妙法蓮華經譬喩品第三
底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)
奥書云、
大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。
發行者、國民文庫刊行會
卷の第二
譬喩品第三
爾の時に舍利弗、踊躍歡喜して即ち起つて合掌し、尊顔を瞻仰して佛に白して言さく、
「今、世尊に從ひたてまつり、此の法音を聞いて心に踊躍を懷き、未曾有なることを得たり。
所以は何、我、昔、佛に從つて、是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作佛を見しかども、而も我等は斯の事に預らず。
甚だ自ら如來の無量の知見を失へることを感傷しき。
世尊、我、常に獨り山林樹下に處して、若しは坐、若しは行じて、每(常)に是の念を作しき、
「我等も同じく法性に入れり。
云何ぞ如來小乘の法を以て濟度せらるる」と。
是れ、我等が咎なり。
世尊には非ず。
所以は何。
若し我等、所因の阿耨多羅三藐三菩提を成就することを說きたまふを待せましかば、必ず大乘を以て度脫することを得てまし。
然るに我等は方便隨宜の所說を解らずして、初め佛法を聞いて、遇〔たまた〕ま便ち信受し、思惟して證を取れり。
世尊、我、昔從り來〔このかた〕、終日竟夜、每に自ら剋責しき。
而るに今、佛に從ひたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて、諸の疑悔を斷じ、身意泰然として、快く安穩なることを得たり。
今日、乃ち知んぬ、眞に是れ佛子なり。
佛口從り生じ、法化從り生じて、佛法の分を得たり。」
〇
爾の時に舍利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言さく、
『我、是の法音を聞いて、
未曾有なる所を得て、
心に大歡喜を懷き、
疑網、皆已に除こりぬ。
・
昔より來〔このかた〕、佛敎を蒙りて、
大乘を失はず、
佛の音は甚だ希有にして、
能く衆生の惱みを除きたまふ。
・
我、已に漏盡を得れども、
聞いて亦、憂惱を除く。
我、山谷に處し、
或は林樹の下に在りて、
・
若しは坐し、若しは經行して、
常に是の事を思惟し、
鳴〔う〕呼〔こ〕して深く自ら責めき、
「云何ぞ而も自ら欺ける。
・
我等も亦、佛子にして、
同じく無漏の法に入れども、
未來に於て、
無上道を演說すること能はず。
・
金色三十二、
十力諸の解脫、
同じく共に一法の中にして、
而も此の事を得ず。
・
八十種の妙好、
十八不共の法、
是の如き等の功德、
而も我、皆、已に失へり。」
・
我、獨り經行せし時、
佛、大衆に在して、
名聞十方に滿ち、
廣く衆生を饒益したまふを見て、
・
自ら惟〔おも〕はく、「此の利を失へり、
我、爲〔こ〕れ、自ら欺誑せり」と。
我、常に日夜に於て、
毎に是の事を思惟して、
・
以て世尊に問ひたてまつらんと欲す、
「爲〔さだ〕めて失へりや、爲めて失はずや。」
我、常に世尊を見たてまつるに、
諸の菩薩を稱讚したまふ、
・
是〔ここ〕を以て日夜に、
是の如き事を籌〔ちう〕量〔りやう〕しき。
今、佛の音聲を聞きたてまつるに、
宜しきに隨つて法を說きたまへり、
・
無漏は思議し難し、
衆をして道場に至らしむ。
我、本邪見に著して、
諸の梵志の師となりき、
・
世尊、我が心を知ろしめして、
邪を拔き涅槃を說きたまひしかば、
我、悉く邪見を除いて、
空法に於て稱を得たり。
・
爾の時に心に自ら謂〔おも〕ひき、
「滅度に至ることを得たり」と。
而るに今、乃ち自ら覺りぬ、
是れ實の滅度に非ず。
・
若し作佛することを得ん時は、
三十二相を具し、
天、人、夜叉衆、
龍神等、恭敬せん。
・
是の時、乃ち謂ふ可し、
「永く盡滅して餘無し」と。
佛、大衆の中に於て、
「我、當に作佛すべし」と說きたまふ。
・
是の如き法音を聞いて、
疑悔、悉く已に除こりぬ。
初め佛の所說を聞いて、
心中、大いに驚疑しき、
・
「將〔まさ〕に魔の、佛と作つて、
我が心を惱亂するに非ずや」と。
佛、種種の緣、
譬喩を以て巧みに言說したまふ。
・
其の心安きこと海の如し、
我、聞いて疑網、斷じぬ。
佛、說きたまはく、
過去世の無量の滅度の佛、
・
方便の中に安住して、
亦、皆、是の法を說きたまへり。
現在未來の佛、
其の數、量り有ること無きも、
・
亦、諸の方便を以て、
是のごとき法を演說したまふ。
今の世尊の如きも、
生じたまひし從〔よ〕り及び出家し、
・
得道し法輪を轉じたまふまで、
亦、方便を以て說きたまふ。
世尊は實道を說きたまふ。
波旬は此の事無し。
・
是を以て我、定めて知んぬ、
是れ魔の佛と作るには非ず。
我、疑網に墮するが故に、
是れ魔の所爲と謂へり。
・
佛の柔輭の音、
深遠に甚だ微妙にして、
淸淨の法を演暢したまふを聞いて、
