佛說觀普賢菩薩行法經
底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)
奥書云、
大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。
發行者、國民文庫刊行會
是の如く我、聞きき。
一時、佛、毘舍離國、大林精舍、重閣講堂に在しまして、諸の比丘に告げたまはく、
「却〔さ〕つて後、三月、我、當に般涅槃すべし。」
尊者阿難、即ち座より起つて衣服を整へ、叉手合掌して佛を遶ること三匝して、佛の爲に禮を作し、胡跪し合掌して諦らかに如來を觀たてまつりて、目、暫くも捨てず。
長老摩訶迦葉、彌勒菩薩摩訶薩も亦、座より起つて、合掌し禮を作して尊顏を瞻仰したてまつる。
時に三大士、異口同音にして佛に白して言さく、
「世尊、如來の滅後に云何んしてか衆生、菩薩の心を起こし、大乘方等經典を修行し、正念に一實の境界を思惟せん。
云何んしてか無上菩提の心を失はざらん。
云何んしてか復、當に煩惱を斷ぜず五欲を離れずして
諸根を淨め諸罪を滅除することを得、父母所生の淸淨の常の眼に、五欲を斷ぜずして而も能く諸の障外の事を見ることを得べき。」
佛、阿難に告げたまはく、
「諦らかに聽け、諦らかに聽け。
善く之れを思念せよ。
如來、昔、耆闍崛山、及び餘の住處に於て已に廣く一實の道を分別せしかども、今、此の處に於て未來世の處の衆生等の大乘無上の法を行ぜんと欲せん者、普賢の行を學し、普賢の行を行ぜんと欲せん者の爲に、我、今、當に其の所念の法を說くべし。
若しは普賢を見、及び見ざる者の罪數を除却せんこと、今、汝等が爲に當に廣く分別すべし。
阿難、普賢菩薩は乃し東方の淨妙國土に生ず。
其の國土の相は雜華經の中に已に廣く分別せり。
我、今、此の經に於て略して解說せん。
阿難、若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、八部、一切衆生の大乘を誦せん者、大乘を修せん者、大乘の意を發せん者、普賢菩薩の色身を見んと樂はん者、多寶佛の塔を見たてまつらんと樂はん者、釋迦牟尼佛、及び分身の諸佛を見たてまつらんと樂わん者、六根淸淨を得んと樂はん者は、當に是の觀を學すべし。
此の觀の功德は、諸の障礙を除いて上妙の色を見る。
三昧に入らざれども、但、誦持するが故に、心を專らにして修習し、心心相ひ次いで大乘を離れざること一日より三七日に至れば普賢を見ることを得。
重障有らん者は七七日にして然して後に見ることを得。
復、重きこと有らん者は一生に見ることを得。
復、重きこと有らん者は二生に見ることを得。
復、重きこと有らん者は三生に見ることを得。
是の如く種種に業報不同なり。
是の故に異說す。
普賢菩薩は身量無邊、音聲無邊、色像無邊なり。
此の國に來たらんと欲して自在神通に入り、身を促〔ちぢ〕めて小ならしむ。
閻浮提の人は三障、重きが故なり。
智慧力を以て、化して白象に乘れり。
其の象に六牙あり。
七支地を跓〔ささ〕へたり。
其の七支の下に七蓮華を生ぜり。
其の象の色、鮮白にして白の中に上〔すぐ〕れたる者なり。
頗黎雪山も比〔たぐひ〕とすることを得ず。
象の身の長さ四百五十由旬、高さ四百由旬。六牙の端に於て六つの浴池有り。
一一の浴池の中に十四の蓮華を生ぜり。
池と正等にして其の華、開敷せること天の樹王の如し。
一一の華の上に一りの玉女有り。
顏色、紅の暉の如くにして、天女に過ぎたる有り。
手の中に自然に五つの箜〔くう〕篌〔ごう〕を化せり。
一一の箜篌に五百の樂器ありて以て眷屬と爲せり。
五百の鳥有り。
鳧、雁、鴛鴦、皆、衆寶の色にして華葉の閒に生ぜり。
象の鼻に華有り。
其の莖、譬へば赤眞珠の色の如し。
其の華、金色にして含んで未だ敷〔ひら〕けず。
是の事を見已つて復、更に懺悔し、至心に諦らかに觀じて大乘を思惟して心に休廢せざれば、華を見るに即ち敷け金色金光なり。
其の蓮華臺は是れ甄叔迦寶、妙梵摩尼を以て華臺と爲し、金剛寶を以て華鬘と爲し、化佛有まして蓮華臺に坐し、衆多の菩薩、蓮華鬚に坐せるを見る。
化佛の眉閒より亦、金色の光を出だして象の鼻の中に入り、紅蓮華の色にして象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼の中より出でて象の耳の中に入り、象の耳より出でて象の頂上を照らし、化して金臺と作る。
象の頭の上に當つてたり三化人あり。
