摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第六
小品般若波羅蜜經卷第六
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
● 大如品第十五
● 阿惟越致相品第十六
小品般若波羅蜜經卷第六
● 大如品第十五
爾の時に須菩提白して佛に言さく、
「世尊。新發意の菩薩、云何が應に般若波羅蜜を學ぶべし」と。
佛、須菩提に告げたまはく、
「新發意の菩薩、若し般若波羅蜜を學ばんと欲せば先に當に善知識に親近すべし。
能く般若波羅蜜を說く者、是の人、是の如くに善男子に敎へん、『來れ、汝、その有らゆる布施も皆、應に阿耨多羅三藐三菩提に廻向さすべし』と。
『汝、善男子、亦、貪著する莫かれ、阿耨多羅三藐三菩提に。
若しは色にも是れを、若しは受想行識にも是れをするなかれ』と。
何を以ての故に。
『是れ薩婆若、著す可きに非ざる者なれば。
善男子。
汝、有らゆる持戒、忍辱、精進、禪定智慧も皆、應に阿耨多羅三藐三菩提に廻向すべし。
貪著を、若しは色に是れを、若しは受想行識にも是れを生ずる勿れと』。
何を以ての故に。
『善男子。
是れ薩婆若、著す可きに非ざる者れば』と。
『汝、善男子。
亦、貪著する勿れ、聲聞、辟支佛の道にも』と。
須菩提。
是の如くに新發意の菩薩、應に漸く敎へて深般若波羅蜜に入らしむべし」と。
「世尊。
諸菩薩、阿耨多羅三藐三菩提心を發し欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとす、その所爲甚だ難き。」
「是の如し、是の如し須菩提。
≪その如き(如)≫諸菩薩ら、阿耨多羅三藐三菩提心を發し欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとす、その所爲甚だ難き。
是の人ら世間安隱の爲の故に心に發し、世間安樂の爲の故に心に我、當に阿耨多羅三藐三菩提を得べしと發し、世間が爲に救ひを作さんとし、世間が爲に歸を作さんとし、世間が爲に舍を作さんとし、世間が爲に究竟道を作さんとし、世間が爲に洲を作さんとし、世間が爲に導師と作らんとし、世間が爲に趣を作さんとす。
須菩提。
云何が菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲に救ひを作さんとすとす。
菩薩ら、生死中に諸苦惱を斷ずるが爲の故に說法し救ふ、衆生を、その苦惱に於て。
須菩提。
是れを菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に世間が爲に救ひを作すと名づく。
云何が菩薩ら、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲の歸を作さんとすとす。
衆生に生の法、老病死の法、憂悲苦惱の法ありて、是の菩薩ら能く衆生を度さん、此の生法、老病死法、憂悲苦惱法に於て。
須菩提。
是れを菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に世間が爲に歸を作すと名づく。
云何が菩薩ら阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲の舍を作さんとすとす。
須菩提。
菩薩ら、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、著せざるが爲の故に說法せん。」
「世尊。云何が名づけて著せざりとす。」
「須菩提。
若し色に縛せずして解せずして、生せずして滅せずせば是れ色に著せざりと名づく。
若し受想行識に縛せざりて解せざりて、生ぜざりて滅せざれば是れ識に著せざりと名づく。
是の如し、須菩提。
一切法に縛せざりて解せざるが故に著しもせず。
菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に能く衆生が爲に是の如き法を說けば是れを菩薩ら、世間が爲に舍を作すと名づく。
云何が菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲に究竟道を作さんとすとす。
須菩提。
色を究竟して色と名づけず、受想行識を究竟して識と名づけずばそれ如の究竟の相なりて一切法も亦、是の如し。」
「世尊。
若し究竟相も一切法も亦、爾れば菩薩ら皆、應に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。
何を以ての故に。
是の中、分別の有ること無きが故に。」
「是の如し、是の如し須菩提。
是の中、分別の有ること無し。
諸菩薩ら是の如くに觀じ、是の如くに知り、其の心沒せずして是の念を作さく、我、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、應に衆生が爲に是の法を說かん、と。
須菩提。
是れ菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に世間が爲に究竟道を作すと名づく。
