無量義經說法品第二
底本、「國譯大藏經、經部第一卷」(但し改行施し難読以外の傍訓省略又、一部改変)
奥書云、
大正六年六月廿三日印刷、同廿六日發行。昭和十年二月二十四日四刷發行。
發行者、國民文庫刊行會
說法品第二
爾の時に大莊嚴菩薩摩訶薩、八萬の菩薩摩訶薩と與に、是の偈を說いて、佛を讚むること已つて、俱に佛に白〔まを〕して言さく、
「世尊、我等、八萬の菩薩の衆、今、如來の法の中に於て、諮問する所あらんと欲す。
不審、世尊、愍聴を垂れたまはんや、不(否)や。」
〇
佛、大莊嚴菩薩、及び八萬の菩薩に告げて言たまはく、
「善哉、善哉。
善男子、善く是れ、時なることを知れり。
汝の所問を恣にせよ。
如來は久しからずして當に般涅槃すべし。
涅槃の後、普く一切をして復、餘の疑ひ無からしめん。
何の所問をか欲するや、便ち之れを說く可し。」
〇
是〔ここ〕に大莊嚴菩薩、八萬の菩薩と與に、即ち共に聲を同うして、佛に白して言さく、
「世尊、菩薩摩訶薩、疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得んと欲せば、應〔ま〕當〔さ〕に何等の法門をか修行すべき。
何等の法門か能く菩薩摩訶薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしむる。」
〇
佛、大莊嚴菩薩、及び八萬の菩薩に告げて言たまはく、
「善男子、一の法門有りて、能く菩薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得せしむ。
若し菩薩あつて、是の法門を學せば、則ち能く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。」
〇
「世尊、是の法門は、字(名)をば何等と號(名)づくるや。
其の義、云〔いか〕何〔ん〕。
菩薩、云〔いか〕何〔ん〕が修行せんや。」
〇
佛、言たまはく、
「善男子、是の一の法門は、名づけて無量義と爲す。
菩薩、無量義を修學することを得んと欲せば、應當に一切の諸法は、
本、
來、
今、性相空寂にして、
大無く、小無く、
生無く、滅無く、
住に非ず、動に非ず、
進ならず、退ならず、
猶、虛空の如し、二法有ること無し、而も諸の衆生は、虛妄をもつて横さまに是れは此れ、
是れは彼れ、
是れは得、
是れは失なりと計して、不善の念を起こし、
諸の惡業を造り、
六趣に輪廻して、諸の苦毒を受け、
無量億劫にも、自ら出づること能はずと觀察すべし。
菩薩摩訶薩、是の如く諦(顯)かに觀じて、憐愍の心を生じ、大慈悲を發して、救拔せんと將欲せよ。
又、復、深く一切の諸法に入れ。
法の相は是の如くして、是の如きの法を生じ、
法の相は是の如くして、是の如きの法を住し、
法の相は是の如くして、是の如きの法を異し、
法の相は是の如くして、是の如きの法を滅す。
法の相は是の如くして、能く惡法を生じ、
法の相は是の如くして、能く善法を生ず。
住と異と滅も亦復、是の如し。
菩薩、是の如く四相の始末を觀察して、悉く遍く知り已んぬれば、次に復、諦かに一切の諸法は念念に住せず、新新に生滅すと觀ぜよ。
復、即時に生、住、異、滅すと觀ぜよ。
是の如く觀じ已つて、而も衆生の諸の根性欲に入れ。
性欲無量なるが故に、說法無量なり。
說法無量なるが故に義、亦、無量なり。
無量義とは一法より生ず。
其の一法とは即ち無相なり。
是の如き無相は相無くして相ならず。
相ならずして相無きを名づけて實相とす。
菩薩摩訶薩は、是の如きの眞實の相に安住し已つて、發する所の慈悲は、明諦にして虛しからず、衆生の所に於て、眞に能く苦を拔く。
苦、既に拔き已れば、復、爲めに法を說いて、諸の衆生をして快樂を受けしむ。
善男子、菩薩、若し能く是の如く一切の法門無量義を修する者は、必ず疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。
善男子、是の如き甚深の無上大乘無量義經は、文理眞正なり、
尊にして過上なし、
三世の諸佛の共に守護したまふ所なり。
