摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第十
小品般若波羅蜜經卷第十
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
● 薩陀波崙品第二十七
● 曇無竭品第二十八
● 囑累品第二十九
小品般若波羅蜜經卷第十
● 薩陀波崙品第二十七
佛、須菩提に告げたまはく、
「若し菩薩欲して般若波羅蜜を求めんとせば當に薩陀波崙菩薩、この今、雷音威王佛所に在るが如くに菩薩道を行ずべし」と。
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
薩陀波崙菩薩、云何が般若波羅蜜を求めたりき」と。
佛、須菩提に告げたまはく、
「薩陀波崙菩薩、本、般若波羅蜜に求めたる時に世事に依らざりき。
身命を惜しまざりき、利養に貪ぜざりき、空林中に於て空中に聲言を聞ききたりき。
『善男子。
汝、是れ從り東に行じて當に般若波羅蜜を聞くを得べし』と。
『行ずる時に念ふ莫かれ疲倦をは。
念ふ莫かれ睡眠をは。
念ふ莫かれ飲食をは。
念ふ莫かれ晝夜をも。
念ふ莫かれ寒熱をも。
是の如き諸事、念ふ莫かれ觀ずる莫かれ。
亦、思惟す莫かれ、諂曲心を離れ、身を自高し他人を卑下すことをも莫かれ。
當に一切衆生の相を離るべし。
當に一切利養名譽を離るべし。
當に五蓋を離るべし。
當に慳嫉を離るべし。
亦、分別す莫かれ、內法外法を。
行ずる時に得る莫かれ、左右を顧り視ることは。
念ふ莫かれ前をは。
念ふ莫かれ後をも。
念ふ莫かれ上をは。
念ふ莫かれ下をも。
念ふ莫かれ四維をだにも。
動ず莫かれ色受想行識に。
何を以ての故に。
若し色受想行識に動ぜば則ち佛法を行ざす生死に於て行ずなれば。
是の如きの人、般若波羅蜜を得る能はざれば』と。
薩陀波崙、報へて空中に聲言すらく、『當に敎への如くに行じん』と。
何を以ての故に。
『我、一切衆生が爲に光明を作さんが故にこそ諸佛らが法を集めんとしたるなれば』と。
空中、聲言すらく、『善哉、善哉、善男子。
汝應に信解すべし、空、無相、無作の法を』と。
『應に離るべし、諸相を。
離るべし、見の有るに於けるを。
離るべし、衆生の見を、人見を、我見を。
求むべし、般若波羅蜜を』と。
『善男子。
應に離るべし、惡知識を。
親近すべし善知識に。
善知識は能く說かん、空なる、相の無き、作す無き、生ず無き、滅す無きの法を』と。
『善男子。
汝能く是の如くせば久しからずして般若波羅蜜を聞くを得、若しは經卷從り聞き、若しは法師從り聞かん』と。
『善男子。
汝、從ひて般若波羅蜜を聞き當に是の人に於て大師なりとの想ひを生ずべし』と。
『當に知るべし報恩なりと。
應に是の念を作すべし、我、これ從り般若波羅蜜を聞き則ち是れ我が善知識なりと。
我、般若波羅蜜を聞くを得て當に阿耨多羅三藐三菩提に於て不退なるべしと。
諸佛を離れず、佛無き世界に生ぜず、諸難を離るるを得んと。
思惟したる是の如きの功德利の故にと。
法師所に於て大師想を生じんと』。
『善男子。
世俗財を以て利心すること莫かれ、故に法師に隨逐し當に愛重を以て法を恭敬すべし、故に法師に隨逐すべし』と。
『又善男子。應に魔事を覺るべし。
惡魔或る時には說法者と爲りて諸因緣を作して受けさしめん、その好妙なる色聲香味觸を。
說法者、方便力を以ての故に是れら五欲を受く。
汝、此の中に於て生ずること莫かれ、不淨の心を。
應に念言して作すべし、我は方便の力を知らずと。
法師或は衆生を利益し種をして善根ならしめんが故に受けて是の法を用ふならんと。
諸菩薩は障礙するところ無かればと。
善男子。
汝、爾の時に於て應に觀ずべし、諸法の實相を。
何等をか是れ諸法の實相とすや。
佛は說きたまひき、一切法は無垢なりと。
何を以ての故に。
一切法の性、空なればなりと、一切法、我無ければなりと、衆生無ければなりと。
一切法、幻の如きと。夢の如き、響きの如き、影の如き、炎の如きと。
善男子。
汝、若し是の如く諸法の實相を觀ぜば、法師に隨逐し久しからずして當に善く般若波羅蜜を知るべし』と。
『又善男子。
復、應に覺知すべし、魔事を。
若し法師、般若波羅蜜を求むる者に於て、その心に嫌恨有らば。
而して顧錄せざれば汝、此の中に於て應に憂惱すべからず。
但、愛重のみを以て法心を恭敬せよ。
法師に隨逐し生ずる勿れ、厭離をは』と。
須菩提。
薩陀波崙菩薩、虛空中に是の如き敎へを受け已り即ち、便ち東行したりき。
東行して久しからずして復、是の念を作さく、『我、かれに向かふならば、云何が空中の聲に問はざりきや。
東行して遠きにや近きにやと。
當に誰に從りて般若波羅蜜を聞くべけんや』と。
即ち行せざるままに住し、憂愁し啼哭して是の念言を作さく、『我、此れに於て住して、若しは一日、二日乃ち七日にも至りても念はざりき、疲れ極まれりとは。
念はざりき、睡眠をは。
念はざりき、飲食をは。
念はざりき、晝夜をも。
念はざりき、寒熱をも。
要らず當に我、誰か從り般若波羅蜜を聞くを得べし』と。
須菩提。
譬へて如くは有る人唯一子のみ有り。
之れを愛して甚だ重し。
一旦に命終せば甚だ大憂惱ありて唯、憂惱を懷きて餘念有ること無き。
須菩提。
薩陀波崙も亦、是の如くに餘念有ること無く但、念ふのみなりき、『我當に何時に般若波羅蜜を聞き得べきや』と。
須菩提。
薩陀波崙菩薩、是の如き憂愁啼哭の時に佛像在りき。
前に立ちて讚めて言たまはく、『善哉、善哉』と。
『善男子。
過去の諸佛らも菩薩道を本、行する時に般若波羅蜜を求めて亦、汝が今の如かりき。
是の故に善男子。
汝是の勤行精進、法を愛樂するを以ての故に是れ從り東行せよ。
此れを去りて五百由旬に城、有らん。
名をは衆香、七寶合成したり。
其の城七重にして縱廣十二由旬なり。
皆、七寶を以て多羅の樹に周遍圍遶し豐樂安靜なり。