我が心、大いに歡喜し、
・
疑悔、永く已に盡きて、
實智の中に安住す。
我、定めて當に作佛して、
天、人に敬はるることを爲〔え〕、
・
無上の法輪を轉じて、
諸の菩薩を敎化すべし。』
〇
爾の時に佛、舍利弗に告げたまはく、
「吾、今、天、人、沙門、婆羅門等の大衆の中に於て說く。
我、昔、曾て二萬億の佛の所に於て、無上道の爲の故に常に汝を敎化す。
汝、亦、長夜に我に隨つて受學しき。
我、方便を以て汝を引導せしが故に、我が法の中に生まれたり。
舍利弗、我、昔、汝をして佛道を志願せしめき。
汝、今、悉く忘れて、而も便ち自ら已に滅度を得たりと謂へり。
我、今、還つて汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の聲聞の爲に、是の大乘經の妙法蓮華、敎菩薩法、佛所護念と名づくるを說く。
舍利弗、汝、未來世に於て、無量無邊不可思議劫を過ぎて、若干の千萬億の佛を供養し、正法を奉持し、菩薩所行の道を具足して、當に作佛することを得べし。
號をば華光如來、應供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊と曰ひ、國をば離垢と名づけん。
其の土平、正にして淸淨嚴飾に、安穩豐樂にして天人熾盛ならん。
瑠璃を地と爲して、八つの交道有り。
黄金を繩と爲して、以て其の側〔ほとり〕を界〔さか〕ひ、其の傍らに各、七寶の行樹有つて、常に華果有らん。
華光如來、亦、三乘を以て衆生を敎化せん。
舍利弗、彼の佛、出でたまはん時は、惡世に非ずと雖も、本願を以ての故に三乘の法を說きたまはん。
其の劫を大寶莊嚴と名づけん。
何が故ぞ名づけて大寶莊嚴と曰ふや、其の國の中には、菩薩を以て大寶と爲〔な〕づくるが故なり。
彼の諸の菩薩、無量無邊不可思議にして、算數譬喩も及ぶこと能はざる所、佛の智力に非ずんば能く知る者、無けん。
若し行かんと欲する時は寶華足を承〔う〕く。
此の諸の菩薩は、初めて意を發こせるに非ず。
皆、久しく德本を植ゑて、無量百千萬億の佛の所に於て淨く梵行を修し、恒〔つね〕に諸佛に稱嘆せらるることを得、常に佛慧を修し、大神通を具し、善く一切の諸法の門を知り、質直無僞にして志念堅固ならん。
是の如きの菩薩、其の國に充滿せん。
舍利弗、華光佛は壽十二小劫ならん。
王子と爲つて未だ作佛せざる時をば除く。
其の國の人民は壽八小劫ならん。
華光如來、十二小劫を過ぎて、堅滿菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けて、諸の比丘に告げん。
「是の堅滿菩薩、次に當に作佛すべし、號をば華足安行、多陀阿伽度、阿羅訶、三藐三佛陀と曰ん。
其の佛の国土も、亦復、是の如くならん」と。
舍利弗、是の華光佛の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住すること亦、三十二小劫ならん。」
〇
爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、
『舍利弗、來世に、
佛普智尊と成つて、
號を名づけて華光と曰はん、
當に無量の衆を度すべし。
・
無數の佛を供養し、
菩薩の行、
十力等の功德を具足して、
無上道を證せん。
・
無量劫を過ぎ已つて、
劫を大寶嚴と名づけ、
世界を離垢と名づけん。
淸淨にして瑕穢無く、
・
瑠璃を以て地と爲し、
金繩、其の道を界ひ、
七寶、雜色の樹に、
常に華果實有らん。
・
彼の國の諸の菩薩は、
志〔し〕念〔ねん〕、常に堅固にして、
神通、波羅密、
皆、已に悉く具足し、
・
無數の佛の所に於て、
善く菩薩の道を學せん。
是の如き等の大士、
華光佛の所化ならん。
・
仏、王子爲〔た〕らん時、
國を棄て世の榮を捨てて、
最末後の身に於て、
出家して佛道を成ぜん。
・
華光佛は世に住すること、
壽十二小劫、
其の國の人民衆は、
壽命八小劫ならん。
・
佛の滅度の後、
正法、世に住すること、
三十二小劫、
廣く諸の衆生を度せん。
・
正法、滅盡し已つて、
像法三十二ならん。
舍利、廣く流布して、
天、人、普く供養せん。
・
華光佛の所爲、
其の事、皆、是の如し。
其の兩足聖尊、
最勝にして倫匹無けん。
・
彼、即ち是れ汝が身なり、
宜しく自ら欣慶す應〔べ〕し。』
〇
爾の時に四部の衆、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽等の大衆、舍利弗の佛前において阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心、大いに歡喜し踊躍すること無量なり。
各各に身に著たる所の上衣を脫いで以て佛に供養したてまつる。
釋提桓因、梵天王等、無數の天子と與に、亦、天の妙衣、天の曼陀羅華、摩訶曼陀羅華等を以て佛に供養したてまつる。
所散の天衣、虛空の中に住して自ら廻轉す。
