摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第八
小品般若波羅蜜經卷第八
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
● 深心求菩提品第二十
● 恭敬菩薩品第二十一
● 無慳煩惱品第二十二
小品般若波羅蜜經卷第八
● 深心求菩提品第二十
佛、須菩提に告げたまはく、
「若し菩薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとせば應に當に善知識に親近すべし」と。
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
何等か是れ菩薩が善知識なる」と。
佛、須菩提に告げたまはく、
「諸佛世尊ら、是れ菩薩が善知識なり。
何を以ての故に。
能く菩薩を敎へ般若波羅蜜に入らしむが故に。
須菩提。
是れ菩薩が善知識と名づく。
復、次に須菩提。
六波羅蜜是れ菩薩が善知識なり。
六波羅蜜是れ菩薩が大師なり。
六波羅蜜是れ菩薩が道なり。
六波羅蜜是れ菩薩が光明なり。
六波羅蜜是れ菩薩が炬なり。
須菩提。
過去諸佛ら皆、六波羅蜜從り生じたれば。未來諸佛ら皆、六波羅蜜從り生ずべければ。現在十方無量阿僧祇世界の諸佛ら皆、六波羅蜜從り生ぜば。
又三世諸佛らが薩婆若も皆、六波羅蜜從り生ぜば。
何を以ての故に。
諸佛らが行、六波羅蜜の四攝法を持てし衆生を攝取せば。
所謂、愛語を布施し同事に利益し阿耨多羅三藐三菩提を得さしめば。
須菩提。
是の故に當に知るべし六波羅蜜是れ、大師なりと。是れ父、是れ母なりと。是れ舍、是れ歸なりと。是れ洲、是れ救ひなりて是れ究竟道なりと。
六波羅蜜は一切衆生を利益せん。
是の故に菩薩、欲して自ら深智明了せんとす。
他語に隨はずして他法を信ぜず。
若しは欲して一切衆生が疑を斷ぜんとせば應に當に學ぶべし是れ、般若波羅蜜を」と。
「世尊。
又、何等の相が是れ般若波羅蜜なる。」
「須菩提。
礙げ無きの相是れ般若波羅蜜なり。」
「世尊。
頗る因緣有りて、般若波羅蜜の礙げ無き相なるが如くに一切法も亦、礙げ無き相なりや。」
「有、須菩提。
般若波羅蜜の礙げ無きの相なるが如くに一切法も亦、礙げ無きの相なり。
何を以ての故に。
須菩提。
一切法離相なりて一切法空相なれば。
是の故に須菩提。
當に知るべし般若波羅蜜も亦、離相なり空相なりと。一切法も亦、離相なり空相なりと。」
「世尊。
若し一切法離相なりて空相なりて云何が衆生、垢有りや。淨ら有りや。
何を以ての故に離相法、垢無きや。淨ら無きや。空相法、垢無きや。淨ら無きや。
離相法、空相法、阿耨多羅三藐三菩提を得る能はずして離離相、離空相、更に無有法、阿耨多羅三藐三菩提を得る能はざる。
世尊、我今云何が當に是の義を知るべき。」
「須菩提。
我還して汝に問はん、意の隨に我に答へよ。
須菩提。
その意に於て云何。
衆生、長夜に我に、我が所に著するや不や。」
「是の如し是の如し、世尊。
衆生長夜に我に、我所に著す。」
「須菩提。
その意に於て云何。
我、我所は空なりや不や。」
「世尊。
我、我所空なり。」
「須菩提。
その意に於て云何、衆生、我、我所を以て往來し生死すや不や。」
「是の如し、是の如し世尊。
衆生、我、我所を以ての故に往來し生死す。」
「須菩提。
是の如き衆生名づけて垢有りと爲す。
この衆生の、受けたるないし著したるが隨なるが故に。
是の中に實には垢有ること無くして亦、垢受くる者も無し。
須菩提。
若し一切法を受けざれば則ち我無し、我が所も無し。
是れ名づけて淨らと爲す。
是の中に實には淨らの有ること無くして亦、淨らを受くる者有ることも無し。
菩薩、是の如くに行じて名づけて般若波羅蜜の行と爲す。」
