多香鳥幸謌、附眞夜羽王轉生——小説66
以下、一部に暴力的な描写を含みます。ご了承の上、お読みすすめください。
と、一重さんは顔を上げ、私を見た(それまで彼女は目に和哉を追いながら、ひとり膝の上に指遊びをし続けていたのである)。
「わたし?
「あなた、知ってられた?
「わたしは何も…眞砂さんからは。
「嘘。和哉が云うの。二人で店、閉めてるときにな、あのこ、その日の錢勘定しながら、お母、知ってるか?
なにを?
眞夜羽、あれ、親父の子供らしいぞ、と。
何を云うんならと。
したら、あの子、沙羅院の坊主が終に口割ったで、と。
「わたしはそうは言ってない。
「ごまかさないでもいいのよ。もう、
「わたしは、
「いまさら嫉妬もなにも
「あれは、
「憎しみも何も、
「だからね、
「恩讐の彼方に。いまはもう、なんでもいい。落ち着きたい…
かく一重さん語り語りするうちに古藤園から笠原一二三が若い女性職員を連れて來たれり。
一二三愚僧をいたわり又一重をいたわりし愚僧に言う、ちょっと、お話いい?と。
彼、事の経緯を聞かんとし故一旦店の外に出て愚僧つぶさに話す。山羽女史の手を煩わして以降の事のあらかたを、である。夙夜の深雪の訪問をも含めて。
一二三聞き終わりて二三質問あり、後に曰く島で今、えらく噂になっているよ、と。
愚僧問う、眉村の件?
答えて曰く、それはそうよ、朝からあんなところで、あんな…血まみれだったの?眉村奧さん…
云々。
入ると女性職員、相変わらずに距離置いて座りをる夫婦を目に見続けながらに一重の背をさすり謂い言いして。
時に、佐伯の事もそれ以前に午前の法要もあれば長居するわけにもいかず一二三にだけ辭して歸ろうとするに突然に和哉氏顔を上げ背に下棚の足に後ろ頭ぶつながらに「ああああ!」と叫ぶ。
心痛たまりにたまって終に口に出るか。
再び「ああああ!」
此処で愚僧一二三に冝しくと耳打ちし辭せり。
檀家の處に大幅に遅刻していくと、先方事の次第已にご存じで。むしろ腰でももんでさしあげようかと謂い出さんばかりの始末。愚僧恐縮す。
終わり、山道を下り寺に一度帰ろうとするふと季節も違えども思い出したのは若山の牧水、たしかかの人香りならば梅より沈丁花と取る、と。曰く、
何處に咲いてゐるのか判らない、庭木の日蔭に、または日向の道ばたに、
ありともない風に流れて匂つて來る沈丁花のかをりはまつたく春のものである。
相當な強さを持ちながら何處か冷たいところのあるのも氣持がよい。
と。何の故にこんなことを思い出すのか、これから何もかにも枯れ行く季節、ただただ心痛し。
夕方、片山から連絡あり、これはどう考えても佐伯の騰毗は島にはいないよと。
廿日市の警察に出も云ったほうがよくないか。
愚僧答えて、まず母上の意見を聞き、今日一日待って視ようかと思う。いやなに所詮生まれ育ったあったり、ひょっこりだれか知り合いの家にいるのかもしれぬ。そのまま家で休んでくれ、今日は何をせずともよしと。
片山云、唯唯と。
故また佐伯宅に夜7時に詣づ。
相変わらず佐伯の母上ひとり。昨日よりは落ち着いて見ゆ。玄関口に立ち話す。思うに、奧に通すのも忘れているのである。…
かの人いつになく香水を身にまき散らしたようである。異臭とでも呼ぶしかない強烈な香が体中に立つ。
愚僧問いけらく、如何がなさった?と。
佐伯母答えけらく、こんなものでも浴びとかないと臭くて…
愚僧「臭いって、なんの匂いもしないじゃない?
佐伯「自分よ。自分が臭くって。
愚僧「なにごとも思い詰めちゃだめだよ。こういうときこそ気楽に構えておきなさいな。
佐伯「気持ちの問題じゃない。物理的に臭いのよ。
愚僧「気のせい、気の病よ。
佐伯「本当よ。實はね、もう二日もお風呂に入ってないのよ。
愚僧「風邪?
佐伯「じゃなくて、昨日…じゃない。一昨日、ね。お風呂入ろうと思って、だから、お風呂だから当たり前、脱ごうとするじゃない。脱げないのよ。一枚上のものならいいんだけど、肌についてるもの?…脱げないの。
愚僧「何で?
佐伯「怖いのよ。身ぐるみはぎとられるのが。素っ裸になるのが。もうほんとに…恐くて…だから、ここのところ下着だって変えてない…だから、さ。自分でさ自分の体、本当に臭くて…頭おかしくなってるんじゃいのよ…と、いうか。おかしくなりかけてるから服もぬげないんだけれども。
愚僧「考えすぎない方がいいよ。
佐伯「そう。そうと以外、謂うこと無いわよね。だからわたしも自分に言う、考えすぎるなと。でも、脱げないものは脱げない…
愚僧「騰毗、…ね?
佐伯「いた?
愚僧「いない。
佐伯「でしょ。かえってこないもの。
愚僧「警察に謂ったら?
佐伯「言った。さすがに。くれぐれも内密に、と。したら…
愚僧「なに?
佐伯「あいつら、わたしを尋問するのよ。ここまで来て。部屋の中まで確認して…お婆樣まで。
愚僧「仕方ない。仕事だから。それでもそれで手掛かりでもあれば、
佐伯「違う。ただ私を疑ってるだけ。だって、連絡遅れたでしょ。それがあやしいんじゃない?あんな、あんなに人の心もわからなくて人さがしもあろうもの?