人民熾盛なり。街巷も相當して端嚴なること畫の如く橋津は地の如し。寬博淸淨なり。
七重の城上に皆、閻浮檀の金を以て而して樓閣を爲せり。
一一の樓閣に七寶を樹を行じたれば種種の寶果あり。
其の諸の樓閣に次第に皆、寶繩を以て連綿さす。
寶鈴羅網し、以て城上を覆ひたり。風吹き鈴聲せば其の音和雅なり。
五樂を作すが如くに甚だ愛樂す可き。是の音聲を以て衆生、娛樂したり。
其の城の四邊に流るる池、淸淨にして冷煖調適なり。
中に有る諸船、七寶に嚴飾したり。
是の諸の衆生、宿業の所致にして娛樂し遊戲す。
諸の池水中に種種なる蓮華、それ靑なり、黃なり、赤なり、白なり。
衆雜の好華、香色ともに具足し遍くに其の上に滿つ。
三千大千世界に有らゆる好華悉くに皆具有したり。
其の城の四邊に有る五百園、觀れば七寶莊嚴なりて甚だ愛樂す可き。
一一の園中に五百の池水有り。
池水各各に縱廣十里なりて皆、七寶雜色を以て莊嚴す。
諸の池水中に皆有る靑なる、黃なる、赤なる、白なる蓮華。
大なるは車輪の如くして彌よ水上を覆へり。
靑色靑光し、黃色黃光し、赤色赤光し、白色白光したり。
諸の池水中に皆有る鳧鴈鴛鴦ら、異類の衆鳥らも、是の諸園に池沼を觀じて所屬も無くに適す。
皆是れ衆生が宿業の果報なり。
長夜に深法を信樂し、般若波羅蜜を行じたる福德の所致なり。
善男子。
衆香城中に大高臺有り。曇無竭菩薩、その宮舍の上に在り。
其の宮縱廣各五十里にして皆、七寶を以て校成す。
雜色に莊嚴し其の墻七重なり。皆亦、七寶なり。
七寶、行じて樹を周匝圍遶す。
其の宮舍中の有る四圍、觀るに常に娛樂なり。
一の名は常喜なり、二の名は無憂なり、三の名は華飾なり、四の名は香飾なり。
一一の園中に八の池水有り。
一の名は爲賢、二の名は賢上、三の名は歡喜、四の名は喜上なり。
五の名は安隱、六の名は多安隱、七の名は必定、八の名は阿毗跋致なり。
諸の池水の邊の面各に一寶、黃金白銀、琉璃頗梨、玫瑰ら底を爲し、金沙の上に布く。
一一の池の側り、八梯階有り種種に寶物、以て梯橙を爲せり。
諸の階陛間に有るは閻浮檀の金、芭蕉の樹なり。
諸の池水中に皆、有るは靑黃赤白の蓮華なり。遍く其の上を覆ひたり。
鳧鴈鴛鴦、孔雀衆鳥ら鳴く聲相ひ和し甚だ愛樂す可き。
諸の池水の邊に皆、花樹、香樹生ぜり。
風吹き香華、池水中に墮ち、其の池八功德水を成就せば、香は栴檀の若く、色味具足す。
曇無竭菩薩、六萬八千婇女と五欲具足し共に相ひ娛樂したり。
及び城中の男女、俱に常喜等の園に入り、賢き等は池中に共に相ひ娛樂す。
善男子。
曇無竭菩薩、諸婇女と遊戲し娛樂し已りて日日に三時、般若波羅蜜を說きたり。
衆香城中の男女大小、曇無竭菩薩が爲に其の城內に於て、多た聚人の處に大法座を敷く。
其の座四足なり。
或は黃金を以てし、或は白銀を以てし、或は琉璃を以てし、或は頗梨を以てしたり。
敷きて綩綖雜色を以て茵蓐とし、迦尸を以て白氈とし、而して其の上を覆へり。
座高は五里なり、諸の幃帳を施し其の地の四邊に五色華を散らし衆の名香を燒く。
その法を供養せんが故に。
曇無竭菩薩、此の座上に於て般若波羅蜜を說きたり。
善男子。
彼の諸の人衆、是の如くに曇無竭菩薩を供養し恭敬す。
般若波羅蜜を聞くが爲の故に是の大會に於て百千萬衆、諸天世人、一處に集會す。
その中に聽者有り、その中に受者有り、その中に持者有り。
その中に誦者有り、その中に書者有り、その中に正觀者有り。
またその中に說の如くに行ずる者有りて是の諸の衆生ら、已に惡道を度したり。
皆、阿耨多羅三藐三菩提に於て不退轉なり。
善男子。
汝、是從り去りて當に曇無竭菩薩所に於て般若波羅蜜を聞くべし。
曇無竭菩薩、世世に是れ汝が善知識ならん。
示敎し阿耨多羅三藐三菩提を利喜させん。
善男子。
曇無竭菩薩、菩薩道を本、行じき時に般若波羅蜜を求めて亦、汝が今の如かりき。
今汝、東行してその晝夜だに計る莫かれ。
久しからずして當に般若波羅蜜を聞くを得べし』と。
薩陀波崙菩薩、心大歡喜したりき。
譬へて如くは、有る人毒箭の中たるが爲に更に餘念も無くに唯、かくに念ふが如し、『何時當に良醫を得べきや、毒箭を拔出し我が此の苦を除くを』と。
是の如くに薩陀波崙菩薩もまた、餘念有ること無くして但、念ふは『何時に曇無竭菩薩を見るを得、我が爲に般若波羅蜜を說きたまへりや』とのみなりき。
『我、般若波羅蜜を聞き諸の有見を斷たん』と。
爾の時に薩陀波崙即ち住處に於て一切法中に決定想無きを生じき。
かくて諸三昧門に入りき。所謂、
諸法性觀三昧、諸法不可得三昧、破諸法無明三昧、諸法不異三昧なりて、
諸法不壞三昧、諸法照明三昧、諸法離闇三昧、諸法不相續三昧なりて、
諸法性不可得三昧、散華三昧、不受諸身三昧、離幻三昧なりて、
如鏡像三昧、一切衆生語言三昧、一切衆生歡喜三昧、隨一切善三昧なりて、
種種語言字句莊嚴三昧、無畏三昧、性常默然三昧、無礙解脫三昧なりて、
離塵垢三昧、名字語言莊嚴三昧、一切見三昧、一切無礙際三昧なりて、
如虛空三昧、如金剛三昧、無負三昧、得勝三昧なりて、
轉眼三昧、畢法性三昧、得安隱三昧、師子吼三昧なりて、
勝一切衆生三昧、離垢三昧、無垢淨三昧、華莊嚴三昧なりて、
隨堅實三昧、出諸法得力無畏三昧、通達諸法三昧、壞一切法印三昧なりて、
無差別見三昧、離一切見三昧、離一切闇三昧、離一切相三昧なりて、
離一切著三昧、離一切懈怠三昧、深法照明三昧なりて、
善高三昧、不可奪三昧、破魔三昧、生光明三昧なりて、
見諸佛三昧これなり。
薩陀波崙菩薩、是れら諸三昧中に住して即ち見たりき、十方諸佛を。
諸菩薩らが爲に般若波羅蜜を說きたまふを。
諸佛ら各各に安慰し讚言したまふを、『善哉、善哉』と。
『善男子。
我等、菩薩道を本、行じき時、般若波羅蜜を求めて亦、汝が今の如かりき』と。
『是れら諸三昧を得、亦、汝が今の如かりき。
是れら諸三昧を得已り般若波羅蜜を了達し阿毗跋致地に住したりき』と。
