蚊頭囉岐王——小説54


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



 足の遙かな下には観光客たちの息吹き。

 彼等は此処迄上がって気はしない。

 うち捨てたられた四阿の存在など彼等は知らない。

 郁実は戸惑う。

 鳥雅をその目にし乍ら。

 反射的にも霑いを与えて。

 その網膜に。

 それでもすでに知っていた。

 郁美は。

 自分が普通ではない狀況にいることを。

 ぼくたちみんなに囲まれて。

 庄司惟男がさゝやいた。

 耳元に。

 ——こいつ、生意気なんだよ。

 邪気もなく笑う。

 郁実は世界が今音を立てて崩れるのを見る。

 郁実は喉に腐った自分の血の味をあじわう。

 僕は感じた。

 失神しかけた郁実より顯らかに。

 彼女の見い出す風景の総てを。

 彼女の感じる世界の総てを。

 腰を振る惟男を笑う。

 和葉は。

 僕は斗璃摩娑のそれに敎えてやる。

 それの感じるべきものの感觸を。

 斗璃摩娑は僕に身を預けた。

 知っていた。

 斗璃摩娑がかならずしも僕を愛してはいないことを。

 機械のように発情する。

 鳥雅のそれは。

 だからそれにせめて感じるべき感覺を敎えた。

 自由にした。

 僕を。

 鳥雅が僕を必ずしも愛していない事実が。

 そして僕を焦燥させる。

 暴力的に愛される女の息を聞いた。

 肺に搾りだすような。

 惟男の笑った聲を聞いた。

 あまりに小さい暴力。

 それ本來の小ささ。

 惡というものの致命的な微細さ。

 郁実のすべては崩壞する。

 郁実のすべて壞れさる。

 頭の上で鳥が鳴いた。

 春の鳥。

 惟男に女の抱き方を敎えた。

 彼が力尽きた後に。

 惟男に女の嬲り方を敎えた。

 土の上に胡坐する彼に。

 惟男に女の壞し方を敎えた。

 彼が笑う聲を返り見た。

 鳥雅にふれさせる気はなかった。

 女などに。

 郁実が鼻から血を流した。

 だれも殴りはしなかった。

 自分で床にぶつけたのか。

 自分で勝手に千切れたのか。

 そのやわらかい毛細血管と粘膜が。

 ぼくたちはみんな聲を聞いた。

 自分の聲をも含めて。

 その三月の午後に。

 聞いた。

 ぼくたちの笑った聲を。

 女の無言をも含めて。

 人もいない山肌の古への廢屋に。

 最後に和葉がはじめて女を知った。

 僕は笑った。

 和葉の喪失を。

 そのとき思わず僕は気付く。

 自分がはじめて女など抱いたその愚劣に。

 思う。

 家に歸ったらシャワーをあびようと。

 ぼくはひとりで心に自分に約束をした。

貮仟拾五年はジめて哿豆摩人を殺メき是レふたつ年上の男なりき故レ齡十七の男なりキ名を波多能ノ多氣琉と曰フ多氣琉広島本土の高校に通ヒき故レ此のト殺八月なりき島に歸りタる多氣琉を哿豆摩ら制裁せり所以者何そノ顏の日焼ケの色の不遜の故なりき故レ爾に夜海邊に哿豆摩まタ哿須波まタ比登志俱なりて多氣琉を呼び出シき古牟羅ノ比登志此の時齡十四なりキ故レ哿豆摩波ノ打ツ間にもひとり娑娑彌氣囉玖

 同じものにすぎない

  ふりそゝぐのだった

 そのひかり

  どんなときにも

 月のひかりの下には

  どんなものにも

 血も

  雲さえなければ

 淚も

  そのひかり

 分泌物も

  白む光りは

 海の水も

  冴えた綺羅めき

 その波も

  たゞうす暗く

 液体は

  たゞほの明るく

 ことごとくに

  ふりそゝぐのだった

 月のひかりの下には

  死んだ男の

 黑ずみ

  髪の毛にさえ

かくて哿豆摩

 綺羅めく

爾に都儛耶氣良玖

 波に肉躰がつっぷした時。

 秦野猛が。

 その肉体がひとりで前のめりに。

 その突っ伏した時に。

 聞いた。

 波の音と彼の無音を。

 猛だけの無音を。

 彼が死んだのは顯らかだった。

 ——死んだの?

 だからやゝあって和葉がさゝやく。

 僕は振り向く。

 和葉はひとりで呆気にとられた顔をした。

 ——こんなにすぐに?

 和葉はさゝやく。

 ——こんなにあっけなく?

 いじけたようにも

 ——こんなもん?

 笑んだ顏を不審にゆがめて

 ——じゃ、今までの奴らは?

 僕は笑った。

 聲を立てゝ。

 或は呆気なかった。

 右の拳の指にだけ鈍い錆びた痛みを殘した。

 その歯。

 猛の唇を壊したその歯は。

 ——やばいよ。

 比登志はつぶやく。

 我に返り。

 彼はひとり。

 ——俺ら、殺したね。

 さゝやく。

 ——俺ら、呪われたね。

 和葉が笑い出すのも待たずに迯げ出す比登志を僕は追った。

 波にねじ伏せ後ろから潰す。

 顏面から砂に突っ込む比登志を笑った。

 和葉は。

 比登志の顏を波と砂に擦り付け僕はさゝやく。

 その耳元に。

 ——俺たち三人だからね?

 波を飮む。

 ——逃げるなよ。

 砂と同時に。

 ——いっしょに、三人だからな。

 比登志の喉は。

 口蓋。

 粘膜は。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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