衆魔群道、得入すること有ること無し。
一切の邪見生死に壞敗せられず。
是の故に善男子、菩薩摩訶薩、若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、應當に是の如き甚深の無上大乘無量義經を修學すべし。」
〇
爾の時に大莊嚴菩薩、復、佛に白して言さく、
「世尊、世尊の說法は不可思議なり。
衆生の根性、亦、不可思議なり。
法門解脫、亦、不可思議なり。
我等は佛の說きたまふ所の諸法に於て、復、疑難無けれども、而も諸の衆生、迷惑の心を生じなんが故に、重ねて世尊に諮〔と〕ひたてまつる。
如來、得道したまふより已〔この〕來〔かた〕四十餘年、常に衆生の爲めに諸法の四相の義、
苦の義、
空の義、
無常、無我、
無大、無小、
無生、無滅、
一相、無相、
法性、法相、
本來空寂、
不來、不去、
不出、不沒を演說したまふ。
若し聞くこと有る者は、或は煗〔なん〕法〔ぽふ〕、
頂法、
世第一法、
須陀洹果、
斯陀含果、
阿那含果、
阿羅漢果、
辟支仏道を得、菩提心を発し、
第一地、第二地、第三地に登り、第十地に至る。
往〔むか〕日〔し〕說きたまふ所の諸法の義と、今の說きたまふ所と、何等の異ること有りてか、而も甚深の無上大乘無量義經のみ菩薩修行すれば、必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言たまふ。
是の、云何。
唯、願はくは世尊、一切を慈哀して、廣く衆生の爲めに、而も之れを分別し、普く現在、及び未來世の法を聞くこと有らん者をして、餘の疑網無からしめたまへ。」
〇
是〔ここ〕に佛、大莊嚴菩薩に告げたまはく、
「善哉、善哉。
大善男子、能く如來に是の如き甚深の無上大乘の微妙の義を問へり。
當に知るべし、汝、能く利益する所、多く、人、天を安樂し、苦の衆生を拔かん。
眞の大慈悲なり、眞實にして虛しからず。
是の因緣を以て、必ず疾く無上菩提を成ずることを得ん。
亦、一切の今世、來世の諸の有らゆる衆生をして、無上菩提を成ずることを得せしめん。
善男子、我、先に道場菩提樹下にて、端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。
佛眼を以て一切の諸法を觀ずるに、宣說す可からず。
所〔ゆ〕以〔ゑ〕は何〔いかん〕、諸の衆生の性欲不同なることを知る。
性欲不同なれば種種に法を說きき。
種種に法を說くこと、方便力を以てす。
四十餘年には未だ眞實を顯はさず。
是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。
善男子、法は譬へば水の能く垢穢を洗ふが如し。
若しは井、
若しは池、
若しは江、
若しは河、渓、渠、大海、皆、悉く能く諸有の垢穢を洗ふ。
其の法水も亦復、是の如し、能く衆生の諸の煩惱の垢を洗ふ。
善男子、水の性は是れ一なれども、江と、
河と、
井と、
池と、
渓と、
渠と、
大海と、各各、別異なり。
其の法性も亦復、是の如し。
塵勞を洗除することは等しくして差別無けれども、三法、四果、二道、一ならず。
善男子、水は俱に洗ふと雖も、而も井は池に非ず、
池は江河に非ず、
渓、渠は海に非ず。
如來世雄は、法に於て自在にして、說く所の諸法も、亦復、是の如し。
初、中、後の說、皆、能く衆生の煩惱を洗除すれども、而も初は中に非ず、
而も中は後に非ず。
初、中、後の說、文辭は一なりと雖も、而も義は各異なり。
善男子、我、樹王を起つて波羅奈、鹿野園の中に詣〔いた〕り、阿若拘隣等の五人の爲めに四諦の法輪を轉ぜし時も、亦、諸法は本來、空寂にして、代謝して住せず、念念に生滅すと說き、
中〔なか〕間〔ごろ〕、此〔ここ〕及び處處に於て、諸の比丘、幷びに、諸の菩薩の爲めに、十二因緣、六波羅密を辯演し宣說せしにも、亦、諸法は本來、空寂にして、代謝して住せず、念念に生滅すと說き、
今、復、此〔ここ〕に於て大乘無量義經を演說するにも、亦、諸法は本來、空寂なり、代謝して住せず、念念に生滅すと說く。
善男子、是の故に初說、中說、後說、文辭は是れ一なれども、而も義は別異なり。
