妙法蓮華經安樂行品第十四


底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)

奥書云、

大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。

發行者、國民文庫刊行會



  安樂行品第十四

爾の時に文殊師利法王子菩薩摩訶薩、佛に白して言さく、

「世尊、是の諸の菩薩は甚だ爲れ有り難し。

 佛に敬順したてまつるが故に大誓願を發こす。

 後に惡世に於て是の法華經を護持し讀誦し說かん。

 世尊、菩薩摩訶薩 後の惡世に於て、云何にしてか能く是の經を說かん。」

佛、文殊師利に告げたまはく、

「若し菩薩摩訶薩、後の惡世に於て是の經を說かんと欲せば、當に四法に安住すべし。

 一には菩薩の行處、親近處に安住して、能く衆生の爲に是の經を演說すべし。

 文殊師利、云何なるをか菩薩摩訶薩の行處と名づくる。

 若し菩薩摩訶薩、忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心、亦、驚かず、又復、法に於て行ずる所無くして、諸法如實の相を觀じ、亦、不分別を行ぜざる、是れを菩薩摩訶薩の行處と名づく。

 云何なるをか菩薩摩訶薩の親近處と名づくる。

 菩薩摩訶薩は國王、王子、大臣、官長に親近せざれ。

 諸の外道、梵志、尼犍子等、及び世俗の文筆、讚詠の外書を造り、及び路伽耶陀、逆路伽耶陀の者に親近せざれ。

 亦、諸の有らゆる凶戲の相扠、相撲、及び那羅等の種種の變現の戲れに親近せざれ。

 又、旃陀羅、及び猪、羊、鷄、狗を畜〔やしな〕ひ畋獵、漁捕する、諸の惡律儀に親近せざれ。

 是の如き人等、或る時に來らば、則ち爲に法を說いて希望する所無かれ。

 又、聲聞を求むる比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷に親近せざれ、亦、問訊せざれ。

 若しは房中に於ても、若しは經行の處、若しは講堂の中に在つても、共に住止せざれ。

 或る時に來らば、宜しきに隨つて法を說いて希求する所無かれ。

 文殊師利、又、菩薩摩訶薩は女人の身に於て、能く欲想を生ずる相を取つて爲に法を說くべからず。

 亦、見んと樂はざれ。

 若し佗(他)の家に入らんには、小女、處女、寡女等と共に語らざれ。

 亦復、五種不男の人に近づいて以て親厚を爲さざれ。

 獨り佗の家に入らざれ。

 若し因緣有つて獨り入ることを須〔もち〕ひん時には、但一心に佛を念ぜよ。

 若し女人の爲に法を說かんには、齒を露らはにして笑まざれ。

 胷(胸)臆を現はさざれ。

 乃至、法の爲にも猶、親厚せざれ。

 況や復、餘の事をや。

 樂つて年小の弟子、沙彌、小兒を畜〔たくは〕へざれ。

 亦、與に師を同じうすることを樂はざれ。

 常に坐禪を好んで閑かなる處に在つて其の心を修攝せよ。

 文殊師利、是れを初めの親近處と名づく。

 復、次に菩薩摩訶薩、一切の法を觀ずるに空なり、如實相なり、顚倒せず、動せず、退せず、顚ぜず、虛空の如くにして所有の性、無し。

 一切の語言の道、斷え、生ぜず、出せず、起せず、名無く、相無く、實に所有無し。

 無量、無邊、無礙、無障なり。

 但、因緣を以て有り、顚倒によつて生ず。

 故に說く、常に樂つて是の如き法相を觀ぜよと。

 是れを菩薩摩訶薩の第二の親近處と名づく。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『若し菩薩有つて、

