摩訶般若波羅蜜經(小品般若波羅蜜經)卷第五


小品般若波羅蜜經卷第五

後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯

● 魔事品第十一

● 小如品第十二

● 相無相品第十三

● 船喩品第十四



小品般若波羅蜜經卷第五

● 魔事品第十一

爾の時に須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 已に說きたまひき善男子、善女人の功德に云何が難の留むるを起こす」と。

「須菩提。

 若し說法する者、即ち樂說せざれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 說法者、樂說を止めずば菩薩ら當に知るべし、是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 說法者、說きて究竟ならざれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に傲慢自大なれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に互に相ひ嗤笑せば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に互に相ひ輕蔑せば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に其の心、散亂せば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に心、不專一なれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 行者、是の念を作さく、我、般若波羅蜜に於て氣味を得ず、と。座從り而して去れば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 行者、是の念を作さく、我、般若波羅蜜中に於て受記有ること無し、と。心、淸淨ならずして座從り而して去れば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 行者、是の念を作さく、般若波羅蜜中に我が名を說かず、と。心、淸淨ならざれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 行者、是の念を作さく、『般若波羅蜜中に我が生處をは說かれず、若しは城邑聚落をも』と。是の因緣を以て般若波羅蜜を說くを聞かんと樂はず。便ちそれを棄てんとし捨て去らんとす念ひの起こりたるが隨なりて輒ち却りたる若干劫數に乃ち復、菩薩道を修すに還るを得き菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 諸經にて薩婆若に至ること能はざりき菩薩、般若波羅蜜を捨てても而も之れを讀誦せば是の菩薩則ち本を捨て而も枝葉を取るを爲したり。

 何を以ての故に。

 是の菩薩、般若波羅蜜に因して能く世間、出世間の法を成就し般若波羅蜜を學び、能く世間、出世間の法を學びたれども若し般若波羅蜜を捨てたれば菩薩ら、當に知るべし是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 譬へば有る狗の、主を捨て與へたるの分を食らふが如くに、務めを作す者に從はず反して索めたる是の如き、須菩提。當に來世、或る菩薩有りて深般若波羅蜜を捨て反して餘の聲聞、辟支佛の經を取らば菩薩ら、當に知るべし、是れ魔事を爲すと。

 須菩提。

 譬へば人の象を得てそれを觀せずして反して其の跡を尋ねるが如し。

 その意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 菩薩亦、是の如し。

 深般若波羅蜜を得て而も之れを棄捨し、反して聲聞、辟支佛の經に於て薩婆若を求めたれば、その意に於て云何。

 是の人、智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「須菩提。

 譬へて如くは人の大海を見んと欲し見已らずに反りて牛の跡に水を求め是の言を作さく、『大海の水、能く是れ多きや』と。

 その意に於て云何。

 是の人、智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 當に來世の菩薩も亦、是の如かるべし。

 深般若波羅蜜を得て而も之れを棄捨し、反りて聲聞、辟支佛の經を讀誦せばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「須菩提。

 譬へば工匠、帝釋勝殿の如きを造らんと欲し而も反りて日月宮殿を揆度するが如し。

 その意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 當に來世の菩薩も亦、是の如かるべし。

 深般若波羅蜜を得て而も之れを棄捨し反りて聲聞、辟支佛經中に於て薩婆若を求めばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「須菩提。

 譬へて如くは人の轉輪王を見んと欲し見已らずして知らざるがままに是の念を作さく、『轉輪王の形貌、威德は云何』と。

 諸小王に見る其の形貌を取りて是の言を作さく、『轉輪王の形貌の威德、是の如き相なりや』と。

 その意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 當に來世の菩薩も亦、是の如かるべし。

 深般若波羅蜜を得て而も之れを棄捨し、反りて聲聞、辟支佛經中に於て薩婆若を求めばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「須菩提。

 譬へば飢たる人、百味食を捨て反して六十日の飯を食らふが如し。

 その意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 菩薩らも亦、是の如し。

 深般若波羅蜜を得て而も之れを棄捨し反りて聲聞、辟支佛經中に於て薩婆若を求めばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「須菩提。

 譬へば人の無價寶珠を得て而も水精に比するが如し。

 意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 當に來世の菩薩ら亦、是の如し。

 深般若波羅蜜を得て而も聲聞、辟支佛經に比して中に於て薩婆若を求めばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。

 菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

「復、次に須菩提。

 書き讀誦し般若波羅蜜を說く時に若し多く餘事を說き、般若波羅蜜を妨廢せば菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。般若波羅蜜、書き讀誦し說くるに得可きや」と。

「不也、須菩提。

 若し善男子、善女人、文字を書寫し而も是の念を作さく、『我、般若波羅蜜を書きき』と。即ち是れ魔事なり。

 須菩提。

 爾の時に應に是の善男子、善女人に敎ふべし、汝等謂ふ勿れ、但、書寫す文字のみを以てして便ち是の念言を作すなかれ、『我、般若波羅蜜を書きき』とはと。

 諸善男子、是れ文字を以て般若波羅蜜の義を示し是の故に汝等、著する勿れその文字に、と。

 若し文字に著さば菩薩ら當に知るべし是れ、魔事を爲すと。

 若し貪著せずば即ち魔事をも捨てたり。

 復、次に須菩提、書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に憶念す、諸方國土を、城邑聚落を、國王怨賊を、戰鬥の事を。

