妙法蓮華經隨喜功德品第十八
底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)
奥書云、
大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。
發行者、國民文庫刊行會
隨喜功德品第十八
爾の時に彌勒菩薩摩訶薩、佛に白して言さく、
「世尊、若し善男子、善女人有つて是の法華經を聞いて隨喜せん者は、幾〔いく〕所〔ばく〕の福をか得ん。」
〇
而も偈を說いて言さく、
『世尊、滅度の後に、
其れ是の經を聞くこと有つて、
若し能く隨喜せん者は、
幾所の福をか得〔う〕爲〔べ〕き。』
〇
爾の時に佛、彌勒菩薩摩訶薩に告げたまはく、
「阿逸多、如來の滅後に若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、及び餘の智者、若しは長、若しは幼、是の經を聞いて隨喜し已つて、法會より出でて餘處に至らん。
若しは僧坊に在り、若しは空閑の地、若しは城邑、巷陌、聚落、田里にして、其の所聞の如く父母、宗親、善友、知識の爲に、力に隨つて演說せん。
是の諸人等、聞き已つて隨喜して復、行ひて轉敎せん。
餘の人、聞き已つて亦、隨喜して轉敎せん。
是の如く展轉して第五十に至らん。
阿逸多、其の第五十の善男子、善女人の隨喜の功德を我、今、之れを說かん。
汝、當に善く聽くべし。
若し四百萬億阿僧祇の世界の六趣、四生の衆生、卵生、胎生、濕生、化生、若しは有形、無形、有想、無想、非有想、非無想、無足、二足、四足、多足、是の如き等の衆生の數に在らん者に、人有つて福を求めて其の所欲に隨つて娯樂の具、皆、之れに給與せん。
一一の衆生に、閻浮提に滿てらん金銀、瑠璃、硨磲、碼碯、珊瑚、琥珀、諸の妙へなる珍寶、及び象馬、車乘、七寶所成の宮殿、樓閣等を與へん。
是の大施主、是の如く布施すること八十年を滿ち已つて、是の念を作さく、
「我、已に衆生に娯樂の具を施すこと、意の所欲に隨へり。
然るに此の衆生、皆、已に衰老して、
年八十に過ぎて髮白く、面皺んで、
將に死せんこと久しからじ。
我、當に佛法を以て之れを訓導すべし。」
即ち此の衆生を集めて、法化を宣布し、示敎利喜して、一時に皆、須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道を得、諸の有漏を盡し、深禪定に於て皆、自在を得、八解脫を具せしめん。
汝が意に於て云何。
是の大施主の所得の功德、寧ろ爲れ、多しや不や。」
〇
彌勒、佛に白して言さく、
「世尊、是の人の功德は甚だ多くして無量無邊なり。
若し是の施主、但、衆生に一切の樂具を施さんすら、功德無量なり。
何に況や阿羅漢果を得せしめんをや。」
〇
佛、彌勒に告げたまはく、
「我、今、分明に汝に語らん。
是の人、一切の樂具を以て四百萬億阿僧祇の世界の六趣の衆生に施し、又、阿羅漢果を得せしめん。
所得の功德は是の第五十の人の法華經の一偈を聞いて隨喜せん功德にはしかじ。
百分、千分、百千萬億分にして其の一にも及ばじ。
乃至、算數譬喩も知ること能はざる所なり。
阿逸多、是の如く第五十人の展轉して法華經を聞いて隨喜せん功德、尚、無量無邊阿僧祇なり。
何に況や、最初會中に於て聞いて隨喜せん者をや。
其の福、復、勝れたること無量無邊阿僧祇にして、比ぶることを得可からず。
又、阿逸多、若し人、是の經の爲の故に僧坊に往詣して、若しは坐し、若しは立ち、須臾も聽受せん。
是の功徳によつて、身を轉じて生まるる所には好き上妙の象馬、車乘、珍寶の輦輿を得、及び天宮に乘ぜん。
若し復、人有つて講法の處に於て坐せん。
更に人の來ること有らんに勸めて坐して聽かしめ、若しは座を分かつて坐せしめん。
