中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀三相品3・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(11)


中論卷の第二

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



 若諸法滅時  是則不應住

 法若不滅者  終無有是事

若法滅相。是法無有住相。何以故。一法中有二相相違故。一是滅相。二是住相。一時一處有住滅相。是事不然。是故不得言滅相法有住。問曰。若法不滅應有住。答曰。無有不滅法。何以故。

≪(若)諸法の滅時

  是れには〔=則〕應に住さず

 法の(若)不滅は〔=者〕

  終に是の事、有ること無し≫

 若し法、滅相ならば是の法、住相有ること無し。

 何を以ての故に。

 一法中に二相相違有るが故に。

 一は是れ滅相。

 二は是れ住相。

 一時一處の住・滅の相有る是の事、然らず。

 是の故、『滅相の法に住したり〔=有〕』とは言ひ得ず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し法、不滅ならば應に住有らん」と。

答へらく〔=曰〕、

「不滅法、有ること無し。

 何を以ての故に。


 所有一切法  皆是老死相

 終不見有法  離老死有住

一切法生時無常。常隨逐無常有二。名老及死。如是一切法。常有老死故無住時。復次。

 あらゆる〔=所有〕一切法

  皆是れ老死相

 終に見ず、法有りて

  老死を離れて住したる〔=有〕をは≫

 一切法、生じたれば〔=時〕無常なり。

 常に無常に隨逐するもの二有り。

 老、及び死と名づく。

 是の如き一切法、常に老死有らば〔=故〕に住時といふは無し。

 復、次に、


 住不自相住  亦不異相住

 如生不自生  亦不異相生

若有住法。爲自相住爲他相住。二俱不然。若自相住則爲是常。一切有爲法從衆緣生。若住法自住。則不名有爲。住若自相住。法亦應自相住。如眼不能自見。住亦如是。若異相住則。住更有住。是則無窮。復次見異法生異相。不得不因異法而有異相。異相不定故。因異相而住者。是事不然。問曰。若無住應有滅。答曰無。何以故。

≪住、自相に住せず

  (亦)異相にも住せず

 生、自生ならず

  (亦)異相にも生ぜぬが如くに≫

 若し住法有らば、自相住とせ〔=爲〕ん。

 他相住とせ〔=爲〕ん。

 二俱に然らず。

 若し自相住ならば〔=則〕是れ常なり〔=爲〕。

 一切有爲法、衆緣從り生ずるに、若し住法、自住せば〔=則〕有爲と名づけず。

 住、(若)自相住ならばその法も〔=亦〕應に自相住ならん。

 眼、自ら見る能はざるが如く、住も〔=亦〕是の如し。

 若し異相住ならば〔=則〕住に更に住有り。

 是れは〔=則〕無窮。

 復、次に異法の異相を生ずを見るも、異法に因らず〔=而〕異相有るをは得ず。

 異相、不定なれば〔=故〕。

 異相に因り〔=而〕住すとせば〔=者〕是の事、然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し住無くば應に滅有らん」と。

答へらく〔=曰〕、

「無し。

 何を以ての故に。


 法已滅不滅  未滅亦不滅

 滅時亦不滅  無生何有滅

若法已滅則不滅。以先滅故。未滅亦不滅。離滅相故。滅時亦不滅。離二更無滅時。如是推求。滅法即是無生。無生何有滅。復次。

≪法已に滅せば滅せず

  未滅なるも〔=亦〕滅せず

 滅時も〔=亦〕滅せず

  生だに無きに何んが滅有る≫

 若し法已に滅せば〔=則〕滅せず。

 先きに滅したるを以ての故に。

 未だ滅せずても〔=亦〕滅せず。

 滅相を離るるが故に。

 滅時にも〔=亦〕滅せず。

 二を離れ更らに滅時無し。

 是の如く推求すれば滅法、即是にしてその生無し。

 生無きに何んが滅のみ有る。

 復、次に、


 法若有住者  是則不應滅

 法若不住者  是亦不應滅

若法定住則無有滅。何以故。由有住相故。若住法滅則有二相。住相滅相。是故不得言住中有滅。如生死不得一時有。若法不住亦無有滅。何以故。離住相故。若離住相則無法。無法云何滅。復次。