『我等、是れら諸三昧を得たるが故に阿耨多羅三藐三菩提を得たり』と。
『善男子。
是れ般若波羅蜜が爲に所謂、諸法に於て所念無くして我等、無念法中に於て住したりき。
かくて得たりき、是の如き金色の身を、三十二相を、大光明不可思議の智慧を、諸佛らが無上三昧を、無上智慧を、盡くの諸功德の邊を。
是の如き功德、諸佛らが之れを說きて猶も盡くす能はず、況んや聲聞、辟支佛をや。
是の故に善男子。
汝、是の法に於て倍すに應に恭敬し愛重し淸淨心を生じて阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
難しと爲すに足らず。
汝、善知識に於て應に深く恭敬し愛重し信樂すべし。
善男子。
若し菩薩、善知識が爲に護念さるれば疾くに得ん、阿耨多羅三藐三菩提を』と。
薩陀波崙菩薩白して諸佛らに言さく、『何等をか是れ我が善知識とすや』と。
諸佛ら答言したまはく、『善男子。
曇無竭菩薩、世世に教誨し成就せん、汝が阿耨多羅三藐三菩提に於て、汝をして般若波羅蜜を學ばしむる方便の力を。
曇無竭菩薩、是れ汝が善知識なれば汝應に報恩すべし。
善男子。
汝若し一劫に於て、若しは二劫三劫乃ち百劫にまで至るに、若しは百劫を過ぐるにまでも頂戴し恭敬し、一切樂具を以て而て之れを供養すべし。
若し三千大千世界を以て妙好なる色聲香味觸盡くして以て供養しても亦、未だ須臾の恩に報ずるだにも能はず。』
『何を以ての故に。』
『曇無竭菩薩が因緣力を以ての故に。
汝をして是の如き諸深三昧に入らしめ及び般若波羅蜜の方便を聞かしめければ』と。
諸佛ら是の如くに薩陀波崙菩薩を敎授し安慰し已りて忽然として現ぜず。
薩陀波崙菩薩、三昧從り起ち諸佛を見ざりて是の念を作さく、『是れら諸佛ら向かひて何從り來たまへりや。
今、何所にか至りたまへりや』と。
佛を見ざるが故に即ち大憂愁し是の念を作さく、『曇無竭菩薩、已に陀羅尼が諸神通力を得たりき。
已に曾て過去諸佛らを供養したりき。
世世にも我が善知識と爲りたまひ、常に我を利益したまふ。
我、曇無竭菩薩所に至り當に問ひたてまつるべし、諸佛らが何所從り來たりたまへるかを。
去りて何所に至りたまふかを』と。
爾の時に薩陀波崙菩薩、曇無竭菩薩に於て益すに愛重を加へ、恭敬し信樂し是の如く念を作さく、『我今貧窮なり。
華香瓔珞、燒香塗香、衣服幡蓋、金銀眞珠、頗梨珊瑚、有ること無し』と。
『有ること無き是の如きの諸物、以てなにに曇無竭菩薩を供養す可き。
我今應に空に曇無竭菩薩所に往くべからず。
我若し空しく往けば心則ち安からじ。
當に自ら賣身し財物を求むるを以て般若波羅蜜の爲にする故に曇無竭菩薩を供養すべき』と。
何を以ての故に。
『我、世世に已來、喪身したるは無數ならん。
始め無き生死中に於て欲したる因緣の爲の故に、地獄に於て在り無量苦を受け、未だ曾て是れ淸淨の法を爲さざれば』と。
是の時に薩陀波崙菩薩、中道にして一大城に入りき。
市肆上に至りて高聲に唱言すらく、『誰をか欲して人を須むべき、誰をか欲して人と須むべき、』と。
爾の時に惡魔、是の念を作さく、『薩陀波崙菩薩、法を愛するが爲の故に欲して自ら賣身し以て曇無竭菩薩を供養せんとしたり』と。
『それ般若波羅蜜を聞かんが爲の方便なり。
云何がこの菩薩、般若波羅蜜を行じて疾く阿耨多羅三藐三菩提を得、亦多聞を得んや。
大海水の如き諸魔らが壞すを爲さざれば能く一切諸功德の邊を盡くし、此の無量なる衆生を利益す於て、是れら諸の衆生、我が境界出て阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
しからば我今當に往きて其の道意を壞すべしと』。
即時に惡魔、諸人に隱蔽したりき。
乃ち一人に至るまでもその唱聲聞き得ざらしめき。されども、唯一たり、長者が女にのみ魔の蔽すこと能はざりき。
ここに薩陀波崙菩薩、その賣身、售(商)へずして一處に立てる在り。
淚を流し而して言さく、『我が大罪の爲の故に欲して自ら賣身し曇無竭菩薩を供養せんとしたり。
般若波羅蜜を聞かんが爲にしたり。
而して買ふ者も無し』と。
爾の時に釋提桓因、是の念を作さく、『我今當に是の善男子を試みん。
實に深心を以て法を愛するが爲の故に是の身を捨つるや不や』と。
即ち婆羅門に化作し薩陀波崙菩薩が邊行に在りき。
問言すらく、『善男子。汝今何故に憂愁啼哭す』と。
薩陀波崙言さく、『我貧窮を以て財寶有ること無かりき。
かるがゆゑに欲して自ら賣身し曇無竭菩薩を供養せんとしたりき。
般若波羅蜜を聞く爲にせんとしたりき。
而して買ふ者無ればなり』と。
婆羅門言さく、『善男子。我も須めざる人なり。
今欲すは大祠なり。これ當に須むべし、人の心、人の血、人の髓を。
能く我に與ふや不や』と。
薩陀波崙自念すらく、『我大利を得き』と。
『定めたり、これに當に般若波羅蜜を聞くの方便を得べしと。
婆羅門を以て欲し心血髓を買はんとするが故に』と。
即ち大歡喜し婆羅門に語らく、『汝が須むるは盡くに當に相ひ與ふべし』と。
婆羅門言さく、『汝、須むるは何らが價なる』と。
答言すらく、『汝が與ふるが隨なり』と。
薩陀波崙菩薩、即ち利刀を執り右臂を刺して血を出だしたりき。
復、右髀を割き欲して骨を破し髓を出さんとしたり。
時に一長者の女、閣上に在りて遙かに見たりき、この薩陀波崙菩薩が刺臂し血を出だしたるを。
其の右髀を割り、復骨を破し髓をも出さんと欲するを。
かくて是の念を作さく、『此の善男子、何の因緣の故に其の身を困苦さすや。
我當に往きて問ふべし』と。
時に長者の女、即ち便ち閣を下りき。
薩陀波崙菩薩が所に到りて問言すらく、『善男子、何の因緣の故に其の身を困苦さすや。
是の血髓を用ひなにを爲すや』と。
薩陀波崙言さく、『賣りて婆羅門に與へ般若波羅蜜及び曇無竭菩薩を供養せんとなり』と。
長者の女言さく、『善男子。汝が血髓を賣りて、是の人を供養し、かくて得るは何等の利をなるや』と。