諸天の伎樂百千萬種、虛空の中に於て一事に倶に作し、諸の天華を雨らして是の言を作さく、
「佛、昔、波羅奈に於て初めて法輪を轉じ、今、乃し復、無上最大の法輪を轉じたまふ」と。
〇
其の時に諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言さく、
『昔、波羅奈に於て、
四諦の法輪を轉じ、
分別して諸法の、
五衆の生滅を說きたまひき。
・
今、復、最妙無上の
大法輪を轉じたまふ。
是の法は甚だ深奥にして、
能く信ずる者、有ること少〔稀〕れなり。
・
我等、昔從り來〔このかた〕、
數〔しばしば〕世尊の說を聞きたてまつるに、
未だ曾て是の如き、
深妙の上法を聞かず。
・
世尊、是の法を說きたまふに、
我等、皆、隨喜す。
大智舍利弗、
今、尊記を受くることを得たり。
・
我等も亦、是の如く、
必ず當に作佛して、
一切世間に於て、
最尊にして上有ること無きことを得べし。
・
佛道は思議し叵(難)し、
方便して宜しきに隨つて說きたまふ。
我が所有の福業、
今世、若しは過世、
・
及び見佛の功德、
盡く佛道に廻向す。』
〇
爾の時に舍利弗、佛に白して言さく、
「世尊、我、今、復、疑悔無し。
親〔このあた〕り佛前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。
是の諸の千二百の心自在なる者、昔、學地に住せしに、佛、常に敎化して言わく、
「我が法は能く生、老、病、死を離れて涅槃を究竟す」と。
是の學、無學の人、亦、各、自ら我見、及び有無の見等を離るるを以て、涅槃を得たりと謂へり。
而るに今、世尊の前に於て、未だ聞かざる所を聞いて、皆、疑惑に墮しぬ。
善哉、世尊、願はくは四衆の爲に、其の因緣を說いて疑悔を離れしめたまへ。」
〇
爾の時に佛、舍利弗に告げたまはく、
「我、先に諸佛世尊の種種の因緣、譬喩、言辭を以て方便して法を說きたまふは、皆、阿耨多羅三藐三菩提の爲なりと言はずや。
是の諸の所說は皆、菩薩を化せんが爲の故なり。
然も舍利弗、今、當に復、譬喩を以て更に此の義を明かすべし。
諸の智有らん者は、譬喩を以て解〔さと〕ることを得ん。
舍利弗、國〔こく〕邑〔おふ〕聚〔じゆ〕落〔らく〕に大長者有り。
其の年、衰邁して、財富無量なり。
多く田宅、及び諸の僮僕有り。
其の家、廣大にして唯一門のみ有り。
諸の人衆、多くして一百、二百、乃至五百人、其の中に止住せり。
堂閣、朽ち故り、
墻〔しやう〕壁〔びやく〕、頽れ落ち、
柱根、腐ち敗れ、
梁棟、傾き危ふし。
周〔しう〕帀〔さふ(匝)〕して倶〔く〕時〔じ〕に欻然に火、起こって、舍宅を焚〔ばん〕燒〔ぜう〕す。
長者の諸子、若しは十、二十、或は三十に至るまで此の宅の中に在り。
長者、是の大火の四面從り起こるを見て、即ち大いに恐怖して是の念を作さく、
「我、能く此の所燒の門より安穩に出づることを得たりと雖も、
而も諸子等は、火宅の内に於て嬉戲に樂著して、
覺えず、
知らず、
驚かず、
怖ぢず。
火、來つて身を逼め、苦痛、己を切〔せ〕むれども心、厭患せず。
出でんと求むる意、無し。」
舍利弗、是の長者、是の思惟を作さく、
「我、身手に力有り。
當に衣〔え〕祴〔こく〕を以てや、
若しは几案をもってや、
舍從り之れを出すべき。」
復、更に思惟すらく、
「是の舍、唯一門のみ有り、
而も復、狹小なり。
諸子、幼稚にして未だ識る所有らず、戲處に戀著せり。
或は當に墮落して火に燒かるべし。
我、當に爲に怖畏の事を說くべし。
此の舍、已に燒く、
宜しく時に疾く出でて、
火に燒害せられしむること無かるべし。」
此の念を作し已つて、思惟する所の如く、具さに諸子に告ぐ、
「汝等、速かに出でよ」と。
父、憐愍して善言をもつて誘喩すと雖も、而も諸子等、嬉戲に樂著し肯〔あへ〕て信受せず。
驚かず、畏れず、了〔つひ〕に出づる心、無し。
亦復、何者か是れ火、何者か爲れ舍、云何なるをか失ふと爲づくるをや知らず。
但、東西に走り戲れて父を視て已みぬ。
爾の時に長者、即ち是の念を作さく、
「此の舍、已に大火に燒かる。
我、及び諸子、若し時に出でずんば必ず焚かれん。
我、今當に方便を設けて、
諸子等をして、斯の害を免るることを得せしむべし。」
父、諸子の先心に各、好む所有り、種種の珍玩奇異の物には情、必ず樂著せんと知つて、之れに告げて言はく、
「汝等が玩び好む所は希有にして得難し。
汝、若し取らずんば後に必ず憂悔せん。
此の如き種種の羊車、
鹿車、
牛車、今、門外に在り。
以て遊戲すべし。
汝等、此の火宅より宜しく速かに出で來るべし。
汝が所欲に隨つて皆、當に汝に與ふべし。」
爾の時に諸子、父の所說の珍玩の物を聞くに、其の願ひに適へるが故に、心、各、勇鋭して互ひに相ひ推排し、競うて共に馳走し、爭うて火宅を出ず。
是の時に長者、諸子等の安穩に出ずることを得て、皆、四衢道の中の露地に於て坐して、復、障礙無きを見て、其の心、泰然として歡喜踊躍す。
