多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説84


以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。



夕方になればさすがに店に客はない。參道も閑散。

店にすでに眞夜羽は歸っていた。眞夜羽、ひとなつっこくわたしに駆け寄り、駆け寄り替えて背後の香香美に警戒し立ちどまる。

もはや眉村親子に香香美を紹介する余裕はなく(そもそも、まともな紹介さえ受けて居なかった。我々はすでに忘れて仕舞っていたのである)圓位も默したままだった。

わたしが何というべきか迷ううちに香香美は云った。

香「比呂くん?

眞夜羽は香香美を茫然とみつめる。

香「これから一緒に、茨のおかあさんとこ、いこうか。

眞夜羽「これから?

香「こわい?

眞夜羽「こわくないよ。あれ、ぼくのうちだよ。ここもうちだけど、…ここはうちじゃないけど、うちはここにもあるけど、そこも、ぼくのうちだよ。

香香美は邪氣も無く笑った。

香「じゃ、茨のうちに歸って、それから、宮島のうちにも返ろうか?

眞夜羽「遠いよ。

香「平氣だよ。電車好き?

眞夜羽「いいよ。好きじゃないけど。克美くんはすきだよ。

香「じゃ、行こう。電車、早いよ。

眞夜羽「飛ぶ?

香「飛びはしないな(と笑う)。

香香美は云った。彼が眞夜羽を連れて行くので、我々は從うしかなかった。一重たちはアルバイト(?)の女になにも伝えなかった。勝手に閉めて歸る、ということなのか。あるいは、そんなことにさえ氣は回らなかったか。

電車の中で香香美は一人陽氣だった。

向かい合わせに座るタイプの座席に座り、通路挾んだ左に眉村和哉と一重が、右に圓位と私、向いに香香美、そのとなりの窓ぎわに眞夜羽が座った。

眞夜羽が眉村親子の席からこちらに移ったのは單に彼が香香美になついたからに過ぎない。東京詞の麗人は彼にものめずらかったろう。眉村親子はなにも話さなかった。ひとり沈痛の氣配のあったのは一重で、和哉はむしろただ自然に流れる風景を見た。時すでに5時をまわり風景は次第に昏い色のみ濃くした。多くの時間、香香美は眞夜羽の子供らしい会話に付き合った。彼がなんら轉生の話にさぐりをいれようともしないのを私は時には、かすかに恠しんだ。

福山駅で茨線に乘り替える。車両二兩三兩のローカル線である。廿日市駅から茨駅まで時間にして二時間に滿たない程度か。

すでに周囲が闇に包まれた頃合いに、香香美は圓位に話しかけた。

——むかしものなどいひし、をんのなくなりしがゆめに、あかつきがたにみえてはべりしを…

独特の鷹揚をもって発話されたので最初、香香美が哥でも詠みだしたのかと、わたしは思った。

圓位は口元でだけ笑った。ささやく。——それは?

——忠峯の…壬生ノ忠岑…ありますね。そういう詞にまとめられた…

——そう、…かな…

——昔、女を知っていて…

——それは、たくさんご存じでしょう?

——そうでもない…本質的には、僕はあなたと同じ…同性愛の方で…

——そう?

——そう。…女も、…求められるので。最初は。尤も、…ま、いい。

ともかく、僕が十四歳くらいかな?

——中學生?

——そう。その頃に、知ってた女で、…

——ま、女、というか、少女、よね?年のころ、

——僕はね。十四…くらい。向こうは二十…いくつだっけ?(と香香美は唐突にわたしに言った。)

——俺?(わたしは若干めんくらって応えた。)

——違う…お前は知らないな…そう、幼馴染じゃなかった…いや(と圓位に)付き合い長いので、不思議にそのくらいから…もっと小さい頃から知ってる氣がする。

——僕と彼(と、わたしは圓位に言った)大學の時に逢ったんですよ。まさかこうなるとは。…死に水取るみたいなね。

伺ってます、と圓位。そして改めてしっかりと笑む。

香香美は謂う。以下は香香美と圓位の会話

——たぶん二十の三とか四、…今思えば子供に毛のはえたようなものなんだけど、當時としてとても大人に見えた先生がいて。

——先生?…學校の?

——そう。彼女が僕に戀をしてた。…

——なにか、された?言われた?

——なにも…けど、わかるでしょ。目つきで。…仕草。振る舞い。…僕は気附いていた。友達も氣づいていた。特に女の生徒たち…あれ、彼女たちの誰かが密告…ちくったの。自分たちの兩親たちに。そこから學校の運營側に、…

——なんと?

——たぶん、あの先生いやらしいことを香香美くんにさせてますと。そんな。呼び出されて。學年違う、五十いくつの男の先生に。担任と、敎頭と、校長と、その四人で…ぼく、その頃には母、亡くしてましたから、兩親もなくて僕だけ。

それで、話して…

瀨戸先生…と、いうのが、その先生の名字なんですけど。そのひとに、いやらしいことされたかと。

答えて、されてないと。

かくさなくていいんだよ、と。どんな、いやらしいことされたの?と。

いや、本当にされてません、と。

彼等、それで逆に納得したの(と、香香美は鼻にかかった笑い聲を立てた)。この子はされたんだなって。されて、傷ついて、だから、むしろかたくなに隱し通そうとしている、と。

面談終わった時も、次の時も、友達の見る目が變わってた。なにを敎師に報告された譯じゃなくて、ただ、呼び出された、あれ、瀨戸先生との一件だぜ、と、…ね?

——差別的な?

——じゃなくて、…

——腫れ物に手をふれる?

——じゃなくて、…

——穢れ者扱い?

