蚊頭囉岐王——小説08


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



 と。

 珠美は云った。

 ——ね?

 いくたびも。

 ——どうしたの?

 ——うるさい!

 わたしは叫んだ。

 小聲で口の中に一度だけ。

 だれにも聞き取れない微弱音。

 ひとりで叫んだ。

かく聞きゝ多香伎ひトり病院が九階相當なル屋上より落チて頭蓋骨折れ又頸ノ骨折れ又背骨等骨格損壞シ又内臓等破裂シかクて多迦伎は失せにキ是れ即死なりキ病院裏の關係者用なル駐車場の狹きアスファルトに肉ト血玉散らせ穢シたりキ故レ伎與麻沙爾に多麻美にそノ夫失せタることを告げタりき是レ入院シたる病室にテ此れ夕方の五時すデに死体処理等畢りタる後なりき傍ラ看護師ふタり監視せり醫師伎余麻裟ガ告知シたるに多麻美狂亂スるヲ按ジたるが故なりキ布美迦ハ外の通路に休ミき廊下の窓ハ東向きなりき故レ日没はなかりキたダ空は青く青ク昏ミき昏みテ靑く黑くなりゆきゝ色は冴えはテもなくに澄ミてかクて伎與麻沙ひトり娑娑彌氣囉玖

 いゝ?

  なに?

 いゝ?…いま

  なにが?

 だいじょうぶかな?

  ね?

 ちょっと…

  なに?

 はなしが…いゝ?

  なに?

 だいじょうぶ?

  死んだんでしょ

 なに?

  ちがう?

 だれ?

  死んだんじゃない?

 だれが…

  髙くん。自殺?

 なんで…

  違う?

 なんで、だれから?

  ちがうの?

 そしてわたしは聞いた。

 目を閉じて。

 まるでこれから誰かと——髙樹と?

 彼女の夫と?

 口づけするかに思えたかすかな羞じらい。

 ほのかに媚びて。

 あきらかに歓喜して。

 その。

 やわらかくとじた瞼の睫毛は。

 口はかたちにだけ叫んでいた。

 大聲で。

 聲もなく。

 聲も無い口が絶叫のかたちをだけ作り、さらす。

 そのかたちだけを。

 作り、ふたたび。

 そして。

 聲もないまゝ。

 彼女の叫んだ濁音のながい悲鳴を私は聞いた。

 聲もないまゝ。

 顯らかに耳に。

同じきに

 耳に聞いていた。

多麻美ひトり娑娑彌氣囉玖

 見た

  落ちる蝶

 すでに

  はゞたくたびに空のうえの方に

 夢に

  落ちていく

 見た

  重力をなど

 すでに

  無視をして

 シ

  おちていく

 その人の

  はゞたくたびに

 かれのシは

  その鱗粉は

 彼はシに

  きらきらと

 わたしはイきた

  蝶

 イきのこり

  眞っ白な

 シにもシないで

  はゞたくまゝに

 見た

  落ちていく

 ゆめに

  どこまでも

 すでに

  そらの髙みに

 見た

  おちていく

 そのひとの

  蝶

 彼のシは

  まっシろい

 なんどもすでに

  その羽ねは

 ほんのいっシゅん

  ただひたすらに

 せつ那のゆめに

  きらゝいで

 くりかえしみた

  そのシろい羽ねは

 その人の

かクて多麻美

 ざん酷なシは

同ジきに娑娑彌氣囉玖

 イイシれぬシは

 シろイゆき

 ゆきイろはシろ

 シんでいくシは

 シろくろに

 イまはゆきの

 ゆきのイろさえ

 シろくシまシま

 シにたえ

 シまシまにシろイ

 イわをかむ

 シんで

 かんだはゝシろ

 シろイろのちのイろ

 イイシれず

 イのちシらずに

 イイシれず

 シんだイのちは

 ちまみれの

 シ

 イイシれず

 かなシイと?

 それでもなおも

 かなシイと?

 かなシみはイま

かくテ多麻美

 かなシみはイま

爾に都儛耶氣良玖

 聞いていた。

 父を目の前に。

 一度たりとも見止めなかった。

 一度だってその人を父とは認めなかった。

 その父の。

 彼の目の前に。

 躬づからの目を閉じていた事実にも気づかずに——なぜ?

 見ていたから。

 その時でさえも。

 その夢を。

 落ちる蝶の白。

 さかさまに地表から降る。

 上り落ちる雪。






Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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