妙法蓮華經普賢菩薩勸發品第二十八
底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)
奥書云、
大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。
發行者、國民文庫刊行會
普賢菩薩勸發品第二十八
爾の時に普賢菩薩、自在神通力、威德名聞を以て、大菩薩の無量無邊不可稱數なると與に東方より來たる。
所經の諸國、普く皆、震動し、寶蓮華を雨らし、無量百千萬億の種種の伎樂を作す。
又、無數の諸天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人等の大衆の圍遶せると與に、各、威德、神通の力を現じて娑婆世界の耆闍崛山の中に到つて、頭面に藥迦牟尼佛を禮し、右に遶ること七匝して佛に白して言さく、
「世尊、我、寶威德上王佛の國に於て、遙かに此の娑婆世界に法華經を說きたまふを聞いて、無量無邊百千萬億の諸の菩薩衆と共に來つて聽受す。
唯、願はくは世尊、當に爲に之れを說きたまふべし。
若し善男子、善女人、如來の滅後に於て、云何にしてか能くこの法華經を得ん。」
佛、普賢菩薩に告げたまはく、
「若し善男子、善女人、四法を成就せば、如來の滅後に於て當に是の法華經を得べし。
一には諸佛に護念せらるることを爲(得)、二には諸の德本を植ゑ、三には正定聚に入り、四には一切衆生を救ふの心を發こせるなり。
善男子、善女人、是の如く四法を成就せば、如來の滅後に於て必ず是の經を得ん。」
爾の時に普賢菩薩、佛に白して言さく、
「世尊、後の五百歳濁惡世の中に於て、其れ是の經典を受持すること有らん者は、我、當に守護して其の衰患を除き、安穩なることを得せしめ、伺ひ求むるに其の便りを得る者なからしむべし。
若しは魔、若しは魔子、若しは魔女、若しは魔民、若しは魔に著せられたる者、若しは夜叉、若しは羅刹、若しは鳩槃荼、若しは毘舍闍、若しは吉蔗、若しは富單那、若しは韋陀羅等の諸の人を惱ます者、皆、便りを得ざらん。
是の人、若しは行き、若しは立つて是の經を讀誦せば、我、爾の時に六牙の白象王に乘つて大菩薩衆と俱に、其の所に詣つて、自ら身を現じて供養し守護して其の心を安慰せん。
亦、法華經を供養せんが爲の故なり。
是の人、若しは坐して此の經を思惟せば、其の時に我、復、白象王に乘つて其の人の前に現ぜん。
其の人、若し法華經に於て一句一偈をも忘失する所有らば、我、當に之れを敎へて與〔と〕共〔も〕に讀誦し、還つて通利せしむべし。
爾の時に法華經を受持し讀誦せん者、我が身を見ることを得て、甚だ大いに歡喜して轉た復、精進せん。
我を見るを以ての故に、即ち三昧、及び陀羅尼を得ん。
名づけて旋陀羅尼、百千萬億旋陀羅尼、法音方便陀羅尼と爲す。
是の如き等の陀羅尼を得ん。
世尊、若し後の世の後の五百歳、濁惡世の中に、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の求索せん者、受持せん者、讀誦せん者、書寫せん者、是の法華經を修習せんと欲せば、三七日の中に於て一心に精進すべし。
三七日を滿じ了らんに、我、當に六牙の白象に乘つて、無量の菩薩の而も自ら圍遶せると與に、一切衆生の見んと喜ふ所の身を以て其の人の前に現じて、爲に法を說いて示敎利喜すべし。