義、異なるが故に、衆生の解、異なり。
解、異なるが故に得法、得果、得道、亦、異なり。
善男子、初に四諦を說いて、聲聞を求むる人の爲めにせしかども、而も八億の諸天、來下して法を聽いて菩提心を發せり。
中ごろ處處に於て、甚深の十二因緣を演說して、辟支仏を求むる人の爲めにせしかども、而も無量の衆生、菩提心を發し、或は聲聞に住しき。
次に方等十二部經、摩訶般若、華嚴海空を說いて、菩薩の歷劫修行を宣說せしかども、而も百千の比丘、萬億の人、天、無量の衆生、須陀洹を得、斯陀含を得、阿那含を得、阿羅漢果を得、辟支佛の因緣の法の中に住しき。
善男子、是の義を以ての故に、故に知るべし、說は同じけれども而も義は別異なり。
義異なるが故に、衆生の解異なり。
解異なるが故に、得法、得果、得道また異なり。
是の故に善男子、我、得道して初めて起つて法を說きしより、今日、大乘無量義經を演說するに至るまで、未だ曾て苦なり、
空なり、
無常なり、
無我なり、
非眞なり、
非假なり、
非大なり、
非小なり、
本來不生なり、
今も亦、不滅なり、
一相なり、
無相なり、
法の相なり、
法の性なり、
不來なり、
不去なり、而も諸の衆生は、四相に遷さると說かず。
善男子、是の義を以ての故に、一切の諸佛は二言有ること無く、能く一音を以て普く衆聲に應じ、能く一身を以て百千萬億那由佗無量無數恒河沙の身を示し、
一一の身の中に、又、若干の百千萬億那由佗阿僧祇恒河沙の種種の類形を示し、
一一の形の中に、又、若干の百千萬億那由佗阿僧祇恒河沙の形を示す。
善男子、是れ則ち諸佛の不可思議甚深の境界なり。
二乘の知る所に非ず。
亦、十地の菩薩の及ぶ所に非ず。
唯、佛と佛のみ、乃し能く究了したまへり。
善男子、是の故に我、說く、
「微妙甚深の無上大乘無量義經は文理眞正にして、尊にして過上無し、
三世の諸佛の共に守護したまふ所なり、
衆魔外道、得入すること有ること無し、
一切の邪見生死に壞敗せられず。
菩薩摩訶薩、若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、應當に是の如き甚深の無上大乘無量義經を修學すべし」と。
〇
佛、是れを說きたまふこと已つて、是〔ここ〕に三千大千世界、六種に震動し、自然に空中より種種の天華、
天優鉢羅華、
鉢曇摩華、
拘物頭華、
分陀利華を雨らし、又、無數の種種の天香、
天衣、
天瓔珞、
天無價寶を雨らし、上空の中より旋轉來下し、佛、及び諸の菩薩、
聲聞、
大衆に供養す。
天厨の天鉢器には、天百味食、盈溢し、
天幢、
天旛、
天軒蓋、
天妙樂具、處處に安置し、天の伎樂を作して佛を歌歎したてまつる。
〇
又復、六種に東方恒河沙等の諸佛の世界を震動し、亦、天華、
天香、
天衣、
天瓔珞、
天無價寶を雨らし、
天厨の天鉢器には天の百味あり、
天幢、
天旛、
天軒蓋、
天妙樂具、
天の伎樂を作して、彼の佛、及び菩薩、
聲聞、
大衆を歌嘆したてまつる。
南、西、北方、四維上下も亦復、是の如し。
〇
是〔ここ〕に衆中の三萬二千の菩薩摩訶薩は、無量義三昧を得、三萬四千の菩薩摩訶薩は、無數無量の陀羅尼門を得て、能く一切三世の諸佛の不退の法輪を轉ず。
其の諸の比丘、
比丘尼、
優婆塞、
優婆夷、
天、
龍、
夜叉、
乾闥婆、
阿修羅、
迦樓羅、
緊那羅、
摩睺羅伽、
大轉輪王、
小轉輪王、
銀輪、鐵輪、諸輪の王、
國王、
王子、
國臣、
國民、
國士、
國女、
國大長者、及び諸の眷屬百千衆と俱なる、佛如來の是の經を說きたまふ
を聞きたてまつる時、或は煗法、
頂法、
世間第一法、
須陀洹果、
斯陀含果、
阿那含果、
阿羅漢果、
辟支佛果を得、
又、菩薩の無生法忍を得、
又、一の陀羅尼を得、
又、二の陀羅尼を得、
又、三の陀羅尼を得、
又、四の陀羅尼、五、六、七、八、九、十の陀羅尼を得、
又、百千萬の億陀羅尼を得、
又、無量無數恒河沙阿僧祇陀羅尼を得、皆、能く隨順して、不退轉の法輪を轉ず。
無量の衆生は阿耨多羅三藐三菩提の心を發しき。
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