摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第九


小品般若波羅蜜經卷第九

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯

● 稱揚菩薩品第二十三

● 囑累品第二十四

● 見阿閦佛品第二十五

● 隨知品第二十六



小品般若波羅蜜經卷第九

● 稱揚菩薩品第二十三

爾の時、須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、般若波羅蜜を行じて即ち是れ甚深の義を行ずるや」と。

「是の如し、是の如し須菩提。

 菩薩、般若波羅蜜を行じて即ち是れ甚深の義を行ず。

 須菩提。

 菩薩が所爲は甚だ難し。

 甚深の義を行じて而も是の義を證せず。

 所謂若しは聲聞地をも、若しは辟支佛地をも。」

「世尊。

 我が佛が所說の義を解くが如くんば菩薩の所行、難からず。

 何を以ての故に。

 證を取りて不可得なれば。

 證を取る用ふるの法も亦、不可得なれば。

 證するの法も亦不可得なれば。

 若し菩薩、是の如き說を聞きて驚かず、怖れず、沒せず、退せざれば當に知るべし是の菩薩、般若波羅蜜を行ずと。

 亦、我が般若波羅蜜を行ずるをも見ず。

 是の如きも亦、分別せざれば當に知るべし是の菩薩、阿耨多羅三藐三菩提に近づくと。

 聲聞、辟支佛地をは遠離したりき。

 世尊。

 譬へば虛空に是の念ひを作さざるが如し、『是れ遠き、是れ近き』と。

 何を以ての故に。

 虛空、分別無きが故に。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦是の如き。

 是の念ひをは作さず、『聲聞、辟支佛地去りて我遠ざかりて阿耨多羅三藐三菩提去りて我近づく』とは。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、分別無きが故に。

 世尊。

 譬へば幻の化したるの人、是の念ひを作さざるが如し、『幻師去りて我近づきき、觀る者去りて我遠ざかりき』とは。

 何を以ての故に。

 世尊。

 幻の化したるの人、分別無きが故に。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦是の如き。

 是の念ひをは作さず、『聲聞、辟支佛地去りて我遠ざかりき、阿耨多羅三藐三菩提去りて我近づきき』とは。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、分別無きが故に。

 世尊。

 譬へば影の是の念ひを作さざるが如し、『所因は去りて我近づきき、餘事は去りて我遠ざかりき』とは。

 何を以ての故に。

 影、分別無きが故に。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦是の如き。

 是の念ひをは作さず、『聲聞、辟支佛地去りて我遠ざかりき、阿耨多羅三藐三菩提去りて我近づきき』とは。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、分別無きが故に。

 世尊。

≪その如きに來たる(如來)≫の憎無く愛無きが如くに般若波羅蜜も亦、是の如くに憎無し、愛も無し。

 世尊。

≪その如きに來たる(如來)≫の諸分別無きが如くに般若波羅蜜も亦、是の如くに諸分別は無し。

 世尊。

≪その如きに來たる(如來)≫の化したるの人、是の念ひすなはち『聲聞、辟支佛地去りて我遠ざかりき、阿耨多羅三藐三菩提去りて我近づききを』は作さざるが如くに。

 何を以ての故に。

≪その如きに來たる(如來)≫の化したるの人、分別無きが故に。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦、是の如き、是の念ひをは作さず、『聲聞、辟支佛地去りて我遠ざかりき、阿耨多羅三藐三菩提去りて我近づきき』とは。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、分別無きが故に。

 世尊。

≪その如きに來たる(如來)≫の化したるの人、事の隨に能く作して而も分別は無し。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦、是の如き。

 修習したるの隨に皆能く成辦して而も分別するは無し。

 世尊。

 譬へて如くは工匠の機關木に於ける人の、若しは男も、若しは女も所爲の事の隨に皆、能く成辦して而も分別無し。

 世尊。

 般若波羅蜜も亦、是の如くに修習したるが隨に皆能く成辦して而も分別は無し。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 菩薩、般若波羅蜜を行じて即ち是れ堅固の義を行ずるや」と。

佛、須菩提に告げたまはく、

「菩薩、般若波羅蜜を行じて即ち是れ堅固の義を行ず」と。

爾の時に欲界諸天子ら、是の念を作さく、

「若し人、阿耨多羅三藐三菩提心を發し能く是の如き深般若波羅蜜を行じ而して實際を證せず聲聞地、若しは辟支佛地にも墮さざれば當に知るべし、是の菩薩が所爲、甚だ難きと。

