蚊頭囉岐王——小説50
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
たゞやさしい
もうあり得ないくらいに
ひたすらにやさしい
あなたを愛してる。だから
心の抱いた感情の群れ
わたしはすでに幸せでいられた
かくて比哿琉
なすゝべもなく
爾に
幸せでしかなかった
都儛耶氣良玖
見つめていた。
微笑む顏を。
いまだカタチなどなにくせに。
いまだまともな骨格さえもないくせに。
聞いていた。
わたしは。
顯らかすぎる耳元に。
耳の奧にも。
ひゞく笑い聲。
やがて生まれるそのイノチの。
生まれねばならないそのイノチの。
生きて。
と。
願った。
わたしは。
お願い、と。
願った。
わたしは。
生きて。
と。
聽く。
無邪気にすぎないその聲を。
なんども繰り返し。
聞いた。
嗅いだ。
そのあまりにも甘やかなにおい。
もうひとりでに充分乳臭いにおい。
あなたの匂いを。
あなたはわたしのお腹の中に生きていた。
だからわたしも。
たぶん。
顯らかに。
わたしも慥かに生きていた。
故レ目を覺まシ爾に比哿琉ひとり自分が朧ノ夢に醒めるを感じタりき故レゆゑもなクに心かなシみにひタり故レゆゑもなクに心たダさびシく目舞へバ爾に比哿琉ひとり斗璃摩娑と俱なりて娑娑彌氣囉玖
ね?
ふれようとおもった
と。
せめてその髮に
その耐えられずにつぶやいた聲を
髪をかき上げ
ね?
なでるように
と
いつくしむように
もはやなにを云いたいわけでもなくて
ふれようと思った
もはやなにを聞きたいわけでもなくて
なにを求めたわけでもなくて
たゞ吹きかけたにすぎない聲を
なにを訴えるわけでもなくて
あなたは心に聞いただろうか?
見ていたのは窓越しの光の
かたわらに目を開いたままに
反射した白濁
わたしの向こうを見詰めた人は
床の上の
あなたは心に聞いただろうか?
壁の表面の
かくて斗璃摩娑
見て
爾に
世界は今これほどにも耀く
都儛耶氣良玖
出て行こうとはしなかった。
軈而訪れた夕暮にも。
耀は。
寢過ごしたわけでもなくて。
何故なら彼女は一度もうたゝ寢さえもしないで。
わたしと俱に。
疲れ切ったわけでもなくて。
何故なら纔かの悲しみさえも。
淋しささえも兆すことなく。
不意にこぼれるに過ぎないほゝ笑みと笑み。
いくつもの。
笑みと無意味な笑い聲にも。
何度もの。
まして病んだ譯でもなくて。
——行かないの?
わたしはさゝやきさえしなかった。
——仕事…
と。
——いかないの?
わたしはなんども、だからさゝやきはしなかった。
だからなんどもさゝやかなかったわたしの事実をだけ知った。
なすゝべもないほどに間近に寄り添い。
軈而沈む夕日が壁の色の半分に映えた。
北向きの部屋だったから。
西の壁には紅蓮の夕日が。
わたしはそれをは見なかった。
だから耀はそれをは見なかった。
かくて軈而の暗闇に比哿琉立チ上がりもせズ故レ斗璃摩娑たチあがりもせずて故レ闇ノ深まる儘に闇にその躬ヲ捨て置き故レ夜ノ闇にも比迦留爾に登唎摩娑と俱なりテひとり捨テ置かれき故レ夜更けテ更け切る畢てに夜ハ終に盡きゝ故レふたり俱りテ斗璃摩娑ひとり背後に夜の明けかけるを感じき故レ比哿琉ひとり添う斗璃摩娑が頸の向カう更に窓の向カうに夜の明けかカるを見きカくテ娑娑彌氣囉玖
夙夜
おわりだよ
果てる
夜は
夙夜
わたしたちの
盡きる
ふたりの夜は
夜
もう
畢り
見て
夜は今
もすぐあざやかな
たゞそれ自身の音もなく
見て
滅びた
もうすぐ綺羅らぐ
もはや音もなく
朝の
ふたり俱なりて
無慈悲な迄の沉默のうちに
娑娑彌氣囉玖
あったはずだった
もう泣かないだろう
そう思った
わたしは決して
無造作な時間の濫費
こぼされるべき淚など
燃え墜ちた時間の向こうに
もう笑わないだろう
あったはずだった
わたしはすでに
語られるべきだったこと
こぼされるべき笑い聲など
泣き臥したくなるほどに
いま
切実な思い
あざやかに空は
その
北の空
身を切り裂くような
その右の方には
思い詰めた時間は
見出されない儘
慥かにあったはずだった
あざやかに空は
かくて比哿琉
美しい?
爾に
綺麗な?
都儛耶氣良玖
ふいに身を起こす。
その瞬間にわたしは笑った。
不意に立ち上がる。
その瞬間。
幸福。
あふれかえる幸せがふたゝびわたしにふれた。
わたしにだけに。
だから笑った。
あなたにも。
かすかな驚きをさらして見上げたあなたに。
眼差しのすこし下のうす闇の中の。
そのあなたにさえも。
故レ斗璃摩娑窓を引き開けタる音に返り見振り返りたる首に比哿琉の笑みて一度登唎摩裟を覩たのを見れば爾に娑娑彌氣囉玖
なにをするの?
風
あなたはそこで
開いた窓が
微笑の内に
風
なにをするの?
カーテンにはためきを
晴れ渡った空は
はためきを與える爲だけに
もうすぐ雨を降らす筈だった
雲もなく
信用できない六月だから
たゞ色を
紫陽花の爲に
空に色を蘇生させ
濡れて光るべきその花の爲に
明けて行く空は
雨は降るに違いなかった
かくて斗璃摩娑
雫は震える
爾に都儛耶氣良玖
まばたきする暇もない一瞬に身を投げた。
出たバルコニーから。
耀は。
もはや何を返り見るでもなく。
欠けていた。
悲しみが。
その風景には。
やゝあってわたしは立ち上がる。
バルコニーに出た。
手摺の鐵のすこし剝げた色は白。
殘すだろうか?
最後によじ登った耀の体温を?
缺けていた。
あくまでなおも悲しみが。
見渡すゝべてに。
下をのぞき込みはしなかった。
燃えた。
右手の空に。
明けの空。
空の紅蓮が。
たゞあざやかに。
あまりにもそのあざやかな紅蓮。
亂聲蚊頭囉岐王舞樂第三
啞ン癡anti王瑠我貮翠梦organism Ⅱ
2021.01.13.黎マ
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