中論 Mūlamadhyamaka-kārikā 觀三相品1・龍樹 Nāgārjuna の偈を、青目 Piṅgala が釈し、三蔵法師鳩摩羅什 Kumārajīva が訳す・漢訳原文と書き下し(9)


中論卷の第二

  龍樹菩薩造

  梵志靑目釋

  姚秦三藏鳩摩羅什譯す



■中論觀三相品第七、三十五偈

問曰。經說有爲法有三相生住滅。萬物以生法生。以住法住。以滅法滅。是故有諸法。答曰不爾。何以故。三相無決定故。是三相爲是有爲能作有爲相。爲是無爲能作有爲相。二俱不然。何以故。

問へらく〔=曰〕、

「經に說けらく、

 ≪有爲法に三相有り。

  生、住、滅なり。

  萬物、生法以て生じ、住法以て住し、滅法以て滅す≫と。

 是の故、諸法有り」と。

答へらく〔=曰〕、

「爾らず。

 何を以ての故に。

 三相、決定無きが故に。

 是の三相、是れ有爲なりて能く有爲相を作すとせん〔=爲〕も、是れ無爲なりて能く有爲相を作すとせ〔=爲〕んも、二俱に然らず。

何を以ての故に。


 若生是有爲  則應有三相

 若生是無爲  何名有爲相

若生是有爲。應有三相生住滅。是事不然。何以故。共相違故。相違者。生相應生法。住相應住法。滅相應滅法。若法生時。不應有住滅相違法。一時則不然。如明闇不俱。以是故生不應是有爲法。住滅相亦應如是。問曰。若生非有爲。若是無爲有何咎。答曰。若生是無爲。云何能爲有爲法作相。何以故。無爲法無性故。因滅有爲名無爲。是故說不生不滅名無爲相。更無自相。是故無法。不能爲法作相。如兔角龜毛等不能爲法作相。是故生非無爲。住滅亦如是。復次。

≪(若)生、是れ有爲ならば

  則ち應に三相有らん

 (若)生、是れ無爲ならば

  何んが有爲相と名づく≫

 若し生、是れ有爲ならば應に三相、生・住・滅有らん。

 是の事然らず。

 何を以ての故に。

 共に相違するが故に。

 相違とは〔=者〕生相、應に生法なり。

 住相、應に住法なる。

 滅相、應に滅法なり。

 (若)法の生ずる時、應に住・滅の相違法有るべからず。

 一時なるも〔=則〕然らず。

 明闇、俱ならざるが如くに。

 是れを以ての故に生、應に是れ有爲法なるべからず。

 住・滅相も亦應に是の如し」と。

問へらく〔=曰〕、

「(若)生、有爲に非らずば、(若)是れ無爲なりて何の咎有る」と。

答へらく〔=曰〕、

「(若)生、是れ無爲ならば云何んが能く有爲法の爲に相を作さん。

 何を以ての故に。

 無爲法、無性なるが故に。

 有爲を滅すに因り無爲と名づく。

 是の故、說けらく、≪不生不滅を無爲相と名づく、更らに自相無し≫と。

 是の故、無法、法の爲に相を作す能はず。

 兎の角、龜の毛等の、法の爲に相を作す能はざるが如くに。

 是の故、生、無爲に非らず。

 住・滅も〔=亦〕是の如し。

 復、次に、


 三相若聚散  不能有所相

 云何於一處  一時有三相

是生住滅相。若一一能爲有爲法作相。若和合能與有爲法作相。二俱不然。何以故。若謂一一者。於一處中或有有相。或有無相。生時無住滅。住時無生滅。滅時無生住。若和合者。共相違法。云何一時俱。若謂三相更有三相者。是亦不然。何以故。

≪三相、若し聚散せば

  所相有る能はず

 云何んが一處に〔=於〕

  一時に三相有る≫

 是の生・住・滅相、(若)一一に能く有爲法の爲に相を作しても、(若)和合し能く有爲法の與〔爲〕に相を作しても、二俱に然らず。

 何を以ての故に。

 若し『一一に』と謂はば〔=者〕一處中に〔=於〕、或は有相有り。

 或は無相有り。

 生時に住・滅無し。

 住時に生・滅無し。

 滅時に生・住無し。

 若し和合ならば〔=者〕共に相違法なり。

 云何んが一時に俱なる。

 若し『三相、更らに三相有り』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。


 若謂生住滅  更有有爲相

 是即爲無窮  無即非有爲

若謂生住滅更有有爲相。生更有生有住有滅。如是三相復應更有相。若爾則無窮。若更無相。是三相則不名有爲法。亦不能爲有爲法作相。問曰。汝說三相爲無窮。是事不然。生住滅雖是有爲。而非無窮。何以故。