 一切世間が應に敬禮すべきなり」と。

須菩提、諸天子らに語らく、

「菩薩、深般若波羅蜜を行じ而して證を取らざるは難きと爲るに足らず。

 若し菩薩、無量無邊衆生が爲の故の大莊嚴を發して而して衆生は畢竟にして不可得なり。

 度する可きの者らも不可得なりて而して能く發心す、『我當に之れを度すべし』と。

 爾ち乃ちこれ難きと爲す。

 諸天子ら。

 是の人、欲して衆生を度さんとし、爲に欲して虛空を度さんとしたり。

 何を以ての故に。

 虛空は離るるなるが故に、衆生も亦離るなれば。

 是の故に當に知るべし是の菩薩が所爲、甚だ難きと。

 衆生無く而して衆生が爲に大莊嚴を發し、人の虛空と共に鬪ふが如し。

 佛說きたまふ、衆生不可得なりと。

 衆生離るるなるが故に、度す可き者も亦離るるなり。

 衆生離るるなるが故に色も亦離るるなり。

 衆生離るるなるが故に受想行識も亦離るるなり。

 衆生離るるなるが故に一切法も亦離るるなり。

 若し菩薩是の如き說を聞き驚かず、怖れず、沒せず、退せざれば當に知るべし是れ、般若波羅蜜の行を爲したりと。」

佛、須菩提に問ひたまはく、

「菩薩、何の因緣の故に驚かざるや、怖れざるや、沒さざるや、退かざるや」と。

「世尊。

 空なるが故に沒せず。

 所有無きが故に沒せず。

 何を以ての故に。

 沒す者不可得なれば。沒す法も亦不可得なれば。沒す處も亦不可得なれば。

 若し菩薩、是の如き說を聞き驚かず、怖れず、沒せず、退せざれば當に知るべし是れ、般若波羅蜜の行を爲したりと。」

「須菩提。

 菩薩、是の如く般若波羅蜜を行ぜば釋提桓因、梵天王と衆生主、自在天王及び諸天子ら皆共に敬禮せん。

 須菩提。

 但、釋提桓因、梵天王、衆生主、自在天王及び諸天子ら敬禮すのみならず是れ、般若波羅蜜を行ぜば菩薩を、梵世諸天、梵輔天、梵衆天、大梵天、光天、少光天、無量光天、光音天、淨天、少淨天、無量淨天、遍淨天、無陰天、福生天、廣果天、無廣天、無熱天、妙見天、善見天、無小天上の諸天ら皆、敬禮せん、是の般若波羅蜜の行の菩薩を、須菩提。