時に諸子等、各、父に白して言さく、
「父、先に許したまふ所の、
玩好の具の羊車、
鹿車、
牛車、願はくは時に賜與したまへ。」
舍利弗、爾の時に長者、各、諸子に等一の大車を賜ふ。
其の車、高廣にして衆寶莊校し、周匝して欄楯あつて、四面に鈴を懸けたり。
又、其の上に於て、幰〔けん〕蓋〔がい〕を張り設けたり。
亦、珍奇の雜寶を以て之れを嚴飾せり。
寶繩絞絡して、處の華瓔を垂れ、婉筵を重ね敷き、丹枕を安置す。
駕するに白牛を以てす。
膚色、充潔に形体、姝好にして大筋力あり。
行步、平正にして其の疾きこと風の如し。
又、僕從多くして之れを侍衞せり。
所以は何。
是の大長者は財富無量にして、種種の庫藏、悉く皆、充溢せり。
而も是の念を作さく、
「我が財物、極まり無し。
下劣の小車を以て、諸子等に與ふ應からず。
今、此の幼童は皆、是れ吾が子なり。
愛するに偏黨無し。
我、是の如き七寶の大車有つて、其の數無量なり。
應〔ま〕當〔さ〕に等心にして各各に之れを與ふべし。
宜しく差別すべからず。
所以は何。
我が此の物を以て周く一國に給すとも、
猶、匱(乏)しからず。
何〔いか〕に況や、諸子をや。」
是の時に諸子、各、大車に乘つて未曾有なることを得て、本の所望に非ざるが若(如)し。
舍利弗、汝が意に於て云何、是の長者、等しく諸子に珍寶の大車を與ふること、寧ろ虛妄有りや不(否)や。」
〇
舍利弗の言さく、
「不なり、世尊。
是の長者、但、諸子をして火難を免れ、其の軀命を全うすることを得せしむとも、是れ虛妄に非ず。
何を以ての故に。
若し身命を全うすれば、便ち爲れ已に玩好の具を得たるなり。
況や復、方便して彼の火宅より而も之れを拔濟せんをや。
世尊、若し是の長者、乃至最小の一車を與へずとも、猶、虛妄ならず。
何を以ての故に。
是の長者、先に是の意を作さく、
「我、方便を以て子をして出づることを得せしめん」と。
是の因緣を以て虛妄なし。
何に況や、長者自ら財富無量なりと知つて、諸子を饒益せんと欲して等しく大車を與ふるをや。」
〇
佛、舍利弗に告げたまはく、
「善哉善哉、汝が所言の如し。
舍利弗、如來も亦復、是の如し。
則ち爲れ一切世閒の父なり。
諸の怖畏、衰惱、憂患、無明、闇蔽に於て永く盡くして餘、無し。
而も悉く無量の知見、力、無所畏を成就し、大神力、及び智慧力有つて、方便、智慧波羅蜜を具足せり。
大慈大悲、常に懈倦無く、恒に善事を求めて一切を利益す。
而も三界の朽ち故りたる火宅に生ずることは、衆生の生、
老、
病、
死、
憂悲、
苦惱、
愚癡、
暗蔽、
三毒の火を度して、敎化して阿耨多羅三藐三菩提を得せしめんが爲なり。
諸の衆生を見るに、生、老、病、死、憂悲、苦惱に燒煮せられ、
亦、五欲財利を以ての故に種種の苦を受く。
又、貪著し、追求するを以ての故に、現には衆苦を受け、後には地獄、畜生、餓鬼の苦を受く。
若し天上に生れ、及び人間に在つては貧窮困苦、
愛別離苦、
怨憎會苦、是の如き等の種種の諸苦あり。
衆生、其の中に沒在して歡喜し遊戲して、覺へず知らず、
驚かず怖ぢず、
亦、厭ふことを生さず、解脫を求めず。
此の三界の火宅に於て、東西に馳走して、大苦に遭ふと雖も爲れを以て患へとせず。
舍利弗、佛、此れを見已つて、便ち是の念を作さく、
「我は爲れ、衆生の父なり。
應〔まさ〕に其の苦難を拔き、
無量無邊の佛智慧の樂を與へて、
其れをして遊戲せしむべし。」
舍利弗、如來、復、是の念を作さく、
「若し我、但、神力、及び智慧力を以て、
方便を捨てて、
諸の衆生の爲に如來の知見、力、無所畏を讚めば、
衆生、是れを以て得度すること能はじ。
所以は何。
是の諸の衆生、
未だ生、老、病、死、憂悲、苦惱を免れず、
三界の火宅に燒かる。
何に由つてか能く佛の智慧を解らん。」
舍利弗、彼の長者の復、身手に力有りと雖も而も之れを用ひず、但、慇懃の方便を以て諸子の火宅の難を勉濟して、然る後、各、珍寶の大車を與ふるが如く、如來も亦復、是の如し。
力、無所畏有りと雖も、而も之れを用ひず。
但、智慧方便を以て、三界の火宅より衆生を拔濟せんとして、爲に三乘の聲聞、辟支佛、佛乘を說く。
而も是の言を作さく、
「汝等、樂つて三界の火宅に住することを得ること莫かれ。
麁〔そ〕弊〔へい〕の色、
聲、
香、
味、
觸を貪ること勿れ。
若し貪著して愛を生ぜば、則ち爲れ燒かれん。
汝等、速かに三界を出でて、
當に三乘の聲聞、辟支佛、佛乘を得べし。
我、今、汝が爲に此の事を保任す。
終に虛しからじ。
汝等、但、當に勤修精進すべし。」
如來、是の方便を以て衆生を誘進す。
復、是の言を作さく、
「汝等、當に知るべし、
此の三乘の法は皆、是れ聖の稱嘆したまふ所なり。
自在無繫にして依求する所無し。
是の三乘に乘じて、無漏の根、
力、
覺、
道、
禪定、
解脫、
三昧等を以て而も自ら娯樂して、便ち無量の安穩快樂を得べし。」