一りは金輪を捉〔と〕り、一りは摩尼珠を持ち、一りは金剛杵を把〔と〕れり。
杵を擧げて象に擬するに象、即ち能く行步す。
脚、地を履〔ふ〕まず、虛を躡〔ふ〕んで遊ぶ。
地を離るること七尺、地に印文あり。
印文の中に於て千幅あり。
轂〔こく〕輞〔はう〕皆、悉く具足せり。
一一の輞の閒に一の大蓮華を生ず。
此の蓮華の上に一の化象を生ぜり。
亦、七支有り。
大象に隨つて行く。
足を擧げ足を下すに七千の象を生じ、以て眷屬と爲して大象に隨從せり。
象の鼻の紅蓮華の色なる上に化佛、有まして眉閒の光を放ちたまふ。
其の光、金色にして前の如く象の鼻の中に入り、象の鼻の中より出でて象の眼の中に入り、象の眼より出でて還〔ま〕た象の耳に入り、象の耳より出でて象の頂上に至る。
漸漸に上つて象の背に至り、化して金鞍となつて七寶校具せり。
鞍の四面に於て七寶の柱有り。
衆寶校飾して以て寶臺を成せり。
臺の中に一の七寶の蓮華鬘有り。
其の蓮華鬘は百寶を以て共に成ぜり。
其の蓮華臺は是れ大摩尼なり。
一りの菩薩有りて結跏趺坐ず。
名を普賢と曰ふ。
身は白玉の色にして五十種の光あり。
光ごとに五十種の色あり、以て頂の光と爲せり。
身の諸の毛孔より金光を流出す。
其の金光の端に無量の化佛ましまして、諸の化菩薩を以て眷屬と爲せり。
安詳として徐〔ようや〕くに步み、大なる寶蓮華を雨らして行者の前に至らん。
其の象口を開くに象の牙の上に於て、諸池の玉女鼓樂絃歌す。
其の聲、微妙にして大乘一實の道を讚嘆す。
行者、見已りなば歡喜し敬禮して、復、更に甚深の經典を讀誦し、遍く十方無量の諸佛を禮し、多寶佛塔、及び釋迦牟尼佛を禮したてまつり、幷びに普賢、諸の大菩薩を禮して、是の誓願を發こせ、
「若し我、宿福あつて應に普賢を見つべくんば、
願はくは尊者遍吉(普賢)、我、に色身を示したまへ」と。
是の願を作し已つて、晝夜六時に十方の佛を禮し、懺悔の法を行ぜよ。
大乘經を讀み、大乘經を誦し、大乘の義を思ひ、大乘の事を念じ、大乘を持つ者を恭敬し供養し、一切の人を視ること猶、佛の想ひの如くし、諸の衆生に於て父母の想ひの如くせよ。
是の念を作し已りなば普賢菩薩、即ち眉閒より大人相白毫の光明を放たん。
此の光、現ずる時に普賢菩薩、身相端嚴にして紫金山の如く、端正微妙にして三十二相、皆、悉く備有し、身の諸の毛孔より大光明を放つて其の大象を照らして金色と作らしめん。
一切の化象も亦、金色と作り、諸の化菩薩も亦、金色と作らん。
其の金色の光、東方無量の世界を照らして皆、同じく金色ならん。
南、西、北方、四維、上下も亦復、是の如くならん。
爾の時に十方面、一一の方に於て一りの菩薩有り。
六牙の白象王に乘ること、亦、普賢の如くにして等しくして異ること有ること無けん。
是の如く十方無量無邊の中に滿てる化象も、普賢菩薩の神通力の故に持經者をして皆、悉く見ることを得せしめん。
是の時に行者、諸の菩薩を見ては身心歡喜して、其れが爲に禮を作して白して言せ、
「大慈大悲者、
我を愍念したまふが故に我が爲に法を說きたまへ」と。
是の語を說く時に諸の菩薩等、異口同音に各、淸淨の大乘經法を說いて、諸の偈頌を作つて行者を讚歎すべし。
是れを始めて普賢菩薩を觀ずる最初の境界と名づく。
爾の時に行者、是の事を見已つて、心に大乘を念じて晝夜に捨てざれば、睡眠の中に於て、夢に普賢其れが爲に法を說くと見ん。
覺〔うつつ〕の如くにして異ること無く其の心を安慰して是の言を作さん、
「汝が誦持する所、是の句を忘失し是の偈を忘失せり」と。
爾の時に行者、普賢の深法を說くことを聞いて其の義趣を解し、憶持して忘れず、日日に是の如くして其の心、漸く利ならん。
普賢菩薩、其れをして十方の諸佛を憶念せしめん。
普賢の敎へに隨つて正心、正憶にして漸く心眼を以て、東方の佛の身、黄金の色にして端嚴微妙なるを見たてまつらん。
一佛を見たてまつり已つて、復、一佛を見たてまつらん。
是の如く漸漸に遍く東方の一切の諸佛を見たてまつり、心想利なるが故に遍く十方の一切の諸佛を見たてまつらん。
諸佛を見たてまつり已りなば、心に歡喜を生じて是の言を作せ、
「大乘に因るが故に大士を見ることを得、
大士の力に因るが故に諸佛を見たてまつることを得たり。
諸佛を見たてまつると雖も、
猶、未だ了了ならず。
目を閉づれば則ち見、目を開けば則ち失ふ」と。
是の語を作し已つて五體を地に投じて遍く十方の佛を禮せよ。
