唯識三十論頌/世親(Vasubandhu)/三藏法師玄奘譯 後半(17~30偈)


底本大正大藏。瑜伽31。No.1586[No.1587;cf.No.1585]

漢文の(※ )は大正藏の脚注。



已廣分別三能變相爲自所變。二分所依云何應知依識所變假說我法非別實有。‘由斯 一切唯有識耶。頌‘曰

(※由字三本俱作猶字。曰字宋元本俱无)

已に廣く分別したり、三能變の相、その自ら所變なす〔=爲〕をは。

二分の所依をも。

かれ云何んが應に知るべき、識の所變に依り假に我法と說き、別に實有なるに非らざるを。

猶、斯れ〔=斯れに由り〕一切唯、識のみ有りや〔=耶〕。(※由字三本俱作猶字)

頌すらく〔=曰〕、(※曰字宋元本俱无)


17)

 是諸識轉變  ‘分別所分別

 由此彼皆無  故一切‘唯識

(※分別;Vikalpa.)

(※唯識;Vijñapti-mātraka.)

〇第十七偈

≪是れら諸識、轉變す

  分別と所分別に

 此れに由り彼れ、皆無

  故に一切、唯に識のみ≫

若唯有識都無外緣。由何而生。種種分別。頌曰

若し唯、識有るのみにして、都べての外緣無くば、何に由りて〔=而〕ぞ生じき、その種種の分別は。

頌すらく〔=曰〕、


18)

 由一切種識  如是如是變

 以‘展轉力故  彼彼分別生

(※展轉力;Anyo’nyavaśa.)

〇第十八偈

≪一切種識の

  是の如き、是の如き變に由り

 その展轉力〔=以〕故

  彼・彼の分別は生じき≫

雖有内識而無外緣。由何有情生死相續。頌曰

内識は有れど〔=雖〕而れども外緣は無し。

しからば何に由り有情の生死相續す。

頌すらく〔=曰〕、


19)

 由諸‘業習氣  ‘二取習氣倶

 前異熟既盡  復生餘異熟

(※業習氣;Karma-vāśanā./二取;Grāha-dvaya(我執習氣;grāhya-grāha,/名言習氣;grāhaka-grāha).)

〇第十九偈

≪諸業の習氣と(※習氣;じっけ)

  二取の習氣、倶なるに由り

 前の異熟、既に盡くれば

  復に餘の異熟を生ず≫


若唯有識。何故世尊處處經中說有三性。應知三性亦不離識。所以者何。頌曰

若し唯、識有るのみならば、何故に世尊、處處に經中に說きたまひきや、『三性有り』と。

應に知るべし三性も亦、識を離れず、と。

所以は〔=者〕何ん。

頌すらく〔=曰〕、

(※三性;遍計所執性・依他起性・圓成實性。『解深密經』など參照)


20)

 由彼彼遍計  遍計種種物

 此‘遍計所執  ‘自性無所有

(※遍計所執;Parikalpita./自性;Svabhāva.)

〇第二十偈

≪彼・彼の遍計に由り

  種種の物を遍計し

 此の遍計所執の

  自性は無所有≫


21)

 ‘依他起自性  ‘分別緣所生

 ‘圓成實於彼  常遠離前性

(※依他起自性;Paratantra-svabhāva./分別緣所生;Vikalpaḥ pratyayodbhavaḥ./圓成實性;Niṣpanna(pariniṣpanna).)    

〇第二十一偈

≪依他起の自性

  その分別は緣の所生

 圓成實、彼れに於き

  常に前のを遠離す性ぞ≫


22)

 故此與依他  非異非不異

 如無常等性  ‘非不見此彼

(※非不見此彼(コレヲミズシテカレヲミルモノニアラズ);Nādṛṣṭe asmin(pariniṣpannne)sa (paratantra-svabhāvo)dṛśyate.)

〇第二十二偈

≪かれ〔=故〕此れ、依他と〔=與〕

  異ならず〔=非〕不異ならず〔=非〕

 無常の等きの性の如くに

  此れを見ずして彼〔を見る〕には非らず≫


若有三性。如何世尊說一切法皆無自性。頌曰

若し三性有らば如何んが世尊は說きたまひきや、『一切法皆その自性は無し』と。

頌すらく〔=曰〕


23)

 即依此三性  立彼‘三無性

 故佛密意說  ‘一切法無性

(※三無性;Trividhā niḥsvabhāvatā.)

(※一切法無性;Sarva-dharmānāṃ niḥsvabhāvatā.)

〇第二十三偈

≪即ち此れら三性に依り

  彼の三無性は立つ

 かれ〔=故〕佛、密意に說けらく

  「一切法、その性無し」と≫


24)

 初即‘相無性  次無‘自然性

 後由遠離前  所執我法性

(※相;Lakṣaṇa./自然性;Svayaṃbhāva.)

〇第二十四偈

≪初は即ち相無性

  次は無自然性

 後は前の

  所執の我法への遠離に由る性ぞ≫


25)

 此‘諸法勝義  亦即是‘眞如

 ‘常如其性故  即唯識實性

(※諸法勝義;Dharmānām paramārtha./眞如;Tathatā.)