云何が菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲に洲を作さんとすとす。
譬へば水中の、陸地に流れを斷つ處を之れを名づけて洲とする如くして、是の如くに須菩提。
色に前際、後際を斷じ、受想行識に前際、後際、斷じて前際に後際を斷ずるを以ての故に一切法をも都べて斷じき。
若し一切法、都べて斷ぜば是れ寂滅微妙と名づけ如實なる涅槃なり、顚倒せざる涅槃なり。
是れ菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に世間が爲に洲を作すと名づく。
云何が菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲に導師と作らんとすとす。
須菩提。
菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に色の生滅の爲ならざるが故に說法せば但、實相のみなるが爲の故に說法したり。
受想行識の生滅の爲ならざるが故に說法せば但、實相のみなるが爲の故に說法したり。
須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道、薩婆若の生滅の爲ならざるが故に說法せば但、實相のみなるが爲の故に說法したり。
須菩提。
是れ菩薩ら、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時に世間が爲の導師と作ると名づく。
云何が菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、世間が爲に趣を作さんとすとす。
須菩提。
菩薩ら、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、衆生が爲に說けらく色、空に趣くと。說けらく受想行識、空に趣くと。一切法皆、空に趣き來らず、そして去りもず、と。
何を以ての故に。
色空なりて來らざれば、去らざれば。
受想行識空なりて來らざれば、去らざれば。
乃ち一切法に至るまでも空なりて來らざれば、去らざれば。
故に一切法、空に趣き、是の趣を過ぎざれば。
一切法の趣を、相無き趣を、作無き趣を、起無き趣を、生無き趣を、所有無き趣を、夢の趣を、量無き趣を、邊無き趣を、我無き寂滅の趣を、涅槃の趣を、還らざる趣、趣ならざるを一切法は是れら、趣を過ぎざらねば。」
「世尊。
是の如き法は、誰か能くこれを信解せん。」
「須菩提。
若し菩薩、先の佛所に於て久しく道行を修し善根を成就せば乃ち能く信解せん。」
「世尊。
能く信解する者、何なる相なる。」
「須菩提。
恚癡性に欲するを離滅して是れ信解の相なり。
是の如き人能く深般若波羅蜜を知らん。」
「世尊。
是の菩薩、能く深般若波羅蜜を解し亦、是の如く趣き是の趣相を得、能く無量なる衆生が爲に趣を作すや。」
「是の如し、是の如し須菩提。
是の菩薩の是の如く趣、能く無量なる衆生が爲に趣を作さん。
須菩提。
是れ菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得たる時、能く無量なる衆生が爲に趣を作すと名づく。」
「世尊。
是の菩薩の所爲、甚だ難し。
能く是の如き大莊嚴を爲し、無量無邊なる衆生の滅度を爲して而も衆生は不可得なり。」
「是の如し、是の如し須菩提。
菩薩らが所爲、甚だ難し。
無量無邊なる衆生の滅度の爲の故に大莊嚴を發し而も衆生は不可得なり。
須菩提。
是れ菩薩ら、大莊嚴の爲ならず、色の爲ならず、受想行識の爲ならず、聲聞、辟支佛地の爲ならず、薩婆若の爲ならざるが故に大莊嚴を發し、莊嚴して一切法の爲ならざるが故に是の菩薩、大莊嚴を發す。」
「世尊。
菩薩ら能く是の如く深般若波羅蜜を行じ則ち二地に、若しは聲聞地、辟支佛地にも墮さず。」
「須菩提。
汝、何の義を見、是の如き事を說けりや。
若し菩薩ら是の如く深般若波羅蜜を行ぜば則ち二地に、若しは聲聞、辟支佛地にも墮さずと。」
「世尊。
是れ般若波羅蜜、甚深なり。
此の中に修法無し、修したるの、修したる無きの者無かれば。
何を以ての故に。
世尊。
是れ深般若波羅蜜中に決定法無かれば。
虛空を修し、是れ般若波羅蜜を修するなれば。
世尊。
一切法を修さずして是れ、般若波羅蜜の修なれば。
無邊を修して是れ、般若波羅蜜の修なれば。
著無きを修して是れ、般若波羅蜜の修なれば。」
「須菩提。
應に深般若波羅蜜を以て、阿惟越致(不退轉)菩薩を試むべし。
若し般若波羅蜜に貪著せず、他の言論の隨ならず、悕望する有らば若し般若波羅蜜の說を聞く時にも驚かじ、怖れじ、沒せじ、退かずして其の心、喜樂ならん。
當に知るべし是の阿惟越致菩薩ら、先世に已に曾に深般若波羅蜜を聞ききと。
何を以ての故に。
深般若波羅蜜の說を聞き驚かずして怖れずして沒せずして退かずざれば。
當に知るべし是れ、阿惟越致の菩薩なりと。」
「世尊。
若し菩薩ら深般若波羅蜜の說を聞き驚かず、怖れず、沒せず、退かざりきとは應に云何が觀ずべし。」
「須菩提。
是の菩薩ら應に薩婆若心の隨に般若波羅蜜を觀ずべし。」
「世尊。
云何が薩婆若心の隨に觀ずと名づけて爲すや。」