諸佛を禮し已つて、胡跪し合掌して是の言をなせ、
「諸佛世尊は十力、無畏、十八不共法、大慈、大悲、三念處まします。
常に世閒に在しまして色の中の上色なり。
我、何の罪有つてか而も見たてまつることを得ざる」と。
是の語を說き已つて、復、更に懺悔せよ。
懺悔淸淨なること已りなば、普賢菩薩、復更にに現前して行、住、座、臥に其の側りを離れず。
乃至夢の中にも常に爲に法を說かん。
此の人、覺め已つて法喜の樂を得ん。
是の如くして晝夜三七日を經て、然して後に方〔まさ〕に旋陀羅尼を得ん。
陀羅尼を得るが故に諸佛、菩薩の所說の妙法、憶持して失はじ。
亦、常に夢に過去の七佛を見たてまつらんに、唯、釋迦牟尼佛のみ其れが爲に法を說きたまはん。
是の諸の世尊、各各に大乘經典を稱讚したまはん。
爾の時に行者、復、更に歡喜して、遍く十方の佛を禮せよ。
十方の佛を禮し已りなば普賢菩薩、其の人の前に住して敎へて宿世の一切の業緣を說いて、黑惡の一切の罪事を發露せしめ、諸の世尊に向かひたてまつりて口に、自ら發露せしめん。
既に發露し已りなば、尋いで時に即ち諸佛現前三昧を得ん。
是の三昧を得已つて、東方の阿閦佛、及び妙喜國を見たてまつること了了分明ならん。
是の如く十方各、諸佛の上妙の國土を見ること了了分明ならん。
既に十方の佛を見たてまつり已りなば、夢に象の頭の上に一りの金剛人有り。
金剛の杵を以て遍く六根に擬せん。
六根に擬し已りて普賢菩薩、行者の爲に六根淸淨懺悔の法を說かん。
是の如く懺悔すること一日より三七日に至らん。
諸佛現前三昧の力を以ての故に、普賢菩薩の說法莊嚴の故に、耳、漸漸に障外の聲を聞き、眼、漸漸に障外の事を見、鼻、漸漸に障外の香を聞がん。
廣く說くこと妙法華經の如し。
是の六根淸淨を得已つて、身心歡喜して諸の惡想、無からん。
心を是の法に純らにして法と相應せん。
復、更に百千萬億の旋陀羅尼を得、復、更に廣く百千萬億無量の諸佛を見たてまつらん。
是の諸の世尊、各、右の手を申〔の〕べて、行者の頭を摩でて是の言を作したまはん、
「善哉、善哉。
大乘を行ずる者、大莊嚴の心を發こせる者、大乘を念ずる者なり。
我等、昔日、菩提心を發こせし時、皆、亦、是の如し。
汝、慇懃にして失はざれ。
我等、先世に大乘を行ぜしが故に、今、淸淨正遍知の身と成れり。
汝、今、當に勤修して懈らざるべし。
此の大乘經典は諸佛の寶藏なり。
十方三世の諸佛の眼目なり。
三世の諸の如來を出生する種なり。
此の經を持つ者は即ち佛身を持ち、即ち佛事を行ずるなり。
當に知るべし、是の人は即ち是れ諸佛の所使なり。
諸佛世尊の衣に覆はる、諸佛如來の眞實の法の子なり。
汝、大乘を行じて法種を斷たざれ。
汝、今、諦らかに東方の諸佛を觀じたてまつれ。」
是の語を說きたまふ時、行者、即ち東方の一切無量の世界を見るに、地の平らかなること掌の如し。
諸の堆阜、岳陵、荊棘なく、瑠璃をもつて地と爲し、黃金をもつて側りを閒〔へだ〕てたり。
十方世界も亦復、是の如し。
是の事を見已つて即ち寶樹を見ん。
寶樹、高妙にして五千由旬なり。
其の樹、常に黃金、白銀を出して七寶莊嚴せり。
樹下に自然に寶の師子の座有り。
其の師子の座の高さ二千由旬ならん。
其の座の上に亦、百寶の光明を出だす。
是の如く諸樹及び餘の寶座、一一の寶座に皆、百寶の光明有り。
是の如く諸樹及び餘の寶座、一一の寶座に皆、自然の五百の白象有り。
象の上に皆、普賢菩薩有り。
爾の時に行者、諸の普賢を禮して是の言を作せ、
「我、何の罪有つてか但、寶地寶座及び寶樹を見て諸佛を見たてまつらざる」と。
是の語を作し已りなば一一の座の上に一りの世尊有しまさん。
端嚴微妙にして寶座に坐したまへり。
諸佛を見たてまつり已つて心、大いに歡喜して、復、更に大乘經典を誦習せん。
大乘の力の故に、空中に聲有つて讚嘆して言はん、
「善哉、善哉、善男子。
汝、大乘を行ずる功德の因緣をもつて、
能く諸佛を見たてまつる。
今、諸佛世尊を見たてまつることを得たりと雖も、
而も釋迦牟尼佛、分身の諸佛、
及び多寶佛塔を見たてまつること能はず」と。
空中の聲を聞き已つて、復、勤めて大乘經典を誦習せん。
大乘方等經を誦習するを以ての故に、即ち夢中に於て釋迦牟尼佛、諸の大衆と與に耆闍崛山に在しまして、法華經を說き一實の義を演べたまふを見ん。
敎へ已りなば懺悔し渇仰して見たてまつらんと欲し、合掌胡跪して耆闍崛山に向かつて是の言をなせ、
「如來世雄は常に世間に在ます。