≪若し生・住・滅

  更に有爲相有りと謂はば

 是れ即ち無窮なり〔=爲〕

  無ならば即ち有爲に非らず≫

 若し『生・住・滅に更に有爲相有り』と謂はば生、更らに生有り、住有り、滅有り。

 是の如き三相復應に更に相有らん。

 (若)爾らば則ち無窮なり。

 若し更らに無相ならば是の三相則ち、有爲法とは名づけず。

 亦、有爲法の爲に相を作す能はず」と。

問へらく〔=曰〕、

「汝、三相を說き無窮とす〔=爲〕是の事、然らず。

 生・住・滅、是れ有爲なれど〔=雖〕而も無窮に非らず。

 何を以ての故に。


 生生之所生  生於彼本生

 本生之所生  還生於生生

法生時通自體七法共生。一法二生三住四滅五生生六住住七滅滅。是七法中。本生除自體。能生六法。生生能生本生。本生能生生生。是故三相雖是有爲。而非無窮。答曰。

≪生生の〔=之〕所生

  彼の本生を〔=於〕生じ

 本生の〔=之〕所生

  還へりて生生を〔=於〕生ず≫

 法生ずる時、自體を通じ七法共に生ず。

 一は法。

 二は生。

 三は住。

 四は滅。

 五は生の生。

 六は住の住。

 七は滅の滅。

 是の七法中に本生それ自體を除き能く六法を生ず。

 生の生、能く本生を生じ、本生、能く生の生を生ず。

 是の故、三相、是れ有爲なれど〔=雖〕而も無窮に非らず」と。

答へらく〔=曰〕、


 若謂是生生  能生於本生

 生生從本生  何能生本生

若是生生能生本生者。是生生則不名從本生生。何以故。是生生從本生生。云何能生本生。復次。

≪若し是の生生

  能く本生を〔=於〕生ずと謂はば

 生生、本生從り

  何んが能く本生を生ず≫

「若し是の生生、能く本生を生ぜば〔=者〕是の生生、則ち本生從り生ずと名づけず。

 何を以ての故に。

 是の生生、本生從り生じたるに云何んが能く本生を生ず。

 復、次に、


 若謂是本生  能生於生生

 本生從彼生  何能生生生

若謂本生能生生生者。是本生不名從生生生。何以故。是本生從生生生。云何能生生生。生生法應生本生。而今生生不能生本生。生生未有自體。何能生本生。是故本生不能生生生。問曰。是生生生時非先非後。能生本生。但生生生時能生本生。答曰不然。何以故。