舍利弗、若し衆生有り、内に智性有つて、佛世尊に從つて、法を聞いて信受し、慇懃に精進し、速かに三界を出でんと欲して、自ら涅槃を求むる、是れを聲聞乘と名づく。
彼の諸子の羊車を求むるが爲に火宅を出づるが如し。
若し衆生有り、佛世尊に從つて、法を聞いて信受し、慇懃に精進し、自然慧を求め、獨善寂を樂ひ、深く諸法の因緣を知る、是れを辟支佛乘と名づく。
彼の諸子の鹿車を求むるが爲に火宅を出づるが如し。
若し衆生有り、佛世尊に從つて、法を聞いて信受し、勤修精進して一切智、佛智、自然智、無師智、如來の知見、力、無所畏を求め、無量の衆生を愍念安樂し、天、人を利益し、一切を度脫す。是れを大乘と名づく。
菩薩、此の乘を求むるが故に名づけて摩訶薩と爲す。
彼の諸子の牛車を求むるが爲に火宅を出づるが如し。
舍利弗、彼の長者の、諸子等の安穩に火宅を出づることを得て、無畏の處に到るを見て、自ら財富無量なることを惟(思)うて、等しく大車を以て諸子に賜ふが如く、如來も亦復、是の如し。
爲れ一切衆生の父なり。
若し無量億千の衆生の、佛敎の門を以て、三界の苦、怖畏の險道を出で、涅槃の樂を得るを見ては、如來、爾の時に便ち是の念を作さく、
「我に無量無邊の智慧、力、無畏等の諸佛の法藏有り。
是の處の衆生は皆、是れ我が子なり。
等しく大乘を與ふべし。
人として獨り滅度を得ること有らしめじ。
皆、如來の滅度を以て之れを滅度せん。」
是の諸の衆生の三界を脫れたる者には、悉く諸佛の禪定、解脫等の娯樂の具を與ふ。
皆、是れ一相一種にして、聖の稱嘆したまふ所なり。
能く淨妙第一の樂を生ず。
舍利弗、彼の長者の、初め三車を以て諸子を誘引し、然る後、但、大車の寶物、莊嚴し安穩第一なるを與ふるに、然も彼の長者、虛妄の咎無きが如く、如來も亦復、是の如し。
虛妄有ること無し。
初め三乘を說いて衆生を引導し、然る後、但、大乘を以て之れを度脫す。
何を以ての故に。
如來は無量の智慧、力、無所畏、諸法の藏有つて、能く一切衆生に大乘の法を與ふ。
但、盡くして能く受けず。
舍利弗、是の因緣を以て當に知るべし、諸佛は方便力の故に、一佛乘に於て分別して三と說きたまふ。」
〇
佛、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を說いて言たまはく、
「譬へば長者、
一の大宅有らんに
其の宅、久しく故りて、
而も復、頓弊し、
・
堂舍高く危く、
柱根摧け朽ち、
梁棟傾き斜〔ゆ〕がみ、
基陛頽れ毀ぶれ、
・
墻壁圯(破)れ坼(裂)け、
泥塗褫け落ち、
覆苫亂れ墜ち、
椽梠差〔たが〕ひ脫け、
・
周障屈曲して、
雜穢充徧せり。
五百人有つて、
其の中に止住す。
・
鴟〔し〕、梟〔けう〕、雕〔てう〕、鷲〔じゆ〕、
烏〔う〕、鵲〔じやく〕、鳩〔く〕、鴿〔がふ〕、
蚖〔ぐわん〕、蛇〔じや〕、蝮〔ぶく〕、蠍〔かつ〕、
蜈〔ご〕‘蚣〔く〕、蚰〔ゆ〕蜒〔えん〕、(蚣字、公が松)
・
守〔しゆ〕宮〔ぐう〕、百〔ひやく〕足〔そく〕、
鼬〔ゆ〕、貍〔り〕鼷〔けい〕、鼠〔そ〕
諸の惡蟲の輩、
交横馳走す。
・
屎尿の臭き處、
不淨、流れ溢ち、
蜣〔がう〕蜋〔らう〕、諸蟲、
而も其の上に集まれり。
・
狐、狼、野干、
咀嚼、踐〔せん〕蹋〔たふ〕し、
死屍を嚌〔さい〕齧〔げつ〕して、
骨肉狼藉し、
・
是れに由つて羣狗、
競ひ來つて搏撮し、
飢〔け〕羸〔るゐ〕慞〔しやう〕惶〔わう〕して、
處處に食を求め、
・
闘諍揸〔しや〕掣〔せい〕し、
啀〔がい〕喍〔ざい〕嗥〔こう〕吠〔ばい〕す。
其の舍の恐怖、
變狀、是の如し
・
處處に皆、
魑、魅、魍、魎有り。
夜叉、惡鬼、
人の肉を食〔じき〕噉〔だん〕す。
・
毒蟲の屬〔たぐ〕ひ、
諸の惡禽獸、
孚〔ふ〕乳〔にう〕産生して、
各、自ら藏(隱)し護る。
・
夜叉、競ひ來つて、
爭ひ取つて之れを食す。
之れを食して既に飽きぬれば、
惡心轉〔うた〕た熾んにして、
・
闘諍の聲、
甚だ怖畏す可し。
鳩〔く〕槃〔はん〕荼〔だ〕鬼〔き〕、
土〔ど〕埵〔だ〕に蹲〔ぞん〕踞〔こ〕せり。
・
或る時は地を離るること、
一尺二尺、往返遊行し、
縱〔ほしい〕逸〔まま〕に嬉戲す。
・
狗の兩足を捉つて、
撲〔う〕つて聲を失はしめ、
脚を以て頸に加へて、
狗を怖どして自ら樂しむ。
・
復、諸の鬼、有り、
其の身、長大に、
躶形、黑痩にして、
常に其の中に住せり。
・
大惡聲を發して、
叫び呼んで食を求む。
復、諸の鬼、有り、
其の咽、針の如し。
・
復、諸の鬼、有り、
首、牛頭の如し、
或は人の肉を食し、
或は復、狗を噉らふ。
・
頭髮、蓬亂して、
殘害兇險なり。
饑渇に逼められて、
叫喚馳走す。
・
夜叉、餓鬼、
諸の惡鳥獸、
饑急にして四(四方)に向かひ、
窗〔さう〕牖〔ゆう〕を窺ひ看る。
・
是の如き諸難、
恐畏無量なり。
是の朽ち故りたる宅は、
一人に屬せり。
・
其の人、近く出で、
未だ久しからざるの閒に、
後に宅舍に、
忽然、火、起こり、