薩陀波崙言さく、『是の人當に我が爲に般若波羅蜜の方便力を說かん。
我、學ぶが隨にその中に當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
金色の身をも、三十二相、常光、無量光、大慈大悲、大喜大捨をも。
十力、四無所畏、四無礙智、十八不共法、六神通、不可思議淸淨をも。
戒品、定品、智慧品、解脫品、解脫知見品をも。
佛が無上智慧、無上法寶を得て分けて布施し、これを一切衆生に與へん』と。
時に長者が女、薩陀波崙に語らく、『汝が所說のごとからば甚だ希有と爲す。
微妙第一なり。
一一の法が爲に乃ち應に恒河沙にも身を捨つる可きとしたり。
善男子。
汝が今所須の金銀眞珠、琉璃頗梨、琥珀珊瑚、諸の好き珍寶及び華香瓔珞、幡蓋衣服、盡く當に相ひ與ふべし。
曇無竭菩薩を供養せんに自ら困苦す莫かれ。
我も今亦、欲したり、汝が曇無竭菩薩所に至れるに隨はんと。
諸善根を種ゑ、是の如き淸淨法を得んが爲の故に』と。
爾の時に釋提桓因、即ち復其の身を薩陀波崙菩薩が前に立たしめて在り。
是の言を作さく、『善哉、善哉、善男子。
汝が心、堅固にして法を愛すること是の如し。
過去の諸佛ら菩薩道を行ずる時も亦、汝が今の如くに般若波羅蜜の方便を聞くを求め、阿耨多羅三藐三菩提を得き。
善男子、我實には人の心も血も髓も須めざりき。
故に相ひ試みんとして來たるのみ。
汝願ふは何等なりや、當に相ひ以て與ふべし』と。
薩陀波崙言さく、『ならば與へよ。我に、阿耨多羅三藐三菩提を』と。
釋提桓因言さく、『我には此れ無き也。
諸佛世尊らのみ乃ち能く之れを辦じたまはん。
更に求むる餘の願ひあらば、當に相ひ以て與ふべし』と。
薩陀波崙言さく、『汝が此の中に於て若し無力ならば、還して我身をして平らかにし復、故(昔)の如からしめよ』と。
薩陀波崙、身を即ち平復させ瘡瘢有ること無し。
是れに於て釋提桓因、忽然として現ぜず。
時に長者が女、語りて薩陀波崙菩薩に言さく、『至る可し、我が舍に。
當に父母に白すべし、求索するは財寶なりと。
法を聞かんが爲の故なりと。
曇無竭菩薩を供養せんが爲なりと。』
薩陀波崙菩薩、長者が女と俱に其の舍に到りき。
長者が女、入りて白して父母に言さく、『與へたまへ、我に華香瓔珞を。種種の衣服及び諸寶物を。
願はくは聽きたまへ、我が身も幷せて先に給ふ五百侍女も、薩陀波崙菩薩と共に往き曇無竭菩薩を供養せん。
曇無竭菩薩、當に我が爲に說法すべけん。
是の法を以ての故に我等當に諸佛の法を得べし』と。
父母、女に語らく、『薩陀波崙菩薩は今、何處に在りや』と。
女言さく、『今、門外に在り。
是の人發して心に阿耨多羅三藐三菩提を求めたり。
欲して一切衆生を生死苦惱より度さんとしたり。
法を愛するが爲の故に欲して自ら賣身せんとし而して買ふ者無くて憂愁啼哭し一處に立ちて在りき。
是の言を作く、≪我欲して賣身せんとせど而も買ふ者だに無き≫と。
時に一婆羅門ありて、是の言を作さく、≪汝今何故にか欲して自ら賣身せんとすや≫と。
答へて言さく、≪我、法を愛するが故に。
欲して曇無竭菩薩を供養せんとしたり。
我當に彼に從りて諸佛法を得べし≫と。
婆羅門言さく、≪我、須めざる人なり。
今欲したるは大祠なりて當に人の心、人の血、人の髓をば須めたる≫と。
即時に是の人、心大歡喜し手に執る利刀に臂を刺しき。
血を出だして復、右髀を割きき。
欲して骨を破し髓を出さんとしたり。
我、閣上に在らば遙かに此の事を見て、この心に自ら念言すらく、≪是の人何故に其の身を困苦さすや。
當に往きて之れを問ふべし≫と。
我即ち往きて問ひたれば答へて我に言さく、≪我貧窮を以て財寶有ること無き。
欲して心血髓を賣り婆羅門に與へんとしたり≫と。
我時に問ひて言さく、≪善男子、かくて持てる是れら財物、欲して何等と作すや≫と。
答へて我に言さく、≪法を愛するが爲の故に曇無竭菩薩を供養せんとしたり≫と。
我復、問言すらく、≪善男子、汝是の中に於て何等の利を得るや≫と。
答へて我に言さく、≪我是の中に於て當に無量不可思議功德の利を得べし≫と。
我是の無量不可思議なる諸佛らが功德を聞き、心大歡喜し是の念を作さく、≪是の善男子甚だ希有を爲す≫と。
≪乃ち能く自ら是の如き苦惱を受けても、法を愛するが爲の故に尚も能く捨身したり。
我當に云何が法を供養せざるべき。
我に今多た財物有り。
是の事の中に於て當に大願を發すべし≫と。
我時に語りて言さく、≪善男子、汝是の如くに其の身を困苦さす莫かれ。
我當に多たの財物を與ぶべし、曇無竭菩薩を供養せん。
我も亦汝に隨ひ曇無竭菩薩が所に到り、欲して自らも供養せん。
我も亦欲して無上佛法を得んとしたり≫と。
しからば上の所說の如きを父母、今當に我に聽(赦)したまへ。
是の善男子に隨はしめたまへ。
及び給ふる財物をして曇無竭菩薩を供養さしめたまへ』と。
父母、報言すらく、『汝が讚めたるの者、希有なり、及び難し。
是の人一心に法を念ひて一切世界の最たる第一にも勝れり。
必ず能く一切衆生を安樂さしめん。
是の人能く難事を求めき。
我今、汝が隨ひて去るを聽こさん。
我等も亦、欲して曇無竭菩薩を見んとす』と。
是の女、曇無竭菩薩を供養せんが爲の故に白して父母に言さく、『我敢へて人の功德を斷ぜず』と。
是の女、即時に五百乘車を莊嚴し、五百侍女に勅して亦皆、莊嚴したり。
持てる種種の色華、種種の色衣、種種の雜香、末香、塗香、金銀寶華、種種の雜色、妙好なる瓔珞、諸の美飲食、薩陀波崙菩薩に與へ各、一車に載り、五百侍女ら恭敬し圍繞し漸漸に東行したりき。
かくて遙かに衆香城を見たり。
其の城七重、七寶の莊嚴、甚だ愛樂す可し。
有る七重塹、七重行樹、其の城縱廣十二由旬にして豐樂安靜なり。
人民熾盛なり。五百街巷、端嚴なりて畫の如し。橋津、地の如し。寬博淸淨なり。
曇無竭菩薩を城の中央に見き。
法座上に坐したり。