 後の惡世に於て、

 無怖畏の心をもつて、

 是の經を說かんと欲せば、

 行處、

 及び親近處に入るべし。

 常に國王、

 及び國王子、

 大臣、官長、

 凶險の戲者、

 及び旃陀羅、

 外道、梵志を離れ、

 亦、

 增上慢の人、

 小乘に貪著する、

 三藏の學者、

 破戒の比丘、

 名字の羅漢、

 及び比丘尼の、

 戲笑を好む者に親近せざれ。

 深く五欲に著して、

 現の滅度を求むる、

 處の優婆夷に、

 皆、親近すること勿れ。

 是の若(如)き人等、

 好心を以て來り、

 菩薩の所に到つて、

 佛道を聞かんが爲にせば、

 菩薩、則ち、

 無所畏の心を以て、

 希望を懷かずして、

 爲に法を說け。

 寡女、處女、

 及び諸の不男に、

 皆、親近して、

 以て親厚を爲すこと勿れ。

 亦、

 屠兒、魁膾、

 畋獵、漁捕、

 利の爲に殺害するに親近すること莫かれ。

 肉を販〔う〕つて自活し、

 女色を衒賣する、

 是の如きの人に、

 皆、親近すること勿れ。

 凶險の相撲、

 種種の嬉戲、

 諸の婬女等に、

 悉く親近すること勿れ。

 獨り屏處にして、

 女の爲に法を說くこと莫かれ。

 若し法を說かん時には、

 戲笑すること得ること無かれ。

 里に入つて乞食せんには、

 一りの比丘を將ゐよ。

 若し比丘無くんば、

 一心に佛を念ぜよ。

 是れを則ち名づけて、

 行處、近處とす。

 此の二處を以て、

 能く安樂に說け。

 又復、

 上中下の法、

 有爲、無爲、

 實、不實の法を行ぜざれ。

 亦、

 是れ男、是れ女と分別せざれ、

 諸法を得ず。

 知らず見ず。

 是れを則ち名づけて、

 菩薩の行處と爲す。

 一切の諸法は、

 空にして所有無し。

 常住有ること無く、

 亦、起滅無し。

 是れを智者の、

 所親近處と名づく。

 顚倒して、

 諸法は有なり無なり、

 是れ實なり非實なり、

 是れ生なり非生なりと分別す。

 閑かなる處に在つて、

 其の心を修攝し、

 安住して動せざること、

 須彌山の如くせよ。

 一切の法を觀ずるに、

 皆、所有無し。

 猶、虛空の如し。

 堅固なること有ること無し。

 不生なり、不出なり。

 不動なり、不退なり。

 常住にして一相なり。

 是れを近處と名づく。

 若し比丘有つて、

 我が滅後に於て、

 是の行處、

 及び親近處に入つて、

 斯の經を說かん時には、

 怯弱有ること無けん。 

 菩薩、時有つて、

 靜室に入り、

 正憶念を以て、

 義に隨つて法を觀じ、

 禪定より起つて、

 諸の國王、

 王子、臣民、

 婆羅門等の爲に、

 開化して演暢して、

 斯の經典を說かば、

 其の心、安穩にして、

 怯弱有ること無けん。

 文殊師利、

 是れを菩薩の、

 初めの法に安住して、

 能く後の世に於て、

 法華經を說くと名づく。』

「又、文殊師利、如來の滅後、末法の中に於て是の經を說かんと欲せば、應に安樂行に住すべし。

 若しは口に宣說し、若しは經を讀まん時、樂つて人、及び經典の過を說かざれ。

 亦、諸餘の法師を輕慢せざれ。

 他人の好惡長短を說かざれ。

 聲聞の人に於ても亦、名を稱して其の過惡を說かざれ。

 亦、名を稱して其の美しきを讚嘆せざれ。

 又亦、怨嫌の心を生ぜざれ。

 善く是の如き安樂の心を修するが故に、諸の聽くこと有らん者、其の意に逆はじ。

 難問する所有らば、小乘の法を以て答へざれ。

 但、大乘を以て爲に解說して、一切種智を得せしめよ。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『菩薩常に樂つて、

