ならば〔=者〕則ち應に異相有らん。

 即是にこの法を異とせ〔=爲〕んも異法を異とせ〔=爲〕んも是の二、然らず。

 若し即是にこの法、異ならば〔=則〕老應に老を作さん。

 而れど老、實には老を作さず。

 若し異法、異ならば〔=者〕老、壯と〔=與〕異なりて壯、應に老を作さん。

 而れど壯、實には老を作さず。

 二俱に過有り」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し法即ち異ならば何の咎有る。

 今、眼見に年少、日月歲數を經て(則)老となるが如くに」と。

答へらく〔=曰〕、


 若是法即異  乳應即是酪

 離乳有何法  而能作於酪

若是法即異者。乳應即是酪。更不須因緣。是事不然。何以故。乳與酪有種種異故。乳不即是酪。是故法不即異。若謂異法爲異者。是亦不然。離乳更有何物爲酪。如是思惟。是法不異。異法亦不異。是故不應偏有所執。問曰。破是破異猶有空在。空即是法。答曰。

≪若し是の法、即ち異ならば

  乳、應に即ち是れ酪なるべし

 乳を離れ何の法有る

  而して能く酪を〔=於〕作す≫

「若し是の法、即異ならば〔=者〕乳、應に即ち是れ酪なるべし。

 更に因緣を須〔用〕ひず。

 是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 乳、酪と〔=與〕種種の異有り。

 故に乳、即是に酪ならず。

 是の故に法、即異ならず。

 若し『異法を異と爲す』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。

 乳を離れ更に何物有りて酪なる〔=爲〕。

 是の如く思惟せば是の法、異ならず。

 異法も〔=亦〕異ならず。

 是の故、應に偏へに所執有るべからず」と。

問へらく〔=曰〕、

「是を破し異をも破してすら猶、空の在る有らん。

 空ぞ即是に法なり」と。

答へらく〔=曰〕、


 若有不空法  則應有空法

 實無不空法  何得有空法

若有不空法。相因故應有空法。而上來種種因緣破不空法。不空法無故則無相待。無相待故何有空法。問曰。汝說不空法無故空法亦無。若爾者。即是說空。但無相待故不應有執。若有對應有相待。若無對則無相待。相待無故則無相。無相故則無執。如是即爲說空。答曰。

≪若し不空の法有らば

  則ち應に空法有らん

 實には不空の法無し

  何ぞ空法有るを得ん≫

「若し不空法有らば相因の故に應に空法有らん。

 而れど上來、種種の因緣もて不空法を破したり。

 不空法無くば〔=故〕則ち相待無し。

 相待無きに〔=故〕何ぞ空法のみ有らん」と。

問へらく〔=曰〕、

「汝說けらく、『不空法無きが故、空法も〔=亦〕無し』と。

 若し爾らば〔=者〕即ち是れ空を說きたり。

 但、相待無きが故に應に執有らず。

 (若)對有らば應に相待有らん。

 (若)對無くば則ち相待無けん。

 相待無くば〔=故〕則ち相無し。

 無相なれば〔=故〕則ち執無し。

 是の如き、即ち空を說きたり〔=爲〕」と。

答へらく〔=曰〕、


 大聖說空法  爲離諸見故

 若復見有空  諸佛所不化

大聖爲破六十二諸見。及無明愛等諸煩惱故說空。若人於空復生見者。是人不可化。譬如有病須服藥可治。若藥復為病則不可治。如火從薪出以水可滅。若從水生爲用何滅。如空是水能滅諸煩惱火。有人罪重貪著心深。智慧鈍故。於空生見。或謂有空。或謂無空。因有無還起煩惱。若以空化此人者。則言我久知是空。若離是空則無涅槃道。如經說。離空無相無作門。得解脫者。但有言說。

≪大聖、空法を說きたまふ

  諸見を離れんが爲の故

 若し復、空有りと見れば

  諸佛の化せざる所≫

「大聖、六十二の諸見、及び無明、愛等の諸煩惱を破さんが爲の故に空を說きたまひき。

 若し人、空なりに〔=於〕復に見を生ぜば〔=者〕是の人、化さる可くもなし。

 譬へば病有り。

 服藥を須〔用〕ひて治す可し。

 若し藥、復に病と爲らば則ち治る可くもなし。

 この如くに。

 火、薪從り出づ。

 水以て滅す可し。

 (若)水從り生ずれば何を用て滅しめん〔=爲〕。

 この如くに。

 空、是れ水の如し。

 能く諸煩惱の火を滅す。

 人有り。

 その罪重し。

 貪著の心深く、智慧鈍なり。

 故に空に〔=於〕見を生ず。

 或は謂さく、『空こそ有り』と。

 或は謂さく、『空だに無し』と。

 有無に因り還へりて煩惱を起こす。

 若し空以て此の人を化せば〔=者〕則ち、『我久しく是の空を知れり』と言はん。

 若し是の空を離るれば則ち涅槃道も無し。

 經に說けるが如し、

 ≪空、無相、無作の門を離れ解脫を得るとは〔=者〕但に言說有るのみ≫と」と。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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