 憶念す、父母兄弟姊妹を。

 惡魔是の如き等の念を生ざしめ、般若波羅蜜を妨廢せば菩薩ら皆應に之れを覺るべし。

 須菩提。

 是の如く當に知るべし亦是れも魔事なりと。

 復、次に須菩提。

 書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時に供養の事を起こし、衣服飲食、臥具醫藥、資生の物らありて般若波羅蜜を妨廢せば、菩薩ら皆應に之れを覺るべし。

 須菩提。

 是の如くに當に知るべし亦も魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 惡魔、因緣を作し菩薩らをして諸深經を得さしめ菩薩ら此の深經に於て方便有りて貪著を生ぜず、方便無くして菩薩ら般若波羅蜜を捨て是の深經を取らん。

 須菩提、我、般若波羅蜜中に於て廣く方便を說く。

 應にその中に於て求むべけれど而も反りて餘の深經、聲聞、辟支佛法中に於て方便を求索せばその意に於て云何。

 是の人智を爲すや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 是の如くき、當に知るべしこれも亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 聽法者、般若波羅蜜を聞かんと欲し、說法者、疲懈なれば說を爲しても樂しからず。

 須菩提。

 是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 說法者、身、疲れ極まらずして般若波羅蜜を說かんと樂ふも聽法者、餘國に至らんと欲し、書き讀誦し般若波羅蜜を說くを得ざりき是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 聽法者、念力智力有りて聽くを樂ひ欲して受けて般若波羅蜜を讀誦せど說法者、餘國に至らんと欲して書き讀誦し般若波羅蜜を說くを得ざりき是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 說法者、財物衣服飲食を貴くし聽法者、之れを與ふるを惜しみて書きて讀誦し般若波羅蜜を說くを得ざれば是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 聽法者、信樂心有り說法者を供養せんと欲するも而も說法者、誦習不利なりて聽法者の聽受樂しからざりて書きて讀誦し般若波羅蜜を說くを得ざりき是の如きの不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 說法者、說の爲に心樂し聽法者、聽受して心樂しからざりて書きて讀誦し般若波羅蜜を說くを得ざりき是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 說法者身重く疲れ極まりて睡眠覆ふ所となりて言說樂しからざるも聽法者、樂ひ欲して聽受し讀誦する是の如き不和合も亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 若し書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時、有る人來りて三惡道苦を說くに、地獄中に是の如き苦有り、畜生餓鬼中に是の如き苦あり、是の身に於て苦を盡くし涅槃を取るに如かざれば何を用てか更に生じて是れらの諸苦を受けんや、と是の如きも須菩提。

 菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 若し書きて讀誦し般若波羅蜜を說く時、若し有る人來り天上快樂を讚歎すらく、『欲界中に有りてそれ極妙の五欲快樂なり』と。『色界中に有りてそれ禪定快樂なり』と。『無色界中に有りてそれ寂滅定樂なり』と。『是れら三界の樂、皆無常にして苦なりて空なりて壞敗の相なり』と。『かるがゆゑに汝、是の身に於て須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果を取る可くして更に後身を受くる須からず』と。

 菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 說法者、徒衆を愛樂し是の言を作さく、『若し能く我に隨へば當に般若波羅蜜を與ふべし』と。『若し我に隨はざれば則ち汝らには與へず』と。

 此の因緣を以て多たの人ら隨從し時に說法者、經を嶮難危命の處に欲して語りて諸人に言さく、『善男子、汝等知るや不や、何を用てか我が經に隨ふを此れ險難なりとす。善く自ら籌量し後悔を得る無かれ』と。

 而も是の言を作さく、『何故に此の飢餓、怨賊の中に至るや』と。

 說法者、此の細微の因緣を以て諸人を捨離し聽法者、是の念を作さく、『是れ捨離の相なり』と。『般若波羅蜜の相を與ふるに非ず』と。『書きて讀誦し般若波羅蜜を說くをは得ざりき』と。

 是の如き不和合、菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 說法者、經を惡獸虎狼師子怨賊毒害無水の處に欲して說法者語りて諸人に言さく、『汝等知るや不や。我が至れるの處、經は惡獸怨賊毒害無水の處をも過ぎき。汝等豈に能く是の如き苦を受けざらん』と。

 說法者、此の細微の因緣を以て而も之れを捨離し諸人、復、隨從せずして是の念を作さく、『是れ捨離の相なり』と。『般若波羅蜜の相を與ふるに非ず、即ち便ち退き還るべし』と。