「世尊。
若し菩薩、是の如くに行じ則ち色を行ぜず受想行識をも行ぜず。
若し菩薩、是の如く行ぜば一切世間、天、人、阿修羅らも降伏す能はず。
世尊。
菩薩、是の如く行ぜば一切聲聞、辟支佛が所行に勝り、勝無き處に住さん。
世尊。
無勝菩薩、晝夜の行に是れ應に般若波羅蜜を念ふべし。
阿耨多羅三藐三菩提に於て近づき疾く阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」
佛、須菩提に告げたまはく、
「その意に於て云何。
假令ば閻浮提の有らゆる衆生ら、一時に皆、人身を得て阿耨多羅三藐三菩提心を發しその心を發し已りて盡く形壽を布施す。
是の布施を以て阿耨多羅三藐三菩提を廻向せば須菩提。
その意に於て云何。
是の人、是の因緣を以て得る福多きや不や。」
須菩提言さく、
「甚だ多き、世尊」と。
佛言たまはく、
「若し菩薩乃ち一日に至りて應に般若波羅蜜の念にして行ぜば其の福、彼に勝らん。
菩薩、應に般若波羅蜜の念にして行ずる隨喜、能く一切衆生が爲に而も福田を作さん。
何を以ての故に。
唯、諸佛らを除き其の餘の衆生、是の如き深慈心無くば。
菩薩摩訶薩らも如く。
諸菩薩ら般若波羅蜜に因して能く是の如き慧を生じ、是の慧を以て見る、一切衆生が諸苦惱を受けて刑戮を被るが如きを。
菩薩即ち大悲の心を得、大悲を得已りて天眼を以て諸衆生を觀じ、無量の衆生を見て無間の罪有り。
諸難に於て墮ち即ち憐愍の心を生ず。
是の相に住さず亦、餘の相にも住さず。
須菩提。
是れ諸菩薩が大智光明と名づく。
是の道を行ず者ら、則ち一切衆生らが爲の福田なり。而も阿耨多羅三藐三菩提に不退轉なり。
受けたるの供養、衣服飲食、臥具醫藥、須むるの物ども、一心に般若波羅蜜を修習するが故に能く淨報あり施恩ありて亦、薩婆若に近づく。
是の故に菩薩、若しは欲して空食ならず國中に施さんとせば、若しは欲して一切衆生を利益せんとせば、若しは欲して一切衆生に正道を示さんとせば、若しは欲して一切衆生を牢獄繫縛に解かんとせば、若しは欲して一切衆生に慧眼を與へんとせば、常に應に修行すべし、般若波羅蜜の念に應ずべし。
若し應に般若波羅蜜の念にして行ぜば是の菩薩、所言の說有りても亦、般若波羅蜜と相應せん。
何を以ての故に。
是の菩薩に有る所言の說、皆、般若波羅蜜の念に隨順したれば。
有る所念も亦、言說に隨順したれば。
菩薩、常に應に是の如く晝夜に般若波羅蜜を念ふべし。
須菩提。
譬へて如くは人、未曾有の寶を得たり、得已りて大喜し而して復、還失す。
是の因緣を以て憂愁し苦惱し其の心常に念へらく、『我今、如何にして此の大寶を失ひきや』と。
須菩提。
菩薩も亦是の如し、大寶は是れ般若波羅蜜なり。
菩薩、是れを得已り常に應に薩婆若心に應ずるを以て般若波羅蜜を念ふべし。」
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
若し一切の念、本從り已來、その性常に離なれば云何がその說言、應に是れを離れず、般若波羅蜜の念に應ずるや」と。
「須菩提。
若し菩薩、能く是の如く知らば即ち般若波羅蜜を離れず。
何を以ての故に。
般若波羅蜜空なれば。
是の中に退失有ること無かれば。」
「世尊。
若し般若波羅蜜空ならば菩薩、云何が般若波羅蜜を以て而も增長を得ん。
云何が亦、阿耨多羅三藐三菩提に於て近づき得ん。」
「須菩提。
菩薩、般若波羅蜜を行じて亦、增す無く減るも無し。
須菩提。
若し菩薩、是の說を聞き驚かず怖れず、沒さず退かざれば當に知るべし是の菩薩、般若波羅蜜を行じきと。」
「世尊。
般若波羅蜜が空相是れ般若波羅蜜の行なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