≪法、若し住有らば〔=者〕

  是れ則ち應に滅せず

 法、若し住せざれば〔=者〕

  是れも〔=亦〕應に滅せず≫

 若し法、定住ならば〔=則〕その滅有ること無し。

 何を以ての故に。

 住相有るに由るが故に。

 若し住法にして滅せば〔=則〕二相有らん。

 住相と滅相なり。

 是の故、『住中に滅有り』とは言ひ得ず。

 生・死、一時には有り得ざるが如くに。

 若し法、住せざりても〔=亦〕その滅有ること無し。

 何を以ての故に。

 住相を離るるが故に。

 若し住相を離るれば〔=則〕その法も無し。

 法無きに云何んが滅す。

 復、次に、


 是法於是時  不於是時滅

 是法於異時  不於異時滅

若法有滅相。是法爲自相滅。爲異相滅。二俱不然。何以故。如乳不於乳時滅。隨有乳時。乳相定住故。非乳時亦不滅。若非乳不得言乳滅。復次。

≪是の法、是の時に〔=於〕

  是の時に〔=於〕は滅せず

 是の法、異時に〔=於〕

  異時に〔=於〕は滅せず≫

 若し法に滅相有らば是の法、自相の滅とせ〔=爲〕ん。

 異相の滅とせ〔=爲〕ん。

 二俱に然らず。

 何を以ての故に。

 乳、乳時に〔=於〕は滅せず。

 乳時の有るが隨にその乳相、定住せば〔=故〕。

 乳時に非らざりても〔=亦〕滅せず。

 若し乳に非らざるを『乳の滅したる』とは言ひ得ざれば。

 復、次に、


 如一切諸法  生相不可得

 以無生相故  即亦無滅相

如先推求。一切法生相不可得。爾時即無滅相。破生故無生。無生云何有滅。若汝意猶未已。今當更說破滅因緣。

≪一切諸法

  その生相の不可得なるが如く

 生相無きを以ての故に

  即ち(亦)滅相も無し≫

 先きの推求の如く一切法、その生相不可得なり。

 爾の時即ち滅相も無し。

 生を破するが故に生無し。

 生無くて云何んが滅のみぞ有る。

 若し汝が意、猶も未だ已まざれば今當に更に說き滅の因緣を破さん。


 若法是有者  是即無有滅

 不應於一法  而有有無相

諸法有時推求滅相不可得。何以故。云何一法中。亦有亦無相。如光影不同處。復次。

≪若し法、是れ有ならば〔=者〕

  是れ即ち滅有ること無し

 應に一法に於き

  而も有無の相有るべからず≫

 諸法有る時を推求するに滅相、不可得なり。

 何を以ての故に。

 云何んが一法中に亦は有の、亦は無の相ならん。

 光影、處を同うせざるが如くに。

 復、次に、


 若法是無者  是即無有滅

 譬如第二頭  無故不可斷

法若無者則無滅相。如第二頭第三手無故不可斷。復次。

≪若し法、是れ無ならば〔=者〕

  是れ即ちその滅有ること無し

 譬へば第二頭の如くに

  無くば〔=故〕斷ず可くもなし≫

 法、若し無くば〔=者〕則ち滅相も無し。

 第二の頭、第三の手、無きが故、斷ず可くもなきが如くに。

 復、次に、


 法不自相滅  他相亦不滅

 如自相不生  他相亦不生

如先說生相。生不自生。亦不從他生。若以自體生。是則不然。一切物皆從衆緣生。如指端不能自觸。如是生不能自生。從他生亦不然。何以故。生未有故。不應從他生。是生無故無自體。自體無故他亦無。是故從他生亦不然。滅法亦如是。不自相滅不他相滅。復次。