——犠牲者あつかい。ものすごく。大丈夫だよ。気にするなよって。友達は…女の子たちはもっと、…なに?壊れそうなものを慈しむ感じ?兩手で抱いて。掬いあげて。泣きそうになりながら。そういうの。…笑う。

——なんで?なにが可笑しくて?

——だって、どこに犠牲者がいる?…おれ?じゃないと思うよ。瀨戸先生の方じゃない?…彼女、たぶん非常に倫理的な人で、すさまじくひとりで苦しんだと思いますよ。自分の思いに。

——で、その先生は、…

——死んだ。

——自殺された?

——じゃなくて、交通事故。

——交通事故…ふらっと飛び出したとか?

——じゃなくて、…その面談があって、次の日瀬戸先生お休みになってて、次の次の日かな。ずっと、その間學校に來てなかったけど。…テレビで見た。交通事故のニュース。

——ニュースで?

——夕方の、…幡谷の交差点に深夜飲酒運轉の車が突っ込んだと。幸い時間的に人通りなかった爲、犠牲者はひとりだけだった…即死だった、と。犠牲者の顏写真、出ますね?

——出ますね。

——實名も出ますね。

——出ますね。

——美佳子さんだ…名前。…瀨戸美香子…

——思い出した?(と圓位は静かに笑んだ)

——そう、思い出した。あれ、…写眞、…顏の…運転免許の写眞だったのかな…あれ、犯罪者みたいですよね?犠牲者なのに。やった方みたいな顏、それから名前の字幕…瀬戸美香子、…二十六歳、か…

——忘れられない。

——忘れていた。今、思い出しただけだから…今、尾道通ったでしょ。出身、たしか広島の尾道…こんなところに生まれたのか、…と。來るときは氣付かなかった。忘れたままだったから。今は暗くて見えなかった。せっかく思い出したのに。

 いのちにもまさりて惜しくあるものは

    みはてぬ夢の

       醒むるなりけり

その歌を知ったときに、ふと彼女の事を思い出した。もしも死後に魂があったとしたら、…彼女は自分の引きちぎられた亡骸を見た後、たとえば雲の上の月の裏の黃泉の國にでも?上りながらそう歌ったかもしれない。

 わが魂を君が心にいれかへて

    おもふとだにも

       いはせてしかな

ぼくはそう答えるべきだったろう。…

 もろくともいざしら露に身をなして

    君があたりの

       草に消なん

もはやあなたの好きにしろ…すでにあなたは滅びているから…

——…尾道、じゃ、せっかくだから、明日でも、行ってみられる?

——いや…もう見たから。

——見えないでしょう?

——もう…実は、僕、今、嘘ついたの。

——嘘?

——嘘。…無數に…おびただしく群がって、貪り喰らいあうみたいに変態に変態をかさねる死者たち…熾媺擣多癡…その群れの中、僕の眼の…彼等の眼に見る僕の眼の、その群れのなかに彼女、いる。

此の時圓位は何の反応も示さず、むしろいよいよやさしくに笑むのだった。

彼は云った。

——僕を見てる。…すでに、記憶も意識さえも無いのに、冴えた儘。醒め切ったまま、腐った肉と血を玉散らせる…

 はなのえをゝりつるからにちりまがふ

    にほひにあかず

       おもほゆるかな

これは…赤人?…だっけ?…と、ひとり語散るように香香美は云った。

茨市に着いたときはすでに7時を過ぎていた。空は昏い。地上も暗いからである。鄙の田舍の街はずれの駅前であって、あるいは街燈の光があるだけでもこの町の近代化の證しとするべきなのかもしれない。

駅前広場に出て当然一台たりとも待っているわけではないタクシーを、どうやって探したものかわたしが思案しかけたときに、わたしの名を呼ぶ聲がした。

返り見れば他には車など䕃だにもないターミナル道路の隅に一台のプリウスが止まっていて、その前に降りた髙長氏が手を振っていた。

髙長氏は步みよりながら私に言う——ひさしぶり…でもないね。

笑った。

髙長氏、眉村親子にも笑み、久しぶりの再會を自然な挨拶にながして眞夜羽の頭を撫でた。

髙(わたしに)「今日は、結局、何人になられるのか判らなかったから、まだタクシーも呼んでないんですよ。

私「総勢…(と、もう一度數えて)6人…

髙「ちょっと、のれないから、…

一「いや、大丈夫…

髙「タクシー呼ぶからな、

一「眞夜はわたしが膝に抱くからな、

圓「ちょっと狹すぎるな、

髙「待ってて。車、すぐ來るからな。

髙長氏電話し、もののみごとに二分の間なく來た。ひととおりの紹介さえ終わらぬに、である。故、髙長氏が此の時に私の口から知ったのは圓位が嚴島の住職であること、眉村家の相談役となっていること(これらは髙長氏の方では話に聞いていたようだった)、それから香香美の名前、…それだけ。

車に乘る前に髙長氏曰く「うちに來られてもいいんだけど、大人數だから狹いかな…どこか、店で話しましょうか?

香香美は云った「祇樹園…じゃない、偕樂園へ行きましょうか…」

髙「芳井町偕樂園?…お母さんのところ?







Lê Ma 小説、批評、音楽、アート

ベトナム在住の覆面アマチュア作家《Lê Ma》による小説と批評、 音楽およびアートに関するエッセイ、そして、時に哲学的考察。… 好きな人たちは、ブライアン・ファーニホウ、モートン・フェルドマン、 J-L ゴダール、《裁かるるジャンヌ》、ジョン・ケージ、 ドゥルーズ、フーコー、ヤニス・クセナキスなど。 Web小説のサイトです。 純文学系・恋愛小説・実験的小説・詩、または詩と小説の融合…

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