我を愍念したまふが故に、
我が爲に身を現じたまへ」と。
是の語を作し已つて耆闍崛山を見るに、七寶莊嚴して無數の比丘、聲聞、大衆あり。
寶樹行列し寶地平正に、復、妙寶師子の座を敷けり。
釋迦牟尼佛、眉閒の光を放ちたまふ。
其の光、遍く十方世界を照らし復、十方無量の世界を過ぐ。
此の光の至る處の十方分身の釋迦牟尼佛、一時に雲の如く集り、廣く妙法を說きたまふこと妙法華經の如し。
一一の分身の佛、身は紫金の色なり。
身量無邊にして師子の座に坐し、百億無量の諸大菩薩を以て眷屬としたまへり。
一一の菩薩、行、普賢に同じ。
此の如く十方無量の諸佛、菩薩の眷屬も亦復是の如し。
大衆雲集し已つて、釋迦牟尼佛を見たてまつれば擧身の毛孔より、金色の光りを放ちたまふ。
一一の光の中に百億の化佛有ます。
處の分身の佛、眉閒の白毫大人相の光を放ちたまふ。
其の光、釋迦牟尼佛の頂きに流入す。
此の相を見る時、分身の諸佛、一切の毛孔より金色の光りを出したまふ。
一一の光の中に復、恒河沙微塵數の化佛有ます。
爾の時に普賢菩薩、復、眉閒の大人相の光を放つて行者の心に入れん。
既に心に入り已りなば行者、自ら過去無數百千の佛の所にして大乘經典を受持し讀誦せしことを憶し、自ら故〔もと〕の身を見ること了了分明にして、宿明通の如く等しくして異ること有ること無けん。
豁然として大悟し、旋陀羅尼、百千萬億の處の陀羅尼門を得ん。
三昧より起つて、面〔まのあた〕り一切の分身の諸佛、衆寶樹の下に師子の床に坐したまへるを見たてまつらん。
復、瑠璃の地の蓮華聚の如く下方の空中より踊出して、一一の華の閒に微塵數の菩薩有つて結跏趺坐するを見ん。
亦、普賢の分身の菩薩、彼の衆の中に在つて大乘を讚說するを見ん。
時に諸の菩薩、異口同音に行者をして六根を淸淨ならしめん。
或は說いて言ふこと有らん、
「汝、當に佛を念ずべし。」
或は說いて言ふとこ有らん、
「汝、當に法を念ずべし。」
或は說いて言ふこと有らん、
「汝、當に僧を念ずべし。」
或は說いて言ふこと有らん、
「汝、當に戒を念ずべし。」
或は說いて言ふこと有らん、
「汝、當に施を念ずべし。」
或は說いて言ふとこ有らん、
「汝、當に天を念ずべし。」
此の如き六法は是れ菩提心なり。
菩薩を生ずる法なり。
汝、今、當に諸佛の前に於て、先の罪を發露し、至誠に懺悔すべし。
無量世に於て、眼根の因緣をもつて諸色に貪著す。
色に著するを以ての故に諸塵を貪愛す。
塵を愛するを以ての故に女人の身を受けて、世世に生ずる處において諸色に惑著す。
色、汝が眼を壞つて恩愛の奴と爲る。
故に色、汝をして三界を經歷せしむ。
此の弊使の爲に盲にして見る所無し。
今、大乘方等經典を誦す。
此の經の中に十方の諸佛、色身滅せずと說く。
汝、今、見ることを得つ。
審實にして爾〔し〕かりや不や。
眼根不善、汝を傷害すること多し。
我が語に隨順して諸佛、釋迦牟尼佛に歸向したてまつり、汝が眼根の所有の罪咎を說け、
「諸佛、菩薩の慧眼の法水、
願はくは以て洗除して、我をして淸淨ならしめたまへ」と。
是の語を作し已つて、遍く十方の佛を禮し、釋迦牟尼佛、大乘經典に向かひたてまつりて復、是の言を說け、
「我が今、懺する所の眼根の重罪、
障蔽穢濁にして盲にして見る所無し。
願はくは佛、大慈をもつて哀愍覆護したまへ。
普賢菩薩、大法船に乘つて、普く一切の十方無量の
諸の菩薩の伴を度したまへ。
唯、願はくわは哀愍して我が眼根の不善、惡業障を
悔過する法を聽るしたまへ」と。
是の如く三たび說いて五體を地に投じて、大乘を正念して心に忘捨せざれ。
是れを眼根の罪を懺悔する法と名づく。
諸佛の名を稱し、燒香散華して大乘の意を發こし、繪、旛、蓋を懸けて眼の過患を說き、罪を懺悔せば此の人、現世に釋迦牟尼佛を見たてまつり、及び分身、無量の諸佛を見たてまつり、阿僧祇劫に惡道に墮せじ。
大乘の力の故に、大乘の願の故に、恒に一切の陀羅尼菩薩と與に共に眷屬と爲らん。
是の念を作す者、是れを正念と爲す。
若し佗(他)念する者を名づけて邪念と爲す。
是れを眼根の初の境界の相と名づく。
眼根を淨むること已つて、復、更に大乘經典を讀誦し、晝夜六時に胡跪し懺悔して是の言を作せ、
「我、今、云何んぞ但、釋迦牟尼佛、分身の諸佛を見たてまつりて、
多寶の塔、全身の舍利を見たてまつらざる。
多寶佛の塔は恒に在しまして滅したまはず。
我、濁惡の眼なり。
是の故に見たてまつらず」と。
是の語を作し已つて復、更に懺悔せよ。