 安穩に法を說け。

 淸淨の地に於て、

 牀座を施し、

 油を以て身に塗り、

 塵穢を澡浴し、

 新淨の衣を著、

 内外俱に淨くして、

 法座に安處して、

 問ひに隨つて爲に說け。

 若し比丘、

 及び比丘尼、

 諸の優婆塞、

 及び優婆夷、

 國王、王子、

 羣臣、士民有らば、

 微妙の義を以て、

 和顏にして爲に說け。

 若し難問すること有らば、

 義に隨つて答へよ。

 因緣、譬喩をもつて、

 敷演し分別せよ。

 是の方便を以て、

 皆、發心せしめ、

 漸漸に增益して、

 佛道に入らしめよ。

 懶惰の意、

 及び懈怠の想ひを除き、

 諸の憂惱を離れて、

 慈心をもつて法を說け。

 晝夜常に、

 無上道の敎へを說け。

 諸の因緣、

 無量の譬喩を以て、

 衆生に開示して、

 咸く歡喜せしめよ。

 衣服、臥具、

 飮食、醫藥、

 而も其の中に於て、

 希望する所無かれ。

 但、一心に、

 說法の因緣を念じ、

 佛道を成じて、

 衆をして亦、爾かならしめんと願ずべし。

 是れ則ち大利、

 安樂の供養なり。

 我が滅度の後に、

 若し比丘有つて、

 能く斯の、

 妙法華經を演說せば、

 心に嫉恚、

 諸惱障礙無く、

 亦、憂愁、

 及び罵詈する者無く、

 又、怖畏し、

 刀杖を加へらるる等無く、

 亦、擯出せらるること無けん、

 忍に安住するが故に。

 智者、是の如く、

 善く其の心を修せば、

 能く安樂に住すること、

 我が上に說くが如くならん。

 其の人の功德は、

 千萬億劫に、

 算數譬喩をもつて、

 說くとも盡くすこと能はじ。』

「又、文殊師利、菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、斯の經典を受持し讀誦せん者は、嫉妬、諂誑の心を懷くこと無かれ。

 亦、佛道を學する者を輕罵し、其の長短を求むること勿れ。

 若し比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の聲聞を求むる者、辟支佛を求むる者、菩薩の道を求むる者、之れを惱まして、其れをして疑悔せしめて、其の人に語つて汝等、道を去ること甚だ遠し、終に一切種智を得ること能はじ、所以は何、汝は是れ放逸の人なり、道に於て懈怠なるが故にと、言ふこと得ること無かれ。

 又亦、諸法を戲論して諍競する所有るべからず。

 當に一切衆生に於て大悲の想ひを起し、諸の如來に於て慈父の想ひを起し、諸の菩薩に於て大師の想ひを起こすべし。

 十方の諸の大菩薩に於て、常に深心に恭敬禮拜すべし。

 一切衆生に於て平等に法を說け。

 法に順ずるを以ての故に、多くもせず少なくもせざれ。

 乃至、深く法を愛せん者にも亦、爲に多く說かざれ。

 文殊師利、是の菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、是の第三の安樂行を成就すること有らん者は、是の法を說かん時、能く惱亂するもの無けん。

 好き同學の、共に是の經を讀誦するを得、亦、大衆の而も來つて聽受し、聽き已つて能く持ち、持ち已つて能く誦し、誦し已つて能く說き、說き已つて能く書き、若しは人をしても書かしめ、經卷を供養し、恭敬、尊重、讚嘆することを得ん。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『若し是の經を說かんと欲せば、

 當に嫉、恚、慢、

 諂誑、邪僞の心を捨てて、

 常に質直の行を修すべし。

 人を輕蔑せず、

 亦、法を戲論せざれ。

 佗をして疑悔せしめて、

 「汝は佛を得じ」と云はざれ。

 是の佛子、法を說かんには、

 常に柔和にして能く忍び、

 一切を慈悲して、

 懈怠の心を生ぜざれ。

 十方の大菩薩は、

 衆を愍れむが故に道を行ぜり。

 應に恭敬の心を生ずべし、

 是れ則ち我が大師なりと。

 諸佛世尊に於ては、

 無上の父の想ひを生ぜよ。

 憍慢の心を破して、

 法を說くに障礙無からしめよ。

 第三の法、是の如し、

 智者、應に守護すべし。

 一心に安樂に行ぜば、

 無量の衆に敬はれん。』

「又、文殊師利、菩薩摩訶薩、後の末世の法滅せんと欲せん時に於て、法華經を受持すること有らん者は、在家出家の人の中に於て大慈の心を生じ、菩薩に非ざる人の中に於て大悲の心を生じて、應に是の念を作すべし、

