多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説79
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
だから部屋に入ると香香美は云った。——覺えてる?
——なに?
——お前に敎えた…
——あの、ベトナム人?
——彼が云った、あれ…海の中で燃え上がる城…
と、そのベトナム人少年のひとりは云ったのだった。日本には海の中に燃える城がありますね?そこに僕を無くした僕のお母さんが、泣きながら僕を思っています、とかなんとか。
——竜宮城なの?ベトナムにもそういうのあるの?お前、敎えた?
わたしは笑った。香香美は云った。
——あれ、妄想だと思う?
——その子たちのでっち上げだろ?お前、逃げられた、…
——妄想じゃない。日本にはあるよ。海の中に燃える城。
——どこに?
——嚴島神社…
——宮島?
——あれ、海にあるだろう?突き出して。岸から見れば満潮には海の中にある。神社の柱は、とくにあそこ、うざったいくらいの朱の濫立だろう?表現すれば燃える朱の柱、と。燃え上がる海の中の城。
——それは…
——こじつけじゃない。…そう思ったから、じつは、その轉生の餓鬼の話に乘って茲にきた。
——でも、もうベトナム人たちは
——迯げたね…放っとけ。不法滯在外國人何ていくらでもいる。
ややあって、嚴島行きの日取りを確認した。
いつでもいいよ、と香香美。
故、明日にしよう。私が云う。——お前も荷造りあるだろう?
——ない。
——実は、俺があるんだ。
言って、わたしは笑った。
夕方、ふたたび櫻ケ丘に行った。
ノックの後も香香美はなかなか出てこなかった。數度叩いたのちにドアが開いた。
香香美がドアの向こうに微笑む。
——どうしたの?
そうささやいた。
——何かあった?
その優しい物腰に彼に再び狂氣の時が訪れているのを察した。
——入っていい?
わたしは云った。
——好きにしな。
言って、彼は笑った。
わたしが部屋の中に入ると、彼の持ち込んだ手荷物はばらまかれて、そこら中に衣服が散亂していた。
——どうしたの?
——俺じゃない。
——誰?
——妹を殺した肉食獸が食い荒らして行った。
——獸?
——見たよ。そこから(…と、香香美はエアコンの通風口を刺した)入ってきて、それで…
——誰を喰い散らしたの?
——お前を。
——俺?
——氣付かないだろ?すでに生きてさえいなかったことに…
——まさか。
——俺も驚いた。君が步いてくるとは思ってなかった。…まさか。
——生きてるぜ。
——かもな。それが事實なんだろう…いいよ。それで。そのままにしとけ。
彼は笑んだ。
わたしは構わずに云った。
——あした、行こう。八時に迎えに來る。
——遲いな…
——早い方がいいか?
——七時は?
——お前がそれならそれでいいぜ。
香香美を見捨てるでもなく、わたしはその日は歸ろうとした。
返り際、香香美は云った。——みろよ。
——何?
——紅蓮の破滅の色を曝す…空さえ。
——なにを…
——夕暮の、燒けた空…
香香美は空など見て居なかった。彼は私を見ていた。そしてかの部屋の窓からはどうやっても東のただくらい空しか見えない。そもそもカーテンは閉じられたままだった。
わたしは彼の部屋を出た。
〇久村優人から安素野飛景あて(2019.09.18.メール)
(本文)
先の續き。
久村
(ファイル)
19日。
6時半に彼の部屋に行く。キャリーバックの騒音を足元に鳴らしながらである。
ノックすると香香美は平穩そのもの。
ドアを開け、——とりあえず入れよ。
そう云った。
部屋の中はまるで何もなかったように(あるいは誰かが…例えば例の精神カウンセラー女史か?)綺麗に整理されていた。
香香美は言った。
——取り敢えず部屋は引き拂うよ。今日で。
——でも、たぶんあっちには一週間も居ないぜ。
——いや、もっと早い。
——もっと?
——たぶんね。もう知ってるんだよ。
——何を?
——お前は一週間くらい?
——大學の關係で…お前は、興味あればもっといればいい。
——そうだね。…それから追加の報告は?
——坊主はなにも云ってこない。…佐伯も…當主は失踪中なんだろうし、あそこの奧方とは電話番号も何も交換してない…
——いいんじゃない?それで。
よって、部屋を出た。
香香美の荷物は手荷物ひとつだけ。
それから品川驛に行く。駅のカフェの中。香香美は今目の前でスマホで音樂を聽いている。イヤホンでね。彼には言った。大學の方に上げるべきレポートがあると。本人の目の前で僞って君に文書を送っている事になる。尤も、香香美のことだから、実は気附いて放置しているのだろう。そんな氣もする。
宮島についたら、それはそれとして報告することにしよう。
連絡待て。
以上
久村
〇香香美淸雅から片岡比羽犁あて、2019.09.18.メール
(本文)
先に話した件について。
いくつか考えたことを。
あなたの神経を刺戟したのではないかと心配。実際、あなたの眉間はあなたの動搖を隠せていなかった。…血なまぐさいのには、いくらなんでも馴れるということはないから…
大丈夫?
でも、僕らは冷静になって考えておこう。…
香香美
(ファイル)
以下思いつくままに
・タオは日本に着いたときから極度の緊張状態にあった。繰り返される嘔吐、失禁その他(詳細は送った通り及び話した通り)。
原因は何か?日本での暴行事件の爲。
・タオと蘭の姉妹関係について。
蘭を私に紹介した日の翌日の談話を今、記憶する限り記す。
8月14日
この日蘭を迎えに来たタオをわたしは部屋に迎え入れた。
しばしの雑談。
その流れの中に、わたしは單なる笑い話として言った。——タオさん、何歳だっけ?
——28、だよ。(彼女のそれ、鼻水を鼻の奧に咬むような甘え聲で)
——此の子(…蘭)、十…
——四。
——十四歳違いか…お母さん、すごいね。
——すごい?
——タオさんは何歳の時の子供?
——わたしは子供いないよ。
——お母さん、何歳だった?タオさんを生んだ時、何歳だった?
——今、56歳…
——28歳?
暗算して、四十二。かなりの高齢出産には違いない。
——でも、すごいね。四十二歳は、
——お母さん、死んだから、ね。
——亡くなったの?
——わたしが十歳のとき。
——十歳?
——お母さん、違うよ。タオは。
——新しいお母さん?
——八年前に死んだ。
——新しいお母さんも?
——わたしのじゃ、ないよ。わたしたち(おそらく彼女と弟)のお母さんじゃない。タオの。
——お母さん?
——結婚しなかったから。だから、新しいお母さんじゃない。
——蘭のお母さん、亡くなったの?
——亡くなった。だから、…
——なんで?
——交通事故。蘭は、
——それで?
——だから、言葉、はなせない…
——どうして?
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