無量百千萬衆、圍繞し說法に心即ち歡喜したりて譬へば比丘が第三禪を得きが如かり。
見已りて是の念を作さく、『我等應に車に載りて曇無竭菩薩に趣くべからず』と。
即ち皆下車し步進したり。
薩陀波崙、五百侍女と恭敬し圍繞し各に持てる種種の莊嚴の諸物、俱にして曇無竭菩薩が所に詣でき。
曇無竭菩薩が所に七寶臺有りき。
牛頭に栴檀を而して以て校飾したり。眞珠羅網し寶鈴間錯したり。
四角各に明珠を懸けて以て光明を爲したり。
四の白銀香爐有り、黑く燒き沈水さし般若波羅蜜を供養す。
其の寶臺中に七寶大床有りき。
床上に四寶函有りて眞金鍱を以て般若波羅蜜を書き是の函中に置きき。
其の臺四邊、諸の寶幡を垂らしたり。
爾の時に薩陀波崙菩薩、五百侍女と遙かに妙臺に種種なる珍寶以て挍飾を爲すを見たりき。
釋提桓因を見き。
無量百千諸天と以て天曼陀羅華を、天金銀華を、天栴檀華を、臺上に以て散らしたりき。
天、空中に於て諸伎樂を作したれば即ち釋提桓因に問へらく、『憍尸迦。
汝何を以ての故に諸天衆らと天曼陀羅華、天金銀華、天栴檀華を以て此の臺上に散らし、虛空中に於ても諸伎樂作すや』と。
釋提桓因言さく、『善男子。
汝は知らざりや、法有り名づけて摩訶般若波羅蜜とす、是れ諸菩薩らが母なり。
菩薩ら是の中に於て學び當に盡くの諸功德を、一切佛法を得て、疾くに薩婆若を得し』と。
薩陀波崙言さく、『憍尸迦。
摩訶般若波羅蜜是れ諸菩薩らが母なりや。
何處に在りと爲すや。我今欲して見んとしたり』と。
『善男子。此の七寶篋中、黃金鍱上に在り。
曇無竭菩薩、七處に之れを印じき。
我、汝に示し得ず』と。
爾の時に薩陀波崙菩薩、五百女人と各に持てる種種の華香瓔珞、幡蓋衣服、金銀珍寶、以て半ばに般若波羅蜜を供養し、以て半ばに曇無竭菩薩を供養したり。
薩陀波崙菩薩、種種なる花香瓔珞、幡蓋衣服、金銀寶花、諸伎樂を作すを以て般若波羅蜜を供養し已らば、曇無竭菩薩が所に向かひて復、種種なる華香瓔珞、碎末栴檀、金銀寶華を以て法を供養せんが故に曇無竭菩薩が上にも散らしたりき。
即ち虛空に住して寶蓋を合成し其の蓋の四邊、諸の寶幡を垂らしき。
薩陀波崙菩薩及び五百女人ら此の神力を見たり。
心大歡喜し是の念を作さく、『未曾有也』と。
『曇無竭大師、神力乃ち爾に未だ佛道を成さずしても神通の力、尚能く是の如し。
況んや阿耨多羅三藐三菩提を得たれば』と。
時に五百女人ら曇無竭菩薩を敬重したるが故に皆、阿耨多羅三藐三菩提心を發したり。
『我等是の善根の因緣を以て未來世に於て當に作佛を得べし』と。
『菩薩道を行じる時も亦、是の如き功德を得て今の曇無竭菩薩の如からん』と。
『般若波羅蜜を供養し恭敬し尊重し、人の爲に演說し成就する方便力、亦、曇無竭菩薩の如からん』と。
薩陀波崙及び五百女人ら、頭面に曇無竭菩薩が足を禮し合掌し恭敬し却りて一面に住したりき。
薩陀波崙白して曇無竭菩薩に言さく、『我、般若波羅蜜を本求したり。
時に、空林中に於て空中に聲の言せるを聞きき、≪善男子、是れ從り東行し當に般若波羅蜜を聞くを得べし≫と。
我即ち東行し、東行して久しからずして便ち是の念を作さく、≪我、云何が空中の聲に問はざりきや、去りて當に遠かるべき、近かるべき≫と。
≪誰に從り般若波羅蜜を聞き得んや≫と。
かくて憂愁懊惱し即ち住して七日、飲食及びに世俗事をも念はずして但、般若波羅蜜をのみを念ひき。
≪我云何が空中の聲に問はざるや、去りて當に近かるべき、遠かるべき≫と。
≪誰に從り聞き得んや≫と。
即時に佛像、我が前に現在したまひ、是の言を作さく、≪善男子、是れ從り東行して五百由旬に城有り。
名は衆香城なり。
中に菩薩有り。名は曇無竭なり。諸大衆が爲に般若波羅蜜を說けり。
汝、是の中に於て當に般若波羅蜜を聞き得べし≫と。
我、是處に於て一切法中に依止無きの想を生じ亦、無量諸三昧門を得たりき。
我、是の諸三昧に住して即ち十方諸佛らの諸大衆が爲に般若波羅蜜を說きたまへを見き。
諸佛ら、讚めて我に言たまはく、≪善哉、善哉、善男子≫と。
≪我等、菩薩道を本、行したりき時にも亦、是れら諸三昧を得き。是れら諸三昧中に住しき。かくて能く諸佛法を成就したりき≫と。
諸佛ら安慰したまひ、我を示敎し已へたまひて皆、復現じたまはず。
我、諸三昧從り覺め已りて是の念を作さく、≪諸佛ら何所從り來たり、去りて何所にか至りたまふや≫と。
諸佛らが來去の因緣をは知らざるが故に。
即ち是の念を作さく、≪曇無竭菩薩、已に曾に過去諸佛らを供養し、深く善根を種ゑ、善く方便を學びたまひき。
必ず能く我が爲にこれ、諸佛の何所從り來たり去りて何所に至るか說きたまはん≫と。
惟願はくは大師、今當に我が爲に說くべし、諸佛ら何所從り來たりたまひ去りて何所に至りたまふかを。
我をして常に佛を見て離れざるを得せしめよ』と。」
● 曇無竭品第二十八
「爾の時に曇無竭菩薩語りて薩陀波崙菩薩に言さく、『善男子。
諸佛の從り來たりたまふ所は無し、去りて至りたまふ所も無し。』
何を以ての故に。
『諸法、動かざるが如きの故に、諸法、即ち是れその如きに來たる(如來)が如し。
善男子。生ずる無く來たる無し、去る無く生ずる無くして即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
實際に、來たる無く去るも無しくして實際に即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
空、來たる無く去るも無しくして空、即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
斷、來たる無く去るも無くして斷じて即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
離、來たる無く去るも無くして離れて即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