 「是の如きの人は則ち爲れ、大いに如來の方便隨宜の說法を失へり。

  聞かず、知らず、覺らず、問わず、信ぜず、解せず。

  其の人、是の經を問わず、信ぜず、解せずと雖も、

  我、阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、

  隨つて何れの地に在つても、

  神通力、智慧力を以て、

  之れを引いて是の法の中に住することを得せしめん。」

 文殊師利、是の菩薩摩訶薩、如來の滅後に於て此の第四の法を成就すること有らん者は、是の法を說かん時、過失有ること無けん。

 常に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、國王、王子、大臣、人民、婆羅門、居士等に、供養、恭敬、尊重、讚嘆せらるることを爲ん。

 虛空の諸天、法を聽かんが爲の故に、亦、常に隨侍せん。

 若し聚落、城邑、空閑、林中に在らんに、人有つて來つて難問せんと欲せば、諸天、晝夜に常に法の爲の故に、而も之れを衞護し、能く聽く者をして皆、歡喜することを得せしめん。

 所以は何。

 此の經は是れ一切の過去、未來、現在の諸佛の神力をもつて護りたまふ所なるが故に。

 文殊師利、是の法華經は無量の國の中に於て、乃至名字をも聞くことを得可からず。

 何〔いか〕に況や見ることを得、受持し讀誦せんをや。

 文殊師利、譬へば强力の轉輪聖王の、威勢を以て諸國を降伏せんと欲せんに、而も諸の小王、其の命に順はざらん。

 時に轉輪王、種種の兵を起して往いて討伐するに、王、兵衆の戰ふに功有る者を見て即ち大いに歡喜し、功に隨つて賞賜して、或は田宅、聚落、城邑を與へ、或は衣服、嚴身の具を與へ、或は種種の珍寶を金銀、瑠璃、硨磲、碼碯、珊瑚、琥珀、象馬、車乘、奴婢、人民を與ふ。

 唯、髻中の明珠のみ以て之れを與へず。

 所以は何。

 獨り王の頂上に此の一の珠有り。

 若し以て之れを與へば、王の諸の眷屬、必ず大いに驚き怪まんが如し。

 文殊師利、如來も亦復、是の如し。

 禪定、智慧の力を以て法の國土を得て、三界に王たり。

 而も諸の魔王、肯〔あへ〕て順伏せず。

 如來の賢聖の諸將、之れと共に戰ふに、其の功有る者には心、亦、歡喜して、四衆の中に於て爲に諸經を說いて其の心をして悅ばしめ、賜ふに禪定、解脫、無漏、根、力の諸法の財を以てし、又復、涅槃の城を賜與して、滅度を得たりと言つて其の心を引導して皆、歡喜せしむ。

 而も爲に是の法華經を說かず。

 文殊師利、轉輪王の諸の兵衆の大功有る者を見ては、心、甚だ歡喜して、此の難信の珠の久しく髻中に在つて妄りに人に與へざるを以て、而も今、之れを與へんが如し。

 如來も亦復、是の如し。

 三界の中に於て大法王爲〔た〕り。

 法を以て一切衆生を敎化す。

 賢聖の軍の五陰魔、煩惱魔、死魔と與に共に戰うに大功勲有つて、三毒を滅し、三界を出でて魔網を破するを見ては、爾の時に如來、亦、大いに歡喜して此の法華經の、能く衆生をして一切智に至らしめ、一切世閒に怨〔あだ〕、多くして信じ難く、先に未だ說かざる所なるを、而も今、之れを說く。