般若波羅蜜を離れ更に有る法、般若波羅蜜の行なりや不や」
「不也、須菩提。」
「世尊。
空行ず可きは空なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
空を離れ行ず可きは空なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
色を行じ是れ般若波羅蜜の行なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
受想行識を行じ是れ般若波羅蜜の行なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
色を離れ有る法行ず可きは般若波羅蜜なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
受想行識を離れて有る法行ず可きは般若波羅蜜なりや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
菩薩、云何が行じて名づけて般若波羅蜜の行と爲す。」
「須菩提。
その意に於て云何。
汝、有る法を見、般若波羅蜜を行ずるや不や。」
「不也、世尊。」
「須菩提。
汝、般若波羅蜜の法を見、是れ菩薩が行處なるや不や。」
「不也、世尊。」
「須菩提。
その意に於て云何。汝が見ざる所の法、頗るに生ずること有るや不や。」
「不也、世尊。」
「須菩提。
是れ諸佛らが生ずる無きの法の覺り(無生法忍)と名づく。
菩薩、能く是の如き忍を成就す者、當に得べし、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを。
須菩提。
是れ諸佛らが無所畏道と名づく。
菩薩、是の道を行じ修習し親近し若しは當に得べからず、佛が無上智、大智、自然智、一切智、如來智を。
是處有ること無し。」
「世尊。
一切法無生なりて是れを以て阿耨多羅三藐三菩提の記を受け得るや不や。」
「不也、須菩提。」
「世尊。
今云何が名づけて阿耨多羅三藐三菩提の記を受け得きと爲す。」
「須菩提。
その意に於て云何。
汝、有る法を見、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるや不や。」
「不也、世尊。
我は見ず、有る法に阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを。
亦は見ず、所用の法を、亦は見ず、所得の法を。」
「須菩提。
是の如き一切法不可得なり。
應に是の言を作すべし、是の法可得、是の所用法可得なりと。」
爾の時に釋提桓因、大會中に在りて白して佛に言さく、
「世尊。
般若波羅蜜甚深なりて見難く解き難し。
畢竟にして離なるが故に。
若し人、是の般若波羅蜜を聞き、書寫し受持し讀誦せば當に知るべし是の人が福德、少なからずと」と。
「憍尸迦。
その意に於て云何。
假令ば閻浮提の有らゆる衆生、十善道を成就し其所に得る福、如からざる是の人の是れ般若波羅蜜を聞き書寫し受持し讀誦するに得るの百分の一に及ばずして百千萬億分の一に及ばずして乃ち算數譬喩の及ぶ能はざるなりや。」
時に有る一比丘、語りて釋提桓因に言さく、
「憍尸迦。
是の如き善男子、善女人、仁に於て勝れたる者なりや」と。
釋提桓因言さく、
「此の人、一發心の頃に尚、我に於て勝れり。
何を況んや般若波羅蜜を聞き得、書寫し受持し讀誦し所說の如く行ずるを。
是の人、一切世間、天、人、阿修羅中に於て最たる殊勝と爲らん。
菩薩、般若波羅蜜を行じて但、一切世間、天、人、阿修羅らに於て勝るのみならずして亦も勝らん、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢、辟支佛にも。