≪法、自相に滅せず

  他相にも〔=亦〕滅せず

 自相、生ぜず

  他相も亦生ぜざるが如くに≫

 先きに生相を說きたるが如く、生、自生せず。

 亦、他從りも生せず。

 若しその自體を以て生ぜば是れ則ち、然らず。

 一切物皆、衆緣從り生じたれば。

 指端、自ら觸るる能はざるが如く、是の如くに生、自生する能はず。

 他從り生ずるも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。

 生、未だ有らざるが故に應に他從り生ずべからず。

 是の生無きが故にその自體も無し。

 自體無きが故にその他も〔=亦〕無し。

 是の故、他從り生ずるも亦、然らず。

 滅法も〔=亦〕是の如し。

 自相に滅せず。

 他相にも滅せず。

 復、次に、


 生住滅不成  故無有有爲

 有爲法無故  何得有無爲

汝先說有生住滅相故有有爲。以有有爲故有無爲。今以理推求。三相不可得。云何得有有爲。如先說。無有無相法。有爲法無故。何得有無爲。無爲相名不生不住不滅。止有爲相故名無爲相。無爲自無別相。因是三相有無爲相。如火爲熱相地爲堅相水爲冷相。無爲則不然。問曰。若是生住滅畢竟無者。云何論中得說名字。答曰。

≪生・住・滅、成ぜず

  故に有爲有ること無し

 有爲法無きに〔=故〕

  何んが無爲ぞ有り得ん≫

 汝先きに說けらく、『生・住・滅相有るが故に有爲有り、有爲有るを以ての故に無爲も有り』と。

 今、理を以て推求するに三相、不可得なり。

 云何んが有爲ぞ有り得ん。

 先きに說けるが如く、無相の法有ること無し。

 有爲法無きに〔=故〕何んが無爲のみぞ有り得ん。

 無爲相を不生、不住、不滅と名づく。

 有爲相を止むるが故、無爲相と名づく。

 無爲、自ら別相無し。

 是の三相に因り無爲相有り。

 火、熱相を爲し、地、堅相を爲し、水、冷相を爲すが如きは、無爲則ち然らず」と。

問へらく〔=曰〕、

「若し是の生・住・滅、畢竟にして無くば〔=者〕云何んが論中に名字を說き得きや」と。

答へらく〔=曰〕、


 如幻亦如夢  如乾闥婆城

 所說生住滅  其相亦如是

生住滅相無有決定。凡人貪著謂有決定。諸賢聖憐愍欲止其顛倒。還以其所著名字為說。語言雖同其心則異。如是說生住滅相。不應有難。如幻化所作。不應責其所由。不應於中有憂喜想。但應眼見而已。如夢中所見不應求實。如乾闥婆城日出時現而無有實。但假為名字不久則滅。生住滅亦如是。凡夫分別為有。智者推求則不可得。

≪幻の如し、(亦)夢の如し

  乾闥婆の城の如し

 所說の生・住・滅

  其の相も〔=亦〕是の如し≫

「生・住・滅相、その決定有ること無し。

 凡人、貪著して『決定有り』と謂ふ。

 諸賢聖、憐愍して其の顚倒を止めん〔=欲〕とし、還へりて其の所著名字を以て說をなしたり〔=爲〕。

 語言は同じくも〔=雖〕其の心は〔=則〕異なり。

 是の如く生・住・滅相を說くに應に難有るべからず。

 幻化の所作の如く應に、其の所由を責むべからず。

 應に中に於て憂喜の想有るべからず。

 但に應に眼見して〔=而〕已はるのみ。

 夢中の所見に應に實を求むべくもなきが如くに。

 乾闥婆の城、日の出づる時を現ずれど(而)、實には有ること無きが如くに。

 但に假りに名字のみなり〔=爲〕。

 久しからず(則滅せん。

 生・住・滅も〔=亦〕是の如し。

 凡夫、分別して有とし〔=爲〕たり。

 智者、推求せば〔=則〕不可得なり」と。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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