 須菩提。

 是の如き諸難、菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲す。

 復、次に須菩提。

 說法者、檀越(檀家)に於て重くし此の因緣を以て常に數た往返す、是の事を以ての故に聽法者に語らく、『諸善男子、我檀越有り、應に往きて問訊すべし』と。諸人念言すらく、『是れ爲に我に般若波羅蜜の相を與へず』と。即時に捨離し學習し書讀し誦し說くを得ざりき。

 是の如き不和合、菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 惡魔勤めて方便を作し人の讀誦し般若波羅蜜を修習する無からしめんと欲しき。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 惡魔云何が方便を勤作し人に般若波羅蜜の讀誦修習を得ざらしめんや」と。

「須菩提。

 惡魔、諸人を詭誑し是の言を作さく、此れ眞の般若波羅蜜に非ずと。我が所有の經、是れこそ眞に般若波羅蜜なりきと。

 須菩提。

 惡魔、是の如く衆人を詭誑し、未受記なる者ら、當に般若波羅蜜中に於て疑ひを生ずべき。疑ひの因緣の故に般若波羅蜜の讀誦修習を得ざりき。是の如き、須菩提。

 菩薩ら當に知るべし亦、魔事を爲すと。

 復、次に須菩提。

 復、魔事有るに若し菩薩、般若波羅蜜行ずれば即ち實際を證し聲聞果を取らん。是の如き、須菩提。

 菩薩ら當に知るべしこれも亦、魔事を爲すと。」

● 小如品第十二

佛、須菩提に告げたまはく、

「般若波羅蜜、多く是の如き諸の難事の留る有り」と。

須菩提白して佛に言さく、

「是の如し、是の如し世尊。

 般若波羅蜜、多く難の留る有り。

 譬へば珍寶の多く怨賊有るが如くして般若波羅蜜も亦、是の如し。

 若し人般若波羅蜜を受持、讀誦、修習せざれば當に知るべし是の人、新發道の意に智少く信少なく大法を樂はず魔の所攝を爲すと。」

「是の如し、是の如し須菩提。

 若し人般若波羅蜜を受持、讀誦、修習せざれば當に知るべし是の人、新發道の意智少く信少く大法を樂はず魔の所攝を爲すと。

 須菩提。

 般若波羅蜜、是の如き魔事及び諸の留難多く有りと雖も若し善男子、善女人、能く受持し書き讀誦し說く有らば當に知るべし是れ等、皆是れ佛力なり。

 何を以ての故に。

 惡魔、復方便を勤作し般若波羅蜜を滅さんと欲せども諸佛ら亦復、方便を勤作し而も之れを守護せば。

 須菩提。

 譬へて如くは母なる人、諸子多く有りて若しは十、若しは百乃ち十萬にも至りき。其の母、疾有らば諸子ら各各に救療を勤求して皆、是の願を作さく、『我等、要(必)らず當に母をして久壽たらしむべし』と。かくて身體安隱にして諸苦患、風雨の寒熱、蚊虻毒螫も無くして當に諸藥の因緣を以て母をして安隱ならしむべけん。

 何を以ての故に。

 我等を生育し壽命を與へ賜ひ世間に悟を示す其の恩甚だ重かれば。

 須菩提。

 今十方現在の諸佛ら常に般若波羅蜜を念ひ皆、是の言を作さく、『般若波羅蜜、能く諸佛らを生じ能く薩婆若をも示す』と。

 何を以ての故に。

 諸佛らの薩婆若、皆、般若波羅蜜從り生ずるが故に。

 須菩提。

 諸佛ら阿耨多羅三藐三菩提を得、若しは已に今得たりて、若しは當に得べくしたるも皆、般若波羅蜜に因す。

 須菩提。

 般若波羅蜜、是の如く十方諸佛らに薩婆若を示し亦、世間をも示さん。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 佛が所說の如くに般若波羅蜜、諸佛らに世間を示せど世尊。

 云何が世間と爲すや」と。

佛言たまはく、

「五陰是れ世間なり」と。

「世尊。

 云何が般若波羅蜜、五陰を示すや」と。

佛言たまはく、

「般若波羅蜜、五陰の不壞の相を示す。

 何を以ての故に。

 須菩提。

 空是れ不壞相なれば。

 無相無作是れ不壞相なれば。

 般若波羅蜜、是の如くに世間を示す。

 復、次に須菩提。

 佛、無量無邊衆生の性に隨ふが故に如實に其の心を知れり。

 是の如し、須菩提。

 般若波羅蜜、諸佛らに世間を示す。

 復、次に須菩提。

 衆生亂心し攝心して是れら亂心も攝心も佛、如實に知れり。

 須菩提。

 云何が如來、諸衆生が亂心、攝心を知るや。

 法相を以ての故に知る。

 須菩提。

 法相の故に知り心亂るに非ずして是の如くに亂心を知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、攝心を知るや。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、心の盡相を知り如實に盡相を知ればなり。

 是の如くに攝心をも知る。

 復、次に須菩提。

 衆生染心し≪その如きに來たれる(如來)≫、如實に染心をも知る。

 恚心あり、癡心あり、如實に恚心をも癡心をも知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、如實に染心を知るや。