七日を過ぎ已つて多寶佛の塔、地より涌出したまはん。
釋迦牟尼佛、即ち右の手を以て其の塔の戸を開きたまはん。
多寶佛を見たてまつれば普賢、色身三昧に入りたまへり。
一一の毛孔より恒河沙微塵數の光明を流出したまふ。
一一の光明に一一に百千萬億の化佛有ます。
此の相現ずる時、行者、歡喜して讚偈をもつて塔を遶ること、七匝を滿じ已りなば、多寶如來、大音聲を出だして讚めて言たまはん、
「法の子、汝、
今、眞實に能く大乘を行じ、
普賢に隨順して眼根懺悔す。
是の因緣を以て我、汝が所に至つて汝が證明と爲る」と。
是の語を說き已つて讚めて言たまはく、
「善哉、善哉、釋迦牟尼佛。
能く大法を說き、大法の雨を雨らして、
濁惡の諸の衆生等を成就したまふ。」
是の時に行者、多寶佛塔を見已つて復、普賢菩薩の所に至つて合掌し、敬禮して白して言さく、
「大師、我に悔過を敎へたまへ」と。
普賢、復、言さく、
「汝、多劫の中に於て、
耳根の因緣をもつて外聲を隨逐して、
妙音を聞く時は心に惑著を生じ、
惡聲声を聞く時は百八種の煩惱の賊害を起こす。
此の如き惡耳の報、惡事を得、
恒に惡聲を聞いて諸の攀緣を生ず。
顚倒して聽くが故に、
當に惡道、邊地、邪見の、法を聞かざる處に墮すべし。
汝、今日に於て大乘の功德海藏を誦持す。
是の因緣を以ての故に、十方の佛を見たてまつり、
多寶佛塔は現じて汝が證と爲りたまふ。
汝、自ら當に己が過惡を說いて、諸罪を懺悔すべし。」
是の時、行者、是の語を聞き已つて、復、更に合掌して五體を地に投じて是の言を作せ、
「正遍知世尊、現じて我が證と爲りたまへ。
方等經典は爲れ、慈悲の主なり。
唯、願はくは我を觀、我が所說を聽きたまへ。
我、多劫より乃至、今身まで、
耳根の因緣をもつて、
聲を聞いて惑著すること膠の草に著くが如し。
諸の惡聲を聞く時は煩惱の毒を起こし、
處處に惑著して暫くも停まる時、無し。
此の弊聲を出だして我が識神を勞し、
三途に墜墮せしむ。
今、始めて覺知して、
諸の世尊に向かひたてまつりて發露懺悔す」と。
既に懺悔し已つて、多寶佛の大光明を放ちたまふを見たてまつらん。
その光、金色にして遍く東方及び十方界を照らしたまふ。
無量の諸佛、身、眞金の色なり。
東方の空中に是の唱言を作す、
「此に佛世尊まします、
號を善德と曰ふ。
亦、無數の分身の諸佛あり。
寶樹下の師子の座の上に坐して結跏趺坐したまへり」と。
是の諸の世尊の一切、皆、普現色身三昧に入りたまへる、皆、是の言を作して讚めて言たまはく、
「善哉、善哉、善男子。
汝、今、大乘經典を讀誦す。
汝が誦する所は是れ佛の境界なり。」
是の語を說き已りなば、普賢菩薩、復、更に爲に懺悔の法を說かん、
「汝、先世無量劫の中に於て、
香を貪るを以ての故に、
分別の諸の識、處處に貪著して生死に墮落せり。
汝、今、當に大乘の因を觀ずべし。
大乘の因とは諸法實相なり」と。
是の語を聞き已つて、五體を地に投じて復、更に懺悔せよ。
既に懺悔し已りなば、當に是の語をなすべし、
「南無釋迦牟尼佛、
南無多寶佛塔、
南無十方釋迦牟尼佛、分身諸佛」と。
是の語を作し已つて遍く十方の佛を禮したてまつれ、
「南無東方善德佛、
及び分身諸佛」と。
眼に見る所の如おくして、一一に心をもつて禮し、香華をもつて供養し、供養すること畢つて胡跪し合掌して、種種の偈を以て諸佛を讚歎したてまつり、既に讚歎し已つて、十惡業を說いて諸罪を懺悔せよ。
既に懺悔し已りなば是の言を作せ、
「我、先世無量劫の時に於て、
香、味、觸を貪つて衆惡を造作せり。
是の因緣を以て無量世より來〔このかた〕、
恒に地獄、餓鬼、畜生、邊地。邪見の
諸の不善の身を受く。
此の如き惡業を今日、發露し、
諸佛正法の王に歸向したてまつりて說罪懺悔す」と。
既に懺悔し已つて身心懈らずして復、更に大乘經典を讀誦せよ。
大乘の力の故に空中に聲有つて告げて言はん、
「法の子、汝、今、應當に十方の佛に向かひたてまつりて、
大乘の法を讚說説し、諸佛の前に於て
自ら己が過を說くべし。
諸佛如來は是れ、汝が慈父なり。
汝、當に自ら舌根の所作の不善惡業を說くべし。
此の舌根は惡業の想ひに動ぜられて、
妄言、綺語、惡口、兩舌、
誹謗、妄語、邪見の語を讚歎し、
無益の語を說く。
是の如き衆多の諸の雜惡業、鬪遘壞亂し法を非法と說く。
是の如き衆罪を今、悉く懺悔す」と。
諸の世雄の前にして是の語を作し已つて、五體を地に投じて遍く十方の佛を禮したてまつり、合掌長跪して當に是の語を作すべし、