 今現在無量阿僧祇世界の諸佛ら皆、念はん、是れ般若波羅蜜を行ずるこの菩薩を。

 須菩提。

 若し菩薩、般若波羅蜜を行ずる時に諸佛らが爲す念ひ、當に知るべし『是の菩薩、即ち是れ阿毗跋致なり』となり。

 須菩提。

 假令ひ恒河沙等の如き世界の衆生を皆、惡魔と作せど、一一にも化作せる爾所の惡魔となせども是れら諸惡魔ら皆、是の般若波羅蜜を行ずる菩薩を壞する能はじ。

 須菩提。

 菩薩、成就したる二法をも惡魔、壞す能はじ。

 何等を二とす。一は一切法空なりの觀なり。二は一切衆生への不捨なり。

 菩薩、成就したる是の二法、惡魔、壞す能はず。

 須菩提。

 復、有る二法をも惡魔、壞する能はず。

 何等をか二とす。一は說の隨に能く行ずるなり。二は諸佛らが念へるなり。

 菩薩成就する是れら二法に、諸天皆、來たりて供養し恭敬し請問するはその安慰をなり。

『善男子。汝、是の行を行ぜば當に疾く佛道を得ん』と。

『汝、是の行を行じ衆生に救ひ無くば當に爲に救ひを作すべし』と。

『衆生が舍も無くば當に爲に舍を作すべし』と。

『衆生が依るべ無くば當に爲に依るべを作すべし』と。

『衆生が洲も無くば當に爲に洲を作すべし』と。

『衆生が究竟道無くば當に爲に究竟道を作すべし』と。

『衆生が歸する無くば當に爲に歸するを作すべし』と。

『衆生無明なれば爲に光明を作すべし』と。

『衆生に趣無くば當に爲に趣を作すべし』と。

 何を以ての故に。

 是の菩薩、般若波羅蜜の行を行じ是れ四功德を成就したれば。

 現在十方無量無邊阿僧祇世界の諸佛ら、比丘僧らと圍繞說法の時に悉皆く稱揚し讚歎して說かん、其の名字を。

 須菩提。

 譬へば我、今、實相にその菩薩を稱揚し讚歎し、其の名字及び餘の菩薩らを說かんとするが如くに。

 阿閦佛所に於て梵行修行し是れ般若波羅蜜の行を離れざれば、是の如くに須菩提。

 今現在十方諸佛ら亦皆、稱揚し讚歎し說かん、我が國中の諸菩薩らが名をも、梵行を修行し般若波羅蜜の行を離れざる者らをも。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 一切諸佛らが說法の時、普く皆、諸菩薩らを稱揚し讚歎したまふや不や」と。

「不也、須菩提。

 諸佛らが說法の時、稱讚さる者有り、稱讚されざる者有り。

 須菩提。

 諸佛らが說法の時に稱揚し讚歎するは諸の阿毗跋致菩薩らなり。」

「世尊。

 未だ阿毗跋致を得ざれども諸佛らが說法時に亦皆、稱揚し讚歎したまふものもありや不や。」

「須菩提。

 未だ阿毗跋致を得ざる者らに諸佛らが亦、稱揚し讚歎する有らば何者なるや。

 是れ能く阿閦佛の學の隨に菩薩が爲に時に行道するの者なり。

 是の如き菩薩、未だ阿毗跋致を得ずと雖も亦、諸佛ら爲に稱揚し讚歎せん。

 須菩提。

 有る能く實相に學べるが隨なる菩薩の行道するの者、是の如菩薩ら未だ阿毗跋致を得ざると雖も亦、諸佛ら爲に稱揚し讚歎せん。

 復、次に須菩提。

 有る菩薩、般若波羅蜜を行じ、一切法無生を信解し而して未だ無生法忍を得ざりき。

 一切法空を信解し而して阿毗跋致地中に於て未だ自在を得ざりき。

 能く一切法寂滅相を行じ而して未だ阿毗跋致地に入らざりき。

 須菩提。

 菩薩、是の如くに行ずる者らも、諸佛らが說法時に亦、皆、稱揚され讚歎されん。

 未だ阿毗跋致を得ず而して諸佛ら爲に說法する時に、稱揚し讚歎されたれば則ち聲聞、辟支佛地を離れ佛地に於て近づき必ずや得ん、阿耨多羅三藐三菩提の記を。

 須菩提。

 若し菩薩、般若波羅蜜を行じて諸佛らが說法時に稱揚され讚歎されたる者、當に知るべし是の菩薩、必ず阿毗跋致に至らんと。」

● 囑累品第二十四

佛、須菩提に告げたまはく、

「若し菩薩、是の甚深般若波羅蜜を聞き信解し不疑はず、悔いず難からずとせば是の菩薩、當に阿閦佛及び諸菩薩らが所に於て深般若波羅蜜を聞き亦復、信解すなり。

 須菩提。

 菩薩、若し能く佛が所說の如くに般若波羅蜜を信解せば是の人、必ず阿毗跋致に至らん。

 須菩提。

 若しは人、但、般若波羅蜜を聞くのみにして尚、饒益を得ん。

 何を況んや信解し所說が如くに行ずるをや。

 當に薩婆若に住すべし。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 若し≪その如き(如)≫を離れ更に法を得可く無くて誰が當に薩婆若に住すべき。

 誰が當に阿耨多羅三藐三菩提を得べき。

 誰が當に說法すべき」と。

佛、須菩提に告げたまはく、

「汝が所問、≪その如き(如)≫を離れ更に法の得可き無くして誰が當に薩婆若に住すべくして誰が當に阿耨多羅三藐三菩提を得べくして誰が當に說法すべきやとは、是の如し。

 是の如し須菩提。

≪その如き(如)≫を離れ更に法無くして≪その如き(如)≫中に住し、≪その如き(如)≫も尚も不可得なり。

 何を況んや≪その如き(如)≫に住す者をや。

≪その如き(如)≫、阿耨多羅三藐三菩提を得る能はず。

≪その如き(如)≫を離れ亦、阿耨多羅三藐三菩提を得る能はず。

≪その如き(如)≫に說法者無く、≪その如き(如)≫を離れて亦も說法者は無し。」

爾の時に釋提桓因白して佛に言さく、

「世尊。

≪その如き(如)≫に住す者無く、阿耨多羅三藐三菩提を得る者無く、說法者も無く而して菩薩、是の深法を聞き疑はず悔いず難しとせずして而して阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲せば是れ、甚だ難きを爲す」と。