 如實に恚心を知り如實に癡心を知れば。

 須菩提。

 染心の如實なる相即ち染心には非ず。

 恚心、癡心の如實なる相即ち恚心、癡心には非ず。

 是の如し須菩提。

 諸佛ら般若波羅蜜從り薩婆若智を生ず。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、染心を離るや。

 如實に染心に離るを知り、恚心を離れ如實に恚心を離るを知り、癡心を離れ如實に癡心を離るを知れば。

 須菩提。

 染心を離る中に染心の相を離るは無し。

 恚心を離る中に恚心の相を離るは無し。

 癡心を離る中に癡心の相を離るは無し。

 是の如し、須菩提。

 般若波羅蜜、諸佛らに世間を示す。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因し、衆生に廣心ありて如實にその廣心を知る。

 云何が如來、衆生に廣心あり如實に廣心を知るや。

 須菩提。

 是の衆生心、增えず廣がらず離相を離れざるが故に。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生に廣心あり如實にその廣心を知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生に大心あり如實にその大心を知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、衆生に大心あり如實にその大心を知るや。

 須菩提。

 ≪その如きに來たれる(如來)≫、是の心を知れり、來る無し、去る無し、住すも無しと。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生に大心あらば如實にその大心を知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生に無量心あらば如實にその無量心を知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、衆生に無量心あり如實にその無量心を知るや。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、是の心を知れり、住さず、寂滅に於て住し依止すること無し、虛空の無量なるが如くにと。

 心相を知りて亦、爾かれり。

 是の如くに須菩提。如來、般若波羅蜜に因して衆生に無量心あり如實にその無量心を知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生、心、不可見なりて如實にその心の不可見なるを知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、衆生、心、不可見なりて如實にその心の不可見ならざるを知るや。

≪その如きに來たれる(如來)≫、相の義無きを以ての故に如實に心の不可見なるを知れば。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生の心、不可見なりて如實にその心、不可見なるを知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生、心を現ぜずして如實にその心、現ぜぬを知る。

 云何が≪その如きに來たれる(如來)≫、衆生、心現ぜずして如實にその心、現ぜぬを知るや。

 是の心、五眼の所見ならざれば。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生の心現ぜずして如實にその心の現ぜぬを知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生の諸の出沒を知る。

 云何が出沒を知るや。

 衆生の起こしたる出沒、皆、色生に依り、受想行識生に依れば。

 何等をか是れ諸の出沒とすや。

 所謂、我及び世間は常なりと是れ、色に依り見、受想行識に依り見たり。

 我及び世間は無常なり、常無きが常なり、常に非らずして無常に非ずと是れ、色に依りて受想行識に依りて見たり。

 世間は有邊なり、世間は無邊なり、無邊なる邊有り、邊有るに非ずして邊無きに非ずと是れ、色に依りて受想行識に依りて見たり。

 死後にして去るが如し、死後にして去るが如からず、死後にして去るが如くして去るが如からず、死後にして去るが如くに非らずして去るが如からざるに非ずと是れ、色に依りて受想行識に依りて見たり。

 身即ち是れ神なりと是れ、色に依りて受想行識に依りて見たり。

 身、神に異なるに異なりきと是れ、色に依りて受想行識に依りて見たり。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して衆生の諸の出沒を知る。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して色相を知る。

 云何が色相を知り如の如くに知るや。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、受想行識の相を知りたれば。

 云何が識の相を≪その如き(如)≫の如くに知るや。

 須菩提。

 五陰の≪その如き(如)≫即ち是れ≪その如きに來たれる(如來)≫所說の出沒なり。

 五陰の≪その如き(如)≫即ち是れ世間の≪その如き(如)≫なるが如くして五陰の≪その如き(如)≫即ち是れ一切法が≪その如き(如)≫なり。

 一切法の≪その如き(如)≫即ち是れ須陀洹果の≪その如き(如)≫なりて斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道の≪その如き(如)≫なり。

 辟支佛道の≪その如き(如)≫即ち是れ≪その如きに來たれる(如來)≫の≪その如き(如)≫なり。

 是の諸≪その如き(如)≫ら皆是れ一なる≪その如き(如)≫なり。無二なり、無別なり。無盡なりて無量なり。

 是の如くに須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して是れら≪その如き(如)≫の相を得。

 是に如くに須菩提。

 般若波羅蜜、諸佛らに世間を示し、能く諸佛らを生じ、諸佛らに世間如を知らす。

 如實に是の如きを得るが故に、名づけて≪その如きに來たれる(如來)≫と爲す。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 是の≪その如き(如)≫甚深なり。