・
四面、一時に、
其の焰、俱に熾んなり。
棟梁、椽柱、
爆〔はた〕めく聲、震ひ裂け、
・
摧け折れ墮ち落ちて、
墻壁、崩れ倒ふる。
諸の鬼神等、
聲を揚げて大いに叫び、
・
雕、鷲、諸鳥、
鳩槃荼等、
周慞惶怖して、
自ら出づること能はず。
・
惡獸毒蟲、
孔穴に藏れ竄〔かく〕れ、
毘舍闍鬼、
亦、其の中に住せり。
・
福德、薄きが故に、
火に逼められ、
共に相ひ殘害して、
血を飮み肉を噉らふ。
・
野干の屬ひ、
並びに已に前〔さ〕きに死す。
諸の大惡獸、
競ひ來つて食噉す。
・
臭煙蓬〔ぶ〕㶿〔ぼつ〕して、
四面に充塞す。
蜈‘蚣、蚰蜒、
毒蛇の類ひ、
・
火に燒かれて、
爭ひ走つて穴を出づ。
鳩槃荼鬼、
隨ひ取つて而も食らふ。
・
又、諸の餓鬼、
頭上に火、燃え、
飢渇熱惱して、
周慞悶走す。
・
其の宅、是の如く、
甚だ怖畏す可し、
毒害火災、
衆難、一に非ず。
・
是の時に宅主、
門外に在つて立つて、
有る人の言をを聞く、
「汝が諸子等、
・
先きに遊戲せるに因つて、
此の宅に來入し、
稚小無知にして、
歡娯樂著せり」と。
・
長者、聞き已つて、
驚いて火宅に入る。
方〔ま〕さに宜しく救濟して、
燒害、無から令〔し〕むべし。
・
諸子に告〔がう〕喩〔ゆ〕して、
衆ろの患難を說く、
「惡鬼、毒蟲、
災火蔓延せり。
・
衆苦次第に、
相續して絕えず。
毒蛇、蚖蝮、
及び、諸の夜叉、
・
鳩槃荼鬼、
野干、狐、狗、
雕、鷲、鵄、梟、
百足の屬ひ、
・
飢渇の惱み急にして、
甚だ怖畏す可し。
此の苦すら處し難し、
況や復、大火をや。」
・
諸子、無知にして、
父の誨(敎)へを聞くと雖も、
猶〔な〕故〔ほ〕、樂著して、
嬉戲すること已まず。
・
是の時に長者、
而も是の念を作さく、
「諸子、是の如く、
我が愁惱を益す。
・
今、此の舍宅は、
一として樂しむ可き無し。
而るに諸子等、
嬉戲に耽〔たん〕湎〔めん〕して、
・
我が敎へを受けず、
將に火に害せられんとす。」
即ち思惟して、
諸の方便を設けて、
・
諸子等に告ぐ、
「我に種種の、
珍玩の具の、
妙寶の好車有り。
・
羊車、鹿車、
大牛の車なり。
今、門外に在り、
汝等、出で來れ。
・
吾、汝等が爲に、
此の車を造作せり。
意の所樂に隨つて、
以て遊戲す可し。」
・
諸子、
此の如き諸の車を說くを聞いて、
即時に奔競して、
馳走して出で、
・
空地に到って、
諸の苦難を離る
長者、子の火宅を出づることを得て、
四衢に住するを見て、
・
師子の座に坐せり。
而して自ら慶んで言はく、
「我、今、快樂なり。
此の諸子等、
・
生育すること甚だ難し。
愚小無知にして、
而も險宅に入れり。
諸の毒蟲多く、
・
魑魅、畏る可し。
大火猛焰、
四面に俱に起これり。
而るに此の諸子、
・
嬉戲に貪著せり。
我、已に之れを救ひて、
難を脫ることを得せしめたり。
是の故に諸人、
・
我、今快樂なり」と。
爾の時に諸子、
父の安坐せるを知つて、
皆、父の所に詣〔いた〕つて、
・
父に白して言さく、
「願はくは我等に、
三種の寶車を賜へ。
前に許したまふ所の如き、
・
諸子、出で來れ、
當に三車を以て、
汝が所欲に隨ふべしと。
今、正に是れ、時なり。
・
惟、給與を垂れたまへ。」
長者、大いに富んで、
庫藏、衆多なり。
金銀瑠璃、
・
硨磲、碼碯、
衆ろの寶物を以て、
諸の大車を造れり。
莊校嚴飾し、。
・
周匝して欄楯あり。
四面に鈴を懸け、
金繩絞絡して、
眞珠の羅網、
・
其の上に張り施し、
金華の諸纓、
處處に垂れ下せり。
衆彩雜飾し、
・
周匝圍遶せり。
柔輭の繒〔でう〕纊〔こう〕
以て茵〔しと〕蓐〔ね〕と爲し、
上妙の細疊、
・
價直千億にして、
鮮白淨潔なる、
以て其の上に覆へり。
大白牛有り、
・
肥壯多力にして、
形體姝好なり。
これを以て寶車を駕せり。
諸の儐從、多くして、
・
而も之れを侍衞せり。
是の妙車を以て、
等しく諸子に賜ふ。
諸子、是の時、
・
歡喜踊躍して、
是の寶車に乘つて、
四方に遊び、
嬉戲快樂して、
・
自在無礙ならんが如し。
舍利弗に告ぐ、
我も亦、是の如し、
衆聖の中の尊、
・
世閒の父なり。
一切衆生は、
皆、是れ吾が子なり。
深く世樂に著して、
・
慧心あること無し。
三界は安きこと無し、
猶、火宅の如し、
衆苦充滿して、
・
甚だ怖畏す可し。
常に生、老、病、死の
憂患有り。
是の如き等の火、
・
熾然として息まず。
如來は已に、
三界の火宅を離れて、
寂然として閑居し、
・
林野に安處せり。
今、此の三界は、
皆、是れ我が有なり。
其の中の衆生は、
・
悉く是れ吾が子なり。
而も今、此の處は、
諸の患難多し。
唯、我、一人のみ、
・
能く救護を爲す。
復、敎詔すと雖も、
而も信受せず。
諸の欲染に於て、
・
貪著、深きが故に。
是を以て方便して、
爲に三乘を說き、
諸の衆生をして、
・
三界の苦を知らしめ、