須菩提、釋提桓因に語らく、

「憍尸迦。

 所說が如くに菩薩、是の深法を聞き疑はず、悔いず、難しとせずして欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとせば是れ甚だ難きを爲すとは、憍尸迦。

 一切法空なれば此の中に誰をか當にこれ疑ひ悔いて難しとす者とすべきや」と。

釋提桓因、須菩提に語らく、

「所說の如き者ら皆、空に於て因し而して礙げも無きなり。

 譬へば仰ぎて虛空を射て箭去りて礙げ無きが如くに。

 須菩提。

 所說も礙げ無かりて亦是の如し。」

爾の時に釋提桓因白して佛に言さく、

「世尊。

 我、是の如くに說き是の如く答ふ。

 これ爲して≪その如きに來たれる(如來)≫が說の隨なりや、法の答ふるが隨なりや不や。」

「憍尸迦。

 汝が是の如き說、是の如き答、これら爲して≪その如きに來たれる(如來)≫が說の隨なりとし、爲して法の答ふるが隨なりきとし皆、正答を爲しきとす。

 憍尸迦。

 須菩提が所說、皆空に於て因すと。

 須菩提。

 尚も般若波羅蜜を得る能はず。何を況んや般若波羅蜜を行ず者をや。

 尚も阿耨多羅三藐三菩提をは得ざりき、何を況んや阿耨多羅三藐三菩提を得る者をや。

 尚も薩婆若をは得ざりき、何を況んや薩婆若を得き者をや。

 尚もその如き(如)をは得ざりき、何を況んやその如き(如)を得き者をや。

 尚も生ず無きをは得ざりき、何を況んや生ず無きを得き者をや。

 尚も諸力をは得ざりき、何を況んや諸力を得き者をや。

 尚も畏るる無きをは得ざりき、何を況んや畏るる無きを得き者をや。

 尚も法をは得ざりき、何を況んや說法者をや。

 憍尸迦。

 須菩提、常に遠離を樂ひ、所得無きを樂ふを行じき。

 憍尸迦。

 是れ須菩提が所行、菩薩所に於く行の百分の一に及ばずして百千萬億分の一にも及ばずして乃ち算數譬喩の及ぶ能はざるにまでも至らん。

 憍尸迦。

 唯、≪その如きに來たる(如來)≫が所行のみ除く。

 菩薩が般若波羅蜜の行、餘の行中に於て最大最勝なり、最上最妙なり。

 菩薩の所行、亦、聲聞、辟支佛の所行に於て最大最勝なり、最上最妙なり。

 是の故に憍尸迦。

 若し人、欲して一切衆生中に於て最上たらんとせば當に行ずべし、菩薩が所行の般若波羅蜜を。」

爾の時に會中の忉利諸天子ら、天曼陀羅華を以て佛上に散らしたりき。

六百比丘ら座從り而して起ち、偏へに右肩を袒はし、右膝を地に著け合掌して佛に向かひき。

佛が神力の故に花悉く滿てて、掬ひ即ち此の華を以て佛上に散らしたりて散らし已りたりて是の言を作さく、

「世尊。

 我等皆、當に行ずべし是の上行を」と。

佛即ち微笑したまふ。

諸佛ら常法、若し微笑したまふ時には靑黃赤白無量色の光、口從り而て出でたり。

是れ諸光明、遍く無量無邊の世界を照らし上は梵天に至り還りて身を遶りて三匝、頂上從り入りき。

阿難即と座從り而て起つ。

偏へに右肩を袒はし右膝を地に著け合掌し佛に向かひて白して佛に言さく、

「世尊。

 何の因緣の故にか微笑したまふ。

 諸佛ら因緣無きを以ては而も笑ひたまはず」と。

佛、阿難に告げたまはく、

「是れ六百比丘ら當に星宿劫に於て成佛を得ん。

 同じく號して散花なり。

 阿難。

 是れら諸如來ら、比丘僧數、悉くに皆同等にして壽命も亦、等しき。俱に二萬劫なり。

 彼の諸比丘ら是れ從り已後に所生の處を在りて常に出家を得ん。

 其の世界常に五色好華を雨らさん。

 是の故に阿難。

 若し人、欲して上行を行じんとせば當に行ずべし、般若波羅蜜を。