 諸佛の阿耨多羅三藐三菩提、是の≪その如き(如)≫從り生じたり。

 世尊。

≪その如きに來たれる(如來)≫、是の深法を得、能く衆生が爲に是れ≪その如き(如)≫の相を說きたまふ。

 是の如き≪その如き(如)≫の相、誰か能く信ずる者なりや」と。

「唯、阿毗跋致に有る菩薩、及び正見を具足する者、滿願なる阿羅漢、乃ち能く之れを信じん。

 須菩提。

 是の如く無盡なり。

 佛如實に無盡を說く。」

● 相無相品第十三

爾の時に釋提桓因及び欲界萬天子ら、梵世二萬天子ら、俱に佛所を詣で頭面に佛足を禮し却りて一面に住しき。

各に白して佛に言さく、

「世尊。是の法甚深なり。

 此の法中に於て云何が相を作す」と。

佛、諸天子らに告げたまはく、

「諸法、空を以て相を爲す、相は無き、作すも無き、起つも無き、生ずるも無き、滅すも無き、依るも無きを以て相を爲す」と。

諸天子ら言さく、

「≪その如きに來たれる(如來)≫、是の諸相を說きたまふ、空の如くに所依は無しと。

 是の如き諸相、一切世間天人阿修羅らの壞す能はざる所ならん。

 何を以ての故に。

 一切世間天人阿修羅ら、即ち是れ其の相なるが故に。

 世尊。

 是の諸相、作す可きに非ず。

 是の諸相、色數在らず、受想行識數も在らず。

 是の諸相、人に非らず、人に非ざるの作すにも非ず。」

佛、欲色界に告げたまはく、

「諸天子ら。

 若し人の問言すらく、この虛空、誰の作すなりや、と。

 是の人正問を爲したるや不や」と。

「不也、世尊。

 虛空、作す者有ること無し。

 何を以ての故に。

 虛空、無爲なるが故に。」

「諸天子ら。

 此の諸相亦、是の如し。

 佛有りて佛無くして、これ常住に異ならず、諸相、常住なるが故に。

≪その如きに來たれる(如來)≫、是の諸相を得已り名づけて≪その如きに來たれる(如來)≫と爲す。」

諸天子ら言さく、

「≪その如きに來たれる(如來)≫所說の諸相甚深なり。

 諸佛らが智慧の無礙なるが故に。

 能く是の如を示し亦、能く般若波羅蜜の行相を說きたまふ。

 世尊。

 般若波羅蜜、是れ諸佛の行處なりて亦、是の如く諸佛らを世間に示す」と。

「復、次に須菩提。

 諸佛ら法に於て依止し、法に於て供養し恭敬し尊重し讚歎す。

 法は則ち是れ般若波羅蜜なり。

 諸佛ら般若波羅蜜を供養し恭敬し尊重し讚歎す。

 何を以ての故に。

 般若波羅蜜、諸佛を出生さするが故に。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫は恩を知り、報恩をも知る者なり。

 若しは人、正問すらく、何等をか是れ恩を知るとし報恩を知る者とすと。

 當に答ふべし、佛、是れ恩を知り報恩を知る者なりと。

 須菩提。

 云何が佛、是れ恩を知り報恩を知る者なる。

≪その如きに來たれる(如來)≫、行じきの道、行じきの法に阿耨多羅三藐三菩提を得たれば即ち是の道、是の法を護念せん。

 是の事を以ての故に當に知るべし佛、是れ恩を知り報恩を知る者なり。

 復、次に須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、一切法の無作を知り亦、是れ如來、恩を作すを知る者なり。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して一切法の無作の相を知り是の如き智慧を得き。

 是の因緣を以ての故に般若波羅蜜も亦、是の如く諸佛らに世間を示す。」

「世尊。

 若し一切法は無知なる者にして、無見なる者にして、云何が般若波羅蜜、諸佛らに世間を示すや。」

「須菩提。

 是の如し、是の如くに一切法は知無き者なり、見無き者なり、須菩提。

 云何が一切法を知無き者とす、一切法、空なるが故に。

 云何が一切法を見無き者とす、一切法、所依無きが故に。

 是の故に一切法は知無き者なり、見無き者なり。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫、般若波羅蜜に因して是の如き法を得、是の故に般若波羅蜜も亦、是の如く諸佛らに世間を示す。

 色を見ざるが故に世間を示し、受想行識を見ざるが故に世間を示す。

 般若波羅蜜、是の如く諸佛らに世間を示す。」

「世尊。

 云何が色を見ざるが故に世間を示すと名づけ、云何が受想行識を見ざるが故に世間を示すと名づく。」

「須菩提。

 若し色に緣じずして色を生じれば是れ色を見ずと名づく。

 若し受想行識に緣じずして識を生じれば是れ識を見ずと名づく。

 若し是の如く世間を見ざれば是れ世間を眞見すと名づく。

 復、次に須菩提。

 世間空なり、般若波羅蜜、如實に世間の空なるを示す。

 世間離相なり、般若波羅蜜、如實に世間の離相なるを示す。

 世間淨なり、般若波羅蜜、如實に世間の淨らなるを示す。

 世間寂滅なり、般若波羅蜜、如實に世間の寂滅なるを示す。

 須菩提。

 般若波羅蜜亦、是の如く諸佛らに世間を示す。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 般若波羅蜜、大事を爲すが故に出でたり。