出世閒の道を、
開示し演說す。
是の諸子等、
・
若し心、決定しぬれば、
三明、
及び六神通を具足し、
緣覺、
・
不退の菩薩を得ること有り。
汝、舍利弗、
我、衆生の爲に、
此の譬喩を以て、
・
一佛乘を脫く。
汝等、若し能く、
是の語を信受せば、
一切、皆、當に、
・
佛道を成ずることを得べし。
是の乘は微妙にして、
淸淨第一なり。
諸の世間に於て、
・
爲めて上、有ること無し。
佛の悅可したまふ所、
一切衆生の稱讚し、
供養し禮拜すべき所なり。
・
無量億千の、
諸力、解脫、
禪定、智慧、
及び佛の餘の法あり。
・
是の如きの乘を得せしめて、
諸子等をして、
日夜劫數に、
常に遊戲することを得、
・
諸の菩薩、
及び聲聞衆と、
此の寶乘に乘じて、
直ちに道場に至らしむ。
・
是の因緣を以て、
十方に諦かに求むるに、
更に餘乘無し、
佛の方便をば除く。
・
舍利弗に告ぐ、
汝、諸人等は、
皆、是れ吾が子なり。
我は則ち是れ父なり。
・
汝等、累劫に、
衆苦に燒かる。
我、皆、濟拔して、
三界を出でしむ。
・
我、先に、
汝等、滅度すと說くと雖も、
但、生死を盡くして、
而も實には滅せず。
・
今の應に作すべき所は、
唯、佛の智慧なり。
若し菩薩有らば、
是の衆の中に於て、
・
能く一心に、
諸佛の實法を聽け。
諸佛世尊は、
方便を以てしたまふと雖も、
・
所化の衆生は、
皆、是れ菩薩なり。
若し人、小智にして、
深く愛欲に著せる、
・
此れ等の爲の故に、
苦諦を說きたまふ。
衆生、心に喜んで、
未曾有なることを得。
・
仏の說きたまふ苦諦は、
眞實にして異、無し。
若し衆生有つて、
苦の本を知らず。
・
深く苦の因に著して、
暫くも捨つること能はず。
是れ等の爲の故に、
方便して道を說きたまふ。
・
諸苦の所因は、
貪欲、爲れ本なり。
若し貪欲を滅すれば、
依止する所無し。
・
諸苦を滅盡するを、
第三の諦と名づく。
滅諦の爲の故に、
道を修行す。
・
諸の苦縛を離るるを、
解脫を得と名づく。
是の人、何に於てか、
而も解脫を得る。
・
但、虛妄を離るるを、
名づけて解脫と爲す。
其れ實には未だ、
一切の解脫を得ず。
・
佛、是の人は、
未だ實に滅度せずと說きたまふ。
斯の人、未だ、
無上道を得ざるが故に、
・
我が意にも、
滅度に至らしめたりと欲〔おも〕はず。
我は爲れ法王、
法に於て自在なり。
・
衆生を安穩ならしめんが故に、
世に現ず。
汝、舍利弗、
我が此の法印は、
・
世閒を利益せんと、
欲するが爲の故に說く。
所遊の方に在つて、
妄りに宣傳すること勿れ。
・
若し聞くこと有らん者、
隨喜し頂受せば、
當に知るべし、是の人は、
阿〔あ〕惟〔ゆゐ〕越〔をつ〕致〔ち〕なり。
・
若し此の經法を、
信受すること有らん者は、
是の人は已に曾て、
過去の佛を見たてまつつて、
・
恭敬供養し、
亦、是の法を聞けるなり。
若し人、能く、
汝が所說を信ずること有らんは、
・
則ち爲れ、我を見、
亦、汝、
及び比丘僧、
幷びに諸の菩薩を見るなり。
・
斯の法華經は、
深智の爲に說く。
淺識は之れを聞いて、
迷惑して解らず。
・
一切の聲聞、
及び辟支佛は、
此の經の中に於て、
力、及ばざる所なり。
・
汝、舍利弗、
尚、此の経に於ては、
信を以て入ることを得たり、
況や餘の聲聞をや。
・
其の餘の聲聞も、
佛語を信ずるが故に、
此の經に隨順す、
己が智分に非ず。
・
又、舍利弗、
憍慢、懈怠、
我見を計する者には、
此の経を說くこと莫かれ。
・
凡夫の淺識にして、
深く五欲に著せるは、
聞くとも解ること能はじ、
亦、爲に說くこと勿れ。
・
若し人、信ぜずして、
此の經を毀謗せば、
則ち一切、
世閒の佛種を斷ぜん。
・
或は復、顰蹙して、
而も疑惑を懷かん、
汝、當に、
此の人の罪報を說くを聽くべし。
・
若しは佛の在世にもあれ、
若しは滅度の後にもあれ、
其れ斯の如き、
經典を誹謗すること有らん。
・
經を讀誦し、
書持すること有らん者を見て、
輕賤憎嫉して、
而も結恨を懷かん。
・
此の人の罪報を、
汝、今、復、聽くべし。
其の人、命終して、
阿鼻獄に入らん。
・
一劫を具足して、
劫盡きなば更〔ま〕た生れん。
是の如く展轉して、
無數劫に至らん。
・
地獄より出でば、
當に畜生に墮つべし。
若し狗、野干としては、
その形ち、‘乞〔こつ〕痩〔しゆ〕し、(乞に頁)
・
黧〔り〕黮〔たん〕疥〔け〕癩〔らい〕にして、
人に觸〔そく〕嬈〔ねう〕せられ、
又復、人に、
惡賤せられん。
・
常に饑渇に困(苦)んで、
骨肉枯〔こ〕竭〔けつ〕せん。
生きては楚毒を受け、
死しては瓦〔ぐわ〕石〔じやく〕を被らん。
・
佛種を斷ずるが故に、
斯の罪報を受けん。
若しは駱駝と作り、
或は驢の中に生れて、
・
身に常に重きを負ひ、
諸の杖捶を加へられん。
但、水草を念うて、
餘は知る所無けん。
・
斯の經を謗ずるが故に、