亦復、其れに陀羅尼呪を與へん。
是の陀羅尼を得るが故に、非人の能く破壞する者有ること無けん。
亦、女人に惑亂せられじ。
我が身、亦、自ら常に是の人を護らん。
唯、願はくは世尊、我が此の陀羅尼を說くことを聽〔ゆる〕したまへ。」
即ち佛前に於て呪を說いて曰さく、
『阿〔ア〕檀〔タン〕地〔ダイ〕[一]
檀〔タン〕陀〔ダ〕婆〔バ〕地〔ダイ〕[二]
檀〔タン〕陀〔ダ〕婆〔バ〕帝〔テイ〕[三]
檀〔タン〕陀〔ダ〕鳩〔ク〕賒〔シヤ〕隷〔レイ〕[四]
檀〔タン〕陀〔ダ〕修〔シユ〕陀〔ダ〕隷〔レイ〕[五]
修〔シユ〕陀〔ダ〕隷〔レイ〕[六]
修〔シユ〕陀〔ダ〕羅〔ラ〕婆〔バ〕底〔チ〕[七]
佛〔ブツ〕駄〔ダ〕波〔ハ〕羶〔セン〕禰〔ネ〕[八]
薩〔サル〕婆〔バ〕陀〔ダ〕羅〔ラ〕尼〔ニ〕阿〔ア〕婆〔バ〕多〔タ〕尼〔ニ〕[九]
薩〔サル〕婆〔バ〕婆〔バ〕沙〔シヤ〕阿〔ア〕婆〔バ〕多〔タ〕尼〔ニ〕[十]
修〔シユ〕阿〔ア〕婆〔バ〕多〔タ〕尼〔ニ〕[十一]
僧〔ソウ〕伽〔ギヤ〕婆〔バ〕履〔ビ〕叉〔シヤ〕尼〔ニ〕[十二]
僧〔ソウ〕伽〔ギヤ〕涅〔ネ〕伽〔キヤ〕陀〔ダ〕尼〔ニ〕[十三]
阿〔ア〕僧〔ソウ〕祇〔ギ〕[十四]
僧〔ソウ〕伽〔ギヤ〕婆〔バ〕伽〔ギヤ〕地〔ダイ〕[十五]
帝〔テイ〕隷〔レイ〕阿〔ア〕惰〔ダ〕僧〔ソウ〕伽〔ギヤ〕
兜〔ト〕略〔リヤ〕阿〔ア〕羅〔ラ〕帝〔テイ〕波〔ハ〕羅〔ラ〕帝〔テイ〕[十六]
薩〔サル〕婆〔バ〕僧〔ソウ〕伽〔ギヤ〕三〔サン〕摩〔マ〕地〔ダイ〕伽〔ギヤ〕蘭〔ラン〕地〔ダイ〕[十七]
薩〔サル〕婆〔バ〕達〔ダル〕磨〔マ〕修〔シユ〕波〔ハ〕利〔リ〕刹〔セツ〕帝〔テイ〕[十八]
薩〔サル〕婆〔バ〕薩〔サツ〕埵〔タ〕
樓〔ル〕駄〔ダ〕憍〔ケウ〕舍〔シヤ〕畧〔リヤ〕阿〔ア〕㝹〔ト〕伽〔ギヤ〕地〔ダイ〕[十九]
辛〔シン〕阿〔ア〕毘〔ビ〕吉〔キ〕利〔リ〕地〔ダイ〕帝〔テイ〕[二十]』
「世尊、若し菩薩有つて、此の陀羅尼を聞くことを得ん者は、當に知るべし、普賢神通の力なり。
若し法華經の閻浮提に行ぜんを受持すること有らん者は、此の念を作すべし、
「皆、是れ普賢威神の力なり」と。
若し受持し讀誦し正憶念し、其の義趣を解し、說の如く修行すること有らん、當に知るべし、是の人は普賢の行を行ずるなり。
無量無邊の諸佛の所に於て、深く善根を種ゑたるなり。
諸の如來の手をもつて、其の頭を摩でたまふを爲(得)ん。
若し但、書寫せんは、是の人、命終して當に忉利天上に生ずべし。
是の時に八萬四千の天女、諸の伎樂を作して來つて之れを迎へん。
其の人、即ち七寶の冠を著て、采女の中に於て娯樂快樂せん。
何に況や受持し、讀誦し、正憶念し、其の義趣を解し、說の如く修行せんをや。
若し人有つて受持し、讀誦し、其の義趣を解せん。
是の人、命終せば千佛の手を授けて、恐怖せず惡趣に墮ちざらしめたまふことを爲〔え〕、即ち兜率天上の彌勒菩薩の所に往かん。
彌勒菩薩は三十二相有つて、大菩薩衆に共に圍遶せらる。
百千萬億の天女眷屬有り、而も中に於て生ぜん。
是の如き等の功德利益有らん。
是の故に智者、應當に一心に自ら書き、若しは人をしても書かしめ、受持し、讀誦し、正憶念し、說の如く修行すべし。