 般若波羅蜜、爲すは不可思議の事をなり、不可稱の事をなり、不可量の事をなり、無等等の事をなるが故に出でたり。」

佛言たまはく、

「是の如し、是の如くに須菩提。

 般若波羅蜜、大事を爲すが故に出づ。

 爲すは不可思議の事をなりて不可稱の事をなりて不可量の事をなりて無等等の事をなるが故に出づ。

 須菩提。

 云何が般若波羅蜜、大事を爲すが故に出で、爲すは不可思議の事なりて、不可稱の事なりて、不可量の事なりて、無等等の事をなるが故に出づとす。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫法、佛の法、自然の法、一切智の人法、これら廣大なり、不可思議なり、不可籌量なりて是の故に、須菩提。

 般若波羅蜜、大事を、不可思議の事を爲すが故に出でたり。

 云何が般若波羅蜜、不可稱の事、不可量の事を爲すが故に出づるや。

 須菩提。

≪その如きに來たれる(如來)≫法、佛の法、自然の法、一切智の人法、これら不可稱なり、不可量なりて是の故に須菩提。

 般若波羅蜜、不可稱の、不可量の事を爲すが故に出でたり。

 云何が般若波羅蜜、無等等の事を爲すが故に出づるや。

 須菩提。

 一切、≪その如きに來たれる(如來)≫と等しき者だに無きに、何を況んや勝つの有るをや。

 是の故に須菩提。

 般若波羅蜜、等しく等しきの無き(無等等)の事を爲すが故に出でたり。」

「世尊。

 但、≪その如きに來たれる(如來)≫法、佛の法、自然の法、一切智の人法のみ、不可思議なりや。不可稱なりや。不可量なりや。

 色も亦、不可思議なりや。不可稱なりや。不可量なりや。

 受想行識も亦、不可思議なりや。不可稱なりや。不可量なりや。」

「須菩提。

 色も亦、不可思議なり、不可稱なり、不可量なりて受想行識も亦、不可思議なり、不可稱なり、不可量なり。

 一切法も亦、不可思議なり、不可稱なり、不可量なり。

 何を以ての故に。

 須菩提。

 諸法の實相中に心無く、心數法も無かれば。

 須菩提。

 色、不可稱なり。受想行識も亦、不可稱なりて一切法も亦、不可稱なり。

 此の中に分別の有ること無きが故に。

 須菩提。

 色、不可量なり。受想行識も亦、不可量なりて一切法も亦、不可量なり。

 須菩提。

 何を以ての故に。

 色も不可量なりて受想行識も不可量なりて一切法も不可量なれば。

 須菩提。

 色の量、所有無くして不可得なり。

 受想行識の量、所有無くして不可得なり。

 一切法の量、所有無くして不可得なり。

 須菩提。

 何を以ての故に。

 色の量、所有無くして不可得なれば。

 受想行識の量、所有無くして不可得なれば。

 一切法の量、所有無くして不可得なれば。

 須菩提。

 色、所有無きが故に受想行識、所有無きが故に一切法、所有無きが故にそれらが量、不可得なり。

 須菩提。

 その意に於て云何。

 虛空に心、心數法有りや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 是の因緣を以て一切法は不可思議なり。

 諸の籌量を滅するが故に不可思議と名づけ、諸の稱を滅するが故に不可稱と名づく。

 須菩提。

 稱は即ち是れ識の業なり。

 須菩提。

 無量は諸量に過ぎたるが故なり。

 須菩提。

 虛空も不可思議なりて不可稱なりて不可量なるが如くに諸の≪その如きに來たれる(如來)≫法、佛の法、自然の法、一切智の人法も亦、是の如くに不可思議なり、不可稱なり、不可量なり。

 是れ不可思議なりて無等等法を說く時に五百比丘ら、二十比丘尼ら、一切法を受けざるが故に漏を盡くし心解脫を得ん。

 六萬優婆塞ら、三萬優婆夷ら、諸法中の於て法眼淨を得ん。

 二十菩薩ら、無生法忍を得、此の賢劫に於て皆當に成佛すべし。」

爾の時に須菩提白して佛に言さく、

「世尊。

 是れ深般若波羅蜜、大事を爲すが故に出で乃ち無等等の事に至るまでも爲すが故に出づるや」と。

佛言たまはく、

「是の如し、是の如し須菩提。

 是れ深般若波羅蜜、大事を爲すが故に出で乃ち無等等の事に至るまでも爲すが故に出でたり。

 諸佛らの薩婆若、皆、般若波羅蜜中に在り、一切聲聞、辟支佛地皆、般若波羅蜜中に在り。

 須菩提。

 譬へば灌頂の刹帝利王、若し諸の城事、諸の聚落事に皆、大臣を付けて王に憂ふる無きが如く、是の如くに須菩提。

 諸の≪その如きに來たれる(如來)≫も亦、是の如き。

 有らゆる聲聞事、辟支佛事、佛事、皆、般若波羅蜜中に在りて般若波羅蜜、能く其の事どもを成辦す。

 是の故に須菩提。

 當に知るべし般若波羅蜜、大事を爲すが故に出で乃ち無等等の事に至るまでも爲すが故に出づと。

 須菩提。

 般若波羅蜜、色を受けず著せざるが故に出で、受想行識を受けず著せざるが故に出で、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果、辟支佛道を受けず著せざるが故に出でて乃ち薩婆若に至るまでも亦、受けず著せざるが故に出づ。」

