蚊頭囉岐王——小説42
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
步く足さえ
和葉は笑った
熱が棲む
立つ足さえ
阿迦井和葉は耳元で
熱が咬む
ふらつきながら
すこしだけ彼は
そんな氣が
砂が掴んだ
俺に嫉妬する
海に來た
お前の足も
獦馬は、と
さそわれるまゝに
ぼくのを掴んだのと
つぶやく
熱が匂う
同じように
紫花さんは、と。だから
口の中にも
捕え
なに?
熱が匂う
濡らし
と
血の味の中にも
波に濡らして
俺がさゝやき返した時にはすでに
海に來た
波打ち際に
和葉はすでに俺を見ていた
さそわれるまゝに
海に本当の色はない
かたわらに
物思いもなく
見渡せば
昏いまなざしに
何の約束もないまゝに
眞っ白い海も
なげくようにも
誰の約束もなかったまゝに
かくて斗璃摩娑
さそわれるまゝに
爾に都儛耶氣良玖
何をするわけでもなかった。
最初から。
さゝやきあうべき何もなくて。
すでに。
俺は彼と彼等のそばに身を近づける。
代わりばんこに。
その至近に。
かわるがわる。
だから匂う。
和葉の肌にあわい鹽氣の移り馨を嗅いだ。
匂う。
獦馬の肌に彼のひとりで汗ばんだ灼けた匂いを嗅いだ。
俺は持て余す。
最初からすでに。
俺たちの時間を。
阿迦井和葉と同じように。
持て余す。
不意に三人同時にだまりこんだ時間を。
無防備なまゝに。
倦む。
紫花獦馬と同じように。
砂の白。
淡い茶色の。
猶も白。
知っていた。
背後に海の白のあるのは。
見上げれば向こうに。
和葉と獦馬の肩越しの向こう。
冬の白い頸の向こうに。
女がひとり立っていたのは見えた。
すでに何度も。
頸の向こう。
和葉の。
吐き出された息の陽炎白の向こう。
獦馬の。
時には鼻の。
或は唇。
しずかな胸に。
女はひとりで昏い眼に。
ひとり。
彼女の爲だけの彼女ひとりの絶望を咬んだ。
振り返りさえすれば。
知っていた。
振り返ればそこ。
背後に海の。
白。
さざめく白いその綺羅が。
かクて香屠宇ノ波琉那なにヲも語りかけずテ遠きに見きみタりの少年らを見テ茫然とするカにも見テ終に覩取るともなク見て踵返シたれば躬づからの家に向かヒて步きゝ破琉那嘗ていちドたりも斗璃摩娑に話シかけたることハなかりき故レ斗璃摩娑一度タりとも破琉那に話シかけたるこトはなかりき故レふたり一度も語り合フこと無クてわかれき故レ破琉那は斗璃摩娑が名をハ知りたり又斗璃摩娑は破琉那が名だに知ラざるを終にソれ此の二月の終わりに破琉那ひトり山の樹木が枝に頸吊りて死にタる時に知りたり是レ大人等の口かラ聞きたる故なりかクて知り知りて忘れき故レ爾に破琉那ひトり家に歸りながラその二月潮騒の音の背後に鳴るを聞けば娑娑彌氣囉玖
馨を嗅いだ
突き刺さる
すでに兆す
思いの棘が
春の馨を
血をながす
まだどこにも
喉の奧にだけ
圡の下にも存在しない
その味を
冷やむ二月の
たゞあざやかに
かくて破琉那
春の馨を
爾にひとり都儛耶氣良玖
登った。
その山道を。
見た。
その吐く息の色。
白。
だから登った。
いた。
その家には。
母が。
やさしい母が。
料理の下手な。
あまりにも代わり映えしないあたりまえの母が。
そしてあまりにも固有の匂いのある彼女が。
どうしようもなくわたしだけのその母が。
入った。
だからその家の戸を。
言った。
台所を通りすぎかけた時に。
母は。
あれ?…と。
たゞ無邪気に。
もう帰ったの?
と。
わたしの見たものをあなたが見るのは知っている。
わたしが死んだ二月二十七日に。
母はひとりで、そして見た。
彼女も。
淚さえをこぼし得なかった眼差しに。
あれ?…と。
いまだに娘が死ぬことさえを知らない母は。
母がさゝやく。
わたしにその笑んだ姿を返り見させながら。
もうすぐ自死することを知らない素直な娘に。
その自然なほゝ笑みに。
どうしたの?
と。
母はさゝやいた。
泣いた?
あなた。
泣いたの?
と。…とまどいもなく。
初めて聞く異国人の言語を聞くようにしかその言葉を聞き取れないでいた春奈は。
わたし?
さゝやいた。
わたしは。
泣いた?
さゝやいた。
母は。
目が眞っ赤…と、そして彼女はさゝやく。
寒いからね。
独り語散るように。
いつもより寒いから…と。
その女。
優菜という名の女のさゝやいた聲をわたしは自分の耳に聞いていた。
亂聲蚊頭囉岐王舞樂第三
啞ン癡anti王瑠我貮翠梦organism Ⅱ
2021.01.12.黎マ
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