蚊頭囉岐王——小説04


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



 なにを見ているの?

 振り返る何度ものあなたの目は、と。

 思う。

 わたしはここに存在してゐないに違いないと。

 思う。

 もはや。

 影だに存在してゐなかったに違いないと。

 思う。

 彼女にとっては。

 すくなくとも。

 こゝにいるよ。

 無関係に。

 あなたのやさしさともいつくしみとも又はその深い深い歎きにさえも。

 無関係に。

 あなたがいま消えてなくなっても。

 なんのかかわりさえも無く。

 こゝにいるよ。

 わたしは自分ひとりで。

 でこゝに存在してゐるよ、と。

 せめて彼女の耳にさゝやけば?

 文果は怯えるに違いなかった。

 文果は恐怖するに違いなかった。

 わたしはだから加害者だった。

 わたしは彼女の怯えそのものだった。

 わたしは彼女の恐怖そのものだった。

 心配しないで。

 斜めに差し込む日差しにさされて。

 笑ってよ。

 厥れ。

 午前の朝日。

 連行されるわたしは彼女の背を追った。

 わたしはすでに知っていた。

 おそらくは。

 そこに待つ何かが何かを。

 おそらくは。

 わたしはすでに気付いた。

 おそらくは。

 何も知らないまゝに。

 慥かに。

 すべてが未だ謎めいたまゝに。

 知っていた。

 すべてがいま顯らかに誰も解き方を知らない謎以外のなにものでないことを。

 大きな謎が口を開けた。

 なかった。

 立てらるべき叫び聲さえ。

 なかった。

 立てられるべきさゝやき聲さえ。

 喉に息を立てる自由もなくて。

 喉に息を立て得る可能性もなくて。

 彼女は見たに違いなかった。

 振り返る文果に目があれば。

 その眼。

 わたしのやさしい微笑を。

 文香の爲にだけ作ったそれでもなおも自然な微笑を。

 だから日差しはさした。

 冬の日差しを。

 雪さえふらせないそのまゝに。

 零度に冱える雨の氣配の無い冬に。

 如月の光。

 冴えた冷気に。

 わたしはひとりで。

 だからひとりでに微笑みカくに聞きゝ保育器がウちに異形なル斗璃麻沙又斗璃伎夜が雙り顯らカに息てありキ故レ生きタる異形を多麻美ハ見たリき布美香の背後に目ヲ見開きテかくて陁麻美ハ雙つに同ジき誰とも異なる宇都那琉かタちをそノ目に見たりき故レ陁麻美思ハずに笑ミて暫し異形ヲ見詰め瞬きて故レ陁麻美思ハずに聲立テて笑ヒかくて陁麻美なにか云ハんとシて口開きたルまマに言葉をダにモ失ひき故レ布美迦ひトり娑娑彌氣囉玖

 泣きなさない

  開いた口が

 啼きたいのなら(——それは鳥のせめても擬態)

  その上げた悲鳴を聞いた

 それでもなおも

  聲のない絶叫

 微笑みなさい

  音の無い絶叫

 啼きたくとも(——それは墜ちた鳥の最後の擬態)

  顯らかに

 もうすぐ死んでゆく

  あなたは叫んだ

 それら

  誰の耳も

 雙つのイノチの

  沈黙の叫びを聞きながら

 異形のイノチの

  あなたの叫びを聞きながら

 最後の爲に

かくて

 それでもなおも

陁麻美ひとり

 あなたの顏は

爾に都儛耶氣良玖

 いぶかしんだ。

 その畸形。

 かわいゝ、と。

 どこから?

 その異形。

 かわいゝ、と。

 したゝるお乳は。

 かわいゝと。

 せめて最後にわたしだけはさゝやくべきだと。

 どこから?

 せめて最後にわたしこそはさゝやくべきだと。

 口のどこから?

 わたしは思う。

 畸形の唇のどこからおっぱいは含ませられるべきなのか?

 だから。

 あなたは思った。

 さゝやきなさい。…かわいゝと。

 わたしの母は。

 その眼差しに不穩な強制を。

 ゆがんだ唇。

 返り見もせず横眼に伺った。

 その凝視。

 わたしをそっと凝視したそのゆがんだ眼窩。

 文果は息をするのもわすれて。

 畸形の口よ。

 あなたの畸形。

 心に言葉のすべてをひそめて。

 ゆがんだ口よ。

 あなたのゆがみ。

 わたしを見ていた。

 まがった唇。

 あなたの彎曲。

 看護師は四十女の微笑を造る。

 まなざし。

 わたしの二つの眼の正面に。

 保育器の向こうに。

 彼女は見ていた。

 目を剝いて。

 唇でだけ微笑みを作り。

 強制を。

 わたしに無言で強制を。

 強制を。

 わたしは無言で。

 微笑みなさい。

 さゝやきなさい。

 かわいゝと。

 それでもなおも。

かくて爾に布彌迦

 かわいゝと。

都儛耶氣良玖

 ことばはすべて凍りつく。

 口を開いた口蓋の暗闇に。

 とどろく叫びはたゞ無音の静寂。

 わたしは見ていた。

 その女。

 わたしの生んだその女。

 生みだした。

 雙つの畸形を私と同じかたちの体内から。

 生みだした。

 わたしが彼女を吐き出したと同じように。

 生み出した彼女は停滞させた。







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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