多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説72
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
——まだ。
——逢って遣れよ。
——逢うよ。そのうち。放っといても…どう?
——波乎さん?
——彼女、…
——變りようがない。…
玖珠本は笑う。
嘉鳥がささやく。
——どこまで聞いた?
——テロ?
——みたいな。
——あらかた…
——来年のオリンピック。開幕の式に会場にタブンを撒く。
——匂いはOKなの?
——変更した。別に。いいかと。あの教授がいろいろやってたけどそもそも…
——匂い自分で嗅ぐわけにいかないからね。
——あの教授、上物作り過ぎるんだよ。それで、そのままでいいんじゃない?と。
——試作はためしたの?
——おそらく無味無臭。たんなる突然死で片づけられた。異臭騒ぎなし。
——すさまじい人権侵害だな。
——そんなものもとより信用してないだろ?
——人権なんてフィクションにすぎない。誰も、いかなる国家もそんなもの尊重したことも無い。なんらかの具体的な権利を付与しただけ。いつの間にか命の尊厳などと言う抽象的な神話になった。權利にはさまざまなかたちがある。故に、本来人の死を厭う權利はそもそも誰にもない…それで?
——時間差で、その明け方に吹っ飛ばす。
——聞いた。東京タワー、スカイツリー…
——根元からね。荘厳だぜ。次、
——皇居と首相官邸?
——朝にね。全ての注意がスケープ・ゴートの三つに注がれたときに。それから自民党本部爆破。もろもろの国会議員の屠殺。国会議事堂を占拠。
——天皇及び首相の銃殺。又そのインターネット中継。
——国旗を燒く…象徴的な、ワンカットだよ。…莫迦でもなにが起こってるのか気付く。
——国内制圧の宣言。
——ちょっと違う。現状の無政府状態の宣言。
——自衛隊は丸腰になる…政府も天皇も存在しない場合、總ての軍隊・自衛隊・警察機関は単に違法の民間武装ゲリラに過ぎない。
——新国家樹立の宣言…舊議事堂直下の無限に純粋な一轉たる消失轉をのみ国家領土とみとめる。故、それ以外は剥き出しの原野に過ぎない。
——領土の無い…正確には限りなく純粋な一点に領土を置く地上に存在しない、かつ、明らかに存在する国家の樹立。
——新日本神國、…とね。神の字と國の字に×をつけた、…ね?
——新にも日本にもつけとけよ。ともあれ、さしあたりお前らはその国民だと。所謂「国民」の自由登録制。公的サービスの完全自由化…即ちファンド化…
——いや。そこらへんは、どうでもいい。その実務に関しては、…
——取り敢えずのもので、いつ暴動が起ころうが新たなリーダーが生まれようが知った事ではない。
——そこまで過保護にしてやる必要ないんだよ。むしろ抛ったらかしで。新しいシステムは誰かが作るだろう。様々にね。だから、むしろ新しいプランでは無政府宣言の後に我々は撤退する。…綺麗にね。この無領土国家はあなたがたのものだ。あなたががたが貴方がたによって統治せよ、と。
——外交…外国はどうするの?
——入って来れないだろう。そう予測する…だれが不可解な未曽有の火の附いた爆弾に触れようとする?黙ってしばらく静観するしかない。おそらくさしあたりは民間と各自治体でなんとかしようとするだろう。自衛隊だって、それこそ主と国家のない自営自衞團…他者なるひとらを勝手に守るのだから他衞團になるだろう。いずれにせよすでに国家単位で大きく機能していた各ライフライン、各制度等は自治団体を超えて働くので…
——そこであらたな集合と分離がはじまる?
——例えば犬の頭を斬り飛ばして命を与えたようなもの。頭脳は無数に各所に自由に生成されるだろう。その時に舊‐犬身体は予想もしなかった変容をとげざるを得ない…これは実験だ。結果に我々が関与すべきではない。
わたしは聲を立てて笑った。
玖珠本は襖の方を見やった。
嘉鳥はささやく。
——たとえ聞いてもだれも本気にしない。よっぱらいのたわごとだとね。記憶にさえ残らない…
私は云った。
——お前がひとりで考えたんだろう?