「須菩提。
虛空の隨に觀じ名づけて薩婆若心の隨に般若波羅蜜の觀と爲す。
須菩提。
薩婆若心の隨に觀ぜば即ちそれ觀に非ず。
何を以ての故に。
無量是れ薩婆若なれば、無量なりて即ち色無かれば、受想行識も無かれば、智も無かれば、慧も無かれば、道も無かれば、得るも無かれば、果も無かれば、生も無かれば、滅も無かれば、作も無かれば、作す者も無かれば、方も無かれば、趣も無かれば、住も無かれば。
無量なりて即ち量數無きに墮す。
須菩提。
虛空、無量なるが如くに薩婆若も亦、無量なり。
無法なりて得可からずして亦、得る者も無し。
色を以て得可からず、受想行識を以て得可からず。
檀波羅蜜を以て得可からず、尸羅(持戒)波羅蜜を、羼提(忍辱)波羅蜜、毗梨耶(精進)波羅蜜、禪那(禪定)波羅蜜、般若(智慧)波羅蜜(完成)を以ても得可からず。
何を以ての故に。
色即ち是れ薩婆若なれば。
受想行識即ち是れ薩婆若なりて檀波羅蜜即ち是れ薩婆若なりて尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毗梨耶波羅蜜、禪波羅蜜、般若波羅蜜も即ち是れ薩婆若なれば。」
爾の時に欲色界諸天子ら白して佛に言さく、
「世尊。
般若波羅蜜甚深なり、解き難し、知り難し」と。
佛言たまはく、
「是の如し、是の如し諸天子ら。
般若波羅蜜甚深なりて解き難し、知り難し。
是の義を以てに故に我、默然とせんと欲して而して說法せずして是の念を作さく、
『我が所得の法、是の法中に得る者の有ること無くば、得可き法も無き』と。
『用ふるの無き法に諸法の相を得可し』と。
是の如き甚深なり。
虛空の甚深なるが如きの故に是の法、甚深なり。
我の甚深なるが故に一切法、甚深なり。
來らずして去らずして甚深なるが故に一切法、甚深なり。」
欲色界諸天子ら白して佛に言さく、
「希有なり世尊。
是の所說の法、一切世間は信じ得可きこと難からん。
世間、貪著を行ずるに、是の法、貪著無きの爲の故に說きたれば。」
爾の時に須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
是の法、一切法に隨順したり。
何を以ての故に。
世尊。
是の法、障礙も無き處なりて、障礙も無き相なりて、虛空にも如けば。
世尊。
是の法、生ずる無きなれば。一切法不可得なるが故に。
世尊。
是の法、處も無きなれば。一切處不可得なるが故に」と。
爾の時に欲色界諸天子ら白して佛に言さく、
「世尊。
是の長老須菩提、佛生の隨なる爲に所說の法は有らん。
皆、空なるが爲の故に。」
須菩提語りて欲色界諸天子らに言さく、
「汝等が所說、長老須菩提、佛生の隨なる爲なりと。
隨何の法の生ずるが隨なる故に佛生の隨なりと名づくや。
諸天子ら。
≪その如き(如)≫が隨に行ずるが故なり」と。
「須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したりて(隨如來生)≪その如くに來たれる≫が如くに(如如來)≪その如き≫は來らずして去らず(如不來不去)。
須菩提。
≪その如き≫が隨に(隨如)本從り已に來たりて(從本已來)亦來らず、去らず(亦不來不去)。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
又、≪その如くに來たれる≫の≪その如き≫(又如來如)は即ち是れその一切法の≪その如き≫なり(即是一切法如)。
一切法の≪その如き≫(一切法如)は即ち是れ≪その如くに來たれる≫の≪その如き≫なり(即是如來如)。
≪その如くに來たれる≫の≪その如き≫は(如來如者)即ち≪その如き≫には非ず(即非如)。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
≪その如くに來たれる≫が如き≪その如き≫は(如如來如)一切處なり。
一切處にして常に壞さず、分別せず。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
≪その如くに來たれる≫が如き≪その如き≫(如如來如)は住すに非ず、住せざるにも非ず(非住非不住)。
須菩提。
≪その如き≫も亦、是の如し(如亦如是)。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
≪その如くに來たれる≫が如き≪その如き≫(如如來如)は障礙も無き處なり。
一切法の≪その如き≫も(一切法如)亦、障礙も無き處なり。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
又、≪その如くに來たれる≫の≪その如き≫(又如來如)は、一切法の≪その如き≫なりて(一切法如)皆、是れ一なる≪その如き≫なり(一如)、無二なり、無別なり。
是の≪その如き≫は無作なりて(是如無作)、≪その如き≫に非ざる無かれば(無非如者)。
若し是の≪その如き≫、≪その如き≫に非ざる無くば(若是如無非如者)是の故に是の≪その如き≫は(是故是如)無二なり、無別なり。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