世尊、我、今、神通力を以ての故に是の經を守護して、如來の滅後に於て閻浮提の内に、廣く流布せしめて斷絕せざらしめん。」
爾の時に釋迦牟尼佛、讚めて言たまはく、
「善哉、善哉、普賢。
汝、能く是の經を護助して、多〔そこ〕所〔ばく〕の衆生をして安樂し利益せしめん。
汝、已に不可思議の功德、深大の慈悲を成就せり。
久遠より來、阿耨多羅三藐三菩提の意を發こして、能く是の神通の願を作して是の經を守護す。
我、當に神通力を以て、能く普賢菩薩の名を受持せん者を守護すべし。
普賢、若し是の法華經を受持し、讀誦し、正憶念し、修習し、書寫すること有らん者は、當に知るべし、是の人は釋迦牟尼佛を見るなり。
佛口より此の經典を聞くが如し。
當に知るべし、是の人は釋迦牟尼佛を供養するなり。
當に知るべし、是の人は佛、「善哉」と讚む。
當に知るべし、是の人は釋迦牟尼佛の手をもつて、其の頭を摩づるを爲ん。
當に知るべし、是の人は釋迦牟尼佛の衣に覆はるることを爲ん。
是の如きの人は復、世樂に貪著せじ。
外道の經書、手筆を好まじ。
亦復、喜つて其の人、及び諸の惡者の若しは屠兒、若しは猪、羊、雞、狗を畜ふもの、若しは獵師、若しは女色を衒賣するものに親近せじ。
是の人は心意質直にして正憶念有り福德力有らん。
是の人は三毒に惱まされじ。
亦、嫉妬、我慢、邪慢、增上慢に惱まされじ。
是の人は少欲知足にして能く普賢の行を修せん。
普賢、若し如來の滅後、後の五百歳に若し人有つて法華經を受持し讀誦せん者を見ては、是の念を作すべし、
「此の人は久しからずして、當に道場に詣して諸の摩衆を破し、
阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を轉じ、
法鼓を擊ち、法螺を吹き、法雨を雨らすべし。
當に天、人、大衆の中の師子法座の上に坐すべし。」
普賢、若し後の世に於て是の經典を受持し讀誦せん者は、是の人、復、衣服、臥具、飮食、資生の物に貪著せじ。
所願、虛しからじ。
亦、現世に於て其の福報を得ん。
若し人有つて之れを輕毀して言はん、
「汝は狂人ならくのみ。
空しく是の行を作して、終に獲る所、無けん」と。
是の如き罪報は當に世世に眼、無かるべし。
若し之れを供養し讚嘆すること有らん者は、當に今世に於て現の果報を得べし。
若し復、是の經典を受持せん者を見て其の過惡を出ださん。
若しは實にもあれ、若しは不實にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。
若し之れを輕笑すること有らん者は、當に世世に牙齒疎き缺け、醜唇、平鼻、手脚繚戻し、眼目角睞に、身體臭穢にして、惡瘡、膿血、水腹、短氣、諸の惡重病あるべし。
是の故に普賢、若し是の經典を受持せん者を見ては、當に起つて遠く迎ふべきこと、當に佛を敬ふが如くすべし。」
是の普賢勸發品を說きたまふ時、恒河沙等の無量無邊の菩薩、百千萬億旋陀羅尼を得、三千大千世界微塵等の諸の菩薩、普賢の道を具しぬ。
佛、是の經を說きたまふ時、普賢等の諸の菩薩、舍利弗等の諸の聲聞、及び諸の天、龍、人、非人等の一切の大會、皆、大いに歡喜し、佛語を受持して、禮を作して去りにき。
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