中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀苦品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(16)


中論卷の第二

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀苦品第十二、十偈

有人說曰。

人有り、說けらく〔=曰〕、


 自作及他作  共作無因作

 如是說諸苦  於果則不然

有人言。苦惱自作。或言他作。或言亦自作亦他作。或言無因作。於果皆不然。於果皆不然者。眾生以眾緣致苦。厭苦欲求滅。不知苦惱實因緣有四種謬。是故說於果皆不然何以故。

≪自作、及び他作

  共作、無因作

 是の如く諸苦を說くも

  果に〔=於〕は〔=則〕然らず≫

「人有り、言はく、『苦惱は自作なり』と。

 或は言はく、『他作なり』と。

 或は言はく、『亦は自作、亦は他作なり』と。

 或は言はく、『無因作なり』と。

 果に〔=於〕は皆、然らず。

 果に〔=於〕は皆、然らずとは〔=者〕衆生、衆緣以て苦を致す。

 苦を厭ひ滅を求めんと欲す。

 苦惱の實因緣を知らず四種の謬有り。

 是の故、≪果に〔=於〕は皆、然らず≫と說きたり。

 何を以ての故に。


 苦若自作者  則不從緣生

 因有此陰故  而有彼陰生

若苦自作。則不從衆緣生。自名從自性生。是事不然。何以故。因前五陰有後五陰生。是故苦不得自作。問曰。若言此五陰作彼五陰者。則是他作。答曰。是事不然。何以故。

≪苦、若し自作ならば〔=者〕

  則ち緣從り生じん

 此の陰有るに因りての故

  (而)彼の陰生ずる有り≫

 若し苦、自作ならば〔=則〕衆緣從り生ぜず。

 自を自性從り生ずと名づく。

 是の事、然らず。

 何を以ての故に。

 前の五陰に因り後の五陰生ずる有り。

 是の故、苦、自作なり得ず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し『此の五陰、彼の五陰を作す』と言はば〔=者〕則ち、是れ他作なり」と。

答へらく〔=曰〕、

「是の事、然らず。

 何を以ての故に。


 若謂此五陰  異彼五陰者

 如是則應言  從他而作苦

若此五陰與彼五陰異。彼五陰與此五陰異者。應從他作。如縷與布異者。應離縷有布。若離縷無布者。則布不異縷。如是彼五陰異此五陰者。則應離此五陰有彼五陰。若離此五陰無彼五陰者。則此五陰不異彼五陰。是故不應言苦從他作。問曰自作者。是人人自作苦。自受苦。答曰。

≪若し此の五陰

  彼の五陰に異なりと謂はば〔=者〕

 是の如きは〔=則〕應に

  他從り(而)苦は作ると言ふべし≫

 若し此の五陰、彼の五陰と〔=與〕異なり、彼の五陰、此の五陰と〔=與〕異なれば〔=者〕應に他從り作りたり。

 縷〔糸〕、布と〔=與〕異ならば〔=者〕應に縷を離れ布有らん。

 若し縷を離れ布無くば〔=者〕則ち布、縷に不異なり。

 是の如く、彼の五陰、此五陰に異なれば〔=者〕則ち應に此の五陰を離れ彼の五陰有り。

 若し此の五陰を離れ彼の五陰無くば〔=者〕則ち此の五陰、彼の五陰に不異なり。

 是の故に應に『苦は他從り作る』と言ふべらず」と。

問へらく〔=曰〕、

「自作ならば〔=者〕是の人、人自らに苦を作したり。

 自らに苦を受けたり」と。

答へらく〔=曰〕、


 若人自作苦  離苦何有人

 而謂於彼人  而能自作苦

若謂人自作苦者。離五陰苦。何處別有人。而能自作苦。應說是人。而不可說。是故苦非人自作。若謂人不自作苦。他人作苦與此人者是亦不然。何以故。

≪若し人、苦を自作せば

  苦を離れ何んが人有り

 〔=而〕彼の人に〔=於〕

  (而)能く苦を自作したりと謂ふ≫

 若し『人、苦を自作す』と謂はば〔=者〕、五陰の苦を離れ何處に別に人有り、(而)能く自ら苦を作す。

 應に是の人を說くべし。

 而れど說く可くもなし。

 是の故、苦、人の自作には非らず。

 若し『人、自ら苦を作さず、他人、苦を作し此の人に與ふ』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。