 若し菩薩、欲して如來が行を行じんとせば當に行ずべし、般若波羅蜜を。

 阿難。若し菩薩、般若波羅蜜を行ぜば當に知るべし是の人、人間從りして命終し若しは兜率天上に於て命終し、人間に來生せん。

 何を以ての故に。

 人中兜の術、天上の般若波羅蜜の行は易きが故なり。

 阿難。

 若し菩薩、般若波羅蜜を行じ信樂し受持し、讀誦し書寫し、書寫し已りて般若波羅蜜を以て示敎し、諸餘の菩薩ら利喜さし當に知るべし是の人、≪その如きに來たる(如來)≫の所見と爲らんと。

 當に知るべし是の人、諸佛らが所に於て諸善根を種ゑたりと。

 弟子に於ての所種の善根ならず。

 阿難。

 若し菩薩、般若波羅蜜を學び驚かず、畏れず、信樂し、受持し、讀誦し、所說の如くに行ぜば當に知るべし是の人、現在の佛所にまで至らんと。

 若し般若波羅蜜を信ずる有りて謗らず、逆らはずせば當に知るべし是の人、已に諸佛らを供養すと。

 阿難。

 若し人、佛所に於て善根を種ゑ、阿羅漢、辟支佛を求め、是の善根虛ろならずして亦、般若波羅蜜を離れずば是の故に、阿難。

 我今、般若波羅蜜を以て、汝に於て囑累せん。

 阿難。

 我が所說の法、唯、般若波羅蜜をのみ除き、受持する有らば若しは忘失しても其の過尚も少し。

 汝若し般若波羅蜜を受持し乃ち一句だに忘失するに至れば其の過、甚だ重し。

 是の故に阿難。

 我、般若波羅蜜を以て汝に於て囑累せん。

 汝、所聞を受持し皆應に讀誦し悉く通利さしむべし。

 善念、心に在えいて當に章句分明ならしむべし。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、是れ過去未來現在の諸佛らが法藏なるが故に。

 阿難。

 若し人、今現在に於て欲して慈心を以て我を恭敬し供養せんとせば是の人、當に是の心を以て供養すべし、般若波羅蜜を、受持し讀誦し所說が如くに行じて即ち是れ我に於く供養なり。

 阿難。

 是の人、但、我を供養すのみならずして亦、爲して過去未來現在の諸佛らまでも恭敬し供養す。

 阿難。

 汝若し愛重し我に於て捨てざれば亦、應に是の如く愛重し般若波羅蜜をも捨てざるべし。

 乃ち一句に至るまでも愼みて忘失する莫かれ。

 阿難。

 我、般若波羅蜜を囑累する因緣の爲の故に若し一劫百劫に於て千萬億那由他劫乃ち恒河沙等にも如しき劫に至るまでも說きて盡くす可からず。

 阿難。

 今、但、略說すのみなり。

 我が如き今の大師と爲り過去現在十方諸佛ら、一切世間、天、人、阿修羅中にも於きて亦、大師と爲る。

 般若波羅蜜も亦一切世間、天、人、阿修羅中にも於きて而して大師と作る。

 是の如き等の無量の因緣有るが故に我、一切世間、天、人、阿修羅中に於て般若波羅蜜を以て汝に於て囑累すなり。」

佛、阿難に告げたまはく、

「若し人、佛を愛重じ、法を愛重し、僧を愛重し、過去未來現在の諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提をまでも愛重せんとせば當に是の愛重を以て般若波羅蜜を愛重すべし。

 此れ則ち是の我が所用の敎化なり。

 阿難。

 若し有る人、般若波羅蜜を受持し讀誦せば當に知るべし是の人、則ち爲して過去未來現在の諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提を受持すと。

 阿難。

 般若波羅蜜、斷絕せんと欲す時に若し護助せんと欲さば是の人、則ち是れ過去未來現在の諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提を護助せんとしたりと。