須菩提白して佛に言さく、

「世尊。云何が般若波羅蜜、薩婆若を受けずして薩婆若に著しもせざるや」と。

「須菩提。

 その意に於て云何。

 汝、阿羅漢の法を見、受く可きや著す可きや不や」と。

「不也、世尊。

 我は見ず、是の法を、著を生ず可き者をも。」

佛言たまはく、

「善哉、善哉、須菩提。

 我も亦、見ず、≪その如きに來たれる(如來)≫法をは。

 見ざるを以ての故に受けず、著しもせず。

 是の故に須菩提。

 薩婆若を受く可からず、著す可からず。」

爾の時に欲色界諸天子ら白して佛に言さく、

「世尊。

 是れ深般若波羅蜜、解き難し、得難し。

 若し能く深般若波羅蜜を信解する者、當に知るべし是の人、已に先世に於て諸佛を供養せりと。

 世尊。

 若し三千大千世界の衆生皆、信行を作し、信行地中に於て修行し、若しは一劫、若しは減一劫、若しは人の一日、深般若波羅蜜を行ずれば籌量思惟し觀忍通利し是の福、勝れりと爲す」と。

佛、諸天子らに告げたまはく、

「若し善男子、善女人、是れ深般若波羅蜜聞かば疾く涅槃を得ん。

 是の人、信行地中に於て修行し若しは一劫、若しは減一劫、及ぶ能はざる所ならん。」

爾の時に欲色界諸天子ら、頭面に佛足を禮し佛を繞りて而して出づ。

去りて此れより遠からずに忽然と現ぜず。

欲界諸天子ら、還りて欲天に至り、色界諸天子ら、還りて色天に至りき。

爾の時に須菩提、白して佛に言さく、

「世尊。

 若し菩薩、能く深般若波羅蜜を信解せば是の人、何に於て命終し此の間に來生すや」と。

佛、須菩提に告げたまはく、

「若し菩薩、是の深般若波羅蜜を聞き即時に信解し、疑はずして悔いずして難しとせずして見んと樂ひ聞かんと樂ひて常に是れらの念を行し、說ける般若波羅蜜を離れざる者は、須菩提。

 譬へば新產の犢子の如し、其の母に離れず。

 菩薩も亦是の如し、深般若波羅蜜を聞き說法を離れざる者、乃ち般若波羅蜜を讀誦し書寫するにまでも至るを得ば、須菩提、當に知るべし是の菩薩、人中の命終して人中に還生せんと。」

「世尊。

 有る菩薩、頗るに是の如き功德因緣を成就し他方世界に於て諸佛供養し彼に於て命終して、此の間に來生するや不や。」

「須菩提。

 有る菩薩、是の如き功德を成就し他方世界に於て諸佛を供養し彼に於て命終して此の間に來生せん。

 復、次に須菩提。

 有る菩薩、是の如き功德を成就して兜率天上に於て彌勒菩薩が說く般若波羅蜜を聞き、其の中に事を問ひ彼に於て命終し、此の間に來生せん。

 復、次に須菩提。

 若し人、先世に是の深般若波羅蜜を聞き其の義を問はざれば是の人、若しは人中に生じ、心、續き疑悔し難決ならん。

 須菩提。

 當に知るべし是の人、前世に於て問ひを致さざればなりと。

 何を以ての故に。

 是の般若波羅蜜中に於て心、疑悔ありて難決ならんが故に。

 復、次に須菩提。

 若し人、先世に若しは一日、若しは二日、三日、四日、五日、是の深般若波羅蜜を聞き其の中に事を問ひ而して所說の行に隨はざれば是の人、轉身し續きて深般若波羅蜜を聞くを得、其の中に事を問ひ、信心し無礙ならん。

 若しは法師を離れ、復、難きを問はざれば還りて因緣の爲に所牽されて深般若波羅蜜を失はん。

 何を以ての故に。

 須菩提。

 法に應に爾れば。

 若し人、能く是の深般若波羅蜜の難きを問ふと雖も、所說の隨に行ぜず、或る時は深般若波羅蜜聞かんと樂ひ、或る時は樂はず、其の心、輕躁にして氈毳少きが如かれば當に知るべし是の菩薩、新發の大乘なりと。

 是の菩薩は信心淸淨なれども若し般若波羅蜜の所護爲さずば二地中に於て當に一處、若しは聲聞地、若しは辟支佛地に墮さんと。」

● 船喩品第十四

爾の時に佛、須菩提に告げたまはく、

「譬へて如くは大海中に船、卒破し、其の中の人、若しは木を、若しは板を、若しは浮囊を、若しは死屍をも取らざりき。

 當に知るべし是の人、彼岸に至らず水に沒して而も死なんと。

 須菩提。

 其の中の人、若し木板、浮囊、死屍を取らば當に知るべし是の人、水に沒しても死にはせずして安隱ならんと、無惱ならんと、彼岸に至り得んと。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如くして阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り、忍有り、樂ふ有り、淨心有り、深心有り、欲す有り、解す有り、捨す有り、精進有りても般若波羅蜜を取らざれば當に知るべし是の人、中道に退沒し聲聞、辟支佛地に墮さんと。