——俺?アウトラインだけ…基本だけ。基本的な考え方…
——基本?
——存在論と倫理学…たとえば哲学、形而上学、論理学、ともかくも存在にかかわる思考を存在論、倫理にかかわるものを倫理学とする。その二つに目的や真理をではなく実験の要素を与えただけ。実験を基盤とする。
——思考とは究明ではなく実験であると?
——そう。そうすると、
——ニイチェっぽね。
——まず命ある儘頭をちょんぎる実験が一番有効だ…国家論に関してはね。
——国家は如何にあるべきか、国家というシステムを超えた、ないし別種のシステムとはいかなるものか、そんなものは本来どうでもよい。
——自由な実験の爲に実験の土壌としての原野を切り開く可能性がある。
——あくまで、既存国家の上に。
——だから、
——日本を破壊する。取り敢えずは…落ち着いたら、次は、…
——アメリカ?中国?
——北朝鮮とか?それは後に状況を見て精査しよう。
——よく考え付くよな。
わたしは笑う。嘉鳥は応えた。
——波乎だよ。
——彼女が?
——比呂を見てて…モデルはあの美しい身体だよ…あれをみて思いついた。彼女は一つの実験を生きてるんだな、と。
——俺たちの本性と同じように?
——実験者なき実験。観察者なき試験管。そもそもいかにしても人格神が存在しないということはそういうことだ…
——プラナリア見ても思いつけたんじゃない?
——ダメだろ?
嘉鳥は笑った。
——あんなもの、彼ほど美しくない。
——ハオ・ラン…
わたしは何と言うでもなくあの人を思った。
玖珠本は云った。
——いずれにしても、身体がすべてを決定する。もろもろの諸限界そのもを。AIが人間になれるかって議論があるじゃない?あのくだらなさってそこでしょ?AIに知性が存在し得たとして、その知性は人間のそれと異なっていなければならない。果たしてAIは笑うのか?ともあれ、AIの笑いは口がわなないて肺が息をはくあの笑いとは別の身体による、別の風景の中の、別の出来事に鳴らざるを得ない。今言うAIの知性はAI固有の身体なき架空のフィクション、乃至、ヒト型身体の粗雑な模造品にすぎない。
——かりに、と。
私は言う、——デジタルヴォイスが人間より美しい笑い声を発し、レオナルドより美しいモナ・リザを書き上げ、ジェームズ・ブラウン以上のダンスを踊っても、…
玖珠本は私を見た。
つぶやく。
——彼等の身体は、我々の身体とは違う別の者だ。我々は理解しないだろう。不可能だから。鳥を見ても、鳥の見る風景をは決して見なかったように。
私は玖珠本に言った。
——お前はすぐに賛同したの?
——賛同?
——嘉鳥に。
——賛同とはちがう。みんなもそうだよ。それぞれ違う風景を見出してる。同じ景色にね。俺、本来、平和主義者なの。3.11.覚えてる?燃え上がるツインタワー見て、なんて人間、馬鹿なんだろうって思った。で、宗教というものを考えた。単に茶番というだけでそれだけが戦争の起因ともいえない。国家というものを考えた。国家とは何か?ナショナリズムか。ナショナリズムが戦争を保証するのかと。ナショナリズムとはなにか?国体主義か。だから、俺、國體ってのから国家を考えた。とはいえ、國體が云々されるとき、かならず國體とはなんぞやの論争が起こる。明徴論も器官論も國體とはなんぞやの議論に過ぎない。つまり、國體の実態は終に存在しない。…当たり前だけどね。次、貨幣。でも考える。例えばベネズエラで国家貨幣が紙くず如何になっても国家は存在するだろう?ドルやらなにやらを流通させてね。貨幣は国家の形を保証もせず限界づけもしない。また、今や多くの企業は多国籍化する。経済は時に国家すらこえる。次、言語。これは言うまでもない。単一言語の国家のほうが珍しい。次、領土。実は国家の根拠はこれしかない。結局は獲得された領土こそが国家の存在理由に過ぎず、国家がそんざいするから領土が存在し、領土を死守するシステムにすぎないのが国家であり、そのシステムはその用を足せばじつはなんでもいい。国家とはいわば戦争装置に過ぎない。領土があるから戦争があり、戦争があるから領土がある。故に国家は、実はかろうじて存在してゐる。具体性すらなく、ね。常に可変する基礎工事の無い掘立小屋に過ぎずにね。戦争の無い世界を作ろうとするなら、国家という在り方そのものを破壊しなければならない。
わたしは玖珠本に言った。
——國體論、…明徴論に天皇機関説?…今更?
