蚊頭囉岐王——小説29


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



かくテ伎與麻娑爾に斗璃摩娑ひとりヲ俱なヒて義理の娘なる陁麻美を詣デき乃爾陁麻美が個室ノ戸を開けたルにそこうラらかに綺羅らぐ窓越シの陽光照りタればなり故れ直射したるモのノ表面ことごトくにあわく綺羅らがサれき且つは光りになブられたるものノかたち翳りを落とシて斜めに長く伸びたりき是レその日曜日が午前ノ淺き時刻なれバなり故レ物と物らそれゾれに綺羅らぎて綺羅らにそのそれゾれの色を曝しき且つハ翳りノ色纔かに靑みて色ミたち床にも壁にも物の上にも物ノかたちを曝しき爾にフたりの眼差し終に厥れ陁麻美が姿をシみいださザりき所以者何陁麻媺にそこに在らザればなり故レ伎與麻娑返り見もせずて斗璃摩娑に白さく茲にいろとそノつぶやク聲ひたすらに穩やかなりきかクて伎與麻裟ひとり受付に駈け下りたレば担當シたる笠原ノ一二三を呼び出し問へらく——いないんですよ。…部屋に。うつしました?どこかに…どこに?とその聲焦燥ノ色顯かなりき故レ笠原事務室飛び出したリテふたりシて探すに東ノA棟の一階に多麻美ガ姿あらざりき且ツは二階に多麻美が姿あらザりき且つは三階に多麻美が姿あらざリき故レ又ふタりして探すに西ノB棟に多麻美が姿あラざりき且つは二階に多麻美が姿あラざりき三階に多麻美が姿あらざリき故レふタり語り相ひて白さク——今朝は部屋におられたんよ。

——今朝は、でしょ?

——本当にな。今日はなんにも

——心当たりは?

——なんにも變なこともなくてな。

——逃げた?

——普通に素直でいられてな。

——迯げられます?…

——けれども…

——逃げられるか…すぐ。

——ほんの三十分前よ。部屋におられたの。

——庭は?

かクて正門のかたに庭を見渡シ陁麻美ハあらず又裏門方に庭を見渡シ陁麻美はアらず故レ行く場所も無くテふたタびに病室にもどルも爾時部屋は無人なりて人の影だにモなかりきやヤあつて思ハずに伎與麻娑思ひ出しテつぶやけらクは——あの子は…

——あの子?

——あのこ。

——お孫さん…

——あいつもト此の時部屋がうちに既に斗璃摩娑が姿失せタりき故レ不意に伎與麻娑齒齧ミして故レ笠原顏の左の横にそれ齒齧まれ軋む音ヲぞ聞きたりき故レふタり娑娑彌氣囉玖波

 つれさった?

  おかしいよ

 あいつが…脱走して?

  お孫さん迄…

 息子を連れて?

  あの娘さんも…

 脱走を?

  そんなに暴れる人じゃないんよ

 どこに?

  おとなしい

 どこにひとりで…

  ときどき咬んで…

 四面海でしょ…

  囓みつくけどな…

 海の中に?

  わたしも腕をね…

 あのこを連れて…

  どこへ行ったん?

 九歳の?

  だれか連れてった?

 海に?

  どこの誰?

 …ね?

  園の誰かが?

 海に?

かくて伎與麻娑爾に

  まさか誰も

都儛耶氣良玖

 息を吐いた。

 思わずに部屋の外に出て靠れた。

 背を。

 廊下の窓に背を靠れて息を。

 その音を。

 耳に聞いていた。

 聲ではなくて。

 物の音でもなくて。

 笠原の息を。

 不意にかたわらに吐かれた彼の息を。

 笑った息使い?

 なぜ?と。

 彼は笑った。

 わたしがなぜ、と思いかゝったその時に。

 彼は笑っていた。

 邪気もなく。

 素直に。

 怒りを感じかけた時に終に嗤う。

 笠原は。

 はっきりとかたちをあらわした笑い聲。

 返り見た須臾笠原は耳元に云った。

 ——あれ、見て。

 ——なにを?と。

 見ていた。

 喉の奧にだけさゝやきかけたその時にすでに。

 わたしは。

 笠原の窓の外に投げおろした眼差しを追った兩眼に見下ろされた樹木。

 中庭の。

 もうすぐ三階の胸先にさえ届きそうなそれ。

 沙羅の双樹の葉の茂り。

 繁る綠の間ゝに散り咲く花々。

 その色の散乱。

 おびたゞしい沙羅の樹の花たち。

 散乱。

 いた。

 少し見下ろす樹木の枝の髙い先端。

 わたしの眼差しの纔かの下。

 伸ばした手の決してとどかないそこに多摩美はひとりいた。

 枝に足を掛けて。

 葉と花の切れ目に姿をさらした。

 葉と花の茂りに姿をかくした。

 彼女がはだけた太もゝの剝き出しに絡まる葉。

 からめた枝。

 おしつぶされたその贅肉の無樣。

 白い肌に翳。

 翳りは靑む。

 息遣う唇。

 鼻にかゝる葉のゆらぎ。

 見た。

 わたしたちは。

 沙羅の純白の花を喰いちぎる陁麻美の姿を。

 身を曲げてその枝らの上に。

 身を捩って複雜に絡み。

 蛇のようにも?

 蜥蜴のようにも?

 沙羅の花らはゆらゝぎ揺れた。

 沙羅の葉ゝさえゆらゝぎ揺れた。

 わたしは見ていた。

 齒は千切る。

 そして咀嚼を。

 わたしは見ていた。

 散る花汁を。

陁麻美哿美都伎迦美智岐琉たビに搖れレばその葉も且つは陁麻媺哿美都伎迦美智岐琉たびに搖れレばそノ花もかくて地に墜とシたるその翳りも由羅ラぎ搖れて搖レるまゝその色はとヨみき故レ地に墜チたる影らノとよみの下に厥れ斗璃摩娑はひとり見上ゲたりき花喰フ陁麻美を見あげたりきかスかに斗璃摩娑ひとりほゝ笑みたれば爾に伎與麻娑窓開き下に斗璃摩娑ひトりの耳の爲に叫けらクそこにいろと故レ伎與麻娑ひトり階段を驅け下りき故レ笠原追ひて驅け下りきかクて中庭にたどり着きタるに斗璃摩娑ひとり樹木投げタる翳り且つは樹木を徹す木漏レ日に照りて昏ミ且つは綺羅らぐ上を見て見上ゲて笑みつゞけテやまず故レ娑娑彌氣囉玖

 色を見た

  かさなりあって

 ゆれるその色

  きらゝにも

 いろいろな

  うつろにも

 樣々な色

  くらくにも

 ひかりと影の

  くらませつゝも

 ときほぐせない

  かさなりあって

 渾沌の色

  ゆれる色彩

 混濁のない

  乱雜な

 あざやかな色たち

  ざわめきつゞけた

かくて斗璃摩娑

  その色たちは

その伎與麻娑と又

  ひゞく

笠原とだにも

  葉はすでに鳴った

俱なりて爾に

  顏の遙かな上のほうで

都儛耶氣良玖







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

0コメント

  • 1000 / 1000