 何を以ての故に。

 阿難。

 諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提皆、般若波羅蜜從り生ぜば。

 阿難。

 若しは過去諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提皆、般若波羅蜜從り生じたれば。

 未來諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提も亦、般若波羅蜜從り生ずべかれば。

 現在無量阿僧祇世界の諸佛らが阿耨多羅三藐三菩提も亦、般若波羅蜜從り生ぜば。

 是の故に阿難。

 若し菩薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとせば當に善く六波羅蜜を學ぶべし。

 何を以ての故に。

 阿難。

 諸波羅蜜是れ諸菩薩らが母なれば。能く諸佛らを生ず。

 若し菩薩、是れ六波羅蜜を學ばば當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。

 是の故に阿難。

 我、六波羅蜜を以て重ねて汝に囑累せん。

 何を以ての故に。

 是の六波羅蜜、是れ諸佛らが無盡の法藏なれば。

 阿難。

 汝、若し小乘法に因し小乘人が爲に說かば三千大千世界衆生皆、是の法を以て阿羅漢を證さん。

 汝、弟子らが爲の功德、蓋少なり。

 言ふには足らず、若しは六波羅蜜を以て菩薩らが爲に說き汝、弟子らが爲に功德具足させたる我が則ち喜悅には。

 阿難。

 若し人、是の小乘法を以て三千大千世界衆生に敎へ阿羅漢の證を得さしめ、是の諸布施持戒、修善福德、寧しろ多きと爲すや不や。」

阿難言さく、

「甚だ多き、世尊」と。

佛、阿難に告げたまはく、

「是れ福多しと雖も、聲聞人の菩薩らが爲に般若波羅蜜を說くの乃ち一日に至れば其の福甚だ多きには如らじ。

 阿難。

 置きて此の一日、若し旦(朝)從り食時に至り、置きて旦從り食時に至り、乃ち一漏刻頃にまで至り、置きて是の一漏刻の頃、乃ち須臾にまで至り菩薩が爲に說法せば是の人、一切聲聞、辟支佛らに於く善根福德、相ひ比ぶる可からず。

 若し菩薩、是の如く行じ是の如く念はば阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉する者、是處に有るはこと無し。」

● 見阿閦佛品第二十五

佛、般若波羅蜜を說きたまふ是の時の會中に四衆、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人、非人等、佛神力の故に阿閦佛の大會中に在るを見き。

