中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀本際品・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(15)


中論卷の第二

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀本際品第十一、八偈

問曰。無本際經說。衆生往來生死。本際不可得。是中說有衆生有生死。以何因緣故而作是說。答曰。

問へらく〔=曰〕、

「無本際經に說けらく、

 ≪衆生、生死の往來し、本際、不可得なり≫と。

 是の中、≪衆生有り、生死有り≫と說きたり。

 何の因緣を以ての故に(而)是の說を作したる」と。

答へらく〔=曰〕、


 大聖之所說  本際不可得

 生死無有始  亦復無有終

聖人有三種。一者外道五神通。二者阿羅漢辟支佛。三者得神通大菩薩。佛於三種中最上故言大聖。佛所言說無不是實說。生死無始。何以故。生死初後不可得。是故言無始汝謂若無初後。應有中者。是亦不然。何以故。

≪大聖の〔=之〕所說

  本際不可得なり、と

 生死の始、有ること無し

  亦復にその終、有ること無し≫

 聖人に三種有り。

 一は〔=者〕外道五神通。

 二は〔=者〕阿羅漢、辟支佛。

 三は〔=者〕神通得たる大菩薩。

 佛、三種中の〔=於〕最上なれば〔=故〕に大聖と言へり。

 佛の所言の說、是れ實說ならざるは無し。

 生死に始は無し。

 何を以ての故に。

 生死の初後、不可得なれば。

 是の故、『始無し』と言へり。

 汝、『若し初後無くば應に中有らん』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。


 若無有始終  中當云何有

 是故於此中  先後共亦無

因中後故有初。因初中故有後。若無初無後。云何有中。生死中無初中後。是故說先後共不可得。何以故。

≪若し始終有ること無くば

  中、當に云何んが有る

 是の故、此の中に〔=於〕

  先も後も共も〔=亦〕無し≫

 中と後とに因るが故に初有り。

 初中に因るが故に後有り。

 若し初無く後無くば云何んが中のみ有る。

 生死中に初中後無し。

 是の故、≪先も後も共も不可得なり≫と說きたり。

 何を以ての故に。


 若使先有生  後有老死者

 不老死有生  不生有老死

 若先有老死  而後有生者

 是則爲無因  不生有老死

生死衆生。若先生漸有老。而後有死者。則生無老死。法應生有老死老死有生。又不老死而生。是亦不然。又不因生有老死。若先老死後生。老死則無因。生在後故。又不生何有老死。若謂生老死先後不可。謂一時成者。是亦有過。何以故。

≪若し先に生有り

  後に老死有らば〔=者〕

 不老死にして生有り

  不生にして老死有り

 若し先に老死有り

  而る後、生有らば〔=者〕

 是れ則ち無因なり〔=爲〕

  不生なるに老死ぞ有りや≫

 生死の衆生、(若)先きに生じ漸くに老有り、而る後に死有らば〔=者〕則ち、生には老死無し。

 法、應に生じて老死有り、老死の生ず有り。

 又、不老死にして〔=而〕生じれば是れも〔=亦〕然らず。

 (又)生に因らず老死有らば。

 若し先きに老死し、後に生ぜば老死は〔=則〕無因なり。

 生、後に在らば〔=故〕。

 又、不生なるに何ぞ老死有る。

 若しは『生老死の先後、不可なり』と謂ふも、『一時に成ず』と謂ふも〔=者〕是れらも〔=亦〕過有り。

 何を以ての故に。


 生及於老死  不得一時共

 生時則有死  是二俱無因

若生老死一時則不然。何以故。生時即有死故。法應生時有死時無。若生時有死。是事不然。若一時生則無有相因。如牛角一時出則不相因。是故。

≪生、及び老死に〔=於〕

  一時共なるをは得ず

 生時に〔=則〕死有り

  是の二俱に無因≫

 若し生老死、一時ならば〔=則〕然らず。

 何を以ての故に。

 生時に即ち死有るが故に。

 法、應に生時に有り、死時には無し。

 若し生時に死有らば是の事、然らず。

 若し一時に生ぜば〔=則〕相ひ因る有ること無し。

 牛角一時に出づれば〔=則〕ち相ひ因らざるが如くに。

 是の故、


 若使初後共  是皆不然者

 何故而戲論  謂有生老死

思惟生老死三皆有過故。即無生畢竟空。汝今何故貪著。戲論生老死。謂有決定相。復次。

≪若し初後共

  是れら皆然らざらしめ〔=使〕ば〔=者〕

 何故に(而)戲論に

  生老死有りと謂ふ≫

 生老死を思惟するに三皆、過有り。

 故に即ち生無し。

 畢竟にして空なり。

 汝今、何故に貪著す?

 生老死を戲論す?

 決定相有りとだに謂ふ?

 復、次に


 諸所有因果  相及可相法

 受及受者等  所有一切法

 非但於生死  本際不可得

 如是一切法  本際皆亦無

一切法者。所謂因果相可相。受及受者等。皆無本際。非但生死無本際。以略開示故。說生死無本際。

≪諸のあらゆる〔=所有〕因果

  相及び可相の法

 受及び受者等

  あらゆる〔=所有〕一切法

 但、生死に〔=於〕のみ

  本際不可得なるに非らず

 是の如き一切法

  その本際皆に亦、無し≫

 一切法とは〔=者〕所謂、因果、相、可相、受、及び受者等なり。

 皆、その本際無し。

 但に生死のみに非らず。

 その本際無きは。

 略して開示するを以ての故に生死無本際なるのみ說きたり」と。








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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