菩薩、般若波羅蜜を行じて但、須陀洹乃ち辟支佛に至るまでもに勝るのみならずして亦も勝らん、菩薩の般若波羅蜜に離れ方便無くして檀波羅蜜を行ずるにも。
但、般若波羅蜜を離れ方便無くして檀波羅蜜に勝るのみならずして亦も勝らん、般若波羅蜜を離れ方便無くして尸羅波羅蜜を、羼提波羅蜜を、毗梨耶波羅蜜を、禪波羅蜜を行ずるにも。
是の如き菩薩、最たる殊勝と爲す。
若し菩薩、般若波羅蜜の所說の隨に行ずれば皆、一切世間、天、人、阿修羅らに勝らん。
一切世間、天、人、阿修羅ら皆、應に恭敬し供養すべし。
若し菩薩が行、般若波羅蜜の所敎が隨に行ずれば是の菩薩、一切種智を斷ぜずして是の菩薩、阿耨多羅三藐三菩提に近づく。
是の菩薩、必ず道場に坐して是の菩薩、拯濟せん、沒し溺れ生死する衆生を。
菩薩、是の如く學んで名づけて般若波羅蜜の學と爲す。
是の如き學、名づけて聲聞、辟支佛の學ならずと爲す。
若し菩薩、是の如く學ばば時に四天王、四鉢を持ち其所に至り、是の言を作さく、善男子。汝、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得るを學びきと。
道場に坐す時にも我等當に此の四鉢を奉じんと。
世尊。
我も亦、自ら往きて問訊せん。何を況んや餘の諸天子らを。
菩薩、般若波羅蜜を學ぶ者、諸佛ら常に共に護念せん。
世間衆生、種種の苦惱、是の菩薩、能く般若波羅蜜の行に隨ふるが故に是れら諸苦も無し。
世尊。是れ菩薩が現世功德なり。」
爾の時に阿難、是の念を作く、
「是の釋提桓因、自らが智慧力を以て是の如く說くや、是れ佛神力が爲すや」と。
釋提桓因、阿難が心の所念を知り語りて阿難に言さく、
「皆是れ佛神力なり」と。
佛、阿難に告げたまはく、
「是の如し、是の如し阿難。
釋提桓因が所說の如くに皆是れ佛神力なり。
阿難。
菩薩、般若波羅蜜を學び般若波羅蜜を修習する時、三千大千世界の諸魔ら皆、疑惑を生ず。
是の菩薩、當に中道が爲に實際を證し、聲聞、辟支佛地に墮すべき、と。
爲に當に直に阿耨多羅三藐三菩提に至るべし。」
● 恭敬菩薩品第二十一
佛、阿難に告げたまはく、
「若し菩薩、般若波羅蜜の行を離れずば爾の時に惡魔、憂惱すること箭の心に入るが如し。
大雨雹を放ち、雷電霹靂、欲して菩薩を驚かせ怖れさせ毛豎させ其の心退沒させんとす。
阿耨多羅三藐三菩提に於て乃ち一念に至るまでも錯亂させんと。
阿難。
惡魔、必ず普く欲する惱亂も一切菩薩をはとらえず。」
「世尊。
何等をか菩薩の惡魔が爲の所亂とす。」
「阿難。
有る菩薩、先世に聞く深般若波羅蜜の說を信受す能はずして是の如きの人、惡魔惱亂させ而も其の便りを得ん。
復、次に阿難。
若し菩薩、深般若波羅蜜を聞く時に心、疑惑を生ず。
是れ深般若波羅蜜、有るや無きやと。
阿難。
是の如き是の菩薩も亦、惡魔の便り得る所と爲らん。
復、次に阿難。
有る菩薩、善知識を離れたる惡知識の所得が爲に是の人、深般若波羅蜜中の義を聞かず。
不聞を以ての故に知らず、見ず。
云何が應に般若波羅蜜を行ずべきや。
云何が應に般若波羅蜜を修すべきや。
阿難。
是の人亦も、惡魔に便りの得るを爲さしむ。
復、次に阿難。
若し菩薩、邪法を受持せば是の人も亦、惡魔に便りの得るを爲さん。
惡魔、是の念を作さく、是の人、我を助け亦、餘人に我を助けさしめん、亦、能く我が所願をも滿たすと。
阿難。
是の人も亦、惡魔に便りの得るを爲さん。
復、次に阿難。
菩薩、云何が惡魔に便り得るを爲す。
若し菩薩、深般若波羅蜜を聞き語りて餘の菩薩に言さく、『是れ般若波羅蜜甚深なり、我等猶も尚も底を得る能はじ』と。
『汝等、何用に聞き爲すや』と。
是の人も亦、惡魔に便りの得るを爲さん。
阿難。
若し菩薩、輕んじて餘の菩薩に言さく、『我是れ遠離を行ず者なり、汝等、此の功德無けん』と。