「此の舌の過患、無量無邊なり。
諸の惡業の刺は舌根より出づ。
正法輪を斷ずること此の舌より起こる。
此の如き惡舌は功德の種を斷ず。
非義の中に於て多端に强ひて說き、
邪見を讚歎すること火に薪を益すが如し。
猶、猛火の衆生を傷害するが如し。
毒を飮める者の瘡疣無くして死するが如し。
是の如き罪報、惡邪不善にして、
當に惡道に墮すること百劫、千劫なるべし。
妄語を以ての故に大地獄に墮す。
我、今、南方の諸佛に歸向したてまつりて、
黑惡を發露せん」と。
是の念を作す時、空中に聲有らん。
「南方に佛、有ます。
栴檀德と名づけたてまつる。
彼の佛に亦、無量の分身有ます。
一切の諸佛、皆、大乘を說いて罪惡を除滅したまふ。
是の如き衆罪を今、十方無量の諸佛、大悲世尊に向かひたてまつりて、
黑惡を發露し誠心に懺悔せよ」と。
是の語を說き已りなば五體を地に投じて復、諸佛を禮したてまつれ。
是の時に諸佛、復、光明を放つて行者の身を照らして、其の身心をして自然に歡喜せしめ、大慈悲を發こし普く一切を念ぜしめん。
爾の時に諸佛、廣く行者の爲に大慈悲、及び喜捨の法を說き、亦、愛語を敎へ六和敬を修せしめん。
爾の時に行者、此の敎敕を聞き已つて心、大いに歡喜して、復、更に誦習して終に懈息せざらん。
空中に復、微妙の音聲有つて是の如き言を出ださん、
「汝、今當に身心に懺悔すべし。
身とは殺、盜、婬なり。
心とは諸の不善を念ずるなり。
十惡業、及び五無間を造ること、
猶、猿〔ゑん〕猴〔こう〕の如く、亦、黐〔ち〕膠〔びう〕の如く、
處處に貪著して遍く一切六情根の中に至る。
此の六根の業、枝條華葉、
悉く三界、二十五有、一切の生處に滿てり。
亦、能く無明、老、死、十二の苦事を增長す。
八邪、八難中に經ざること無し。
汝、今當に是の如き惡不善の業を懺悔すべし」と。
爾の時に行者、此の語を聞き已つて、空中の聲に問ひたてまつる、
「我、今、何れの處にしてか懺悔の法を行ぜん」と。
時に空中の聲、即ち是の語を說かん、
「釋迦牟尼佛を毘盧遮那遍一切処處と名づけたてまつる。
其の佛の住處を常寂光と名づく。
常波羅蜜に攝成せられたる處、
我波羅蜜に安立せられたる處、
淨波羅蜜の有相を滅せる處、
樂波羅蜜の身心の相に住せざる處、
有無の諸法の相を見ざる處、
如寂解脫、乃至、般若波羅蜜なり。
是の色常住の法なるが故に。
是の如く當に十方の佛を觀じたてまつるべし」と。
時に十方の佛、各、右の手を申べて行者の頭を摩でて、是の如き言を作したまはん、
「善哉、善哉、善男子。
汝、今、大乘經を讀誦するが故に、
十方の諸佛、懺悔の法を說きたまふ。
菩薩の所行は結使を斷ぜず。
使海に住せず。
心を觀ずるに心無し。
顚倒の想ひより起こる。
是の如き相の心は妄想より起こる。
空中の風の依止する處なきが如し。
是の如き法相は生ぜず、沒せず。
何者か是れ罪、何者か是れ福、
我が心、自ら空なれば罪、福、主無し。
一切の法は是の如く住無く壞無し。
是の如き懺悔は心を觀ずるに心無し。
法、法の中に住せず。
諸法は解脫なり。
滅諦なり。
寂靜なり。
是の如き相をば大懺悔と名づけ、
大莊嚴懺悔と名づけ、
無罪相懺悔と名づけ、
破壞心識と名づく。
此の懺悔を行ずる者は、
身心淸淨にして法の中に住せざること、猶、流るる水の如し。
念念の中に普賢菩薩、及び十方の佛を見たてまつることを得ん。」
時に諸の世尊、大悲光明を以て行者の爲に無相の法を說きたまふ。
行者、第一義空を說きたまふを聞きたてまつらん。
行者、聞き已つて心、驚怖せず。
時に應じて即ち菩薩の正位に入らん。」
〇
佛、阿難に告げたまはく、
「是の如く行ずるをば名づけて懺悔と爲す。
此の懺悔とは十方の諸佛、諸大菩薩の所行の懺悔の法なり。」
〇
佛、阿難に告げたまはく、
「佛の滅度の後、佛の諸の弟子、若し惡不善業を懺悔すること有らば、但、當に大乘經典を讀誦すべし。
此の方等經は是れ諸佛の眼なり。
諸佛は是れに因りて五眼を具することを得たまへり。
佛の三種の身は方等より生ず。
是れ大法印なり。
涅槃海を印す。
此の如き海中より能く三種の佛の淸淨の身を生ず。
此の三種の身は人、天の福田、應供の中の最なり。
其れ、大乘方等經典を誦讀すること有らば、當に知るべし、此の人は佛の功德を具し、諸惡永く滅して、佛慧より生ずるなり。」
〇
爾の時に世尊、而も偈を說いて言たまはく、
『若し眼根の惡有つて、
