蚊頭囉岐王——小説64
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
その肉體は
ただ靜かに
死に
彼らにだけ咀嚼の轟音を立てながら
彼の死に
無音の内に腐る
無限に短いその一瞬に
喰いつく細菌の群れ
踏み越えた先には
彼らをだけ自分の立てた轟音の内に
もはや生も
歓喜させ
死もないいわば
かくて由美哿
容赦もない他人の時間
爾に都儛耶氣良玖
泣くべきだったろう。
それともわめく?
あるいは彼を羽交い絞めして?
和葉を?
鳥雅を?
わたしから和葉を奪った鳥雅をなぶりものにする?
生まれて來たことを後悔させてやるほどに。
その肉と魂を責める。
そうするべきと。
他人の死。
わたしは見ていた。
それは他人のした出來事だった。
或は他人の体験だった。
和葉を殺したのは鳥雅だった。
鳥雅の和葉は鳥雅に殺された。
わたしの和葉。
だれにとってもの和葉はそこにひとり曝す。
みずからの無き殻を。
わたしはせめて泣き叫ぶべきだった。
聲が無かった。
他人の死。
予測だにしなかった他人の。
不意の。
わたしはすでに他人だった。
他人の息遣いの内に生きた。
聲が無かった。
叫ぶべき聲がなかった。
沈黙したわけではなかった。
沈黙ができなかった。
だからたゞ言葉を失った。
鳥雅の和葉は鳥雅が殺した。
ならばわたしの和葉は死んでさえいなかった。
わたしは彼を殺さなかったから。
わたしの彼の死を見なかったから。
和葉はひとりで屍を曝す。
誰かの無き殻を。
その無き殻を。
かクて由美哿その朝に背後に阿須紗ノ怒号を聞きゝ阿須紗は由美哿が夫なりき故レ哿須波が父なりき故レ哿頭羅兒が父なりき故レ耳もとに響ケる怒号に我に返リて由美哿返り見たるに驚愕ノ阿須紗目を剝いて喚く故レ爾に阿須紗そノ目に息子が亡きがらを見き故レ阿須紗そノ麻那古に息子の死にタるを見止めき故レ由美哿の喉だに喚ケば聲とよむ故レ起きタる哿須良古ひとり慄き近所に大人を呼び起こシきかくて救急車遺体を奪いて去りき後に警察等阿迦井ノ家に雪崩れ込みきかクて彼等さらに遺体を奪ヒて去りき故レ一週間の後に返せり殺シたる人の名を誰も知らざりき何以故由美哿気が付ケば哿須波の死にタるを見きが故なりき故レ由美哿その殺しタる人の名を知らズ由美哿は嘆き忿怒せりそノ死を歎きその被煞に瞋る且つは阿須紗は嘆き忿怒せりそノ死を歎きその被煞に瞋る且つハ蚊頭羅古はたダひたすらに嘆くそノ死を歎き又その煞したる人を知りタる故なりき故レ哿豆囉古ひトり兄の葬儀のうちにも娑彌氣囉玖
知っていた
鳥雅に頸を差し出すのを
すでに
和葉が
和葉の息てあった比から
その紫の花々の咲く上に
なぜ?
鳥雅に微笑んで見せるのを
見た
和葉が
その夢に
さゝやく聲は聞き取れなかった
なぜ?
あるいは和葉の耳も
夢を?
聞き取りはしなかった
わたしは見たのだった
さゝやく自分の聲を
紫色の花
血を流した
薄紫いろの花の咲く
鼻からも
花の敷き詰められた遠くまで
口からも
遠くまで花の敷き詰められた
すべての孔から血を流す
花の紫の上に
鳥雅の眼の
見た
その正面で
すでに
和葉は
夢に
だから
かくて迦豆囉古
花さえ血にまみれた
爾に
その夢を
都儛耶氣良玖
言った。
母は。
殺してやると。
殺した男を。
何故ひとりだけ?
なぜひとりだけ和葉を。
弓香はひとりそう喚く。
そして父は無言で歯噛みする。
音を自分の耳には聞きもしないで。
聞かせた。
歯噛みの音は。
他人の耳にだけに。
沙門圓位は無造作に歎いた。
馴れきった所作で。
みずみずしいそのかなしみを。
沙門圓位はその顏にも曝した。
だからだれもが悲しんだ。
慰問の客は。
だから誰もが怯えた。
不意の絞殺に。
姿の無い殺人者の徘徊に。
欷く淚の温度があった。
弔いの部屋の空気の中に。
知ってる?
と。
わたしはつぶやく。
淚には容赦もない温度がある。
湿度さえも。
何故ならそれは物質だから。
息物の生産した物質だから。
わたしはつぶやく。
だれに?
