蚊頭囉岐王——小説02
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
だれからも忘れられたに違いなかった。
わたしはすでに。
いまゝさに。
そんな莫迦なと思う間もなくつぶやく。
他の看護婦が。
他人の耳元に。
頭の上の後ろの方に。
なにを?
なにかを。
なにを?
聲を。
聞き取れなかった。
わたしには。
聞き取られもしなかった聲。
一度も記憶さえされなかった聲。
だから忘れられもしなかった。
いつかのさざなみの音響のひとつにも似て。
いつかの風の木の葉の響きのひとつにも似て。
思い出すようにわたしは気附いた。
ふたゝび。
聞かなかったことに。
その聲を。
私の耳は。
その聲を。
泣き聲を。
生まれた雙つのちいさな命の。
そのイノチ。
あきらかに存在したイノチのあたらしい喉の泣き聲を。
聞いた。
沉默と息遣いを。
複数の人。
抱き上げて駈け去った助産婦たちの足音。
衣擦れ。
白衣はすこし硬いらしい。
白衣はすこしこわばるらしい。
わたしは聞かなかった。
あらゝがせながら。
胸をも腹をも。
わなゝかせながら。
わたしは聞きはしなかった。
雙りのイノチの泣いた聲をは。
だから吸い込む。
私の肺は。
泣いた聲のひびくべきだったその空氣を。
かクに聞きゝ斗璃麻沙又斗璃伎夜ノ布多利そノ躰重き畸形にシて肉腫そノ顏の鼻筋かラ唇の眞ん中を掩ヒ肉腫そノ喉に同化シ背骨を曲げサせ肉腫そノ胸にツながり胸を曲げサせ肉腫そノ肋骨をゆがませ胎に纏ハり肉腫そノ胎ヲも曲げさせ陰嚢にマで喰ヒ付き肉腫そノ陰嚢ヲ隱シて太ももをさかしまにシ厥レ腫瘍の大き脉打チ瀛みテ糜れタりき故レ集中醫療室に運バれ延命處理さレたり醫師ら又看護婦ら誰もが思ヒけらく既く失せたるに違ヒなシと又醫師ら及び看護婦ら思ひケらく既く失せタるに同ジと故レ雙兒そノ死に失せつゝある時を生キ延びテすでにシて一週間經チたれバ爾に醫師ら陁麻美に對面させムとス于時布媺哿は陁麻美が爲に歎きゝ且ツは布美香ハ多摩美が爲に怖レき所以者何布微迦是レ多摩媺が母親なルが故なりき故レ布媺果ひトり娑娑彌氣囉玖
もうすぐ逢えるよ、と
死んで仕舞えばよかったと?
言ったのだ
死んで生まれこそすればと
娘に。あなたのこどもたちに
言った。その沉默の言葉に
もうすぐ逢えるよ、と
彼等は云った。顯らかに
その晴れた朝にも。わたしは
白い医務服に清潔な眼鏡
つぎの朝にも、娘に
脳波にもありきらかな以上ありと
云ったのだ。そのつぎのつぎのたとえば曇りの
むしろ
朝。つぎの雨の朝にも
それこそが或は救いかも知れないと
もうすこしだよ、と
その沉默の言葉で。生まれた事さえ
双子だからすこし手間がかゝるけど
気付かなければ
もうすこしで逢えるよ、と
むしろ、とやさしい眼差し。その沉默の言葉で
逢うことをためらい続け
苛酷の認識も無く
求め続ける
もうすぐ死んでいくのならば、と
矛盾した目に。もうすでに
その狂ったイノチはむしろ、と
かけがえもない
かくて
尊い命はきらきらといまも猶も
布美迦爾に
かがやいてるからね
都儛耶氣良玖
特別な育児装置の向こうに存在していた。
生まれた子はふたり。
埀れた幾本ものチューブと機材。
機械が立てた肺の音。
電子音が鳴らす心臓の音。
存在していた。
自分一人では生きられもせずに。
父のないふたりの子のひとりが生んだ子が。
父のないそのふたりの子が。
思い出す。
わたしは何度も。
執拗なほどに。
思い出す。
なぜ?
記憶があるから。
なぜ存在したのか。
記憶など。
むしろ白癡であれば?
一人の子が生んだ雙りの畸形のイノチ。
彼らのように。
むしろ白癡でこそあれば。
泣く聲もなく
瞬きも無く。
黃變した白目に。
小さい黑点。
まるで擬態したような彼等の目。
むしろ白癡でこそあれば。
醫師は云った。
生まれた赤兒を血の紅に汚したまゝ運び出すその産褥固有の匂いの沁みた二度の駆け足の終わったあとに。
そのまま集中醫療室に運び込んだ後に。
生んだその父なしの一人の生んだ子を。
躰中にチューブを差し込んだ後に。
さゝやくように。
——問題が…
醫師は云った。
——若干、問題が…
歎くようにも
——気をしっかり持ってね?
醫師は云った。
——お母さんの方にはまだ…
はげますようにも
——ですから、お母さんが、しっかりしないと…
醫師は云った。むしろ
——若干…
自分の心の痛みをおし煞したようにも
——妊娠中に胎内の確認しとけば
醫師は云った。
——早めにね。…早めに分かったんでしょうけど…
ひそめた聲に。
——されなかったらしいね。検診とか。
醫師は云った。
——なんで?
わたしは見つめた、その
——ともかくも。
兩眼。おちつきのない
——若干の、
搖れ動きの眼に
——畸形なの?
わたしは云った。
——畸形なんですか?いま、ちょっと、かつぎ出されていくの、見たけど、あれ…
——畸形って、それは
——違うの?出來損ないなの?
——それはもう、…だって、それ、本当に差別用語だからね?
——なに言ってるの?と。
あれは、と。
なに言ってるの?と。
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