業障の眼、不淨ならば、
但、當に大乘を誦し、
第一義を思念すべし。
・
是れを、眼を懺悔して、
諸の不善業を盡くすと名づく。
耳根は亂聲を聞いて、
和合の義を壞亂す。
・
是れに由つて狂心を起こすこと、
猶、癡なる猿猴の如し。
但、當に大乘を誦し、
法の空無相を觀ずべし。
・
永く一切の惡を盡くして、
天耳をもつて十方を聞かん。
鼻根は諸香に著して、
染に隨つて諸の觸を起こす。
・
此の如き狂惑の鼻、
染に隨つて諸塵を生ず。
若し大乘經を誦し、
法の如實際を觀ぜば、
・
永く諸の惡業を離れて、
後世に復、生ぜじ。
舌根は五種の、
惡口の不善業を起こす。
・
若し自ら調順せんと欲せば、
勤めて慈悲を修し、
法の眞寂の義を思うて、
諸の分別の想ひ無かるべし。
・
心根は猿猴の如くにして、
暫くも停まる所有ること無し。
若し折伏せんと欲せば、
當に勤めて大乘を誦し、
・
佛の大覺身、
力、無畏の所成を念じたてまつるべし。
身は爲れ、機關の主、
塵の風に隨つて轉ずるが如し。
・
六賊、中に遊戲して、
自在にして罣礙無し。
若し此の惡を滅して、
永く諸の塵勞を離れ、
・
常に涅槃の城に處し、
安樂にして心、憺怕ならんと欲せば、
當に大乘經を誦して、
諸の菩薩の母を念ずべし。
・
無量の勝方便は、
實相を思ふによつて得。
此の如き等の六法を、
名づけて六情根とす。
・
一切の業障海は、
皆、妄想より生ず。
若し懺悔せんと欲せば、
端坐して實相を念へ。
・
衆罪は霜露の如し。
慧日、能く消除す。
是の故に至心に、
六情根を懺悔すべし。』
〇
是の偈を說き已つて、佛、阿難に告げたまはく、
「汝、今、是の六根を懺悔し、普賢菩薩を觀ずる法を持つて、普く十方の諸天、世人のた爲に廣く分別して說け。
佛の滅度の後、佛の署の弟子、若し方等經典を受持し讀誦し解說すること有らば、應に靜處の若しは塚間、若しは樹下、阿練若處に於て方等を讀誦し大乘の義を思ふべし。
念力强きが故に、我が身、及び多寶佛塔、十方分身の無量の諸佛、普賢菩薩、文殊師利菩薩、藥王菩薩、藥上菩薩を見たてまつることを得ん。
法を恭敬するが故に諸の妙華を持つて空中に住立して、行持法の者を讚歎し恭敬せん。
但、大乘方等經を誦するが故に諸佛、菩薩、晝夜に是の持法の者を供養したまはん。」
〇
佛、阿難に告げたまはく、
「我、賢劫の諸の菩薩、及び十方の佛と與に大乘眞實の義を思ふに因るが故に、百萬億阿僧祇劫の生死の罪を除却しき。
此の勝妙の懺悔の法に因るが故に今、十方に於て各、仏と爲ることを得たり。
若し疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜんと欲せん者、若
し現身に十方の佛、及び普賢菩薩を見んと欲せば、當に淨く澡浴して淨潔の衣を著、衆の名香を燒き空閑の處に在るべし。
應當に大乘經典を讀誦し大乘の義を思ふべし。」
〇
佛、阿難に告げたまはく、
「若し衆生有つて普賢菩薩を觀ぜんと欲せん者は、當に是の觀を作すべし。
是の觀を爲す者、是れを正觀と名づく。
若し佗觀する者、是れを邪觀と名づく。
佛の滅度の後、佛の諸の弟子、佛の語に隨順して懺悔を行ぜん者は、當に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり。
普賢の行を行ぜん者は惡相、及び惡業報を見じ。
其れ、衆生有つて、晝夜六時に十方の佛を禮したてまつり、大乘經
を誦し、第一義甚深の空法を思はば、一彈指の頃〔あひだ〕に百萬億阿僧祇劫の生死の罪を除却せん。
此の行を行ずる者は眞に是れ佛子、諸佛より生ずるなり。
十方の諸佛、及び諸の菩薩、其の和上と爲りたまふべし。
是れを菩薩戒を具足する者と名づく。
羯磨を須ひずして自然に成就し、應に一切人、天の供養を受くべし。
〇
爾の時に行者、若し菩薩戒を具足せんと欲せば、應當に合掌して、空閑の處に在つて遍く十方の佛を禮したてまつり、諸罪を懺悔し自ら己が過を說くべし。
然して後に靜處にして十方の佛に白して是の言を作せ、
「諸佛世尊は常に世に住在したまふ。
我、業障の故に方等を信ずと雖も、
佛を見たてまつること了〔あきら〕かならず。
今、佛に歸依したてまつる。
唯、願はくは釋迦牟尼佛正遍知世尊、
我が和上と爲りたまへ。
文殊師利具大悲者、
願はくは智慧を以て
我に淸淨の諸の菩薩の法を授けたまへ。
彌勒菩薩勝大慈日、
我を憐愍するが故に亦、