又、≪その如きに來たる≫の≪その如き≫(又如來如)は一切處なりて壞さず、分別せず。
一切法の≪その如き≫も(一切法如)亦、壞さず、分別せず。
是の如き≪その如きに來たる≫の≪その如き≫(如是如來如)は分別す可からざるが故に、壞するも無く別くるも無し。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生す(隨如來生)。
≪その如きに來たる≫が如き≪その如き≫(如如來如)は諸法の≪その如き≫を離れず(不離諸法如)。
是の≪その如き≫(是如)は諸法に異ならず(不異諸法)。
是の≪その如き≫は≪その如き≫に非ざることも無く(是如無非如)、時に常に是の≪その如き≫なり(時常是如)。
是の如し、是の如し須菩提。
≪その如き≫の是の≪その如き≫に異ならざるが故に(如不異是如故)如實に≪その如き≫が隨に(如實隨如)行じて亦、行ずるは無し。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
≪その如きに來たる≫が如くき≪その如き≫(如如來如)は過去には非ず、未來にも非ず、現在にも非ず。
一切法の≪その如き≫(一切法如)も亦、是の如くに過去には非ず、未來にも非ず、現在にも非ず。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に行の生ずるが故に(隨如行生故)名づけて≪その如き≫が隨に來生すと爲す(名爲隨如來生)。
又≪その如きに來たる≫(又如來)は即ち是れ、≪その如きに來たる≫が≪その如き≫なり(即是如來如)。
≪その如きに來たれる≫が≪その如き≫(如來如)は即ち是れ過去の≪その如き≫なり(即是過去如)。
過去の≪その如き≫(過去如)は即ち是れ≪その如きに來たれる≫の≪その如き≫なり(如來如)。
≪その如きに來たれる≫が≪その如き≫(如來如)は即ち是れ未來の≪その如き≫なり(即是未來如)。
未來の≪その如き≫(未來如)は即ち是れ≪その如きに來たれる≫の≪その如き≫なり(即是如來如)。
≪その如きに來たれれる≫の≪その如き≫(如來如)は即ち是れ現在の≪その如き≫なり(即是現在如)。
現在の≪その如き≫(現在如)は即ち是れ≪その如きに來たれる≫の≪その如き≫なり(即是如來如)。
過去未來現在の≪その如きに來たれる≫が如き≪その如き≫(如如來如)は無二なり、無別なりて一切法の≪その如き≫も(一切法如)、須菩提。
≪その如き≫は亦、無二なり、無別なり(如亦無二無別)。
是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したり(隨如來生)。
菩薩の≪その如き≫(菩薩如)即ち是れ阿耨多羅三藐三菩提を得る時に、≪その如き≫の菩薩(如菩薩)是の≪その如き≫を以て(以是如)阿耨多羅三藐三菩提を得、名づけて≪その如きに來たれる≫と爲す(名爲如來)。
佛、是の≪その如き≫(是如)を說く時に地六種に震動せん。
是の≪その如き≫を以ての故に(以是如故)、須菩提。
≪その如き≫が隨に來生(隨如來生)したれば。
又、須菩提。
色の隨ならずして生じ、受想行識の隨ならずして生ず。
須陀洹果の隨ならずして生じ、斯陀含果の隨ならずして生じ、阿那含果の隨ならずして生じ、阿羅漢果の隨ならずして生じ、辟支佛道の隨ならずして生じて是の故に須菩提。
≪その如き≫が隨に來生したれば(隨如來生)。」
爾の時に舍利弗白して佛に言さく、
「世尊。
是の≪その如き≫(是如)は甚深なり」と。
佛言たまはく、
「是の如し、是の如し舍利弗。
是の≪その如き≫(是如)、甚深なり。
今、是の≪その如き≫(是如)を說かん。
三千比丘ら諸法を受けざるがに故、漏盡して心、解脫を得き。
舍利弗。
五百比丘尼ら諸法中に於て遠塵離垢し法眼淨を得き。
五千天人ら無生法忍を得ん。
六千菩薩ら、諸法を受けずして漏盡し心、解脫を得き。
舍利弗。
是れ六千菩薩ら已に曾に五百諸佛を供養親近し諸佛所に於て布施し持戒し忍辱し精進禪定せり。
般若波羅蜜の方便の所護の爲ならざる故に今、諸法を受けずして漏盡し心、解脫を得き。
舍利弗。
菩薩ら、空の無相無作の道を行ずと雖も般若波羅蜜の方便の所護に爲ならざるが故に、實際に於て證し、聲聞乘を作したりき。
舍利弗。
譬へて如くは有る鳥、身長百由旬にして、若しは二三四五百由旬にして翅、未だ成就せざりき。
欲して忉利天上從り閻浮提に來至り便と自ら投じ來下す。
舍利弗。
その意に於て云何。
是の鳥、中道に是の念を作さく、我、忉利天上に還らんと欲して寧しろ、還り得んや不やと。」
「不也、世尊。」
「舍利弗。
是の鳥復、是の願を作さく、閻浮提に至り、身を傷損せじと、かくに願ふが如きをは得んや不やと。」
「不也、世尊。
是の鳥、閻浮提に至り身、必ず傷損せん。
若しは死に若しは近く死に苦しまん。
何を以ての故に。
世尊。
法、應に爾ればなり。
其の身既に大にして翅、未だ成就せざるが故に。
「舍利弗。
菩薩、亦、是の如し。
恒河沙劫に於て布施し持戒し忍辱し精進し禪定し大心大願を發し無量事を受け欲し阿耨多羅三藐三菩提を得んとすと雖も而も般若波羅蜜の方便の所護の爲らざるが故に則ち聲聞、辟支佛地墮しき。
舍利弗。
