蚊頭囉岐王——小説41


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



 と。

 ——どうして、吐いちゃう?

 と。

 ——毎朝、…

 と。

 ——なんで?

 と。

 敎師は云った。

 みんなでもう話し合ったよ、と。だから

 なにも心配なんかもうないんだよ、と。だから

 あなたはもう自分にやさしくしてもいいんだよ、と。だから

 いままでいっぱい疵ついちゃったね、と。だから

 もう傷つかなくていいんだよって、と。だから

 あなたは自分にそう言ってあげてもいんだよ、と。だから

 みんなでたくさん話あったよ、と。だから。

 誰もあなたをもう傷つけない。

 ——どうして理由が必要なの?

 と。

 春奈は言わなかった。

 その心にだけ囁き乍ら。

 ——どうしてわたしがいなくなっちゃ駄目なの?

 と。

 春奈は言わなかった。

 その心にだけ呟き乍ら。

 ——答えられないならむしろ黙ってくれますか?

 と。

 春奈は言わなかった。

 その傍らに母親に縋って泣きじゃくっていたから。

 敎師をさえも淚に卷き込んで。

 島でひとりでに十九歳になった。

 だから春奈はわたしに戀した。

 その年の冬に春奈は見た。

 海が朝白濁するのを。

 日曜日の九時。

 雲を卷き込む。

 空は。

 いっぱいに散らす。

 空は。

 分厚くかさねた。

 空は。

 だから群靑を兆しながらすでに白く。

 だから錆びて白く。

 だから鈍く白く。

 白濁の海の寄せた波しぶきは際立って白く。

 曇りの空に流された黑濁の雲も終には白く。

 白い海と空に霧れながらもたゞ綺羅めいた海を。

 空。

 海を。

 見た。

 空と霧とに境界をなくした、それでも終には混ざり合わない海を。

 空。

 見た。

 同じときにゝ。

 同じ眼差しに。

かクて波琉那岸邊にありテ耳に厥レ登璃麻裟が聲ノ嗤ひタるを遠ク聞けバひとり裟裟夜氣羅玖

 こわさないでね

  見てたよ

 もうこれ以上

  あなたの笑った時に

 もうすべて

  ふりそそぐ色

 こわれてしまった

  雲の切れ目に

 こわせないよね?

  君はひとりでしあわせだった

 こうこれ以上

  だから願った

 もうすべて

  君の幸せを

 こわれてしまった

  ぼくはひとりで

 誰も毀しはしなかった

  見てたよ

 誰もその指に

  雲の切れ目に

 ふれないまゝに

  落ちたひかりは

 こわれないでね

  遠くの海に

 もうこれ以上

  君の背中を

 もうすべて

  照らしていたね

かくて波琉那

 こわれてしまった

爾に都儛耶氣良玖

 君だけが笑っていた。

 この大きな世界の中で。

 海の近くに。

 だからぼくは見た。

 のみこまれてしまいそうな大きさの中で。

 君だけが笑っていたのを。

 のみこまれてしまいそうに小さく。

 君の爲にすこしだけ笑った。

 ぼくは。

 決して君に気付かれないように。

 たゞ波の音を聞きながら。

 だから見えていた。

 ぼくの眼には。

 まるで波などないかのように。

 まるで波打ちなどしなかったように。

 波のカタチを留まらせて。

 波のカタチに留まり続けて。

 時さえ止まっていたように。

 波のカタチを遠くに見せて。

 遠淺の海。

 それでもその色を点滅させるのだった。

 波の煌めき。

 波打ちの色。

 留まらない綺羅の明滅。

かクて斗璃摩娑俱なひタる志我ノ哿豆麻に笑ミて砂浜が上に浪ノ音ヲ聽く故レ哿豆麻ひとり笑ミたりき且ツは斗璃摩娑俱なヒたる阿迦井ノ迦豆波に笑ミて白沙が上に浪の音ヲ聽ク故レ斗伎比古ひとり笑みタりき故レ迦豆波ひトり斗璃摩娑にさゝけラく——熱は?ト是レ斗璃摩娑常の如こノ日にも發シたる熱髙クいまダ冷めざりテ故レその白き顏ほのあカらませ且ツはそノ白き目ほノあからませたる故なりき故レ斗璃摩娑爾に迦豆麻ガ耳にさゝやけらく——熱?と故レ迦豆麻笑みテ斗璃摩娑が爲にさゝけらク——學校、休んだんだろ?昨日…熱、大丈夫?と故レ斗璃摩娑笑ミて迦豆波が耳にさゝやけラく——すこしだけ…すこしだけトかクて息ヲ纔かに吸ヒ込みてさゝやけらく——すこしト故レみたり俱なりテ娑娑彌氣囉玖

 痛い

  寢てれば?

   呼んだのは

 時々

  ひとりで

   お前を

 いまも

  自分の部屋で?

   俺がこゝに呼んだのは

 熱い

  お母さんの部屋で?

   なぜ?

 頭が

  あの病院の

   逢いたいと思ったわけじゃやなかった

 割れそうなほどに

  寢てれば?

   かならずしも

 喉さえ

  もうすぐ雨が

   熱でふらつくお前を起こして

 乾く

  島にも

   それでもなおも

 今も

  海にも雨が

   逢いたいと思ったわけじゃなかった

 血管さえ

  今見つめられた海にももうすぐ雨は

   俺は呼び出した

 背骨さえ

  寢てれば?

   お前を

 熱がある







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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