滅、來たる無く去るも無くして滅して即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
虛空性、來たる無く去るも無くして虛空性即ち是れその如きに來たれり(來たるが如し(如來))。
善男子。
是の諸法を離れ≪その如きに來たれる(如來)≫の有ること無し。
是れら諸法の≪その如き(如)≫、諸の≪その如きに來たれり(如來)≫の≪その如き(如)≫皆是れ一の≪その如き(一如)≫なり、無二なり、無別なり。
善男子。
是の≪その如き(如)≫唯一なり、無二なり、無三なり。
諸數を離れ所有も無かれば。
善男子。
譬へて如くは春の末の後月、日中熱き時に野馬の動くを見き。
愚夫は之れを逐ひて謂へらく、≪當に水を得べし≫と。
善男子。
その意に於て云何。
是の水、何所從り來りきや、東海從り來たれりと爲すや、南西北海より來たれりとや』と。
薩陀波崙白して大師に言さく、『焰中に尚、水有ることは無し。
況んや來處去處の有るをや。
但、是の愚人、智の有ること無きのみ故に、水無き中に而も水の想ひを生じき。
實には水の有ることは無かりき』と。
『善男子。若しは有る人、その如きに來たれる(如來)の身を以て色に音聲し、而も貪著を生じたれば是の如き人等、諸佛らが去來の相有ると分別せん。
當に知るべし是れ等愚癡なり、無智なりと。
水無き中に而も水の想ひを生ずるが如しと。』
何を以ての故に。
『諸佛≪その如きに來たれる(如來)≫ら、應に色を以て身をは見ざるべし。
諸佛≪その如きに來たれる(如來)≫ら、皆、是れ法身なるが故に。
善男子。
諸法の實相、來たる無く去るも無し。諸佛≪その如きに來たれる(如來)≫らも亦復、是の如し。
善男子。
譬へば幻師が幻作せる象兵馬兵、車兵步兵の來たる無く去るも無きが如し。
當に知るべし諸佛ら、來たる無く去るも無かりきは亦復是の如しと。
善男子。
人の夢中に見たる有る≪その如きに來たれる(如來)≫、若しは一若しは二、若しは十若しは二十、若しは五十若しは百、若しは百數を過ぎて覺め已りて乃ち一の≪その如きに來たれる(如來)≫に至るの有るをだにも見ざるが如し。
善男子。
その意に於て云何、是の諸の≪その如きに來たれる(如來)≫ら何所從りして來たりて去りて何所にか至りたまふや』と。
薩陀波崙白して大師に言さく、『夢、定法無くして皆是れ虛妄なり』と。
善男子。
≪その如きに來たれる(如來)≫說きたまひき、≪一切法、虛妄にして夢の如し≫と。
若し人、諸法虛妄にして夢の如きと知らざれば色を以て身に名字し、語言章句して而も貪著を生ぜん。
是の如き人等、諸佛らを分別して而も來去有りとしたり。
諸法相を知らざるが故に。
若し人、佛に於て來去を分別せば當に知るべし是の人、凡夫なりと。無智なりと。
數た生死を受けて六道を往來し、般若波羅蜜を離れ佛法に於ても離れりと。
善男子。若し能く如實に佛が所說を知らば、一切諸法は虛妄なりて夢の如しとし、是の人、法に於て則ち分別せざらん、若しは來たり若しは去るとは。若しは生じ若しは滅すとも。
若し分別せざれば是の人則ち諸法の實相を以て而して如來を觀ざりき。
若し法相を以て≪その如きに來たれる(如來)≫を知らば是の人則ち分別せず、≪その如きに來たれる(如來)≫若しは來たり、若しは去るとは。
若し能く是の如く諸法相を知らば是の人則ち般若波羅蜜を行じ阿耨多羅三藐三菩提に近づきて是れ眞なる佛弟子と名づく。
虛ろならずして、人の信施を受け是れ世界の福田を爲さん。
善男子。
譬へて如くは海中に種種の珍寶あり。東方從り來たらず、南西北方、四維上下にも來たらざりき。
衆生福業の因緣、海に此の寶の生じるがごとし。
因無くきに非ずして而も有り。
諸寶滅す時にも亦、十方に至らず。
衆緣の合すを以て則ち有なり。衆緣滅して則ち無なり。
善男子。
諸の≪その如きに來たれる(如來)≫が身も亦復、是の如し。
定法有ること無し、十方從りせずして來り亦、因無からざりて而も有り。
本行の報の生ずるを以て、衆緣合して則ち有り、衆緣滅して則ち無し。
善男子。
譬へて如くは箜篌、音聲の從り來たる所無く、去りて至る所も無し。
屬するは衆因緣なり、絃有りて槽有りて棍有り。人有りて手に以て之れを鼓く。
衆緣合して則ち聲有り、是の聲、絃にのみ出で、槽にのみ出で、棍にのみ出で、手にのみ從り出でたらるにあらず。
衆緣合して則ち聲有り、而して從り來る所は無し。
衆緣散じて則ち滅し而して至れる所も無し。
善男子。
諸の≪その如きに來たれる(如來)≫が身も亦復、是の如し。
その屬する衆の因緣に、無量福德の成就をなしたまふす。
一因緣に一福德從りならずして而して生じたまひ亦、因無く緣無きにあらずして而して有り。
衆緣の合すを以て則ち有り而して從り來たる所は無し。
衆緣散じて則ち滅し而して去りて至る所も無し。
善男子。
應に當に是の如くに觀ずべし、諸の≪その如きに來たれる(如來)≫の來去の相を。
亦、應に是の如くに觀ずべし、諸の法の相を。
善男子。
汝若し是の如く諸の≪その如きに來たれる(如來)≫及び一切法を觀じ、來たる無く去るも無く、生ずる無く滅すも無かれば必ず阿耨多羅三藐三菩提に至らん。
亦は得ん、般若波羅蜜の方便の了達を』と。
是の、≪その如きに來たれる(如來)≫が來る無く去るも無きの法を說く時に三千大千世界、地を大震動させ諸天宮殿も亦皆、震動したりき。
諸魔宮殿も皆、復現ぜず。
三千大千世界、草木華樹悉く皆傾き、曇無竭菩薩に向かひて諸樹皆、時に非ざる妙華を出だしき。
釋提桓因及び四天王、虛空中に於て天名華、天末栴檀を雨らし、曇無竭菩薩が上に散らしたり。
語りて薩陀波崙菩薩に言さく、『仁に因する者なるが故に我等今日、第一義を聞きき。
一切世界に難きに値遇し、貪身の見者の及ぶ能はざる所なり』と。
爾の時に薩陀波崙菩薩、曇無竭菩薩に白さく、『何の因緣の故に地大震動す』と。