菩薩、念じて過去未來現在の諸佛らに於て戒品、定品、慧品、解脫品、解脫知見品の所行ありと雖も而も心、相を取らば是の菩薩、取相に念ずるが故に知らざりき、諸佛らが戒品、定品、慧品、解脫品、解脫知見品をは。
知らずして見ざるが故に諸法の空なるを聞きてその名字を是れ音聲相に取り、阿耨多羅三藐三菩提に廻向せば當に知るべし是の菩薩、聲聞、辟支佛地に於て墮さんと。
何を以ての故に。
舍利弗。
菩薩、般若波羅蜜を離るが故に法に應に當に爾るべし。」
「世尊。
我が佛の所說義を解する如くんば若し菩薩、般若波羅蜜を離るれば則ち阿耨多羅三藐三菩提に於て狐り疑ひ未だ了せず。
是の故に菩薩摩訶薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を得んとして當に般若波羅蜜の方便を善く行ずべし。」
爾の時に欲色界諸天子ら白して佛に言さく、
「世尊。
般若波羅蜜甚深なり、阿耨多羅三藐三菩提得難し」と。
佛言たまはく、
「是の如し、是の如し諸天子ら。
般若波羅蜜甚深なり、阿耨多羅三藐三菩提得難し」と。
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
佛の所說の如くに般若波羅蜜甚深なりて阿耨多羅三藐三菩提得難し。
我が佛の所說義を解する如くんば阿耨多羅三藐三菩提得易し。
何を以ての故に。
得可き法無くして諸法空中に阿耨多羅三藐三菩提を得る者有ること無し。
得可き法無くして得可き法の所用も無し、一切法皆空なるが故に。
諸の所說の法、斷つ有るが爲に是の法も亦、空なり。
世尊。
阿耨多羅三藐三菩提の法を得たれば法の所用を得、知らば法の所用も是の法皆空なるが如し。
世尊。
是の因緣を以ての故に阿耨多羅三藐三菩提則ち得易きと爲す。
諸の得可き者ら皆、同じくに虛空なれば。」
舍利弗、須菩提に語らく、
「若し阿耨多羅三藐三菩提を得易くば、恒河沙等の諸菩薩ら應に退轉すべからず。
是の因緣を以ての故に當に知るべし阿耨多羅三藐三菩提、得難しと。
舍利弗。
その意に於て云何。
色、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
受想行識、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
色を離れ、有る得可き法、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
受想行識を離れ、有る得可き法、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
色如、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
受想行識如、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
色を離れ、如の有る得可き法、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也。須菩提。」
「舍利弗。
受想行識を離れ、如の有る得可き法、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
諸法如を離れ、有る得可き法、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉すや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
是の如き實、求めて不可得なりて何等の法と爲す、阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉する者を。
舍利弗。
阿耨多羅三藐三菩提に於て退轉する法は無し。」
舍利弗言さく、
「須菩提が所說義の如くんば則ち爲して菩薩の退轉する有ること無しとす。
若し爾れば佛說きたまふ三乘の人則ちこれ無差別なり。」
爾の時に富樓那彌多羅尼子、舍利弗に語らく、
「應に問ふべし、須菩提。
汝、欲して有る一菩薩を乘らしめんとすや不や。」
舍利弗即ち須菩提に問へらく、
「汝、欲して有る一菩薩を乘らしめんとすや」と。
須菩提言さく、
「≪その如き(如)≫中に三乘の人有る可しや不や、若しは聲聞、辟支佛、佛が乘るや」と。
「須菩提。
≪その如き(如)≫中に三相の差別有ること無し。」
「舍利弗。
≪その如き(如)≫に一相有りや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
≪その如き(如)≫中に乃至一乘の人の有るを見きや不や。」
「不也、須菩提。」
「舍利弗。
是の如く實に是の法を求めて不可得なり。
汝、云何が是の念を作す、是の聲聞乘、是の辟支佛乘、是の佛乘は是の如き三乘なりと。
如中に差別無し。
若し菩薩、是の事を聞きて驚かず怖れず、沒せず退かざれば當に知るべし是の菩薩、則ち能く菩提を成就せんと。」
爾の時に佛、讚めて須菩提に言たまはく、
「善哉、善哉、須菩提。
汝、樂說するは皆是れ佛力なり。
所謂、如中に求めて三乘人あり、差別有ること無し。
若し菩薩、是の事を聞き驚かず怖れず、沒せず退かざれば當に知るべし是の菩薩、能く菩提を成就せん。」