恭敬し圍繞し而して爲に說法したまふ。

大海水の如くして移動す可からず。

時に諸比丘ら皆阿羅漢になりて諸漏已に盡き復、煩惱無くして心に自在を得き。

及び諸菩薩摩訶薩ら其の數無量なり。

佛、神力を攝めたまひて大會四衆等皆、復、阿閦如來及び聲聞菩薩の國界を嚴飾すを見ず。

佛、阿難に告げたまはく、

「一切法も亦、是の如し、眼と對ひ作さず。今の如く阿閦佛及び阿羅漢、諸菩薩衆、皆、復現ぜす。

 何を以ての故に。

 法は法を見ざれば、法は法を知らざれば。

 阿難。

 一切法は知るに非ざる者なり。見るに非ざる者なり。作すに非ざる者なり。

 貪著無く分別せざるが故に。

 阿難。

 一切法は不可思議なりて猶、幻人の如し。

 一切法は受くる無き者なりて堅牢ならざるが故に。

 菩薩、是の如く行ぜば名づけて般若波羅蜜の行と爲し法に於ても亦、所著無し。

 菩薩、是の如くに學べば名づけて般若波羅蜜の學と爲す。

 阿難。

 若し菩薩、欲して一切法の彼岸に到らんとせば當に學ぶべし、般若波羅蜜を。

 何を以ての故に。

 阿難。

 般若波羅蜜の學、諸學中に於て最も第一を爲せば。

 諸世間の安樂利益の故に。

 阿難。

 是の如く學ばば依止無きに爲して依止を作す。

 是の如く學ばば諸佛らが許す所ならん。諸佛らが讚める所ならん。

 諸佛ら是の如くに學び已り能く足指を以て三千大千世界を震動させたれば。

 阿難。

 諸佛ら是れ般若波羅蜜を學び過去未來現在の一切法中に於て礙げ無き知見を得き。

 阿難。

 是の故に般若波羅蜜、最上なり最妙なり。

 阿難。

 若し欲して般若波羅蜜を稱量せんとせば即ち是れ虛空を稱量せんとすなり。

 何を以ての故に。

 是れ般若波羅蜜無量なるが故に。

 阿難。

 我は說かず、般若波羅蜜に限有り量有りとは。

 阿難。

 名字章句、語言、これら有量なれど般若波羅蜜は無量なり。」

「世尊。

 何の因緣の故に般若波羅蜜無量なる。」

「阿難。

 般若波羅蜜、盡き無きが故に無量なり。

 般若波羅蜜、離なるが故に無量なり。

 阿難。

 過去諸佛ら皆、般若波羅蜜從り出でたりて而して般若波羅蜜、盡きず。

 未來諸佛ら皆、般若波羅蜜從り出でんとし而して般若波羅蜜、盡きず。

 現在無量世界の諸佛ら皆、般若波羅蜜從り出でて而も般若波羅蜜、盡きず。

 是の故に般若波羅蜜已にして盡きず、今にして盡きず、當に盡きざるべし。

 阿難。

 若し人欲して般若波羅蜜を盡くさんとせば爲に欲して虛空を盡くさんとす。」

爾の時に須菩提、是の念を作さく、

「是の事甚深なり。我當に佛に問ふべし」と。

即ち白して佛に言さく、

「世尊。

 般若波羅蜜無盡なりや」と。

「須菩提。

 般若波羅蜜無盡なり。虛空無盡なるが故に般若波羅蜜も無盡なり。」

「世尊。

 應に云何が般若波羅蜜、出生すべき。」

「須菩提。

 色無盡なるが故に是れ般若波羅蜜、生ず。受想行識無盡なるが故に是れ般若波羅蜜生ず。

 須菩提。

 菩薩、道場に坐す時に是の如く十二因緣を觀じ、二邊に於て離れよ、是れ菩薩が不共の法と爲す。

 若し菩薩、是の如く觀じたればその因緣法に、聲聞、辟支佛地に墮さず疾く薩婆若に近づき必ず阿耨多羅三藐三菩提を得ん。

 須菩提。

 若し諸菩薩ら退轉有らば是の如き念をは得ず、菩薩、般若波羅蜜の行を知らず、云何が無盡法を以て十二因緣を觀じん。

 須菩提。

 若し諸菩薩ら退轉有らば是の如き方便之の力をは得ず。

 須菩提。

 若し諸菩薩ら退轉せざれば皆、是の如き方便の力を得ん。

 所謂、菩薩、般若波羅蜜を行ずるは、是の如き無盡法、觀十二因緣を以てなり。

 若し菩薩、是の如く觀ずる時には諸法をは見ず、因緣の生ずるも無し。

 亦、その諸法をも見ず、常に諸法の作者受者をも見ず。

 須菩提。

 是れ菩薩の般若波羅蜜を行ずる時の觀十二因緣法と名づく。

 須菩提。

 若し菩薩、般若波羅蜜を行ずる時には、色を見ず、受想行識を見ず、此の佛世界を見ず、彼の佛世界を見ず、亦、法の有るをもを見ずして見る、此の佛世界を、彼の佛世界を。

 須菩提。

 若し有る菩薩、能く是の如く般若波羅蜜を行ぜば是の時に惡魔憂愁しそれ箭の心に入るが如し。

 譬へば新たなる父母の喪に甚だしき大憂毒あるが如し。

 菩薩も亦、是の如く般若波羅蜜を行じて惡魔甚だ大憂毒あり。」

「世尊。

 但、一惡魔のみ愁毒するや、三千世界の惡魔皆悉くに愁毒するや。」

「須菩提。

 是の諸惡魔ら皆悉くに憂毒せん。各の坐處に於て自安す能はず。

 須菩提。

 菩薩、是の如く般若波羅蜜を行じ一切世間、天、人、阿修羅ら能く便りを得る無し。

 退く可き法の有るを見ざるなれば、是の故に須菩提。

 菩薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んんとせば當に是の如くに般若波羅蜜を行ずべし。

 菩薩、是の如くに般若波羅蜜を行ずる時、則ち具足せん、檀波羅蜜を、尸羅波羅蜜を、羼提波羅蜜を、毗梨耶波羅蜜を、禪波羅蜜を。

 菩薩、般若波羅蜜を行ずる時、則ち諸波羅蜜を具足し亦能く方便力を具足せん。

 是れ菩薩、般若波羅蜜を行じて諸の所作生じる有りて便ち能く知る。

 是の故に須菩提。

 菩薩、欲して方便力を得んとせば當に學すべし、般若波羅蜜を。當に修すべし、般若波羅蜜を。

 須菩提。

 若し菩薩、般若波羅蜜を行じて般若波羅蜜を生ずる時に應に念ずべし、現在無量無邊世界諸佛ら、諸佛らが薩婆若智、皆、般若波羅蜜從り生ずと。

 菩薩、是の如くに念ずる時に應に是の如く思惟すべし、十方諸佛ら所得の如き諸法相、我も亦當に得べしと。

 須菩提。

 菩薩、般若波羅蜜を行じて應に是の如き念を生ずべし。

 須菩提。

 若し菩薩能く是の如き念を生ぜば乃ち彈指の頃に至るまでも如恒河沙劫に於て布施福德に勝り、何を況んや一日、半日をや、當に知るべし是の菩薩、必ず阿毗跋致に至らん。

 當に知るべし是の菩薩、諸佛らが所念なりと。

 須菩提。

 菩薩、諸佛らが爲の所念なれば餘處には生ぜず、必ず當に阿耨多羅三藐三菩提に於て立たん。

 是の菩薩、終に三惡道には墮さず常に好處に生じ諸佛らを離れず。

 須菩提。

 菩薩、般若波羅蜜を行じ般若波羅蜜を生じ乃ち彈指の頃に至るにまでも是の如き功德を得。何を況んや一日、若しは一日に過ぎたるを。

 香象菩薩の如くして今阿佛所に在り菩薩道を行じ常に般若波羅蜜行を離れざらん。」

是の法を說きたまふ時、諸比丘衆、一切大會、天、人、阿修羅ら皆、大歡喜せり。

● 隨知品第二十六

佛、須菩提に告げたまはく、