——今更。実は非常に、今なおも重要だと思える…俺は、ね。なにもそれらが論旨としていまでも有効な問題系を這わせているなんて言ってない…大日本帝国の戦争はナチズム・ドイツの問題とは差異する。思うに、それはより複雑な問題なんだ。それは惡しき政府とその國民洗脳、言論統制の問題じゃない。もちもんいまの政府公認たる所謂反自虐史觀論者の片棒を担ごうと謂うんじゃない。多くの場合、日米開戦は国民感情それ自体には待ち望まれていたことは多くの資料が暗示する。治安維持法維持法自体、天下の悪法と謂われながらもそれが本当に不当な悪法として存在してゐたのだろうか?時に北の巨大な國體が十月革命を体験する。これは日本の知識人たちが単に論理としてのみ知っていた言の文字通りの具現化に他ならない。架空の書物がある日ドアから入ってきて露西亜語でこんにちはと云ったのさ。その前には辛亥革命もあった。それに関しては多くの日本人も関わる。そもそも大日本帝国は海の向こうの亡命革命家達の吹き溜まりとまで化している事実もある。孫文しかりファン・ボイ・チャウしかりエミリオ・アギナルドの一統しかり。更には515事件乃至226事件の発生を見る。226事件にしても農村問題が背景にある譯であって、ニイチェとマルクス片手の胡散臭いカリスマ文士の羊水の中に育とうが何だろうが彼等が本来皇道派一派の蜂起だった以上、状況としては内から外から周縁からも既存国家は揺れ動かされる。既存国家は自己免疫として免疫力を強化せざるを得ない。…いずれにせよ、さまざまな状況の中で、惡しき独裁者の惡しき独善なくしてその大日本帝国の所謂犯罪的行為は始まっている。…ヒトラーを戴いたナチズム、ムッソリーニを戴いたファシズムの反省をドイツ人とイタリア人がなすことはたやすい。けれども、大日本帝国の國民たちは、だれも独裁し得たわけでもなくに独裁された奇妙で鮮明な夢のような現実の中にあった爲に、結局は反省も総括さえもできない。…これはもっと複雑な、国家というものそれ自体の根本にかかわる問題に想える…だから、未だに我々はそこのさまざまな資料をあたることによってしか国家論を思考しなければならない。
その愚劣と、矛盾を…
ついでに言っておけば俺はナチズムもファシズムもなにもそれ自体を以て惡と呼ぶ錯乱はしていない。存在論と倫理学は差異する。まったく別の者であって、存在論の領域に倫理を語り始め、倫理学の必然にすぎないものに存在論的事実を見出した時、それはいかにして宗教となる。宗教とはいかにしても錯乱の同義たることは論を待たない。存在論的真理は決して倫理をはもたらさず、ある集団の治安維持の仮定的かつ過程的法に他ならない倫理学は決して真理として存在しない。それをはっきり意識した二人の人物がいる…倫理学者孔子は決して存在論的には語らなかった。仏陀の残した思考集団はあくまで方便として語った。存在論と倫理学の区別のない人たちに向かって、いわば取り敢えずの方便として、と。つまり彼等は存在論と倫理学の共存できない乖離を理解していた。軈て俺たちが土壌を与えるあたらしい政治がナチズムに近くなろうがファシズムに近くなろうが、そうだったとしても、それはそれでそれ自身の倫理体系の裡で活動すればいい。そこまでの興味は俺にはなく、また、行使すべき権限も無い。
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