爾の時に惡魔甚だ大歡喜し踊躍せん。
阿難。
若しは有る衆の菩薩ら惡魔が爲に其の名字を稱し是の名字を得さしめきが故に。
餘の淸淨善心の菩薩らを輕んじ、是等に阿毗跋致菩薩の功德の相貌有るは無し。
而も阿毗跋致の功德に假託し煩惱を增長させ其の身を自ら高うし而も他人を下し是の言を作さく、『我に功德する有り、汝には是の事無し』と。
爾の時に惡魔、即ち大歡喜し是の念を作さく、『我の宮殿則ち空しからずと爲れり、增益したりき、地獄を、餓鬼を、畜生を』と。
惡魔、其の神力加したるが故に。
是の人の所語を人皆、信受し信受し已りて所見の隨に學び所說の隨に行じ、所見の隨に學び所說の隨に行じ已りて亦復增益するは煩惱なり。
是の如き人等、顚倒心を以ての故にその起こしたるの身口意の業、その果報皆苦なり。
是の因緣を以ての故に地獄、餓鬼、畜生を增益せん。
阿難。
惡魔、是の利益を見て亦、大歡喜せん。
阿難。
若しは佛道を求むる者、聲聞人と共に諍ひ、惡魔復、是の念を作さく、『是の人、薩婆若を遠離すと雖も而も大遠ならず』と。
阿難。
若し菩薩、共に菩薩と諍えば惡魔即と大歡喜し是の念を作さん、『是の人、兩つにして薩婆若を離れて遠き』と。
阿難。
若しは受記を得ざる菩薩、受記者を瞋恨し而も共に諍競し惡口罵詈せば、若しは薩婆若を愛惜せば其の起きる念の隨に一念に一劫に却り爾ち乃ち發大莊嚴を得るに還らん。」
阿難白して佛に言さく、
「世尊。
是の如き罪者、悔を得可きや不や。
要らず當に畢に其の隨念に劫數、爾ち乃ち大莊嚴を發し得るにまで還るべけんや。」
佛言たまはく、
「出罪の法は有り。
說かず、出罪法無きとは。
我は說く、菩薩らに聲聞らに皆、出罪の法は有りと。
說かず、出づること無きとは。
阿難。
若し菩薩ら共に菩薩と諍ひ惡口罵詈し相ひ悔謝せざれば結恨、心に在り。
我は說かず、此の人の出罪の法も有りとは。
是の人、若し薩婆若を愛惜し畢ひに其の念ずる隨に劫數に亦復、還りて大莊嚴を發すを得ん。
阿難。
若し菩薩ら共に菩薩と諍ひ惡口罵詈せば即ち相ひ悔謝し後に復作さず。
是の念を作す、『我應に一切衆生に謙下すべし』と。
『我、若し瞋諍せば人に於て加ふる報、則ち大失と爲らん』と。
『我、應に當に一切衆生が爲に而も橋梁を作すべし』と。
『我、尚も應に汝他人をは輕んざるべし』と。
『何を況んやその加報を、應に聾啞に如かるべきを。
應に自ら深心を壞さざるべし』と。
『我、阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、當に是れ等を度すべし。
云何が忿りを加へ自ら瞋礙を起こさん』と。
阿難。
菩薩道を求むる者、聲聞人に於て乃ち應に瞋礙に於くるに至るまでも生ずべからず。」
阿難白して佛に言さく、
「世尊。
菩薩、菩薩と共に住して其の法は云何」と。
佛言たまはく、
「相ひ視て當に佛に想ふが如くすべし、『是れ我が大師』と。
同じき一乘に載り共に一道に行じんと。
彼に所學の如き我も亦、應に學ぶべしと。
彼、若し雜行せば我が學ぶ所には非ずと。
若し彼、淸淨に學ばば薩婆若の念に應に我も亦、應に學ぶべしと。
菩薩、若し是の如く學ばば是れ同學と名づく。」
爾の時に須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
若し菩薩、盡く學を爲し則ち薩婆若をも學び、學を生ずる無きが爲に、學を離るるが爲に、學を滅するが爲に則ち、薩婆若を學びきや」と。
佛、須菩提に告げたまはく、
「汝が所說の如く菩薩、學を盡くすが爲に則ち薩婆若を學ぶ。
學の生ずる無く、學に離るる無く、學を滅するが爲に則ち薩婆若を學びたればなり。
須菩提。
その意に於て云何。
≪その如きに來たれる(如來)≫、その如き(如)なるを以て≪その如きに來たれる(如來)≫と名づくを得きや。