 須菩提。

 若し菩薩、阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り、忍有り、樂ふ有り、淨心有り、深心有り、欲す有り、解す有り、捨す有り、精進有りて般若波羅蜜を取らば般若波羅蜜の守護の爲の故に中道に不退なりて聲聞、辟支佛地を過ぎ當に住すべし、阿耨多羅三藐三菩提に。

 須菩提。

 譬へへて如くは有る人、坏瓶を持ち河井池泉に詣で水を取りて當に知るべし是の瓶、爛壞し久しからずしてその地に於て還歸せんと。

 何を以ての故に。

 瓶の未熟なるが故に。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如くに阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り、忍有り、樂ふ有り、淨心有り、深心有り、欲す有り、解す有り、捨す有り、精進有りても般若波羅蜜の方便の所護の爲ならざれば故に當に知るべし是の人、未だ薩婆若を得ずして中道に退轉せんと。

 須菩提。

 云何が菩薩、中道に退轉すと爲すや。

 所謂、若しは聲聞地に墮しを、若しは辟支佛地に墮すを。

 須菩提。

 譬へて如くは有る人、熟したる瓶を持ち河井池泉に詣で水を取りて當に知るべし是の瓶、堅固にして不壞なりて水を持ちて而も歸らんと。

 何を以ての故に。

 是の瓶、熟するが故に。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如くに阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り、忍有り、樂ふ有り、淨心有り、深心有り、欲す有り、解す有り、捨す有り、精進有りて般若波羅蜜の方便の所護の爲の故に當に知るべし、是の菩薩、中道に退轉せずして安隱にして薩婆若に至り得んと。

 須菩提。

 譬へて如くは大海中の船、未だ莊治を被らずして水邊に推著し、諸財物を載せたれば當に知るべし是の船、中道に漏沒し財物散失されんと。

 是れ賣客の方便無きを以ての故に、財物を失ふこと多なりて自ら憂惱に到らん。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如し。

 阿耨多羅三藐三菩提に於て信有りて乃ち精進に至るまでも有りても般若波羅蜜の方便の所護の爲ならざれば故に未だ薩婆若に到らず、中道にして而も退し、大寶に於て失して而も自ら憂惱せん。

 大珍寶を失して中道に沒せば聲聞、辟支佛地に墮す。

 大珍寶を失せば薩婆若の寶を失しなはん。

 須菩提。

 譬へて如くは大海の邊の船、莊治堅牢にして水中に推著し諸財物を載せば當に知るべし是の船、中道に沒せず隨ひて所至の處に必ず能く到り得んと。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如し。

 阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り乃ち精進に至るまで有りて般若波羅蜜の方便の所護の爲の故に當に知るべし是の菩薩、中道に退轉せずして阿耨多羅三藐三菩提に於かんと。

 何を以ての故に。

 須菩提。

 法に應に爾れば。

 若し菩薩、阿耨多羅三藐三菩提に於て信有りて乃ち精進に至るまでも有らば般若波羅蜜の方便の所護の爲の故に聲聞、辟支佛地に墮さず。

 但、是の諸功德を以てのみにして阿耨多羅三藐三菩提に囘向せん。

 須菩提。

 譬へて如くは老人、年百二十にして而も雜病、風寒冷熱有りて須菩提。

 その意に於て云何。

 是の人能く床從り起つや不や。」

「不也、世尊。」

「須菩提。

 是の人、或る時には能く起つ。」

「世尊。

 假令ひ能く起てど遠行するをは能はず、若しは十里にも、二十里にも。

 何を以ての故に。

 是の人已に老病が爲の侵さるる所にして復た能く起つと雖も遠行す能はざれば。」

「須菩提。

 菩薩も亦、是の如し。

 阿耨多羅三藐三菩提心を發し乃ち精進有るにまで至り阿耨多羅三藐三菩提に於て信有り乃ち精進有るに至ると雖も、般若波羅蜜の方便の所護の爲ならざれば故に未だ薩婆若を得ずして中道に退轉し聲聞、辟支佛地に墮さん。

 須菩提。

 是の百二十歲の老人、若し風寒冷熱の病有りて床從り起たんと欲して、有るは二の健人なり。

 各に一腋を扶けて安慰して言さく、『意の隨に至らん、我等、好く相ひ扶持せば』と。『懼る勿れ、中道に墜落するの有るをは』と。

 須菩提。

 菩薩も亦、是の如し。

 阿耨多羅三藐三菩提に於て信有りて乃ち精進有るにまでも至れば般若波羅蜜の方便の所護の爲の故に當に知るべし是の菩薩、中道に退轉にせずして能く阿耨多羅三藐三菩提に至らんと。」

小品般若波羅蜜經卷第五








Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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