罪を獲ること是の如し。
有るひは野干と作つて、
聚落に來入せば、
・
身體、疥癩にして、
又、一目無からん。
諸の童子に、
打擲せられ、諸の苦痛を受けて、
・
或る時は死を致さん。
此に死し已つて、
更に蟒〔まう〕身〔しん〕を受けん。
其の形、長大にして、
・
五百由旬ならん。
聾〔ろう〕騃〔がい〕無足にして、
‘宛〔ゑん〕轉〔てん〕腹行し、(足に宛)
諸の小蟲に、
・
唼〔せう〕食〔じき〕せられて、
晝夜、苦を受くるに、
休息有ること無けん。
斯の經を謗するが故に、
・
罪を獲ること是の如し。
若し人と爲ることを得ては、
諸根闇鈍にして、
矬〔ざ〕陋〔る〕攣〔れん〕躄〔びやく〕、
・
盲聾背傴〔う〕ならん。
言說する所、有らんに、
人、信受せず。
口の氣(息)、常に臭く、
・
鬼魅に著せられん。
貧窮下賤にして、
人に使はれ、
多病瘠痩にして、
・
依怙する所無く、
人に親附すと雖も、
人、意に在〔お〕かず。
若し所得、有らば、
・
尋〔つ〕いで復、忘失せん。
若し醫道を修して、
方に頓(順)じて病を治せば、
更に他の疾を增し、
・
或は復、死を致さん。
若し自ら病有らば、
人の救療するもの無く、
設〔たと〕ひ良藥を服すとも、
・
而も復、增劇せん。
若しは他の反逆し、
抄劫し竊盗せん。
是の如き等の罪、
・
横ざまに其の殃〔わざはひ〕に羅らん。
斯の如き罪人は、
永く佛、
衆聖の王の、
・
說法敎化したまふを見たてまつらず。
斯の如きの罪人は、
常に難處に生まれ、
狂聾心亂にして、
・
永く法を聞かず。
無數劫の、
恒河沙の如きに於て、
生まれては輒〔すなは〕ち聾啞にして、
諸根不具ならん。
・
常に地獄に處〔あ〕ること、
園觀に遊ぶが如く、
餘の惡道に在ること、
己が舍宅の如く、
・
駝、驢、猪、狗、
是れ其の行處ならん。
斯の經を謗するが故に、
罪を獲ること是の如し。
・
若し人と爲ることを得ては、
聾、盲、瘖、瘂にして、
貧窮諸衰、
これを以て自ら莊嚴し、
・
水腫乾瘡、
疥癩癰疽、
是の如き等の病、
これを以て衣服と爲さん。
・
身、常に臭きに處して、
垢穢不淨に、
深く我見に著して、
瞋恚を增益し、
・
婬欲熾盛にして、
禽獸を擇ばじ。
斯の經を謗ずるが故に、
罪を獲ること是の如し。
・
舍利弗に告ぐ、
此の經を謗ぜん者、
若し其の罪を說かんに、
劫を窮むとも盡きじ。
・
是の因緣を以て、
我、故〔ことさら〕に汝に語る。
無智の人の中に、
此の經を說くこと莫かれ。
・
若し利根にして、
智慧明了に、
多聞强識にして、
佛道を求むる者、有らん。
・
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
若し人、曾て、
億百千の佛を見たてまつりて、
・
諸の善本を植ゑ、
深心堅固ならん。
是の如き人には、
乃ち爲に說く可し。
・
若し人、精進して、
常に慈心を修し、
身命を惜まざらんには、
乃ち爲に說く可し。
・
若し人、恭敬して、
異心有ること無く、
諸の凡愚を離れて、
獨り山澤に處せん。
・
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
又、舍利弗、
若し人有つて、
・
惡知識を捨てて、
善友に親近するを見ん。
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
・
若し佛子の、
持戒淸潔にして、
淨明珠の如くにして、
大乘經を求むるを見ん。
・
是の如きの人には、
乃ち爲めに說く可し。
若し人、瞋り無く、
質直柔軟にして、
・
常に一切を愍れみ、
諸佛を恭敬せん。
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
・
復、佛子、
大衆の中に於て、
淸淨の心を以て、
種種の因緣、
・
譬喩、言辭をもつて、
說法すること無礙なる有らん。
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
・
若し比丘の、
一切智の爲に、
四方に法を求めて、
合掌し頂受し、
・
但、樂つて、
大乘經典を受持して、
乃至、
餘經の一偈をも受けざる有らん。
・
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
人の至心に、
佛舍利を求むるが如く、
・
是の如く經を求め、
得已つて頂受せん、
其の人、復、
餘經を志求せず、
・
亦、未だ曾て、
外道の典籍を念ぜざらん。
是の如きの人には、
乃ち爲に說く可し。
・
舍利弗に告ぐ、
我、是の相にして、
佛道を求むる者を說かんに、
劫を窮むとも盡くさじ。
・
是の如き等の人は、
乃ち能く信解せん。
汝、當に爲に、
妙法華經を說くべし。』
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