(※常如其性故即唯識實性;Sarvakālaṃ tathābhāvāt saiva vijñaptimātratā.))

〇第二十五偈

≪此れぞ諸法の勝義

  亦即是に眞如

 常如、其の性なる故に

  即ち唯識の實性ぞ


後‘五行頌明唯識行位者。論曰。如是所成唯識性相。誰依幾位如何悟入。謂具大乘二種種性。一本性種性。謂無始來依附本識法爾。所得無漏法因。二謂習所成種性。謂聞法界等流法已。聞所成‘等熏習所成。具此二性方能悟入。何謂五位。一資糧位。謂修大乘順解脫分。依識性相能深信解。其相云何。頌曰

(※五字元明本俱作三字。等薫習所成五字三本无)

後の五行の頌の、唯識その行位の明かしとは〔=者〕、(※五字元明本俱作三字)

論ずらく〔=曰〕、

是の如き所成の唯識の性相、誰れが幾らの位に依り如何んが悟入せんや。

謂はく、それ大乘二種の種性の具。

一は、その本性の種性。

謂はく、無始より來〔このかた〕、本識に法爾に依附しその所得、無漏法因なり。(法爾;法の隨に)

二は謂ゆる、習の所成の種性。

謂はく、法界等流の法を聞き已り、その聞の所成〔の等き熏習らの所成〕なり。(※等薫習所成五字三本无)(※等流;流れの隨に)

此の二性を具せば、方〔まさ〕に能く悟入す。

何を五位と謂ふ。

一は資糧位。

謂はく、修大乘順解脫分を修し、識の性相に依り能く深く信解したり。

其の相は云何ん。

頌すらく〔=曰〕、


26)

 乃至未起識  求住唯識性

 於二取隨眠  ‘猶未能伏滅

(※Yāvad vijñapti-mātratve vijñānaṃ nāvatiṣṭhati|grāhadvayasyānuśayas tāvan vinivartate∥)

〇第二十六偈

≪乃しその識未起にして

  唯識性への住を求めざるに至るまでも

(※國譯昭和作乃し識を起こして唯識の性に住せんと求めざるに至るまでは)

 その二取隨眠に〔=於〕

  猶未だ伏滅す能はず≫


二加行位。謂修大乘順決擇分。在加行‘位能漸伏除所取能取。其相云何。

(※位字三本俱作謂字)

二は加行位。

謂はく、大乘順決擇分を修すなり。

加行位に在れば能く漸くに所取・能取を伏除す。(※位字三本俱作謂字)

其の相は云何ん。


27)

 現前立少物  謂是唯識性

 以有所得故  非實住唯識

〇第二十七偈

≪現前に少物を立て

  謂はく、是れぞ唯識性と

 所得有る〔=以〕故

  唯識への實住ならず〔=非〕≫


三通達位。謂諸菩薩所‘住見道。在通達位如實通達。其相云何。

(※住字三本俱作位字)

三は通達位。

謂はく、諸菩薩の所住の見道。通達位に在るは如實に通達す。(※住字三本俱作位字)

其の相は云何ん。


28)

 ‘若時於所緣  智都無所得

 爾時住唯識  離二取相故

(※若時於所緣智都無所得;Yadā tv ālambanaṃ vijñānaṃ naivopalabhate tadā.)

〇二十八偈

≪若し時にその所緣に〔=於〕

  智都べて無所得なら

 爾の時にし唯識住ぞ

  二取相を離れき故に≫


四修習位。謂諸菩薩所住修道。修習位中如實見理數數修習。其相云何。

四は修習位。

謂ゆる、諸菩薩の所住の修道。

修習位中に如實に理を見、數數〔しばしば〕修習す。

其の相は云何ん。


29)

 ‘無得不思議  是‘出世間智

 ‘捨二麤重故  便證得‘轉依

(※無得不思議;Acintyo’nupalambhaḥ./出世間智;Lokottara-jñāna.)

(※捨麤重;Danṣṭhulyahāni./轉依;Aśrayasya parāvṛttiḥ(變住;mvp.131))

〇第二十九偈

≪無得ぞ、不思議ぞ

  是れ出世間智ぞ

 二麤重は捨てたり。かれ〔=故〕(※麤重;そぢう=そじゅう)

  便ち轉依を證得せり≫(※轉依;てんえ)


五究竟位。謂住無上正等菩提。出障圓明能盡未來化有情類。其相云何

五は究竟位。

謂はく、無上正等菩提の住なり。

障を出で圓明なり。

未來は能盡したり。

有情類を化したり。

其の相は云何ん。


30)

 此即‘無漏界  不思議‘善‘常

 ‘安樂解脫身  ‘大牟尼名法

(※無漏界;Anāśravī dhāvtuḥ.善;Kuśala./常;\Dhruva.)

(※安樂解脫身;Sukhīvimukti-kāyaḥ./大牟尼名法;Dharmākhyo ’yam mahāmuneḥ.)

〇第三十偈

≪此れぞ〔=即〕無漏界

  不思議ぞ、善ぞ、常ぞ

 安樂ぞ、それ解脫身ぞ

  大牟尼ぞ、かくてそれ法とし名づく≫

唯識三十論頌







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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