爾の時に舍利弗白して佛に言さく、
「世尊。
是の菩薩、何等か菩提を成就す」と。
「舍利弗。
是の菩薩、無上菩提を成就せん。」
舍利弗白して佛に言さく、
「世尊。
若し菩薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を成就せんとし應に云何が行ずべき」と。
佛言たまはく、
「一切衆生に於て應に行じて心等しかれ、心慈しみあれ、心異ならざれ、心謙下なれ、心安隱なれ、心瞋らざれ、心惱まざれ、心戲弄せざれ、父母の心あれ、兄弟の心ありて與に共に語言せよ。
舍利弗。
若し菩薩、欲して阿耨多羅三藐三菩提を成就せんとせば應に是の如く學ぶべくして應に是の如くに行ずべし。」
● 阿惟越致相品第十六
爾の時に須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
何等をか是れ阿惟越致(不退轉)の菩薩の相貌とす。
我當に云何が是れ阿惟越致菩薩を知るべき」と。
佛、須菩提に告げたまはく、
「有らゆる凡夫地、聲聞地、辟支佛地、如來地、是れら諸地、≪その如き(如)≫中に於て壞せず、二ならず、別しもせず。
菩薩、是の如きを以て諸法の實相に入り亦、分別せずして是の如くに、此の、是れ≪その如き(如)≫相、是の≪その如き(如)≫が隨に諸法の實相に入る。
是の≪その如き(如)≫を出で已り更に餘法を聞き疑はず悔いず、是非を言はず、一切法を見て皆、≪その如き(如)≫に於て入る。
是の菩薩、凡そ說くこと有りても終に無益の事をは說かず。
言すは必ず有益なり。
他人の長短を觀ぜず。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は觀ぜず、外道、沙門、婆羅門の言說をは。
實に知り實に見ん。
又、阿惟越致菩薩は事餘の天を禮せず、華香を用ひず供養す。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は終に三惡道に墮せず、女人身をも受けず。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は自らして殺生せず亦、他に殺生を敎へもせず。
自ら偷劫せず、邪婬せず、妄語せず、兩舌せず、惡口せず、無益語せず、貪嫉せず、瞋惱せず、邪見せずして亦、他に敎へて邪見らを行ざしめもせず。
是れ十善道なり。
その身に常に自ら行じて亦、他に敎へて行ざしむ。
是の菩薩乃ち夢中に至るまでも十不善道をは行ぜず、乃ち夢中に至るまでも亦、常に十善道をこそ行ず。
須菩提。
阿惟越致菩薩とは、是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
誦讀をなす可き經典ありて是の如き念を作さく、『我、欲して衆生をして安樂を得さしめんとするが故に、當に爲に說くべし』と。
『この法、是の法を以て施し法の如くに滿願にし、是の法を以て施し一切衆生に共に之れを與へん』と。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、深法を聞く時に心、疑悔無し、節言軟語なり、眠臥に於て少く、若しは來り若しは去りて心常に亂れず。
行じて卒せず疾せず常に一つ其の心に安詳徐步し、地を視て而も行く。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、衣服臥具に垢穢有ること無し。
常に淸淨を樂ひ威儀を具足し身、常に安隱にして疾病に於て少からん。
須菩提。
凡夫身中の八萬戶蟲、是の阿惟越致菩薩身中に是の如き諸蟲有ること無し。
何を以ての故に。
須菩提。
是の菩薩が善根、世間を超出し、善根の增長するに隨ふが故に得ん、心淸淨、身淸淨なるを。」
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
何等をか菩薩の心淸淨と爲す」と。
「須菩提。
菩薩の善根增長に隨ひ、諂曲欺誑ありても漸漸に自滅し、その滅を以ての故に心は淸淨なり。
心淸淨なるを以ての故に能く聲聞、辟支佛地を過ぎて是れ、菩薩の心淸淨と名づく。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
須菩提。
阿惟越致菩薩は利養に貪ぜず、慳嫉に於て少し。
深法を聞く時、其の心沒せず、智慧深きが故に一心に聽法す。
聞く可きの法、皆、般若波羅蜜に應じて是の菩薩、般若波羅蜜に因して世間諸事皆、同じく實相なり。
資生の事をは見ず。これ般若波羅蜜に應ぜざれば。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
若しは惡魔、菩薩所に至り化作し八大地獄をなしき。
一一の地獄に化作して若干百千萬の菩薩らありて是の言を作さく、『是れら諸菩薩らに佛、皆に阿惟越致の記を與へ授けき』と。
『而して今、此の大地獄中に墮したり』と。
『汝、若し阿惟越致の記を受けたれば即ちこれ地獄の記を受けたるなり。
汝、今若し能く是れを悔ゆる心あれば地獄には墮せじ。
當に天上に生ずべしと』。