是の≪その如き(如)≫、盡くるに非ずして離るるに非ずして滅するにも非ざりや。」
「是の如し、世尊。」
「須菩提。
是の如く學ばば、名づけて薩婆若を學ぶと爲す。
薩婆若を學ばば般若波羅蜜の學を爲す。
佛の地十力、四無所畏、十八不共法をも學ぶ。
須菩提。
菩薩、是の如く學ばば則ち諸學の彼岸に至らん。
是の如くに學ばば魔、若しは魔民も降伏さす能はず。
是の如く學ばば疾く阿毗跋致を得ん。
是の如く學ばば疾く道場に坐さん。
是の如く學ばば自ら行處を學ばん。
是の如く學ばば救護法を學ばん。
是の如く學ばば大慈大悲を學ばん。
是の如く學ばば三轉十二相法輪を學ばん。
是の如く學ばば衆生を度するを學ばん。
是の如く學ばば佛種を斷たざるを學ばん。
是の如く學ばば甘露門を開くを學ばん。
須菩提。
凡夫下劣にして是の如きを學ぶ能はず。
欲して一切衆生を調御せんとせば能く是の如く學ぶ。
須菩提。
菩薩、是の如く學ばば墮さず、地獄に、畜生に、餓鬼に。
邊地に生ぜもせず。
是の如く學ばば旃陀羅家に生ぜず、竹草の家を作さず、除糞人家に生ぜず、諸餘の貧賤の家にも生ぜず。
須菩提。
菩薩、是の如く學ばば盲ならず。
瞎ならず、睞眼ならず、痤短ならず、聾啞ならず、頑鈍ならず、形殘ならずして身根具足せん。
須菩提。
菩薩、是の如くに學ばば他命を奪はず、他物を盜まず。
邪婬せず、妄語せず、兩舌せず、惡口せず、無益語をせず、貪嫉せず、瞋惱せず、邪見せず、邪命活せず、畜邪を見て眷屬とせず、破戒の畜らを眷屬とせず。
須菩提。
菩薩 是の如く學ばば長壽天には生じず。
何を以ての故に。
菩薩、方便を成就したるが故に。
何等をか方便と爲す。
所謂、般若波羅蜜從り起り能く入禪すと雖も而も禪生の隨ならず。
須菩提。
菩薩、是の如く學ばば佛の淸淨力を得、淸淨にして無畏ならん。」
「世尊。若し一切法、本は淨相なれば菩薩は復、何等の淸淨法を得んや。」
佛言たまはく、
「是の如し、是の如し須菩提。
一切法の本、淸淨相なり。
菩薩、是の本に於ける淨相の法中に般若波羅蜜を行じて驚かず、怖れず。沒せず、退かず。
是れ淸淨般若波羅蜜と名づく。
須菩提。
凡夫は知らず、見ず、この一切法の本の淸淨の相を。
是の故に菩薩、勤精進を發し、是の中に於て學び淸淨なる諸力を、諸無畏を得ん。
須菩提。
菩薩、是の如く學ばば悉く能く一切衆生が心、心の所行に通達せん。
須菩提。
譬へば閻浮檀に金の出づる地の少なきが如くに衆生聚中に亦、能く是の如く般若波羅蜜を學ぶは少なし。
譬へば衆生の、能く轉輪王業を起こすの少なきが如くに。
多く能く諸小王の業を起こすの有るも是の如し。
須菩提。
衆生の能く般若波羅蜜道を行ずる有るは少なく聲聞、辟支佛の乘を發するは多かり。
須菩提。
衆生の能く阿耨多羅三藐三菩提心を學ぶ者は少なし。
阿耨多羅三藐三菩提中に學ぶに於て能く說の如くに行ずる者少なし。
說の如くに行ずる中に於て、能く般若波羅蜜者の學の隨なるも少なし。
學の中に於く隨なりて能く阿毗跋致を得る者も少なき。
是の故に須菩提。
菩薩、欲して少中の少に在らんとせば當に般若波羅蜜を學び般若波羅蜜を修習すべし。」
● 無慳煩惱品第二十二
佛、須菩提に告げたまはく、
「若し菩薩、是の如く般若波羅蜜を學ばば則ち生ぜず、煩惱心を。
生ぜず、慳心を。生ぜず、破戒心を。生ぜず、瞋惱心を。生ぜず、懈怠心を。生ぜず、散亂心を。生ぜず、愚癡心をも。
須菩提。
菩薩是の如く學ばば皆、諸波羅蜜を攝めき。
須菩提。
譬へば六十二見の皆、身の見の中に攝在さすが如くに。
須菩提。
菩薩、般若波羅蜜を學ぶ時皆、諸波羅蜜を攝む。
譬へば人死に命根滅するが故に諸根皆滅するが如くに。
是の如くに須菩提、菩薩、般若波羅蜜を學ばば皆、諸波羅蜜を攝む。