殺して焼いて喰って遣ろうかと思ったけどどうせ犬も喰わないからやめたわよ。
愚僧「それは、ひどいね…でも。
佐伯「警察に謂ったら安心だって?
愚僧「そうじゃない?
佐伯「もう死んでたらどうする?
と言って、あえて斜にかまえて愚僧を見た。その目に子供じみた色又大人の女の媚び共存し、感じさせるのかの人の痛む心のすさんだ樣のみ。
愚僧「まさか。
佐伯「警察も、本気ではしらべないと思う。
愚僧「なんで?
佐伯「だってあいつら、騰毗の部屋も私の部屋もひっくり返すみたいに捜索して、…あれ、騰毗の遺書探してたんだと思う。
愚僧「ただの思い込みでしょ?
佐伯「あいつら、わたしが殺めたか騰毗が自分で死んだか、どっちかだと思ってるのよ。
愚僧「僻んだ見方だよ。
佐伯「もう、安藝の宮島天下の大鳥居も傾こうというもの…いま改修工事してるけどね。ともかく、住職、本当のところはどう思われて?
愚僧「生きてるよ。
佐伯「なんで?
愚僧「死ぬわけない。
佐伯「僻んだ見方よ…もう歸ったら?…もうおそいんじゃない?
愚僧「あなたは大丈夫?
佐伯「まさか死ぬと?…まさか。わたしが死んだら、例えば、騰毗の骸でも上がった時に、誰が始末つけて遣れるの?神社の子たち?所詮他人よ。わたししかない。だから、死ねない。待ってる。…だいじょうぶよ。
かくに謂うので、愚僧返す返す気をしっかり持つよう言い、且つ、そのしつこさを佐伯の母上に笑われながら寺に返ったのである。
夜、祇樹古藤記念園の笠原氏から連絡あり、その後話し合って、またいろいろ思案の上深雪さんを何日か古藤園で預かることにしたと。本人は最初すこしだけ嫌がったもののいまや一人になれて始て心落ち着いたように見える、案じなさるな、また連絡する、と。
故、夙夜、なにごともなし。
2019.09.13.
早朝に笠原が来た。
時間にして8時すぎ。
愚僧「大丈夫なの?古藤園、忙しい時間なんじゃない?
笠原「いや、なんでもありませんよ。ひとりぬければそれなりに、ふたりぬければそれなりに、なんとかなるものですからな。
かくて本堂の縁に笠原一二三氏の報告を聞いた。
曰く「あれから橋本さんと(是が女性職員の姓)手分けして話、それぞれに聞いてあげたんですよ。
奥さんは家に連れて行ってね。和哉さんは店で…
奥さんを外に連れ出して歩かせるのは、ちょっと人目があれかなあと、思ったけれども、そういうのは女性の方が案外つよいからね…どっちかといったら奥さんのほうが連れ出すのはいいじゃろうと。
わたしは奧さんの方、橋本さんは和哉さんのほう…これはなんとなくね、逢って、お見掛けして、なんとなくの相性で行ったら、こうよな?ということで。橋本と。話してね…
ま、お互いにいろいろ聞いたんです。お二人に。二人して。
で、話すことは先に住職の言われたようなことですよ。お爺さん?その子供だと謂うてられるのな?和哉さんな。
反対に奥さんの方は疑われてます、疑われてます、根も葉もないこと、疑われてます、の一辺倒でね。
あれ、どっちが本当なんだろうね?…住職には、先代の、
「…と、謂うてられましたね。
「でしょう?…なもので、ちょっと、心のストレスでね…それが心配で、一回家族から引き離した方がいいぞと。
本当は眞夜羽ちゃんだっけね?あのこのこと考えたら、母親の方連れて來たくなかったんだけれども、深雪さんと一重さんと眞夜羽くんだけ、というのはね…
本当は、おばあちゃんと眞夜羽くんふたりだけに一回させたほうがいいかもしれん…けれども。
「和哉くんは?
「橋本曰くに心赦して…年下の女の方だからね。ちょっとまあ、ふっくらした、ね。…だから安心されたんじゃない?なんでもかんでも話してられたそうでね。橋本は聞き役。やっぱり、ぎすぎすしてるときに、ぎすぎすしてるもの同士が離れるとね…やっぱり、心は落ち着くね…
だから奥さんに一回、独りなって考えてみられ、と。…別に、入園とか、そんなことはないんですよ。それ、島の人らにもね、よくよく住職の方からも、…ちょっとな、ほとぼり覚ます間のな…
云々。
よろしく頼むと笠原に言った。笠原曰唯唯。
笠原氏帰られたあと、昨夜のかたちが気になって佐伯宅を詣でんと山を下るに路に岡崎保くんとすれ違う。青年団の今の団長、齡三十の二つ三つか。
岡崎くんかわしあう何気ない挨拶のあと急に我に返り曰く「住職知っておられる?
「何を?
「神社の佐伯さん所、いったい、なにかあったの?
「何って?
「いや、今朝がたに、…これはわたしも又聞きなんですけれどもね。朝の早くに、…
6時過ぎくらいなんじゃない?下の落合の叔父貴が云うられたことだけれども。
なんか、下の清盛像ありましょう?
「ありますな。海辺ね。
「神社の前な、あそこに朝、清盛公の横っちょの方に、海に背、むけてな…それであそこのお婆さんのほうが…名前なんて言われるん?…あの方、…
「笹予のお婆バ樣が?
「なんとももう世の末地の果てにおりますみたような、そんな、正気のない眼して、顏して。
こう、ぼうっと地べたに正座されて背中まるめて…どうしたん?なに?…と。
落合さんもなにも話しかけても返事も無くてね、それで人だかりも出来ようもの、そうしたら、誰か連絡されたんじゃない?
あそこの…
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