是の人の功德、身を轉じて帝釋の坐處、若しは梵天王の坐處、若しは轉輪聖王の所坐の處を得ん。
阿逸多、若し復、人有つて餘人に語つて言はく、
「經有り、法華と名づけたてまつる。
共に往いて聽く可し」と。
即ち其の敎へを受けて、乃至須臾の間も聞かん。
是の人の功德は、身を轉じて陀羅尼菩薩と與に共に一處に生ずることを得て、利根智慧ならん。
百千萬世に終に瘖啞ならず、口の氣臭からず、舌に常に病無く、口にも亦、病無けん。
齒は垢つき黑からず、黃ならず、疎かず、亦、欠落せず、差〔たが〕わず、曲らず。
唇は下り垂れず、亦、褰〔あが〕り縮まらず、麁く澁からず、瘡胗あらず、亦、缺け壞れず、亦、喎〔ゆが〕み斜めならず、厚からず、大いならず、亦、黧〔くろ〕み黑〔くろ〕まず、諸の惡む可きこと無けん。
鼻は匾〔うすひら〕に㔸〔たひら〕ならず、亦、曲り戻らず。
面の色は黑からず、亦、狹く長からず、亦、窊〔くぼ〕み曲らず、一切の喜ぶ可からざる相あること無けん。
唇、舌、牙、齒、悉く皆、嚴好ならん。
鼻、修〔なが〕くして高く直ぐにして、面貌圓滿し、眉高くして長く、額廣く平正にして人相具足せん。
世世に生まるる所には佛を見たてまつり、法を聞きたてまつりて敎誨を信受せん。
阿逸多、汝、且〔しばら〕く是れを觀ぜよ。
一人を勸めて往いて法を聽かしむる功德、是の如し。
何に況や、一心に說を聽き讀誦し、而も大衆に於て人の爲に分別し、說の如く修行せんをや。」
〇
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、
『若し人、法會に於て、
是の經典を聞くことを得て、
乃至一偈に於ても、
隨喜して他の爲に說かん。
・
是の如く展轉して敎へて、
第五十に至らん。
最後の人の福を獲んことをば、
今、當に之れを分別すべし。
・
若し大施主有つて、
無量の衆に供給すること、
具さに八十歳を滿てて、
意の所欲に隨はん。
・
彼の衰老の相の、
髮白くして面皺み、
齒疎き形枯渇せるを見て、
「其れ、死せんこと久しからじ、
・
我、今、當に敎へて、
道果を得せしむべし」と念うて、
即ち爲に方便して、
涅槃眞實の法を說かん。
・
「世は皆、牢固ならざること、
水沫、泡、焰の如し。
汝等、咸く應當に、
疾く厭離の心を生ずべし」と。
・
諸人、是の法を聞いて、
皆、阿羅漢を得て、
六髮通、
三明八解脫を具足せん。
・
最後第五十の、
一偈を聞いて隨喜せん、
是の人の福、彼に勝れたること、
譬喩を爲べからず。
・
是の如く展轉して聞くすら、
其の福、尚、無量なり。
何に況や法會に於て、
初めて聞いて隨喜せん者をや。
・
若し一人を勸めて、
將引して法華を聽かしむること有つて、
言はん、此の經は深妙なり、
千萬劫にも遇ひ難し、と。
・
即ち敎へを受けて、往いて聽いて、
乃至、須臾も聞かん。
斯の人の福報、
今、當に分別して說くべし。
・
世世に口の患ひ無く、
齒は疎き黃み黑まず、
唇は厚く、褰り缺けず、
惡む可き相の、有ること無けん。
・
舌は乾き黑み短ならず、
鼻は高く修く且つ直く、
額は廣くして平正に、
面目、悉く端嚴にして、
・
人に見ることを喜ばれん。
口の氣、臭穢無くして、
優鉢華の香、
常に其の口從り出でん。
・
若し故〔ことさら〕に僧坊に詣〔いた〕り、
法華經を聽かんと欲して、
須臾も聞いて隨喜せん、
今、當に其の福を說くべし。
・
後に天人の中に生れて、
妙なる象馬車、
珍寶の輦輿を得、
及び天の宮殿に乘ぜん。
・
若し講法の處に於て、
人を勸めて坐して經を聽かしめん、
是の福の因縁をもつて、
釋梵轉輪の座を得ん。
・
何に況や、一心に聽き、
其の義趣を解說し、
說の如く修行せんをや。
その福、限る可からず。」
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