是の故に須菩提。
菩薩若し欲して諸波羅蜜を攝めんとせば當に學ぶべし、般若波羅蜜を。
須菩提。
菩薩、般若波羅蜜を學ばば即ち一切衆生中に於くる最たる上首と爲らん。
須菩提。
その意に於て云何。
三千大千世界の衆生、寧しろ多きと爲すや不や。」
「世尊。
閻浮提が衆生だに尚多き。
何を況んや三千大千世界を。」
「須菩提。
是の衆生皆、菩薩と爲す。
若し有る一人、形壽盡くして衣服飲食、臥具醫藥に供養せば須菩提。
その意に於て云何。
是の人、是の因緣を以て得る福多きや不や。」
「甚だ多き、甚だ多なり世尊。」
「須菩提。
若し有る菩薩、彈指するが如き頃に般若波羅蜜を修習したる福、彼に於て勝れり。
是の如くに須菩提。
般若波羅蜜、諸菩薩を大利益し能く阿耨多羅三藐三菩提を助く。
是の故に須菩提。
若し菩薩欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとし欲して一切衆生中に於て無上の者と爲らんとし、欲して一切衆生に救護を作さんと爲し、欲して佛法を具足し得んとし、欲して佛が所行の處を得んとし、欲して佛が所遊戲を得んとし、欲して佛が師子吼を得んとし、欲して三千大千世界、大會講法を得んとせば當に學ぶべし、般若波羅蜜を。
須菩提。
我は見ず、菩薩が般若波羅蜜を學して是の如き具足の利を得ざるをは。」
「世尊。
是の菩薩も亦、聲聞利を具足し得きや。」
「須菩提。
菩薩、亦、聲聞利の具足を學すのみなるや。
願はざり、聲聞法中に住し欲して諸功德を具足せんとは。
必ず皆能く知らん、但、その中に於て住せざるのみにして是の念を作さく、『我亦、當に是の聲聞功德を說くべし』と。『衆生を敎化すべし』と。
若し菩薩の是の如く學ばば能く一切世間、天、人、阿修羅らが福田を作すを爲さん。
聲聞、辟支佛に於て福田の最たる殊勝とも爲らん。
菩薩、是の如く學ばば、薩婆若に近づくを得、般若波羅蜜を捨てず、般若波羅蜜を離れもせず。
菩薩、是の如くに般若波羅蜜を行ぜば名づけて薩婆若に於て不退なりと爲し、聲聞、辟支佛地に遠ざかり、近づくは阿耨多羅三藐三菩提になり。
是の菩薩、若し是の念を作さく、『此れ是れの般若波羅蜜、是の某の般若波羅蜜、當に薩婆若を得べし』と。
是の如くに亦も分別し即ち般若波羅蜜をが行ぜず。
若しは菩薩、般若波羅蜜を分別せず、般若波羅蜜を見ず、此れ是の般若波羅蜜、是の某般若波羅蜜に當に薩婆若を得んとは言はずして、是の如くに亦も、見ず、聞かず、覺らず、知らずして即ちこれ般若波羅蜜の行なり。」
爾の時に釋提桓因、是の念を作さく、
「是の菩薩、般若波羅蜜を行じて尚、一切衆生に勝れり。
何を況んや阿耨多羅三藐三菩提を得るに。
若し人、般若を聞くを樂はば是の人、爲に大利を得ん、壽、命中に最たらん。
何を況んや能く阿耨多羅三藐三菩提心を發すを。
是の人則ち世間の貪慕するらが爲に是の人、當に衆生を調御すべし。」
爾の時に釋提桓因、曼陀羅華を化作し滿てて掬ひ佛上に散らし是の言を作さく、
「世尊。
若し有る人、阿耨多羅三藐三菩提心を發さば、願はくはなさしめよ、佛法の具足を、薩婆若の具足を、自然法の具足を、無漏法の具足を。
世尊。
我も乃ち不生なるに至るにまでも一念に阿耨多羅三藐三菩提を發心をなさしめんと欲せば退轉は有らん。
世尊。
我、生死の中を見、諸苦惱有らば。
不生の一念にも欲して菩薩に退轉有らしめんとすればなり。
我も亦、阿耨多羅三藐三菩提が爲に當に勤行精進すべし。
何を以ての故に。
是の人等、能く是の繪の如き心を發こさば則ち一切世間の大利益なれば。
我自ら度り得、當に未だ度らざる者を度すべし。
我自ら脫し得、當に未だ脫せざる者をも脫さすべし。
我自ら安を得、當に未だ安からざる者をも安ぜしむべし。
我自ら滅度し、當に未だ滅度せざる者をも度すべし。
世尊。