是の菩薩、若し是の語を聞くも心、動せず恚せず而も是の念を作さく、『阿惟越致菩薩ら、若し惡道に墮すとも是處には有ることは無し』と。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ、阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
若しは惡魔、化作し沙門となりき。
菩薩所に至り是の言を作さく、『汝、先所に聞き讀誦したるを宜しく應に悔捨すべし』と。
『汝、若し捨離せば復、聽受せざらん。
我當に常に汝が所に至るべし。
汝が所聞は佛の所說に非ずして皆、是れ文飾莊校の辭なれば。
我が所說の經こそ眞に是れ佛語なれば』と。
若し是の事を聞き心、動恚有らば當に知るべし是の菩薩、未だ諸佛らが受記に從はず、是れ必定なる菩薩に非ずして未だ阿惟越致菩薩性中には住さずと。
須菩提。
是の事を聞き心、動恚せずば但、諸法相に依るのみして生無く作無く起無くして他語には隨はず。
漏を盡くしたる阿羅漢の如くして諸法相の證を現在さし、生ぜず法を起こさざるが故に、惡魔が爲に制されもせず。
須菩提。
菩薩亦、是の如かれば聲聞、辟支佛を求むる者の破する能はざる所なり。
復た退轉せずして必ず薩婆若に至り、阿惟越致性中に住し、他語には隨はざらん。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
若しは惡魔、菩薩所に至り是の言を作さく、『汝、所行の者、是れ生死の行なりて薩婆若の行に非ず』と。
『汝、今、此の身に於く可くして苦を盡くし涅槃を取れ。
若し能く是の如くせば則ち復、生死諸苦を受けずして是の身、生じて尚得可からざらん。
何を況んやその後身を受けんと欲すをや』と。
是の菩薩、若し是の事を聞き、心、動恚せざれば惡魔、復、是の言を作さく、『汝、今欲して諸菩薩ら恒河沙等の諸佛らの供養を見んとす、その衣服飲食を、臥具醫藥を、皆、恒河沙等諸佛所に於き、梵行修行し親近し諮請すをも。
菩薩乘の爲の故に難問する所、多からん、菩薩、云何が應に住すべしと、云何が應に行すべしと。
是の諸菩薩ら諸佛らが所に於て聞きたるの事の隨に皆、能く修行したり。
是の如き敎へ、是の如き學び、是の如き行を』と。
『しかれど猶も尚も阿耨多羅三藐三菩提を得る能はずして薩婆若にも住さず。
何を況んや汝が當に阿耨多羅三藐三菩提得べきことをや』と。
是の菩薩、若し是の事を聞き心、動恚せじば惡魔、即時に復、化作して諸比丘になりて是の言を作さく、『是れ諸比丘ら皆、漏を盡くしたる阿羅漢にして先に皆、發心し佛道を欲求して而も今、皆、阿羅漢地に住す。
何を況んや汝に於て當に阿耨多羅三藐三菩提を得べきとするをや』と。
菩薩、若しは是の念を作さく、『我、他聞從り失ふ所無きが爲に、若しは心轉ぜず、異念をも生ぜず。
是の如き魔事、若し菩薩、是の如く諸波羅蜜を行じ是の如く諸波羅蜜を學せば薩婆若をは得ざる是の處、有ることは無し』と。
須菩提。
若しは『菩薩、諸佛說の如くに所聞の學の隨に、所聞の行の隨に、是の道を離れず薩婆若念を離れざれば、薩婆若を得ざる是處の有ることは無し』と。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、若しは惡魔來りて是の言を作さく、『薩婆若、虛空に於くに同じき』と。
『是の法、所有無し、人の是法を用ひ得道する者も無し』と。
何を以ての故に。
『若し道を得たれば,得道法を用ふるを得たるならん。
法を得て皆、虛空の如き。
知者は法の所用を知り、法、所有無くして皆、虛空に同じき。
汝唐(空)しく苦惱を受けん』と。
若しは言ひて『阿耨多羅三藐三菩提を得ば即ち是の魔事、佛の所說に非ず』と。
菩薩、此に於て應に是の如く念ずべし。
『若し我、訶(叱)りて薩婆若を離れさしめるに爾らば、是れ魔事を爲さん。
是の事の中に於ても應に生ずべし、堅固心を、不動心を、不轉心を』と。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、若し欲して初禪に、第二第三第四禪に入りて心、轉じて調へ習ふ。
是の菩薩、諸禪に入ると雖も還りて欲界法を取り、禪生の隨ならず。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、心、好名に貪ぜず稱讚を聞き、諸衆生に於て心、恚礙も無くて常に安隱利益の心を生じき。
進止にも來去にも心、散亂せず常に一つの其の心にして威儀を失はず。
須菩提。
是の菩薩、若しは居家に在れども諸欲に染著せざりて、諸欲を受けて心の厭離を證せんとするに常に怖畏を懷く。
譬へば險道に多なる諸賊難あるが如くに、食らふこと有りと雖も厭離し怖畏し心、自らにして安からず。
但、念じるは何時此の險道を過ぐるやとのみなり。
阿惟越致菩薩、在家と雖も居所に諸欲を受け、皆見て惡を過ぎ、心貪惜せず、邪命を以て法に非ざるに自らを活かさず。
寧しろ身命を失ひてもしかも人に於て侵さず。
何を以ての故に。
在家の菩薩、應に衆生安樂すべし、復、在家なりと雖も而も能く是の如き功德を成就せん。
何を以ての故に。
般若波羅蜜力を得たるが故に。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は金剛神を執り常に隨ひ侍衞す。