「一切法、分別無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、壞す無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、但、假りたり名字のみにして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、言說を以ての故に有り、當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 又此の言說、所有無くして處所も無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、虛假を用ひ爲し當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、無量にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 色、無量にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 受想行識、無量にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、無相にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、通達相にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、本來淸淨にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、言說無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、滅に於て同じくして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、涅槃が如くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、來らず去らず、所生無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、彼我無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 賢聖、畢竟にして淸淨なりて當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切の擔を捨て當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 何を以ての故に。色、形無く處無く自性無なるが故に。受想行識、形無く處無く自性無なるが故に。

 一切法、熱無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、染無く離無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 何を以ての故に。色、所有無きが故に染無く離無し。受想行識、所有無きが故に染無く離無し。

 一切法、性淸淨にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、繫著無くして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、是れ菩提が佛慧を以て覺るにして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、空にして無相にして無作にして當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、是れ藥にして慈心を首めと爲し當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法、梵相にして慈相にして過無く恚無く當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 大海無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 虛空無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 日照無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 色、離なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 受想行識、離なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切音聲無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 諸性無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 無量善法、集まりて當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 一切法三昧無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 佛法無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 法無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 空無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 心の心數法無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 諸心の所行無邊なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 善法無量なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 不善法無量なり。當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 師子が如き吼び、當に知るべし般若波羅蜜も亦、是の如しと。

 何を以ての故に。色、大海の如くして受想行識も大海の如し。

 色、虛空の如くして受想行識も虛空の如し。

 色、須彌山莊嚴の如くして受想行識、須彌山莊嚴の如し。

 色、日光の如くして受想行識、日光の如し。

 色、聲の無邊なるが如くして受想行識、聲の無邊なるが如し。

 色、衆生性の無邊なるが如くして受想行識、衆生性の無邊なるが如し。

 色、地の如くして受想行識、地の如し。

 色、水の如くして受想行識、水の如し。

 色、火の如くして受想行識、火の如し。

 色、風の如くして受想行識、風の如し。

 色、空種の如くして受想行識、空種の如し。

 色、離集善相なりて受想行識、離集善相なり。

 色、和合法を離れ受想行識、和合法を離る。

 色、三昧故に無邊にして受想行識、三昧故に無邊なり。

 色、色離、色性、色如、是れ佛法にして受想行識、識離、識性、識如、是れ佛法なり。

 色相、無邊なりて受想行識相、無邊なり。

 色空、無邊なりて受想行識空、無邊なり。

 色、心の所行の故に無邊なりて受想行識、心の所行なるが故に無邊なり。

 色中に善不善不可得なりて受想行識中に善不善不可得なり。

 色不可壞なるがに受想行識不可壞なり。

 色是れ師子吼なりて受想行識是れ師子吼なりて當に知るべし、般若波羅蜜も亦是の如しと。」

小品般若波羅蜜經卷第九







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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