若し人、初發心の菩薩に於て隨喜し、若し六波羅蜜の行に於て、若しは阿毗跋致に於て、若しは一生補處に於て隨喜せば是の人、爲に得る福は幾らなる。」
「その德は、憍尸迦。
須彌山王だに尚も稱量す可きや、是の人の隨喜の福德、不可稱量なり。
憍尸迦。
三千大千世界だに尚も稱量す可きや、是の人の隨喜の福德、不可稱量なり。」
釋提桓因白して佛に言さく、
「世尊。
若し人、是の諸心に於て隨喜す能はざれば則ち魔が所著と爲らんに當に知るべし是れ魔の眷屬爲りと。
是の諸心に於て隨喜す能はざれば當に知るべし是の人、魔天に於て命終し、此の間に來生したりきと。
何を以ての故に。
是の諸心、皆、能く諸の魔事を破せば。
是の人の隨喜の福德、應に阿耨多羅三藐三菩提に廻向すべかれば。
若し人、阿耨多羅三藐三菩提心を發さば則ち爲に捨てじ、佛を。
捨てじ、法をも。捨てじ、僧をも。
是れを以ての故に應に是の諸心に於て而も隨喜を生ずるべし。」
「是の如し、是の如し憍尸迦。
若し人、是の諸心に於て隨喜せば當に知るべし是の人、疾く佛に値ふを得んと。
是の人、是の隨喜福德善根を以ての故に所生の處に在りて常に供養恭敬、尊重讚歎を得ん。
聞かじ、諸の惡しき音聲をは。
亦墮さじ、諸の惡しき道中に於ては。
常に天上に生じん。
何を以ての故に。
是の人隨喜し、欲して無量無邊の衆生を利益させんしたるが爲の故に。
是の隨喜心、漸漸に增長し能く阿耨多羅三藐三菩提にまで至らん。
是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得る時に當に無量なる衆生、滅度すべし。
憍尸迦。
是の因緣を以て當に知るべし是の人、是の諸心に於て隨喜せば即ち是れ無量無邊の衆生を利益したる善根が故に隨喜したるなりと。」
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
是の心幻の如し。
云何が能く得ん、阿耨多羅三藐三菩提を」と。
「須菩提。
その意に於て云何。
汝、是の人が心も幻の如きと見るや不や。」
「不也、世尊。
我は見ず、是の心を幻の如くには。」
「その意に於て云何。
若し是れ幻と見ず、幻の如しとも見ざりてその心、幻を離れ幻の如き心をも離れて、しかも更に見る有る法、これ阿耨多羅三藐三菩提を得可きや不や。」
「不也、世尊。
幻を離れ幻の如き心をも離れて更に見ず、法の阿耨多羅三藐三菩提を得たるをは。
世尊。
若し我の異法を見ざれば當に說くべきは何法なる。
若しは有りや、若しは無きや。
世尊。
若し法、畢竟にして離れ即ち無の有ること在らざれば、若し法、畢竟にして離れ是の法、阿耨多羅三藐三菩提を得ざれば、世尊。
この所有無き法も亦、阿耨多羅三藐三菩提を得る能はざらん。
是の故に般若波羅蜜、畢竟にして離なり。
若し法、畢竟にして離れば則ち修習す可からじ。
是の如き法、餘法だに生ずる能はじ。
般若波羅蜜、畢竟にして離なるが故に。
世尊。
般若波羅蜜、畢竟にして離なれば云何が能く阿耨多羅三藐三菩提を得んや。
阿耨多羅三藐三菩提も亦、畢竟にして離なれば云何が離を以て離を得んや。」
佛言たまはく、
「善哉、善哉、須菩提。
般若波羅蜜、畢竟にして離なり。
阿耨多羅三藐三菩提も亦、畢竟にして離なり。
是の因緣を以ての故に能く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。
須菩提。
若し般若波羅蜜、畢竟にして離なるに非ざれば則ち、般若波羅蜜に非ず。
是の如くに須菩提。
亦、般若波羅蜜を離れずば得ん、阿耨多羅三藐三菩提を。
亦、離るるを以て得ん、離るるを。」
小品般若波羅蜜經卷第八
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