 若苦他人作  而與此人者

 若當離於苦  何有此人受

若他人作苦。與此人者。離五陰無有此人受。復次。

≪若し苦、他人作し

  (而)此の人に與ふれば〔=者〕

 若し當に苦を〔=於〕離るべきに

  何んが此の人の受有らん≫

 若し他人、苦を作し此の人に與ふれば〔=者〕、五陰を離れ此の人の受有ること無し。

 復、次に、


 苦若彼人作  持與此人者

 離苦何有人  而能授於此

若謂彼人作苦授與此人者。離五陰苦。何有彼人作苦持與此人。若有者應說其相。復次。

≪苦、若し彼の人作し

  持ちて此の人に與ふれば〔=者〕

 苦を離れ何んが人有り

  〔=而〕能く此れを〔=於〕授く≫

 若し『彼の人、苦を作し此の人に授與す』と謂はば〔=者〕、五陰の苦を離れ何んが彼の人、苦を作し、持して此の人に與へたる〔有〕。

 若し有らば〔=者〕應に其の相を說くべし。

 復、次に、


 自作若不成  云何彼作苦

 若彼人作苦  即亦名自作

種種因緣彼自作苦不成而言他作苦。是亦不然。何以故。此彼相待故。若彼作苦於彼亦名自作苦。自作苦先已破。汝受自作苦不成故。他作亦不成。復次。

≪自作、若し成ぜずば

  云何んが彼、苦を作す

 若し彼の人、苦を作さば

  即ち亦、その自作と名づく≫

 種種の因緣の彼の自作の苦、成ぜず。

 (而)他作の苦を言ひて是れ〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。

 此れ、彼れと相待するが故に。

 若し彼、苦を作さば彼に於く(亦)自作の苦と名づく。

 自作の苦、先きに已に破したり。

 汝、受けたる自作の苦、成ぜざれば〔=故〕他作も〔=亦〕成ぜず。

 復、次に、


 苦不名自作  法不自作法

 彼無有自體  何有彼作苦

自作苦不然。何以故。如刀不能自割。如是法不能自作法。是故不能自作。他作亦不然。何以故。離苦無彼自性。若離苦有彼自性者。應言彼作苦。彼亦即是苦。云何苦自作苦。問曰。若自作他作不然。應有共作。答曰。

≪苦、自作と名づけず

  法、法を自作せず

 彼の自體、有ること無し

  何んが彼の作苦有らん≫

 自作の苦、然らず。

 何を以ての故に。

 刀、自ら割く能はざるが如く、是の如くに法、法を自作す能はず。

 是の故、自作す能はず。

 他作も〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。

 苦を離れ彼の自性無し。

 若し苦を離れ彼の自性有らば〔=者〕應に『彼、苦を作す』と言はん。

 彼、亦即是に苦なるに、云何んが苦が苦を自作せん」と。

問へらく〔=曰〕、

「(若)自作と他作、然らずば、應に共作有らん」と。

答へらく〔=曰〕、


 若此彼苦成  應有共作苦

 此彼尚無作  何況無因作

自作他作猶尚有過。何況無因作。無因多過。如破作作者品中說。復次。

≪若し此彼の苦成ぜば

  應に共作の苦有り

 此彼だに〔=尚〕作無きに

  何に況んや無因作をや≫

「自作、他作だに〔=猶〕尚も過有るに、何を況んや無因の作をや。

 無因、過多し。

 破作作者品中の說けるが如し。

 復、次に、


 非但說於苦  四種義不成

 一切外萬物  四義亦不成

佛法中雖說五受陰爲苦。有外道人。謂苦受爲苦。是故說。不但說於苦四種義不成。外萬物。地水山木等。一切法皆亦不成。

≪但に苦を〔=於〕說き

  四種の義成ぜざるのみに非らず

 一切の外の萬物

  四義に亦、成ぜず≫

 佛法中に五受陰を說き苦と爲せど〔=雖〕、外道人有り、『苦受を苦と爲す』と謂ふ。

 是の故に說けらく、≪但に苦を〔=於〕說き、四種の義成ぜざるのみに非らず、外なる萬物、地水山木等一切の法皆も〔=亦〕成ぜず≫と」と。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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