曇無竭言さく、『汝が是の諸のその如きに來たれる(如來)が無來無去に向かひて問ひ、我が汝に答ふる時を以て有る八千人ら無生法忍を得たれば。
八十那由佗の衆生、阿耨多羅三藐三菩提心を發したれば。
八萬四千衆生、遠塵離垢し、諸法中に於て法眼淨を得たれば』と。
薩陀波崙菩薩が心即ち歡喜し是の念を作さく、『我今則ち大なる善利を得るを爲しき。
般若波羅蜜が中に無來無去を聞き、是の如き無量の衆生を利益したり。
我が善根已に爲に具足したり、阿耨多羅三藐三菩提に於て心、疑悔無く必ず當に作佛すべし』と。
薩陀波崙、法の歡喜の生ずる因緣を聞き、即ち虛空に七多羅樹に高くして昇り是の念を作さく、『我今當に何物を以て曇無竭菩薩を供養せん』と。
釋提桓因、薩陀波崙が心の所念を知り即ち天曼陀羅華を以て薩陀波崙に與へ是の言を作さく、『汝、是の花を以て曇無竭菩薩を供養せよ。
善男子。
我等應に汝を助成すべし。
汝が因緣を以ての故に無量の衆生利益したれば。
善男子。
是の如きの人、甚だ難き、得るをも、値ふをも。
能く一切衆生が爲の故に無量阿僧祇劫に於て生死に往來したり』と。
爾の時に薩陀波崙菩薩、釋提桓因に曼陀羅華を受け曇無竭菩薩上に散らし、虛空從り下りて頭面に作禮し白して大師に言さく、『我、今日從り身を以て供給し大師に奉上せん』と。
是の語を作し已りて合掌し一面に立ちき。
爾の時に長者が女及の五百侍女ら白して薩陀波崙菩薩に言さく、『我等今こそは身を以て奉上し、是の善根因緣を持て當に是の如き善法を得、世世に常に共に諸佛らを供養し常に相ひ親近すべし』と。
薩陀波崙菩薩報へて諸女らに言さく、『汝若し身を以て我に與へ、誠心にして我が行者ず隨にせば我當に汝を受くべし』と。
諸女ら白して言さく、『我等誠心にして身を以て奉上し當に隨行すべし』と。
爾の時に薩陀波崙菩薩、五百女人らと幷び諸寶物莊嚴の具及び五百乘車をして曇無竭菩薩に奉上して白して言さく、『大師、是れ五百女人ら、以て大師に奉給せん、五百乘車、その意の隨に用ひたまへ』と。
爾の時に釋提桓因讚めて薩陀波崙菩薩に言さく、『善哉、善哉、菩薩摩訶薩應に是の如く學ぶべし、一切捨法を。
菩薩、是れ一切捨有らば則ち能く疾く得ん、阿耨多羅三藐三菩提を。
諸菩薩ら、般若波羅蜜を聞き及びその方便の爲の故に應に汝が今の如き供養を師に於てすべし。
過去諸佛ら菩薩道を本、行じたまひき時も亦、皆、汝が如き是の捨中に住して般若波羅蜜の爲に師に於て供養したりたまひき。
般若波羅蜜を聞き及びその方便の爲の故に阿耨多羅三藐三菩提を得たまひき』と。
爾の時に曇無竭菩薩、欲して薩陀波崙菩薩をして善根具足せしめたらんとすが故に、五百女人ら及び五百乘車を受けて受け已りて還して薩陀波崙に與へ、坐從り而して起ち、還りて宮中に入りき。
是の時日沒し、薩陀波崙菩薩、是の念を作さく、『我、法が爲に來たりて應に坐臥すべからず。
當に二事、若しは行じ若しは立つを以てし、以て法師の出宮し說法するを待たん』と。
爾の時に曇無竭菩薩、七歲に常に菩薩無量三昧、無量般若波羅蜜及び方便觀に入りき。
薩陀波崙菩薩、七歲中に滿てて若しは行じ、若しは立ち、睡眠に於ては離れたりき。
欲に於て念はず、美味をも念はずして但、念ふは曇無竭菩薩の何時當に禪從り起ち、我當に法座を敷き爲すべくて、曇無竭菩薩當に坐りて說法すべくして、我當に掃き灑ぎ地をして淸淨ならして種種の華を布くべくして、曇無竭菩薩當に般若波羅蜜及び方便を說くべきやとのみなり。
時に長者が女及び五百女人ら亦皆、七歲に薩陀波崙菩薩が所行の事に隨ひき。
爾の時に薩陀波崙菩薩、空中に聲言を聞きき、『善男子。曇無竭菩薩、却りて後七日に三昧從り起ち、當に城中に於て法座上に說法すべし』と。
薩陀波崙菩薩、空中の聲を聞き心大歡喜し五百女人らと欲して曇無竭菩薩に大法座を敷かんとしたり。
是の時に諸の女ら各、その上衣を脫ぎ以て法座の爲にすしたり。
是の念を作さく、『曇無竭菩薩、當に此の座に坐して般若波羅蜜及び方便を說くべし』と。
薩陀波崙菩薩欲して法座處地を灑がんとし求むる水をは得ず。
惡魔、隱蔽して水を現ぜざりたれば。
是の念を作さく、『薩陀波崙、求めて水を得ずして、或は當に憂悔し心動じ變異すべし。
善根增さざらん、智慧は照らさざらん』と。
薩陀波崙、求めて水を得ずして即ち是の念を作さく、『我當に身を刺し出づる血を以て用ひて地を灑ぐべし』と。
何を以ての故に。
『此の塵土中、大師に於て坌らしめん。
我今何にか此の身を用ひん。
此の身久しからずして必ず當に壞敗すべし、我寧しろ法が爲に身に於て滅すを以て終に空しくは死なず。
又、我常に五欲の因緣を以て無數身を喪ひ、生死に往來したりき。
未だ曾て是の如き法を得ざれば也』と。
薩陀波崙即ち利刀を以て周り遍く身を刺し血を以て地を灑ぎき。
五百女人らも亦、薩陀波崙菩薩に效ひて各各に身を刺して血を以て地を灑ぎき。
薩陀波崙菩薩及び五百女人ら乃ち一念に至るまで異心有ること無くば魔、壞して其の善根を障ぐ能はざりき。
爾の時に釋提桓因、是の念を作さく、『未曾有也、薩陀波崙菩薩。
法を愛すこと堅固なりて大莊嚴を發し、身命を惜しまず深心に阿耨多羅三藐三菩提に於て趣く。
當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし、無量なる衆生をその生死苦惱よりして度脫すべけん』と。
即時に釋提桓因、地を灑ぐ血を變じて天の赤栴檀水と爲し、法座の四邊、面する百由旬に天栴檀氣を流布し遍滿さしたりき。
釋提桓因讚言すらく、『善哉、善哉、善男子。
汝が精進力、不可思議なり。
法を愛し法を求めて最も無上と爲す。
善男子、過去諸佛らも亦皆、是の如く深心精進し法を愛し法を求め此を以て阿耨多羅三藐三菩提を修集したまひき』と。
爾の時に薩陀波崙、是の念を作さく、『我、曇無竭菩薩が爲に已に法座を敷き、淸淨に掃き灑ぎ、當に何所に於てか好名華を得て、此の地を莊嚴すべき。