非人をして之れに近づかしめず。
是の菩薩、心に狂亂無かりき、諸根具足せり、缺減するも無し。
賢き善行を修し、賢善ならざるに非ず。
咒術、藥草を以て女人を引接せず、身、自らも爲さず亦、他にも敎へず。
是の菩薩常に淨命を修し、吉凶を占はず亦、人の男に生じ女に生じる相をなさず。
是の如き等の事皆、之れを爲さず。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は復、相貌有りて今當に之れを說きたるが如かるべし。
須菩提。
阿惟越致菩薩は世間雜事を說くを樂はず、官事を、戰鬪事を、寇賊事を、城邑聚落事を、象馬車乘、衣服飲食、臥具らの事をも。
說かんと樂はず、華香、女人、婬女の事をは。
說かんと樂はず、神龜の事をは。
說かんと樂はず、大海の事をは。
說かんと樂はず、他を惱む事をは。
說かんと樂はず種種の事をは。
但、說かんと樂ふは般若波羅蜜のみなりて、常に應に薩婆若心に離るべからざらんとし鬪訟をも樂はず。
心常に法に於て樂ひ、法に非ざるをは樂はず。
善知識を樂ひ、冤家をは樂はず。
諍訟の和するを樂ひ、讒謗をは樂はず。
佛法中に而も出家を得るを樂び常に、他方の淸淨佛國に生じなんと欲して樂ふ、隨意自在に其所に生處し、常に諸佛供養を得んと。
須菩提。
阿惟越致菩薩は多くは欲界色界に於て命終し中國に來生し、伎藝に於て善く、經書を明解す。
咒術占相悉く能く了知して邊地に生るは少し。
若しは邊地に生まれなば必ず大國に在らん。
是の如き功德の相貌の有らば當に知るべし是れ、阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は是の念を作さず、『我、是れ阿惟越致なりや、阿惟越致に非ざりや』と。
是の疑ひをは生ぜず。
須菩提。
自ら阿惟越致地を證ずる者、終に復、疑はず。
譬へば須陀洹の證したるの法の中に於て心、疑ふ無くして種種の魔事も皆、能く之れを覺り、覺り已りて隨はざるが如し。
菩薩も亦、是の如し。
阿惟越致地中に於て心、疑ふ無きなり。
種種の魔事ら皆、能く之れを覺り覺り已りて隨はず。
須菩提。
譬へば人、逆罪有らば心、常に悔懼し死に至るまでも捨てず、遠離す能はざるが如し。
是の如き罪心、常に是の心に隨ひ乃ち命終にまでも至る。
須菩提。
阿惟越致菩薩も亦復、是の如し。
阿惟越致菩薩、心常に阿惟越致地中に安住し動轉し、一切世間、天、人、阿修羅の所壞す能はず。
種種の魔事ら能く之れを覺り覺り已りて隨はず。
證したる法の中に其の心決定したり。
疑惑するは無し。
乃ち轉身に至るまでも聲聞、辟支佛心を生ぜず、轉身して亦復、疑はず、我、阿耨多羅三藐三菩提を得ずとは。
自ら證したる所得法中にして他人に隨がず。
自ら證したる地に住し能く破壞するは無し。
何を以ての故に。
不可壞智慧を成就したるが故に。
阿惟越致性に安住せり。
須菩提。
若しは惡魔、化作し佛身となり阿惟越致菩薩所に至りて是の言を作さく、『善男子。汝、此の身に於て阿羅漢を證ず可し。
何を用て阿耨多羅三藐三菩提の爲すとす』と。
何を以ての故に。
『菩薩、阿耨多羅三藐三菩提を得て相貌を成就するも汝、是の相無しかれば』と。
須菩提。
菩薩、是の語を聞きて心、動異せずして即ち是の念を作さく、『若しは是れ惡魔なり、若しは魔の所使なりて佛の所說には非じ。
若し佛の所說ならば應に異有るべからじ』と。
若しは菩薩、能く是の如く念へらく、『是れ魔の變身し佛と作りて、欲して我をして般若波羅蜜に遠離さしめんしたり』と。
魔、若しは還りあるひは隱れまたは沒せば當に知るべし是の菩薩、已に先佛に於て阿耨多羅三藐三菩提の受記を得、阿惟越致地中に安住せりと。
何を以ての故に。
是の人、阿惟越致の相貌有らば。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ、阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩は護法の爲に身命を惜しまず。
正法の爲の故に精進を行じ是の念を作さく、『我、但、過去現在諸佛の正法を護るのみならず亦復、當に未來世中諸佛正法をも護るべし。
我亦、當に未來數中に在りて而も受記を得て我、則ち自ら法を守護せん』と。
是の菩薩、是の利を見るが故に正法を守護し乃ち身命惜しまざるにまで至り其の心、沒せず、悔いず。
須菩提。
是の相貌を以て當に知るべし是れ、阿惟越致菩薩なりと。
復、次に須菩提。
阿惟越致菩薩、若し如來從り說法を聞く時、その心に疑ふは無し。」
須菩提白して佛に言さく、
「世尊。
是の菩薩、但、如來が說法を聞く時のみ、その心、疑ふ無きや。
聲聞人の說法を聞く時も亦、疑ふ無きや」と。
「須菩提。是の菩薩、聲聞人從り法を聞く時も亦、疑ふ無し。
何を以ての故に。
是の菩薩、諸法中に於て得るは生ずる無きの忍(無生忍)なるが故に。
須菩提。
菩薩、是の如き功德の相貌を成就せば當に知るべし是れ、阿惟越致菩薩なりと。」
小品般若波羅蜜經卷第六
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