わたしに?
ただ喉の奥の方にだけ。
悲しみが私の心を裂いたから?
悲しみが喉の奥に血の味をさせたから?
悲しみが指の先を冷たくしさらにこまかい痙攣さえさせたから?
だれも悲しみに沈んだ。
鳥雅は沈む。
だから彼の悲しみに。
溺れる。
あがきもせずに。
その流した滂沱の淚を見た。
わたしの眼も。
慰問の客のすべてと俱に。
たすらに素直に欷く彼の。
鳥雅はさらに温度を与えた。
淚の温度を。
その湿度を。
返り見た彼の私に無理やりに微笑んだ。
彼は。
——泣いちゃだめだよ。
ふるえる聲で。
——笑って送ってあげて。
まばたくたびに
——妹だろ。
淚をこぼし。
知る。
その時に。
すでに私は泣きじゃくっていた。
壁にもたれて。
ずり落ちたように床に座り込み。
口を広げて。
顔を上げたまゝ。
わたしはすでに泣きじゃくっていた。
かくて埋葬だに終われば由美迦ひとり娑娑彌氣囉玖
鳥雅の笑んだ顔を思った
夢にも見た
背にした屍をその美しい
その苦しみを
体躯で意図無く隠して仕舞いながら
斷末魔のその苦しみを
それを惜しみもせずに
くりかえし
笑む素直な鳥雅の微笑を思った
夢にも見た
かくテ由美迦
醒めた瞳のうちにさえも
爾に都儛耶氣良玖爾
だれにも殺されはしなかった。
だれにも奪い去れはしなかった。
すでに容赦もなく無かったものを誰が?
誰が殺せなど出來たのか。
誰が奪えなどできたのか。
殺戮も窃盗もだれかゞ与えた不当な歪んだ概念に過ぎない。
そんなもの一度さえあったことなどない。
かくて斗璃麻娑海邊の道に加豆羅古ヲ見き故レ聲かけたれば哿豆囉兒笑んではジらひて又笑ム故レふたり俱なりテ海岸に降りき引き潮に海は遠くに沙は日の光にたダ白濁せり故レ斗璃麻娑ヒとり娑娑彌氣囉玖
轟音を
和葉の痛みが僕を噛んだ
覆いつくす轟音を
齕み千切る
怒号にも似た
壞れていく
その轟音を
和葉の痛みが赤裸々に
掩う耳の
僕を噛んだ
奧に木魂す
無数の歯で
その轟音を
無数の口で
かくて斗璃麻娑
僕を噛んだ
爾に都儛耶氣良玖
吐く。
毎晩。
俺は。
吐く。
朝にさえ。
吐く。
かたわらに蘰子は遠くを見た。
かたわらの私をだけ見つめながら。
その何も見えない視界に。
恋した眼差し。
その温度の内に。
蘰子はかすかに笑んで見ていた。
遠くを。
吐く。
俺は。
毎晩。
吐く。
人の眼を離れて。
ひとりで吐く。
後悔も無く。
罪の意識もなく。
吐く。
俺は。
蘰子は俺を見上げた。
すこしもたげた顎に。
見つめる私のまなざしに気付き、彼女は。
恥じらう色をさらすと思った。
そんなものなにもなかったのに気付いた。
見つめた。
恥ずかしげもなく。
蘰子は追い詰められたにも似た開いた眼で。
わたしを。
だからわたしは何も言わなかった。
蘰子がわたしを強姦したのを私は知った。
その眼差しをもて。
彼女の。
眼差しの内にだけ。
かくて迦豆囉古娑娑彌氣囉玖
忘れた?
知ってる?
まさか
もうだれのものでもなかった
兄の指先
知ってる?
唇にふれた
夢に知った
恐れを知らない
あなたのせいで
兄の指先
わたしはもう
忘れた?
だれのものでもなかった
まさか
さゞなむ
記憶したわけでもく
波の音
零れだす記憶さえ
さゞなむ
海の音に
くだけちる
零れおちて消え
無際限の
かくて蚊頭羅兒
その波の音
爾に都儛耶氣良玖
鳥雅が唇を奪おうとするのは知っていた。
その爲に和葉を殺した。
その夢の中で。
わたしの夢の中でも。
奪われた。
唇を奪おうとする鳥雅のその顎が動き出す前に。
私は。
すでに。
過去も未來も。
イノチも死も。
なにもかもを。
哿豆波亂聲蚊頭囉岐王舞樂第三
啞ン癡anti王瑠我貮翠梦organism Ⅱ
2021.01.25.黎マ
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