≪若し是の本生

  能く生生を〔=於〕生ずと謂はば

 本生、彼の生從り生ず

  何んが能く生生を生ず≫

 若し『本生、能く生生を生ず』と謂はば〔=者〕是の本生、生生從り生ずと名づけず。

 何を以ての故に。

 是の本生、生生從り生じたるに云何んが能く生生を生ず。

 生生法、應に本生を生ずべし。

 而れど今、生生は本生を生ず能はず。

 生生、未だその自體有らざるに何んが能く本生を生ず。

 是の故、本生、生生を生ず能はず」と。

問へらく〔=曰〕、

「是の生生の生時、先きに非らず。

 後にも非らず。

 かくて能く本生を生ず。

 但に生生の生時に能く本生を生ずのみ」と。

答へらく〔=曰〕、

「然らず。

 何を以ての故に。


 若生生生時  能生於本生

 生生尚未有  何能生本生

若謂生生生時能生本生可爾。而實未有。是故生生生時。不能生本生。復次。

≪若し生生の生時

  能く本生を〔=於〕生ぜば

 生生だに〔=尚〕未有なるに

  何んが能く本生を生ず≫

 若し『生生の生時に能く本生は生じ、かくて爾る可し』と謂はば、而れど實には未だ有らず。

 是の故、生生の生時、本生は生ず能はず。

 復、次に、


 若本生生時  能生於生生

 本生尚未有  何能生生生

若謂是本生生時能生生生可爾。而實未有。是故本生生時。不能生生生。問曰。

≪若し本生の生時

  能く生生を〔=於〕生ぜば

 本生だに尚、未有なるに

  何んが能く生生を生ず≫

 若し『是の本生の生時に能く生生は生じ、かくて爾る可し』と謂はば、而れど實には未だ有らず。

 是の故、本生の生時、生生は生ず能はず」と。

問へらく〔=曰〕、


 如燈能自照  亦能照於彼

 生法亦如是  自生亦生彼

如燈入於闇室照了諸物。亦能自照。生亦如是。能生於彼。亦能自生。答曰不然。何以故。

≪燈、能く自らを照らし

  (亦)能く彼を〔=〕も照らすが如く

 生法も〔=亦〕是の如くに

  自らを生じ(亦)彼をも生ず≫

 燈、闇室に〔=於〕入り諸物を照了し亦、能く自らをも照らす。

 この如く、生も亦是の如くに能く彼を〔=於〕も生じ(亦)能く自らをも生ず」と。

答へらく〔=曰〕、

「然らず。

 何を以ての故に。


 燈中自無闇  住處亦無闇

 破闇乃名照  無闇則無照

燈體自無闇。明所及處亦無闇。明闇相違故。破闇故名照。無闇則無照。何得言燈自照亦照彼。問曰。是燈非未生有照亦非生已有照。但燈生時。能自照亦照彼。答曰。

≪燈中、自ら闇無し

  住處にも〔=亦〕闇無し

 闇を破し乃ち照と名づく

  闇無くば〔=則〕照も無し≫

 燈の體、それ自らに闇は無し。

 明の及ぶ〔=所及〕處にも〔=亦〕闇は無し。

 明闇の相違の故に。

 闇を破すに〔=故〕照と名づけたり。

 闇無くば〔=則〕照も無し。

 何んが『燈、自らを照らし亦、彼をも照てら』と言ひ得る」と。

問へらく〔=曰〕、

「是の燈、未生にして照有るに非らず。

 亦、生じ已はりて照有るにも非らず。

 但に燈の生時に能く自らを照らし(亦)彼をも照らしたるのみ」と。

答へらく〔=曰〕、


 云何燈生時  而能破於闇

 此燈初生時  不能及於闇

燈生時名半生半未生。燈體未成就云何能破闇。又燈不能及闇。如人得賊乃名爲破。若謂燈雖不到闇而能破闇者。是亦不然。何以故。

≪云何んが燈の生時

  (而)能く闇を〔=於〕破さん

 此の燈、初生の時

  闇に〔=於〕及ぶ能はざりしを≫

「燈の生時を半生・半未生と名づく。

 燈體、未だ成就せざるに云何んが能く闇を破さん。

 又、燈、闇に及ぶ能はず。

 人、賊を得て乃ち名づけて破すと爲すが如くに。

 若し『燈、不到闇に到らざれど〔=雖〕而れども能く闇を破す』と謂はば〔=者〕是れも〔=亦〕然らず。

 何を以ての故に。


 燈若未及闇  而能破闇者

 燈在於此間  則破一切闇

若燈有力。不到闇而能破者。此處燃燈。應破一切處闇。俱不及故。復次燈不應自照照彼。何以故。

≪燈、若し未だ闇に及ばざるも

  (而)能く闇を破さば〔=者〕

 燈、此の間に〔=於〕在り

  則ち一切の闇を破さん≫

 若し燈に力有り、闇に到らざるも(而)能く破さば〔=者〕、此處に燃燈して應に一切の闇なす處を破さん。

 俱に及ばざれば〔=故〕。

 復、次に燈、應に自ら照らし彼をも照らすべからず。

 何を以ての故に。


 若燈能自照  亦能照於彼

 闇亦應自闇  亦能闇於彼

若燈與闇相違故。能自照亦照於彼。闇與燈相違故。亦應自蔽蔽彼。若闇與燈相違。不能自蔽蔽彼。燈與闇相違。亦不應自照亦照彼。是故燈喩非也。破生因緣未盡故。今當更說。

≪若し燈、能く自ら照らし

  亦に能く彼を〔=於〕も照らせば

 闇も亦應に自ら闇なし

  亦に能く彼を〔=於〕も闇なす≫

 若し燈、闇と〔=與〕相違するが故に能く自ら照らし(亦)彼を〔=於〕も照らせば、闇、燈と〔=與〕相違するが故に亦應に自ら蔽ひ、彼をも蔽はん。

 若し闇、燈と〔=與〕相違すれど自ら蔽ひ彼をも蔽ふ能はざれば燈、闇と〔=與〕相違し亦應に自ら照らし(亦)彼をも照らすべからず。

 是の故、燈の喩へ、非なり〔=也〕。

 生の因緣を破すること未だ盡きざれば〔=故〕今當に更に說かん。


 此生若未生  云何能自生

 若生已自生  生已何用生

是生自生時。爲生已生。爲未生生。若未生生則是無法。無法何能自生。若謂生已生。則爲已成。不須復生。如已作不應更作。若已生若未生。是二俱不生故無生。汝先說生如燈能自生亦生彼。是事不然。住滅亦如是。復次。

≪此の生、若し未生ならば

  云何んが能く自生す

 若し生じ已はり自生せば

  生じ已はるに何んが生を用ふ≫

 是の生、自ら生ずる時、生ず已はりて生ずとせ〔=爲〕ん。

 未だ生ぜざるに生ずとせ〔=爲〕ん。

 若し未生なるに生ぜば〔=則〕是れ法無し。

 法無きに何んが能く自生す。

 若し『生じ已はり生ず』と謂はば〔=則〕已に成じきなり〔=爲〕。

 復に生を須〔用〕ひず。

 已に作したるに應に更には作さざるが如くに。

 若しは已生、若しは未生、是の二俱に生ぜざれば〔=故〕生、無し。

 汝、先きに『生、燈の如く能く自生し亦、彼をも生ず』と說きたる是の事、然らず。

 住・滅も〔=亦〕是の如し。

 復、次に、








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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