曇無竭菩薩、座に在りて說法するに當に以て供養すべき』と。
釋提桓因、薩陀波崙が心の所念を知りて即ち三千石天曼陀羅華を以て薩陀波崙菩薩に與へ是の言を作さく、『善男子。是の曼陀羅華を取り此の地を莊嚴し、曇無竭菩薩を供養せよ』と。
薩陀波崙菩薩、此の華を受け已り半ば以て地に散らし、半ば以て曇無竭菩薩を供養したり。
爾の時に曇無竭菩薩、七日を過ぎ已りて三昧從り起ち、無量百千萬衆と恭敬圍繞し法座所に趣き、法座上に坐して般若波羅蜜を說きき。
薩陀波崙、曇無竭菩薩を見て心大喜樂して譬へば比丘が第三禪に入るが如し。
爾の時に薩陀波崙及び五百女人ら供養散華し頭面に禮足し却りて一面に坐したり。
曇無竭菩薩、薩陀波崙に因して大衆が爲に說言すらく、『諸法等しきが故に般若波羅蜜も亦等しき。
諸法離なるが故に般若波羅蜜も亦離なり。
諸法不動なるが故に般若波羅蜜も亦不動なり。
諸法無念なるが故に般若波羅蜜も亦無念なり。
諸法無畏なるが故に般若波羅蜜も亦無畏なり。
諸法一味なるが故に般若波羅蜜も亦一味なり。
諸法無邊なるが故に般若波羅蜜も亦無邊なり。
諸法無生なるが故に般若波羅蜜も亦無生なり。
諸法無滅なるが故に般若波羅蜜も亦無滅なり。
虛空の無邊なるが如くに般若波羅蜜も亦無邊なり。
大海無邊なるが如くに般若波羅蜜も亦無邊なり。
須彌山莊嚴なるが如きに般若波羅蜜も亦莊嚴なり。
虛空無分別なるが如くに般若波羅蜜も亦無分別なり。
色無邊なるが故に般若波羅蜜も亦無邊なり。
受想行識無邊なるが故に般若波羅蜜無邊なり。
地種無邊なるが故に般若波羅蜜無邊なり。
水種火種風種空種無邊なるが故に般若波羅蜜無邊なり。
金剛等しきが如き故に般若波羅蜜も亦等し。
諸法無壞なるが故に般若波羅蜜無壞なり。
諸法性不可得なるが故に般若波羅蜜性不可得なり。
諸法無等なるが故に般若波羅蜜無等なり。
諸法無所作なるが故に般若波羅蜜無所作なり。
諸法不可思議なるが故に般若波羅蜜不可思議なり』と。
是の時に薩陀波崙菩薩即ち坐所に於て得き、諸法等三昧を、諸法離三昧を、諸法不動三昧を、諸法無念三昧を。
諸法無畏三昧を、諸法一味三昧を、諸法無邊三昧を、諸法無生三昧を。
諸法無滅三昧を、虛空無邊三昧を、大海無邊三昧を、須彌山莊嚴三昧を。
如虛空無分別三昧を、色無邊三昧を、受想行識無邊三昧を、地種無邊三昧を。
水種火種風種空種無邊三昧を、如金剛等三昧を、諸法不壞三昧を、諸法性不可得三昧を。
諸法無等三昧を、諸法無所作三昧を、諸法不可思議三昧を。
是の如き等の六百萬三昧摩訶般若波羅蜜を得たりき。」
● 囑累品第二十九
爾の時に佛、須菩提に告げたまはく、
「薩陀波崙菩薩、六百萬三昧門を得已り即ち十方如恒河沙等世界の諸佛らを見き。
大比丘衆と恭敬圍繞し皆、是の文字章句相貌を以て般若波羅蜜を說きき。
我の今、此の三千大千世界に於て諸大衆と恭敬圍繞し是の文字章句相貌を以て般若波羅蜜を說くが如くに。
薩陀波崙是れ從り已後、多聞の智慧なりて、不可思議なりて、大海水の如くに世世に所生し諸佛らを離れず、現在諸佛らの常に其所に生じ一切衆難を皆悉く斷じ得き。
須菩提。
當に知るべし是の般若波羅蜜の因緣、能く菩薩道を具足すと。
是の故に諸菩薩ら、若し欲して一切智慧を得んとせば應に當に般若波羅蜜を信受し讀誦し正しく憶念し說の如くに修行し廣く人が爲に說くべし。
亦當に了了して經卷を書寫し供養恭敬し尊重讚歎し華香瓔珞、末香塗香、幡蓋伎樂等則ち是れら我は敎へたりき。」
爾の時に佛、阿難に告げたまはく、
「その意に於て云何。
佛、是れ汝が大師なりや不や」と。
「世尊。
佛、是れ我が大師なり。
≪その如きに來たれる(如來)≫、是れ我が大師なり。」
佛、阿難に告げたまはく、
「我是れ汝が大師なり、汝是れ我が弟子なり。
汝、身口意の業を以て今現在に於て我に於て供養恭敬し尊重せば我が滅度後にも汝當に是の供養恭敬尊重を以て般若波羅蜜第二第三亦是の如くに說くべし。
我、般若波羅蜜を以て汝に囑累す。愼みて忘失する莫れ、これ最後と作し種を人に斷つこと莫れ。
阿難。
爾の所時に隨ひ般若波羅蜜、世に在らば當に知るべし爾の所時に佛、有りて世に在りて說法すと。
阿難。
若し般若波羅蜜を書寫する有りて、受持し讀誦し正しく憶念し所說の如く行じ廣く人の爲に說き、供養恭敬し尊重讚歎し華香乃ち伎樂にまで至らば當に知るべし是の人、佛を見て離れず、法を聞き離れず、常に佛に親しみたりと。」
佛、般若波羅蜜を說き已りて彌勒等諸菩薩摩訶薩ら、舍利弗、須菩提、目犍連、摩訶迦葉等諸聲聞衆、一切世間、天、人、阿修羅等、佛が所說を聞き歡喜し信受せり。
小品般若波羅蜜經卷第十
目録
摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
摩訶般若波羅蜜經卷第一
● 初品第一
● 釋提桓因品第二
小品般若波羅蜜經卷第二
● 塔品第三(丹本云寶荅品)
● 明咒品第四
● 舍利品第五
小品般若波羅蜜經卷第三
● 佐助品第六
● 廻向品第七
● 泥犁品第八
小品般若波羅蜜經卷第四
● 歎淨品第九
● 不可思議品第十
小品般若波羅蜜經卷第五
● 魔事品第十一
● 小如品第十二
● 相無相品第十三
● 船喩品第十四
小品般若波羅蜜經卷第六
● 大如品第十五
● 阿惟越致相品第十六
小品般若波羅蜜經卷第七
● 深功德品第十七
● 伽提婆品第十八
● 阿毗跋致覺魔品第十九
小品般若波羅蜜經卷第八
● 深心求菩提品第二十
● 恭敬菩薩品第二十一
● 無慳煩惱品第二十二
小品般若波羅蜜經卷第九
● 稱揚菩薩品第二十三
● 囑累品第二十四
● 見阿閦佛品第二十五
● 隨知品第二十六
小品般若波羅蜜經卷第十
● 薩陀波崙品第二十七
● 曇無竭品第二十八
● 囑累品第二十九
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