我が菩薩法を受くることを聽したまふべし。
十方の諸佛、現じて我が證と爲りたまへ。
諸大菩薩、各、其の名を稱して是の勝大士、
衆生を覆護し我等を助護したまへ。
今日、方等經典を受持したてまつる。
乃至、失命し設ひ地獄に墮ちて無量の苦を受くとも、
終に諸佛の正法を毀謗せじ。
是の因緣、功德力を以ての故に今、
釋迦牟尼佛、我が和上と爲りたまへ。
文殊師利、我が阿闍梨と爲りたまへ。
當來の彌勒、願はくは我に法を授けたまへ。
十方の諸佛、願はくは我を證知したまへ。
大德の諸の菩薩、願はくは我が伴と爲りたまへ。
我、今、大乘經典甚深の妙義に依つて、
佛に歸依し、法に歸依し、僧に歸依す」と。
是の如く三たび說け。
三寶に歸依したてまつること已つて次に、當に自ら誓つて六重の法を受くべし。
六重の法を受け已つて次に、當に勤めて無礙の梵行を修し、曠濟の心を發こし、八重の法を受くべし。
此の誓ひを立て已つて、空閑の處に於て、諸の名香を燒き華を散じ、一切の諸佛、及び諸の菩薩、大乘方等に供養したてまつりて是の言をなせ、
「我、今日に於て菩提心を發こしつ。
此の功德を以て普く一切を度せん。」
是の語を作し已つて復、更に一切の諸佛、及び諸の菩薩を頂禮し、方等の義を思へ。
一日、乃至三七日、若しは出家にもあれ、在家にもあれ、和上を須ひず、諸師を用ひず、白羯磨せざれども大乘經典を受持し讀誦する力の故に、普賢菩薩の助發行の故に、是れ十方の諸佛の正法の眼目なれば、是の法に由つて自然に五分法身、戒、定、慧、解脫、解脫知見を成就す。
諸佛如來は此の法より生じ、大乘經に於て記別を受くることを得たまへり。
是の故に智者、若し聲聞の、三歸及び五戒、八戒、比丘戒、比丘尼戒、沙彌戒、沙彌尼戒、式叉摩尼戒及び諸の威儀を毀破し、愚癡、不善、惡邪心の故に、多く諸の戒及び威儀の法を犯さん。
若し除滅して過患なからしめ、還つて比丘と爲つて沙門の法を具せんと欲せば、當に勤修して方等經典を讀み、第一義甚深の空法を思うて、此の空慧をして心と相應せしむべし。
當に知るべし、此の人は念念の頃に於て、一切の罪垢、永く盡きて餘り無けん。
是れを、沙門の法戒を具足し諸の威儀を具すと名づく。
應に人、天一切の供養を受くべし。
若し優婆塞、諸の威儀を犯し不善の事を作さん。
不善の事を作すとは所謂、佛法の過惡を說き、四衆の所犯の惡事を論說し、偸盜、婬嫉にして慚愧有ること無きなり。
若し懺悔して諸罪を滅せんと欲せば、當に勤めて方等經典を讀誦し第一義を思ふべし。
若し王者、大臣、婆羅門、居士、長者、宰官、是の諸人等、貪求して厭くこと無く、五逆罪を作り方等經を謗し、十惡業を具せん。
是の大惡報、應に惡道に墮つべきこと暴雨にも過ぎん。
必定して當に阿鼻地獄に墮つべし。
若し此の業障を滅除せんと欲せば、慚愧を生じて諸罪を改悔すべし。」
〇
佛、言たまはく、
「云何なるをか刹利、居士の懺悔の法と名づくる。
刹利、居士の懺悔の法とは但、當に正心にして三寶を謗せず、出家を障えず、梵行人の爲に惡留難を作さざるべし。
應當に繫念して六念の法を修すべし。
亦、當に大乘を持つ者を供給し供養し、必ず禮拜すべし。
應當に甚深の經法、第一義空を憶念すべし。
是の法を思ふ者、是れを刹利、居士の第一の懺悔を修すと名づく。
第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名づく。
第三の懺悔とは、正法をもつて國を治め、人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名づく。
第四の懺悔とは、六齋日に於て諸の境内に敕して、力の及ぶ所の處に不殺を行ぜしむ。
此の如き法を修する、是れを第四の懺悔を修すと名づく。
第五の懺悔とは、但、當に深く因果を信じ、一實の道を信じ、佛は滅したまわずと知る。是れを第五の懺悔を修すと名づく。」
〇
佛、阿難に告げたまはく、
「未來世に於て、若し此の如き懺悔の法を修習すること有らん時、當に知るべし、此の人は慚愧の服を著、諸佛に護助せられ、久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべしと。」
是の語を說きたまふ時、十千の天子は法眼淨を得、彌勒菩薩等の諸大菩薩、及び阿難は、佛の所說を聞きたてまつりて歡喜し奉行しき。
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