 文殊師利、此の法華經は是れ諸の如來の第一の說なり。

 諸說の中に於て最も爲れ、甚深なり。

 末後に賜與すること、彼の强力の王の久しく護れる明珠を、今、乃ち之れに與ふるが如し。

 文殊師利、此の法華經は諸佛如來の祕密の藏なり。

 諸經の中に於て最も其の上に在り。

 長夜に守護して妄りに宣說せざるを、始めて今日に於て、乃ち汝等が爲に而も之れを敷演す。」

爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、

『常に忍辱を行じ、

 一切を哀愍して、

 乃ち能く、

 佛の讚めたまふ所の經を演說せよ。

 後の末世の時、

 此の經を持たん者は、

 家、出家と、

 及び非菩薩に於て、

 慈悲を生ずべし、

 斯れ等、

 是の經を聞かず信ぜず、

 則ち爲れ大いに失へり、

 我、佛道を得て、

 諸の方便を以て、

 爲に此の法を說いて、

 其の中に住せしめんと。

 譬へば强力の、

 轉輪の王、

 兵の戰つて功有るに、

 諸物の、

 象馬車乘、

 嚴身の具、

 及び諸の田宅、

 聚落、城邑を賞賜し、

 或は衣服、

 種種の珍寶、

 奴婢、財物を與へ、

 歡喜して賜與す。

 若し勇健にして、

 能く難事を爲すこと有るには、

 王髻中の、

 明珠を解いて之れを賜はんが如し。

 如來も亦、爾かなり。 

 爲れ、諸法の王、

 忍辱の大力、

 智慧の寶藏あり。

 大慈悲を以て、

 法の如く世を化す。

 一切の人の、

 諸の苦惱を受けて、

 解脫を欲求して、

 諸の魔と戰ふを見て、

 是の衆生の爲に、

 種種の法を說き、

 大方便を以て、

 此の諸經を說く。

 既に衆生、

 其の力を得已はんぬと知つては、

 末後に乃ち、爲に、

 是の法華を說くこと、

 王の髻〔もとどり〕の、

 明珠を解いて之れに與へんが如し。

 此の經は爲れ、尊。

 衆經の中の上なり。

 我、常に守護して、

 妄りに開示せず。

 今、正しく是れ時なり。

 汝等が爲に說く。

 我が滅度の後に、

 仏道を求めん者、

 安穩に、

 斯の經を演說することを得んと欲せば、

 應當に、

 是の如き四法に親近すべし。

 是の經を讀まん者は、

 常に憂惱無く、

 又、病痛無く、

 顏色、鮮白ならん。

 貧窮卑賤、

 醜陋に生まれじ。

 衆生、見んと樂ふこと、

 賢聖を慕ふが如くならん。

 天の諸の童子、

 以て給使を爲さん。

 刀杖も加へず、

 毒も害すること能はず。

 若し人、惡み罵らば、

 口、則ち閉塞せん。

 遊行するに畏れ無きこと、

 師子王の如く、

 智慧の光明、

 日の照らすが如くならん。

 若し夢の中に於ても、

 但、妙なる事を見ん。

 諸の如來の、

 師子の座に坐して、

 諸の比丘衆に、

 圍繞せられて說法したまふを見ん。

 又、龍神、

 阿修羅等、

 數恒沙の如くにして、

 恭敬合掌し、

 自ら其の身を見るに、

 而も爲に法を說くを見ん。

 又、諸佛の、

 身相金色にして、

 無量の光を放つて、

 一切を照らし、

 梵音聲を以て、

 諸法を演說し、

 佛四衆の爲に、

 無上の法を說きたまふ。

 身を見るに中に處して、

 合掌して佛を讚めたてまつり、

 法を聞いて歡喜して、

 供養を爲し、

 陀羅尼を得、

 不退智を證す。

 佛、其の心、

 深く佛道に入れりと知ろしめして、

 即ち爲に最正覺を、

 成ずることを授記して、

 「汝、善男子、

  當に來世に於て、

  無量智の、

  佛の大道を得て、

  國土嚴淨にして、

  廣大なること比、無く、

  亦、四衆有つて、

  合掌して法を聽くべし」とのたまふを見ん。

 又、自身、

 山林の中に在りて、

 善法を修習し、

 諸の實相を證し、

 深く禪定に入つて、

 十方の佛を見たてまつるを見ん。 

 諸佛の身、金色にして、

 百福の相、莊嚴したまふ。

 法を聞いて人の爲に說く、

 常に是の好き夢、有らん。

 又、夢むらく國王と作つて、

 宮殿、眷屬、

 及び上妙の五欲を捨てて、

 道場に行詣し、

 菩提樹下に在つて、

 師子の座に處し、

 道を求むること七日過ぎて、

 諸佛の智を得、

 無上道を成じ已つて、

 起つて法輪を轉じ、

 四衆の爲に法を說くこと、

 千萬億劫を經、

 無漏の妙法を說いて、

 無量の衆生を度し、

 後に當に涅槃に入ること、

 煙、盡きて燈の滅ゆるが如し。

 若し後の惡世の中に、

 是の第一の法を說かば、

 是の人、大利を得んこと、

 上の諸の功德の如くならん。』







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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